《薔薇国史》 第一章 ―少年は少女と出会い、契約を行う―
《薔薇国史》 第一章 ―少年は少女と出会い、契約を行う―後漢中平六年(189年)―太平を騒がせた黄巾の乱より五年の後。幾年も重ねられてきた朝廷の腐敗は、今尚進行し………その象徴たる大将軍・何進が暗殺され。後の世に暴君と字される董卓が台頭する事となる。その影は中国全土に及び………――それ故に、各々の地方から群雄が生まれた。北に名士・袁紹、東に奸雄・曹操、江虎・孫堅、西に剛志・馬騰。そして、南からいずるは、後の世に薔薇乙女と称される者。性は朗繕、名は真紅――可憐な少女であったと云う。後漢中平六年 雲南 某所―おい、なんでも黄巾の乱を平定した将軍様が殺されたって話だぞ。―あぁ、しかも、仕出かしたのはその側近殿達らしいな。―やな話だねぇ。此処まで騒がしくならないといいけど。戦乱の火よりも速く、人の噂は地を走る。『将軍暗殺』が為された洛陽より遥か南西の、ここ雲南でもまた然り。その雲南の市場、小さな飯所で、人々の噂話に「我関せず」という様の少年が一人。しかし、その手の話題が出るたびに、少年の形のいい耳が小刻みに動いていた。「ふん、乱を平定した、ね。確かに相手方の大将・張宝は討てたけど、それは何進じゃなくて皇甫崇の手柄じゃないか。それだって、あれだけ討伐隊がいたんだから、もっと巧くやれた筈さ」少年は、誰にともなく―実際、彼に連れ合いはいない―独自の見解を呟く。嘲る様に語る彼の表情は、一見卑屈なものに見える。だが、見る者が見れば、その卑屈さは小さな自信の表れであると見抜けるだろう。自分ならば、もっと巧く出来たのに………という。「――具体的には?」「そうだな、例えば、討伐軍の幾つかに精鋭の騎兵隊を作らせる。黄巾党の構成員は、組織されていたとは言え、大半が一般民衆だった。だから、戦闘の専門家の一翼が勢いよく進軍してきたら、三割………いや、四割は逃げだすだろう」「ふぅん………民衆を甘く見ているのね」「当たり前だろ――民衆ってのは、戦闘なんかしちゃいけないんだ。彼らは国そのものだし、土台に他ならない。そういう人達を戦火に巻き込むのが間違ってるんだ」「なら、兵士は戦火に巻かれてもいいの?」「はんっ、兵士なんてのはその為のモノだろ。統率者がいなけりゃ、そこらのごろつきと変わらないんだし。――まぁ、それでも、さっきの作戦なら被害も少なく出来るけどな」「そ。――じゃあ、さっきの騎兵隊って言うのは、相手方の本陣を――」「話が早いな――その通りだ。本陣の急襲は正規の軍隊でも混乱しかねない――急ごしらえのものなら尚更さ。強襲だけでも痛手を与えられる、成功すれば相手の士気はがた落ちだ。そうなれば、一般兵は逃げだすだろうから、無駄な血を流さずに………――って。………………誰だ、お前?」絶妙な合いの手に滔々と、少しだけ嬉しそうに語っていた少年だったが。ふと気付く――自分は誰と話しているのだろうか、と。彼が視線を向けた先にいたのは――少女だった。それも、とびきり不可思議な。上品な小麦を思わせる髪、鏡よりも奇麗な瞳、そして、まっさらな剣の輝きにも似た白い肌。(………南蛮の娘か?――いや、だったら肌の色が違う………よな)外敵に備える様に、瞬時に相手を観察する少年。人は「わからないモノ」に本能的な恐怖を感じる。それ故、少年は向かい合う少女を自分の理解内に収めようと努めた。だが、頭の中をどれだけ掻きまわそうと、少女の珍奇さは微塵も揺るがない。だと言うのに、嫌悪の念は一切浮かんでこない――彼女の指に嵌められている貴金属さえ、―そう言う類の物が苦手な彼でも―調和がとれている様に思える。「そ、知らないの。――誰だと思う?」値踏みする視線をモノともせず、少女は問いを返す。普通、自らを計る様な目に人は嫌悪を抱くのだが、少女はさも自然な振る舞いで続ける。だからか、少年は気圧された様に、すぐには言葉を返せなかった。「………………っ。――知ってる訳ないだろ。ふん、まぁ、暇人だってのはわかるけどな」最初から不意を突かれた事もあって、少年はつっけんどんな態度を取ってしまう。言葉を吐き、ふぃと視線を逸らす少年。彼の頭では現在、『此処から立ち去る』『視線を戻し対峙する』『返答を待つ』という選択肢が拮抗していた。理性は立ち去れと命じる――こんな訳わかんないのと話しても、しょうがない。知性は対峙する事を望む――時間を潰す面白い弁論相手じゃないか。感情は返答を祈る――………まぁ、口調はアレだけど、結構可愛いし。頭の中の攻防は一進一退を繰り返すが、感情改め煩悩の支援もあって、結局、少年は逸らした視線を少女に戻した――勿論、本心を隠す為に気だるげに。待ち受けていたのは、優雅に笑む少女。柔らかな微笑みに、胸の内を覗かれた様な錯覚を感じた少年は、早口に捲くし立てる。「――っ、で、お前は誰なんだよ、質問に答えろ」「此処の太守」「は、そうかい、太守様がこんなところ………で………?」耳心地の良い声で、きっぱりと言い放つ少女。耳に入れた瞬間に文句を返そうとした少年は、彼女の言葉の意味を話している内に理解し、段々と尻すぼみになっていってしまった。文字通り目を丸くする少年に、少女は追撃をかける様に、続ける。「私が収める地ですもの、偶には散策だっていいでしょう?それに、目的はもう一つあるし」少年が考えた、なんだって太守がふらふらしてるんだよ、と言う口撃を見抜いた様に、少女は静かに告げた。言葉を切った少女は、先程自らがされていたように、少年を視る。その美しい碧色の瞳から逃れられず、少年は口を開く。――その言葉が、少女に導かれたものである事を理解しながら。「――もう一つの目的って………なんだよ?」あくまで虚勢を張った言い方に、少年自身が心の中で舌打ちをする。(これじゃ、相手の思う壺じゃないか!)正にその通り、少女は我が意を得たり、と頷き――。「人材の発掘、よ。――こんな時代にこんな身分になれたんですもの。自分が望む世を創りたいと思うのは、可笑しな事じゃないでしょう?だけど……我が軍には、軍士がいないの」少年の瞳を覗き込みながら――。「あぁ、でも、勘違いしないで――その才があれば誰でもいいって訳じゃないわ。味方の被害を最小限に抑え、相手の将をも魅了する様な戦いをし――」少年の心までを見透かした様に――告げる。「そして、何より民を大事にする。そんな軍士が必要なの――――貴方の様な、ね」「――っ、ぼ、僕は別に、そんな事!?」つい、大きな声が吐き出される。大概の場合、大声は舌戦において有利と言えるだろう。だが、焦れば焦るほど、言葉が乱れれば乱れるほど、少年には少女の術中に嵌っていく己が感じられた。まるで一本道を走らされる鼠の様だ――微かに残る少年の理性が悲鳴を上げる。彼女は恐らく、次に口を開いた時、鼠の到着点を告げるだろう。鼠の、虚勢を張った意思も言葉も、全く意に介さず。そして、そう、きっと――(――僕は、其処に導かれてしまう)。「――来てくれない?私の元へ――」真正面から、真剣な表情で、真っ直ぐな視線を注ぎ、真摯な言葉を。抗えない――少女の想いに、共鳴する心があるから。それでも、少年は少年たる言動を取り、精一杯に抵抗した。つまり――斜に構え、ぞんざいな態度を崩さず、目を逸らし、恍けた提案で。「――言っておくけど、僕は矢面に立たないからな」「見るからに軟弱そうな軍士殿を最前線に放り込むほど、愚かではないわ」「ふん、脆弱そうなお前に言われたかないね」「あら、是でも武勇はあるつもりよ?――あと、貧弱って言ったら、殴る」打てば響くやり取り。往来の人々が少年と少女の会話を耳に挟めば、春を待つ男女の様に見えたかもしれない。そう思わせるほど彼らの舌戦は、内容と反比例して軽やかだった。「――で、言いたい事はそれだけ?」「もう一つ――僕はまだ、お前を僕の君主と認めちゃいない。だから、お前との関係は、対等を望む」「――まったく。口の減らない人ね」
「はん、そんなの判ってるだろ。さぁ………返事は?」「そうね――何故かしら、数分の邂逅なのに――解っているわ。なら、貴方も、私の返答が理解っているわよね?何時か認めさせてみせるわ――だから、今、この場では仮の『契約』。――誓いなさい、この、薔薇の指輪に」少年は差し向けられた腕を取り、厳かに、嵌められている指輪に口付けを捧げる。初めての行いなのに、幾度も交わしたかの様な動きで。「――そう言えば。なぁ、お前の名前って………?」「今さら?………あら、私も貴方の名前を知らないのだわ」「………く、はは、あはは、なのに、契約したのか、太守殿!」「………ぷ、ふふ、くすくす、そうね、契約したわね、軍士殿」「僕はジュン――桜田ジュン」「私は真紅――朗繕真紅」――後の世に、『薔薇乙女』と称される少女・真紅と。――幾多の戦役において、彼女に傍にいたと伝えられる『契約者』ジュン。――少年と少女は出会い、契約を交わし………物語は、動き始めた。―――――――――――――《薔薇国志》 第一章 了
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