『最終電車にて』(その9・最終回)
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どうやら……私を乗っ取っていた亡霊は消えたようだった。 一瞬で起きた目の前の出来事を理解するのに多少の時間が掛かった。 心配して駆け寄ってくる蒼星石とオディール。「だ……大丈夫……」 そう声を掛けようとしたとき……
――痛い。
改めて左足の傷口をしげしげと眺めてみる。 太ももに引かれた赤い線。 そこから血が幾筋か垂れていた。 傷は浅いらしく、思い切り流れてはいなかった。 でも、痛いことには変わりない。
無我夢中でやったからね……。 重症になるかどうかなんて全く考えていなかった。
「とにかく動かないで」 ポケットからハンカチを取り出して、傷口を覆うようにして縛りつける蒼星石。「ご、ごめんね……」「いいよ。でも、結構無茶をするね」「そんなこと……言ってる場合じゃなかったよ……」 私はそこまで言ってかすかに笑った。 同じく蒼星石もくすりと笑みを返す。「巴……貴女は本当に強いわ。もし、あなたがあそこで打ち勝てなかったらどうなっていたか分からないわ」 オディールも心配そうに私を見つめながらも、時折笑みをこぼしていた。
「……よかったの……でも……ごめんなさいなの……」 雛苺も息も絶え絶えではあるものの、ドアにもたれかかりながら安心して私を見ていた。 でも、彼女だけ時折霞んで見えるような気がするのだが……。 傷のせいで意識がくらみかけているのかな?「……雛苺……?」 オディールは表情を一変させて、雛苺のほうにゆっくりと歩み寄った。 そして、そっと手を差し出して雛苺の手を掴もうとしていたのだが……オディールの手は雛苺の手をすり抜けたのが見えた。
――!!
私も思わず体を起こして、足を引きずりながらも雛苺のほうへと駆け寄る。 そして、頭を触ろうとしたが……私の手は彼女の頭に触れることなくそのまま空を切った。
「どうやら先ほどの争いで力を使い果たしてしまったようだね……もうすぐ彼女は……」 それを見ていた蒼星石がぽつりともらす。「どういうこと……?」 私は一抹の不安を覚えて蒼星石の顔を見つめた。 その疑問の答えは蒼星石が言う前に――雛苺自身が明かしてくれた――。
「ヒナね……もう……ここにいられないの……」
――!! 私とオディールは彼女の言葉に息を飲んだ。
「ずっとね……ヒナ寂しかったの……。トモエとオディールと遊びたかったの……。 真っ暗な中でずっと一人ぼっちだったの……。そしたらあのおばさんが……トモエとオディールに会わせてやるから言うとおりにしなさいって言ったの……。 他の人の精力を少しづつ吸い取って……物にも触れるようになったから……あげたいぬいぐるみやお菓子も一杯ある世界に連れて行ったら……永遠に遊べるって言ったから……でも……こんなことになって……ごめんなさいなの……」 雛苺は掠れた声で懸命に話す。 そうしているうちにも雛苺の姿は徐々に薄くなっていく。「……いい!話さなくていいよ!! 私は……私は雛苺と会えて……本当に嬉しいよ!」 彼女を何とか掴もうとしながらも、私は懸命に叫ぶ。「わ、私も……最初は信じられなかった。でも……貴女と会えて……本当によかった」 オディールも今にも泣きそうな顔で雛苺に語りかける。
「う、うゆ……ヒナ……嬉しいの……本当にありがとうなの……。 まだまだ一緒に遊びたかったけど……でも気にしてないの……。 今……ト……モエとオディ……ルとでい……るだけで……十分に満足なの……」 雛苺の話し方が徐々にぎこちなくなってきていた。 彼女がここにいられるのも時間の問題のようだった。 もっと……もっと雛苺と一緒にいたい……。 でも……それはこの状況から見ても……到底無理と言わざるを得ない。
ガタガタガタ!!
突然、車両が揺れ出したかと思うと、車内の照明が不規則に点滅し出した!! そして……すぐに揺れは収まり……窓の外には先ほどまでのリボンの壁は無く、コンクリート製の真っ暗なトンネルが映し出されていた。時折、壁の照明が横切るのが見える。
「……トモ……エ……オディ……ル……ほんと……うに……ごめん……なさ……い……ヒ……ヒナ……のこと……気にしないで……生きて……なの……そ……そうせ……いせき……も……おじさ……ん……ごめん……ねなの……トモエ……と……オ ディール……のこと……おねが……い……なの……」 もはや聞き取りづらい声で、この場にいる全員に声をかける雛苺。「分かったよ。安心して」 蒼星石は静かな声でゆっくりと頷いた。「この子らのことは確かに引き受けた。これで悔いなく逝けるのだな」 結菱さんの言葉に小さく頷く雛苺。「雛苺……」 行かないでと言いたかったのだが、私の口からはこれ以上言葉が出ない。「じゃ……あ……」 雛苺はもはやほぼ消滅しかかった姿で私とオディールの方を向き、ゆっくりと口を開けた。
「ばい……ば……い……なの……」
その言葉とともに……彼女の姿は…… ……消えてなくなった……完全に。
途端に……私の心の底から感情が一気に噴き出して。 目尻から熱いものが頬を伝って流れ落ちて。
「ひ、雛苺お~!!」 私は声の出る限り叫んだ。泣き叫んだ。「雛苺……ううっ……」 オディールも涙を流して、私に抱きついてきた。 私も彼女に抱きついて……泣いた。 ひたすら泣いた。
「どうやら……娑婆に戻ったようだな。霊力も完全になくなっている」 マスターは泣いている巴とオディールさんを見ながら、小さくもらした。 僕は特に返事をすることなく、巴に駆け寄って彼女をただ見つめることしか出来なかった。「……蒼星石。彼女達を心配する気持ちは分かるが、今はその場合ではない」「な、なぜ?」 マスターの言葉に僕は思わず食って掛かろうとした。「この電車を停めねば危ないだろう」
そうだった! 雛苺の霊力の世界は抜けたとはいえ、この電車は暴走していたのだった。 現に、トンネルの壁が猛スピードで流れているのが見える。 割れた車両の窓からは、かなり冷たい風が勢いよく車内に吹き込んでいた。
「とにかく、ぐずぐずしてられん。行くぞ」 マスターはそう言って、先頭車両の方へと駆け出す。 彼女達の事は気がかりだったものの……このままでは僕らも雛苺の後を追うことになりかねない。 僕は何も言わず、ただ頷くとマスターの後に付いていった。
ガチャン!
連結扉を開けて1号車に入る。 そこには2人の人がいたが……ぐったりと席に横たわっていた。 念のために近寄って、手首を触ってみたが……脈はある。 ただ、気絶させられているだけのようだ。 僕はほっとすると、すかさず運転席の方へと走り出す。
乗務員室のドアをマスターが勢いよく開く。 運転席には運転手が目を閉じながら、床に横たわっていた。 マスターがしゃがみこんで脈を計っていた。「息はあるようだな」 そう言って、運転手の体を揺さぶるが……目を覚ます気配は無い。
「ぐずぐずしてはおれん。仕方がない……」 マスターはすかさず運転席の2本のハンドルに手を掛ける。「マスター……止められるのですか?」「勘だがな。でもやる以外にはないだろう。たしかこっちがマスコンのはずだから」 そういって、片方のハンドルを思い切り引く。 ブレーキは掛かる気配は無い。「マスター、何をしているのですか!」 僕は叫んだ。 目の前を見ても猛スピードで丸型のトンネルを突き進んでいるのが見える。「回生ブレーキをかけた。車でいうエンジンブレーキだな。徐々にではあるが速度は下がっているぞ」 確かにマスターの言うとおり、スピードは120km/h……110km/h……100km/hとゆっくりと下がってきている。「慌てるな。もし、ブレーキが完全に故障していたらどうする。これは念のためだ。さて、ブレーキを掛けるとしよう……む、出口が近いようだな」「え?」 マスターが窓の先を指差した。 目の前には真っ暗ではあるものの、半円状の形がうっすらと浮かんでいるのが何となく分かる。それは猛烈な勢いで迫ってきて…… 車両はトンネルを出た。
目の前は雪が降りしきっていた。 雪が猛烈な勢いで車両の全面ガラスに当たる。 下には2条の線路が白い雪の中に埋もれながらも、うっすらと見える。
マスターはゆっくりとブレーキのレバーを引いた。 なんとかブレーキは効いているらしく、先程よりかスピードの落ち方が増している。 カーブに差し掛かったものの、その時には速度は50km/hになっていて、難なく通過した。 やがて目の前に明かりが見えて――駅のホームが見えた。 屋根がほとんど無い、雪に埋もれたホーム。 確か、この路線にはこんな駅は無かったはず……? 僕は戸惑いながらも目の前の光景をずっと見張っていた。
やがて……電車は停まった。ちょうどホームに横付けになる形で。
「どうやら無事止まったようだな」 マスターはブレーキレバーから手を離すと、外に通じる乗務員室の戸を開けた。 そこから雪混じりの冷気が勢いよく吹き込んでくる。 マスターは何も言わず、雪で埋もれたホームに降り立つ。 僕もその後に続く。
外は一面の雪。 近くには高速道路が走っているのか、そこを通る車の音が時折聞こえる。
ここは……どこ? 少なくとも、北新田線の駅ではない。 ふと駅名を示した看板に目をやる。
『つちたる』
土樽……って、どこなの? その正解を示すかのように、その文字の下には新潟県の文字があるのが見えた。 一体、雛苺は何を考えて……? 僕は目の前の現実に何をしてよいのか分からずおろおろしていた。「非常電話が恐らく駅の構内にあるはずだ。早く運転司令室に連絡せい。後続の列車が何も知らずに追突したらどうする?」 マスターの声に僕は我に返る。 そして、がむしゃらに雪で埋もれた構内を駆け回り、非常電話を見つけて、このことを連絡した。何から説明していいのか正直わからなかったが、とにかく電車が停まっているので、後続の電車をなんとかしてくれと伝えたのだった……。
※※※※※※
(蛇足1 200X年12月10日 ○×新聞朝刊より抜粋)『原因不明?列車が200キロを瞬間移動?』 12月10日午前0時55分頃、新潟県南魚沼郡湯沢町のJR上越線土樽駅に突然列車が現れる事態が発生した。この列車は土樽駅より約200キロ離れた××県海鳴市にある○○電鉄北新田線風芽丘駅を通過中の榊野町発鐙台行各駅停車(伊藤誠運転手・8両編成)であることが判明した。この列車は同日0時20分頃、約10キロ手前の四方駅を発車してから、暴走を起こし、0時41分に風芽丘駅に差し掛かったあたりで突然消滅した。乗客乗員7名には死者はいないものの、伊藤運転手を含む3名が意識不明の重体で乗客1名が軽症で湯沢町内の病院に搬送された。なお、車掌は四方駅で気絶しているのが発見されている。 現在、警視庁特殊刑事課および××県警、新潟県警の合同捜査本部と国土交通省が乗客から事情聴取を行い、原因の究明を急いでいるものの、わずか15分足らずの間に200キロの距離を瞬間移動するという前代未聞の事態に動揺を隠し切れない。
雪……。 私は涙を手でこすりながら、窓の外の風景をじっと見た。
確かに外は雪が降りしきっていた。「雪?どういうことなの……?」「とにかく、降りよう」 電車は止まっていた。 私はオディールの手を引いて、ゆっくりと先頭車両へと歩いていった。 乗務員室のドアが開け放たれていたので、私とオディールはそこからゆっくりと外へ出る。 ホームは雪で埋もれていた。 雪が絶え間なく降りしきっている。
「……国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった……か」 そこには結菱さんが空を見上げながら、有名な小説の一節をぼそりと呟いていた。
「確か……雛苺言ってたわ……雪見たいって……」 オディールのその言葉に私ははっとした。 突如として、過去に雛苺と話していたときの光景が脳裏に浮かぶ。
――冬休みになったら遊びに行きたいのよ。 ――ええ、そうしましょう。 ――雪、見に行きたいの。 ――だったら、スキーに行きましょうか。
笑顔で話す雛苺の顔を再び思い起こす。 止まっていた涙が再び流れ出した。
「そうか……あの時のこと……覚えていて、せめて私たちに見せようとして……」 それ以上言葉は続かなかった。「そうね。そうに違いないわ……」 オディールはぽつりともらしながら、涙を流し空を見上げる。 それ以上私は何も言わず、彼女と同じく空を見上げた。
――雛苺の笑顔を思い浮かべながら。
暗い夜空からは、ただ優しく粉雪が舞い降りていた。
-fin-
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