10.水面下
小さな町…シェリフの看板が掛けられた建物…その中で、雛苺が女性の膝に抱かれながら、楽しそうに話をする。「それでね、そこにはうにゅ~がいっぱい有って、ヒナとぉっても幸せなのー」内容など、無きに等しいものだったが…それでも女性は楽しそうに話を聞きながら、雛苺の頭を撫でる。「…そう…。良かったね、雛苺…」頭を撫でられた雛苺も、嬉しそうに目を細める。そして…そんな光景を背に、お菓子の用意をする女性…彼女の目元が、静かな怒りでピクピクと痙攣しだした…。 10.水面下 「さあ『私の』雛苺。お菓子とお茶が準備できたわよ」フランス系の女性がトレーを手ににこやかな笑顔で振り返った。「一緒に食べましょ?」そう言い、机の上…とは言っても、かなり自分よりの位置に、お菓子とお茶を置く。そして…それを見たもう一人の女性は…鋭い目つきでフランス系の女性を睨む。「…オディール…私のお茶は…?」フランス系――オディール・フォッセー――は、ニコリと答える。「あら?巴が居た事、完全に忘れてしまってたわ」もう一人の女性――巴も一瞬、眉をピクリとさせるが…すぐに涼しい笑顔で返す。「若年性痴呆症、っていうのかしらね。…なら、仕方ないわね」手を伸ばせば届きそうな位置で睨みあう二人…二人の間に漂う空気が、僅かに冷気を帯びだす…だがそれも…「うゅ?巴もオディールもどうしたの?…ケンカはめー!なのよ?」雛苺の一言で、一瞬で元に戻った。「ええ!喧嘩なんてしてないわよ!『私の』雛苺!そうよね巴!」「もちろんよ『私の』雛苺。私とオディールはとても…仲良しだもの」「うぃ!仲良しさんが一番なのー!」楽しそうにお菓子を食べだした雛苺を、二人はウフフキャッキャと見守る…。… やがて、満腹になったのであろうか…雛苺はソファーまで移動すると、コロンと寝転がり、そのままスヤスヤと寝息を立て始めた。巴が眠る雛苺に、そっと毛布をかけた。それを見たオディールはその上にさらに、どこから持ってきたのか、ふかふかの羽毛布団をかける。二人の間に漂う空気が、再び冷気を帯びだした…雛苺は、完全に寝ている…――今しかない!――二人して、同じ考えが頭をよぎる。巴がチラリと、椅子に立てかけてある刀に視線を送る。オディールが、壁に掛かっているショットガンの位置を確認する。二人の間の空気が重々しく震えだし…その緊張感が限界に達する――! 「あなた達…いいかげんにしなさい…」限界に達する直前――いつの間にか二人の間に立っていた真紅が、あきれた声で二人を制止した。真紅は小さくため息をつくも…何も言わず、そのまま椅子を引き、そこに腰掛けた。「予定の一つ…『腕の立つチーム』に心当たりが出来たのだわ」椅子に座りながら紅茶を飲む真紅が、唐突にそう告げた。途端に、巴とオディールの表情が固いものになる。「気持ちは分かるわ…。でも…必死なのよ…。彼らも、私達も…」二人を諭すように、真紅が言う。巴とオディールは…俯きながら、静かに頷くだけだった…。真紅はカップを置き、続ける。「で…そっちは?」巴が小さく息を呑み、頷く。「…依頼が来たわ…」オディールが答える。「信頼出来るルートで、と考えると、必ず『保安官』である私達に紹介を頼む…あなたの読み通り、少し前にコンタクトと取ってきたわ」「そう…ついに釣れた、という訳ね。良いこと?巴、オディール。やっと掴んだチャンス…失敗は出来ないのだわ」真紅はそう言い、スッと立ち上がる。「早速、行動に移りましょう。彼らに私達を紹介して頂戴。その後は、予定通り頼んだわよ」 ―※―※―※―※―相手が指定してきた場所は、町中ではなく、荒野の中心だった。「えらく…警戒してますわね…」「当然なのだわ。そうでなくては、今まで尻尾を掴めなかった理由が無いもの」「うぃ…来たの…」沈む太陽を背に、一台の馬車が近づいてきた…。―※―※―※―※―「やあ、はじめまして。僕が今回、君たちを雇う事になる梅岡だよ」馬車から降りてきた男は、必要以上にフランクな言葉遣いで話しかけてきた。糸のように細い目で涼しい笑顔を浮かべてすらいる。――相変わらず…他人の心なんて理解する必要が無い…そんな目をしているのだわ…そんな考えを微塵も見せず、真紅は作った笑顔で糸目の男に答える。「ええ、『はじめまして』私は保安官に仕事を依頼された真紅。こっちは雪華綺晶と雛苺。なんでも、賊に狙われていると聞いたのだわ」「詳しい話は、道中で」そう言う梅岡の言葉に従い、付いて行く。「賊に狙われているのに、こんな少人数で構わないの…?」「どうも仕事の都合で、あまり信用できない人間を使う訳にはいかなくって。その点、君たちは腕も立つらしいし、保安官の推薦付きだし、まさに申し分ないぞっ」貼り付けた笑顔で答える梅岡に真紅は内心、嫌悪感を抱く。 正直これ以上この男と、梅岡と会話をするのも不愉快だが…それでも、不快感を露にして相手に警戒心を持たれては元も子もない。真紅のそんな内心を汲み、雪華綺晶が助け舟を出した。「…お仕事、とは、何をなさっていますの?」一瞬、梅岡の細い目がさらに細くなったように見えたが…すぐに元の涼しい笑顔で答える。「ああ、埋もれた昔の工場から機械を見つけて、それを囲った『技術屋』に直させてるんだよ。ただ、あまり細かい事は、言うわけにはにはいかなくってね」「さて、そんな事より…そろそろ見えてきたぞっ」馬車の向かう先…梅岡の指差すそこには…荒野の中、一軒だけ、巨大な屋敷が存在していた。―※―※―※―※―広大な屋敷をろくに案内もせず、梅岡が言う。「ろくに案内できなくて申し訳ないけど、さっきも言ったように機密が多くてね」屋敷は、外から見るよりずっと広く感じられた。なぜなら、これほどに広大な屋敷なら、有って然るべき物…それこそ調度品といった類の物が著しく少なかった。その光景はどことなく…一見、綺麗に片付けられているが、温かみに欠ける。そんな印象を与えた。そして時々見かける、数少ない使用人。それらは全て男で…ピシッとした服を着てはいたが、その胸の所だけは、不自然に崩れていた。その崩れ方は…例えば胸に銃を下げた時…そのものだった。(…服装だけは着飾っても…中身は野蛮なものね…)礼儀正しく頭を垂れる使用人を横目に、真紅は内心で呟いた。 梅岡に案内され、真紅と雪華綺晶は一つの部屋に通された。「とりあえず、賊の一軒が納まるまで、この部屋を使ってほしいな」そこまで言い…梅岡は雛苺が居なくなってる事に気付いた。「…もう一人のお嬢さんは…?」目つきが鋭くなる。――警戒心の塊ね…小心者の見本なのだわ…「え…ええ。雛苺は頼りになる仲間だけど…如何せん、子供なのだわ。どこかで迷子になったのかも」「私が探してまいりましょうか?」真紅と雪華綺晶の言葉を片手で遮り、梅岡が答えた。「いや…僕が探してくるから、心配ないぞ。…お嬢さん方には後で飲み物でも持ってくるから、ここでくつろいでいてくれないか」そう言い梅岡は、部屋から出て行った。扉が閉まる音を最後に、静寂だけが後に残る…――あの警戒のし様…この部屋も、どこに目や耳が有るとも限らないのだわ…真紅と雪華綺晶は、くつろいだ風を装いながら、備え付けてあった椅子に腰掛けた。―※―※―※―※―その頃…人影を避けるように…物陰に身を潜めながら、雛苺が屋敷の中を移動していた。 屋敷の一番奥…僅かに開いた扉から光が漏れている…足音を殺し、気配を消しながら…そっと中を窺う――部屋の中では…ボサボサの頭に眼鏡をかけた人物が、机に向かっている。――!!思わず声が出そうになる。今すぐに部屋に飛び込みたい衝動を抑える。――もう少し…待ってるの…理性で心を抑え付け…もと来た道を戻って行った。――これ以上の捜索は…危ないの…そして計画通り進める為に、ある場所を目指して、隠れながら進む…。―※―※―※―※― 「やあ、お待たせ。紅茶で良かったかな?」梅岡自らが、真紅達に紅茶を持ってきてくれた。そしてその脇には、雛苺の姿が。「驚いたよ。キッチンに行ったら、なんと彼女がそこにいたんだからな」「うぃ…ごめんなさいなの…。良い匂いがしたから、つい…」「雛苺!あなた…!…ご迷惑をおかけしませんでしたか?」雪華綺晶が雛苺を抱え挙げ、梅岡に尋ねる。梅岡の表情は相変わらずで、何を考えてるのか窺う事は難しいが…それでも、こちらに対する不信感は抱いてないように見える。――…雛苺、上手くやってくれたようね真紅は無い胸を撫で下ろしたい気分になったが、それを押さえ、あくまで興味の無い表情を向ける。「いやあ、驚いたけど、大丈夫だよ。…それより、お譲ちゃん。もう迷子になったらだめだぞっ」梅岡はそう言うと、紅茶の入ったポットを置いて、例の涼しい笑顔で部屋を後にした。冷静な表情で。何かを企んでいる等とは、微塵も感じさせない態度を心がける。廊下から聞こえた足音がすっかり聞こえなくなった頃、3人は紅茶のポットが置かれた机を囲む。雪華綺晶が紅茶を自分のカップに注ぎ、ほんの少しだけ口に含む。吟味するように数秒目を瞑り…そしてにっこり微笑んでみせた。――大丈夫、何も仕込まれてはいませんわそしてそのまま全員のカップに紅茶を注ぐ。 真紅はそれを暫く眺め…そして、視線を全員に向けた。「そう、キッチンといえば…『ジャム』と『お茶漬け海苔』は何所だったかしら?」「うい!ヒナはねー、『ジャム』が置いてある場所知ってるのよー」雛苺が無邪気な声で答える。「素敵な『ディナータイム』の為にも、『お茶漬け海苔』も探しておかないといけませんわね」雪華綺晶は、紅茶を注いだカップを配りながら、落ち着いた声で言う。真紅は出されたカップを、静かに口に運んだ。――不味い梅岡――『彼』をこんな所に閉じ込めた男…そんな人間が淹れた紅茶。どんなに良い葉を使っていても、どんなに正しい淹れ方をしていても…――優しさの感じられない味ね…心中の不快感を極力抑えながらカップを机に置き…そして二度と手を伸ばす事はしなかった…。
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