Scene1:ポッケ村―家―
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ポッケ村。湯煙越しに覗ける昼間の青空は、爽やかなまでの眩しさを真紅に届ける。真紅はうっかりうとうとして、そのまま湯の中に顔を沈めかけた。無論、口や鼻が湯で塞がれた瞬間、条件反射でその身を持ち上げるのだが。真紅はすかさずその首を左右に振り、顔にかかった湯を切る。入浴に備えて、後頭部で結ってまとめた金髪から、いくつものしぶきが飛び散った。「真紅、そろそろお上がりになってはいかがかしら?」真紅が今浸かっている、石で組まれた大きな浴槽の外側から、アイルーの声。その両手の中に、きっちり折り畳まれたタオルを用意した、赤い毛並みのアイルー……ホーリエである。真紅はその顔を、浴槽の縁に置いてあった小さめのタオルで拭きながら、ホーリエに答える。「……そうね。やっぱり、ドスイーオス狩りを五回も行ったのはさすがに応えたわ」真紅のまぶたの裏では、ついほんの半月前まで狩猟のために滞在していた、クルプティオス湿地帯の光景がありありと浮かび上がる。クルプティオス湿地帯とは、ポッケ村から遥か西南西の方向に存在する湿原の名である。一年を通し日照が少なく、雨の降らない時間帯には有毒の沼気(しょうき)が湧き出る。しかし気候は比較的温和であり、また豊富な水資源を背景とした多彩な生物相を持つがゆえに、モンスター達からも好まれる良質の狩場として有名である。真紅は二ヶ月前、このクルプティオス湿地帯に繁殖期を迎えたイーオスの群れがやって来ると知らされた。これを好機と見た真紅は、即座に体の空いていた相棒のジュンに声をかけ、最寄りの村を基点に一ヶ月間現地に滞在し、合計して五頭のドスイーオスを狩ったのである。イーオスはギアノスと同じく、人間に匹敵するほどの大きさを持った、二足歩行の大蜥蜴と言えば間違いはないが、その鱗の色は白ではなく毒々しい赤で、ギアノスとは違い毒液を吐きかけるための毒腺を持つ。そして、ドスイーオスはその毒蜥蜴イーオスの中でも、特に大きな体を持つリーダー格、というわけである。「真紅もおとといやっとこちらにお帰りになって、昨日は荷物の整理や武具の注文でお忙しかったですものね。早くお上がりになって、お昼寝をなさってはいかがかしら?ちょうど新鮮なポポ肉とふたごキノコを今日露店で買ってまいりましたから、お目覚めになる前に夕飯をご用意しておきますわ」ホーリエは、手の中のタオルを真紅に向けて差し出した。「……そうね。いくら特急料金を払ったとは言え、注文した武具は明日にならなければ出来上がらないし、久しぶりにお昼寝もいいかもしれないわ」真紅はホーリエから受け取ったタオルを、一糸まとわぬ裸体に巻きつけ、しっかり胸元と腰周りを覆う。もちろんこの浴場は風情のあるついたてで外からは隠されてはいるが、露天風呂なのだ。どこに出歯亀(でばがめ)がいるか分からない以上、乙女としての恥じらいはしっかり持っていなくてはならない。「もしベリーベルも呼んでよろしいのでしたら、もっと豪勢なお食事をお出しして、ささやかなパーティくらいは出来ますけれども……」「絶対に嫌よ。私が近くにいるのを許すアイルーは、ホーリエ……あなただけなのだわ。それに、ベリーベルみたいなそそっかしい子に調理なんてさせたら、どんな料理を出されるか分かったものでは――」嫌悪感を露にして言う真紅。その言葉を途切れさせたのは、いつも聞き慣れているはずのあの音だった。がらがらがら、と車輪が土の地面を踏みしめる。「……ポポ車?」真紅は、露天風呂の付いたこの家の向こう側から聞こえてきた、その音に耳を澄ませる。ホーリエもまた、左右の耳を弾くようにして動かしながら、真紅にならった。先ほどもホーリエが口にした「ポポ」とは、末広がりの象牙を二本生やした大型の四足歩行の獣を指す。その体は茶色の豊かな毛で覆われており、このような寒冷地での生存に向く。そして「ポポ車」とは、飼い慣らされたポポに牽(ひ)かれる荷車を指す。ポポ車はこのポッケ村に、様々な物資や人を送るのにたびたび使われているのだ。そのポポ車の車輪の音を聞き取るホーリエは、怪訝そうに真紅に問う。「でも、ポポ車はこの村では決して珍しいものではありませんわ」「そんなこと当たり前よ、ホーリエ。私が気になるのは、ポポ車が今日この時間に村に来ていることよ。私は月刊『狩りに生きる』を定期購読してるから、ポポ車の定期便がいつこの村に来るかは大体把握してるわ。私の知る限り、この時間帯に村に来るポポ車の定期便はないはずよ」ホーリエから受け取ったもう一枚のタオルで、後頭部にまとめた金髪の吸った水分を拭き取る真紅。「ひょっとしたら、商人達の都合でポポ車の運行スケジュールが変わったのかも知れませんわ。さもなければ、ポポ車が何か事故を起こして時間がずれたのかも……」手持ちのタオルが無くなったホーリエは、一旦露天風呂の脱衣所に戻りタオルの補充に向かう。「ホーリエ、今日の昼寝は止めにするわ」真紅はある程度水分の無くなった髪の毛を下ろし、内側の方に残っていた水分も拭き取ろうと試みる。「またこの村で何か起こりそうな予感がするのだわ」脱衣所から戻って来たホーリエの手から、真紅はもう一枚タオルを受け取った。
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