《薔薇国志》 第一章 第二節 ―少女は拳を唸らせ 少年は胸を高鳴らせる―
○雲南 往来
少年と少女は仮の『契約』を済ませた後。少年・ジュンと少女・真紅は、雲南の往来を政庁に向かって歩いていた。他の住人達が声をお互いに掛け合う様に、彼らの会話も弾んでいる模様。「――まずは、永昌を手に入れたいのよね」「後ろの憂慮を断つためか?わからないでもないが………」内容は、甚だ物騒であったが。(永昌か………)ジュンは、頭の中でその地の情報をかきだす。永昌――ここ雲南より、西に二三日の行軍で着ける都市。南蛮の者たちの監視や遥か西方との交易など、国家として重要な地点ではあるのだが。今は、統治すべき太守もいず、自衛団が街を守っていると聞いている。そんな状況だからだろう――治安は下がる一方で、盗難や暴行など、様々な狼藉が蔓延中。その状況を放っておくわけにはいかないが………まずは、と。ジュンが別の提案―中央進出の為、北東の建寧を取る―をしようと言いだそうとした所で、真紅がぽつりと呟いた。「それもあるけど。――其処に、姉妹の誰かがいるらしいの………」「………姉妹?お前みたいなのが、二人も三人もいるのか?」「………『みたいなの』?」脊椎反射の様に出た軽口に、ジュンは冷や汗を流す。何故なら、紅の太守様がじと目で睨んでくるから。(言い方をまずったな………)頬に流れる嫌な冷汗と刺す様な視線を感じつつ、何か機嫌を戻す言葉を探る。人の機嫌を気にした事などほとんどない少年にとって、それは難題であった。ましてや、相手は此方以上に弁が立つ相手――気の利いた言葉で取り繕わないと。「あぁ、いや――ぜ、全員が集まったら、大層強そうだよな!」「考えた上で、それ?………貴方、女の子の扱い、下手ね」「う、煩い!?――あ、いや、そうじゃなくて………っ」一蹴され、見事なまでに狼狽するジュン。あたふたと次の言葉を継ぎ足そうとするが、形として出ては来ず。そんな彼の様子に、真紅は小さな溜息をつき、「いいわよ、別に」と彼の思索を断ち切らせる。「――姉妹って言っても、容姿も性格も………それこそ、能力も全然違うわ。ただ、同じ所で暮らしていた――それだけの関係」口調は今までの様に、何所か冷めた感のある真紅だったが。雰囲気や表情は、柔らかく、優しいモノになっていた。未だ何事かを言い返そうとしていたジュンも、彼女の様子を察知して、静かに耳を傾ける。「掴みどころのない薔薇水晶、優しい雛苺、凛とした蒼星石、可愛らしい翠星石、賑やかな金糸雀。――そして、寂しがり屋の水銀燈」姉妹を楽しそうに語る真紅は、何所にでもいる少女の様で。彼女達との暮らしを思い出したのだろう。その表情には、微笑みが浮かんでいた。「でも………私達は、住んでいた所を散り散りになりつつ、離れるしかなかった。だから、誰が何所にいるかも判らない――」苦い思い出を語る彼女は、その記憶の為か、表情を一転させて曇らせる。彼女の憂いを帯びた横顔を見つつ、しかし、ジュンは全く違った事を推測していた。(やっぱり、出身が此処って訳じゃなかったんだな。今までの物腰を考えると………中央付近………か。――………人の事は、言えないけど)様々な色を見せる少女の横顔を見ていたい、と言う不純な心を抑えつけ、彼の思考は続く。(………こいつが此処まで言うんだ、ほんとに大事なんだろう。だけど、情に流されてちゃ、戦なんかはできない。それに………真紅には悪いけど、姉妹達がどうなってるかもわからないし)彼は考える――姉妹達が全員生存している可能性は、極端に少ないだろう。それ故、そんな僅かな可能性の為に軍を使うなんて論外だ、と。――口を開き、伝えようとした所で。「判らないけれど――探しだすわ。――絶対に………絶対に。何にも変えられない、大切な………姉妹だもの」いつもそうだ――ジュンは、会ってまだ数刻しか経っていない少女に、そう想う。いつも、僕が何か言おうとすると、邪魔する………心を覗いたかの様な方法で。彼は溜息をつき、両手を開いて肩まで上げる。「はん、お甘い太守殿で。………建寧を取られても知らないぞ?」「――ありがと、軍士殿」短く素気ない、数秒のやりとり。お互いに足りない言葉は、想いで繋ぐ。彼は照れ隠しの為に、言葉を隠した―「永昌に進んでいる間に」。彼女は彼の配慮の為に、言葉を短くする―「貴方が反対なのは解っているけれど」。彼と彼女は、互いに奇妙な相性の良さを感じずにはいられなかった。それから暫くの間。往来を歩く彼らに、実のある会話はなかった。感じてしまった相性に、お互いが気恥しさを持ってしまい――「空がきれいね」「曇りだぞ」「お、小鳥」「鴉よ、あれ」――等と、とんちきな会話が繰り広げられる。気まずい雰囲気を持余しつつ歩く彼らを変えたのは――街の喧騒であった。「おぅおぅ、てやんでぇべらぼうめぇっ」「んだこら、やんのか、ぉおうっ」市場のど真ん中で、壮年の男性と血気盛んな若者が大声で怒鳴り合っている。両人とも、相当に沸騰しているのであろう――既に何を言っているのか、判別できない。ジュンは顔を顰め、さっさと通り過ぎようと少しだけ早歩きになる。だが、彼の連れは―彼女は彼以上に顰め面なのだが―動こうとしなかった。「――放っておけよ。あんなの、わざわざお前が気にかける事もないだろ?」「私は、此処の太守よ?」「ごろつきなんて、屯所の衛士に任せとけよ。………最近、此処の衛士は質もいいしさ」それが誰の手によってか――素直に人を褒める事が出来ないジュンに、真紅はくすりと微笑む。心中を察せられた彼は、顔を背け―さて、どうしようか、と考える。この太守殿は、こうと決めたらなかなか聞かないぞ、と。(簡単な護身術なら身につけてるけど………付け焼刃だしな。………そもそも、やっぱり放っておくべきなんだよ―うん)―「なぁ、真紅――?」言葉を発しようとした彼は、さっと真っ直ぐに伸ばされた彼女の腕に発言を抑えられた。彼女の腕―指し示す先には、喧嘩の片割れの壮年男性。疑問符を張り付けながら、ジュンは真紅に説明を求める為に、顔を向ける。「彼はね。………我が街の衛士長兼歩兵隊隊長なの」やっぱり兵士なんてごろつきと変わらないじゃないか!天を仰ぎ、手のひらを額に乗せ、嘆く。その隙に――真紅は、睨みあう男達に無遠慮に近づいて行った。「――何を揉めているの、歩兵士長?」「止めてくれるな娘さん、喧嘩と火事は………って、真紅嬢ちゃん!?」「………嬢ちゃんは止めなさい、と言っているでしょう」壮年の男性―歩兵士長は、己の失態を見咎められ、首を抓まれた猫の様に覇気が薄くなる。その時、一人取り残されたジュンは、漸く視線を水平に戻し………真紅が、二人の男性に割り込んでいる事に気がついた。――あんの馬鹿野郎!大声で怒鳴りそうになったのを、ぐっと堪える。今ここで、自分まで冷静さを失ってはいけない。若者―ジュンからすれば年上だが―は現在進行形で喚いているし、歩兵士長と呼ばれた男性も、いつまた逆上するかわかったものじゃない。「少しは落ち着いたと思ったのだけれど………また喧嘩なんかしているのね」「いや、違うんだよ、嬢ちゃん。こいつが嬢ちゃんの悪口を言ってたもんだから、つい――」「あぁ!?俺がいつ、そのじゃりの悪口言ったよ!?俺ぁ、此処の太守が小娘だって言っただけだろうがよ!」「てめぇ、まだ言うか、こらぁ!」「………いいから、二人とも落ち着きなさい!」(まぁ実際、小娘だしな)二人から三人に喧噪の輪が広がった様を見つつ、ジュンはじりじりと、その輪に近づく。歩兵士長の様子を鑑みるに、彼は真紅を傷つける事はないだろう。ならば、若者にだけ注意をし――隙があれば、真紅の手を掴み、連れ出せばいい。自分の行動に半ば呆れつつ―なんで僕がこんな事を―、ジュンは隙を伺う。しかし、その行為は水泡に帰した――驚愕すべき、二撃のお陰で。「何度でも言ってやらぁ!小娘が俺らの上に胡坐をかいてるなんざ、信じられねぇってな!文句があるなら、やってやらぁ!」「餓鬼がわかった様な口を聞くんじゃねぇ!嬢ちゃんは、てめぇみたいな餓鬼にゃ想像もできねぇ大望があんだよ!嬢ちゃんが貧弱なのは乳だけ――って、あぁぁぁ!?」「――落ち着きなさい、と言ったでしょう」ジュンが、怜悧な声色がしたと知覚した瞬間――どさり、と二人の男が糸の切れた人形の様に地に伏す。彼は、真紅と男二人を凝視していた――(筈なのに………!)見えなかった――真紅の動きが。正確に言うならば、「どのような動作の下、男二人を瞬時に倒したのか」が知覚できなかった。聞いた事はある、武人と呼ばれる人々ならば、瞬く間に敵を倒せると。だが、それは「武器を持っている」「馬に乗っている」「一対一」など、様々な条件下の話である。だと言うのに、彼女は、条件外の下、それをやってのけた。「――全く。………どうしたの?」「え、ぁ………どうしたのって、お前、今、どうやって………?」「ちょっと、はしたないけど………お腹に拳を入れたのよ。――武勇はあるつもりって言わなかった?」そう言う問題じゃない!叫びそうになったが、急に真紅に片手を掴まれ、彼は声が出せなくなってしまった。彼女は彼の後ろに視線をやりながら、早口に言う。「――衛士が漸く来たみたい。面倒になりそうだから、さっさと離れるのだわ」「いや、お前、太守――まぁ、いいけど」――僕も面倒なのは嫌いだし。逆らうと怖そうだし。口には出さず、彼女に引っ張られながら、駆ける。自分の手を掴む、小さく白い手。ひょっとすると、この手の主は、一騎当千の兵(つわもの)なのかもしれない。(一人の武力で戦をするわけではないし、そう言う考え方は嫌いだ。………だけど――)だけど――胸が高鳴る。その兵と、共に戦える事に。自身の胸の高鳴りをそう解釈し、少年は少女と共に駆けた。―――――――――――――《薔薇国志》 第一章 第二節 了
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