今日は、荒れてるですね。
ベランダから見える海を眺めて、翠星石はそう思った。
そこはとあるマンションの五階。
そのマンションは海から一キロ程で、
そこからは近くのビーチの絶景を堪能できるというなかなかの立地条件だ。
それにも関わらず、5万5000円というなかなかの良心的な家賃であり、
彼女はそれが羨ましかった。
羨ましかった、というのもここは彼女の家ではない。
ガチャ
「ただいま。」
「遅ぇです。こんな時間までどこほっつき歩いてやがったですか、ジュン?」
「あぁ、悪い。・・って、まだ7時半じゃないか。昨日とあんま変わらないよ?」
「遅ぇもんは遅ぇのです。もう、ご飯出来てるですよ。
折角この翠星石様が特別に作ってやったというのに冷めちまうです。」
ここは彼の家。
二人は幼馴染みで、昔からよく言い合いや喧嘩をしたりといった仲だった。
しかし、筋書き通りと言ってはなんだが、
成長するにつれ互いに異性として意識するようになり、
高二の時にジュンの方から告白、翠星石もそれに応じ、
三年の交際を経て同じ大学の同じ学科に通う大学二年生の現在へと至る。
彼らは二人とも独り暮らし。
大学は彼女らの家からは遠すぎるので住み慣れた土地を離れざるを得なかった。
部屋選びの際、ジュンと一緒に住みたい、と翠星石はダダをこねた
(この頃はただ純粋に二人暮らしに憧れていただけだった。)のだが、
ジュンの紳士的な反発もあってそれは阻止された。
しかし二ヶ月ほど前突然、
「達人の域に達した翠星石の料理の味をとくと堪能しやがれですぅ」
という彼女の強い要望(?)により、
毎晩ジュンの部屋に合鍵を使って勝手に入り、勝手に料理を振る舞うようになった。
ジュンも最初はかなり驚いていた様子だったが特に何も文句は言わず、
今では慣れたのだろうか、当たり前の事のようにしている。
「頂きます。」「いただきますですぅ。」
そう、これは日常。
「・・うん、美味しい。」
「当ったり前ですぅ。翠星石の作る料理は全て美味いんですよ?」
しかし、彼女はいくつか懸案事項を抱えていた。
まず、ジュンの帰宅時間である。
ここ一週間ほど毎日である。前は一緒に帰っていたりしたが、
最近はきっかりこの時間に彼は帰ってくる。
そしてもう一つは、ジュンと翠星石が「それ以上」の関係にならないことだった。
仮にも付き合って三年。翠星石の理想のプランでは、そろそろ同棲を始めて、
ゆくゆくは結婚の事も意識して・・・・といった時期のようだが、
未だにジュンからのお誘いもなく、彼女は不安になっていた。
前者はさほど気にしていない様子だったが、
後者は翠星石も見逃すわけにはいかなかった。
しかし、気を許してる人には大きい態度をとっている彼女も
恋愛の事となると途端に奥手になってしまい、
また意地っ張りで恥ずかしがり屋な性格も相まって、
その事をなかなか訊き出せずにいた。
だがいくら奥手とはいってもやっぱりイライラは募るもの。
────今日こそ、ジュンの野郎に訊き出してやるです。
その日、彼女は遂に話を切り出してみる決心を固めたのだった。
「・・・・・・あ、あのぅ・・ですね、ジュン。ちょっと訊きたいことがあるんですけどぉ・・・」
「うん?何だ翠星石?」
モジモジしながら、しかし相手に悟られまいと必死になって翠星石は訊いた。
「えっと、そのぉ、今日の・・・・夜は、ジュンは何か予定は─────」
プルルルル。プルルルル。ガチャ。
「はい、桜田です。──あぁ、うん、───え?今から?────
・・うーん、──────ん、あぁ。分かったよ。─それじゃ、後でな。」ガチャ
「誰からだったですか?」
「悪い、翠星石。急用が出来ちゃって今から出なきゃいけないんだ。
だから、その・・・・今日は、な?」
「・・・・はいですぅ。」
「そういえば、さっきの話って、何だ?」
「あ、いやいや、別に何でも・・ねえですぅ・・・・」
「そっか。あのさ、ホントに御免。」
「別にぃ、翠星石はそんなの平気の平佐なのですぅ。ところで、さっきの相手──」
「じゃあ、先に出るから。鍵閉めて帰ってな。飯、美味しかった。じゃあ。」
──ガチャン。
ひとりぼっち。一体なんだったんだろう。相手の名前くらい教えてくれたって。
ザワザワッ、と変な音が胸から聞こえる。
「さて、変える準備でもしますか。
まーったく、夜道を乙女一人で歩かせるなんてなに考えてやがるですかねぇ。
・・・・・・ジュン?・・・・・・」
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ジュンは明るい通りを歩いていた。
そして駅前の広場に着く。目的の相手を探す。
──もう十分オーバーだぞ?
「十分オーバーだよ、桜田君。」
「あぁ、もう来てたのか?悪い、───」
海は、まだ荒れていた。