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『愛って、なんですか?』後編」(2006/05/28 (日) 21:59:46) の最新版変更点

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<p><br> フルートに吹き込む吐息に、ボクの想いを乗せて、その旋律は奏でられる。<br> 金糸雀が徹夜で作ったというこの曲は、単純だけれど玄妙なメロディを<br> 醸し出していた。<br> すんなりと耳に入ってきて、勇気を沸き立たせてくれる、穏やかな調べ。<br> 天才の存在を、こんなにも身近に感じるとはね。<br> もしかしたら、彼女は女神ミューズの生まれ変わりなのかも知れない。<br> <br> 金糸雀には、どんなに感謝しても足りない。<br> だけど……その恩を返す時間は、ボクに残されているだろうか。<br> ボクの頬を涙が流れ落ちて、フルートの調べが揺らいだ。<br> <br> 「あ~あ、なに泣いちゃってるんだろうね、この娘は。<br>  フルートの澄んだ音色が、へろへろに歪んじゃってるじゃないの。<br>  ゴチャゴチャして、まるで音の迷路よ。<br>  曲名、変えた方が良いわ。『乙女の涙は音迷路』ってね」<br> 「うん……そうだね」<br> <br> それ以上は演奏できなくて、ボクはフルートを降ろした。<br> <br> 「どうしたの、蒼星石? 自分の演奏で、感激しちゃった?」<br> 「違うんだ。ごめん……なんでもないから」<br> 「なんでもなくて、いきなり泣き出すワケないでしょ!<br>  ねえ、話してみて。私たちの間で、隠し事なんて止めましょうよ」<br> 「…………」<br> 「お願いよ、蒼星石」<br> 「……そうだね。聞いてくれるかい、めぐ?」<br> <br> しっかりと頷く彼女に促されて、ボクは徐に、口を開いた。<br> <br></p> <hr> <br> 蒼星石の言葉は、雷に撃たれたかのような衝撃を、私に与えた。<br> 末期のガン? 蒼星石が? こんなに、元気そうなのに?<br> 少女のように泣きじゃくる彼女を、私は両腕で抱き締め、包み込んであげた。<br> 過去の自分を見ているようで、心が張り裂けそうになる。<br> <br> 検査の結果、判明したのだという。<br> 全身に転移していて、手術しても、手遅れなのだという。<br> なぜ、神さまは、こんなに残酷なことをするの?<br> 博愛を唱えていながら、なぜ、全ての人を幸福にしてあげられないの?<br> <br> こんな事を言うと、神さまを信じる人達に怒られるだろうけど、<br> 一言だけ、言わせて。<br> <br> ――神なんて、何もできない能無しよ。<br> <br> だけど、私は違う。蒼星石のために、何かを、してあげられる。<br> 私を元気付けるため、フルートの特訓までしてくれた彼女に、お返しをしなきゃ。<br> <br> 「ねえ、蒼星石。二人の思い出のために、指輪の交換をしない?」<br> 「えっ?」<br> 「貴女が填めているファッションリングと、私の――」<br> <br> 私は、ベッド脇の戸棚から、化粧箱に収められた指輪を取り出した。<br> 指輪の交換……それは、永久の愛を誓う、特別な儀式。<br> <br> 「おばあちゃんから貰った、このプラチナの指輪を、交換しようよ」<br> 「そんな……価値が、違いすぎるよ」<br> 「良いのよ。市場の価値と、個人の値打ちは違うわ。<br>  私は、蒼星石がくれる物なら、なんだって大切にする。たとえ、安物の指輪でも」<br> <br> <hr> <br> さり気なく『安物の』と付けるところに、やっぱり値段を気にしてるんだなと、<br> 笑いを誘われる。<br> でも、めぐの申し出は嬉しかった。<br> ボクがプレゼントする物なら、何でも大切にしてくれると言うけど、<br> それは、ボクにとっても同じコトなんだよ。<br> 物であれ、微笑みであれ、めぐが与えてくれるものは、ボクにとって珠玉の宝石なんだ。<br> <br> ボクは右手の中指から、安物のファッションリングを抜き取って、めぐに差し出した。<br> <br> 「ボクには、こんな物しかあげられないけど……貰ってくれる?」<br> 「受け取るわ、勿論。それに、貴女は私に、沢山のものを与えてくれたわよ。<br>  この半年の思い出は、私にとって、かけがえのない宝物。<br>  貴女の想いは、今、私がこの世に存在する理由の、全てと言っても良いわ」<br> <br> めぐは、ボクの目の前に、すっ……と左手を伸ばした。<br> <br> 「折角だから、貴女が填めてよ。私の薬指に」<br> 「……うん」<br> <br> 彼女の望むままに、ボクは指輪を贈った。<br> 本当は、縁日の屋台で、姉さんとふざけて買って、交換した指輪なんだけど。<br> 許してくれるよね、姉さん。<br> <br> ボクが填めた指輪を、めぐはうっとりと見詰めながら、言葉を紡ぎ出した。<br> <br> 「貴女にとって、私が誰より1番だったら良いな。ううん。そうじゃなきゃ許せない。<br>  だって……私は、世界で1番、蒼星石が好きなんだもの。<br>  それなのに、貴女が私を二号さんだと思っていたなら、不公平じゃない?」<br> <br> <hr> <br> 心から、こう思う。私は、蒼星石の特別な人でありたい……と。<br> お姉さんと、すごく仲がいいのは、彼女の態度から容易に察せられた。<br> だからこそ願う。<br> ――どうか、蒼星石が、お姉さんよりも私を選んでくれますように。<br> <br> 想いを込めながら、私はプラチナの指輪を、蒼星石の右手の薬指に填めた。<br> 蒼星石は、夢見るような眼差しで指輪を見詰めながら、呟く。<br> <br> 「ボクは、この指輪に誓うよ。死を以てしても分かたれない、永久の愛を」<br> <br> 私の左手と、蒼星石の右手。<br> お互いに差し出した掌を重ね合わせると、薬指のリングが当たる、硬い感触があった。<br> 蒼星石の瞳と、私の瞳。見つめ合い、瞼を閉じる。<br> どちらからともなく、距離を縮めた。<br> 涙を溢れさせながら、唇を重ねた。<br> この一瞬を、永久の愛に昇華させるための儀式は、これで終わる。<br> <br> 優しいキスを終えて、私は泣きながら、彼女にお礼を告げた。<br> <br> 「ありがとう、蒼星石。私、今になって、本当の夢を見付けたわ」<br> 「本当の、夢?」<br> 「いつか、話してたでしょう? もしも……の例え話」<br> 「ああ……あれか。懐かしいね、何もかも」<br> <br> 本当に、懐かしい。あれは、先週の金曜日だった。<br> たった一週間前のことなのに、どうして、こんなにも懐かしいの?<br> なぜ、たった数日間のコトが、何年もの長さに感じられるの?<br> <br> <hr> <br> 「せめて人並みに、幸せになりたい。<br>  あははっ……なんて平凡で、つまらない夢なの。<br>  人生で最後の願いが、こんな儚い願いだなんて……ホント、笑っちゃう。<br>  笑いすぎて、お腹が痛くって…………涙が出ちゃうわ」<br> <br> 涙を流しながら、ボクに、そう語った日の夜――<br> 彼女は静かに、息を引き取った。死に顔は、幸せそうに微笑んでいたという。<br> 果たして、めぐの十八年間は、幸せだったのだろうか。ボクには、解らない。<br> ボクは、彼女じゃないから。<br> ――だけど、幸せだったと信じたい。彼女は、素晴らしい人生を生きたんだ、と。<br> <br> <br> あれから一ヶ月が過ぎて、ボクに残された時間も、あと僅かとなっている。<br> 病室の窓から見る十月の空は、どこまでも澄み渡り、高かった。<br> 今日は平日。枕元の時計は、午前十時を指していた。<br> 姉さんは今頃、授業中だね。水銀燈や、真紅……みんなも。<br> この時間に来る見舞客は、居ない。ボクは、独りで死んでいくのかなぁ。<br> <br> ボクには、ある予感があった。<br> 今日、ボクは死ぬのだ……と。でも、それでも良い。<br> 永久の愛を誓った、めぐの元に行けるのだから。もう、明日を夢見る必要なんて無い。<br> <br> ふと、開け放った窓から吹き込んできた秋の風に、彼女の匂いを嗅いだ気がした。<br> 何気なく、窓の方に頚を巡らして、空を見上げてみた。<br> <br> 「やっほー。お久しぶり」<br> <br> そこには、背中に白い翼を生やした、彼女が微笑んでいた。<br> いつでも微笑みを……そう願った、ボクの為の笑顔が、目の前にあった。<br> <br> <hr> <br> 少し見ない内に、蒼星石は痩せ衰えてしまっていた。<br> 可哀想に……こんなに窶れて。辛かったよね、きっと。私には解るわ。<br> <br> 「キミの翼、とっても綺麗だね」<br> <br> 掠れた声だったので聞き取り難かったけれど、蒼星石は、確かにそう言ってくれた。<br> 綺麗。その一言が、ただただ嬉しかった。<br> 他には何も要らないって、思えるくらいに。<br> <br> 「ボクも欲しいな。キミと同じ、真っ白な翼が」<br> 「……どうして?」<br> <br> 理由は解っていた。でも、わざと解らないフリをして訊ねたわ。<br> だって、蒼星石の口から、蒼星石の言葉で、伝えて欲しかったんだもの。<br> <br> 「君が好きだから、愛しているから、もう離れたくないから……。<br>  だから、ボクは翼が欲しい。キミと何処へでも、何処まででも行くために――」<br> 「ありがとう、蒼星石。私…………とっても幸せよ」<br> <br> 私は、溢れる涙を抑えることが出来ず、ベッドの脇に降り立って、<br> 蒼星石と口付けを交わした。<br> <br> 「キミは、ボクにとっての天使だったんだね」<br> <br> 彼女は、潤んだ緋翠の瞳から、乙女色の涙を零した。<br> 私は、部屋の片隅に置かれた黒いケースを開いて、金色のフルートを取り出す。<br> <br> 「あの頃とは、立場が逆ね。今日は、私が曲を演奏してあげるわ」<br> <br> <hr> <br> めぐは、そう言うと、徐に、フルートで妙なる調べを奏で始めた。<br> ショパンの『別れの曲』だ。<br> 本当はピアノで演じる曲なんだけど、真に良質の旋律は、聞く者と楽器を選ばない。<br> どんな楽器で奏でられても、人々を魅了する。<br> どんなに荒んだ人の心にも、すんなりと染み込んでいって、心のヒビを埋めてくれる。<br> <br> それが、音楽の素晴らしさ。<br> <br> 「折角なんだけど、ボクは、バッハの『G線上のアリア』が聞きたかったなぁ」<br> 「悪かったわね。練習する暇が無かったのよ」<br> <br> めぐと軽口を叩いていると、身体まで軽くなっていく気がした。<br> <br> いや……気のせいじゃない。ボクの身体は、いつの間にか宙に浮いていた。<br> 背中に、願った通りの真っ白な翼を得て。<br> <br> 見下ろすと、ベッドには、ボクが持ち続けていた『意識の器』が横たわっていた。<br> 十八年が長かったのか、短かったのか、人生経験の足りないボクには答えを出せない。<br> でも、多分、長さは関係ないと思う。<br> 楽しい十八年だったと満足できたなら、きっと素晴らしい人生だったんだよ。<br> <br> 辛いこと、悲しいこともあったけど、素敵な十八年だったと思う。<br> だから、未練はない。<br> ボクの、意識の器……いままで、ありがとう。<br> <br> ボクは、もう行くよ。<br> <br> どこまでも、めぐと一緒に。<br> <br> <hr> <br> 「準備は良い? 後悔とか、全くない?」<br> 「無いよ。キミを愛しているから……キミと一緒に居られるなら、何も後悔しない」<br> 「じゃあ行こうか、蒼星石。蒼い空の向こう側まで――」<br> <br> めぐと蒼星石は、病室の窓から飛び出し、真っ白な翼を広げた。<br> 思いっ切り羽ばたき、空を駆ける。<br> 蒼星石は、初めて知った。<br> ――空を飛ぶことが、こんなにも気持ちが良いことだったなんて。<br> <br> <br> 「ねえ! 蒼星石っ!」<br> <br> はしゃぐ蒼星石に、めぐが左腕を差し出す。<br> <br> 「手、繋いでいこう?」<br> 「うん。今度こそ、ボクの右手に、キミの左手……だね」<br> <br> 手を繋ぐと、誓いの指輪が、かちっと当たった。<br> そして、二人は――蒼空の彼方へと、飛んでいった。<br> <br> 何処へでも、何処まででも――<br> <br> <br> <br> 愛って、なんですか?<br> <br> <br>   完<br> <br> <br> <br> <br> <br> <br> <hr> <br> 使用されたサブタイ<br> <br> 【もしもシリーズ?】【私の夢は☆】【花言葉は乙女の真心】<br> 【明日は晴れ】【私が誰より1番】【夢は何色?】【僕の右手に君の左手】<br> 【儚い願い】【乙女の涙は乙女色】【乙女の涙は音迷路(乙女色)】<br> 【ずっと一緒に…】【君が好き】【花より団子?】【いつでも微笑みを】<br> 【さよならは突然に】【悲劇は繰り返される】【春の陽気に誘われて】<br> 【永久の愛】【届けたいこの思い】【蒼い空の向こう側】<br> 【私は此処に居るから】【薔薇の棘には御用心】【雨降りの日も】<br> 【麗しき乙女たち】【乙女のピンチ】【夢の導くままに】【明日を夢見る】<br> 【空を見上げて】<br>
<p><br> フルートに吹き込む吐息に、ボクの想いを乗せて、その旋律は奏でられる。<br> 金糸雀が徹夜で作ったというこの曲は、単純だけれど玄妙なメロディを<br> 醸し出していた。<br> すんなりと耳に入ってきて、勇気を沸き立たせてくれる、穏やかな調べ。<br> 天才の存在を、こんなにも身近に感じるとはね。<br> もしかしたら、彼女は女神ミューズの生まれ変わりなのかも知れない。<br> <br> 金糸雀には、どんなに感謝しても足りない。<br> だけど……その恩を返す時間は、ボクに残されているだろうか。<br> ボクの頬を涙が流れ落ちて、フルートの調べが揺らいだ。<br> <br> 「あ~あ、なに泣いちゃってるんだろうね、この娘は。<br>  フルートの澄んだ音色が、へろへろに歪んじゃってるじゃないの。<br>  ゴチャゴチャして、まるで音の迷路よ。<br>  曲名、変えた方が良いわ。『乙女の涙は音迷路』ってね」<br> 「うん……そうだね」<br> <br> それ以上は演奏できなくて、ボクはフルートを降ろした。<br> <br> 「どうしたの、蒼星石? 自分の演奏で、感激しちゃった?」<br> 「違うんだ。ごめん……なんでもないから」<br> 「なんでもなくて、いきなり泣き出すワケないでしょ!<br>  ねえ、話してみて。私たちの間で、隠し事なんて止めましょうよ」<br> 「…………」<br> 「お願いよ、蒼星石」<br> 「……そうだね。聞いてくれるかい、めぐ?」<br> <br> しっかりと頷く彼女に促されて、ボクは徐に、口を開いた。<br> <br></p> <hr> <br> 蒼星石の言葉は、雷に撃たれたかのような衝撃を、私に与えた。<br> 末期のガン? 蒼星石が? こんなに、元気そうなのに?<br> 少女のように泣きじゃくる彼女を、私は両腕で抱き締め、包み込んであげた。<br> 過去の自分を見ているようで、心が張り裂けそうになる。<br> <br> 検査の結果、判明したのだという。<br> 全身に転移していて、手術しても、手遅れなのだという。<br> なぜ、神さまは、こんなに残酷なことをするの?<br> 博愛を唱えていながら、なぜ、全ての人を幸福にしてあげられないの?<br> <br> こんな事を言うと、神さまを信じる人達に怒られるだろうけど、<br> 一言だけ、言わせて。<br> <br> ――神なんて、何もできない能無しよ。<br> <br> だけど、私は違う。蒼星石のために、何かを、してあげられる。<br> 私を元気付けるため、フルートの特訓までしてくれた彼女に、お返しをしなきゃ。<br> <br> 「ねえ、蒼星石。二人の思い出のために、指輪の交換をしない?」<br> 「えっ?」<br> 「貴女が填めているファッションリングと、私の――」<br> <br> 私は、ベッド脇の戸棚から、化粧箱に収められた指輪を取り出した。<br> 指輪の交換……それは、永久の愛を誓う、特別な儀式。<br> <br> 「おばあちゃんから貰った、このプラチナの指輪を、交換しようよ」<br> 「そんな……価値が、違いすぎるよ」<br> 「良いのよ。市場の価値と、個人の値打ちは違うわ。<br>  私は、蒼星石がくれる物なら、なんだって大切にする。たとえ、安物の指輪でも」<br> <br> <hr> <br> さり気なく『安物の』と付けるところに、やっぱり値段を気にしてるんだなと、<br> 笑いを誘われる。<br> でも、めぐの申し出は嬉しかった。<br> ボクがプレゼントする物なら、何でも大切にしてくれると言うけど、<br> それは、ボクにとっても同じコトなんだよ。<br> 物であれ、微笑みであれ、めぐが与えてくれるものは、ボクにとって珠玉の宝石なんだ。<br> <br> ボクは右手の中指から、安物のファッションリングを抜き取って、めぐに差し出した。<br> <br> 「ボクには、こんな物しかあげられないけど……貰ってくれる?」<br> 「受け取るわ、勿論。それに、貴女は私に、沢山のものを与えてくれたわよ。<br>  この半年の思い出は、私にとって、かけがえのない宝物。<br>  貴女の想いは、今、私がこの世に存在する理由の、全てと言っても良いわ」<br> <br> めぐは、ボクの目の前に、すっ……と左手を伸ばした。<br> <br> 「折角だから、貴女が填めてよ。私の薬指に」<br> 「……うん」<br> <br> 彼女の望むままに、ボクは指輪を贈った。<br> 本当は、縁日の屋台で、姉さんとふざけて買って、交換した指輪なんだけど。<br> 許してくれるよね、姉さん。<br> <br> ボクが填めた指輪を、めぐはうっとりと見詰めながら、言葉を紡ぎ出した。<br> <br> 「貴女にとって、私が誰より1番だったら良いな。ううん。そうじゃなきゃ許せない。<br>  だって……私は、世界で1番、蒼星石が好きなんだもの。<br>  それなのに、貴女が私を二号さんだと思っていたなら、不公平じゃない?」<br> <br> <hr> <br> 心から、こう思う。私は、蒼星石の特別な人でありたい……と。<br> お姉さんと、すごく仲がいいのは、彼女の態度から容易に察せられた。<br> だからこそ願う。<br> ――どうか、蒼星石が、お姉さんよりも私を選んでくれますように。<br> <br> 想いを込めながら、私はプラチナの指輪を、蒼星石の右手の薬指に填めた。<br> 蒼星石は、夢見るような眼差しで指輪を見詰めながら、呟く。<br> <br> 「ボクは、この指輪に誓うよ。死を以てしても分かたれない、永久の愛を」<br> <br> 私の左手と、蒼星石の右手。<br> お互いに差し出した掌を重ね合わせると、薬指のリングが当たる、硬い感触があった。<br> 蒼星石の瞳と、私の瞳。見つめ合い、瞼を閉じる。<br> どちらからともなく、距離を縮めた。<br> 涙を溢れさせながら、唇を重ねた。<br> この一瞬を、永久の愛に昇華させるための儀式は、これで終わる。<br> <br> 優しいキスを終えて、私は泣きながら、彼女にお礼を告げた。<br> <br> 「ありがとう、蒼星石。私、今になって、本当の夢を見付けたわ」<br> 「本当の、夢?」<br> 「いつか、話してたでしょう? もしも……の例え話」<br> 「ああ……あれか。懐かしいね、何もかも」<br> <br> 本当に、懐かしい。あれは、先週の金曜日だった。<br> たった一週間前のことなのに、どうして、こんなにも懐かしいの?<br> なぜ、たった数日間のコトが、何年もの長さに感じられるの?<br> <br> <hr> <br> 「せめて人並みに、幸せになりたい。<br>  あははっ……なんて平凡で、つまらない夢なの。<br>  人生で最後の願いが、こんな儚い願いだなんて……ホント、笑っちゃう。<br>  笑いすぎて、お腹が痛くって…………涙が出ちゃうわ」<br> <br> 涙を流しながら、ボクに、そう語った日の夜――<br> 彼女は静かに、息を引き取った。死に顔は、幸せそうに微笑んでいたという。<br> 果たして、めぐの十八年間は、幸せだったのだろうか。ボクには、解らない。<br> ボクは、彼女じゃないから。<br> ――だけど、幸せだったと信じたい。彼女は、素晴らしい人生を生きたんだ、と。<br> <br> <br> あれから一ヶ月が過ぎて、ボクに残された時間も、あと僅かとなっている。<br> 病室の窓から見る十月の空は、どこまでも澄み渡り、高かった。<br> 今日は平日。枕元の時計は、午前十時を指していた。<br> 姉さんは今頃、授業中だね。水銀燈や、真紅……みんなも。<br> この時間に来る見舞客は、居ない。ボクは、独りで死んでいくのかなぁ。<br> <br> ボクには、ある予感があった。<br> 今日、ボクは死ぬのだ……と。でも、それでも良い。<br> 永久の愛を誓った、めぐの元に行けるのだから。もう、明日を夢見る必要なんて無い。<br> <br> ふと、開け放った窓から吹き込んできた秋の風に、彼女の匂いを嗅いだ気がした。<br> 何気なく、窓の方に頚を巡らして、空を見上げてみた。<br> <br> 「やっほー。お久しぶり」<br> <br> そこには、背中に白い翼を生やした、彼女が微笑んでいた。<br> いつでも微笑みを……そう願った、ボクの為の笑顔が、目の前にあった。<br> <br> <hr> <br> 少し見ない内に、蒼星石は痩せ衰えてしまっていた。<br> 可哀想に……こんなに窶れて。辛かったよね、きっと。私には解るわ。<br> <br> 「キミの翼、とっても綺麗だね」<br> <br> 掠れた声だったので聞き取り難かったけれど、蒼星石は、確かにそう言ってくれた。<br> 綺麗。その一言が、ただただ嬉しかった。<br> 他には何も要らないって、思えるくらいに。<br> <br> 「ボクも欲しいな。キミと同じ、真っ白な翼が」<br> 「……どうして?」<br> <br> 理由は解っていた。でも、わざと解らないフリをして訊ねたわ。<br> だって、蒼星石の口から、蒼星石の言葉で、伝えて欲しかったんだもの。<br> <br> 「君が好きだから、愛しているから、もう離れたくないから……。<br>  だから、ボクは翼が欲しい。キミと何処へでも、何処まででも行くために――」<br> 「ありがとう、蒼星石。私…………とっても幸せよ」<br> <br> 私は、溢れる涙を抑えることが出来ず、ベッドの脇に降り立って、<br> 蒼星石と口付けを交わした。<br> <br> 「キミは、ボクにとっての天使だったんだね」<br> <br> 彼女は、潤んだ緋翠の瞳から、乙女色の涙を零した。<br> 私は、部屋の片隅に置かれた黒いケースを開いて、金色のフルートを取り出す。<br> <br> 「あの頃とは、立場が逆ね。今日は、私が曲を演奏してあげるわ」<br> <br> <hr> <br> めぐは、そう言うと、徐に、フルートで妙なる調べを奏で始めた。<br> ショパンの『別れの曲』だ。<br> 本当はピアノで演じる曲なんだけど、真に良質の旋律は、聞く者と楽器を選ばない。<br> どんな楽器で奏でられても、人々を魅了する。<br> どんなに荒んだ人の心にも、すんなりと染み込んでいって、心のヒビを埋めてくれる。<br> <br> それが、音楽の素晴らしさ。<br> <br> 「折角なんだけど、ボクは、バッハの『G線上のアリア』が聞きたかったなぁ」<br> 「悪かったわね。練習する暇が無かったのよ」<br> <br> めぐと軽口を叩いていると、身体まで軽くなっていく気がした。<br> <br> いや……気のせいじゃない。ボクの身体は、いつの間にか宙に浮いていた。<br> 背中に、願った通りの真っ白な翼を得て。<br> <br> 見下ろすと、ベッドには、ボクが持ち続けていた『意識の器』が横たわっていた。<br> 十八年が長かったのか、短かったのか、人生経験の足りないボクには答えを出せない。<br> でも、多分、長さは関係ないと思う。<br> 楽しい十八年だったと満足できたなら、きっと素晴らしい人生だったんだよ。<br> <br> 辛いこと、悲しいこともあったけど、素敵な十八年だったと思う。<br> だから、未練はない。<br> ボクの、意識の器……いままで、ありがとう。<br> <br> ボクは、もう行くよ。<br> <br> どこまでも、めぐと一緒に。<br> <br> <hr> <br> 「準備は良い? 後悔とか、全くない?」<br> 「無いよ。キミを愛しているから……キミと一緒に居られるなら、何も後悔しない」<br> 「じゃあ行こうか、蒼星石。蒼い空の向こう側まで――」<br> <br> めぐと蒼星石は、病室の窓から飛び出し、真っ白な翼を広げた。<br> 思いっ切り羽ばたき、空を駆ける。<br> 蒼星石は、初めて知った。<br> ――空を飛ぶことが、こんなにも気持ちが良いことだったなんて。<br> <br> <br> 「ねえ! 蒼星石っ!」<br> <br> はしゃぐ蒼星石に、めぐが左腕を差し出す。<br> <br> 「手、繋いでいこう?」<br> 「うん。今度こそ、ボクの右手に、キミの左手……だね」<br> <br> 手を繋ぐと、誓いの指輪が、かちっと当たった。<br> そして、二人は――蒼空の彼方へと、飛んでいった。<br> <br> 何処へでも、何処まででも――<br> <br> <br> <br> 愛って、なんですか?<br> <br> <br> <br> <br>   完<br>  <br>  <br> <hr>  <br>  

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