『きみとぼくと、えがおのオレンジ』~第3話~
春、それは桜は満開の時期を当に過ぎ、葉桜が混じるようになった頃。僕と笹塚、の二人は入学最初の授業ガイダンスを終えてまた食堂へ来ていた。別にこれといった用事はなく、ただただ暇だったのと、ベジータが別の学部だったから時間合わせを兼ねた待ち合わせ。食堂内は僕と笹塚以外には授業のない上回生がレポートらしきものを書いていたり、僕らと同じ学部らしき連中が手持ち無沙汰といった感じでうろついてるくらい。がらがらだ。「暇だって言っても限度があるよね。まさかこんなにも早く授業ガイダンスが 終わるなんて夢にも思ってなかったよ」「まあなぁ。予定じゃ11時半には終わるはずが10時50分前には終了。 暇になるのも仕方ないって」「ま、そうだよねぇ。あ、ジュンは授業何とる?」「んー……」言われてみて今更に考える。そういえば大学に入るのを優先的に考えてて何をしたいかと言うのが結構おぼろげだった。が、思いついたのを言ってみる。「そうだな、心理学とかは?」「うわっ、また面倒なものを」「でもうちの学部って人間関係とか社会関係の学部だろ?それぐらいしか 選ぶものなさそうだけど」「正論だね。でも、できれば女の子の割合が多い方を取りたいと僕は思うけど」「はは、露骨だな」少し笑ってしまう。「自分の欲求に素直だと言ってよ。大学生活の最初ってのはすごく重要なんだから こういう所でチャンス増やさないと」「成る程ね。で、何系の授業を取る気なんだよ笹塚?」含みのある笑み、笹塚の目が光る。「そりゃ、もちろん言語関係だね」「ふぅん」それから笹塚による言語関係の女子がいかに可愛い子ぞろいかという話が始まったのだがほとんど覚えていない。興味がない話題というのは自然と脳内から零れ落ちるものだ。笹塚の話を右から左へと聞き流しつつ僕は食堂内に視線を泳がす。時間は11時10分前、他の学部もガイダンスを終えたのかちらほらと人が増える。と、その中で見た顔を見つける。彼女だ。薔薇水晶、確かそんな名前だった。あの日、上回生の歓迎パーティでほんの少しの間だけだったが言葉を交わした彼女。彼女がまた一人でポツンと端の方で座っていたのだ。「ん、どうした?」僕の視線に気がついたのか笹塚が僕の視線の先を見ようとする。「あ、いや、なんでもない」別にごまかす必要も何もない、なのに咄嗟にごまかす僕。「嘘ばっか。何だよ可愛い子でも見つけたのかい?」「そんなんじゃないって」「はいはい」そういいながら笹塚は僕を無視して彼女の方を見た。「あぁ。なんだ、あの子じゃん」「知ってるのか笹塚?」「ん、ああ」そういいながら笹塚が僕のほうを見直す。「薔薇水晶さんだろ。ほら、この前のパーティで滅茶苦茶かわいい子が いたって言ったじゃん?」「そんな事言ってたっけ?」覚えていない。「うん言った。つか話聞いてなかったな?……ま、それは良いや。 で、彼女はその子のお友達」何だ、別に彼女が有名だとかそういうわけじゃないのか。なぜか、少し安心した。「まあ、とにかく彼女はおいといて。それより、その子が滅茶苦茶美人でさ。 名前は水銀燈さんって言うんだけどもーあれは完璧だったね。僕らだけ じゃなくて上回生までその子のトコに行きまくってたぐらいなんだぜ? なのに彼女ッたらあの薔薇水晶さんがいるから早めに帰らないと とか言って帰ったわけ。で、だ。だからその彼女の大事な御友達である あの子を使って水銀燈さんと御友達からそれ以上になりたいって奴が多いという」「ウソだろ?」「ウソでこんな話しないって。ほら、話をすればなんとやら。見ろよ、あれ」そう言った笹塚の視線の奥で、彼女が二人の男子に声をかけられていた。如何にもチャラそうな男。酷く、不快な気分になる。「うわ~、あの人たち上回生だよ。なかなか露骨だねぇ」そういう笹塚の声がやけに遠い。僕は彼女のしている話が気になってしょうがない。彼女は所在なげに目をあちらこちらへと向けている。嫌がっている、直感的にだが思った。それとはなしに返事はしているようだが戸惑っている、そんな気がした。止めてやれよ、そう思う。だけど僕に何ができる?たった一言二言声をかけただけの奴が何をするというんだ?馬鹿げている、そうは思っているがしかし。だが、しかし。「あ、おい!?」僕は立ち上がり、足は彼女のほうへと向かっていた。一直線に、席をすり抜け、彼女のほうへまっすぐと、一直線に。心臓がバカに高鳴っていた、まったく僕らしくない行動に拒否反応を起こして。脚が、喉が震える、緊張で。何度かイスにぶつかりそうになったが気にせずに。止まれない。止まれるはずなのに身体が言う事をきかない。僕は彼女のそばに立った。「で、君もう何するか決めた?」「あの……私……」「あ、もし良かったら僕らのサークルに来ない?」「いえ、その……私……」声をかけるのが憚られる雰囲気、だがもう引き返せない。
「あ、あの」
「ん?」「あ……」不審そうに僕を見る男達、驚いたように僕を見る彼女。それだけで僕の頭が真っ白になる。「あ、えと」「えー。君、だれ?」「え、ええっとですね」落着け。とにかく落着け。ぐるぐると廻る脳内を落ち着け、平常心で声を絞り出す。「彼女……僕と、友達なんで、その待ち合わせしてたんで……待ってた?」ハッタリもいいところだ、こんなのでついて来る訳ないだろ、もう少し考えろよ。頭の中でセルフ突っ込み。だが。「う、うん。あの、ありがと……」「え!?あ、ああ」驚いたことに、すんなりと彼女は立ち上がり僕の方にやって来る。「それじゃ、私……行きます。あの……ありがとうございます」「あ、いや、良いよ、あはは」そう言われてはどうしようもあるまい、彼らはその場を動く事ができず僕は薔薇水晶さんを連れて元の席へ向かった。いざ、ここまで来て思う。衝動的に行動を起こすにしてもこれはないよな、と。だけど、今更何を言うか、と。席に着き、全身から力が抜ける。本当に頭が悪いっちゃない行動だ。目の前の笹塚もあきれている。いや、呆然としているのか?……どうでも良いや。「あの」突然のその声、心臓が止まりそうになる。振向く、彼女が、僕を見ている。視線が合わさり彼女が俯く。恥ずかしいのだろうか。「あの、ありがとうございます」感謝された、消えそうな声で。「え、あ、いや。別に」姿勢を正す。らしくない、そう思うけど。「たいした事じゃないし……いや、気にしないで」恥ずかしい、顔が暑い。「でも、困ってたから……ありがとうございます」「そ、そっか」「はい……」無言の時間、気まずい。何も言葉は紡がれず延々と時間だけが過ぎていく。「あー」と、笹塚が突然声をあげる。「もしかして二人、知り合い?」「「え?」」声が揃う。「いや、そのだな。この前の歓迎パーティでちょっと話して」「は……はい」「へぇ~」また、無言。辛(つら)い、激しく辛い。「え、えっと」「あ、あの」「はい?」「あ、いいえ」無言。無言で時間が過ぎていき、いつしか食堂内には人が増えてきている。「…………あ、ジュン。僕、ベジータ見てくるよ」「え?ここで待たないのか?」「ん?いや――」と笹塚は立ち上がると僕のところまでやって来て耳元で囁く。「僕、邪魔だろ?」「へ?」「いやさ、ジュンも男だったんだな、と」「そういう気遣いされる方が困るぞ、あざとい」「それもそっか。あ、でも僕、マジでトイレ行きたいからソーリー」「お、おい!?」そう言ったきり笹塚は食堂の外へ消えた。「あの……」「へ?!」「お友達……その、良い……んですか?行かなくて」「あー。なんか、トイレに行く理由がほしかっただけみたい。はは」「そうですか……」「うん…」無言、ざわめく食堂内で何も喋らないのは何かおかしい。「あの」また、彼女から。「何かな?」「どうして……その……助けてくれたんですか?」「え?」その瞬間、僕の胸は大きく高鳴った。どうしてか?どうしてだって?簡単だ。だけど、言ってしまうとそれはとても嘘にしか聞こえないことだ。でも、どうして、と聞かれている。僕は……「いや、何だか困ってるみたいだったし」素っ気無い返答だ。「そう……ですか」「あ、うん」「あの」「ん?」「……困ります。彼女が……困ります。止めて……ください」「はい?」何を言ってるんだ?こんがらがった頭をフル回転させる。何が困ると?何かしたか、僕?彼女、誰だそれ?意味が、分からない。「あの……」口に手を当て、考える。何を言ってるのか分からず頭の中がしっちゃかめっちゃかになっている。彼女もそれに気づいたのか申し訳なさそうな顔をしている。何だか自分のせいみたいでバツが悪い。早く思い出さないと。「もしかして……違った?私の友達が……目当て、じゃ」と、そこでようやく思い出す笹塚の言葉。
『ほら、この前のパーティで滅茶苦茶かわいい子がいたって言ったじゃん?』『で、彼女はその子のお友達』
「ああ!」何だそういう事か。「もしかして、君の……えと、友達目当てで助けたって?」「あ……はい」「違う」「え?」「その子の顔、知らないし……さ」そう、僕は知らないのだ。だってあの時……「僕、君より先に帰ってるしさ。それにあのパーティ、君と同じでほとんど 参加してないし」「あ……」そう、僕は彼女より早く帰り、あのパーティの詳細は知らないのだ。それに気付いて、彼女は顔を真っ赤にする。「あ、あ、あの、ごめんなさい。その、えと、私………あ!!アタシ、私、 あの、あなたに失礼な事言って!!えと、その……!」「いや、良いよ謝らなくてさ。何度も同じようなことあったみたいだし。 それに、こうやって人に聞けたのって僕が初めて、だよね?」「え?あ、はい……その、この前話してたから、つい……」そうやって俯いてしまう薔薇水晶さん。「そっか」「はい……」それからまた無言の時間が流れる。昼飯前、人でごった返すとはこの事か。まるでスーパーの特売よろしく食堂内が人と人とで溢れかえっていた。どよめきにも近い喧騒の中で時間がゆっくり流れる。「あの」「ん?」顔を上げ、薔薇水晶さんが、僕を見つめる。「何?」「私の……た」そこまで言って思い直したのか、ただ一言を僕に向ける。「ありがとう」それは、確かにただの『ありがとう』。ただ、それは最初の『ありがとう』とは確かに違って。優しい、『ありがとう』。「良いよ、別に。薔薇水晶さん」「え?」「あ……」つい、出てしまった。自然と、嬉しくて、彼女の名前を呼んでいた。「うん……ありがとう、桜田くん」「え?」そう、彼女は天使のような微笑で彼女は僕の名前を。何か言おう、そう思ったけど。「ごめんねぇ、薔薇水晶ぉ~。遅れちゃったぁ」「ん?」艶っぽい猫なで声、その方を向けば綺麗な銀髪をした女性がこっちに歩いてくる途中。「銀ちゃん」ああ、彼女がか。確かに、そう思いながら僕は『銀ちゃん』と呼ばれた彼女を見る。美人だ、プロポーションはモデル並、周りを漂う雰囲気は誰の目をも止めてしまうような絶対的魅力で溢れている。―だが、それでも。「あらぁ、珍しいわねぇ。貴女が人と喋ってるなんて」「え。う、うん」「まさか……私目当て、とかじゃないでしょうねぇ?」ボソリと言う、が、それは間違いなく僕への警告だと、思った。彼女をダシにしようなんてバカじゃない?そんな感じだ。しかし、「ち、違うよ銀ちゃん……アタシ、この人と知り合い……」「へ?そ、そうなのぉ?」「う、うん……」彼女は僕をかばってくれた。「へぇ……薔薇水晶が、かぁ」じぃ、と『銀ちゃん』と呼ばれた彼女が僕の顔を見る。「ふぅん、おもしろぉい」何だか追い詰められてるような気が。「ねえ。アナタ、本当に私目当てじゃないのぉ?もしそうだったら今すぐここで 言った方が得策よぉ?そうでなきゃ、もし私目当てだったってバレた時 アナタを彼氏候補にいれてあげないわよぉ?」尊大だ、めちゃくちゃ傲慢だ。だが、それでも僕は答えることなんてできない。「……強情?」違うって。だって、僕は。おろおろとしている彼女を見る。「……嘘ぉ」バレた!?「……へぇ、そうなんだぁ。へぇ~。うふふふ」とても、楽しそうな笑顔。「銀ちゃん?」「ん~?」「どうしたの?」「何でもなぁい。さ、行きましょ。午後からは私の買い物に付き合う約束よぉ?」「え?でも、私……」だが彼女は有無を言わさず、薔薇水晶さんの手を握り、歩き出す。「え、銀ちゃん……?」「さ、行くわよぉ」「ま……待って、待ってよ……」荷物をあわてて握り締め彼女が去って行く。僕は咄嗟に、手を振っていた。「それじゃ、ね」それに彼女は一瞬驚き、そして「うん」手を振ってくれた。そして、僕と彼女の二度目の出会いは終わり、また出会う。
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。