薔薇乙女家族番外編その六
薔薇乙女家族番外編その六~時計塔屋敷~「ジュン…どうして…」彼女が大粒の涙を流してこちらににじり寄ってくる。日記を懐に戻して彼女と対峙する。だが扉は彼女の真後ろにある一つだけ。完全に袋小路に追い詰められた。「どうして…私を…避けるのぉ…?」僕はベッドに飛び込んですぐさま受け身を取って向こう側に移った。彼女との距離はベッドを跨いだものになった。彼女がベッドに両手をついて上半身を乗り出してくる。「これ…いいベッドでしょぉ?あなたと私の…二人の為に用意したのよぉ」僕は応えない。応えようがない。どうやってここをやり過ごすかで頭がいっぱいだった。「ジュン…あなたは私と結ばれる運命なのよぉ…」…彼女は今、ベッドの上で四つん這いになっている。今しかないと踏んだ。体を起き上がらせてる内に部屋から出て距離を取ろう。僕は床を蹴り飛ばして扉へと走った。それを突き破って廊下へと出た。その瞬間、突然体に衝撃が走った。「ぅぐ?!!」床に激しくたたきつけられた。僕にぶつかってきたその少女はそのままのしかかってきた。ボーイッシュな感じを受ける女の子が僕を見つめてニッコリ笑ってる。「捕まえた♪」ところどころが朱に染まった笑顔だ。「紹介するわぁ、この子が蒼星石よぉ」水銀燈が僕を見下ろして言う。恐れてた事が現実になった。「初めまして、お父様♪」無邪気な笑顔ですり寄ってくる。日記にもあった悪魔の子供…無邪気な悪魔の笑顔がすぐ近くに…。「可愛いでしょう?あなたと私の子供だもの。可愛くないはずがないわぁ♪」悪魔の女神が笑う。僕は今、どんな顔をしているだろうか。きっと恐怖で引きつっているだろう。彼女達は僕の顔を見て、ただ笑っている。水銀燈が僕の上半身を持ち上げる。「…ジュン。行きましょう?」「…何処へ?」「決まってるでしょ…?」僕の応えを聞いた彼女が、耳元に顔を寄せてくる。「----------」それを聞いた僕は彼女を乱暴に振りほどいた。彼女も蒼星石もきょとんとした顔をしている中、僕は言った。「さっきも言ったはずだ水銀燈。僕の妻は巴だ。他の誰とも再婚するつもりはない」水銀燈も蒼星石も、やはり顔色を変えた。したら今度は蒼星石が口を開いた。少し俯いての呟きだったがはっきりと聞こえる。その彼女の一言が僕の胸を突いた。「…僕のお父様は…お父様しかいないのに…」…!よりによって、一番痛い所を突いてきた。どう言い返すべきか言葉に迷ってしまう。彼女の誘惑に負けて、まんまと彼女に乗せられた僕の責任を彼女はたった一言で追及してきたのだ。「この子は…間違いなくあなたの娘よぉ…。あなたがこの子のお父さんである、その事実は動かせられないわぁ…。」水銀燈が追い討ちをかけてきた。何かにつけて引きずり込んでいく気か。黙ったら負けだ。何か言わないと本当に逃げられなくなる。「…僕にも、もう家族がいる。血の繋がりだけで言えば確かに蒼星石は僕の娘だろうが、家の繋がりは無い」一旦区切って、二人を見ようとするが見られない。どんな表情をしているか想像はつくし、その顔で怯まされそうだからだ。勢いは削がれたくない。「蒼星石は娘じゃない。今更すぎるよ。僕の娘は、巴との間に産まれた四人の娘達だけだ」言いたい事をはっきり言った。もうこんな状況で下手に言葉を濁すのはかえって良くないだろう。蒼星石を睨み付ける。「蒼星石、僕の娘達はどこだ?」彼女は黙っている。こちらに視線を合わさない。僕は無理やり視線を合わそうと彼女の頭を掴んでねじ曲げた。「娘達は?」蒼星石は淡々と言い放った。「知らない。一人は知っているけど…後の三人はどこかに隠れてしまったみたい…!」言い終える前に彼女の胸倉を掴み、そのまま締め上げる。全身の血が沸騰したかの様だった。目の前の少女が…まさか、まさかと頭によぎる。すると憎しみに悔しさ、悲しみが腹に蓄積していくのを直に感じた。「一人…?その一人はどうしたんだ!!」そして、トドメを刺される。「殺しちゃったよ。紅い服を着てた女の子だったけど…血をドバドバ流して死んでいったよ。服も肌も真っ赤になって…」バキィ!目の前の、仇の顔面に一撃をぶち込んだ。腹の中が炸裂を起こして、発動機の様に体が勝手に動いている。拳を仇に浴びせかける。成人もしない少女を容赦なく殴り続けた。後ろから邪魔が入るが振り払っては殴る。普通の少女なら死に至る程に殴る。「痛い!…お父…やめ…」悲鳴を上げている。だが耳に届いても脳がそれを拒否してる。「うるさい!お前は娘じゃない!お前は…お前は…!!」目に涙が溜まるのもそのままに、拳が痛むのも構わずにまだ殴る。人を憎んだ事は数多いが、人はここまで憎しみを持つ事があるのかという、何の言葉にしても例えがたい激情のみで動いていた。 感情だけがフル回転して肩がだんだん追いつかなくなってくる。上半身が疲労で鈍ってくるのを明らかに感じた。拳も勢いを無くしてる。悔しい。憎い。一万回殴ってもまだ足りないのに。あれだけ殴っても彼女の顔にアザ一つできないのを見て、それは尚更に募る。その反面で、明らかな絶望を痛く感じて心が冷え込んでいくのが分かる。その二つが葛藤している。 熱と冷気がぶつかり合った空気が結露して、目の前が歪んで見える。悔しい…悔しい…。「…真紅……」娘の名前を口にすると、彼女の顔がたくさん浮かび上がってきた。写真をばらまいたかの様に。そして浮かび上がっては一枚一枚が或いは燃えて、或いは引き裂かれて消えていく。みんなみんな、闇の霧へと散っていってしまった。 がっくりとうなだれて、完全に力を落としてしまった。その隙に蒼星石が僕の腕から抜け出していった。それから間も無く、僕は頭部に衝撃を受けて意識が暗転したのだった。-----…真紅…真紅…ごめんよ…真紅…。助けてあげられなくて…ごめん…真紅…。「真紅…」うなされながら目を覚ますと、見覚えのある光景があった。腐った木製の床、壁に、部屋の半分を占める鉄格子の空間。ここは中庭にあった牢屋みたいだ。だが僕は牢屋の鉄格子の中に入れられたわけではなく、鉄格子の外と小屋の入り口の狭間に入れられたみたいだ。小屋の鍵は外側から掛かっているらしく、開けられない。どちらにせよ、閉じ込められたに違いはない。 ここで確か、幽霊みたいな女の子と出会って、僕は彼女にお菓子をあげた。そしたら笑顔で、目の前で消えてしまった。その少女は…薔薇水晶と名乗っていたと思う。薔薇水晶…聞いた名前だ。どこかで目にしたはずなのだが。痛む頭を捻って思い出そうとする。確かどこかで目にした…そうだ、確か日記に書いてあった。懐から日記を取り出す。良かった、没収されてはいなかった。表紙を開いてページをパラパラとめくる。あった。薔薇水晶…それは、水銀燈の三つ子達の一人の名前だった。三つ子達に蒼星石、薔薇水晶、雪華綺晶と名付けたらしい記述がある。その彼女が何故牢屋なんかに入れられていたんだ。彼女も水銀燈の娘なのに。 「お兄ちゃん…」「うわあ!?」突然声を背後からかけられたものだから日記が滑り落ちてしまった。慌てて振り向くと、彼女がそこにいた。「…薔薇水晶……」牢屋の鉄格子の中から抜け出している。何だ、出れるのかと思ったがそんなのはどうでもいい。彼女もまた得体の知れない存在。それが目の前にいる事が問題なのだ。悪魔の三つ子…蒼星石の存在は判明したが彼女は未だ不鮮明だ。もう一人に至っては影も知らないが、そう思ってしまうと自然に距離を離そうとしてしまう。「お兄ちゃん…お兄ちゃんはここにいては駄目。お兄ちゃんは暗闇の人になっちゃ駄目…」彼女の言う「暗闇の人」とは、日記にもあった邪教の洗礼を受けた一族の事…つまり、水銀燈と娘達の事だろう。「…だけど、この通り、閉じ込められてしまったんだ。とにかくまずはここから出る事を考えないと」扉のノブをガチャガチャいじって見せる。「…待ってて」それを見た彼女はノブに指を…突き通した。体が実体を無くした様な芸を難なく披露されて、驚く暇もなかった。ガチャ…。扉が力無く開いた。思わず呆然としてしまう。「お兄ちゃん、早く…」「………君は…?」悪魔の子供に手を差し伸べるわけではないが、泣いている子供を黙って見捨てる程冷血漢になったつもりはない。「君は…ここから出ないのか?」彼女は俯いてしまった。どうするべきかが分からない。言葉に困ってしまう。薔薇水晶が重たく口を開いた。「私はここから出られないの…。私は無の存在。ただ消えていく運命の下に産まれた子供だから…」…七歳くらいの子供が己の運命を知った様な事を言うなんて…。いや、「知った様な」ではなく、「知った」のだ。彼女はその身を以て知ってしまったのだ。「…薔薇水晶」何て言うべきか分からないまま話しかける。頭に浮かんでは塵になっていく、その言葉を渡すわけにはいかない。結局、簡潔な言葉を渡して彼女と別れる事になってしまった。「助かったよ…ありがとう。」去り際にもう一言だけ「君の事は忘れないよ」と付け加え、その小屋を後にした。念の為に周囲の確認をし、プール脇を一気に駆け抜ける。屋敷に囲まれた形になっているこの場所は、至る所から目を向けられている気がして落ち着かない。素早く屋敷の中へと逃げ込んだ。 中に入っても、彼女達に見つかっては元も子もない。死角に回られたらおしまいだ。なるべく音を立てないようにしなければ。考えてみれば、当ても無く下手に動き回るのもまずいな。何かしらの思い当たりがあるなら、そこから回る様にした方が良さそうだ。頭の中を整理する。いくつものワードや写真が飛び回って僕を取り巻いている。水銀燈、蒼星石、異界の門、悪魔の子供、ローザミスティカ、不死の命、時を固着させる、儀式、書斎の壁画…壁画には儀式の様子が描かれていたんだったな。たしか携帯で撮影したはずだ。 携帯のフォトフォルダーを開いて画像データを確認する(耐水性と頑丈さに優れていると定評のあるシリーズの携帯にしといて良かった)と、小さな像を手にして儀式を行っている様が写っていた。この像が鍵になりそうだな…。 しかし、その像の在処が分からない。どこに置かれているというんだ。待てよ…像…像…何か引っ掛かる。答えは近い気がするのだがあと一歩の所で出てこない。書斎で見つけたメモを二枚取り出して見る。あと少しという所が分からない。何か見落とした箇所は無いかと読み直して見る。…像の中に像を…という一文が目についた。像の中にあの小さな像を…隠したという事か。ではその像は一体どこにあるのだろうか。その瞬間、頭の中に金糸雀の声が聞こえた。「像がいっぱいあるかしら~…」この屋敷に来た時に、金糸雀と雛苺の二人は像を間近で目にしている。そうだ、エントランスホールに像がいくつか置かれていた。もしかしたら…。予感は見事に的中した。こんな最初の段階で鍵を目にしてたとは盲点だった。像は、悪魔を象っているみたいだ。この屋敷とその家系を体現した様なデザインだ。皮肉なものだなと思った。その像を手にした僕は、そのままエントランスホールから出た。そして、見えない不安に駆られながらも進んでいったのだ。
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