『最終電車にて』(その4)
――あらすじ――
蒼星石と巴は残業で遅くなり終電に乗り込むことに。 一駅先で降りるつもり……だが、その電車は駅に停まることなく猛スピードで通過していった!
次の駅も停まることなく猛スピードで暴走する列車。 誰もいない乗務員室。周囲から響き渡る奇妙な異音。挙句の果てにはこの世のものではない者でいっぱいの車内!前の車両へ逃げようとするものの、次の車両のドアは開かない! 曰く付きの10分遅れの最終電車で、彼女達はどうなるのか……!
なお、某V社の『最終電車』の舞台を流用してたり、実在の地名、事件が出てきたりしているが、内容にはなんら関係がないことを断っておきます。
注:『******』の部分を境に蒼星石と巴の視点が切り替わっています。
******
バギッ! ボコッ!
ドアを打ち付ける音は時間が経つごとに大きく、激しくなっていく。 そして、ドアが手前側へ徐々に膨れて歪んでいく。
……これが打ち破られたらどうなるのか……。 想像するだけでも恐ろしい。 さっきの息苦しさだけでは済まされないだろう。 取っ手に掛けた手に力が入る。
だが、蒼星石と二人がかりで6号車へのドアの取っ手を回そうとするものの……いくら力を入れても回らない。 まるでコンクリートか何かで固定されたかのようで、びくともしない。
ドカッ! ドンッ!
少しの衝撃をさらに加えたら、外れてしまうというところまでに変形しているドア。 おまじないの札のおかげでなんとかこれまでは持ちこたえてきたが、既にひびが入って今にも砕けてしまいそうな覗き窓。
……もう……だめかも……。 そう思った時!
ガラッ!
びくともしなかったドアがいきなり開いた。
「早く!こっちに来い!」 男の人の声とともに私も蒼星石も6号車の中に引きずり込まれた。 一瞬の出来事なので、何が起こったのか全く把握できない。
バリン!
それと同時にガラスの割れる音。 気流――それもとてつもなく寒い……悪寒に近いような気配と言った方が正しいのかもしれない――がこちらの方へと流れ込む。
「……臨兵闘者皆陣列在前!」 男の人は私たちを背後にまわすと、いきなり真言を唱え出して勢いよく手で空を切った。 途端に気流の流れが止む。
ガシャン!
それを見計らって、その男の人は連結部のドアを閉め……懐から大きな札を取り出し、ドアに貼り付けた。 そして、大きくふぅと息を吐いて私たちの方へと向き直る。 その男の人は七三分けの白髪の髪に、皺の入った痩せこけた顔であることから、年齢は50代から60代といったところだろう。上下の黒のスーツを着用している。
「まさか、この状況下で動ける者がいたとは。大丈夫か、嬢ちゃんら……って、蒼星石!」「マ、マスター!?」 蒼星石とその男の人は互いに顔を見合わせるや否や、目を大きく見開いて素っ頓狂な声を上げる。 この人って……蒼星石の知り合いなの? 私はただ、二人の顔を横からまじまじと見ることしかできなかった。
「……あ、貴女……巴?」 背後から若い女性の声がする。 しかも……聞き覚えのある声が。 私はすかさず振り返った。
その女性は座席に腰掛けていて、唖然とした様子で私を見つめていた。 栗色の長い髪に多少あどけなさのある……フランス系の女性。 なぜか寝巻きにガウンを羽織って。
「オディール?貴女何してるの?」 私は驚きを隠せなかった。 それは彼女――私の幼馴染のオディール・フォッセー――も同じだった。
意外な再会に私たちはしばらく言葉を発せなかった。
「……自己紹介が遅れて済まなかったな。私は結菱一葉という。探偵をやっておる。 君が柏葉巴さんか。蒼星石からは話を聞いているよ」 結菱さんはにこやかな表情で横に座った蒼星石を指差す。 もっとも、当の本人は気まずそうに結菱さんの顔をおどおどと眺めているが。
結菱さんは早くに父親を亡くした蒼星石の面倒を見てきたという。蒼星石の父親とは旧くからの友人で、彼女の父親がわりになっていたのもそのよしみがあったからだ。 昔から探偵をやってきていたが、若い頃に修験者としての経験も積んでいて、祈祷や退魔も出来るらしい。探偵業の傍ら、ソレ系の仕事も請け負っているという。 蒼星石も幼い頃から育てられる傍ら、修験の修行をしていて多少その能力があるという。道理で、先程のように霊が見えたり、おまじないと称していたが札を使って結界を張れたわけなのだ。
「もっとも、なまじ知識はあるものの、十分実践できるには至っていないがな」 先程とは一転して厳しい表情で蒼星石を一瞥する結菱さん。「そ、それは……」「だったら、何故この電車に乗り込む前に気付かん。四方から乗り込んだと聞くが、その時点でこの電車からただならぬ霊気を放っていたはずだぞ」「ううっ……」 反論しようとするものの、結菱さんに突っ込まれて、それ以上何もいえない蒼星石。(ちなみに四方駅というのは私たちがこの電車に乗り込んだ駅のことである)
「まったく甘い考えを捨てきれずに修行を怠っていたから、己の身はおろか柏葉さんまでも巻き込む羽目になったのだ。そのことを自覚しているのか」「……」 ぼろかすだった。 その後もしばらくは結菱さんによる蒼星石への説教が続いた。 彼女はただ縮こまっているばかり。 見ている私も何となくかわいそうに思えてくる。
実を言うと、彼女から名前こそはでていなかったものの、以前に結菱さんの話は聞いていた。なんでもかなり厳格な人で、徹底的に躾られたらしい。当然、修験道の修行もそのような様子だろう。父親と娘という関係というよりか、師匠と弟子という関係で育 てられた。彼女が結菱さんのことを『マスター』と呼んでいるのも、そこからきている。 17歳のころあたりに考え方の違いから大喧嘩をして、結菱さんの下を飛び出した。 それ以降は神奈川の伯母の家で居候している彼女の双子の姉の下に転がり込んだという。
説教中の二人はさておき……。 私はちらりと真正面の窓を見た。 相変わらず、猛スピードで流れていく地下トンネルの壁と蛍光灯。 さながら何事もなかったかのように電車はトンネルを突き進んでいく。
二人とは私を挟んで反対側にいたオディールの方に顔を向ける。「しかしどうしたの?本当に。寝巻きのままで……」「……私にも分からないのだわ。家で寝ていて……気が付いたら、この電車の中で倒れていたのよ。最近ずっとこんな調子なのだわ」「最近?それって……」 夢遊病……そんな言葉が私の頭の中をよぎった。 改めて彼女の顔を見る。どこか疲れていて、目には隈ができていた。 多少やつれているという印象を受ける。「先週あたりからなのだわ。眠りにつくと決まって、白い霧の中にいる夢を見るの。 それで横から誰かが囁いてくるの……一緒に遊ぼうよって……。 でも、それが誰だか分からないけど……昔どこかで会ったような人みたいなの。 そこで、誰かに起こされて目を覚ますのだけど……最初は三瀬川の駅で目が覚めて、次は藤見台の駅の手前で酔っ払いに起こされて、その次は風芽丘の駅で気絶していたのを駅員さんに介抱されて……挙句の果てに昨日は、風芽丘の駅で線路に飛び降りようとしていたのを駅員さんに止められて……でも、その時の記憶が全くないの。本当に不気味で仕方なくて……」 そこまでオディールが話したとき、ごおっという音ともに猛スピードでまた駅を通過するのが見えた。駅名の看板には『藤見台』と書かれていたのが僅かに見えた。 その次の駅は確か、事故の起こった風芽丘のはず……。
「え、駅に停まらないなんて……どうなっているの?」 窓の外の光景に動揺するオディール。 びくつきながら周囲を見回している。「さっきからこの調子なのよ。私も四方で仕事場の帰りに乗ったのだけど……そこから全然停まっていないよ、この電車」 私は窓の外を物凄い勢いで流れる地下トンネルの蛍光灯を眺めた。「そうだったの……怖いわ。前の電車に追突でもしたら……」
そうだった!ここでじっとしてる場合じゃ……!
オディールのその言葉にはっとして、立ち上がった。 それを見て、オディールはおろか、結菱さんや蒼星石までもびっくりしたという様子で私を見つめてくる。
「どうしたのかな?」 結菱さんが物静かな様子で尋ねてくる。「い、いや……このままここでじっとしてるわけにもいかないと思いまして……。 この電車は暴走しているからこのままだと、カーブに差し掛かって脱線するか、前の電車に追突してしまいかねませんので早く停めないとダメじゃないですか」「大丈夫。その心配は今のところはない」 完全に落ち着き払った様子で答える結菱さん。まるでこの先のことを知っているかの素振りで。安心しろといわれてもできるわけがない。「なんで、そのようなことが言えるのですか?何か根拠でも?」 私は半ば興奮しながら、結菱さんに食ってかかった。
「この路線は終点の鐙台まではほぼ一直線の形状だ。それにポイントもあまりない。 あと先行の快速列車はこの電車の40分前に定刻通りに出ている。それにこの電車は椛谷と四方の間で信号トラブルで10分停車していたから、実質は50分の間隔が空いている。 この路線は平均80キロで走っている上に、速度を120キロとして計算しても鐙台に着いても追いつかん。むしろ問題は……」 結菱さんはそこで一旦言葉を切った。一見、穏やかな表情ではあるが、目付きは私を突き刺すかのように鋭くなっている。
「……今、がむしゃらに行っても運転席にはたどりたとしても電車は停められん」 結菱さんのその言葉の後はしばしの沈黙だけがただそこにあった。
「それってどういうことなのですか?」 私は恐る恐る口を開く。「かいつまんで話をするが、この列車は運転士がブレーキを掛けていないから停車しないわけなのではない。本来の列車の加速に加えて、この世のものではない存在の力が働いておるのだ。ブレーキを掛けたぐらいでは、恐らく停車はしないだろう。 あんたもだいたい知っておるとは思うが、幽霊がたくさんいただろう。あれは40年程前の事故の亡霊やら、この近辺で自殺をした者の霊が集まっているわけだが……それらは、大元の霊に引き寄せられているに過ぎん。成仏できんものだから、まるで荒波の中で浮かんでいる木の板に向かって溺れる者が群がるように救いを求めてな。 電車を停めるためには大元の霊を払わなければならぬ。もっとも、今はまったく顕現していないから手が出せないのだ。できるものなら今でもすぐにやっておる。 ただその大元の霊は……どうやらフォッセーさんと深い繋がりがあるようなのだ」 ここで言葉を切って、結菱さんはオディールの方をちらりと見る。「フォッセーさんや。依頼内容をこの人に話してもよいかな?まずいなら話さないが」「いいえ。構いません。私も今話そうと思っていましたし……幼馴染ですから問題はないです」 オディールは怯えの色を隠せないまま小さな声で答える。そして私の手をぎゅっと繋いだ。かすかに震えているのが伝わってくる。
彼女の返事を聞いて、結菱さんはゆっくりと話し出す。「今日彼女が毎晩のように夢遊病に悩まされているから原因を探ってほしいという依頼を私は受けた。先週からの症状と、この路線の状態から見て原因は風芽丘駅に最終電車が差し掛かったあたりにあると睨んだ。それで今日は彼女が寝静まってから家の外で張り付いていたら、案の定彼女は寝巻きのままで外へ歩いて行った。付いて行くと、行きは最寄の椛谷駅で、そこから最終電車に乗り込んだというわけだ。 さらに付け加えると、彼女が電車に乗り込むや否や車内の霊気が一気に高まりおった。 そしたら信号は故障するわ、車掌のアナウンスはなくなるわ、電車は停まらなくなるわ、訳の分からぬ霊が集まってくるわということが起こったわけだ……」「マスター」 そこで蒼星石が口を挟む。「何だ」「僕らは乗り込んだとき、車掌はいませんでした。おまけに乗務員室が開けっぱで……」「だろうな。恐らく邪魔になるから霊どもが排除したか、恐れのあまり逃げ出したかだろう。とにかくこの車両にも霊が押し寄せてくるものだから、まずは除霊をして、この車両に結界を張ってから彼女の目を覚まさせた。もっとも、その直後に君達が連結部に 逃げ込んできたがね」 結菱さんは蒼星石をじろりと見る。そしてさらに話を続ける。
「ともかく、彼女に夢で出会った人物に心当たりはないかと訊いて見たのだが……思い出せないかな?」「い、いえ。やはり誰かとは思い出せないのです。でも、昔にあったことのある人だというのは何となく感じているのですが……」 結菱さんの問いかけにただ困惑するオディール。「そうか……そこで、柏葉さん」「はい」「貴女は何か心当たりはないかな。過去に彼女と親しい人物には」「そう言われましても……」 いきなり話を振られても答え様がない。 オディールに親しい人物なんてかなりいるのだ。日本にも結構いるのに、フランスの友人まで考えると……私も全員知っているわけでないから分からない。「それか、フォッセーさんが風芽丘駅あたりに何か因縁でもあったら教えてほしいのだ」「それも……」 私は考えをめぐらすが、そんなの分かるわけがない。
オディール、12月10日、北新田線、風芽丘駅……
――ん?
私は一瞬思考を固まらせた。
……何か……大切なことを忘れている気がする……。
事故のことではない。それよりも身近にあったことで……私にも関わりのあることが……
でも、それが何かは思い出せない。 大学の頃、高校の頃、中学の頃……いや、違う。 小学校の頃……いや、それ以前?
過去の記憶を懸命に辿るが……やはり思い当たらない。
でも確かに……何かあった……はずだ。 まるで魚の小骨が喉に引っ掛かったかのように気になって仕方がない。
待てよ? 確か、私とオディールが小学校2年の頃あたりに……同級生でいた……。
私はとにかくそのことを話そうとした……が。
いきなり車内の照明が点滅し出した。 私たち全員は一瞬身をこわばらせて天井を見つめる。 ちかちかと不規則に激しく点滅するものだから、思わず瞼を閉じそうになる。「む……?」 結菱さんは天井を睨みつける。 その時、ごうっと気流の変化する音がした。 もうすぐ風芽丘駅を……通過するはずだ。
「マスター!」 蒼星石が顔を引きつらせながら窓の外を指差す。「むっ!どうやら、大元のお出ましは近くなったな」 結菱さんはじっと窓の外の光景を睨みつける。
駅の構内に列車が進入するや否や、白い霧が拡がり出して何も見えなくなったのだ。 そして、数秒もしないうちに霧を抜け出すが……目の前には地下トンネルの中ではない……いや、現実のものではない風景が拡がりだした。
ピンクの縁の黄色いリボンがテントを張るかのように隙間なく敷き詰められた壁。 そのリボンを支えるように並べられた細い支柱。 そして……支柱の隙間に置かれた……巨大な熊のぬいぐるみに、巨大なおもちゃの家に、巨大なお菓子が並べられていた……!
まるでおとぎ話の世界のような、リボンでできた壁のトンネルを電車は猛スピードで突き進んでいるのだ!
「な、なにこれ……?」 オディールは窓の外のありえない光景に顔を強張らせていた。「……」 何もそれに答えることは出来ない。私はただ呆然とその光景を眺めることしか出来なかった。
「え……Nのフィールド……」 蒼星石がぼそりと意味不明な言葉を口にする。「どうやら、向こうさんの世界に招きいれられたな。これで後には退けなくなったわけだ」 結菱さんはゆっくりと立ち上がる。 そして、怯えきっていた私たちのほうに向き直る。「言っておくが、今窓の外に飛び出したら生きたまま帰ることはでいないと思ってくれたらよい。ここはNのフィールドといって、三途の川のようなものだ。つまり娑婆と冥府の境目にあたると考えてくれ。そして……」 結菱さんは7号車への連結部をちらりと見る。
ドアに貼り付けた大判の札が……ゆっくりと端から塵になりかけていた! 後ろの車両の霊がこの車両に雪崩れ込んでくるのも時間の問題だった。
「どうやら、ここも安全ではなくなるな。とにかく、今から前の車両へ移動する。私と蒼星石でなんとか守りきるが……」 私とオディールは結菱さんの言葉に固唾を飲んだ。 そしてさらに彼は続ける。
「……退かぬ、媚びぬ、省みぬ。 これは霊に接する際の鉄則だ。肝に銘じておいてくれ。 霊どもは人間の弱い部分に遠慮なくつけこんでくる。奴らにスキを見せたらその時点で終わりだ。憑依されるか、最悪自らの精神を崩壊させられると思ってくれ。 とにかく我を持ち、何があっても動じないことだ……では、行くぞ」 結菱さんはゆっくりと5号車の方へと歩き出した。
「とにかく落ち着いて。何かあったらマスターと僕で何とかするから」 蒼星石も気を引き締めて、彼の後に続く。 今は彼女と結菱さんを頼りにして行くしかない。私は腹をくくった。 オディールもなんとか覚悟を決めたのか、私の手を繋ぎながらも前へ進む。
そして、ゆっくりと5号車の方へと彼らに付いていった――。
-to be continiued-(その5に続く)
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