『きみとぼくと、えがおのオレンジ』~第6話~
日曜が来た。大学のような緑溢れる土地ではなく、ここは都会の一角。駅前の広場には老若男女が行ったり来たり。時刻は11時前、この時間になれば人の流れはピーク一歩手前。溢れかえる人の波に呑まれてしまいそうになる。集合時間は11時きっかり。少し早めに来ておいた方が良いかと思ったが間違いではなかった。「ふぅ」人の流れに逆らわずに集合場所へ向かう。日差しは程よく、夏と春の真ん中の完璧な気温が心地よい。服装を点検、別にお洒落をする必要もないしそれなりの格好で充分だが相手は水銀燈だ、また服装でとやかく言われるのが嫌なのである程度は気を使った、まあ、気休め程度に。というか僕にファッションを期待するなと言いたい。笹塚やベジータのように女の子にもてようとは思ってないし必要はないのだ。と、そんな事を言うと手痛い反撃を食らうので水銀燈には言わないんだが。そんな愚痴を頭の中でこぼしながら集合場所に到着する。辺りを見回すがまだ水銀燈は来ていない。まあ、11時きっかりなんだし別に当たり前だろう。ケータイをいじりつつ時間を潰す。ガヤガヤと騒がしい人の波、正直こういうのは余り好きではない。人が多すぎるのは好きじゃない。大体5人程度が良い。それ以上になると僕の性格上イライラが溜まり始める。
「ふぅ」今度は辟易とした気分の溜息だ。何というか、お前達は一体何なんだと思いたくなる。へらへらと笑ってる奴を見ると殴り飛ばしたくなる、殴らないけど。ギャル言葉に腹が立つ、蹴り飛ばしたくなる、しないけど。分かってる、そんなの独りよがりでガキ臭い言葉だって。でもイライラする。「はぁ」こんなのじゃ駄目だな、少しは気張れよ僕。と、駅の中から見慣れた姿が現われる。「待ったぁ?」時計は11時一分前、時間通りか、水銀燈が僕の目の前に立つ。「ん、まあ」上から下までさーっと見回す。ファッションに疎い僕だが、流石だとしか言う言葉がない。タイトなジーンズに柄入りのTシャツ、シンプルな格好なんだけど完璧に、一分の隙も許さず調和が取れているのだ。まあ、こういう言葉しか見つかる言葉がないだけで僕のファッションセンスは分かっていただけるだろう。「うーん。ま、及第点」水銀燈も同様に僕のファッションチェックを行っていたようだ。「どうも」気のない返事をしておく。下手に何か言ってツッコミを入れられるのはたまらない。「で、この娘はどう思う?」「は?」
「は?じゃないわよ。というか、見えてないって訳ないわよねぇ?」と、親指でくいっと指差した先を僕も追う。「あ」彼女の後ろに丁度隠れるように薔薇水晶が、いた。「……こ、んにちわ」「あ……おっす」僕の周りから喧騒が消えた。予想はしていたが、やっぱりこういう事か。水銀燈を睨みつけてやるがまったくそんなの気にも留めてないようで。「可愛いでしょぉ?可愛いんだから少しはお洒落しなさいって言ってるのに 薔薇水晶ったらそういうのしたがらないのよぉ」「あ……」そういってグイっと薔薇水晶の手を引っ張り横に立たせた。恥ずかしがって視線を何処とも知れない場所に泳がしている薔薇水晶。シャツに薄手の上着、下はロングスカート。何だっけか、ストリートファションだったか古着だったか。分からないが、しかし、似合っている。「ジュンだって可愛いって思うわよねぇ?」僕の、少なくとも3倍ほどの眼力で睨む水銀燈。つか君は何がしたいのよ、と突っ込みたいところだが、まあ。「ええっと……似合ってるわな」「っ!」って何言ってんだ!?すごい恥ずかしい事言ってないか僕?ほら、目の前の薔薇水晶も顔を真っ赤にしているじゃないか。
――少しは気があるって事か?
って、ああ、駄目だ、そんなの憶測じゃないか。そうだ、ただ、珍しい人間に珍しい事言われて驚いてるだけだ。そうでなければ、と言うかそんな冗談あってたまるか。「ふぅん、何か初々しくて良いわよねぇ。御似合いじゃない?」「冗談も程ほどにしろって」「なによぉ……」そう言って水銀燈が僕に近寄ってくる。その顔がやけに楽しそうで悪戯めいていて。「ジュンが煮え切らないから少しは背中押してあげてるのにぃ」「逆効果だっての」反論する。視線を薔薇水晶に向けてみればただ周りを見回してオロオロと。そう、こんなのしたって別に距離が縮まるわけがない。彼女だって、そんなの、望んでるわけないじゃないか、勘違いかもしれないのに。だが、水銀燈はそんな事を気にもしていない。「くすっ」そう笑って身体を翻し薔薇水晶の横へ。そのまま薔薇水晶と腕を組んで、「じゃ、今日はジュンを従えてショッピングしましょぉ?」そういって何にもなかった風にニンマリと。
それから水銀燈と薔薇水晶は近くの店に入っては服を選んだり見てみたり、試着もしたり。それに僕は後ろから付き合うだけ。別に僕は喋らない、水銀燈の言葉に返事するくらいで僕からは何も。薔薇水晶も同じだ。なんか、似てる。そう思ったけど、きっとこれも勘違いだ。そんなの驕りも甚だしい。「って、さっきから一人だけ雰囲気悪いわねぇ」一歩前を歩いていた水銀燈が振り返った。何だか呆れているといった感じの顔で僕を見ている。薔薇水晶とは言うと……良く分からないな。ま、それより「男一人が女子の中でいるのがどれだけ苦痛かワカリマスカ?」「逆に思いなさいよぉ。女の子はべらせれるなんて早々ないわよぉ?」「はっ」「薔薇水晶だって思うわよねぇ?こんなの早々ないし、薔薇水晶としては 結構良いシチュなんでしょぉ?」「え?え?!え、あ………その………銀ちゃん、それは……」何をそんなにあわてる必要が?「ま、それは良いわぁ。ねえ、ジュン?」「何だよ?」
言ってから少し後悔した。水銀燈のこの顔を見て何も思わない奴がいたらソイツは馬鹿だ、大馬鹿だ。それほどに分かりやすい笑顔だった。「ちょと寄る所があるから少しここで待っててぇ?あ、薔薇水晶も ここで待ってるのよ?良い、分かったぁ?」水銀燈の視線の先ではコクリとうなずく薔薇水晶。ちゃんと状況作りをしているつもりでいてるようだが、断言しよう、それは間違いなく逆効果だ、思いっきり。しかし、僕に断る権利なぞない。「はいはい、分かったよ」どうせ聞く耳持たないんだろ的口調で返事をする。「何よぉ、待ってもらう代わりにカフェラテ奢ってあげるつもりなのにぃ」と、チラリと真横を見れば小洒落た喫茶店。用意周到というか、やりすぎと言うべきか。何だか笑うしかないな、もう。薔薇水晶はと言うと……やっぱり、分からない。いや、嬉しそうな気がしたけど、やっぱ気のせい。「じゃ、千円あげるから二人で待っててねぇ」僕らは店の端の席について水銀燈を見送った。
ウッドロッジのような店内は落ち着いた感じ。流れる音楽はいまどきのギャースカ煩いのじゃなくてクラシックやオルゴール、時折ジャズとかブラックミュージック。昔聞いたような音楽が混じってるが、何だったっけ?ま、たいした事じゃないな。カランとお冷の中の氷が音を立てる。静かな時間だ。周りにいる客もこの雰囲気が好きなんだろう、静かに談笑している。外を見ればこんなにも騒がしいのに、ここだけ別空間。まるで何かの結界でも張られているみたいだ。水銀燈関連でというところが気に食わないがしかし、良い店だと心の底からそう思える。「あの」声のした方を向く。真向かいに座る薔薇水晶が俯き加減で僕を見上げている。「何、どうかした?」答える。「ごめんなさい」何で謝られるんだろうか。思い当たりはないが。
「どうして?」回りくどくせず直に。少し間が開いて、「銀ちゃんに……その、付き合わされて」ああ、そういう事ですか。「まあ、アイツってそういう奴だろ?気にしてないよ」「……」少し微笑んで、返事した。その時、薔薇水晶の無表情が、本当に、間違いなく緩んだ。あの時、彼女を助けたときと同じ微笑が、目の前に。「えっと……」「?」何だろう、この胸の高鳴りは。苦しすぎて何にも言えない。やっぱり、好きだって言うのか?まさか。どうぜ、僕には過ぎた話じゃないか、在り得ない。「あの……?」「あ、なんでもないんだ。いや、本当にさ」だけど嬉しかった、ただ嬉しかった。静かな場所で、二人だけの遺憾を過ごしてる今この時が。だけど、それすらも僕は素直には。
それから、静かにぽつぽつと大学の話をしたりして。だけど、それ以外は何も話さなくて。それが、それがいつしか何か違ってきて。気づけば、普通の話をしていた。昨日のテレビがどうとか、昨日、何を食べたとか。雰囲気が変わっただけだったのに。たくさんの話をしていた。「さ……桜田くん」「ん?」僕は彼女に呼ばれて彼女に向かい合う。さっきまで俯いていたのに、彼女は僕に顔を真っ直ぐに向けて、だけど、目の焦点は定まってなくて。顔を真っ赤にして、だけど、それはすごく真剣な面持ちで。僕は、愚かにも思った。何かが起きる期待、起きて欲しいと言う期待。その雰囲気に呑まれたから?そうだと思う。だけど、その時の僕は、思っていた。起きろ、と。
そして、それは起きた。そして、世界は変わった。僕の世界は一変した。その時、確かに僕は聞いた。彼女の口から出た言葉を一字一句逃さなかった。それ程までに重要な出来事。鮮烈な記憶として今も残る記憶の中の重要な欠片。決して忘れてはいけない、決して忘れる事ができない記憶の欠片。その後に起きる出来事に必要だった出来事。僕達の関係の始まりの根幹を成す出来事。御伽噺の始まりが終わって、始まった御伽噺の幕だった。告げられた言葉、それは。「どうかした?」告げた僕、彼女の唇が震えて、止まって、そして開いて。
―――私、貴方が好きです
そう、僕への、告白。在り得なくて、だけど、在り得ないといけなかった言葉。
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