なんとでもない日常 第五話
ポカポカとした日光が、 人々の身体からやる気を奪ってゆく5月の昼下がり。しかし、 そんなのどかな空気を、 ゆったりと過ごせない数少ない人間がいた。「暇ですぅ……」そんな言葉が、 ポロリと口から飛び出す。それに釣られるように、 次々と愚痴がこぼれてゆく。「だいたい何で翠星石がジュンの家で留守番なんですか!のりがいないからって、 どこにみんなでおやつを買いに行くなんてバカですぅ!」元を辿れば10分前にさかのぼる。みんなでお茶を飲もうとした所、 桜田家のお菓子が全て無くなってしまっていたのだ。原因は、 普段お菓子を買ってくるのりが、 部活の合宿でしばらく不在であるためである。そのためジュンがお菓子を買いに行く事になったのだが、 そこからが問題だ。人の良い我が妹蒼星石は、 買い物を手伝うといって同行し、 チビ苺は「うにゅーがいいの!」と言って聞かず、 無理矢理くっついて行く事になった。金糸雀はそもそも今日来ていない。今頃、 みっちゃんさんに捕まって色々させられている頃に違いない。そして普段買い物なんて行かない真紅も、 何故か今日に限って一緒に行くと言い出した。まぁおそらく先日発売した『くんくんチョコ』(くんくんキャラのキャラクターカード付き)を無理矢理買わせるつもりなのだろう。そんなワケで、 私が大人しく留守番をする羽目になったのだ。「……そりゃジュンに『て、 てめーなんぞと買い物なんてまっぴらゴメンですぅ!』なんて言った翠星石も悪いかもしれねぇですけど……でも『ま、 まぁそれでもジュンがどうしてもって言うなら、 い、 一緒に買い物してやっても良いですよ』って言ってる途中で出てくとはどういう事です!話くらい最後まで聞けですぅ!」バンとテーブルに手を叩きつけながら、 怒りを露にする。こんな不条理な怒りをぶつけられた当人は、 クシャミでもしているに違いない。「それに……のりがいないって事はジュンは真紅と二人っきりで……い、 いかんです!そんな事許さんです!……は!も、 もしかしたらもう二人は深い関係になってて…あ、 あんな事やこんな事を……!」いつだったか水銀燈が「男はみんな野獣なのよぉ」などと言っていた気がする。ありえない話ではない。――これは調査が必要だ。そう思うより早く、 身体はジュンの部屋へ向かっていた。ガチャリとドアを開けると、 男の子らしいずいぶんと質素な部屋が広がっていた。怪しげな通販グッズが、 異様なまでに浮いてはいるが。さらに机の上に出しっぱなしの裁縫道具と、 キレイな刺繍の入った、 作りかけのドレスも異彩を放っている。おそらくはみっちゃんさんに頼まれた物だろう。なんでも、 ジュンがデザインして作った衣裳は、 ネットオークションでとても高く売れるそうだ。実際、 それらは繊細かつ華美であり、 真紅が「ジュンの指は魔法の指よ」と言うのも納得である。「一回着てみたいですねぇ……っていかんですぅ!当初の目的を達成せねばですぅ!」脱線しかかった思考を元に戻し、 いざ調査にかかる。まずは――ベッドの下からだ。「……なんにもないですねぇ」ベッドの下からはジュンと真紅が不純な関係である証拠(ゴム製品とか棒状のマッサージ機とかロウソクとかムチとか)はおろか、 健全な青少年なら誰でも興味を持つであろうブツすら見つからなかった。半分ホッとし、 半分悔しがりながら、 何もない暗闇からゆっくりと顔を上げる。視線の先には、 白いシーツが見えた。「こ、 ここでジュンは毎晩寝てるですか……」なぜだか急にドキドキしてきた。ゴクリ、 と唾を飲み込む音が大きく聞こえる。「な、 なに考えてるですか!こ、 これじゃ変態じゃねーですか!」ポカポカと自分の頭を叩く。だが、 どうしてもあの白いシーツから目を離せない。「……で、 でも匂い的なもので証拠がつ、 掴めるかもしれねーですよね。そ、 そうです!こ、 これは調査ですぅ!」一人で勝手に納得すると、 そろそろとベッドの上に登った。そのまま体勢を崩し、 うつ伏せでベッドに寝そべる形をとる。そして、 深々と顔を枕にうずめた――。「ふぁ……ジュンの匂いがするですぅ……」シーツにくるまりながら、 そんな事を呟いてしまった。窓から差し込む午後の日差しは、 ほどよい暖かさを提供してくれる。私はなんとも言えない幸せな感覚に浸りながら、 当初の目的などどこが遠くに吹き飛んで行ってしまったのを感じていた。「ただいまなのー!」手に不死屋の苺大福の入ったビニール袋を振り回しながら、 元気よくドアを開ける雛苺。全く、 中身が崩れても知らないぞ。「あれ?翠星石は?」リビングに入ると開口一番に蒼星石が呟いた。言われてみれば確かにアイツがいない。「トイレにはいないようだから……あの子、 二階にいるんじゃないかしら」手にくんくんのキャラカード(お菓子のおまけ)を持ちながら、 真紅が言う。そういや以前、 僕の部屋に侵入して漫画読んでた事があったな……。……マズい、 マズすぎる。とりあえず部屋の中にはやましいモノはないが、 パソコンの中を見られるとマズい。あの秘蔵ファイルが見つかるようなものならば、 僕の人生はここまでだ。そう思うが早いか、 すぐさま二階へと駆け出す。僕の突然の行動に真紅達が若干ポカンとしているが、 気にしているヒマはない。二階へ上がると、 部屋のドアが少し開いているのが見えた。出かける前にはちゃんと閉めていたから、 翠星石が中にいるのは確定だ。「おい!何勝手に僕の部屋……に…?」そのままの勢いで部屋に入る。だが最初に目に入って来たのは、 僕のベッドですやすやと眠る翠星石だった。「あーあー翠星石ったら何やってるのさ」追い付いてきた蒼星石が呆れた声で言う。なんだかニヤニヤしているのは気のせいだろう。「まったく……私の下僕のベッドで寝るなんて……」その後ろでは真紅がブツブツと何か言っているのが聞こえる。真紅さん、 なんでそんなに不機嫌そうなんでしょうか?そのまた後ろでは雛苺が「ヒナも寝るのー」とぴょんぴょん跳ね回っているが、 どうみても寝るつもりには見えない。軽くため息を吐いてから、 もう一度ベッドの方へ視線を移す。静かな寝息をたてながら、 幸せそうな顔をして眠る翠星石を見てると、 不思議と悪い気はしなかった。「ま……もうちょっと寝かせてやるか」そう呟くと、 僕はゆっくりとドアを閉めた。――暖かい春の昼下がりは、 お昼寝には絶好の機会なのだから。
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