あなたにとどけ
暗闇の中でジュンが立っている。彼はただじっと、水銀燈を見つめている。だが水銀燈には、ジュンがなにを言いたいのか伝わってきた。(ねえ・・・どうして生きてるの)それは・・・あなたのおかげ。(なんで・・・水銀燈じゃなくて・・・僕なの)わからない・・・。(とても・・・痛かった。心臓がえぐられて)わからない・・・。(まだ・・・死にたくなかった)・・・(まだ・・・生きていたかった)・・・・・・(それなのに、君は・・・)
のうのうと生きていて!自分の心臓が、ジュンの顔になり、叫ばれた。
「は!」水銀燈は飛び起きた。額に手をあてるとびっしょりと汗をかいていた。大きく呼吸をする。(また・・・)「どうしたの・・・お姉さま。ひどい、汗」「ううん。なんでもないのよ。薔薇水晶」水銀燈は目を合わせずに手で汗を拭う。「・・・男の人ね。だってうなされながら言ってたもの」水銀燈は無言のまま、制服に着替える。「私の目を見て!お姉さま!」言われて、薔薇水晶の目を見る。(僕の目を見て・・・水銀燈)「どうして!?どうして私を見てくれないの!?」(ちゃんと僕を見てよ)「どうしてキスだけなの!?私はこんなにもお姉さまのことが好きなのに!私は体をすべてお姉さまに差し出しているのに!どうしてお預けなの!?」(キス・・・以上はだめかな?)「嫌!!」水銀燈は頭を抱えた。「言わないで・・・それ以上・・・お願い」薔薇水晶の言葉が、ジュンの心の声に聞こえて・・・。涙が、口に入った。
「拒絶反応ですね。まあ薬でも出しときましょう」
術後三ヶ月。初めて拒絶反応が出た。今まで馴染んでいたのが不思議なくらいで。しかし水銀燈は薬を服用しなかった。薬を使うと、ジュンを力で飼いならすように思えて。薬を使うと、ジュンを否定するように思えて。胸の痛みが水銀燈を悩ますようになって。
気がつくと水銀燈はジュンの墓の前に来ていた。四十九日はとうに終わり、彼岸の時期でもない。墓に添えてある花はとうに生気を失い、線香の灰も風に吹かれて消えていた。風が強い日が続いたのか、墓石には砂埃が付着していた。水銀燈は手で埃を払う。「ねえ・・・ジュン。最近、胸が痛いの。どうしてかな?・・・やっぱり、怒ってる?勝手に・・・あなたの心臓を戴いて私、あなたが鼓動をやめるまで、生きていたいっていったのは、身勝手なのかな・・・。でも・・・もし、今がその時なら・・・それも仕方ないかなって思ってるの」いくら水銀燈が話かけても、返事はない。水銀燈は膝をついて、墓石を掴んだ。「ジュン!私、酷い女なんだよ・・・。ジュンがいなくなって、そのまま、ジュンの後釜に納まったんだよ?あなたの周りに居た友達を奪った気がする。ジュンの強い心を奪った気がする・・・。謝りたい、謝りたいのにあなたには届かなくて・・・。お願い・・・私、生きたいの。生きていたいの・・・。誰かを好きになって、恋をして、愛に変わって、セックスして・・・子供を産んで・・・。でもそれはあなたが良かった。あなたを好きだという気持ちを伝えたかった。あなたに伝えたい。ただそれだけなのに、それなのに、夢に出てくるあなたはなにも言わないで・・・哀しい目で見てるだけなんて・・・そんなの・・・辛すぎるよ」水銀燈は、墓石に寄りかかる。「あなたから貰った心が・・・こんなにも痛いのに!」
――昼休み。水銀燈は双子からの食事の申し出を断って、ただ、なんとなく、校舎をぶらついていた。机を寄せ合って、弁当を並べる。男女仲良く、一緒の席で食事を取る。食後に校庭や体育館で運動をする。でも、今の自分にはそんなことはできないと。思いを巡らせていた。なんとなく、屋上に足を向ける。ヴァイオリンの音色がした。いい音だった。奏者の感情がこもり、それだけで生きている音色がした。水銀燈が聴いていることに気がついた奏者は演奏を止めた。「ご、ごめんなさい・・・すぐに出て行くわ」水銀燈は回れ右をした。「ちょっと待つかしら」水銀燈の足が止まる。「アナタ。水銀燈かしら?」「なんで知ってるの?」「あなた、有名人かしら。付き合っていた男の人の心臓を奪って、のうのうと生きて、その人の友達と付き合って、入院したらそれっきりで、それで、カナの友達の薔薇水晶を弄んだ酷い女かしら」「・・・すべて、事実よ」「でもきっと、『真実』ではないのかしら」「どうしてそう思うの?」「もし、アナタが話しに聞く酷い女なら、そんなに思いつめた表情はしないかしら。アナタが薔薇水晶にしたことは酷いけど、同性愛者のあの子にはいい薬になったから、カナはそんなに怒ってはないかしら」「・・・そう。だいたい当たってるわ。死んだ彼のことが頭から離れないの。・・・ふふ、こんなことあなたに言っても仕方ないのにね」水銀燈は鼻で笑う。「アナタ。歌は歌えるかしら?」「え?」「悩みごとがあったら、その思いを歌にするといいかしら。カナが演奏してあげるかしら」水銀燈は少し、考え、ヴァイオリンの奏者に近づく。「名前。聞いてもいいかな?」「金糸雀かしら」「そう、金糸雀。じゃあお願い・・・」「任せるのかしら」金糸雀は構えなおすと、ヴァイオリンを弾き始めた。哀しい。それでいても芯のあるメロディ。自分の心を見透かされたようなメロディに水銀燈は目が覚めた気がした。
自分が、ジュンの墓でした告白は、自分を擁護する言葉だったのかもしれない。ジュンのことなど、見ていなかった。だから彼は哀しい目をしていたのかもしれない。自問自答を繰り返し、水銀燈は目をつぶる。大きく息を吸い込んだ。
『あなたが 私を見てくれていた 空気に溶けていた 私を あなただけが導いてくれた 孤独に沈んでしまいそうな 私を あなたと一緒に歩いた時間は 短くて あなたはいつの間にか いなくて 暗闇の中 探しても見つからない 叫んだけれど 返事はなかった。 一人で生きるのは とても辛いの 決心するのは勇気が必要だった。 もういないあなたに言いたいことがあるの あなたのことが好きだったの 二人一緒になるのは 叶わないけれど あなたのことを愛していた この気持ちだけは 本当なの この思い あなたにとどけ』
自然に涙が出ていた。ジュンとの思い出。辛いけど、もうジュンはいなくて。新しい誰かを好きにならなければいけない。演奏を止めた金糸雀も涙を流していた。乾いた風が涙を拭いた顔を通りこしていくと、痛かった。
『あなたにとどけ』 ~完~
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