『約束の場所へ』 後編④
私は、夢の中で戻り得ぬ記憶を辿る能力を、この身に宿して生まれた。そして今、望んだわけでもないのに、因縁の端緒とも言うべき、この場所に放り込まれている。此処は想像以上に凄惨な舞台で――私の心は、衝撃に打ちのめされていた。「薔薇水晶が…………夢占の巫女の守護……霊獣?」守護霊獣って何? あの人型の腫瘍は、何なの? なにもかも、得体の知れないことだらけ。ただひとつ、私にも解るのは、アレが薔薇水晶を苦しめてるってこと。私は涙を拭って、薔薇水晶の胸に浮き上がった腫瘍を凝視した。あんな奇怪なもの、見たことが無――――いいえ。なんとなく、見憶えがある。いつ? どこで? 一所懸命に記憶を辿った。そして、思い出した。屋敷の庭木から、私の肩に落ちてきた白蛇が、人型に切り抜いた紙片に噛み付いた光景を。どこからともなく降ってきた、あの形代こそ……腫瘍のカタチと酷似していた。でも……まさか、そんなこと……が?自分の発想を疑った。けれど、様々な因子を結びつけると、それ以外の結論は考えられない。苦悶にあえぐ薔薇水晶を見つめながら戸惑っていると、慈雲が私の考えを肯定してくれた。「どうやら気付いたようだな。君は産まれたときから、そこの守護霊獣に護られ続けてきたんだ。 今でこそ小娘の形をしているが、実際は――」「や、やめ……て。言……わな……いで」息も絶え絶えになりながらも、薔薇水晶は慈雲の言葉を遮ろうとする。健気ですらある彼女の態度を、しかし、慈雲は嘲りながら踏みにじった。「白蛇の化身なんだよ。護るべき者の従者に片目を潰された、間抜けなヤツさ」薔薇水晶は悔しそうに唇を噛み締めて慈雲を睨み付けると、がっくりと項垂れ、膝から頽れた。慈雲は、何もできない私に背を向け、薔薇水晶の前へと歩み寄った。侮られた……。屈辱のあまり、顔や耳が、かぁっと熱を帯びる。なのに、私は、何も出来ない。「夢占の巫女に近付こうとする度に邪魔をする忌々しいヤツだったけど、 こうなると、なかなか可愛いもんだな」右手で彼女の顎を掴んで、グイと上を向かせる。そして、憎々しげに睨み付けてくる薔薇水晶の顔を、舐めるように眺め回した。「巫女に取り憑かせるべく放った傀儡の術を、お前が呑み込むとは想定外だったよ。 大方、僕の術を吸収して、力を増そうと目論んだのだろう? けど……儚い願いだったな。お前では力不足で、結局は僕の術に呑み込まれただけだし」「くぅ! ま…………まだ……よ」荒い呼吸を繰り返しながら、薔薇水晶は傀儡の腫瘍を鷲掴みにして言った。自らの意志で言葉を発することで、少しでも慈雲の術に抗おうとしているのだろう。彼女の執念を目の当たりにして、慈雲の表情から嘲笑が消えた。「私は、まだ……自分の…………意、志で……動ける」「頑張るのよ、薔薇水晶! そんな奴に負けないで!」見ているだけなんて出来なかった。堪らず、私は彼女に呼びかけていた。護ってもらいたかったからと言うよりは、彼女まで慈雲に奪われたくなかったからだ。薔薇水晶は私に琥珀色の瞳を向けて――――微かに笑った。「……私は、あの娘を護るっ!」決然と叫んで立ち上がった彼女は、慈雲に飛びかかって、しがみついた。薔薇水晶の身体を中心にして、薄紫色の光が広がり始めた。その光は見る間に彼女と慈雲を呑み込み、輝きを増していく。あまりの眩さに耐えきれなくなり、私は袖で顔を覆った。一体、何が起きているの? 薔薇水晶は、何をしようとしているの?「こいつっ!? 正気かっ! そんな事をすれば、お前も――」「構わないっ! だって、それが私の存在意義なんだから!」「くそっ! 放せ、このっ!」「もう手放さないわ。貴方は、私と共に――――」慈雲の狼狽えた声と、薔薇水晶の冷めた声が、言い争っている。だが、肝心な箇所が聞こえなかった。もう、眩しいなんて言っていられない。私は腕を降ろして、声を限りに訊いた。「薔薇水晶っ! 貴女、何を考えてるの? どうしようって言うの?!」その問いに返ってきたのは、薔薇水晶の寂しげな微笑だけだった。一瞬、薄紫の光が大きく膨らんだ直後、光は消え…………二人の姿も消えていた。首筋にかかる息遣いを感じて、私は大きく息を呑んだ。薔薇水晶が愛用しているフレグランスの甘い香りが、私の鼻腔をくすぐった。こんな状況で、私は寝入っていたらしい。一体、どれだけ眠っていたの?!「……やあ。お目覚めかい、眠り姫さん」愉快そうな、それでいて嘲るような桜田ジュンの声が、私の鼓膜を震わせる。目の前では私の左手と、彼の右手が、今まさに重なり合おうとしていた。左手の指輪が、稲妻に照らされて鈍く輝く。私は胸の中で、水銀燈の名前を連呼していた。
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