ある暑い日のこと
「突然ですがババ抜き大会を始めます。」じりじり。夏の日差しが照りつけるのに逆らって冷房をガンガン効かせている僕の家。真紅が紅茶を飲み干して、かろん、とコップの中の氷を鳴らす。雛苺と金糸雀は寝ていた。おでこが、眩しい。その隣で翠星石と蒼星石は眠った二人をいじって遊んでいる。どこかほのぼのとした、初夏の休日のことだった。何と言うか、この空気の中でそんな発言をした水銀燈が少し変人に思えたのは気のせいじゃないと思う。「……いやだよ、めんどくさい。」だって暑いし、暑いし、暑いから。汗が吹き出る暑さじゃなくて、空気で感じる暑さなのだ。……自分で言っててよく分からなくなってきた。「そーですよぉ、こんな日はのんびりまったり過ごすのが一番ですぅ。」その通りだ翠星石。「僕はいいけど、トランプよりスポーツがいいなぁ……」雛苺の頬をぷにぷにとつつきながら蒼星石が言った。翠星石とお揃いのキャミソール姿の蒼星石はどこか新鮮だ。「……ジュン、アイスティーは無いの?」「無いよ。お前が飲んだので最後だ。」このお方は話を聞いていらっしゃるのでしょうか。反対二名、中庸一名、無視一名。つまりはノー。「……なんだか皆が老けて見えるわぁ。」確かに。今なら盆栽について老人と語り合える自信がある。知識はゼロだが。「この部屋は冷えすぎなのよぉ。もう少し適度に頭を使うかどうかしないと、ボケるわよ?」「……そんなこと言う水銀燈が一番年上くさいですぅ。」なんですってぇ、きゃー蒼星石ー怖いおばさんがぁ、同い年でしょうが!痛いですー、――あー、しっちゃかめっちゃか。「……で、結局することになるんだな、ババ抜き。」シャー・ナイネン。――そんなかんじの名前のアフリカの勇士(捏造)が頭に思い浮かんだ。なんて、寒いネタだろう。もしかして、僕ってボケ?「ビリが一位の言うことなんでも聞くんだよね?……引っかかったねジュン君。」「ああついまた端っこのカードをっ」「意外と弱いですぅ。」「くそっ、引かせてやる!」「ジュン、麦茶でもいいわ。早く持ってきて。」「自分でやってね!?それくらい!」「ふふ、この駆け引き。この駆け引きよぉ……たまんなぁい……」カオスだ。この部屋の中。「あがり、ですぅ。」暴君、もとい一位は翠星石に決定。んでもって、僕の手元にはディアヴォロ、もといババが。蒼星石が水銀燈から引いて、水銀燈が真紅から引いて、僕が真紅にババを引かせれば…!「あら、あがりね。」「アァァァァー!」真紅のアホ。今、手元の札はババ、3、Jの3枚。まだだ、ここで蒼星石から引いて1ペアでも揃えるんだ――!でも、右手でつまんだカードはKでした。ヒゲめ!「……で、結局僕がビリになるわけか……」「危なかったわぁ、あの時右のカードを選んでいたら……!」水銀燈さん。実行してくださいよ、それ。「ジュン、お水が温いわ。どうにかして。」冷やせ。「二位だったから、僕は十分だなぁ。」いい子だなぁ、ホント。「翠星石は一位ですから、ジュンを下僕にしてもいいんですよねぇ?」「……煮るなり、焼くなり好きにしろ。」翠星石はにやついていた。すこぶる嬉しそーだった。ジュン、この際コーヒーでもいいわ。 ねーよ。真紅の気だるげそうな声がこだまする。ティーバッグ(麦茶)は無闇矢鱈に揺らさないように。膝の上の翠星石の(主に臀部の)やわらかさには劣情(エロス)を堪えるのがここでのたしなみ。僕は椅子だ、僕は椅子だ、何も考えないただの椅子だ―――だって、そんな風に考えないと、血が溜まっちゃうし。棒に。ああ、でもやーらけーなぁ。髪の香りとかも薫ってくるし。ミニスカートから伸びる生脚もなんとも……「……ジュン君、やらしいこと考えてるでしょ。」「そんなことかんがえてるわけないじゃないかそーせーせきー。」無茶苦茶棒読みだった。「椅子に半端な知恵は無用ですぅ。」くそう、まさか誰かに使われるのがこんなに楽しいなんて思いもしなかった。僕はマゾの子だったのか……「……ん。」ごそ、と翠星石が腰の位置を手前にずらす。つまりは僕に背中を密着させる形になった。「暑い、です。」「ならくっ付くなよ。」「下僕は逆らわずに大人しくしとけ、ですぅ。」そう言って女王は僕の両腕を取って、前に回した。丁度脇腹の辺りに僕の上腕が当たる。触れた翠星石の身体は妙に細くて、思わず抱きしめたくなった。――まあ、実際は現在進行形で後から抱きしめてるんだけどさ。みんな黙りこくる。でも言いたいことは僕には分かる。みんな、こう思っているのだ。『翠星石空気嫁』と。「……じゃ、私帰るわ。」初めに席を発ったのは水銀燈。そういやなんで水銀燈は突然ババ抜き大会なんてモノをやろうとしたんだろう。……別にどーでもいーよね。この際。私も、カナも帰るかしらー、翠星石は帰ったら覚悟しといてね?……次々と帰っていった。「二人きり、ですか。」「そーみたい、だなぁ。」こち、こち。振り子時計の音。テーブルの側の椅子に翠星石を膝に乗せて座る僕。かすかな吐息が、聞こえただろうか。この位置から翠星石の顔は見えない。でも、はにかんでいる気がした。身体に触れている腕に、とくん、とくんと響く音があったから。「……ジュン。」「なんですかねぇゴシュジンサマ。」「あ、あの……ぎゅー、って、してくれますか?」なんてことはない。僕もきっとはにかんでいるのだろう。いや、間違いなく。「……はいはい。」ただ乗せられている腕に少しだけ力を入れる。キャミソールの生地と、それ越しの細くて柔らかい翠星石の身体を感じていた。「『してくれませんか?』なんて……僕は、下僕じゃなかったっけ。」「下僕ですよ?」即答かよ。「……ジュンは、えっちなこと考えてたですか?」「…………」「黙るな、です。」「…………」「堅くなってたの、バラしますよ?」「ごめんなさい考えてました……って分かってたんかい。」「……エロ魔人。」「誰のせーだっ!」……ダメだ。この状況が嬉しすぎる。心の底でニヤニヤが止まらない。「そんなエロいジュンにはお仕置きです~」くるりと回って翠星石がこっちを向いた。「おいっ」眼前にあいつの顔が迫る。「下僕は大人しくしとくですぅ。」こんなにも、こいつは可愛かっただろうか。思ったとおりに顔を薔薇色に染めて、艶やかな笑みを浮かべて。僕の名前を囁いて、まじまじと見つめてくるから、思わず目を瞑ってしまった。こつん、と額に何かがぶつかった。恐る恐る瞼を開くとついさっきよりも近くにある翠星石の顔。「期待してやがったですかぁ。やっぱりジュンはエロ魔人ですー♪」翠星石は、笑いながらそう言った。……少し、腹が立った。「期待してちゃ、悪いか?」「!?」僕も、軽く笑って言う。そんな反撃を喰らうとは思わなかったのか、翠星石の顔がみるみるうちに朱に染まる。「なっ、なにジュンの癖にキザなセリフを吐いてやがるですかっ!」「――へえ、人が思いの丈をこめてぶつけてセリフを、そんなに冷たく返すんだなぁ。」「……うぅぅ」唸る翠の子。やっぱ面白いわ。「……ジュン。」向かい合ったままの僕たちはそれがえらく恥ずかしい体勢であることに気付かない。多分、脳の中で変な液でも分泌されてるんだろう。「……キス、したいですか?」「今日は、あまりツンツンしてないよな、お前。」「ジュンッ!こっちが質問してるんだからちゃんと答え――!ん、んん……」塞いだ翠星石の口の中はとろとろとして、どこか甘かった。自分でも、今日の自分はおかしいと思う。普段なら出来るわけが無い。「ぷはぁ」「……ジュッ、ジュン!突然何を……」「不意打ち。」かつて僕がこいつ相手に主導権を握ったことがあっただろうか?……わりとあったりして。こうなったときの翠星石は脆い。周りに誰もいないという安心感が羞恥心を無くし、大胆にさせるのだ。ツンデレ万歳。「こーいうときは、不意打ちなんかじゃなくて、ちゃんとしやがれ、です……」「あー、そうか。……じゃあ、もう一回する?」膝の上の彼女がそっと僕の脇の下に腕を忍ばせる。今度はただ乗せただけの形じゃなくて、互いを、しっかりと結び付けあう形で。僕も手を翠星石の背中に回した。「大好きですよ、ジュン。」「愛してる、翠星石。」――これからどれだけこの言葉を囁きあうのだろう。そんな未来のことを考えて、そっと二人の唇を重ねた。「二人はらぶらぶなのねー」……そういえば君がいたね。目を擦る雛苺はのんきに僕たちを見ていた。もたれかかっているソファが申し訳程度に沈む。「な、な、チビ苺っ!いつから見てたですかっ!?」「『エロ魔人』からなの。」一回目か二回目かどっちだ、と僕は思った。「こ、このことは他のやつらには言うんじゃねーですよ!?」――ツンデレのアイデンティティが崩壊の兆しを見せ始めていた。「安心して、翠星石。真紅とかには言わないの。」「へ?」力が抜けた翠星石が間の抜けた返事を返す。でもなんでさ、雛苺。雛苺は人差し指を立て、チッチッと振っている。……なんか古いぞ、それ。「ヒナは、愛し合う二人を邪魔するほど野暮じゃないのよー。」そう言って、おしゃまなちびっ子は僕らにウィンクをした。ぴょこん、とソファから飛び降りて何も無かったかのように帰っていく雛苺。僕たちはお子様を見送ったあと、なんだか可笑しくなって、二人で笑った。ある夏の昼下がり。聳え立つ入道雲。なんてことのない、安穏とした暑い日のこと。
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