【愛の行く末第二部】第ニ話
+++金糸雀(?/? ?:??不明)+++
小学四年のとき、私は親戚の叔母に連れられて、知らない人の家に連れていかれた。どうやら私はここで引き取られることになったらしい。
「あなたは今日からこの人と一緒に住むのよ」
「始めまして、金糸雀ちゃん」
そこに住んでいる女の人が私に挨拶した。
「…………」
私は返事をせずに、その女の人をじっと見据えた。黒い髪、普通のメガネ。見たところ、この人は皆と同じ普通の人間だ。私みたいな”異端”じゃない。また、あんな生活が始まるのかな……
「ほら、あなたも挨拶なさい」
叔母が少し怒ったように言った。だから私も仕方なく彼女に挨拶した。
「始めましてかしら……」
私はぺこっと頭を下げると、そのまま叔母の後ろに隠れた。そんな私を見て、叔母はふふふと笑った。
「ごめんなさいねぇ。この子は恥ずかしがりやさんだから」
違う。私は怖いのだ。私は今までの経験から、他人と関わることに深い恐怖心を抱くようになっていた。その女の人は、怯えた視線を送る私を見て苦笑しつつ、私の目線に合わせて腰を屈めた。
「私の名前は”草笛みつ”よ。みっちゃんって呼んでね」
「みっ……ちゃん……」
「ええそうよ。これからよろしくね」
彼女―――みっちゃんは、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。私には、それが妙に恥ずかしく思えて、頬を染めてうつむいてしまった。みっちゃんは、そんな私を見てニコリと笑った。
それが、私とみっちゃんの馴れ初め。今から、ちょうど八年前の出来事だった。
+++金糸雀(6/10AM7:25自宅)+++
朝。いつも通りの朝が来た。今、家には私以外は誰もいない。みっちゃんは仕事が忙しいのか、昨日は会社に泊まりこんで家には帰ってこなかった。だから、私は買い込んでおいた食パンをオーブントースターに放りこんで、それを朝食にする。一人の食卓。誰もいない食卓。私は一人で食事をとるのはあまり好きではない。本当はみっちゃんとお話をしながら一緒に朝食を取りたい。でも、彼女はこんな私を引き取って育ててくれてるんだから、そんな我侭は言えない。それに、もしそんなことを言ってみっちゃんに嫌われたら、私は今度こそ路頭に迷うハメになる。それだけは避けないと……そんなことを考えながら、私はトーストをかじる。一言も喋らずに、黙々と。でも、こんな状況でも、私が本当の家族と住んでいた頃に比べると、今のほうがはるかにマシだと思えるんだから少し笑ってしまう。……そう、あの頃は、本当に地獄のようだった……
私は親に愛されたことがなかった。何故両親は私を愛してくれなかったのか?その理由はハッキリとわかっている。それは、私が”異端”だったからだ。
私の両親は髪が黒いごく普通の日本人だった。その二人から産まれた私は、なぜか髪が緑色だった。そのため、当時は、”この子は実は不貞の子供なんじゃないか?それとも変な病気にかかっているのか?”と、親戚中が上へ下への大騒ぎになったそうだ。DNA鑑定や各種の検査で私になにも異常が無いとわかると、騒ぎは一応の沈静を見せた。だけど、世間の私に対する、まるで珍獣を見るような視線は変わらなかった。最初は両親も私の為に必死で戦ってくれたらしい。だーれも味方がいないのに、私のために戦って、傷つき、罵られ、そして―――負けた。世間に、親戚に、そして、自分自身の弱さに。さすがに捨てられることはなかったけど、両親は、まるで腫れ物に触るような感じで私に接するようになった。
私が物心ついた頃、私に妹が出来た。妹は髪が黒く、周囲は一目で両親の子供だとわかった。妹は私とは違い、皆から祝福されていた。妹が産まれると、両親は私を徹底的に無視し始めた。まるで私が初めから「無いもの」であるかのように扱った。考えてみれば当たり前だろう。先に出来た失敗作と、後から出来た完成品。どちらを愛するかと聞かれたら、そんなことは自明の理だ。
母親は、時々私に食事を作ってくれなかった。そんなときは、買い置きしてあるカップめんにお湯を入れて、それをご飯にした。私はそれがとても辛くて、寂しくて……悲しかった。なんで一緒のところから産まれたのに、妹と私はこんなに扱いが違うんだろう。簡素な食事を口にしつつ、子供ながらに何度もそう思った。それ以来、カップめんは私にとって世界で一番嫌いな食べ物になった。
私は両親に自分を見て欲しかった。だから私は両親の気を引こうと問題行為を繰り返した。窓ガラスを割ったり、わざと風邪を引いたり、挙句の果てには家中を滅茶苦茶に荒らしまくったこともある。だけど……私の願望が叶う事はなかった。
両親は、どんな惨状を見ても。何も言わなかった。只黙々と壊れたガラスを片付け、食器や包丁を棚に直し、すっかり元通りになった家を満足そうに眺める。病気になっても私は普段通りに無視され、家族はいつも通りに食事を済ませて風呂に入り、そして寝る。次の日も次の日も、同じ日々が延々と続き、どんなことをしても繰り返される日常に変化はなかった。しばらくして、私は両親に反抗するのをやめた。そんなことしても意味がないと知ったから。甘えることもしなくなった。そんなことしても無視されるだけだから。自分から話しかけることもなくなった。逃げてしまったほうが楽だから。気が付けば、私は家族に対して完全に心を閉ざしてしまっていた。
そんな家族も、私が小学四年生のときに全員火事で死んだ。火事の原因は、父親のタバコの不始末だったらしい。その当時の記憶は、私も混乱していたのか、よく覚えていない。私が覚えているのはたったの二つだけ。炎を上げて燃え盛る我が家と、焼け跡から見つかった、三つの真っ黒に炭化した私の家族だった物。それが、今まで私を苦しめてきた物のなれの果てだった。
その後、私は親戚の草笛みつ(通称みっちゃん)に引き取られた。初めはみっちゃんを警戒していた。だけど、みっちゃんと暮らしていくにつれ、その考えを改めるようになった。みっちゃんはあいつらと違ってちゃんと私を見てくれた。私が良いことをしたら褒めてくれて、いけない事をしたら叱ってくれて……私がなにかをしたら、必ず反応が返ってくる。当たり前のことかもしれないけど、私にはそれがとても心地よく感じた。今、私がこうしているのも、半分は彼女のお蔭だ。(もう半分はジュンのお蔭)
充実し始めた毎日。しかし、私はそんな日々の中に一抹の不安を感じている。いつかこの日常が崩れてしまうんじゃないか、壊れてしまうんじゃないか、と。やっと手に入れた平穏。それを失うことを、私は非常に恐れていた。手放したくない。壊したくない。やっと手に入れたこの平和を、私は―――
そんなことを考えつつ朝食を終えた私は、玄関に座って靴紐を結ぶ。
また、今日もいつもと同じ日常が始まる。いつものように学校へ行って、いつものように勉強して、いつものように皆とおしゃべりして、そして、いつものように大好きなジュンと―――ジュン?
「―――!!」
靴紐結んでいた手が止まった。思い出した。昨日私が見たことを。私が、あのとき頭から削除したはずの出来事を。ジュンは……もう薔薇水晶のものになったということを―――
「……………」
胸が、ズキリと痛んだ。痛かった。心が、とても痛かった。痛くて痛くて、頭がどうにかなってしまいそうだった。
「……ぅ……」
私がこの世で一番好きだった人。みっちゃんと同じように、これからも、ずっとずっと側に居て欲しかった人。なのに……なのに彼は私以外の別の女のものになっていた。
「……うぅ……ぅ……」
守りたかった日常は破壊され、一番欲しかった物は私の手の届かない所へ行ってしまった。ジュンの笑顔も、その愛も、平穏も、もう、なにも手に入らない。
「……うう……うぁぁ……」
悲しい、寂しい、辛い、苦しい。目尻から、一筋の滴がつぅっと頬を伝わった。あれ?これって涙?だめ、泣いたって仕方ない。そんなことしてもジュンは戻らない。それに、私はこんなときどうすれば良いか知ってるじゃない。
私を忌み嫌った両親。そんな両親も、私を誉めてくれるときがあった。それは、私が”いらない”と言った時。私がいらないと言ったら、彼らは私のことを『いい子だ』と言って頭を撫でてくれた。そのときだけは、私を見てくれた。だから私は”いらない”と笑顔で言い続けた。たとえ、それがどんなに欲しい物でも。気が付くと、私は欲しい物を諦めるのが得意になっていた。
それは、両親が死んだ今でも同じ。だから今回も諦めよう。譲歩と諦め。それが人間関係を円満にするコツなんだから。
私は目に溜まっていた涙を拭うと、傍らに置いてあった鞄を取り上げ、すっと立ちあがった。玄関を出るとき、壁にかけてある鏡で自分の顔を見た。そこに写った表情は、笑顔。そう、それでいいのよ金糸雀。私がこの想いを胸にしまったら、全てがうまくいく、私一人が我慢すればいいだけの話だ。今はまだ、心がズキズキ痛むけど、これも気にしなければどうってことはない。そう、私は、なにもいらない。
私は玄関の扉を開いた。そして笑顔で振り向き、誰もいない、返事が返ってくることのない家の中に向かって大きな声で言い放った。
「いってきますかしら!!」
―――さあ、今日も日常を始めよう
続く
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