Scene1:フラヒヤ山脈―山麓東部―
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フラヒヤ山脈。大陸の北端に近いこの山脈は、一年を通して深い雪に包まれている。その気候はもはや寒冷を通り越して、極寒とすら言い切って問題はあるまい。だが、それは山脈の中腹を越えてからの話。麓の辺りでは若干雪はあるものの、まだ太陽の暖かな光も届き、脆弱ながら植生も存在する。一同は、その雪山の麓に辛うじて存在する草原の中、静かにたたずんでいた。フラヒヤ山脈の麓に広がる、湖を眺めながら。「とっても綺麗なところなの!」雛苺は、まるで上質な鏡のようにくすみやかげりのない、湖面を眺めながら飛び跳ねた。「綺麗なところって……お前だって今まで何度も来ただろう?雪山草を集めたり、ブランゴの群れを狩りに来た時に」ジュンは、雛苺の無邪気な反応に煩わしそうな声を上げた。「でも、ここは本当に綺麗な所だと思う。モンスターさえ出なければ、暖かい日にはピクニックに来たいくらい」トモエの目は、湖面の煌きに細まっていた。「それならば、早いところ狩猟を済ませてしまうのが一番なのだわ。ジュン、この雪山の地図はあるわね?」「ああ……って言うか、お前もさっき支給品ボックスから持ってきただろう?」ジュンはぼやきながら、『マフモフジャケット』の下のアイテムポーチから、小ぎれいに畳まれた一枚の紙を取り出す。ハンター達を取り仕切るための団体、「ハンターズギルド」は、こうして狩猟に出かけるハンターに、一定の補助を行うのがその常となる。その補助の具体的な形が、すなわち「支給品」である。今ジュンが取り出したような、その土地の『地図』を始めに、怪我の処置に使う『応急薬』や、ハンターの活動時の食事となる『携帯食料』、血糊で鈍った武器の切れ味を復活させる『携帯砥石』など……。これら「支給品」は、よほど困難な狩猟を行う時を除けば、必ず彼らのベースキャンプの「支給品ボックス」に詰め込まれ、ハンターに渡される。丁寧に人数分用意された『地図』を覗き込み、一同は湖のほとりにて作戦会議を始めることとなった。「まずは、ドスギアノスが湧きそうなところの見当を付けないとな……」ジュンはその場にどっかと座り込み、『地図』を撫でる。それに倣い、真紅やトモエや雛苺も、静かに地面に座り込み、各々の『地図』を眺め始めた。フラヒヤ山脈はその地形を概観すれば、南部ほど標高が低くなり、北部ほど標高が高くなっている。そして頂上に向かうためのルートは二つ。山脈南東部から進入できる、凍て付いた洞穴をくぐり抜けてゆく東回りルート。もしくは、山脈南西部の断崖をよじ登り、一気に高地を目指す西回りルート。「このうち比較的早く山頂に到達できるのは、西回りルートということになるわね」真紅は地図に描かれた山脈南西部を指差し、その指を北端の山頂付近にまで滑らせる。「ああ。それに、東回りルートの洞穴はボクも何度か行ってみたことがあるけれども、あんな狭苦しい洞穴になんて、ドスギアノスみたいな大型のモンスターはそうそう進入できないはずだ」ジュンはこれまでの下積みの依頼で、何度か下見をする事になった洞窟の光景を思い出し、結論する。「じゃあ、ヒナ達は崖を登ってけばいいの?」「そうなるわね、ヒナ。……でも、本当にそれでいいの、ジュン?」雛苺をたしなめながら、トモエは未だ難しい表情を浮かべるジュンに問う。ジュンは結論を出しあぐねているように、眉間を右手の親指で突きながらトモエに応じる。「ボクが心配なのは、ボク達がドスギアノス二頭を一気に相手にする羽目になるかもしれない、っていう危険性だな。もしドスギアノス二頭や、その下についてるギアノスの群れまで巻き込んで乱戦になったら、いくらボクらが4人パーティとは言え危険過ぎる」おそらく二頭のドスギアノスは、オババの前情報からして、それぞれ別の群れの頭であることは間違いあるまい。だが、もし二頭のドスギアノスに一同が挟み撃ちにされた状態で、ドスギアノスが同士討ちしてくれることを期待するのは、あまりにも浅はかと言わざるを得ない。モンスター達は数多くいる外敵の中でも、特に人間を強く憎む者がほとんどである。たとえ別々の群れに属するドスギアノス同士でも、そこに人間がいれば最優先の攻撃対象は人間になる。つまり結果として、ドスギアノスの群れ二つに一時共闘されてしまう形になる可能性は極めて高い。ならば、これに対抗する策は何か。ジュンの中で、すでに答えは出ている。「一番いいのは、二頭のドスギアノスをそれぞれ各個撃破することだな。つまり、ボク達のこのパーティを二つに分けて、それぞれが東回りと西回りのルートから山頂付近に向かう。ドスギアノスみたいな大きなモンスターは、おそらくある程度開けた土地のある山頂付近で活動しているはずだ。山頂付近には山頂部、中腹東部、中腹西部、と三つのエリアがあるけれども、ボク達は二手に分かれて、ドスギアノス二頭をそれぞれ別のエリアに釘付けにして、倒す。ドスギアノス二頭はそれぞれ違う群れのリーダーだろうから、まさか仲良く二頭一緒に走り回ってたりはしないだろう。けれども、万一ドスギアノス二頭が同じエリアにいたなら、二頭が別々になるまで待機。繰り返すけど、一度にドスギアノス二頭を相手にとって戦うのはあまりにリスクが大き過ぎる」これが、彼の導き出した結論。それに反対の声を上げたのは、真紅だった。「ドスギアノスが二手に分かれるまでの間は、ただ待ちぼうけするだけなの?それでは、あまりに時間が無駄だわ。私達に与えられた時間はまる二日しかないのよ?」真紅が口に出したのは、全ての狩猟において課せられた、時間制限の問題。多くの狩猟では、ハンターズギルドのスケジュール管理の都合や、ハンター自身の体力の限界などを理由にして、狩場到着より起算して50時間……2日強、という時間制限が設けられている。もしこれより時間を過ぎれば、依頼を受けたハンターは一切の報酬を受け取る権利を失う。真紅が口にしたのは、その危険性なのだ。ジュンはその意見に反論しようとして……「大丈夫よ、真紅ちゃん。それまで私達には、やらなきゃいけないことがあるし」その役目をトモエにさらわれることとなる。トモエは、背に負った『鉄刀』の柄の辺りを軽く弾きながら、真紅に向かい言葉を放った。「ドスギアノスの下に付いているギアノスを片付ける。ある程度片付けておけば、ドスギアノスだって狩りやすくなるしね」「……それもそうだったわ」真紅は静かに、自らの反論を撤回した。ジュンはそれを確認した後に、一同に作戦の確認を取る。「じゃあまとめるぞ。ボク達はこれから二手に分かれて、それぞれこの雪山を東回りと西回りの2つのルートで登る。山脈中腹部にかかったら、ギアノスを排除しながらドスギアノスを探して、それぞれ一頭のみになった時を狙って一気に倒す。ただ、ボク達のパーティ構成では、4人がかりで一頭を袋叩きにするのは若干効率が悪いから、2人で一頭ずつを叩くことにしよう。いいな?」「ええ、了解よ」頷く真紅に、「ジュンの作戦通りに動くね」同意を示すトモエ。そして……「…………うにゅ~……」雛苺はジュンの話の間に、いつの間にかうたた寝を始めていたらしい。ジュンが雛苺に苛立ちの乗った怒号を叩きつけ、それをトモエが鎮める。東回りルート担当、真紅・ジュン。西回りルート担当、雛苺・トモエ。ジュンの怒りが収まり、ようやくその担当が決まり、そして最終的に彼らがこの湖のほとりを出立したのは、一同が狩場到着から小一時間経った、午前の遅くであった。
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