少年時代2.4
「ふぁ… おっきい」「うん」ジュンの身体の一部を握りしめながら、初めて見るそれにやや唖然とした響きをもらす巴。熱としめりを多分に含んだ吐息が桜色のくちびるに触れ、若干のうるみを分け与えた。同じく初めてのことを前にしたジュンも、握りしめられた自身の部位が少女の手汗で湿るのをそのままに、気の抜けた頷きを返している。「巴ちゃんちもおっきいけど、真紅んちもすごいや」もはや家というよりもお屋敷と呼んだ方が良いだろう、件のおっきい真紅の家が初体験2人の声を受けとめる。東洋の地にあって西洋建築の様相をなしている一軒家は、高級住宅が立ち並ぶ近隣の光景もかすむほどの豪奢な外見と規模を誇っており、庭の敷地だけでも他所の家の4、5軒は軽く構えられそうだ。ピーンポーン初体験におどおどしている2人と、すでに経験済みなのか場慣れしているもう2人を尻目に、熟練者の真紅はお屋敷の敷地を囲む外壁に備え付けられているインターホンとおぼしきボタンを押した。セキュリティへの気遣いは、お金持ちの宿命か。「お帰りなさいませ、お嬢様」ジジッと電子の粒が弾けたような音の後、インターホンの真上におわす監視カメラ本体が、若々しくも落ち着いた調子の女性の声でしゃべりはじめた。顔が見えないため分からないが、なかの人はおそらくはお屋敷に勤めているお手伝いさんか誰かだろう。「ただいま。友だちをつれてきたわ、あけてちょうだい」「はい」カシャン カラカラカラお嬢様からのお達しより2秒後、真紅宅と公道を隔てる引き戸式の門塀がひとりでにそのいましめを解き、さあどうぞと大口を開けた。中実のモリブデン鋼を格子状にしたてた頑強きわまる門塀は、普通自動車3台がゆうゆうと横並びで通れる幅を単体でふさぐ巨大な図体をしているが、それとは裏腹に軌道を滑るさまは実に軽やかで引っかかりもない。普段の手入れの入念さも推して知るべしというところか。「さぁ、入りましょう」血も通わずして威圧感を漂わせているお屋敷の敷地を、我がもの顔で平然と踏みしめる真紅。あたりまえだが。「おじゃましまーす」「おじゃましまぁす」同じく、何の気負いも感じさせない足取りで真紅の後を追いかける雛苺と水銀燈。威風堂々そのままに胸を張って進み入る水銀燈はもちろんのこと、外見のちんまりさとは裏腹に雛苺も気遅れのない様子でテトテトと歩いている。雰囲気の異なるふたりだが、大物の片鱗を持ち合わせているという点はどちらも同じらしい。「もぉ、ジュンったらどうどうとしなさいよぉ。ほらぁ、手つなぐぅ?」「ヒナがついてるからだいじょうぶよ。ぎゅーってしたげるのよ」「う、うん… そんなこといわれても」あと、男の好みも。「ムムゥ… さっさと来るのだわッ!」門塀をくぐってからもおっかなびっくりさを捨てきれないジュンに、前方より飛んできたお嬢様の激怒の叱責。前触れ無しの炎上に目を丸くしているジュンは何でいきなりと首を傾げながらも、べったりいちゃいちゃまとわりついている水銀燈や雛苺や巴を引きつれ、歩みの幅を少しだけ広くした。「カリカリしないでよぉ真紅ぅ。 にゅうさんきんとってるぅ?」ジュンの肩にころんと頭をゆだねて、ふふっと微笑む水銀燈。石鹸の甘い香りをたたえた少女の汗が頬を伝って、ジュンの首に浮かんだ玉汗と混じりあっている。「くっ… お母様のヨーグルトパイでとりまくってやるのだわ!」盛り上がりの無い少年の喉仏に水銀燈の唇が寄るや、真紅の帯びる熱のかげろうがいっそう濃くなり、噛み締めた歯がぎりりと鳴った。吼える声からは余裕が抜け、ギンとにらむ目の傾斜も上がっている。「くふふ… あのコうらやましいのよぉ、わたしたちが」「え? なんで」「ジュンってばホントにぶにぶなの。真紅もヒナたちみたいにジュンにくっつき…」「っくあー! さっさと来ないとヨーグルトパイもベリーパイもおあずけなのだわッ!」カッと顔を茹だらせて、水銀燈の言をかき消すように叫ぶ真紅。逆さになった八の字眉はいよいよ危険な角度に至っており、玄関へと続く石畳を割らんばかりの勢いで地団駄を踏んでいる。ワンピースの裾からひらひらとお目見えする白く細めなふとももの疲労と、ついでに自然石製の石畳へのダメージが、赤いサンダルの底がバンバンと鳴くたび積もり重なっていく。「水銀燈ちゃん、やりすぎよ」「あーはいはい。 ごめんなさぁい真紅ぅ、からかいすぎたわぁ」そっとたしなめた巴のひと言に従い、水銀燈が謝りの意をまあ何はともあれ表した。自身の元へ小走りに駆け寄る4人の姿に真紅も少しばかり溜飲を下げたらしく、石畳は怒りの矛先からやっと逃れ命拾いしたようだ。ときに、そびえ立つ真紅の足の下をよくよく見てみると、石畳にはつい数秒前まで無かった亀裂が、くっきりと全体を両断する形で走っている。不思議な事もあるものだ。「まったく… ジュン、あなたにはまだまだ気がまえというものがなっていないようね。もっとこう、私のこい… あわわ!えーと、んー… し、しもべとしてのじかくをもつのだわっ!」面々が間近にまで寄ってきたところで、真紅はこぼしかけた言葉をあらかさまな慌て模様でわたわたと打ち消すと、ひとさし指をジュンに向かって突きつけた。半袖の口から伸びた腕はビッと刺突の構えを見せ、しなやかな流線を描きながら少年の鼻先1センチというところまで肉薄している。「しもべって?」「しもべはしもべなのだわ! この真紅をあるじとしてうやまうのよ」「よくわかんないけど、何で?」あくまで高みにおらんとし、強引こそが信条ぞと言わんばかりに詰め寄っている真紅。が、ジュンと面持ちを見比べてみると、はてさてどちらが追い詰められているのやら。「あぅ… く、口ごたえはゆるさないのだわ!」どうやら天秤のかたむき具合は本人もよくわかっているらしい。いきづまりをうやむやにかき混ぜるかのごとく手を伸ばし、ジュンの腕を少女たちの支配下から強引にもぎ取ると、真紅はツインテールをなびかせながら色濃くなった顔を背け、ズンズンと玄関戸を目指し再び歩きはじめた。「だからぁ、ひっぱらないでって」「だまってついてくるのだわ!」真紅のかたくなさに呆れたのか、はたまた先ほどから昂ぶりっぱなしな彼女の血管を心配してか、やれやれと首を揺らす水銀燈、雛苺、巴の3人。だわだわだーわだーわと猛りながら子供なジュンを連れて行く少女の背中に、届かないため息と呟きを贈っていた。「……ハァ、真紅ったらぁ」「すなおじゃないのー」「ほんと…」
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