『ひょひょいの憑依っ!』Act.4
『ひょひょいの憑依っ!』Act.4ちゃぶ台に置かれた料理の数々が、ジュンの目を惹きつけます。驚くべきコトに、それらは全て、金糸雀のお手製と言うではあーりませんか。玄関を開けたときに、鼻腔をくすぐった美味しそうな匂いは、気のせいではなかったのです。「ジュンの帰りを待ち侘びながら、あの女が持ってきた食材を使って、 お昼ご飯を作っちゃったかしら~」金糸雀は、ニコニコと満面の笑みを浮かべながら、幸せそうに話します。もし、ジュンが帰ってこなかったら、無駄になってしまうと考えなかったのでしょうか。おっちょこちょいな、彼女のことです。そんな仮定など、していたかどうか……。「ホントに、お前が作ったのか? 近所の食卓から、かっぱらって来たんじゃあ――」「むぅ~。侮辱かしら。失礼しちゃうかしらっ! この部屋から出られないカナが、そんなこと出来っこないじゃない」「ああ、それもそうか」「ご託はいいから、食べてみて。ピチカートに毒見させたから、味は保証するかしら。 特に、この甘ぁいフワフワたまご焼きは、絶品なんだから」心配の『し』の字も見せず、サムズアップの金糸雀。ジュンに箸を差し出しました。なんという親切の押し売り。どうにも受け取らざるを得ない雰囲気です。「……それを言うなら味見だろ。そもそも、火の玉に味覚なんかあるのかよ」ブツクサ言いつつ、ヘタレなジュンは、戦慄く手に箸を握らされてしまったのです。五目野菜炒め。肉じゃが。鰤の照り焼き。たまご焼き。どの皿も、見た目と匂いは美味しそう……なのですが――まずは、最もハズレの無さそうな、フワフワたまご焼きから箸をつけるとします。これならば、少しばかり生でも食べられるでしょう。いま、家にある調味料も、砂糖、塩、酢、醤油、味噌くらいですから、そうそう間違った味になるとは思えません。思いたくもありません。ふわふわで、焦げ目ひとつない、黄金色のたまご焼き。砂糖入りなのに焦がさない技量は、見事です。意を決して口に放り込み、咀嚼。「……うっ?!」「どうかしら?」ジュンは答えず、次は五目野菜炒めに、箸を伸ばしました。ニラやモヤシ、キャベツ、ニンジン、ピーマンの表面に、胡椒の細かいツブが着いています。一応、まともな味付けはしてあるようですが、果たして――「……まっ?!」「ジュンの口には合わない?」その問いかけにも答えることなく、ジュンの箸は、鰤の照り焼きを捕捉。いい色合いに焼けていて、身の中まで火は通っているようです。脂も充分に乗っているらしく、見ているだけで、ジュンの口内に涎が溢れてきました。恐る恐る、端っこに囓りついて、食べてみると……。「……いっ?!」「ねえねえ、どうなの~? 美味しい? 不味い? さっさと答えるかしら」「正直に言って…………驚いたよ。どれも美味いわ」「えー? よく聞こえなーい」「容赦なく美味いって言ってんだよ」「でしょでしょぉ♪ カナだって独り暮らしで、自炊してたんだもの。このくらい、朝飯前かしら」昼食なのに、朝飯前とはこれ如何に。……なんて疑問はともかく、ジュンは素直に、金糸雀のことを見直しました。やはり、人間、何かしらの特技は持っているものです。空腹も手伝って、全ての料理は忽ち、ジュンのお腹に収まったのでした。「ごちそうさん。お世辞抜きに美味かった」「うふふ……そう言ってもらえると、やっぱり嬉しいかしら。 もしかしてぇ~、惚れなおしちゃったりとか……する?」「いや、最初っから、惚れてなんかないし」「きぃ~、このボクネンジン!」言って、べーっ! と舌を出して見せる金糸雀。その拗ねた表情は、愛嬌があって、なかなかに魅力的です。ジュンは不覚にもカワイイと思ってしまい、慌てて頭を横に振りました。幽霊に萌えを感じるなんて、まともな神経ではありません。咳払いで空気を誤魔化し、ジュンは話題を変えました。「まあ、でも……照り焼きは上手くできてたな。オーブン使ったのか?」「あれは、ピチカートにじっくり炙らせたかしら。いわゆる遠赤外線クッキングね」「……聞かなきゃ良かったよ」火の玉で焼かれた魚に舌鼓を打っていたなんて、複雑な気分です。他の料理についても、調理法は聞かない方が、幸せでいられるでしょう。「とりあえず、気が向いたらでいいからさ、また……作ってくれないか」「いいわよ。ジュンのお願いだったら、毎日でも作ってあげるかしら。 あはっ……これで貴方も、ベタ惚れ症候群の仲間入りね」「なんだ、それ?」「知らないの、ジュン? いま、巷でウワサになってるかしら」多分、メタボリックシンドロームのことでしょう。あえて突っ込まずに、ジュンは財布と携帯電話を手にして、立ち上がりました。「あー、腹いっぱいだ。腹ごなしに、その辺を、ぶらりと散歩でもしてくるかな。 食器洗いとか、片付けは頼んだぞ」言い置いて、玄関に向かいかけた彼の肩を、金糸雀の冷たい手が捕らえます。「ちょっと待つかしら」「な、なんだよ」「…………カナも一緒に行くわ」「ただの散歩にまで、いちいち憑いてこなくてもいいだろ」「とかナントカ言っちゃって、ホントは、あの女のところに行くんでしょ?」恐るべき慧眼。ジュンの目論見など、とっくに看破されていたようです。ジュンは溜息を吐いて、無駄と知りつつ反駁を加えました。「言っておくけどな、僕と真紅は、お前が考えてるような仲じゃない。ただの幼なじみだ」「ジュンはそうでもぉ……あの女は、どうかしらねぇ~」「しつこいなっ! 知るかよ、そんなの!」「あら怖い。んふふ……まあ良いかしら。いずれ判ることだしぃ」「どうあっても、憑いてくる気か」「当然。ジュンも言ってくれたでしょ。好きにしろって」それを言われてしまうと、二の句が継げません。これからは迂闊なことを喋れないなと鬱陶しく思いながら、(女の子と付き合うのって、こんなに面倒くさいコトなのかなぁ)――なんて、中途半端に悟った気分になるジュンでした。金糸雀に憑依された状態で、ジュンは真紅と待ち合わせた場所に急ぎます。電話をしてみたところ、彼女は先ほどの動揺など忘れたかのような冷静さで、会うことを承諾してくれたのです。『ねえねえ、ジュン~。あの女に、なんて言うつもりかしら?』真紅と会う約束を取りつけてからこっち、金糸雀は、そればかり訊いてきます。苛立ちを募らせていたジュンは、心底、煩わしそうに答えました。「うるさいな。少し黙っててくれよ」金糸雀の存在を感知できない周囲の人々が、ジュンに奇異な眼差しを向けました。いきなり独り言を喋りだした変なヤツ、と見なされたのでしょう。そんな状況で、彼の声に答えが返ってきたことは、意外でした。「まだ……なにも言ってないのに」振り向くと、すっかり顔なじみになった、あの眼帯娘がっ!「……ヘイヘイホー。奇遇……だね」「また、あんたか! いつも唐突に現れやがって。僕を待ち伏せでもしてるのか?」「してない。する必要……ない。ここだけの話…………私……千里眼少女」「どうせまた『うっそぴょーん』って言うんだろ」ジュンが胡散くさそうに白眼視すると、眼帯娘は口を噤んで、頬を両手で包み込みました。「…………ココロを読まれた…………もう……結婚するしかない」「なんでだよっ!」相変わらず、発想がブッ飛びすぎて、ワケが解らない娘です。真紅と約束した時間も迫っていたので、ジュンは相手にせず立ち去ろうとしました。その背を、脈絡のない意味不明なセリフが追いかけてきます。「甘ぁ~い、たまご焼きも……いつかは腐る。腐ったら……捨てる? それとも……食べちゃうの?」いつもいつも、なんなのでしょうか。ジュンは振り返って、いい加減にしろと怒鳴ってやろうとしました。けれど、眼帯娘はもう、風と共に去った後でした。昼下がりの公園。小さな噴水前のベンチに座る真紅は、ぼんやりと、煌めき躍る水を眺めています。待ち合わせの時間には、十五分も早いというのに――ジュンは歩み寄って、穏やかに彼女の名を呼びました。「呼び出しておいて、レディを待たせるなんて不躾ね」耳に馴染んだ、辛辣な言葉。しかし、いつものキレと言いましょうか、気強さが感じられません。気丈に振る舞っていますが、やはり、さっきのショックが尾を引いているのでしょう。真紅の隣に腰を降ろして、ジュンは話しかけました。「来てくれて嬉しいよ。ありがとう、真紅」噴水に目を向けたまま、真紅は素っ気なく答えました。「いいのよ……別に」彼女の頬や耳が朱に染まっているのは、寒さのため? それとも――先程、泣いて逃げ出したことを、恥じているのかも知れません。ジュンは、真紅の様子を観察しながら、回想していました。(思えば、こいつとも長い付き合いだな。これが腐れ縁ってヤツか)親しすぎて、兄妹(姉弟?)みたいな、二人。いつも、なんとなく一緒にいて、それが普通になりすぎていて……他人の目など気にしなかったし、こんな関係を変に思ったりもしませんでした。彼と彼女の間柄を知らない者からすれば、交際しているように見えたでしょうか。――甘ぁ~い、たまご焼き。不意に、あの眼帯娘の言葉が、思い出されました。いつかは腐る。それは、ジュンと真紅の関係にも、当てはまること。社会人になって、お互いの人生を歩き始めれば、いつまでも一緒には居られないでしょう。腐れ縁は、本当に腐って、新たな生活の肥料になるだけかも知れません。では……腐ったら、どうするべきなのか。捨てる? それとも――害を被ることを承知で、食べる?どちらが良いかなんて、即座に答えを出すことなど、ムリな話です。ただ、誤解されたまま別れたくは、ありませんでした。「なあ、真紅。さっきの…………アイツ、なんだけどさ」とにかく、本当のことを話さなければ。気心が知れた仲です。誠意をもって説明すれば、信じてもらえるでしょう。ジュンの声が、いつになく真剣味を帯びていたためか――真紅は依然として噴水を見つめていましたが、ジュンに問いかけました。やや曇らせた眉に、不愉快さを滲ませながら。「誰なの、あの娘?」「落ち着いて、聞いて欲しいんだ。約束してくれるか?」「……内容次第よ、それは」大仰に肩を竦めて、吐息。それが真紅なりの、先を促す仕種でした。徐に頷き、ジュンは口を開きます。「アイツの名前は、金糸雀。僕の――」「あぁん。や~っと見付けたかしら~♪」いきなり、ジュンの話をかき消す、元気ハツラツな声。ダッフルコートに身を包んだ金糸雀が、白々しくもいま出会ったかのような顔で、ジュンの真横に鎮座しているではあーりませんか。そろそろ邪魔しに来る頃かと身構えていたジュンは、そら来た! と、胸裏で悪態を吐きました。また、さっきの繰り返しはゴメンです。追い返すべく、ベンチを――(あ、あれ……れ?)――立とうとして、身体が動かせないことに気付きました。いつの間にか、カナ縛りに遭っていたのです。身動きできず、声も出せません。焦燥に駆られるジュンの頚に、金糸雀の細い腕が、ヘビのように絡みつきます。そして、金糸雀は真紅を一瞥もせず……聞こえよがしに、毒を吐きました。「もぉ~。ジュンったら、病院に付き添ってくれる約束だったでしょぉ?」「び、病院?」闖入者の登場に目を丸くして、声を呑んでいた真紅は、びくりと身体を震わせ、問い返しました。それを受けて、金糸雀の目と唇が、ニタリと三日月を描きます。「ええ。ちょっと、産婦人科まで……ね♪」「っ?!」真紅はますます目を見張り、言葉を失ったまま、ジュンと金糸雀を交互に眺めました。何かを言おうとする唇は、意味もなく蠢くだけ。ジュンは必死に、根も葉もないウソだと伝えようとしますが、カナ縛りは解けません。逆に、彼の強張った表情と、額に浮かぶ脂汗が、真紅に誤解を与えます。「……そう。話って、そういうコトだったのね」一度、真紅は気持ちを落ち着けるように、深い溜息を吐きました。そして、前に向き直って、毅然と立ち上がったのです。「良かったじゃない。おめでとう、ジュン…………お幸せにね」言って、踏み出される一歩。おぼつかない足取り。小刻みに、膝が震えています。真紅はジュンと金糸雀に背を向けて、二度と振り返りませんでした。「さよなら」ただ、それだけを告げて、ふらりふらり――雑踏に消えゆく、儚げな背中。金糸雀は、狡猾な冷笑を浮かべて見送り、ジュンはと言えば……カナ縛りで固まられたまま、真紅を呼び止めることすら出来なかったのです。真紅の姿が見えなくなって漸く、ジュンの身体に自由が戻りました。でも、今更です。これから彼女を追いかけたところで、再現VTRのように、同じコトを繰り返すだけでしょう。金糸雀に、憑きまとわれている間は、ずっと――『あの女、好い気味かしら♪』ジュンの胸中に、くすくす……と谺する、金糸雀の邪悪な笑み。真紅を貶めて、排除することが、そんなに愉しいことなのでしょうか。今度という今度は、女性に甘いジュンと言えども、カチンときておりました。周囲に人の居ないことを確かめてから、金糸雀を詰ります。「お前……いい加減にしろよ。あいつが――真紅が何をしたって言うんだ。 言っただろ、僕と真紅は幼なじみなだけだって。 なんで、あいつを目の敵にして、傷つけるような真似ばかりするんだよ!」『それなら、カナも言ったかしら。そう思ってるのは、ジュンだけかもよ……って。 今回のことでハッキリしたわね。あの女、貴方に気があるのよ。間違いないかしら』「お前の勘違いだよ! あったとしても、友情ってレベルだろ」『あ~ぁ、ホントに救いようのないボクネンジンかしら』皮肉めいた溜息を漏らす金糸雀でしたが、その口調には呆れた感じはなく、それどころか、嬉しそうな響きを宿しておりました。『でも……カナはね、そんなジュンが好きよ。 鈍感で、純朴で――頼りないけど優しくて……そばに居て安心できる、貴方が。 だ・か・らぁ、カナも、ジュンを影ながら支えてあげるかしら。 これからもずっと、一緒に暮らしましょ♪ 浮気なんて、させないかしらっ』ジュンは、たかが幽霊に翻弄されっぱなしの自分を、情けなく思いました。そして、きっと金糸雀にひと泡ふかせてやるぞ……と、ココロに誓ったのです。
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