続く笑顔
いつも通りの朝、手早く朝食を済ませ家を出る。
家を出て少しの交差点でショートカットとオッドアイが特徴的な少女が声を掛けてきた。「おはようジュン君、今朝も寒いね」 クラスメイトの蒼星石だ。「あぁ、おはよう蒼星石。まったく暖冬だって話は何処行ったのか」「そういえばそんな事言ってたっけ」 朝の挨拶を交わしながら並んで信号が変わるのを待つ。「ふぁぁ・・・眠、さっさと学校行って二度寝しよ」「ジュン君寝不足は体に毒だよ?」「分かってるんだけど、ネット通販見てるとついつい夜更かししちゃうんだよね」「まったくしょうがないなぁ」 そう言いながら諦めの表情で笑っている。
そうしてる内に青へと変わった信号を見ながら横断歩道を渡ろうとしたときの事だ。
「ちょっと待ちやがれです!」
横合いから挑発的な声が投げかけられる。「んあ?」「何サラッとスルーしようとしてるですか!」 声の主と思われるロングヘアーの少女が指を突きつけていた。「なんだ居たのか翠星石」 こちらもクラスメイトにして蒼星石の双子の姉、翠星石だ。翠星石は妹と左右の色が違うオッドアイで睨みながら更に言葉を続けた。「居ちゃ悪ぃですか?」「べっつにぃー」 何の因果か中学の頃から毎朝この交差点で彼女と出会う。 遅刻しそうな時もたまにはと早く出た時もだ、お蔭であらぬ噂を立てられる事もしばしば。「まぁまぁ二人とも喧嘩しないで」 蒼星石は今にも言い合いを始めそうな二人をなだめようとする。「喧嘩なんかしてねーです」 むくれながら歩き出す翠星石。「そうそうコイツが絡んでくるだけ」 僕は翠星石の後頭部をペシペシと叩きながら後を追う。「止めるですぅ!」「はぁ・・・」 毎朝繰り広げられる二人のやり取りに呆れつつもどこか楽しそうに微笑む蒼星石。
これが僕のいつも通りの日常だった。
学校が終わり友達とファストフード店でダベっていた時の事。「なぁジュンお前翠星石と仲良いよな、付き合ってんのか?」 ベジータが脈絡もなく聞いてきた。「またその噂か・・・あれが仲良く見えるのか? ただの腐れ縁だよ」「そうかそうか腐れ縁か。なら俺に翠星石を紹介しろ」 僕の両肩に手を置きながらニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべる。「何阿呆なことぬかしてんだ。止めとけ止めとけ、あんな性悪女」「そうかなぁ、翠星石って結構人気あるけど」 漫画を読みながらポテトをつまんでいた笹塚が相づちを打つ。「ありゃ猫被ってるだけだ、その裏でどんな黒いこと考えてるか。 お前らは知らないからそんなこと言ってられるんだ」 納得の行かないといった表情のベジータを強引に引き剥がしながら続けた。「翠星石より蒼星石のほうがいいぞ。見た目男っぽいけど、 文武両道、男女問わず優しく、細かい所に気が利いて、料理も上手い」「ふむ、なら蒼星石を紹介してくれよ」「誰がお前に紹介するかよ、自分で何とかしろ」「ちっ、まあいいだろう俺と蒼星石が付き合って後悔しても知らんぞ!」「はいはい、精々頑張れよ」
この時僕は知らなかった。 店から走り去る人影があった事を。 その瞳が濡れていた事を。 騒がしくも穏やかな日常の歯車が外れた事を。
翌朝いつもの交差点。
「よっ、おはよう」「ジュン君・・・おはよう」「お、珍しいな今日は翠星石はいないのか?」 辺りを見回してみるがいつも減らず口を叩く少女の姿が見えない。「うん、体調が悪いみたいでね一日ゆっくり休ませることにしたんだ」「インフルエンザ流行ってるみたいだしな。蒼星石も気をつけろよ」 「・・・ジュン君」 学校まで後僅かといった所まで来た時だ。「ん? 何?」「昼休みちょっと付き合ってくれないかな?話したいことがあるんだ」 何やら真面目な話なのか何時に無く深刻そうな顔を向けられた。 元々約束がある訳でもないし雰囲気に逆らい難い物を感じた僕は素直に頷いていた。「昼休みね、OK空けとく」
昼休み、購買でパンを買ってから話があるという蒼星石に連れられて屋上までやって来た。 普段は昼食を摂る学生が多く割と賑やかな場所だが生憎の天気のせいか人影は無く静かなものだった。
「で、話って? ここ寒いし出来れば手短に済ませて欲しいんだけど」 カレーパンを齧りながらフェンスに寄りかかる。「そうだね、じゃあ率直に聞くけど、君は翠星石の事をどう思ってるんだい?」 そう問いかける蒼星石は何処かイラついた様な視線で見つめていた。「どうって・・・いきなり言われてもな」 予想外の問い掛けに困り返答を渋る。「まさか何の事を聞いてるか分からないほど子供じゃないよね?」 何を怒っているのか挑発するかのように薄く笑う。
「何だと!」 その様子にカチンと来た。つい語気を強めてしまう。 蒼星石はそんな僕を気にも留めずに続けた。「昨日商店街に行った翠星石が泣きながら帰ってきたんだよ。『腐れ縁、猫被ってる性悪女、蒼星石のほうがいい』知らないとは言わせないよ」「なっ・・・それは!」 直ぐに思い付いた、昨日のベジータとのやり取りの事だろう。 だがそれ以上に気になったのは『翠星石が泣きながら帰ってきた』という事だ。「泣きながらって・・・聞いてたのかあいつ・・・」「僕はその場に居た訳じゃないし、彼女も動揺していて詳しく聞ける状況じゃ無かったからね。 実際どういった状況かは分からない」 蒼星石は淡々と翠星石の様子を語っていく。
(アレを聞かれた・・・泣いてた・・・?)
頭が上手く回らない、手が震えそうになるのを堪えながらそれでも必死に考える。 蒼星石が言っていることもまともに頭に入らない。 一向に答えようとしない僕に蒼星石が近付いて来る。 真正面に立ち睨むその瞳は本気で怒ってた、威圧感すら感じてしまう。
言いたくないなら言わなくてもいいよ。だけどこれだけ覚えておいてね。 君の気持ちがどうであっても彼女を傷付ける事は僕が許さない」 言いたい事を言った蒼星石はさっさと屋上を後にしようとする。「お、おい、待てよ!」 僕の制止を聞いたのか、或いは単に言い残しただけなのか扉の前で立ち止まった。「最後にもう一つだけ。本当に毎朝"偶然"出会ってると思わないでね」「何だよ・・・くそっ」 後に残された僕は如何していいか分からずただ立ち尽くしていた。
蒼星石が言ったように"偶然"では無かったのだろう、あの日から交差点で翠星石に会う事は無くなった。 翠星石は何処へ行っているのか授業開始ギリギリに教室へ現れては終了と共に早々と居なくなるそんな日々が続いていた。
翠星石とまともに顔を合わせない日が続いて一週間、僕は漸く決心がついた。
休み時間、次の授業の準備をしていた蒼星石に話し掛ける。「蒼星石、ちょっと話せないか?」「・・・翠星石のことかい?」「ああ、もうお前しか頼れる奴はいないんだ」 しばらく黙っていたがやがて頷く。「・・・人が居ない場所のほうがいいよね」「ありがとう。そうしてもらえると助かる」「放課後委員の仕事が終わったら迎えに行くから教室で待っててくれるかな」
放課後になり教室に残る生徒が居なくなった頃、蒼星石に連れられて旧校舎へとやって来た。
「滅多に人が来ない所だからね。密会には持って来いの場所だよ」
案内された教室は窓には暗幕が掛けられそこら中に何が入っているのか分からないダンボールで埋まっていた。 そんな中で比較的片付いた一角で向き合う。
「それで僕にどうして欲しいのかな」 机に腰掛けながら鋭い視線を送る蒼星石。「翠星石と・・・翠星石と話がしたいんだ。あいつ最近は僕の事避けててまともに話せないんだ。 ちゃんと会って、僕の気持ちきちんと伝えたいんだ」 腕を組み黙って僕の話を聞いていた蒼星石が口を開いた。「君の気持ち・・・か、それ今聞かせてもらえるかな? 君が翠星石のことをどう思っているのか」「えっ、い、今言うのか?」「言えないの? だったら翠星石とは話させられないな。これ以上彼女の心を傷付けたくはないからね」 彼女は本気だ、もしこのまま黙っていたら翠星石と話す機会が無くなるだけでない。 近づくことさえ許しはしないだろう。 その無言のオーラに覚悟を決める。
僕はゆっくりと懺悔でもするかのように自分の気持ちを語り始めた。
「僕は・・・翠星石に初めて会ったときから気になってた。一目惚れって奴かな。話をしてあんな性格だって知っても、 やっぱりこの気持ちは変わらなかった。だから毎朝あいつと学校に行けて本当はうれしかったんだ。 だけどさ、そんな事面と向かって言えないし、あいつ口悪いからついつい言い合いになっちゃうんだよな」
僕の言葉を黙って聞いている蒼星石に先ほどまでのような張り詰めた雰囲気は無い。 そこにあるのは優しい姉のような表情だった。
「そう・・・ならどうしてあんなこと言ったんだい?」「あれはさ・・・ベジータが翠星石と付き合ってるのかって聞いてきたからつい、照れ隠しというか何というか。 とにかく否定したら紹介しろって言うもんだから、悪く言えば諦めるかと思って。蒼星石がいいってのも、 その、本人前にしといて何だけど翠星石への興味が逸らせるならと・・・ゴメン、本当にゴメン」 自分で言っておいて申し訳無くなり頭を下げる。「はぁ・・・だからか、いきなり『蒼嬢、君に惚れた俺の耳を噛んでくれ!』って迫ってきたよ」 蒼星石は呆れ顔でため息を吐いた。
「はは、馬鹿な奴だからな。でも今思うと僕も十分馬鹿だな。照れ隠しに悪口だの言い合いだの 今時小学生でもしないよ。あれからさ、毎朝一人で学校行って普通過ごしてもさ、こう・・・胸にぽっかり 穴が開いたみたいなんだ。情けないよな、無くなって初めて大切なものに気が付くなんて」
「これが僕の翠星石への気持ちだ」
僕は床に両膝と両手をついて頭を下げる。 額が床についても構うものか。 ちっぽけなプライドなど投げ捨て、土下座して懇願する。
「頼む蒼星石! 僕、あいつの事が好きなんだ! あいつと話せるなら何だってする、だからお願いだ・・・」
どれくらいの時間がたっただろう。本当は5分だったかもしれないし1分かそこらだったかもしれない。 けれどその時の僕には10分にも20分にも感じられた。
「それは僕に言うセリフじゃないね」
その言葉に顔を上げると優しく微笑みながら窓の暗幕の方を向き話し掛けた。
「もう出て来て良いよ聞いてたでしょ? ジュン君の気持ち」
暗幕が揺れる。 そこには今にも泣き出しそうな顔をした翠星石が居た。 「えっ・・・す、翠星石!?」「そういう訳だから、後は二人で、ね?」 そう言うと蒼星石は子悪魔の様な微笑を残しながら教室を出て行った。
心臓が破裂しそうなほど鼓動が早くなっている。「あっ、あのその、な、何というか・・・ぜっ全部聞いてた?」 翠星石は顔を赤くしながらコクリと頷いた。「うあぁぁぁ、やっぱりぃぃぃ・・・」 頭の中は一気に真っ白になった。会ったら話そうと思っていたことも全部頭から飛んでいった。 言いたい事は先ほど蒼星石に言っていたのだがその事すら思い付かない。
「ジュン・・・」 翠星石は潤んだ瞳で真っ直ぐこちらを見つめてくる。「ジュン、私は・・・」 「待った」 何か言おうとする翠星石を遮る。「さっき聞いたことは忘れて」「えっ」 自分の言葉を遮られ潤んだ瞳は最早決壊寸前まで来ていた。「あぁいやいやいや、別に嘘だったとかじゃなくてだ、と、とにかく僕の話を聞いて欲しいんだ」
翠星石を取りあえず落ち着かせ、次に自分を落ち着かせるために深く息をする。
「腐れ縁とか性悪とか言って悪かったゴメン。蒼星石のほうがいいってのも本心じゃない」
臭いセリフだと思う、けど今しか言えない言葉だから。 躊躇う事無く口にする。
「僕は、初めて会ったときから翠星石だけを見てた。お前が好きだ翠星石。僕はお前と居たいんだ」
ずっと堪えていたのか、留めるものが無くなった涙は止め処無く溢れ出す。
「ジュン、ジュ・・うぅ、うあぁぁぁ、あぁぁぁぁぁ・・・」 両手で瞳を覆い声を抑える事なく、大粒の涙を流し続ける翠星石に途惑う。「す、翠星石!?」「っく、ちがっ、違うですぅ、うっ、うれっ、うれしいんです・・・ずっと、ずっと好きだったからぁ」
漸く落ち着いた頃、ポケットからハンカチを取り出し差し出す。「ほら、拭けよ」「ありがとです。でもこういう時は優しく抱きしめるとかして欲しかったです」 顔が赤くなるのが自分でも分かる。 「うっ・・・それは、その、また今度な」 照れ隠しに頬を掻きながら目を逸らす。「今度って何時ですか?」 少しむくれた翠星石が詰め寄ってくる。「こ、今度は今度だ、ほらもう行くぞ」 そう言って先に歩き出す。「待つですっ、ちゃんと言えですぅ」
(・・・これくらいなら) 緊張して汗をかいていない事を祈りつつ追ってきた翠星石の手を握る。 「あっ・・・」 初めは驚き強張っていたがやがてきゅっと握り返してくる。(手小さいな・・・それに暖かい)
「8時」「えっ?」 いきなりだったからかキョトンとした表情を向けられた。「時間だよ時間。8時にいつもの交差点。いいか? 寒いんだからそれより早く来て待ってるんじゃないぞ?」 やっと待ち合わせだと理解できたのか嬉しそうに微笑んだ。「わかったです♪」
翠星石と仲直りして待ち合わせをした翌日、結局緊張して早くに目が覚めてしまった僕は 約束の時間より大幅に早く着いてしまっていた。「うぅ、今日も寒いな」 白い息を見つめながら呟いていると、 「あっ」 何やら驚きの声があがる。 そこには悪戯がばれた子供の様な顔をした翠星石が居た。「あ? あぁーーーー! こらっお前8時って言っただろ!今何時だと思ってんだ!」「そ、そっちこそ何時だと思ってるですか!」「僕は良いんだよ。お前を待たせる訳にはいかないだろ」「それはこっちのセリフですぅ」
いつもと同じ、でも無くしてしまう所だったやり取り。 他愛ない事だけど、掛け替えの無いもの。
「ほら、ぼさっとしてないでさっさと行くです」 僕の手を握ると強引に歩き出す。 「お、おいっ手ぇ」 相変わらず手を繋ぐだけで動揺している僕を尻目に、「この時間なら見てる人はいないですぅ」 そう言って極上の笑顔を向けられて振り解ける筈も無い。「はぁ、それもそうだな」
もう絶対に無くさない、絶対に離さない。 その笑顔がずっとずっと続くように。 だから僕もその手を握り返した。
「それに見られても良いです」
「翠星石は幸せなのですから」
おしまい
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