1-3
1-3 思い立ったが仏滅――とは、よく言ったもの。こんなカタチで出端を挫かれようとは、どうして予測できようか。おまけに、彼我の力量差は圧倒的ときている。エントリー時に、ボブサップみたいな巨躯をイメージしてさえいれば……と、悔やんだところで、いまとなっては後の祭り。もう何もかもが面倒で、目の前にある結論に、腕を伸ばしてしまいたくなる。どうせ夢なんだから……どうなろうと、構わないのではないか。実害と言っても、せいぜい、寝覚めが悪いというだけだろう。好きにしてくれよ。まるで他人事のように、投げやりな心境になる。この世界に飛び込んだときの向上意欲は、諦観の前で、すっかり影を潜めていた。「へへへっ。お前、初めてか。もっと力抜けよ」頭を抑えつける手が除けられたので、ジュンは首を巡らせ、背後を睨んだ。盗賊団の首領ベジータは、左手でジュンのベルトをがっしりと掴んだまま、右耳にヘッドアップディスプレイ(HUD)らしき機械を装着している。あれは、なんだろう?薄く着色されているところを見ると、偏光グラスの役割も兼ねているようだが。「せめてもの記念だ。ヤる前に、お前の漢レベルを測定しといてやるか」なんなんだ、漢(おとこ)レベルって。ジュンには意味の解らないことを口にしながら、彼はナゾの装置を操作し始める。すると、徐にHUD内で、白いアラビア数字がチラつきだした。数秒に一度、桁が上がっていく辺り、どうやらカウンターの類らしい。だが、ものの10秒と経たない内に、ベジータの口元から冷笑が消えた。「馬鹿な」と吐き捨てたときには、額に汗さえ滲ませていた。 「……まだ上がるだと?!」彼の言葉どおり、HUDのカウンターは目まぐるしく変わり続けて、一向に止まる気配を見せない。それ壊れてるんじゃないのか? 愕然とするベジータを横目に睨みながら、ジュンはそう言い出したくなるのを懸命に堪えた。理由はよく分からないが、相手は焦り始めている。ここで下手なことを口にすれば、火に油を注ぐ結果となろう。わざわざ墓穴を掘って、ケツまで掘られ急ぐこともない――との判断だった。 (なんだか気勢を削がれてるみたいだし、もしかしたら、掘られずに済むかも)地べたに突っ伏したまま、ジュンが淡い期待を抱き始める中、HUDのカウンターは相も変わらず、チカチカ切り替わっていく。ベジータの表情には、先ほどまでの心理的な余裕など、もう影も形も無かった。「ウホッ! この俺より上がいるだとっ!」カッと見開かれたベジータの目が、ウサギのようにおとなしく蹲った少年を射る。途端、ジュンの草食動物並の危険察知能力が、けたたましい警鐘を鳴らした。今にも殴りかかってきそうな気迫。やばい! 掘られるっ!だが、逃げるにせよ反撃するにせよ、ジュンの思うままにはならなかった。身体が動かない。ベジータの一睨で、全身の筋肉が畏縮していたのだ。そんな彼の胸ぐらを、筋肉質の腕が鷲掴みにして、グイと吊り上げた。 「おい、小僧っ!」 互いの息がかかるほど鼻を突き合わせて、ジュンとベジータは睨み合った。そして――ベジータの口から、衝撃的な言葉が紡がれる。 「お前……俺のケツの中でションベンしろ」「はあぁっ?! い、嫌だっ」「うるせえ! 言うとおりにしねえとブッ殺すぞ」「嫌だったらイ・ヤ・だ! そんなことするくらいなら、死んだ方がマシだっ」「あぁ? お前に拒否権なんかねぇんだよ!」 ジュンは胸ぐらを掴まれたまま、がくんがくんと前後に揺さぶられた。暴力によって、彼の決意と尊厳を、根底から崩そうというのか。けれど、ジュンにだって、絶対に曲げられない信念がある。現実は元より、夢の中であっても、それはやはり、護持すべきコトなのだ。「僕は……絶対に…………屈しない、からな」揺さぶられ続けて吐き気を催し、息も絶え絶えになりながらも、ジュンはベジータの手首を掴んで、決然と睨み返した。筋力で敵わないのは、まあ仕方ない。だからこそ、気力では負けたくなかった。「なんだとぉ?」ベジータの腕が、止まる。「馬鹿が。どうやら、本当に死にたいようだな」そう告げた口元には、冷笑が戻っていた。けれど、彼の瞳にあるのは憤怒のみ。左腕の一本で易々とジュンを吊り上げながら、右の拳をギチッと握りしめた。 「いいだろう。だったら、お前の望みを叶えてやろうじゃないか。 その小生意気な面、ザクロみたいに粉微塵にしてやるよ!」 絶体絶命。ベジータの拳が、空を切り裂き、猛然と迫ってくる。ジュンの鼻骨をへし折り、頭蓋骨をカチ割らんとして。 (頭が砕ける瞬間って……まだ痛みを感じるのかな) 以前に、インターネットで見た事故現場の凄惨な画像を思い出しながら、ジュンは、詮ないことを取り留めなく考えてみた。そして、思わず自嘲した。なんだよ……この切羽詰まった状況で、随分な余裕じゃないか。 ベジータの拳が届くまで、あと何秒――頬に風を感じたのと、ほぼ同時。 「待ちなさーいっ!」 若い娘と思しき高い声が、すんでの所で、ベジータの凶拳を止めていた。ジュンとベジータは、声の主を探して顔を巡らした。……と、そこには女性が一人、鋭い眼差しを二人に向けているではないか。金ピカのローブを纏い、長い杖を振り翳す、メガネを掛けた黒髪の女性だ。パッと見、成金――もとい、RPGにありがちな、偉大なる魔導師を彷彿させた。「あぁん? お前か、いま俺に命令しやがったのは」けれど、やはり女性のこと。負けじと睨み返すベジータの気迫に、いきなり怯んだ。戦い慣れした盗賊の頭は、ここぞとばかりに威圧的な言葉を浴びせてゆく。「俺らはな、これからお楽しみの時間なんだよ。関係ねえヤツは引っ込んでろ」「だっ、騙されないわよ! そっちのカレ、すっごく嫌がってるじゃないの」「……うるせえ女だな。これは、いま流行りのツンデレプレイってやつだ。 イヤよイヤよもLove me tender……って言うだろうが」「言うかよっ! お願いだ、助けてくれ! こいつ、盗賊なんだっ」このままだと、むりやり『仲良きことは美しき哉』にされてしまう。助かるには、今をおいて他にない。そう判断したジュンは、不意に現れた救いの女神に、なりふり構わず懇願した。彼の台詞に気勢を取り戻した黒髪の乙女が、ビシっ! とベジータを指差す。「やっぱり嘘だったのね! あたしの見立てどおりだわ。 あんたみたいな目つきの悪い男、まともなワケがないもの」「こいつ……黙って聞いてりゃ、調子づきやがって。 可愛い弟と逞しい兄貴の『炎の友情』を妨害してる悪党は、お前の方だろうが」「ふふーん、801……ねぇ。そういうネタ、けっこう好物なんだけど」彼女は不敵に微笑んで、得物を構えた。「力尽くっていうのは、いただけないわ」よく見れば、その杖の頭には『¥』マークが輝いている。金ピカのローブといい、なんと悪趣――もとい、独創的なデザインだろう。だが、そんな衝撃など、まだまだ序の口。前座の余興に等しかった。「悪逆非道の輩っ! あたしが、天に変わって成敗してあげるわ」「へっ……面白え。そんな細腕で、やれるもんなら――」ベジータはジュンを脇に放り投げるが早いか、啖呵を切った女性へと突進した。「やってみやがれ、このアマがぁっ!」「女だからって、見くびるんじゃないわよ! リボルビーングっ!」なにやら呪文(?)らしき言葉を、乙女が空に向けて口にした、次の瞬間っ。アースジェットも霞んで見えるほどの白煙が、バブシューっ!……と、杖の先に付いた『¥』マークから、噴射されたではないか。 真っ向から殴りかかっていたベジータは、躱す間もなく、白煙に巻かれた。まさか、毒ガス? いったい、あの中で、何がどうなっているのやら。ジュンは投げ飛ばされた時にズレたメガネをかけ直して、固唾を呑んだ。すると―― 「くそっ! なんだってんだ、こりゃ」 激しく咳き込みながら、泡を食ったベジータが、煙の中から飛び出してきた。けれども、大したダメージは負っていないようだ。と言うか、ほぼ無傷。あの白煙は、結局のところ、単なる虚仮威しに過ぎなかったのか?ジュンもベジータも、文字どおり煙に巻かれた状態だった。 が、風が白煙を払い除けるなり、二人は信じがたい光景に目を見開いた。なんと、筋肉隆々たるモンゴリアンの巨漢が、立ちふさがっているではないか。 「なっ……なんだ、こいつはっ?!」「出番よ、イッシュ・カーン! そっちの目つき悪い男を、やっつけちゃって」 女性が命じた途端、巨漢は高らかに哄笑しながら、丸太のような腕を振り抜いた。そのパワーたるや空前絶後。ベジータは「ぬふぅ」と意味不明の断末魔を残して、空の彼方へと飛んでいき、星になった。 「いつもながら、頼もしいわぁ。さぁて、これにて悪漢の排除は完了っと」 女性が杖で地面を突くと、巨漢は白煙に戻って、杖の¥マークに吸い込まれた。まるで、ハリウッド映画のCG映像でも見ているかのようだ。呆然としているジュンに気づいた彼女は、邪気のない笑顔を浮かべた。「とんだ災難だったわねー。ケガとか、してない?」 随分と気安い態度だ。けれども、ジュンにとっては、ありがたかった。ここ最近、めっきり口下手になったと、自覚していたからだ。しかも、初対面の女性ときては、尚のこと何を話せばいいものやら。悶々と戸惑って場の空気を重たくするよりは、相手から切り出してもらって、話を合わせてしまう方が、ずっと気楽だった。 「ありがとう、助かったよ」「いやいや~。ほんの通りすがりなんだけどー」「それでも、命の恩人には変わりないって。あ、僕の名はジュン。ええと――」「あたしは、みつ。みっちゃんって呼んでね。 これでも一応、召喚師(サモナー)やってまーす」サモナーと聞いて、ジュンは得心した。さっきの巨漢も、アラジンのランプの精霊とか、そんな類なのだろう。 「それじゃあ、あの……みっちゃん。改めて、ありがとう。 なにかお礼をしたいんだ。僕に出来る限りで、だけど」「ホントに? そぉねえ――」 みっちゃんは、やおら眼を細めて、目の前に佇む少年を眺めだした。それこそ、爪先から頭のてっぺんまで、舐めるように。なんだか値踏みされているような…………嫌な空気を、ジュンは感じた。 「じゃあさー、できれば……お礼は現ナマで、お願いしたいなぁ。 今月は、ちょぉっと召喚しすぎちゃって、お財布の中身が厳しいのよねー」 「……はい?」 ジュンは耳を疑った。お金を要求されることは、まあ予想の範疇。だが、召喚するたびに課金されるサモナーとは、なんぞや? 「あのさ……召喚って、MP消費とかじゃないのか?」「そうよー。Mは、MagicじゃなくてMoneyの意味だけど」「……マジ有り得ねえ」「ジュンジュンの主観なんて、いまは関係なーいの。さぁ、早く払って払ってぇー。 さっき召喚した分も、一週間以内に返済しないと利息ついちゃうし」「いや、それが――」 金の貸し借りだなんて、夢の中でまで、現実的なやりとりしたくないのに。辟易しながらも、ジュンは申し訳なさそうに頭を掻いた。 「僕の持ち金って、ベジータに盗られてたんだよね」「なんですと?」「いや……だからさ。さっきの男が、僕の所持金を全部、持ってたんだって」 そのベジータは今や、空の彼方で星になっている。他でもない、彼女の召喚した巨漢が、命令を忠実に守って、ブッ飛ばしたのだ。 「ふ……」みつの顔が、瞬時に血の気を失ってゆく。「フギャ――っ!?」そして、彼女は泡を吹いて卒倒した。 ~ ~ ~ 「あのさ……僕から、ひとつ提案があるんだけど」 みつの気持ちの落ち着き具合を見計らって、ジュンは口を開いた。 「お礼って、僕の身体で払う……ってのは、ダメかな?」「却下。お断りします」「いや……別に、いかがわしい行為が目当てとか、そんな意味じゃなくて」「じゃあ、なんなのー?」「勤労奉仕とか、出世払いとか――」「えー? うーん……ジュンジュンって、見るからに非力そうだしぃ。 出世払いって言うけど、そのアテはあるのかなぁ?」「ぁぐっ! それを言われると、胸がズキズキ痛いんだけど」 そりゃあ、この旅の目的として、通例に則り、立身出世を挙げてはいた。が、自分の『ココロの樹』を探すことこそが、ジュンの最たる目標なのだ。金儲けには、それほど執着していなかったのだが……。 「とにかく、日雇いの仕事でもして稼ぐから、もう少し待ってくれないか」「ふむ…………仕方ないわね。あたしにも落ち度はあったことだし。 オッケー。それで手を打ちましょ」「なんか、すっごく惨めな気分だよ」「気にしたら負けだってば。じゃあ早速、近くの街へ職探しにGOよ!」「……僕にできる仕事があるかなぁ」 不安が、ジュンの心身に重くのし掛かる。アルバイトなんて、したことがない。だが、まあ――あのまま薔薇族の仲間入りするよりは、マシかも知れない。とりあえず、前向きに考えておくことにした。 ~ ~ ~ さて、職探しの方は、どうだったかと言うと――幸いなことに、仕立屋で臨時のバイトがあり、報酬もなかなか良かった。さっきの召喚料に、気持ちばかりの色を付けるだけの稼ぎがあったのだ。まさか、こんなところで裁縫の技能が役に立つなんて……人生、何が切り札になるか分からないものだと、ジュンは思った。 「すごいよ、ジュンジュン。期せずして、神の子を見つけちゃったわぁ」「大袈裟だな。芸は身を助けるってヤツだろ」 言って、ジュンは『芸』から『ゲイ』を連想してしまい、頭を振った。もう終わったことだ。ベジータと逢うこともないだろう。あんな目に遭うのは、一度だけで充分だった。 「ねえ。ジュンジュンって、これから何か予定があるの?」「え? うん、まあ一応」「なになに? デザイナーとして、自分のブランド立ち上げちゃったりとか?」「違うよ。この世界のどこかに生えてる、僕の『ココロの樹』を探すだけさ」「へぇ~。旅に出た理由も、それ?」「そうだよ。だから、みっちゃんとも、ここで――」 お別れだ。そう告げようとしたジュンの口を、みっちゃんの手が遮った。 「待って待って。そういう話なら、是非とも同行させて欲しいんだけど。 あたしの方も、ちょぉっとワケありでー」「まさか……借金取りから逃げてるんじゃあ?」「――や、や~ねぇ。そんなワケないってばぁ」 みつは即座に否定したものの、彼女の額に滲む脂汗が、胡散臭さを募らせる。旅は道連れと言えど、果たして、一緒に旅をしても平気なものかどうか。なにしろ、相手は赤貧の召喚師だ。たかろうとの腹づもりかも……。 じっとりとジュンに見つめられて、みつは顔の前で両手を合わせた。 「今度の一件で解ってくれたと思うけどー、召喚師って、難儀な職業なのよ。 金の切れ目が、命の切れ目になっちゃうんだもの。 だから、お願い! あたしを助けると思って、肉のカーテンになってよ」 なにが肉のカーテンだよ! と怒鳴り返したいのを、ジュンは堪えた。一応は、命の恩人。どれだけ謝礼としてお金を払おうと、根本的な重みが違う。みつにとっての命の恩人になって初めて、ジュンは、貸し借りなしと胸を張れるのだ。 「あーもう……しょうがないなぁ」ジュンは額を押さえながら、小さく頷いた。「解ったよ。一緒に旅するか」 「ほ、ほんとに良いのね?」「べ、別に、みっちゃんの為ってワケじゃないし。 人手が多いければ、僕の探し物も、すぐ見つかるだろうと思って――」「それは、お互い様でしょ。世の中は、持ちつ持たれつ……ってね。 あぁ、でも心配しないでね。食費とか宿代は、ちゃんと自分で払うから」「そんなの当たり前だっつーの」 さすがに、そこまでは面倒を見きれない。ジュンとて、明日をも知れない貧乏人だ。しかも、出費の予定だけは、もう決まっているから嫌になる。 「出発前に装備を整えたいんだけど……そういうの売ってる店は、どこかな」 クマのブーさんに襲われた件でも明らかなように、この世界は、想像以上に物騒だ。武器はともかくも、防具はしっかり装備した方が良いと思えた。もうすぐ日も暮れるし、早く店を探さなくては、買い物する時間がなくなる。ジュンが、歩きだそうとした矢先―― 「ねえ、ジュンジュン。あれ、武器屋さんじゃない?」 なんという都合の良さ。「マジで?」と相槌を打ちつつ、みつの指差す先に顔を向けたジュンは、軒先に掲げられた木の看板を、その視界に納めた。夕暮れ時で、不明瞭ながら、剣と槍が交叉するイラストを見て取れる。イラストの下には、白塗りの文字が…… 「なになに? タックル苺……?」 ここって釣り具店じゃね? と言う疑問はさておき。その文字を眼にするや、なぜか、ジュンは同級生の娘を思い出していた。小学生みたいに無邪気な性格ながら、発育の方は年齢以上の彼女を。 (まさか……夢の中にまで、あの煩いヤツが出て来るんじゃないだろうな) やおら尻込みしたジュンだったが、みつに背を押されて、渋々ながら店のドアを開いた。
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