『神ノ為ス殺戮』
「ジュンくん」小さな、小さな、女の子と男の子。二人はぼんやりと地面にしゃがみこんでいる。彼らの目の前一面は平らで。緑色で茶色で、そして、たっぷり、赤色で。女の子と、男の子、二人っきりの空間。音を発するものも、動くものも、一切存在しないけれど、和やかな空気なんてものとは、全く無縁で。そんな中で女の子は、どこまでも穏やかな口調で、男の子に話しかける。「やっぱり、吸血鬼って、人じゃないんだよね」男の子は、女の子の方へと顔を向けるが、目に生気がない。一方の女の子は、男の子の方へ顔を向けるそぶりすらしない。自分から話しかけたにも関わらず。「どんなに優しくたって、どんなに人間らしくたって、結局は人の形をしている怪物なんだよね」女の子の呟きを聞いた後、再び男の子は頭を真正面に戻す。目を凝らす。その先にあったのは、ただひたすらに、惨状。硝子細工の如く、ぐしゃぐしゃに潰された家屋。紙細工の如く、ぐしゃぐしゃに潰され、中身を撒き散らす事になった人々。男の子の胸のうちに、喉に、酸気を帯びた吐き気が込みあがる。胃に溜まっていたものは、さっき全て吐き出したはずなのに。猛烈な吐き気が、再び彼を襲う。男の子は息も絶え絶えに、跡形もなく潰れた自分の家の裏へ回ったのち、そこで胃の内容物総て(と言っても、最早胃液しか残っていなかったようだが)を吐き散らす。一方、女の子は平然とした表情で、地面にしゃがみ、目の前の光景を眺め続けている。まるで映画のワンシーンを見ているだけ、とでも言うかのように。平然と。文字通り、死屍累々。それを、眺め続ける。「私は、吸血鬼が、憎いよ」そううめいた少女は、目を瞑る。まるで全てを諦めたかのように、目を瞑る。瞼の奥の暗闇で、彼女は何を見ているのだろう。~『だから僕は、全身全霊を以って、彼らを滅ぼそう。彼女が悲しむ事が、もうないように』脳を揺らす声。鮮明な映像。私が見た、あの男の子は、明らかに、どうみても、ジュンだった。ならば、あれは、ジュンの記憶の中の過去の映像ということだろうか。何故このタイミングで、あんなものが見える?「ぶっつけというか、思いつきでやってみたけど、割りとうまくいくもんだな」女声。「ん、あれ?」先ほどと同じ声。誰?ごく近いところから、聞こえる。目の前の雪華綺晶は、私の様子を見て、くすくすと笑っている。ここにいるのは私、雪華綺晶、ジュンのみ。翠星石は、蒼星石の方へと向かった。廊下に山積みにされた羽根の中に誰かが潜り込んでいるとするのなら、話は別だけど。そうか。この声は。誰でもない、他でもない、この私の声だ。「水銀燈、何か喋ってみろ」私こと、水銀燈の口から、このセリフが発せられる。今、確認した。確定した。「え?」私の口から洩れるはずだった疑問符は、私の真後ろにいるはずのジュンの口から発せられた。「そういうことね」ジュンの口から、私が言いたかったセリフ。・・・カマっぽくて気持ち悪い。では、なぜ?私がジュンの、ジュンが私の言葉を?「簡単なことよ」笑い転げていた雪華綺晶は、指を宙でくるくると回しながら、語る。「貴方たちは今、『心の糸』で繋がっているの」言いながら、雪華綺晶は、私を指差す。「貴女も、彼の記憶の一部を見たでしょう?」その私の手足には、否、腕や肩、膝や足首などの多くの関節に、大きな針が突き刺さっている。さらに針は糸に繋がっており、そこを辿れば。「僕の指にたどり着くわけだ」きっとこれを言ったのがジュン本人であれば結構キマっていたに違いない。そういうわけで、それを言ったのは私だったわけだけど。「その鋼線で作った針と糸を媒介に、『心の糸』をリンクさせたのね。 だから、貴女はジュンによって、身体が制御される。 一回しか、私の技術を見ていないというのに、出来てしまうとは驚いたものだわ。けれど」何を言っているのかよくわからない。心の糸・・・それって心が読めるとかそういうことだけじゃあないの?「私の方がずっと高度に、ずっと強力に、他人を『操れる』。 ふふ、このホテルに泊まっている人たちは眠りが深くて助かるわ。 ちょっとくらい暴れても起きてこないし。それに眠ってもらってた方が意識を乗っ取りやすいもの」雪華綺晶は小さな腕をいっぱいに広げる。「貴方は『有線』で『一体』しか操れないけど、私は『無線』で『無数』に操れる」雪華綺晶は高笑いをする。笑い声に合わせて、廊下のありとあらゆるドアが開く。というより、蹴り破られる。ここの宿泊客。意志を持たない有象無象。彼らの右目からは白い薔薇が咲き誇り。左目は黄金色にぎらぎらと猛禽のように輝く。食堂や廊下ですれ違った人も、その中にはいなくもない。『手駒の数なら、圧倒的』雪華綺晶たちは笑う、嗤う。そして、ゆっくり、ゆっくりと、私たちへと向かって歩を進める。「ど、どうするのよぉ、ジュン」ジュンの口で、私が言う。どうにかならないのかしら、これ。間抜けにも程があるわ。「お前がやればいいことは一つだ。僕を信じろ。以上だ。あとは何もしなくていい」私は言う。私が僕だなんて・・・これじゃあ蒼星石とキャラが被ってしまう。「あとな。雪華綺晶」私は言う。「こっちは手駒なんかじゃない。友達だ」私は言う。か終わらないかの内に、私の身体は、三人の雪華綺晶を蹴散らしていた。「言い直そう、水銀燈。もういっそ何も考えなくていい。大丈夫。 むしろごちゃごちゃ考えられるとな、心の糸が乱れて思ったように操作が出来なくなるみたいだ。 お前は僕に身体を任せてしまえばいい。僕がすべてうまくやってやる」ジュンが、言う。セリフ逆転現象は、ようやく元に戻ったようである。でも、ジュンが私の身体乱暴に扱って傷つけたりはしないのかしら・・・。「お前の心配は要らない。 『神の為す殺戮(マエストロ)』は、これくらいの戦場なら、朝飯前のお茶の子さいさいだ」と言う間にまた私は、ばったばったと、7人くらいを弾き飛ばす。カッターナイフやガラス瓶、なかには家具を得物に、私に襲い掛かる雪華綺晶たち。それらを、がすんがすんとなぎ倒してゆく。私の四肢をフル駆動させて。一切の無理はない。しかし、私にはこんな動きはできない。私がやっているとは信じられない。急所に正確に当てるものの、致命傷にはしない。「さながら・・・マリオネットね」一人の雪華綺晶が、宙を飛ばされながら、呟く。確かに、ジュンの指から伸びる針は私の体の色々な場所につながり、そして私の動きを制御している。マリオネット。言い得て妙。外見上は。確かに私は今、操作されている。私は今、ジュンの意思のままに動いている。だけれど、この感覚は操り人形のものではない。最前線にひとり、立たされているというのに。手を汚しているのは私だと言うのに。一緒に戦っている気がする。むしろ、守られているような気さえする。こうして戦っていると、そんな気がするのだ。酔狂かしら?などと自問していると、私の羽根の影から、二つの影が飛び出す。「ひっ」私の口から恐怖が洩れる。刹那、私の身体が強張る。だがジュンは全く動じない。「お前には立派な『翼』があるだろう!」広げた両翼。それはばさりと音を立てて、羽ばたく。ふたつの雪華綺晶が床へと叩きつけられ、床の大理石にヒビが入る。ほら、やっぱり、私は守られている。「雪華綺晶。お前の『手駒』とやらは全部歩兵以下だったぜ」周りを見回す。気付けば、廊下に立っているのは、ジュンと、私と、雪華綺晶のみ。振り出しに、戻った。「それに比べて僕の『友達』はクイーン並の大活躍をしてくれたわけだが」駒で圧倒できない。じゃあ、次はどうやって打って出るのかな。ジュンはいやらしい笑みを浮かべる。私の身体は、雪華綺晶へとゆっくりと歩を進める。雪華綺晶は、全くと言っていいほど、表情を変えない。まるでもう、お終いだとでも言うように。「手駒が歩兵ならまた王将も実は歩兵でした、ってか? 笑えないし、面白くもないし、後味悪いぜ」じり、じり、と私たちは雪華綺晶へと近づく。そして雪華綺晶は、一歩、また一歩と、後ろへと下がってゆく。「もう逃げ道はない。チェックメイトだ」今度は僕が、乗っ取ってやろうか。なんてことはない、復讐だ。~「目ェ覚ましやがったですねこんちくしょう。仕事ばっかり増やすんじゃねぇです!」霞む目をこする柏葉の、目覚めたての顔面に鉄拳が飛ぶ。柏葉は自分がもと寝ていた方向に、ぱたりと倒れる。ちょっとやりすぎではないだろうか、翠星石。「あ、あなたは・・・?」理不尽な暴力を受けても、柏葉は平然としている。翠星石のパンチを受けても動じないほどタフというより、まだ寝ぼけているに違いない。パンチを食らったことに気付いている素振りさえない。鈍い。「翠星石というですぅ!」元気よく言う。「この子の姉でジュンの・・・そのぉ・・・後輩ですぅ」数分前に既に目を覚ましていた蒼星石の方を指差しながら、ぼそぼそと呟く。「もう、全部大丈夫ですから」翠星石は伏目がちに言う。柏葉はその一言で総てを察したらしく、微笑み、「ありがとう」と言った。「や、頑張ってるのはジュンや水銀燈ですぅ。あ、その、水銀燈というのは友達で・・・」「そっちにも感謝しなくちゃね」蒼星石がフォローを入れる。「ところで、お聞きしたいんですが、あの女の子は何者なんですか? 柏葉さん」続けて蒼星石が尋ねる。ただでさえ埃っぽいのに、おまけに半分を切り崩されてしまい、少し動くだけで白い煙が舞い上がってしまう部屋の中。「そうね、貴女達は私たちのことを助けるために来てくれたんだものね。それくらいは話しておきましょう」~炸裂。踏み込み、一撃。粉砕、玉砕、大喝采。ハンマーの如き破壊力。雪華綺晶は、乗り憑いた女の子の拳ごと、背後の壁を粉々に砕く。そして夜空へと飛び立つ。窮鼠猫を噛む。吸血鬼壁を壊す。追い詰められた彼女は逃げ道を外に求めた。「あなた達は本当に強いわ。だから、今回は諦める。でも、いつかきっと、その身体、貰ってあげるわ」雪華綺晶は言い捨てる。でも、今思えば、彼女はもうこの時に死んでいたのだと思う。何にもこだわることなく、自分の身体をも持たなかった彼女。彼女が、初めて。執着した。彼女は、この暗くて羽まみれの廊下から脱出しようと、大理石を蹴る。きっとすでに、彼女も、そして彼女の仮の肉体も限界だったに違いない。床を蹴った足に力は無く。ゆっくりと、もつれるようにして。3階から頭を下にして。堕ちる。たとえ吸血鬼であろうとも、絶命は免れない。彼女たちは。「う、うああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」翠星石に、守られた。ジュンに、守られた。守ろうと思っていた人に、守られた。一緒に戦うはずだった人に、守られた。誰も助けられない。誰も救えない。ちっぽけな半人半魔。雑魚。雑草。『私は・・・その子を助けたいわぁ』救いたかった人を、死なせた。誰も、私は、助けられていない。見殺しに、してしまう。役立たず。―――決め付けるのは、まだ早いわ。そんなことはない。外に引っ張り出されたはいいけれど、結局誰も私を必要とはしない。―――貴女、自分が誰だと思っているの?屑。塵。滓。がらくた。―――目を覚ましなさい。戦いなさい。まだ、あなたの望むものは射程圏内にあるのだから。もう遅いわよ。―――貴女は、なんのために彼の仲間になったの? 思い出しなさい。「飛べ、水銀燈!」ジュン、絶叫。意識が現実へと引き戻される。「お前の出番だ! 水銀燈!」私は、思い出す。私が、なぜここにいるのかを。「お前にしかできないことだ!」私だけの、もの。私だけの、力。それが今、必要とされている。「飛べっ! あの子たちを助けてくれ」もう一度、ジュンが叫ぶ。私も、それに応える様に、吼える。「ええっ!」世界に縛られ、苦しむ吸血鬼たちを、少しでも救うため。やってやろうじゃない。―――翼は、飛ぶためのもの。目の前にあるあらゆる障害を吹き飛ばし薙ぎ倒すためのもの。
わかってる。―――わかるわよね。やりかた。わかってる。―――ならもう大丈夫。わかってる。私はいらない子なんかじゃない。私は役立たずなんかじゃない。私は壊れてなんかいない。ここに、私を求めている人がいるから。私は、勢いよく大理石の床を蹴った。もっともっと、強くなろう。そう思った。第16夜ニ続ク不定期連載蛇足な補足コーナー「ジュンさん銀さん」ジ「第2章終了ー」銀「おつかれさまでしたー」ジ「そういやさー、この章で登場した『太陽』の追手って二人いたよな」銀「そういえばそうね。ひとりは翠星石がPANGしたけど」雪「その疑問、お答えしましょう」銀「どっから湧いてでてきたのよぉ」雪「水銀燈のところへ向かう途中に、あなたの部屋に向かって狙撃準備をしている男がひとりいました。 たぶんその男がそうなのでしょう」ジ「で、お前はそいつをどうしたんだ?」雪「食べちゃいました。体力や傷の回復をしなければならなかったもので」銀「恐ろしい子」雪「お褒めに預かり光栄ですわ」終
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