3回目
1947.4.18真夜中の廃墟に漂う、一触即発の気配。知らず、真紅は息を潜めていた。注意深く、物陰を見回していくと……潜んでいる人影が複数、確認できる。服装は統一されておらず、正規軍でないことは明らかだ。つい最近になって、レジスタンスの一団が流れてきて、住み着いたのだろうか。「……攻撃してこないわねぇ。ホントに囲まれてるのぉ?」焦れた水銀燈が、真紅の隣に上がってきて、むりやり頭を並べてくる。ただでさえ狭いキューポラは、互いの息がかかるくらい窮屈な空間となった。真紅は頬をくすぐる彼女の吐息に耳を染め、不平を言おうとしたものの、ぐっと堪えて顎をしゃくった。示された方角のペリスコープを覗いた水銀燈は「あらぁ」と、暢気に呟いた。「思いっ切り、パンツァーシュレッケで狙われてるじゃなぁい」「こちらが抵抗の素振りを見せないから、様子を見ているんでしょうね。 ちょっとでも砲塔を旋回させようものなら、直ぐにロケット弾が飛んでくる筈よ」「様子を見るくらいだから、好戦的で無秩序な部隊じゃないみたいだね。 試しに、ボクが白旗を掲げて出てみようか?」「待ちなさい、蒼星石」静かに、だが強い語調で、真紅は装填手用ハッチに指を掛ける蒼星石を引き留めた。「車長は私よ。どうするのかは、私が考え、決めることだわ」
言って、襟元に巻いていた真っ白い絹のスカーフを外し、水銀燈の瞳を見つめた。「私に、もしもの事があった時には…………みんなを頼むわね、水銀燈」「はぁ? いきなり、なに言い出すかと思えば、バカじゃなぁい? もしも……だなんて危ぶむくらいなら、最初っから、私に任せておきなさいよ。 おばかさんの真紅よりは、よっぽど巧く交渉でき――」「いいから、下がっていなさい。これは命令よ」有無を言わせぬセリフでありながら、あくまで穏やかに……。負けず嫌いの水銀燈は、更に食い下がろうとしたが、結局、渋々とキューポラを降りた。ここで言い争っていても埒があかないことは、彼女とて承知している。そして、真紅が時に我を曲げない強情さを発揮することも、理解していた。「ありがとう、水銀燈」「……ふん。おばかさんの真紅なんか、のこのこ出てって、撃たれちゃえばいいのよ」「貴女に心配してもらえるなんて、嬉しいわね」笑顔を返して、真紅は砲塔の上に誰も乗っていないことを確かめた。もし外に襲撃者が居て、ハッチを開けた途端に手榴弾を投げ込まれたら、一巻の終わりだ。だが、幸いにも近接している者は皆無だった。真紅はハッチのロックを外して、襲撃者たちを刺激しないよう、ゆっくりと押し上げていった。その段階ではまだ、無防備に頭を出したりしない。用心のため、利き腕とは反対の手でスカーフの端を摘み、ハッチの外に伸ばした。撃たれるかも知れない。激しい動悸に見舞われながら、恐る恐る……ゆっくりと振ってみる。
反応は、何もなかった。銃弾どころか、人の声すら飛んでこない。意を決した真紅は、慣れた身のこなしでハッチを擦り抜け、砲塔の上に立ち上がった。雨上がりの湿気った夜風に、金色の糸束がたゆたう。物怖じしない彼女の態度は、言い知れぬ威圧的を放っており、襲撃者たちを少なからず畏縮させた。けれど、怖いのは真紅とて同じ。堂々と振る舞っていても、いつ何処から撃たれるか分からない恐怖で、両脚が小刻みに震えている。僅かでも気を抜けば、膝がカクンと折れてしまいそうなほどに。真紅は自らを奮い立たせるため、悟られないように深呼吸して……凛とした眼差しを、廃墟に潜む者たちへと走らせた。「何者なの! 姿を見せなさい!」静寂を破って、夜闇に谺する真紅の声。気を張っていたつもりだったが、少しだけ語尾が震えていた。それを虚勢と見抜かれたのか、廃墟の中から応える声は無い。やはり徹底抗戦しかないの?真紅が胸の内で呟くのと同時に、黒髪を逆立たせた青年が、ティーガーⅢの前に立ちはだかった。わりと小柄な体躯で、やけに額の広い男だ。手に武器は携えていないが、眼光鋭く真紅を睨みながら、歩み寄ってくる。車内では、金糸雀が前面機銃の銃座に就いて、いつでも撃てる体勢に入っていた。異様な緊迫感が漂う中、青年がゆっくりと右腕を上げた。「攻撃は中止だ」
その一言で、肌を刺し、身を斬るほどに張り詰めていた殺気が、雲散霧消していく。あのパンツァーシュレッケを構えていた少年も、緊張の糸が切れたように惚けた顔をしていた。顔を突き合わせて、初めて気付いたのだが、その少年はメガネを掛けていて、どこか臆病な印象を、見る者に抱かせる存在だった。(東洋系の顔つきだわ。日本人……かしらね)真紅に、じっと見つめられていると察した彼は、気まずそうに顔を背けた。他人との付き合いが、あまり上手ではないようだ。「すまなかったな。見慣れないシルエットだったから、敵の新型戦車かと思ったぜ。 まあ、こんな深夜に単独で移動してるんだから、自業自得と言ってもいいな。 夜間にありがちな不慮の事故さ。死人が出なかっただけマシだろ?」車体の方から届いた声に、真紅は我に返った。振り向くと、リーダー格の青年が腰に両手を当てて彼女を見上げ、ニヤニヤしている。いかにも自分たちには否がないという口振りに、真紅の神経が逆撫でされた。「べらべらと、おしゃべりな男ね。あなたは何者? 名乗りなさい」「こりゃまた……随分と気の強ぇ嬢ちゃんだな」青年は人を食った態度で肩を竦め、くっくっ……と含み笑った。そうやって相手を逆上させ、心理的な優位を得ようという企みだろう。思惑どおりに踊ってやる義理もない。真紅は腕組みして、青年を冷ややかに見下ろした。「男の多弁は品位に欠けるわ。無駄口を叩く暇があるのなら、履帯の修理を手伝ってちょうだい」
「ふぅん……良家のお嬢様って感じなのに、いい度胸してるな、あんた」包囲され、相手の気分ひとつで生死が決まる立場に置かれながら、少しも動揺を見せない真紅を見遣って、青年の口元から薄ら笑いが消えた。「俺の名はベジータだ。この寄せ集め部隊の隊長を務めてる。で、こいつが――」ベジータと名乗った青年は、廃墟の中から歩いてきた人物を……あのメガネを掛けた気弱そうな少年へと向き直って、がっしりと肩を組んだ。「俺の相棒さ。日本人でな、俺たち仲間内じゃあ、ジュンって呼んでる。 手先の器用な奴だから、武器の手入れなんかをしてもらってるんだ。 履帯の交換は、こいつに手伝ってもらうといい」「解ったわ。そうそう……名乗り遅れたけれど、私は真紅。ティーガーⅢの車長よ。 私の仲間たちも紹介しておかないとね。貴女たち、大丈夫だから、出てきなさい」真紅は砲塔から車体を経て、身軽に地に降り立つと、車内の娘たちに呼びかけた。真っ先に顔を覗かせた水銀燈が、するりと砲塔の上に飛びあがって伸びをする。夜の静けさもあって、彼女の背中が鳴る音が、やけにハッキリ聞こえた。「あ~ぁ。戦車の中って窮屈だから、身体中の関節が軋んで痛いわぁ」などと軽口を叩きながらも、続いて出てくる金糸雀と翠星石に、手を貸す気遣いも忘れない。勝手気ままな性格の彼女だけれど、面倒見のいい一面も併せ持っている。もっとも、親切に振る舞うこと自体、気まぐれの産物なのだが。
そんな彼女たちの逞しさに、ベジータとジュンは感嘆の念を覚えていた。試作型とはいえ最新鋭の重戦車を操り、48両も敵の戦車を撃破してきた勇士たちが、こんなうら若い乙女だなんて、誰が想像しようか。「驚いたな。搭乗者は全員、女の子なのかよ。大したもんだと思わないか、ジュン」「意外にアタマ固いのな、お前。こんな時代だ。能力さえあれば、男も女もないだろ」「それもそうか。お前の同僚も、彼の工房で働いてるんだからな」「ああ……久しぶりに会いたいよ。元気でいると良いんだけど」娘たちの様子を眺めつつ、言葉を交わしていた彼らだったが、最後にひょいと躍り出た蒼星石を目にするや、雷に撃たれたように背を伸ばし、絶句した。まぬけに口を半開きにして、一見すると少年にも見える娘に、異様な視線を送っている。奇妙な気配に気付いた真紅は、蒼星石を庇おうとして、彼らの視界に割って入った。「乙女の姿を舐めるように見回すなんて……想像以上に下劣な連中ね」「う……じ、じゃあ、後のことは任せたからな、ジュンっ!」「なっ?! そりゃないだろっ」言葉を濁して、早々に立ち去るベジータ。独り残されたジュンにすれば、針の筵もいいところだ。しかも、気まずい雰囲気を嗅ぎつけた水銀燈が加わったから、事態は悪化するばかり。最後には、五人の娘に囲まれ、危うく濡れ衣を着せられそうになって――「だぁーっ! お前ら、うるさーいっ! さっさとキャタピラ直んだろっ」修理の二文字を楯に取って、茶を濁すほかなかった。
幸いなことに、地雷による損傷は、転輪にまで及んでいなかった。その為、砲塔脇のラックに下げていた予備の履帯を交換しただけで修理は完了した。所要時間は、およそ1時間。それでも、作戦行動中にあっては重大な遅れだ。全体で見れば、たった1両の遅滞。だが、この鋼鉄の獣は、戦局を一変させるだけの破壊力を持っている。それだけに、遅れは許されない。他の娘たちが、車内に戻って出発前の点検を行っている間、真紅とジュンは並んで、闇に溶け込んだティーガーⅢの車体を見上げていた。お互い、何を話していいのか分からず、黙ったまま佇んでいると――「よお、お疲れさん。案外、早く終わったな」いつもの薄ら笑いを浮かべて、ベジータが温かいコーヒーを入れたカップを手に歩いてきた。「まあ、飲めよ」と差し出されたカップを、ジュンは礼を言って受け取り、啜った。だが、真紅は険しい目をしたまま、受け取ろうとしない。仕方なく、ベジータは苦笑いながら腕を引いて、自分の口に運んだ。そんな彼を横目に見ながら、ジュンは思い詰めた顔をして、真紅に話しかけた。「そんな目で、こいつを見ないでやってくれよ。あれには理由が――」「おい! ジュン」語気強く、話を断ち切ったのは、ベジータの声。「余計なコトは喋るんじゃねえ」「だけどな、ベジータ」「俺の事なんか、どうでもいいんだよ。それより……折り入って、あんたに頼みがある」
真剣な表情のベジータに気を呑まれて、真紅は身を強張らせた。一体、頼みとは何なのだろう。聞いてみないことには、可否することも出来ない。彼女は、ひとつ頷く。それは――話を聞いてあげるという合図。ベジータは、心持ち、表情を和らげた。「恩に着るぜ。頼みというのは、あんたらと同道させてくれってことさ。 俺たち三十数人は、とある場所を目指してるんだが、なにぶんにも脆弱でな。 敵の戦車部隊に出くわしたら、殆ど対抗手段がないんだ」彼らが保有する対戦車兵器パンツァーシュレッケは、有効射程が150m程度。対して、敵の戦車は1000m離れた場所からでも砲弾を撃ってくる。これでは、最初から勝負にならない。「俺たちが随伴することは、あんたらにだってメリットがあるだろ」「……そうね」ちょっとだけ考え込んで、真紅は返答した。歩兵の援護は、戦車兵にとって心強い。「事情は解ったわ。同行したいのならば、勝手になさい。 私たちは上からの命令に従って、ワルシャワに向かうわ。それでも良ければ、だけれど」「充分だ。俺たちの目的地は、その途中にあるからな」ベジータは、ニヤリとジュンに笑いかけて、コーヒーを呷った。ジュンも、嬉しそうにはにかみ、カップを唇に運ぶ。「これで、先生の工房に辿り着けそうだな。久々に、あいつにも会えるんだ」
先生――それに、あいつ……とは、何者なのだろう?ジュンの態度から推測すると、かなり親しげな人物らしい。なんとなく女の直感を刺激された真紅は、興味本位で、ジュンに訊ねてみた。「ねえ……先生って?」「真紅が知ってるかは分からないけど、エンジュって人だよ。まだ若いのに、すごい技術者でさぁ。 その人の所でジェット技術を学ぶため、僕はもう一人の同僚と、日本から来たんだ」「んで、俺たちはエンジュが率いている反抗組織と合流するために、 彼の地下工房を目指していたのさ」ジュンとベジータは、その後も色々と話し続けていたが、真紅は理解していなかった。突如として飛び出した名詞を聞くなり、彼女の思考は真っ白になっていたのだ。 エンジュ―― 槐――それは、かつて父の元で新たなエネルギーについて研究していた人物を表す言葉。ずっと昔、彼女が実の兄のように慕っていた青年の名前であり、父ローゼンの失踪と時を同じくして、行方を暗ました男の呼称であった。
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