第百二十三話 JUMと翠姉ちゃん
「一つ屋根の下 第百二十三話 JUMと翠姉ちゃん」
「なぁ~にしみったれた顔してやがるですか、おめえは。」カナ姉ちゃんがリビングから去って数分後。待っていたとばかりに翠姉ちゃんがリビングへやってきた。「別に……」「何が別に……ですか。そんな死人みてぇな顔されてたら翠星石まで気が滅入っちまうです。ほれ、そろそろ立ちやがれです!おめぇには今日はたぁ~っぷり付き合ってもらうですからね?」翠姉ちゃんはそう言いながら無理矢理僕の腕を引いて僕を立ち上がらせる。「付き合ってもらうって……何するのさ。」「そうですねぇ。とりあえず買い物でも行くですよ。昼食と夕食を作ってやらねーといけねぇですからね。ほれ、分かったらもっとシャッキリしやがれですよ。」そう言いながら翠姉ちゃんは僕の背中をバシバシと叩く。全く、なんだろうこのハイテンションは。「痛い痛いってー、分かったよちゃんと立つからさ。」「わかりゃあいいんですぅ。学校のおじじみてぇに老け込むにはまだまだ早すぎるですよ?」翠姉ちゃんはそう言って僕の手をグイグイ引いて玄関に向かっていく。「ちょっと待って翠姉ちゃん。せめて身支度くらいさせてよ。」実際、僕は起きてから顔も洗ってなければ、歯も磨いてない。髪だって少しボサボサだ。流石にこれで街を歩くのは忍びない。「しゃあねぇですねぇ。さっさとするですよ?時間は待ってくれないんですからね。」分かってますって。とりあえず、僕は洗面台で一通り身支度を済ます。それから部屋に寄って服を着替える。なんせ、昨日の昼からずっと同じ服だし。「……翠姉ちゃんは、何とも思ってないのかな……」ふと、いつもと全く変わらない言動をする翠姉ちゃんの事を思う。今日という特別とも言える日に、不自然なまでにいつもと変わらないように僕に接してきている。「JUM!!なぁにチンタラしてやがるですか?さっさと来いですよ~!」下で僕を呼ぶ怒鳴り声がする。ええい、考えてても仕方ないや。僕に出来る事は、今日を大事にする。きっとそれだけだ。
「よぉ~、今日は翠ちゃんが食事当番かい?お野菜買って行かないかい?」「そうですねぇ……じゃあ玉葱と人参貰うですよ。あ、ジャガイモも欲しいですぅ。」「はいよ~!三つで350円……いいや、翠ちゃんはいつも買ってくれるから300円でいいよ!」「アリガトですぅ~。蒼星石にもここで買うように言っておくですよ。ほれ、JUM荷物持てです。」翠姉ちゃんは八百屋で買った野菜を僕に押し付けてくる。たまぁに翠姉ちゃんと買い物に行くけど、翠姉ちゃんはここの八百屋に限らず商店街ではかなりの人気者だと思う。行く先々でよく声をかけられてるし。「いやぁ、ウチの娘も翠ちゃんくらい家事やってくれると助かるんだがねぇ。」八百屋オジサンがそんな事を言う。今時翠姉ちゃんや蒼姉ちゃんみたいに、バリバリ家事をこなす女子高生って案外珍しいんだろうか。そう思うと、日頃の二人には感謝してもしたりないなぁ。「さってっと……次はお肉屋さんですね。今日の夜は翠星石が特別に腕によりをかけて作ってやるです。翠星石に土下座してでも感謝しやがれですよ。」翠姉ちゃんがフフンと胸を張って誇らしげに言う。いやはや、確かに有難い事です。そんな事を適当に話しているとお肉屋さんに到着する。お肉屋さんでは奥さんと思われると女性が居た。「あらぁ、今日は翠ちゃんかいっ?何買ってくれるんだい?」「今日はですね、牛豚合挽きミンチを買うです。」「はいよ、合挽きミンチね。しっかし翠ちゃんは本当に何でもお料理作っちゃうんだねぇ。ウチの馬鹿息子が以前調理実習の時言ってたよ。やたら豪勢な調理実習が出来上がったてね~。」「あははっ、あれは蒼星石も居たからですよ。ちょっと豪勢過ぎて先生に怒られたですけどね。」一体翠姉ちゃんと蒼姉ちゃんは調理実習で何を作ったんだろう。二人がタッグを組めば作れない物を探す方が難しい気すらしてしまう。「翠ちゃんがウチの馬鹿息子の嫁さんに来てくれりゃあ私も安心なんだけどねぇ。」「ん~、流石にそれはお断りですぅ。翠星石の家にも約一名手のかかる奴がいるですから。」翠姉ちゃんはそう言って僕を見る。あれ、もしかして僕の事ですか?「悪かったね、手のかかる弟で……」「ええ悪いです。だから、せめて荷物持ちくらいしやがれです。じゃあ、また買いに来るですよ。」結局、そんな感じで僕と翠姉ちゃんの買い物は終了した。ちなみに、他の姉ちゃん達と行くより三倍くらいは時間がかかったのを言っておく。どこでも話しかけられるから遅くなるんだよねぇ。
時は少し過ぎて夕方。台所では翠姉ちゃんが、お気に入りの翠のエプロンをして料理に勤しんでいた。髪もいつも料理する時のようにポニーテールにしてある。「ふんふ~ん♪パン粉をまっぶしてぇ~、揚げれ~ばコロォッケだ~よ~♪」ご機嫌にキテレツな歌を歌いながらトントンと玉葱を切り、それを挽肉と混ぜ合わせている。夕食はコロッケに見せかけて実はハンバーグなんだけどね。翠姉ちゃんの一番の得意料理だ。「ん?JUMは何ジロジロ翠星石を見てやがるですかね?」「いやさ、その雰囲気が似合うなぁと思ってさ。」女子高生が、エプロンをしてポニーテールで楽しそうに料理に勤しむ。何だかドキドキすると思わないかな。「まっ、当然ですかね。世界広しと言っても、ここまで似合うのは翠星石と蒼星石くらいですぅ。おめぇは神に感謝するですよ?こぉんないい姉に恵まれたですから。」ふふんと胸を張って翠姉ちゃんが言う。少しだけ蒼姉ちゃんみたいな謙虚さも持ち合わせていれば言う事なしなんだろうけど……天はニ物を与えずか……「……何か失礼なこと考えてねぇですか?」「い、いや別に……それより翠姉ちゃん、僕も何か手伝おうか?」「はぁ?いつもはリビングで待ってるだけの癖に、どんな風の吹き回しですかぁ?」「いや、一回くらいは手伝おうかなぁと思ってさ。」それは、今までの感謝でもある。しかし……キッと睨むような目付きになった翠姉ちゃんは僕に言った。「……リビングに居ろです。おめぇが居ても邪魔です。」それは明らかな拒絶の意思。ほんの数秒前のご機嫌の翠姉ちゃんとは打って変わった顔だ。「な、なんでだよ。僕だってたまには……」「いいから!翠星石の言う事が聞けないですか!?」尚も食い下がる僕を激しく怒鳴る翠姉ちゃん。そこに入り込む余地なんて微塵も感じられない。僕があまりに驚いた顔をしていたせいだろうか。さっきまでは鬼の如き翠姉ちゃんの顔が、ハッとすると一瞬にしてしおらしくなっていくのが分かる。そして、随分トーンダウンして言った。「……ごめん、です。今日は翠星石だけで作りたいんです……ちゃんと美味しく作るですから……だからお願いです。JUMはいつも……いつもみたいにリビングで待ってて欲しいんですよ。」「……うん、分かったよ。僕こそごめんね。ちょっとしつこかったかもしれないからさ。」僕はそう言って、台所から去って行く。「馬鹿っ……馬鹿です……どうして翠星石はあんな事を……っ!」ただ、僕が去った台所からはそんな声だけが聞こえてきた。
「ちょぉっとばかり待たせたですかね?お待ちかねの晩御飯ですよぉ~。」僕がリビングで適当にテレビを見ていると、お盆に晩御飯を乗せた翠姉ちゃんがやってきた。エプロンもしてないし、髪もいつもどおり下ろされている。そう、いつもどおり……「今日はですねぇ、翠星石特製のハンバーグですよ。お野菜としてポテトサラダも作ったですぅ。」翠姉ちゃんはそう言いながらコトコトと音を立てながらお皿を置いていく。御飯、ポテトサラダ、ハンバーグ。「さっ、食べるですよ。翠星石に感謝して食べやがれですぅ。」「んっ、じゃあいただきます。翠姉ちゃん。」僕は翠姉ちゃんに感謝を述べてからハンバーグに手を付ける。ナイフとフォークは苦手なので箸で手ごろな大きさに切って、口に運ぶ。デミグラスソースと、中から溢れ出る肉汁が口の中に広がる。「……美味しいですかね?」続けて僕は御飯を口の中にかき込む。うん……美味しい。「美味しいよ。流石は翠姉ちゃんだね。」僕がそう言うと、翠姉ちゃんも嬉しそうに笑ってくれる。そこでようやく翠姉ちゃんも自分の御飯に手をつけた。「まぁ、当然っちゃ当然ですよねぇ~。そもそも、JUMが翠星石の御飯にケチつけるなんて100億年くらい早いです。ケチつけたけりゃ後100億年は食べ続けるですね♪」翠姉ちゃんはなんだかご機嫌そうに言う。まぁ、いいや。僕もこれだけ美味しいとそんな事どうでもいい気分になってくるし。どれサラダも食べようかな……そんな感じで二人で夕食を食べていると、ふと翠姉ちゃんがハンバーグの切れ端を僕に向けて、僕を見ていた。あれか、食べろって事だろうか?翠姉ちゃんはハンバーグを僕に向けてジッと僕を見てる。やれやれ、仕方ないな。そう思って口を開ける。翠姉ちゃんはゆっくりとハンバーグを僕の口に近づけて……口に入るかの刹那。急反転して自分の口へ。「なぁんて、翠星石があ~んなんてすると思ってたですかぁ?マヌケな顔しやがってですぅ~!」翠姉ちゃんはゲラゲラと笑ってる。文字通り、僕が馬鹿みたいだ。そんな訳で、少し仕返ししてみようと思う。「うん、思ってたよ。翠姉ちゃんに食べさせて欲しいな。ダメ……かな?」「なっ!?……コ、コホン……そこまで言うなら仕方ないですねぇ……ほ、ほれ。あ~んしやがれですぅ。」僕は言われるままに口を開ける。翠姉ちゃんは顔を少し赤くしてさっきよりもゆっくり僕の口へハンバーグを近づけてくる。そして……僕は翠姉ちゃんが口に入れる前に餌に釣られた魚の如くパクッと食いついた。「ほあーっ!?な、ちょ、何で勝手に食べやがるですかぁ!?翠星石があ~んさせてやりたかったですのにっ!」「ん、ちょっと仕返し。それより、僕にあ~んさせたかったの?」「!?そ、そんな訳あるわけねぇですぅ!調子に乗るんじゃねぇですよ!!」ギャーギャーと言い合う僕達。そういえば、いつもこんな感じだったなぁって。ふと僕は思った。
夜。晩御飯を終えた僕は、お風呂も終えてベッドに腰掛けていた。翠姉ちゃんは居ない。まぁ、お風呂タイムなだけなんだけどね。あれだけ髪が長いと洗うの大変だろうなぁって思う。「まだ起きてるですかね?」と、ガチャリと容赦無用にドアが開かれて翠のパジャマを着た翠姉ちゃんが僕の部屋を覗き込んできた。お風呂上りのせいか、髪が少し湿っているのがなんだか艶っぽく感じてしまう。「あ、う、うん。起きてるよ。」「そうですかぁ。あんまり遅くまで起きてると明日の朝起きれないですよ?夜更かしなんてしないで、ちゃっちゃと寝やがれですぅ!翠星石ももう寝るですから。」へ?と拍子抜けしてしまう。鳩が豆鉄砲って言うんだろうか。多分、そんな顔だ。「何ですか、その顔は。まさか翠星石がおめぇと一緒に寝たいなんて言うと思ってたですか?まぁ~ったく、JUMは本当にムッツリ助兵衛ですねぇ。穢れなき乙女の翠星石は、そう簡単には一緒に寝るなんてしねえです。」思ってなかったと言えば、完全に嘘になる。だから、僕は何も言えなかった。「……それじゃあ……翠星石は自分の部屋で寝るですから。また、明日……ですよ。」翠姉ちゃんはそう言って、少しだけ寂しそうに僕の部屋を出て行く。残されたのは僕一人。ならば、起きてても仕方ない。眠ろう……そうすれば、何も考えないで済むから……
「起きやがれですぅ!!ちゃっちゃと起きねぇとお仕置きするですよぉ!」翠姉ちゃんが声と共に僕の体をガクガク揺さぶっている。そのせいで、急速に意識が覚醒してくる。何だ?昨日翠姉ちゃんが部屋から出て行って、そんなに時間経ってないんじゃないのか?「ほれ、七時ですよ!いつもどおり起きろですぅ!!」「ぐええ……お、起きたよ。起きたって~。」そのままだと脳味噌がシェイクされてバターにでもされそうだったので、無理矢理に目を覚ます。時計は七時。いつも僕が起きる時間だ。そういえば、昨日の夜も僕がいつも寝る時間だったような。「まぁ~ったく、本当にJUMはダメダメな弟ですねぇ。翠星石が居ないと、何もできねぇです。」「ふああ……悪かったね……」「ええ、悪いです。JUMは翠星石が朝起こしてやって、朝ご飯食べさせてやって、学校一緒に行って……」目が開いてなかったせいか気づかなかったけど……翠姉ちゃんは声は元気だけどさっきから俯いている。「放課後はお買い物行って、みんなの晩御飯作って一緒に食べて……それから、それから……」「翠姉ちゃん……?」翠姉ちゃんがおかしい。さっきからフルフル震えてる。そう思ってると……僕の膝辺りに一滴の水滴が落ちた。「だから……JUMはどこにも行くなです……ずっと翠星石の側に……居るですよ!!」
目に涙を浮かべながら翠姉ちゃんが飛び掛るように僕に抱き付いてくる。「行っちゃ嫌です……嫌ですよぅ。翠星石はっ……今までみたいに……ひっく……いつもみたいに、JUMと一緒に居たい……ぐすっ……ですよっ……変わっちゃうのは怖いです……」そこで僕はようやく合点がいった。昨日から不自然なまでに『いつもどおり』だった翠姉ちゃん。そして、僕と翠姉ちゃんの生活。買い物風景も。食事時も。寝る時も。起こす時も。唯一、夕食を作っている時に翠姉ちゃんが示した嫌悪感。僕の言った言葉。一回くらいは手伝おう。今まで手伝った事がない僕からの言葉。折角いつもどおりを再現しようとした翠姉ちゃんは、その小さな変化に言いようのない不安を感じ、あんな態度を取ったんだろう。変わってしまったら、僕は行ってしまう。変わらなければ、僕はどこにも行かない。きっと、翠姉ちゃんはそう信じて日常を演じていたんだ……自惚れながら、僕と一緒に居たいから。でもね、翠姉ちゃん。それは違うんだ。「翠姉ちゃん。変わることは、怖くなんかないんだよ。」「怖いですよ。翠星石は今の生活がとっても幸せなんです。それが……崩れてしまう気がするですよ……」「確かに、崩れるかもしれない。でも少なくとも僕のこの変化は……崩れた後からさらに大きい物が出てくるような変化なんだ。聞いて、翠姉ちゃん。僕にとって、姉ちゃんは姉ちゃんだと思ってた。」翠姉ちゃんは僕の胸にしがみ付きながらしゃくり声だけをあげて、話を聞いている。「でも、変わったんだ。僕は姉ちゃん達が好き……それは、姉としてじゃなくって、女の子として……翠姉ちゃんは、こんな変化も嫌かな……?」ここまで自分の気持ちの変化に気がついたのは銀姉ちゃんやカナ姉ちゃん。それに何より……めぐ先輩のお陰。「っ……!!すいせっ、せきもっ……JUMが……JUMが好き、ですよ……誰よりも、一番好きですっ!」それは、初めて彼女が変わった瞬間だったのかもしれない。変化を嫌う彼女が変わった所。多分、きっと初めて。翠姉ちゃんは自分の気持ちを素直に言った事。「離れたくなんてないです……ずっと一緒に居たいです。翠星石は……JUMの一番になりたいです……」そう言って、彼女が僕を抱きしめる腕を強める。それに答えるように僕も彼女を抱きしめる。でも、折角変われた僕達に残されていた時はあまりにも少なくて。時が過ぎ、太陽が程好く昇る頃には。僕の腕から彼女は消えていたんだ……僕の服に涙と香りだけを残して。END
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