『笑ってはいけないオーベルテューレ』 1
「なんで私はこんなところまで呼び出されなくてはいけないわけ?」「そんなこと言われても……僕に言っても仕方ないと思うけど……」 ほぼブチ切れ寸前の真紅に僕はただそんな返事を返すのが精一杯だった。 正直この僕自身も、彼女が僕と真紅をなぜこんなところに呼び出したのか、その意図が分かっていない。 僕らの乗っている列車は軽快なディーゼルエンジンの音を立てながら、山奥の渓谷をいくつもの鉄橋で越えていく。 さすがに晩秋ということもあり、周囲の山の木々には葉を散らし、いつ雪が降ってもおかしくない状態である。 やがて長いトンネルに入ったかと思うと、大きなカーブを越えて、駅をひとつ通り過ぎる。 ふと車窓を横切る駅名を示す看板に目をやった。 『ひだいちのみや』と書かれた文字がはっきりと目に入る。 しかし、なんでこんなところに呼び出したのだろうね。 なんていうか、岐阜県の飛騨地方だなんて……。 その張本人の意図がまったく分からない。「……みっちゃん……お着替えはもうお腹いっぱいかしらー……」「……アッガイ、キタコレ……」 僕らの後ろの席では金糸雀と薔薇水晶が夢の世界を楽しんでいた。 ていうより、爆睡していた。 どんな夢を見ているかは知ったこっちゃないけど、なんとまあ能天気なことで。
名古屋からこの特急列車に乗ったわけだけど、美濃太田を出たあたりからずっとこの調子である。 後ろで夢の世界に入り浸っている二人は放っておいて、僕と真紅は車窓の眺めをのんびりと楽しんでいた。 日本ライン、飛水峡、下呂温泉とこの列車の沿線には、結構あきさせない風景が次々と広がる。真紅にいたっては紅茶を啜りながら堪能していたわけだが……。 彼女の表情から眉間の皴が消えることはなかった。「絶対に何かありそうな予感がしてならないわ」 事あるごとにそうつぶやく彼女。 やはりこの旅になにかしらの疑念を抱いているのだろう。 まあ、そんなことは気にせず、肩肘を張らずに旅を楽しもうよ、と言いたいところなのだが……僕自身もやはりそんな疑念は否定できない。 なにせ、この旅に誘った張本人が張本人なのだから……。 本当、何を考えているんだろうね……水銀燈。 そんなことを思っているうちに、町の風景が車窓に広がる。 どうやら目的地までもうすぐのようだ。 それを示すかのように列車の到着を告げるアナウンスが車内に響く。「そろそろ着くわね。この子達も起こさなきゃ」「そうだね」 僕と真紅は網棚に載せていた荷物を降ろして、後部座席でいまだに眠っている金糸雀と薔薇水晶をたたき起こした。
「眠たいのかしら……」「ちぇっ……いいとこだったのに……」 本当、何の夢を見ていたのかと薔薇水晶に突っ込みたい衝動を何とか抑える。そうしながら、荷物を手にして、寝ぼけ眼の彼女らの手を引きながら、僕らは列車を降りた。「寒いわね」「……ほんとだね」 ホームに下りた途端、強烈な北風が容赦なく吹き付けてくる。 冬は本当に厳しいのだろうと思いながら、身にしみるほどの凍える風を身に受けながら、改札口のほうへと歩き出す。「ううっ……寒いかしら……」「……風邪ひいちゃうよ……」 まどろんでいた金糸雀と薔薇水晶も、すっかりこの寒さで目が覚めたのか、体を小刻みに震えさせていた。「本当に遠くまで来たものね。一体何のつもりなのかしら、水銀燈」 真紅はふと真上にある駅名の看板を見上げていた。『たかやま』 駅名看板にあるとおり、岐阜県高山市はJR高山駅。 飛騨の小京都として有名な、この山奥の街に招待して何をするつもりなのかと勘ぐってしまう。
改札口に近づいたあたりで、どこからかクラッシック音楽のメロディーが流れ出す。「誰なの、一体……」 真紅が懐から携帯を取り出す。けたたましく鳴る音楽は彼女の携帯が発していたものだった。「水銀燈?」 携帯のディスプレイに出た文字を見たとたんに、真紅の顔が険しくなる。「もしもし……何ですって?ふざけないで……罰ゲームですって? 何のつもりよ、貴女!」 電話での会話が進むにつれて、真紅はますます不機嫌になっていく。「罰ゲームって何なのかしらー?カナはそんなことされる覚えはないのかしらー?」 その会話の内容を耳にしていた金糸雀が急におびえだす。 僕も同じ気持ちだ。 彼女に罰ゲームを執行されるいわれなんてない……。「いや、あると思うよ……ほら、この間やったジュンの新作の……オーベルテューレの格闘の結果……」 薔薇水晶はいつものように無表情でそんなことを言い出す。 オーベルテューレの格闘…… そうだった、思い出した。
つい3週間ほど前に、人気のネットゲームでオーベルテューレという、昔のロンドンを舞台に8体のアンティークドールが戦う格闘ゲームをやったのだ。 登場する人形の設定も僕らに酷似していて、最初は不気味に思ったけど、大学の友人に薦められてやりだしたのだった。(もっとも、これの原作者はジュン君だったわけで。何のことはない、過去に作った人形格闘ゲームをバージョンアップさせただけのものだったが。当然、そのことを知ると同時にジュン君をフクロにして、肖像権の侵害と称して売り上げの8割を没収したのだけど) そうこうしているうちに、いきなり薔薇水晶が僕と真紅、水銀燈に金糸雀の5人で同時対戦をやろうと言い出してきたのだった。 もっとも、僕は正直乗り気ではなかった。 前作では薔薇水晶は全国上位ランクの腕前で、また彼女の一人勝ちに終わるだろうと思っていた。 それで、また過酷な罰ゲームをやらされるのだろうなって思っていたのだ。 しかし……勝負はやってみないとわからないものであると思い知らされた。 勝負が始まるや否や……水銀燈が薔薇水晶に奇襲攻撃を仕掛けたのだった。 不意を突かれる形になった薔薇水晶はなんと9秒でKO負け。 ひょっとしたら……勝てるかも……。 そんな期待が顔をのぞかせた。 もっとも、それはたった1秒で粉砕されたけど!
勢いに乗った水銀燈は、次のターゲットを僕に定めて、すかさず黒い羽の嵐をお見舞いしてきたのだった。それに僕が油断してしまったのを彼女が見逃すわけが無く、すかさず剣で串刺し……6秒でKO負けだった。 僕の後ろで潜んでいた金糸雀も……多分、楽してズルして一人勝ちなんていうぬるい考えで奇襲を仕掛けようとしていたらしいが……水銀燈の剣の舞に巻き込まれて、5秒でKO負け。 世の中はそんなに甘くないよ。 最後には真紅と水銀燈の一騎打ちになったのだが……あろうことか、真紅は「ジャンクのくせに!」なんてことを言い出した。 おいおい、最強の禁句を言ってどうするんだい。 真紅からしてみたら、彼女を感情的にさせて、かく乱させるつもりでいったのかもしれないが、正直それは逆効果だった。 水銀燈はおかげでヒートアップしてしまい、すかさず連続コンボの嵐をお見舞いさせて……7秒でKO勝ち……。 なんとまあ、1分以内でカタがついた勝負だった。「負けた貴女たちジャンクにお似合いの罰ゲームを用意しておくわぁ」 なんて息巻いていたけど……まさかこの旅だったとはね……。「最低だわ……」 真紅は電話を切ると、大きくため息をついた。 そして……静かに口を開く。
「この旅は……水銀燈が仕掛けた罰ゲームだわ。この間のオーベルテューレで負けた罰ゲームよ。 とにかく……改札を出てから翌日の午前10時まで……何があっても絶対に笑ってはいけないってやつよ。万が一笑ったら……キツいお仕置きが待ってるというわ……」「……春に……私が仕掛けたやつと一緒だね……」 過去に同じ事を僕らに仕掛けただけあって、薔薇水晶も十分趣旨が分かっているようだ。「薔薇水晶。なんでも、貴女が仕掛けたやつよりもはるかに強烈なやつを仕掛けたって、大笑いしてたわよ。題して『笑ってはいけないオーベルテューレin飛騨高山』ですって! ふざけているにもほどがあるわ!」 怒り心頭といった様子で怒鳴りつける真紅。「蒼星石……それ、ひょっとしたら元ネタはガキの使いの、あの有名な罰ゲームかしら?」 金糸雀も内容は想像がついているんだね。「そのとおりだよ。君もそれ見たことがあるのかい?」「もちろんかしら!みっちゃんが全シリーズのDVDを持っていて、何回か見ているけど、いつ見ても大笑いかしら……ていうか、本家では浜ちゃんがドSっぷり全開だったけど、水銀燈もかなりドSだから、容赦ないのかしら~!?」「言われなくても分かっているよ」 僕はこの先に繰り広げられるであろう事態に、大きくため息をつく。 やがて、改札口にまで辿りつく。 この時期、観光という時期ではないが、それでも多くの人で賑わっていた。「ここからは……気合入れていくわよ」 真紅の呼びかけに僕らは無言でうなずく。 そして……ゆっくりと改札を抜けたのだった。
「……ゲームスタート……だね……」 薔薇水晶はぼんやりと改札の外の待合室を眺めていた。「看板とかは特に何の変哲もないわね」 真紅もかなり用心しながら周囲のものを眺め回していた。「で、改札を出たらどうしろっていわれているんだい?」 僕はふと思っていた疑問を口にした。 そう、この先何処へ行けという指示などは一切聞いていない。「とにかく、駅前の広場にある『さるぼぼ』のオブジェの前で待てということよ。そこで、迎えの車が待っているみたいだわ。って、さるぼぼって何か分からないけど……」「これのことじゃない?」 僕は手近にあった土産物売り場にある、キーホルダーを指差す。 黒い頭巾に、『ひだ』と書かれた黒い腹掛けを付けた、万歳をしている赤い人形。 確か、飛騨の方言で猿の赤ん坊の事を指し、災厄退散や家内安全を祈る縁起物で、お守りとして使われていると聞いたことがある。 きっと真紅の言う、さるぼぼのオブジェもこんなものだろうと、あたりを見回すと……。「綺麗は汚い!汚いは綺麗!」 聞き覚えのある、意味不明な内容の絶叫。 思わず、その方向を振り返ると……!! さるぼぼに扮した等身大の兎が絶叫していました……と。 『トリビュアル!』なんて書かれた腹掛けまでして。 ……てか、何やってるんだよ!ラプラス!!
もちろん、思わず笑ってしまったが!「な、何なのかしら~!!きゃはは!!」 金糸雀も腹を抱えて笑ってしまっていた。「金糸雀、蒼星石、アウトぉ!」 何処からともなく聞こえる水銀燈の宣告。 同時に周囲から黒服の男達が僕らを取り囲んで……。 ま、まさか……。 そう思っているうちに男たちは僕と金糸雀を押さえつける。「な、なにするのかしら~!」 うろたえる金糸雀。必死に抵抗するも、まったく意味なし。 パンッ、パンッ! 小気味の良い音が周囲に響き渡る。「痛いよ!」「痛いかしら!」 なんと、彼らはハエ叩きで僕と金糸雀の尻を引っ叩いたのだった! 痛さで思わず走り回ってしまう。 容赦がないよ、これ!こんなのが続くわけ!? 本当に先が思いやられるよ……思うだけで憂鬱になるのだった。
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