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~第四十四章~」(2006/06/01 (木) 22:33:21) の最新版変更点

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<p> <br>   ~第四十四章~<br>  <br>  <br> 私は、みんなを殺してしまった!<br> みんなを救うためだなんて、ただの口実。薄汚い、欺瞞に過ぎない。<br> 本当に望んでいなかったのならば、たとえ、それが彼女たちの意志であり、<br> 嘆願であったとしても、断固として拒絶した筈だ。<br>  <br>  <br>  そうしなかったのは、私の中に、弱い心があったから――<br>  <br> 現状では鈴鹿御前に叶わないと怯え、<br> 御魂を分けた姉妹たちが惨殺される光景を直視する勇気も持たず、<br> 自らの意思で決断する権利を放棄した結果が、これだ。<br>  <br>  <br> 私は、自らの内に宿る鬼の声に誑かされて、姉妹たちを殺したのだ。<br>  <br>  <br> 真紅は、自分が犯した罪の深さに恐慌状態となり、殆どの言葉を失っていた。<br> 思考は最早、停止寸前。<br> もう一人の自分――鈴鹿御前の言葉を、取捨選択もせずに聞き入れていた。<br> それは、とても危険で、恐ろしいこと。<br> 尊厳も、理念も、種種諸々の生きる理由すらも他人の言葉に委ねきって、<br> 現実から逃避する……それは、誰かの操り人形に成り下がる、ということ。<br> <br>  「感謝して欲しいものだな。<br>   人は、誰でも鬼になれる……それを教育してやったのだから。<br>   そして、お前は自分の意志で、鬼となったのだ。<br>   自ら望んで、この、わたしと同じ道を歩んだのだよ」<br>  「い…………いや」<br> <br> 震える声で、弱々しくも精一杯の拒絶を試みる真紅の心は、<br> しかし、鈴鹿御前の覆い被さるが如き声に、押し潰されようとしていた。<br> <br>  「足掻いても無駄だ。もう、後戻りは出来ぬ。<br>   生ける者も! 死せる者も! 畜生も! 鬼も! 諸々の魑魅魍魎も!<br>   如何なる者も、時を遡って、過ちを正すことなど出来ぬのだから!」<br>  「わ…………私…………私は」<br>  「お前に残された選択肢は、二つ。<br>   鬼と化し、修羅の道を歩み、畜生に身を窶して、わたしと同化するか。<br>   それとも、今ここで、わたしに殺されて吸収されるか。<br>   その、どちらかしか無い! さあ、選べ!」 <br>  「私……は……」<br> <br> その時、城全体がビリビリと震動するほどの怒号が、遠く聞こえた。<br> 翠星石の御魂を吸収したことで、睡鳥夢の起動が解除されてしまったのだ。<br> それは、城門で押し止めていた穢れの軍団が、雪崩を打って突入してきた事を意味した。<br> <br>  蒼【真紅っ! このままじゃ拙いよ!】<br>  翠【蒼星石の言う通りです! 穢れの者どもが押し寄せてきたら、<br>    ジュンとベジータが殺されちまうです! 私たちだって、いずれ……】<br> <br> いきなり、蒼星石と翠星石が、真紅の中で喚き立てて、真紅を驚かせた。<br> 八つの御魂が揃った為に、彼女たちとの意志疎通まで、可能になったのだろう。<br> でも、二人が口々に叫んでいる話の内容が、真紅には良く解っていなかった。<br> 理解しようという気力も湧かない。何が最善なのか、どうしたら良いのか。<br> 皆目、見当が付かない。完全な痴呆状態だった。<br> <br>  【いつまでも、ボケッとしてるんじゃないわよぉ! お間抜け真紅っ!<br>   やるべき事は、ひとつっきゃないでしょぉ!】<br>  【銀ちゃんの、言うとおりなのっ。<br>   ヒナたちの事で悲しむ前に、真紅には、やらなきゃいけない事があるのっ】<br>  (……解らないわ……なんなの?)<br> <br> 水銀燈と雛苺への問い掛けに、薔薇水晶と雪華綺晶の助言が添えられる。<br> <br>  【真紅……私たちは、何の為に集ったの?】<br>  【私たちは、どうして此処まで来たのか――思い出して下さい】<br> <br>  (私たちは……何の為に、此処まで……)<br> <br>  【まぁだ解らないのぉっ! この、おばかさんっ!】<br> <br> いきなり水銀燈に頭を叩かれた様な気がして、真紅は一瞬、目眩を覚えた。<br> 勿論、そんな事は有り得ない。けれど、身体が憶えていたのだろう。<br> からかわれ、冗談まじりに引っ叩かれていた、腹立たしくも楽しい思い出を。<br> 『おばかさん』に続く優しい暴力の記憶が、状況反射的に起こさせた目眩――<br> それは、今、真紅の思考をも呼び覚まそうとしていた。<br>  <br>  <br> そう……。そうだった。なぜ、忘れていたのだろうか。<br> こんなにも、簡単な答えだったのに。<br> <br>  (私は――私たちは、穢れの元凶を祓うために集ったのよ。<br>   鈴鹿御前を斃すために、今、ここに立っているのだわ)<br> <br> 怒りも悲しみも、怖れも戸惑いも――<br> 全ての雑念を力に変えて、ただ一心に、退魔の神剣を振り抜くのみ。<br> やるべき事は、たった、それだけの事だった。<br> <br> 真紅は、神剣の柄を握り直して、目と鼻の先に居る鈴鹿御前に斬りかかった。<br> よほど侮っていたのだろう。鈴鹿御前は、神剣の間合いに踏み込んでいた。<br> この距離なら、踏み込む必要は、全くない。<br> <br>  「たああぁぁ――っ!!」<br> <br> 勇ましい雄叫びと共に振り抜かれた刃を、鈴鹿御前の皇剣『霊蝕』が受け止めた。<br> 互いの刃が、ぎちぎちと咬み合う。<br> 八つの御魂を、その身に結集した真紅は、今や、鈴鹿御前と対等の力を得ている。<br> 単純に、そう思っていた。拮抗できると信じていた。<br> <br> けれど…………現実は、そこまで甘くなかった。<br> <br> 真紅が渾身の力で押し込んでいた剣が、徐々に、押し戻されていた。<br> 柄に左手を添えて、両腕で押したけれど、ビクともしない。<br> 鈴鹿御前は右腕一本で、真紅の剣を押し返しているのだ。<br> <br>  「ま、まさか、こんな」<br>  「その程度の力で、わたしを斬れると思ったか、真紅?<br>   所詮、お前は、わたしの欠片。従僕ごときが、主人に敵う訳があるまい。<br>   十八年前は、狗神の妖力を吸収して漸く、拮抗したまでのこと」<br> <br> 鈴鹿御前の言葉を受けて、真紅の脳裏に、房姫だった頃の記憶が少しだけ甦った。<br> 嘗て、鈴鹿御前が鬼と化した時に不要物として切り離され、捨てられた房姫は、<br> 殆ど退魔の能力を持たなかった事を。<br> それでも、たった一人の分身である鈴鹿御前を止めるべく力を蓄え、<br> 十八年前の闘いに臨んだことも。<br> それらは全て、消滅を免れた良心としての役割を果たす為だった。<br> <br>  「だが、今のお前は、以前の力を八等分された内の、一つでしかない。<br>   当時ですら、辛うじて対抗できていたと言うのに、八分の一のお前が、<br>   わたしに勝てると考えること自体が烏滸がましいわ」<br> <br> 嘲って、鈴鹿御前は真正面から、真紅の腹を蹴りつけた。<br> 法理衣に護られていたとは言え、鳩尾のやや下に直撃を食らって、息が詰まる。<br> それだけに留まらず、真紅の身体は大きく飛ばされ、玉座が安置された高台から、<br> 下の床に落ちてしまった。<br> その落差は約10尺、大の大人を二人、縦に並べた程もある。<br> 背後の護りは圧鎧で対応してはいるが、この高さから叩きつけられれば、正直、<br> どうなるか予想も付かなかった。<br> <br> 一瞬の後、背中と後頭部を激しく石畳の床に打ちつけて、真紅は気を失いかけた。<br> だが、彼女の内に宿る七人が、眠ることを許さない。<br> <br>  【目を開けるんだ、真紅! すぐに、次が来るよ!】<br> <br> 蒼星石の声を聞いて、ちらつく目を懸命に凝らした先には、赤い翼を広げて、<br> 空中に待機する鈴鹿御前の姿が在った。<br> 剣を構え、今しも急降下するところだった。<br> <br>  (来たっ!)<br> <br> 真紅は冥鳴を起動すると、鈴鹿御前に向けて放った。<br> 急降下の狙いを逸らし、その間に回避する策である。<br> だが、鈴鹿御前は真正面から冥鳴とぶつかり合い、脇に弾き飛ばして、突進してきた。<br> 慌てて真横に転がった真紅の背後に、鈍い衝撃が伝わってきた。<br> 何回か横転してから、体勢を立て直して見ると、さっきまで自分がいた場所に<br> 深々と突き立つ皇剣『霊蝕』が見えた。<br> <br>  「なんて貫通力なの?! 石畳を砕いて尚、あんなに深く刺し貫くなんて」<br> <br> けれども、真に恐るべきは、鈴鹿御前の膂力。<br> 床に突き刺さった皇剣を、まるで畑に植わった大根でも収穫するかの様に、<br> 易々と引き抜いて見せた。<br> <br>  「命辛々……と、言ったところか。ふふ……なかなか愉しませてくれる」<br> <br> 言って、鈴鹿御前は嫌らしく唇を舐めると、真紅に向けて歩を踏み出した。<br> 真紅は舌打ちして、心の中で、金糸雀に問い掛けた。<br> <br>  (どういう事なの、金糸雀! 御魂が揃ったのに、全く歯が立たないわ。<br>   使用可能な精霊が増えたくらいで、筋力は変わらないじゃない!)<br> <br> 金糸雀の御魂は、少し考え込んだ後、言い辛そうに語り始めた。<br> けれど、言葉を濁すような真似はしない。<br> 一蓮托生となった身ならば、隠し事など有名無実。<br> <br>  【よく聞くかしら、真紅。房姫の能力を覚醒できないのは、多分だけど……<br>   カナたちの意識が、まだ残っているからダメだと思われるかしら。<br>   今はまだ、八つに引き裂かれた欠片が、一カ所に寄せ集められただけ。<br>   それらを一つに繋ぎ合わせなければ、真の力は発揮されないかしら】<br>  (ひとつに……繋ぎ合わせる? それをしたら、どうなるの?)<br>  【まず間違いなく、カナたちの人格は消滅するかしら。<br>   もう…………今みたいには、会話できなくなるわ】<br> <br> 真紅は、絶句した。そして、鈴鹿御前の接近も忘れて、金糸雀の言葉を拒絶した。<br> <br>  (イヤよ、私は! そんなのは、イヤ。絶対にイヤ!)<br>  【でも、今のままじゃあ勝てないのよ、真紅。我が侭を言わないで。<br>   みんなだって、とっくに覚悟は出来てるかしら】<br>  【そうですわ、真紅。迷わないで下さい】<br>  【……真紅の力に成れるなら、悔いは無いよ】<br>  【消えるのは、ちょっと怖いけど……みんな一緒だから、ヒナは平気なのよ】<br>  【私たちは、いつだって真紅の中で生きてるですぅ】<br>  【話が出来なくても、ボクたちは、いつだって近くに居るんだよ】<br>  【だから……気に病む事なんてないわよぉ、真紅ぅ。<br>   私たちの御魂を融合して、ちゃっちゃと鈴鹿御前を退治しちゃいなさぁい】<br> <br> 誰の声も、決意に満ち溢れていた。<br> 誰一人として、声を震わせている者は居なかった。<br> 誰もが、消える運命を受け入れ、真紅と一つになろうとしていた。<br> <br> みんな、自分たちなりに考え、答えを出したのだ。<br> 自分たちの未来を、私に託してくれたのだ。<br> 真紅は、感激のあまり、胸が熱くなるのを感じた。<br> <br>  (貴女たちの気持ちは、とても嬉しい。<br>   こんな、ちっぽけで弱い私に、全てを委ねてくれたんだもの。<br>   私は、光栄に思う。貴女たち姉妹を、心から誇りに思うわ)<br>  【それでは……決めたのですわね、真紅】<br>  (ええ、決めたわ、雪華綺晶。どうする事が最善なのか……やっと解ったから)<br>  【だったら、もう何も言わないわぁ。真紅の意志に任せるからぁ】<br>  (ありがとう、水銀燈)<br> <br> ひとつ吐息して、瞼を閉じ、真紅は徐に印を結んだ。<br> 二度、三度と深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせる。<br> もう逃げない。もう迷わない。もう諦めない。<br> 最善の選択と信じて、運命のしっぽを掴んだのだから、あとは夢中で追いかけるのみ。<br> 何処までだって、とことん追いかけて、必ずものにしてみせる。<br> <br> 真紅は自分の内に宿る姉妹たちに、決然と言い放った。<br> <br>  (私は拒否する! 絶対に、融合なんてしないのだわ!<br>   たとえ、この瞬間に融合することが十八年前、既に決定されていて、<br>   抗えない運命だとしても……私は、最後の一瞬まで抗い続けてやるわ。<br>   そんな運命ならば要らない! 突き飛ばして、はね除けてやるだけ!<br>   他人に決められた運命なんて、歩きたくはない)<br> <br> 御魂の集合状態を、解除――<br> <br> 結んだ印を切った途端、真紅の身体から、七つの御魂が散開した。<br> 間近まで迫っていた鈴鹿御前は、その様子を目にするや嘲笑を凍りつかせて、<br> 信じられないと言わんばかりに双眸を見開いた。<br> 融合することはあれど、集めた御魂を再び手放すとは思っていなかったのだ。<br> <br>  「……度し難い愚か者だな、お前は。<br>   御魂が八つ揃っても、わたしには敵わないのに、自ら残滓に戻るとは」<br> <br> 自棄でも起こしたのか? そう言いかけて、鈴鹿御前は一つの可能性に気付き、<br> ははぁん……と、口元を醜く歪めた。<br> <br>  「なるほど。つまり、アレか。<br>   自分が生け贄になることで、他の娘たちを助けようと言う訳だな?<br>   美しい自己犠牲の精神だこと。本当に…………反吐が出るくらいにね」<br> <br> 嘲笑う鈴鹿御前に、真紅は真っ向から反論した。<br> <br>  「いいえ! 私は、漸く気付いたのだわ。本質が、何か……と言う事に。<br>   御魂を集めたって、結局は独り。でも、独りで出来る事には限りがあるわ。<br>   だから、人は気の遠くなるような昔から、集団生活を送ってきたのよ。<br>   一人一人の力は小さくとも、全員の力を合わせて、強大な力とする為に」<br>  「弱い者同士で、力を合わせるだと? 馬鹿な。虫酸が走るわ。<br>   群を成し、馴れ合って、だらだらと存在し続けているだけの虫けらではないか。<br>   否。虫けらの方が、まだマシよ。冬になれば消えるからな。<br>   厚顔無恥なクズどもの扱いなど、糧か、もしくは使い捨ての駒で充分よ」<br>  「個々の力を過小評価し過ぎる貴女の考えこそが、貴女自身を滅ぼすわ。<br>   裏切りに脅えるあまり、誰も信じられず……御魂を分けた巴やめぐまで、<br>   自分の糧として利用した貴女には、永久に解らないでしょうけどね」<br>  「知った風な口を――」<br> <br> 舌打ちして、斬りかかった鈴鹿御前の皇剣を、真紅の神剣が受け止めた。<br> 互いの息がかかる程の距離で、二人は鋭い眼光を放ち、睨み合う。<br> 歯を噛み鳴らし、顔を紅潮させて悔しさを露わにする、もう一人の自分が、そこに居た。<br> 真紅が彼女に向けた表情は、侮蔑でも憐憫でもなく……。<br> <br> 雲一つない青空のような、清々しい微笑みだった。<br> <br>  「私は、もう迷わない。私自身の信念を貫いてみせるわ。<br>   今こそ【義】の御魂の守護者として、私の名が冠する『真』の一文字と共に、<br>   礼儀、信義、忠義、仁義……全ての御魂に、義の能力を与えるのよ。<br>   それが、私の正義……真義なのだから」<br>  「はん! しゃらくさいわ! そんなもの、ただの虚仮威し。<br>   児戯に等しい、言葉遊びではないか」<br>  「貴女はまだ、気付かないのね」<br> <br> 凪いだ海のように穏やかな口調で告げた真紅の身体から、突如として眩い光が迸る。<br> それは破邪と浄化の光だったが、明らかに縁辺流の霊光とは異なっていた。<br> <br>  「な、なにっ……これは?!」<br> <br> 咄嗟に飛び退き、赤い翼によって光を遮断する鈴鹿御前。<br> だが、極めて短時間ながら直視してしまったため、一時的に視力を奪われていた。<br> 翼の表面が、じりじりと焼けていく。<br> これほどまでに強力な退魔の能力を行使できるのは、最早、人に非ず。<br> <br> <br> ――神魔覚醒。鈴鹿御前の背中を、嘗て無いほどの悪寒が走った。<br> <br>  「欠片の分際で、神魔覚醒を?! そんな馬鹿な……信じられるものか!<br>   わたしは認めないっ! こんなものは、まやかしに過ぎぬ!」<br>  「現実から目を背けていたのは、実は貴女の方だったのよ。<br>   私と貴女を欺き、裏切った者達は、もう死に絶えていると言うのに……<br>   なおも無意味な復讐心に囚われ続けている。<br>   だから――私が、貴女を永劫の運命の輪から拾い上げてあげる。<br>   無限の苦しみから解き放って、貴女に真の自由を、今こそ――」<br> <br> 凛とした真紅の声が響き渡り、白い光が収まった。<br> どうなった? 終わったのか? 鈴鹿御前は徐に翼を除けて、霞む目を瞬かせる。<br> だんだんと、視界が戻るに連れて、剣を構える真紅の姿が明瞭になってきた。<br> 巫女装束の緋袴が、やけに目に滲みる。<br> <br> だが、そんな事がどうでも良くなるくらいに衝撃的な景色が、鈴鹿御前の瞳に飛び込んできた。<br> 紺碧だった真紅の瞳は、今や、薔薇水晶や雪華綺晶の赤目と同じ輝きを宿していた。<br> そればかりか、金糸を思わせる髪を掻き分けて、真っ白な狗の耳が、<br> 真っ直ぐ天に突き出している。<br> 緋袴の後ろにも、ふさふさとした白い尻尾が、見え隠れしていた。<br> <br> それは正しく、十八年前に斃した宿敵、狗神の血によって神魔覚醒した、房姫の姿。<br> 鈴鹿御前は、嘗て見せたことが無いくらいの狼狽ぶりで、頬を引き攣らせた。<br> <br>  「そんな馬鹿なっ! 馬鹿な! 馬鹿なっ!<br>   何故だ! 何故、お前が覚醒できるのだ!<br>   狗神の血を引いてもいない、ただの人間に成り下がった、お前ごときが!」<br>  「八つに別れていた私たちは、一つに交わり、あらゆる経験を共有したわ。<br>   喜怒哀楽、悲喜こもごも、全てのことをね。そして、私たちは悟った。<br>   いつも側で支えてくれる人さえ居れば……<br>   誰もが、至高の存在になれる可能性を秘めている、という事をね。<br>   その結果が、この姿なのだわ」<br> <br> 動揺を隠しきれない素振りで、鈴鹿御前は固唾を呑み込んだ。<br> 額に、焦燥の証である脂汗が滲んでいる。<br> それでも、彼女は気丈に平静を装い、虚勢とも思える言葉を吐いた。<br> <br>  「至高の存在? 支えてくれる人だと? ふ……馬鹿馬鹿しい。<br>   人は利己的な動物に過ぎぬ。損得なしに他者を支える者など、居よう筈がないわ」<br>  「私には、あの娘たちが居るわ。私だけじゃない。誰にだって居るのよ。<br>   ただ、あまりにも日常的すぎて、気がつかないだけ。<br>   だけど……もう、貴女には誰も居ない。<br>   巴も、めぐも、のりも――みんな、貴女が見殺しにしてしまったのよ。<br>   助けようとすれば、出来た筈なのに」<br>  「はん! それが、どうした。わたしに、懺悔しろと宣うか?<br>   わたしの生け贄となったのは、あの娘たちの運命だっただけのことよ」<br> <br> 悪びれるどころか、開き直って肩を竦める鈴鹿御前の態度に、真紅は髪をざわめかせた。<br> <br>  「彼女たちの運命は、貴女が決める事じゃないわ!」<br>  「黙れっ! いい気になるなよ、小娘がっ!」<br> <br> 鈴鹿御前は吼えて、真紅に猛然と斬りかかった。<br> 振り上げられた皇剣『霊蝕』が、篝火の明かりを受けて怪しく光る。<br> それはまるで、真紅の生き血を求めて牙をむく狂犬の様であった。<br>  <br>  <br>  <a href= "http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/971.html">=第四十五章につづく=</a><br>  <br>  </p>
<p> <br>   ~第四十四章~<br>  <br>  <br> 私は、みんなを殺してしまった!<br> みんなを救うためだなんて、ただの口実。薄汚い、欺瞞に過ぎない。<br> 本当に望んでいなかったのならば、たとえ、それが彼女たちの意志であり、<br> 嘆願であったとしても、断固として拒絶した筈だ。<br>  <br>  <br>  そうしなかったのは、私の中に、弱い心があったから――<br>  <br> 現状では鈴鹿御前に叶わないと怯え、<br> 御魂を分けた姉妹たちが惨殺される光景を直視する勇気も持たず、<br> 自らの意思で決断する権利を放棄した結果が、これだ。<br>  <br>  <br> 私は、自らの内に宿る鬼の声に誑かされて、姉妹たちを殺したのだ。<br>  <br>  <br> 真紅は、自分が犯した罪の深さに恐慌状態となり、殆どの言葉を失っていた。<br> 思考は最早、停止寸前。<br> もう一人の自分――鈴鹿御前の言葉を、取捨選択もせずに聞き入れていた。<br> それは、とても危険で、恐ろしいこと。<br> 尊厳も、理念も、種種諸々の生きる理由すらも他人の言葉に委ねきって、<br> 現実から逃避する……それは、誰かの操り人形に成り下がる、ということ。<br> <br>  「感謝して欲しいものだな。<br>   人は、誰でも鬼になれる……それを教育してやったのだから。<br>   そして、お前は自分の意志で、鬼となったのだ。<br>   自ら望んで、この、わたしと同じ道を歩んだのだよ」<br>  「い…………いや」<br> <br> 震える声で、弱々しくも精一杯の拒絶を試みる真紅の心は、<br> しかし、鈴鹿御前の覆い被さるが如き声に、押し潰されようとしていた。<br> <br>  「足掻いても無駄だ。もう、後戻りは出来ぬ。<br>   生ける者も! 死せる者も! 畜生も! 鬼も! 諸々の魑魅魍魎も!<br>   如何なる者も、時を遡って、過ちを正すことなど出来ぬのだから!」<br>  「わ…………私…………私は」<br>  「お前に残された選択肢は、二つ。<br>   鬼と化し、修羅の道を歩み、畜生に身を窶して、わたしと同化するか。<br>   それとも、今ここで、わたしに殺されて吸収されるか。<br>   その、どちらかしか無い! さあ、選べ!」 <br>  「私……は……」<br> <br> その時、城全体がビリビリと震動するほどの怒号が、遠く聞こえた。<br> 翠星石の御魂を吸収したことで、睡鳥夢の起動が解除されてしまったのだ。<br> それは、城門で押し止めていた穢れの軍団が、雪崩を打って突入してきた事を意味した。<br> <br>  【真紅っ! このままじゃ拙いよ!】<br>  【蒼星石の言う通りです! 穢れの者どもが押し寄せてきたら、<br>   ジュンとベジータが殺されちまうです! 私たちだって、いずれ……】<br> <br> いきなり、蒼星石と翠星石が、真紅の中で喚き立てて、真紅を驚かせた。<br> 八つの御魂が揃った為に、彼女たちとの意志疎通まで、可能になったのだろう。<br> でも、二人が口々に叫んでいる話の内容が、真紅には良く解っていなかった。<br> 理解しようという気力も湧かない。何が最善なのか、どうしたら良いのか。<br> 皆目、見当が付かない。完全な痴呆状態だった。<br> <br>  【いつまでも、ボケッとしてるんじゃないわよぉ! お間抜け真紅っ!<br>   やるべき事は、ひとつっきゃないでしょぉ!】<br>  【銀ちゃんの、言うとおりなのっ。<br>   ヒナたちの事で悲しむ前に、真紅には、やらなきゃいけない事があるのっ】<br>  (……解らないわ……なんなの?)<br> <br> 水銀燈と雛苺への問い掛けに、薔薇水晶と雪華綺晶の助言が添えられる。<br> <br>  【真紅……私たちは、何の為に集ったの?】<br>  【私たちは、どうして此処まで来たのか――思い出して下さい】<br> <br>  (私たちは……何の為に、此処まで……)<br> <br>  【まぁだ解らないのぉっ! この、おばかさんっ!】<br> <br> いきなり水銀燈に頭を叩かれた様な気がして、真紅は一瞬、目眩を覚えた。<br> 勿論、そんな事は有り得ない。けれど、身体が憶えていたのだろう。<br> からかわれ、冗談まじりに引っ叩かれていた、腹立たしくも楽しい思い出を。<br> 『おばかさん』に続く優しい暴力の記憶が、状況反射的に起こさせた目眩――<br> それは、今、真紅の思考をも呼び覚まそうとしていた。<br>  <br>  <br> そう……。そうだった。なぜ、忘れていたのだろうか。<br> こんなにも、簡単な答えだったのに。<br> <br>  (私は――私たちは、穢れの元凶を祓うために集ったのよ。<br>   鈴鹿御前を斃すために、今、ここに立っているのだわ)<br> <br> 怒りも悲しみも、怖れも戸惑いも――<br> 全ての雑念を力に変えて、ただ一心に、退魔の神剣を振り抜くのみ。<br> やるべき事は、たった、それだけの事だった。<br> <br> 真紅は、神剣の柄を握り直して、目と鼻の先に居る鈴鹿御前に斬りかかった。<br> よほど侮っていたのだろう。鈴鹿御前は、神剣の間合いに踏み込んでいた。<br> この距離なら、踏み込む必要は、全くない。<br> <br>  「たああぁぁ――っ!!」<br> <br> 勇ましい雄叫びと共に振り抜かれた刃を、鈴鹿御前の皇剣『霊蝕』が受け止めた。<br> 互いの刃が、ぎちぎちと咬み合う。<br> 八つの御魂を、その身に結集した真紅は、今や、鈴鹿御前と対等の力を得ている。<br> 単純に、そう思っていた。拮抗できると信じていた。<br> <br> けれど…………現実は、そこまで甘くなかった。<br> <br> 真紅が渾身の力で押し込んでいた剣が、徐々に、押し戻されていた。<br> 柄に左手を添えて、両腕で押したけれど、ビクともしない。<br> 鈴鹿御前は右腕一本で、真紅の剣を押し返しているのだ。<br> <br>  「ま、まさか、こんな」<br>  「その程度の力で、わたしを斬れると思ったか、真紅?<br>   所詮、お前は、わたしの欠片。従僕ごときが、主人に敵う訳があるまい。<br>   十八年前は、狗神の妖力を吸収して漸く、拮抗したまでのこと」<br> <br> 鈴鹿御前の言葉を受けて、真紅の脳裏に、房姫だった頃の記憶が少しだけ甦った。<br> 嘗て、鈴鹿御前が鬼と化した時に不要物として切り離され、捨てられた房姫は、<br> 殆ど退魔の能力を持たなかった事を。<br> それでも、たった一人の分身である鈴鹿御前を止めるべく力を蓄え、<br> 十八年前の闘いに臨んだことも。<br> それらは全て、消滅を免れた良心としての役割を果たす為だった。<br> <br>  「だが、今のお前は、以前の力を八等分された内の、一つでしかない。<br>   当時ですら、辛うじて対抗できていたと言うのに、八分の一のお前が、<br>   わたしに勝てると考えること自体が烏滸がましいわ」<br> <br> 嘲って、鈴鹿御前は真正面から、真紅の腹を蹴りつけた。<br> 法理衣に護られていたとは言え、鳩尾のやや下に直撃を食らって、息が詰まる。<br> それだけに留まらず、真紅の身体は大きく飛ばされ、玉座が安置された高台から、<br> 下の床に落ちてしまった。<br> その落差は約10尺、大の大人を二人、縦に並べた程もある。<br> 背後の護りは圧鎧で対応してはいるが、この高さから叩きつけられれば、正直、<br> どうなるか予想も付かなかった。<br> <br> 一瞬の後、背中と後頭部を激しく石畳の床に打ちつけて、真紅は気を失いかけた。<br> だが、彼女の内に宿る七人が、眠ることを許さない。<br> <br>  【目を開けるんだ、真紅! すぐに、次が来るよ!】<br> <br> 蒼星石の声を聞いて、ちらつく目を懸命に凝らした先には、赤い翼を広げて、<br> 空中に待機する鈴鹿御前の姿が在った。<br> 剣を構え、今しも急降下するところだった。<br> <br>  (来たっ!)<br> <br> 真紅は冥鳴を起動すると、鈴鹿御前に向けて放った。<br> 急降下の狙いを逸らし、その間に回避する策である。<br> だが、鈴鹿御前は真正面から冥鳴とぶつかり合い、脇に弾き飛ばして、突進してきた。<br> 慌てて真横に転がった真紅の背後に、鈍い衝撃が伝わってきた。<br> 何回か横転してから、体勢を立て直して見ると、さっきまで自分がいた場所に<br> 深々と突き立つ皇剣『霊蝕』が見えた。<br> <br>  「なんて貫通力なの?! 石畳を砕いて尚、あんなに深く刺し貫くなんて」<br> <br> けれども、真に恐るべきは、鈴鹿御前の膂力。<br> 床に突き刺さった皇剣を、まるで畑に植わった大根でも収穫するかの様に、<br> 易々と引き抜いて見せた。<br> <br>  「命辛々……と、言ったところか。ふふ……なかなか愉しませてくれる」<br> <br> 言って、鈴鹿御前は嫌らしく唇を舐めると、真紅に向けて歩を踏み出した。<br> 真紅は舌打ちして、心の中で、金糸雀に問い掛けた。<br> <br>  (どういう事なの、金糸雀! 御魂が揃ったのに、全く歯が立たないわ。<br>   使用可能な精霊が増えたくらいで、筋力は変わらないじゃない!)<br> <br> 金糸雀の御魂は、少し考え込んだ後、言い辛そうに語り始めた。<br> けれど、言葉を濁すような真似はしない。<br> 一蓮托生となった身ならば、隠し事など有名無実。<br> <br>  【よく聞くかしら、真紅。房姫の能力を覚醒できないのは、多分だけど……<br>   カナたちの意識が、まだ残っているからダメだと思われるかしら。<br>   今はまだ、八つに引き裂かれた欠片が、一カ所に寄せ集められただけ。<br>   それらを一つに繋ぎ合わせなければ、真の力は発揮されないかしら】<br>  (ひとつに……繋ぎ合わせる? それをしたら、どうなるの?)<br>  【まず間違いなく、カナたちの人格は消滅するかしら。<br>   もう…………今みたいには、会話できなくなるわ】<br> <br> 真紅は、絶句した。そして、鈴鹿御前の接近も忘れて、金糸雀の言葉を拒絶した。<br> <br>  (イヤよ、私は! そんなのは、イヤ。絶対にイヤ!)<br>  【でも、今のままじゃあ勝てないのよ、真紅。我が侭を言わないで。<br>   みんなだって、とっくに覚悟は出来てるかしら】<br>  【そうですわ、真紅。迷わないで下さい】<br>  【……真紅の力に成れるなら、悔いは無いよ】<br>  【消えるのは、ちょっと怖いけど……みんな一緒だから、ヒナは平気なのよ】<br>  【私たちは、いつだって真紅の中で生きてるですぅ】<br>  【話が出来なくても、ボクたちは、いつだって近くに居るんだよ】<br>  【だから……気に病む事なんてないわよぉ、真紅ぅ。<br>   私たちの御魂を融合して、ちゃっちゃと鈴鹿御前を退治しちゃいなさぁい】<br> <br> 誰の声も、決意に満ち溢れていた。<br> 誰一人として、声を震わせている者は居なかった。<br> 誰もが、消える運命を受け入れ、真紅と一つになろうとしていた。<br> <br> みんな、自分たちなりに考え、答えを出したのだ。<br> 自分たちの未来を、私に託してくれたのだ。<br> 真紅は、感激のあまり、胸が熱くなるのを感じた。<br> <br>  (貴女たちの気持ちは、とても嬉しい。<br>   こんな、ちっぽけで弱い私に、全てを委ねてくれたんだもの。<br>   私は、光栄に思う。貴女たち姉妹を、心から誇りに思うわ)<br>  【それでは……決めたのですわね、真紅】<br>  (ええ、決めたわ、雪華綺晶。どうする事が最善なのか……やっと解ったから)<br>  【だったら、もう何も言わないわぁ。真紅の意志に任せるからぁ】<br>  (ありがとう、水銀燈)<br> <br> ひとつ吐息して、瞼を閉じ、真紅は徐に印を結んだ。<br> 二度、三度と深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせる。<br> もう逃げない。もう迷わない。もう諦めない。<br> 最善の選択と信じて、運命のしっぽを掴んだのだから、あとは夢中で追いかけるのみ。<br> 何処までだって、とことん追いかけて、必ずものにしてみせる。<br> <br> 真紅は自分の内に宿る姉妹たちに、決然と言い放った。<br> <br>  (私は拒否する! 絶対に、融合なんてしないのだわ!<br>   たとえ、この瞬間に融合することが十八年前、既に決定されていて、<br>   抗えない運命だとしても……私は、最後の一瞬まで抗い続けてやるわ。<br>   そんな運命ならば要らない! 突き飛ばして、はね除けてやるだけ!<br>   他人に決められた運命なんて、歩きたくはない)<br> <br> 御魂の集合状態を、解除――<br> <br> 結んだ印を切った途端、真紅の身体から、七つの御魂が散開した。<br> 間近まで迫っていた鈴鹿御前は、その様子を目にするや嘲笑を凍りつかせて、<br> 信じられないと言わんばかりに双眸を見開いた。<br> 融合することはあれど、集めた御魂を再び手放すとは思っていなかったのだ。<br> <br>  「……度し難い愚か者だな、お前は。<br>   御魂が八つ揃っても、わたしには敵わないのに、自ら残滓に戻るとは」<br> <br> 自棄でも起こしたのか? そう言いかけて、鈴鹿御前は一つの可能性に気付き、<br> ははぁん……と、口元を醜く歪めた。<br> <br>  「なるほど。つまり、アレか。<br>   自分が生け贄になることで、他の娘たちを助けようと言う訳だな?<br>   美しい自己犠牲の精神だこと。本当に…………反吐が出るくらいにね」<br> <br> 嘲笑う鈴鹿御前に、真紅は真っ向から反論した。<br> <br>  「いいえ! 私は、漸く気付いたのだわ。本質が、何か……と言う事に。<br>   御魂を集めたって、結局は独り。でも、独りで出来る事には限りがあるわ。<br>   だから、人は気の遠くなるような昔から、集団生活を送ってきたのよ。<br>   一人一人の力は小さくとも、全員の力を合わせて、強大な力とする為に」<br>  「弱い者同士で、力を合わせるだと? 馬鹿な。虫酸が走るわ。<br>   群を成し、馴れ合って、だらだらと存在し続けているだけの虫けらではないか。<br>   否。虫けらの方が、まだマシよ。冬になれば消えるからな。<br>   厚顔無恥なクズどもの扱いなど、糧か、もしくは使い捨ての駒で充分よ」<br>  「個々の力を過小評価し過ぎる貴女の考えこそが、貴女自身を滅ぼすわ。<br>   裏切りに脅えるあまり、誰も信じられず……御魂を分けた巴やめぐまで、<br>   自分の糧として利用した貴女には、永久に解らないでしょうけどね」<br>  「知った風な口を――」<br> <br> 舌打ちして、斬りかかった鈴鹿御前の皇剣を、真紅の神剣が受け止めた。<br> 互いの息がかかる程の距離で、二人は鋭い眼光を放ち、睨み合う。<br> 歯を噛み鳴らし、顔を紅潮させて悔しさを露わにする、もう一人の自分が、そこに居た。<br> 真紅が彼女に向けた表情は、侮蔑でも憐憫でもなく……。<br> <br> 雲一つない青空のような、清々しい微笑みだった。<br> <br>  「私は、もう迷わない。私自身の信念を貫いてみせるわ。<br>   今こそ【義】の御魂の守護者として、私の名が冠する『真』の一文字と共に、<br>   礼儀、信義、忠義、仁義……全ての御魂に、義の能力を与えるのよ。<br>   それが、私の正義……真義なのだから」<br>  「はん! しゃらくさいわ! そんなもの、ただの虚仮威し。<br>   児戯に等しい、言葉遊びではないか」<br>  「貴女はまだ、気付かないのね」<br> <br> 凪いだ海のように穏やかな口調で告げた真紅の身体から、突如として眩い光が迸る。<br> それは破邪と浄化の光だったが、明らかに縁辺流の霊光とは異なっていた。<br> <br>  「な、なにっ……これは?!」<br> <br> 咄嗟に飛び退き、赤い翼によって光を遮断する鈴鹿御前。<br> だが、極めて短時間ながら直視してしまったため、一時的に視力を奪われていた。<br> 翼の表面が、じりじりと焼けていく。<br> これほどまでに強力な退魔の能力を行使できるのは、最早、人に非ず。<br> <br> <br> ――神魔覚醒。鈴鹿御前の背中を、嘗て無いほどの悪寒が走った。<br> <br>  「欠片の分際で、神魔覚醒を?! そんな馬鹿な……信じられるものか!<br>   わたしは認めないっ! こんなものは、まやかしに過ぎぬ!」<br>  「現実から目を背けていたのは、実は貴女の方だったのよ。<br>   私と貴女を欺き、裏切った者達は、もう死に絶えていると言うのに……<br>   なおも無意味な復讐心に囚われ続けている。<br>   だから――私が、貴女を永劫の運命の輪から拾い上げてあげる。<br>   無限の苦しみから解き放って、貴女に真の自由を、今こそ――」<br> <br> 凛とした真紅の声が響き渡り、白い光が収まった。<br> どうなった? 終わったのか? 鈴鹿御前は徐に翼を除けて、霞む目を瞬かせる。<br> だんだんと、視界が戻るに連れて、剣を構える真紅の姿が明瞭になってきた。<br> 巫女装束の緋袴が、やけに目に滲みる。<br> <br> だが、そんな事がどうでも良くなるくらいに衝撃的な景色が、鈴鹿御前の瞳に飛び込んできた。<br> 紺碧だった真紅の瞳は、今や、薔薇水晶や雪華綺晶の赤目と同じ輝きを宿していた。<br> そればかりか、金糸を思わせる髪を掻き分けて、真っ白な狗の耳が、<br> 真っ直ぐ天に突き出している。<br> 緋袴の後ろにも、ふさふさとした白い尻尾が、見え隠れしていた。<br> <br> それは正しく、十八年前に斃した宿敵、狗神の血によって神魔覚醒した、房姫の姿。<br> 鈴鹿御前は、嘗て見せたことが無いくらいの狼狽ぶりで、頬を引き攣らせた。<br> <br>  「そんな馬鹿なっ! 馬鹿な! 馬鹿なっ!<br>   何故だ! 何故、お前が覚醒できるのだ!<br>   狗神の血を引いてもいない、ただの人間に成り下がった、お前ごときが!」<br>  「八つに別れていた私たちは、一つに交わり、あらゆる経験を共有したわ。<br>   喜怒哀楽、悲喜こもごも、全てのことをね。そして、私たちは悟った。<br>   いつも側で支えてくれる人さえ居れば……<br>   誰もが、至高の存在になれる可能性を秘めている、という事をね。<br>   その結果が、この姿なのだわ」<br> <br> 動揺を隠しきれない素振りで、鈴鹿御前は固唾を呑み込んだ。<br> 額に、焦燥の証である脂汗が滲んでいる。<br> それでも、彼女は気丈に平静を装い、虚勢とも思える言葉を吐いた。<br> <br>  「至高の存在? 支えてくれる人だと? ふ……馬鹿馬鹿しい。<br>   人は利己的な動物に過ぎぬ。損得なしに他者を支える者など、居よう筈がないわ」<br>  「私には、あの娘たちが居るわ。私だけじゃない。誰にだって居るのよ。<br>   ただ、あまりにも日常的すぎて、気がつかないだけ。<br>   だけど……もう、貴女には誰も居ない。<br>   巴も、めぐも、のりも――みんな、貴女が見殺しにしてしまったのよ。<br>   助けようとすれば、出来た筈なのに」<br>  「はん! それが、どうした。わたしに、懺悔しろと宣うか?<br>   わたしの生け贄となったのは、あの娘たちの運命だっただけのことよ」<br> <br> 悪びれるどころか、開き直って肩を竦める鈴鹿御前の態度に、真紅は髪をざわめかせた。<br> <br>  「彼女たちの運命は、貴女が決める事じゃないわ!」<br>  「黙れっ! いい気になるなよ、小娘がっ!」<br> <br> 鈴鹿御前は吼えて、真紅に猛然と斬りかかった。<br> 振り上げられた皇剣『霊蝕』が、篝火の明かりを受けて怪しく光る。<br> それはまるで、真紅の生き血を求めて牙をむく狂犬の様であった。<br>  <br>  <br>  <a href= "http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/971.html">=第四十五章につづく=</a><br>  <br>  </p>

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