~終章~
~終章~ 鈴鹿御前を討ち倒し、祓って凱旋した八犬士たちを、万民が諸手を上げて歓待した。しかも、桜田藩の次期当主を奪還、救出してきたのだから、尚更のこと。ジュンの父親は無論のこと、家老たちも、犬士たちの功績を認めた。 最早、蒼星石を平民の娘と蔑む者は、ひとりも居ない。ジュンと彼女は、凱旋から数日の後に祝言を挙げ、死線をかいくぐってきた仲間たちや、領民すべてに祝福されながら、晴れて夫婦となったのである。ジュンは心から蒼星石を愛していたし、蒼星石もまた、この世に彼を繋ぎ止めてくれた巴も含めて、ジュンを愛していた。二人は寄り添い、城の天守閣から復旧していく街並みを見下ろしていた。ちょっとだけ貫禄が増したジュンと、男装の麗人から一躍、美しい姫君となった蒼星石。若い二人の姿を見て、人々の心には、新しい時代の到来を予感するのだった。 「ふふふっ」 「どうしたんだ、蒼星石?」 「ねえ、ジュン。人って……幸せだと、自然に笑えるものなんだね」 「うん。そして、笑える余裕があれば……他人にも優しく出来るのさ。 この藩も、いや、国中の人々が、笑って暮らせる世界になれば良いよな。 蒼星石たちは、そんな未来への道標を示してくれたんだと、僕は思うよ」 「……そんな、大層な事じゃないってば。 ボクらはただ、前世に犯した自分たちの過ちを、正したにすぎないんだから。 本当に讃えられるべきは、ボクじゃなくて、真紅の方だよ」眼下に広がる城下町を眺めながら、彼女は、どこかに宿泊している真紅に想いを馳せた。房姫の生まれ変わりとして、自らの分身でもある鈴鹿御前を討ち、穢れを祓った退魔師。桜田家への仕官を奨める蒼星石に、真紅は毅然と、拒否の返事をした。 ――この世には、まだ助けを求めている人々が、沢山いるわ。 だから、行かなきゃ。第二、第三の鈴鹿御前が生み出されない様に、ね。 真紅は、とても清々しい顔で「お幸せにね」と告げて、城を後にしたのだった。 「彼女はこれからも、自分を犠牲にして、過酷な旅を続けていくんだから」 「そうなのかな?」ジュンは、力強く蒼星石の肩を抱き寄せて、続けた。 「どんな人生であれ、自分で考えて、その結果として選んだ道なら、 歩み続けることを苦痛だなんて思わない筈だよ。 かく言う僕も、次期藩主として生きていくことを決めたけど、この先、 何があっても後悔なんかしないさ」――何故ならば。 「僕の側には、いつでも蒼星石が居てくれるから。 いつだって、挫けそうになれば支えてくれると信じているから。 だから、僕は……どんな運命にだって、立ち向かっていけるよ」 「…………そうだね。きっと、ボクも同じだよ。 この剣に誓って、ボクも、ジュンと一緒に、運命を切り開いていくから」二人は肩寄せ合いながら、今も蒼星石の手中にある剣『月華豹神』に目を向けた。新たに桜田家の家宝と認定された『月華豹神』だが、管理の一切は、蒼星石に一任されている。だから、彼女も片時たりとて手放さなかった。柴崎老人が鍛えた剣『月華豹神』は、『月下氷人』の韻を踏む名称。月下氷人とは媒酌人。即ち、仲人を意味している。彼は、今日という日が訪れる事を、悟っていたのだろうか。それとも、いずれは普通の娘に戻って、家庭を持って欲しいという願いが、込められていたのか。今となっては、真相は闇の中である。程なくして、ジュンと蒼星石は、柴崎老人の菩提寺を建立して彼に感謝し、彼と、彼の一家の冥福を祈った。 その頃、真紅は、城下町の宿で旅支度を調えていた。数日前に、ジュンと蒼星石の祝言を見届けてから今日まで、充分に鋭気も養った。後は、いつ出立するかだ。窓辺に腰を降ろして、涼んでいた水銀燈が、彼女に声を掛けた。 「もう出発するのぉ? 忙しないわねぇ」真紅は、にっこりと微笑みを向けて、穏やかに返答する。 「人の心に宿った鬼が目覚める限り、私の、退魔師としての旅は終わらないわ。 これは、もう宿命みたいなものよ」 「ふぅん? 因果な職業に就いたものねぇ」 「人々の笑顔を護る仕事ですもの。とても重要で、張り合いがある職業だわ」 「……まぁねぇ」誰かが、やらねばならない事だ。そして、真紅にとっては天職でもある。真紅が、今の生き方に満足しているなら、何も言う事はない。水銀燈は戯けた様に応じると、肩を竦めて見せた。 (でも……それで、貴女は幸せ?)この先、たった独りで旅を続けて、本当に心が満たされるのだろうか?赤の他人のために、命を磨り減らしていくだけではないのか?御魂の絆で結ばれた姉妹たちは、それぞれの人生を見つけて、幸福になろうとしているのに。 翠星石は、お庭番の頭として、城仕えの道を選んだ。家臣の中には、ジュンの側室にとの声も有ったが、彼女が断固として拒絶したのだ。ジュンの事は好いていた。でも、側室となって世継ぎを産むような事になれば、いずれ家督相続の争いが起きよう。蒼星石の幸せを護るためにも、翠星石は我を捨てて、一家臣の立場に甘んじたのだった。数年後、翠星石は双子の姉妹を産み、忍びとして育てたが、子供たちには、 「お前らの父親は、凄ぇヤツだったのですぅ」と語るだけで、父親が誰なのかは生涯、明かさなかったと言う。金糸雀は、蒼星石とジュンの祝言を見届けてから、ベジータと共に故郷の明伝藩に戻り、祖父の後を継いで開業医となった。名医の誉れも高く、忽ち広がった噂を聞き付けた患者が、遠路遙々、彼女の元を訪れるまでになっている。しかし、相も変わらず、付かず離れず……微妙な関係の二人。 「ベジータ! そろそろ、手狭になった診療所の増改築をするかしら」 「おい、待てよ! そんな事まで、俺にやらせるのか?!」 「宣教師なんだから、勤労奉仕するのは当然かしら?」 「俺、この間、破門され――」 「問答無用っ! 頼りにしてるわよ」 「…………こんな殺し文句に逆らえない自分が情けねえぜ」恋愛感情が芽生えるには、まだまだ時間が必要らしい。雛苺は桜田藩より拝領した褒美の品々を持って、養父、結菱一葉の元へと帰った。それを元手に、神社の片隅に孤児院を開き、身よりのない子供たちを引き取り、面倒を見る生活を始めた。 「みんなー! おやつの時間なのよー。今日も、うにゅーなのっ!」 「……ひと回り大きく成長して戻ったと思ったのだが、 気のせいじゃったのかな」 「うょ? なあに、お父さま?」 「いや、なんでもない」過酷な試練を乗り越えたとは言え、まだまだ子供っぽさを残している雛苺。子供たちと戯れる愛娘に、慈愛に満ちた眼差しを向けながら、 (やれやれ。まだ当分、死ねないな)表情は笑みを浮かべつつ、内心で重い溜息を吐く一葉だった。嘗ての狼漸藩は、藩主や家督相続人を失ったことから、幕府に認められて、財政的にも余裕のあった桜田藩の領地となった。明伝藩は、自国の復興だけで、財政が火の車となっていたのである。薔薇水晶と雪華綺晶の姉妹は、桜田家からの依頼に応じて、旧狼漸藩領に建立された御霊神社の宮司となった。鈴鹿御前を含めた、数多の犠牲者たちの御霊を鎮める為、房姫が生み出した三種の神器のひとつ、神槍『澪浄』を御神体に納めたのである。 「…………神社の管理って、退屈」神社の管理運営について、諸々の記帳をしていた薔薇水晶は、大きな欠伸をした。 「だらしない真似は、およしなさい。これも大切なお仕事ですわよ」 「……私向きじゃない。止ぁめたぁ」 「ちょっ! 薔薇しぃっ!」 「遊んでくる。後は任せた」じゃっ! と片手を挙げると、薔薇水晶は脱兎の如く走り出し、雪華綺晶の制止を振り切って、遊びに行ってしまった。 「……もぅ、あの娘ったら」諦め気味に吐息する雪華綺晶だったが、彼女は直ぐに、微笑を浮かべた。眼帯で狗神の徴を隠す必要がなくなって、薔薇水晶は前にも増して、行動的になった。その成長ぶりが嬉しく、いつも一緒にいられる喜びを噛み締めながら、雪華綺晶は再び、帳簿の整理に戻るのだった。みんな、新しい人生を歩み始めている。それは真紅も、同じ。自分が為すべき事を見定めて、歩きだそうとしている。そこで、水銀燈は、ふと考えた。――じゃあ、私は? これから、どうするの? 何をしたいの?漠然とだが、めぐと一緒に、全国行脚の旅にでも出ようかと思っていた。これと言って、当て所ない旅。足の向くまま、気の向くままに……。でも、本当に、そうしたいのだろうか?めぐと一緒に居たいと願ったのは本心だけれど、何故か、心が沸き立たない。これまでの埋め合わせをする、良い機会だと言うのに。どうしてぇ?そう思ったとき、水銀燈の胸裏に、めぐが語りかけてきた。 『水銀燈…………彼女と、一緒に行きたいんじゃないの?』 (えっ?) 『私には、ちゃあんと解るわよ。水銀燈が、彼女に寄せてる想いくらいはね』 (はあぁ? なにそれ、ばっかじゃないのぉ。私は別に、真紅のコトなんてぇ) 『なんとも思っていないなら、どうして今も、此処に来てるの?』めぐに指摘されて、水銀燈は返答に窮した。祝言が終わって、他の娘たちは旅立ったというのに――自分だけは、真紅の元に留まり続けている。考えてみれば、馬鹿馬鹿しいし、自分らしくなかった。今までなら、自己中心的と批判されても、自分の行動理念に従っていた筈だ。他人の祝言には興味が無かったし、周囲がどうなろうと、知ったことではなかっただろう。それなのに、何故、こんな真似をしているのだろうか?性格が変わったなんて自覚は、全くないのに。 『解らないの? 水銀燈も意外に、お馬鹿さんなのね。 彼女のお仕事、手伝ってあげたいんでしょ? だったら、正直になれば良いじゃない』 (でもぉ……私は、めぐと……) 『私は、水銀燈と一心同体だもの。何処に行こうと、ずっと一緒よ。 それに、私だって冒険がしたいわ。貴女たちと一緒に、ね』 (…………ふぅん。まあ、めぐがそう言うなら、考えなくもないわねぇ。 いい? 勘違いするんじゃないわよぉ。これは、めぐの為なんだからね)その後も胸中で、くどいくらいに「めぐの為」を繰り返して、水銀燈は、真紅に話を切りだした。 「……真紅ぅ。もし良かったら……私も、手伝ってあげましょうかぁ?」 「なあに、いきなり。どういった風の吹き回しかしら?」 「べ、別にぃ……深い意味なんて無いわよぉ。 ただ、へっぽこ退魔師さんが野垂れ死にしてる光景を想像したら、 あまりに不憫に思えちゃってねぇ。ホントに、深い意味はないんだからね」真紅は、くすっ……と微笑んで、水銀燈を見詰めた。 「ありがとう、水銀燈。なんとなく……本当に、なんとなくだけれど、 貴女なら、そう言ってくれると信じていたわ」 「なによ、それぇ。特別に、私が手を貸してあげるって言ってるのよぉ? ちっとも、誠意が感じられないじゃなぁい。 せめて……そうねぇ『ありがとうございます、水銀燈さま』とでも――」 「ありがとうございます、水銀燈さま。生涯、感謝しますわ」 「…………」 「…………どうかした、水銀燈?」満面の笑みを浮かべて、事も無げに問い掛ける真紅。水銀燈は微かに頬を染めると、顔を背けて窓の外を見遣り、前髪を掻き上げた。 「まぁったく。そんなにアッサリ言われたら、つまんなぁい」 「あら、そう。それで、付いてきてくれるの? くれないの?」 「……結構、底意地が悪くなったわねぇ。解ってて、言ってるでしょぉ」 「返事を聞きたいだけよ」今回は、分が悪い。水銀燈は、ひょいと肩を竦めて、溜息を吐いた。 「一緒に、付いてってあげるわよ。特別に、なんだからねぇ」 「はいはい」――変なところで強情なんだから。水銀燈に宿るめぐと、真紅は、同じ台詞を考えていた。だが、口には出さずに、真紅は荷物の中から、折り畳まれた衣服を取り出し、水銀燈に手渡した。 「はい、これ。私の相棒に成ってくれるなら、この服に着替えてちょうだい。 その恰好では、ちょっと問題ありだわ。何事も、第一印象が大切なのよ」 「着流しの方が楽なんだけどぉ……まあ、しょうがないわねぇ」真紅から衣服を受け取ると、水銀燈は衝立の後ろに回って、いそいそと着替えを始めた。なんだかんだ言って、結構、愉しみらしい。 「これで良いのかしらぁ、真紅ぅ」程なくして着替えを済ませた水銀燈は、真新しい巫女装束に身を包んでいた。真紅の服と異なっているのは、袖の長さと、袴の色である。 「ねぇ……巫女装束なのに、どぉして袴の色が青紫色なのぉ?」 「仕方なかったのよ。昨日、呉服屋の方に製作を依頼に行ったら、 もう、その色の生地しか残ってないって言われたんだもの。 それとも、上下揃って白装束の方が良かった?」 「死に装束みたいでイヤよぉ。これはこれで、なかなか良いわぁ」 「よかったわ、気に入ってもらえて」口では、なんとなくと言っていたが、真紅は、水銀燈が協力してくれると確信していた。だからこそ、昨夜の内に、急いで彼女の装束を注文しておいたのだ。寸法は、真紅を目安にして、少し大きめに製作して貰ったのだが、見る限り、どうやら丁度いい様子だった。 「貴女も旅支度をしてちょうだい。終わったら、直ぐに発つわ」 「私の準備なら、直ぐに終わるわぁ。元々、大した手荷物は無かったしぃ」 「そう言えば、出会ったときから貴女は軽装だったわね」初めて出会ったとき、水銀燈は、異様に長い太刀しか、手にしていなかった。それは今、三種の神器のひとつ、神刀『紫綺』となって、彼女の手に在る。神器の使い手。これほど頼もしい相棒は、そう居ない。真紅は、最後の荷物を纏め終えて、肩こりをほぐすように、ぐるぐると頚を回した。 「さて、と。私の準備は、これで終わったわ」 「それじゃあ、出発するぅ?」 「ええ、行きましょう。私たちの助けを、必要としている人たちのところへ」二人は、並んで宿を出ると、街道沿いに歩きだした。これから先、どんな苦難が待ち構え、どんな強敵が襲ってくるか解らない。でも、二人でなら、きっと乗り越えられる。真紅も、水銀燈も、敢えて言わなかったけれど、心の底では、そう思っていた。 得物と、僅かな荷物を持って街道を行く彼女たちを、山伏の格好をした二人の青年が、街道沿いの丘の上から、じっと見詰めていた。その内の一人……眼鏡を掛けた優男風の男が、目を細めて笑った。 「おやおや。折角、普通の女の子に戻れたと言うのに……血気盛んですねえ。 そうは思いませんか、槐くん」槐と呼ばれた、怜悧な眼をした金髪の青年は「結構な事じゃないか」と応じた。 「彼女たちが、自分で選んだ道だ。そうだろう、白崎? 我々が、あれこれ口出しする問題じゃない」 「正論ですねえ。僕等はただ、彼女たちの成長を見守るだけの存在。 舞台の上で演じられる、人生と言う名の劇を見に来た観客に過ぎません」 「新たに演じられる劇が、どんな内容なのかは解らない。 だが、席を立つことなく次の舞台を観られるのだから、得をしたと思わないか」 「……ですね。僕等はまた、観客席から、彼女たちの演劇を愉しむとしましょう」そう言うと、二人の青年は金剛杖を突きながら、真紅たちとは逆の方へと、街道を進んでいった。天下太平。今までの穢れを拭い去るかの如く、空は青く高く、どこまでも晴れ渡っていた。 ~終劇~
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