それゆけ、おさななじみ!~柏葉巴は二度死ぬ~後編
後編柏葉巴、14歳。桜田くんの、ブランクのある幼馴染み。嫌いな呪文はイオナズン。ツンデレを憎む女の子。…憎むってほどじゃないけど。人間素直が一番よ。雛苺みたいな。桜田くんは素直じゃないけど。でもそれももうすぐ終わり。もうすぐ、私たちはなによりも強い絆で結ばれることになる。そのために、私にはやらなければならないことがいくつかある。私と桜田くんは幼馴染みでありながら、その空白期間故に通常の幼馴染みのような関係をもっていない。この溝を埋めることこそが私に天から与えられた責務なのだ。そして、私は幾多の失敗を越えて徹底的に幼馴染みについて研究し、その結果『幼馴染みは毎朝起こしに来て登下校を共にし、さらに料理もつくってあげたりする』という結論に達したのである。善は急げ。私は今日から早速それにとりかかることにした。早朝は鳥の囀る音がよく聞こえるのが嬉しい。煩わしい雑音が、この時間にはない。なにより匂いがいい。まだ空気が汚れていないのだ。空気は時間と共に汚れていく。人と同じように。そのうえ今日は薄曇り。朝の風が涼しく気持ちよかった。私は軽く桜田家のインターフォンを叩いた。 ドアの向こうからどたどたという音が聞こえて、それからパッと開くと、「おはよう巴ちゃん!今日も来てくれたのねぇ!ジュンくんから聞いてたけど、嬉しいわぁ!」と嬉しそうに笑いながら、桜田くんのお姉さんがでてきた。昨日の朝桜田くんの家で会ったときには、なんの前振りもしていなかったので随分驚かれ、それで、桜田くんには「明日は玄関から入るから。お姉さんにもそう伝えておいて」と言っておいたのだけれど、ちゃんと伝えておいてくれたらしい。「え、ちょ、その、ほんとにくるのか?」なんていってたから、どうかなと思ってたけど。「でもごめんね巴ちゃん、ジュンくん、まだ起きてないのよ」「いえ、望むところです。起こしてきます」「ええ、せっかく来てくれたのに、そんなことさせるわけにはいかないわよぅ!」「いえいえ、昨日も言いましたが、それが私に与えられた務めなのです」「務め?」「幼馴染みとはそういうものなんです」「へぇ?」お姉さんはしばらくぽかんとしていたが、やがてぽんと一休さんよろしく手槌を打つと、「そうだったのねぇ!それが幼馴染み…たいへんなのね」と言ってうんうんと納得してしまった。「それじゃあ起こしにいってくれるかな?その間に私は朝ご飯を…」「あ、そのことなんですが、私に作らせてもらえませんか」そう言うと、お姉さんはまた訝しげに私の方を見て、「…それも、幼馴染みだから?」「はい」「幼馴染みってすごいのねぇ…私、ちっとも知らなかったわぁ…」うん、やりやすい、この人。 「…じゃあ、朝ご飯作って、できあがったら起こしにいきますので」「よろしくね巴ちゃん、ジュンくんも幸せだわ、巴ちゃんみたいな幼馴染みがいて…」「お前ら、何してるんだ…」「ジュンくん、起きてたのぅ!?」後ろに振り返ってみると、そこには果たして桜田くんが、幾分狼狽した様子で立っていた。「柏葉…本当に来たんだな…」「そう言ったでしょう」「うん、言ったけど…」桜田くんは頭に手をやると、はぁと溜息をついた。すると、お姉さんが人差し指をたてながら、桜田くんにお説教を始めた。「もう、ジュンくん!だめじゃない、巴ちゃんが起こす前に起きてきたら!」「はぁっ!?な、なに言ってるんだよお前…というか下でこんなバタバタしてたら起きるっつーの!」「めっ、めっ、よう、そんなときは起こしにくるまでベッドの中にいないと!」「お前脳みそ沸騰してるんじゃないのかぁ!?柏葉も何か…」「というわけだから桜田くん、後で起こしに行くまで眠ってて」「ええ!?」「ほらほら、ジュンくん上に行きなさい、なんてったって、二人は幼馴染みなんだから~」「あー、押すな、押すな!くっ、なんだこの展開…まだ夢でも見てるのか?…ああもう、わかったよ、戻るから、押すな!」押し出し。桜田くんは再び階上へ。…うーん、素晴らしい。まさかここまで協力的だとは…。…これからは心の中でお義姉さんと呼ばせてもらいます。「じゃあ、朝ご飯を作ります」「わからないことがなんでも聞いてちょうだいね!」 桜田家のキッチンで朝ご飯を作る。調味料の場所などは、お義姉さんに教えてもらった。私もいずれ桜田巴として毎日ここに立つことになるのだから、今のうちからこういった体験をするしておくことは有意義なことだ。ご飯、お味噌汁、卵焼き、それときゅうり、たくあん、なすのおつけもの…。お味噌汁には玉子に白ネギ、椎茸。……あんまり気合い入れても恥ずかしいし、こんなところでいいよね。これからだって作っていくつもりだし…。それにしても、作っている間、どうも二階が騒がしかった。桜田くん、ちゃんと寝てなきゃだめじゃない…。「じゃあ、起こしてきます」「ありがとう巴ちゃん、美味しそうな匂いねぇ…ご飯は私がよそっとくね」本当に優しい人だ、お義姉さんは。未来の小姑がこれなら、私の将来はきっと明るい。∴階段を上っていくと、桜田くんの部屋がドタドタと物騒がしい。なにかきしんでるような音がする。本当に、何をしているんだろう?耳を澄ましてみると、なにやら人の声がした。桜田くんの声、そしてそれより明らかにトーンの高い…女の子の声。私ははっとして、急いで階段を駆け上った。目的の場所につくと、ノックもせずに扉を開けた。「桜田くん!?」「か、柏葉!?きゅ、急に入ってくるなよ!」「あら、巴。おはよう。精が出るわね」眼前に広がる光景は、ベッドに布団をかぶって仰向けに横になっている桜田くん、そして、そんな桜田くんの上に、ちょうど馬にのるようにしてのしかかっている真紅。 「し…真紅!?そんなところで何をしているの!?」「なにって…ジュンを起こしに来てあげたのよ」「それは私の仕事よ!」「そうかしら?」「いや、二人とも違うだろ!」桜田くんが何か言っているが、幼馴染みなので気にしない。それより目下の問題は、桜田くんにまたがるこの不埒な女だ。「だいたいあなた、どっから入ってきたの?」「窓からよ」「不法侵入じゃない…!」「柏葉…お前もだ…」「そうそう、巴は今日玄関から入ったんですって?意気地がないのね」「意気地とかそういう問題かよ…」「…いけしゃあしゃあとこの泥棒猫…いい加減に桜田くんから離れたら?」真紅はふっと笑うと、ベッドから飛び降りて、制服の膝上までかかったスカートをぽんぽんはたいた。「ジュン、目が覚めたでしょう?」「お前が来る前からばっちり覚めてたよ…二度寝しようとしたらいきなり来やがって…」「真紅…私の使命のみならず、桜田くんの安眠まで妨害していたのね!」「…柏葉も十分妨害してるよ」「…いいわ。桜田くん、ご飯できたから。…真紅も食べる?」「な…おい、もしかしてご飯って柏葉が…」「私が作ったの」「…マジか…」「……へ、へぇ、巴、あなたがつくったの?それじゃあまぁ…いただこうかしら?」 平静を装ってはいたけれど、真紅は明らかに慌てていた。こめかみがぴくってしたもの。真紅の料理はお世辞にもうまいとはいえず、調理実習の朝はいつも、憂鬱そうな顔をしていたことを覚えている。口でいうよりも、行動で格の違いを見せつけてやったほうがいいだろう。…それにしても、桜田くんがさっきから随分疲れているように見える…あんまり寝てないのかな…大丈夫かな…。「真紅、お前もか…」ぼそっと、そんな声が聞こえた。∴「巴ちゃん、お料理上手ねぇ…」お味噌汁を飲みながら、お義姉さんは感心したように言ってくれた。しかし、私とあまり年齢が違わないのに、お義姉さんの料理も相当のものだと思う。だから、正直に言えば少し怖かった。桜田くんは毎日そんなお義姉さんの味に親しんでいるわけだから…。私は少しびくつきながら、淡々と炊きたてのご飯を口に運ぶ桜田くんの表情を注視していた。視線に気づいたのか、桜田くんはちらと私の方を一瞥したが、すぐにぷいとそっぽを向いてしまった。…気に入らなかったのだろうか?「……柏葉…けっこう…うまいんだな…」ぽつりと、桜田くんはそう呟いた。「…ほんと?」「………うん」その肯定を示す相槌は今にも消え入りそうで、顔だって全然違う方に向けられていた。けれど、確かに首を縦にふったのだ。そして頬の色がほんのり赤く染まって見えるのは、私の気のせい?いやいや気のせいじゃないはずだ!ああ、けれど、私の目が赤くなってるせいかもしれない。もしそうなら大恥だ。だめだ、桜田くんを見てると心臓がどきどきする。心を落ち着けないと。そうだ、真紅を見よう。……うん、心が冷めていくのを感じる。 真紅は何も言わずに、綺麗な三角食べで黙々と箸を進めていた。その表情は硬い。自分の中で敗北を認めているのに違いない。…勝った。私はテーブルの下で拳をつくった。「…甘いわね」「……え?」それは確かに真紅の声だった。震えているわけでもなければ、うわずってもいない、いつも通りの冷静で落ち着いた、聡明な彼女の声だった。「普通に美味しいわ」「…それのどこが甘いの?」「わかってないわね巴……料理は、下手な方が萌えるのよ!」「……!?」衝撃だった。カルチャーショックだった。洞窟内でルーラを使った気分だった。高く舞い上がった私の羽は、イカロスの翼のごとく近付きすぎた陽の熱で溶けてしまった。「言われてみれば…ヒロインのつくる料理といえば殺人料理…これは定番…」「そういうこと…ふふ、私も勉強しているのよ。私が料理が少しばかり不得手なのもこれを狙って…」「いや、それは天然だろ」真紅が眼光鋭く桜田くんを睨み付けた。けれど、そんなことはどうでもよかった。ああ、私は王道を踏み外してしまったのだ。下手だけど、一生懸命な女の子……素晴らしいではないか……。「か、柏葉!?急にどうしたんだ!?」「ごめんなさい、桜田くん……」「いったいなにを謝ってるんだよ!……おまえ、おかしいぞ!」 桜田くんが、思いの丈をはき出すように言った。そうだよね、おかしいよね。料理なんて下手な方がいいよね。お義姉さんがオロオロと立ち往生している。真紅が呆れたように溜息をついている。……いや、私は負けない。こんなことで挫けてなるものか。「桜田くん、私、今から味噌汁に得体のしれないものをいれてくる!」「なんで!?」「安心して、私は決して道を誤ったりはしないから……」「なんの話かわからないけど、既に誤ってるんじゃないかということだけはわかる!」「これで私はより完璧な幼馴染みに…!」私が立ち上がって味噌汁を手に持とうとしたときだった。桜田くんは後ろから私を抱きすくめると、「いい加減にしろよ」と叫んだ。「……え?」私が振り返ると、桜田くんは慌てて離れ、伏し目がちに視線を逸らした。「なんかさ、変だよ、柏葉。すごく、無理してる気がする」「桜田くん?」「幼馴染みだとか、そんなこと、大した問題じゃないだろ、料理だって、上手い方がいいに決まってるじゃないか」「……どうしてそういうこと言うの?」まったく不思議だ。せっかく私が理想的な幼馴染みになろうというのに……。「だって……こんなの、柏葉じゃ、ない……」桜田くんがあまり悲しげに声を落としたから、私はもう何も言えなかった。桜田くんはリビングを出て行った。階段を上る足音が聞こえた。お義姉さんは相変わらずうろたえているばかりで、なにを言ったらよいのか考えている風だった。 「本当に、何もわかってないのね」真紅はそう言うと、私の肩に手を置いた。真紅は笑っていた。「あなたには見えなかったの?ジュンが美味しそうにご飯を食べている姿が。 ……ま、あの子は照れ屋だから、必死に顔に出さないようにしてたけどね」「…真紅?」「あなたたちには、あなたたちに相応しいやり方、関係があるんじゃない?」「私たちに、相応しい……」「そうよ。いったいどうして、幼馴染みなんて安っぽい言葉に拘るのか、不思議で仕方ないのだわ」「だって真紅……私には、桜田くんを救えなかったから」「巴?なんの話?」「今のままじゃ、ダメなのよ。ヒキコモリだった桜田くんを救ったのは、私じゃなくて、真紅、あなたなんだから」「……ねぇ、巴。あなたもジュンも、もう子供じゃないのよ。いまさらどうあがいても、昔には戻れないの」「……わかってた」「ジュンはもう過去を越えたわ。もしもジュンのことが好きなら、あなたも前を向かなくてはね」「……私は、あなたに追いつけるかしら?」「さぁ?あなたが、ジュンとの間にある本当の絆に気付けたら、あるいはできるかもしれないわ」私はじっと真紅を見つめていた。優しい顔だった。そのとき、リビングの扉が開いた。振り向くと、桜田くんがいつものはにかみ笑いを携えて佇んでいた。「学校に行ってくる」私は言った。「今日だけ、一緒に登校していい?」「今日だけ?」「明日からは朝練があるもの」「そっか」 桜田くんは今日初めて、私と目を合わせた。そして笑った。「ジュン、どこから聞いてたのか知らないけれど、盗み聞きはよくないわね」「え、あ、なっ……だ、誰も聞いてなんか……!」「ま、いいわ。こんなところで言い合っているうちにもうこんな時間。私は先に行くわね」そういいながら、真紅は出て行った。出て行くとき、私に向かって、一つウィンクをした。「いってらっしゃい」と、お姉さんが笑って言った。「ほら、ジュンくんも、巴ちゃんも」私たちはもう一度顔を見合わせると、一つ頷いて、お姉さんに見送られながら玄関を出た。集まっていた雲はまばらに広がって、その隙間から陽光が学校へ続く道を明るく浮き上がらせていた。コツコツと、靴のコンクリートを叩く音があたりに広がる。学校に着くまで、私と桜田くんはほんの少ししゃべり合った。『それゆけ、おさななじみ!~柏葉巴は二度死ぬ~』 おわりどうでもいいけど、”柏葉巴は二度死ぬ”の方が本タイトル。そんだけ。
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