『貴女のとりこ』 第三回
『貴女のとりこ』 第三回屋敷を訪れたジュンと巴を出迎えたのは、薔薇水晶だった。ジュンの顔を見るや、無邪気に笑顔を輝かせて、彼の腕にしがみつく。「ごめんな、薔薇水晶。今日は、雪華綺晶に話があって来たんだ」「……聞いてるよ。お姉ちゃんは、巴ちゃんと二人で話がしたいんだって。 ジュンは、私と一緒に、お話が終わるまで待っていようよぉ。ね?」「うん…………だけどなぁ」ジュンは女性に甘い。俗に言うフェミニスト。それが彼の長所であり、また、短所でもある。優しすぎるから、女の子たちは誤解してしまうのだ。『私のこと、好きなのかな?』と。巴は複雑な想いを胸に押し込めて、クスッと微笑み、ジュンに言った。「遠慮しなくて良いよ、桜田くん。わたし、ちょっと話をしてくる。 桜田くんは、薔薇しぃちゃんと待っていて」「あ、ああ。柏葉が、そう言うんなら」「あはっ! やったあ。ねえ、ジュン~。お茶にしよぉ?」はしゃぐ薔薇水晶と、困惑するジュンを応接室に残して、巴は雪華綺晶の部屋に向かった。以前、来たときに案内されたので、場所は知っている。(どうやって……切り出そうかしら)二階へと続く階段を昇る足が、小刻みに震えた。やっぱり、怖い。膝が、カクカクいっている。一歩、踏み出す度に、転んでしまいそう。でも、行かなければ。行って、言ってしまわなければ。巴は気力を振り絞って、薄暗い階段を登り切った。無意識の内に、つい、足音を忍ばせて廊下を歩いてしまう。(しっかりしなきゃ……桜田くんが、待っててくれるんだから)両腕を掻き抱いて、身体の芯から湧いてくる震えを、押し止めようとする巴。もう、こんな事は終わらせなければならない。終わらせるためには、進まなければいけない。そして――巴は、雪華綺晶の部屋の扉を、目の前にして立った。 《 ☆きらきーのお部屋★ 》コミカルなドアプレートが、何故か、とてもグロテスクな物に見えた。巴は生唾を呑み込み、大きな深呼吸をひとつすると、震える手で扉をノックした。「はぁい? どなたですの?」「あ……あの……柏葉ですけど」「あらぁ、柏葉さん。お待ちしていましたわ。さあ、お入りになって」入室を促す返事。どうする? 入るべきか……それとも、扉の前で用件だけ伝えて、立ち去ろうか。顔も合わせずに、一方的な通告をするなんて無礼だ。それは承知している。(だけど、わたし……面と向かったら、きっと何も言えなくなってしまう)やっぱり、扉越しに話をして帰ろう。そう結論を出して、巴は息を吸い込んだ。「わたし、貴女のお部屋には入れない。だから、このままで話をするわ。 きらきーさん、聞いて欲しいの」室内から、返事は戻ってこない。しかし、巴は自らの想いを、吐露し続けた。こういう事は、ハッキリ言わないと解ってもらえない。そう、思っていたから。絶対に自分の気持ちを伝えると、覚悟してきたから。「お願いだから、もうメールを送ってこないで。しつこく付きまとわないで。 わたし……本当に、迷惑しているんです」「…………」「わたしは、貴女の人形じゃないの! いちいち、指図してこないで! ハッキリ言って、気持ち悪いんです」話している内に感情が高ぶってきたらしく、巴の声が、徐々に大きくなっていく。扉の向こうは、相変わらずの無音――――かと思いきや、微かな物音が、巴の耳に届いた。それは、すすり泣く声。部屋の中で、雪華綺晶は声を殺して泣いていた。途端、巴の胸に、苦い罪悪感が溜まっていく。頭に血がのぼりすぎて、言い過ぎたかも知れない。いたたまれなくなって、巴が踵を返し、その場を後にしようとした時、ドア越しに、雪華綺晶のか細い声が漏れてきた。「……ごめんなさい。柏葉さん……ごめんなさい」雪華綺晶は、ひたすらに謝り続けていた。「――きらきーさん」「私の周りには、多くの知人友人が居ますわ。 でも……柏葉さんほど、心を許せるお友達は居なかったのです。 それで、私は、つい出過ぎた真似をしてしまって……迷惑をかけてしまった」理由を知って、巴の怒りと嫌悪感が、僅かに和らいだ。誰だって、気心を許せる友達には、行きすぎた事をしてしまいがちだ。(わたしだって、気付かない間に、雛苺や桜田くんを不愉快にさせてるかも知れない)そう思ったら、一方的に雪華綺晶を悪と決めつける気持ちは薄れてしまった。巴は、いま一度、扉をノックして、彼女に話しかけた。「あのね、きらきーさん。解ってくれたなら、それで良いの。 もう、メールは送ってこないで。そして、普通のお友達に戻りましょう」「…………柏葉さん。本当に、宜しいのですか? 許して貰えるのですか?」「うん。友達として、これからも宜しくね」土砂降りの雨の中で、雨宿りが出来る場所を見付けて安堵したような雪華綺晶の声に、巴は思わず頬を緩めて、静かに応じた。全てが円満に解決したことで、巴の全身から、一気に力が抜ける。でも、へたり込んでいる暇はない。ジュンを待たせているのだから。「それじゃあ、きらきーさん。わたし、もう行くから」言って、向きを変え、階段へと歩き始めた巴の背後で、ドアノブの回る音がした。雪華綺晶が、泣き濡れた顔で見送ってくれようとしているのだと、巴は思った。普通なら、恥ずかしくて顔も見せられないだろうに。巴は、雪華綺晶の健気さに、胸が熱くなるのを感じた。(やはり、別れの挨拶くらい、顔を合わせてしよう)折角、仲直りできたのに、初っ端からぎこちない態度を見せるのは避けたい。背後から小走りに近付いてくる彼女に、巴は、くるりと振り返った。「きらき――!?」そこまで言いかけた途端、巴は口元に、ハンカチの様な物を押し当てられた。薬品の臭いが鼻を突く。――クロロホルム。嗅いではいけない。慌てて逃げようとした巴の身体を、雪華綺晶が抑え込む。華奢な体躯に似合わず、力が強い。廊下の壁に、背を押し付けられてしまった。子供の頃から剣道を続けてきた巴ですら、振り解けなかった。「くふふふふふっ。逃がしてもらえるなんて、思ってないですよね……柏葉さぁん?」「っ!! ……!?」雪華綺晶の瞳は、狂気に濡れ、妖しく輝いている。止めていた巴の息が、限界を超えようとしていた。口で呼吸しようにも、雪華綺晶の手が、しっかりと押さえているので、口が開かない。巴の意志とは無関係に、酸素を求めた身体が、思いっ切り空気を吸い込んでいた。ふぅ……っと、意識が遠退き、頭が痺れた。それまで懸命に抗っていた巴の身体から、力が抜けていく。雪華綺晶は、巴が完全に意識を失うまで、しっかりと彼女を抑え付けていた。獲物を捕らえた毒蛇が、毒の回るのを、じっと待ち続けている様に。「あはははっ。やぁ~っと手に入れちゃったぁ。私だけの、お人形さん」気を失った巴の頬を、ぺろりと舐めて、雪華綺晶は巴を抱き上げた。そして、据え付けられた旧式のエレベーターに乗って、屋敷の地下室に降りた。「ほぉ~ら。もうすぐ、貴女のためのお部屋に着きますからねぇ」屋敷の地下は物置になっていて、普段でも人は立ち入らない。そこには、何のために造られたのか分からない小部屋が、一つだけあった。内側からしか鍵の掛からない、不思議な部屋。外側からは、鉄扉を壊さない限り入ることが出来ない、怪しい部屋。電気やトイレまで据え付けられている事から察するに、先祖の誰かが、引きこもる為に作らせたのかも知れない。独りになりたいとき、雪華綺晶は密かに、その部屋を利用していた。その為、簡易ベッドや照明機材などを、家族にも悟られることなく運び込んでいた。「は~い、到着。暫し、ここで休んでいて下さいな」雪華綺晶は、簡易ベッドに巴を寝かせて、囁きかけた。「ちょっと、雑用を済ませてきますわ。おとなしく眠っててね、柏葉さん」ここまでは、予定通り……いや、予定以上に、事は巧く運んでいる。今のところ、無駄な動きは一切ない。尻尾を掴まれるようなヘマも、していない筈だ。雪華綺晶はニタリとほくそ笑んで、エレベーターで二階に昇った。足音を忍ばせ、執事や使用人、ジュンや薔薇水晶に見付からないように、玄関へ向かう。素早く、巴と自分の靴を回収して、来た道を戻る。この時が最も見付かりやすいので、細心の注意を払っていたが、幸い、誰にも会わなかった。(あとは――)自室に戻った雪華綺晶は、さっき急いで作った書き置きを、机の上に載せた。巴と一緒に出かけてくるが、夕飯までには戻るという内容の伝言である。女子高生二人が謎の失踪を遂げる狂言の、舞台装置だった。回収してきた靴を持ち、エレベーターで階下に降りた雪華綺晶は、エレベーター起動用のキーを抜き取り、動作不能にした。地下室には、このエレベーターを使わない限り、立ち入ることが出来ない。これで、当分の間、彼女の邪魔をする者は訪れない筈だった。雪華綺晶は、巴の待つ小部屋に入って、内側から施錠した。扉の鍵は、これひとつだけ。合い鍵なんて無い。その鍵を洋式トイレに投げ捨てて、下水へと流した。「くふふふふっ…………これで、もう出られない。私も、柏葉さんも」ここは、二人だけの楽園。汚らわしい俗世から、隔絶された世界。清楚な巴を、いつまでも美しく留めておくことが出来る、唯一の場所。妄想の虜となった雪華綺晶の瞳には、この薄暗く小汚い地下室が、天国として映っていた。 ~第四回に続く~
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