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「『愛って、なんですか?』後編」(2006/05/28 (日) 21:59:46) の最新版変更点
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<p><br>
フルートに吹き込む吐息に、ボクの想いを乗せて、その旋律は奏でられる。<br>
金糸雀が徹夜で作ったというこの曲は、単純だけれど玄妙なメロディを<br>
醸し出していた。<br>
すんなりと耳に入ってきて、勇気を沸き立たせてくれる、穏やかな調べ。<br>
天才の存在を、こんなにも身近に感じるとはね。<br>
もしかしたら、彼女は女神ミューズの生まれ変わりなのかも知れない。<br>
<br>
金糸雀には、どんなに感謝しても足りない。<br>
だけど……その恩を返す時間は、ボクに残されているだろうか。<br>
ボクの頬を涙が流れ落ちて、フルートの調べが揺らいだ。<br>
<br>
「あ~あ、なに泣いちゃってるんだろうね、この娘は。<br>
フルートの澄んだ音色が、へろへろに歪んじゃってるじゃないの。<br>
ゴチャゴチャして、まるで音の迷路よ。<br>
曲名、変えた方が良いわ。『乙女の涙は音迷路』ってね」<br>
「うん……そうだね」<br>
<br>
それ以上は演奏できなくて、ボクはフルートを降ろした。<br>
<br>
「どうしたの、蒼星石? 自分の演奏で、感激しちゃった?」<br>
「違うんだ。ごめん……なんでもないから」<br>
「なんでもなくて、いきなり泣き出すワケないでしょ!<br>
ねえ、話してみて。私たちの間で、隠し事なんて止めましょうよ」<br>
「…………」<br>
「お願いよ、蒼星石」<br>
「……そうだね。聞いてくれるかい、めぐ?」<br>
<br>
しっかりと頷く彼女に促されて、ボクは徐に、口を開いた。<br>
<br></p>
<hr>
<br>
蒼星石の言葉は、雷に撃たれたかのような衝撃を、私に与えた。<br>
末期のガン? 蒼星石が? こんなに、元気そうなのに?<br>
少女のように泣きじゃくる彼女を、私は両腕で抱き締め、包み込んであげた。<br>
過去の自分を見ているようで、心が張り裂けそうになる。<br>
<br>
検査の結果、判明したのだという。<br>
全身に転移していて、手術しても、手遅れなのだという。<br>
なぜ、神さまは、こんなに残酷なことをするの?<br>
博愛を唱えていながら、なぜ、全ての人を幸福にしてあげられないの?<br>
<br>
こんな事を言うと、神さまを信じる人達に怒られるだろうけど、<br>
一言だけ、言わせて。<br>
<br>
――神なんて、何もできない能無しよ。<br>
<br>
だけど、私は違う。蒼星石のために、何かを、してあげられる。<br>
私を元気付けるため、フルートの特訓までしてくれた彼女に、お返しをしなきゃ。<br>
<br>
「ねえ、蒼星石。二人の思い出のために、指輪の交換をしない?」<br>
「えっ?」<br>
「貴女が填めているファッションリングと、私の――」<br>
<br>
私は、ベッド脇の戸棚から、化粧箱に収められた指輪を取り出した。<br>
指輪の交換……それは、永久の愛を誓う、特別な儀式。<br>
<br>
「おばあちゃんから貰った、このプラチナの指輪を、交換しようよ」<br>
「そんな……価値が、違いすぎるよ」<br>
「良いのよ。市場の価値と、個人の値打ちは違うわ。<br>
私は、蒼星石がくれる物なら、なんだって大切にする。たとえ、安物の指輪でも」<br>
<br>
<hr>
<br>
さり気なく『安物の』と付けるところに、やっぱり値段を気にしてるんだなと、<br>
笑いを誘われる。<br>
でも、めぐの申し出は嬉しかった。<br>
ボクがプレゼントする物なら、何でも大切にしてくれると言うけど、<br>
それは、ボクにとっても同じコトなんだよ。<br>
物であれ、微笑みであれ、めぐが与えてくれるものは、ボクにとって珠玉の宝石なんだ。<br>
<br>
ボクは右手の中指から、安物のファッションリングを抜き取って、めぐに差し出した。<br>
<br>
「ボクには、こんな物しかあげられないけど……貰ってくれる?」<br>
「受け取るわ、勿論。それに、貴女は私に、沢山のものを与えてくれたわよ。<br>
この半年の思い出は、私にとって、かけがえのない宝物。<br>
貴女の想いは、今、私がこの世に存在する理由の、全てと言っても良いわ」<br>
<br>
めぐは、ボクの目の前に、すっ……と左手を伸ばした。<br>
<br>
「折角だから、貴女が填めてよ。私の薬指に」<br>
「……うん」<br>
<br>
彼女の望むままに、ボクは指輪を贈った。<br>
本当は、縁日の屋台で、姉さんとふざけて買って、交換した指輪なんだけど。<br>
許してくれるよね、姉さん。<br>
<br>
ボクが填めた指輪を、めぐはうっとりと見詰めながら、言葉を紡ぎ出した。<br>
<br>
「貴女にとって、私が誰より1番だったら良いな。ううん。そうじゃなきゃ許せない。<br>
だって……私は、世界で1番、蒼星石が好きなんだもの。<br>
それなのに、貴女が私を二号さんだと思っていたなら、不公平じゃない?」<br>
<br>
<hr>
<br>
心から、こう思う。私は、蒼星石の特別な人でありたい……と。<br>
お姉さんと、すごく仲がいいのは、彼女の態度から容易に察せられた。<br>
だからこそ願う。<br>
――どうか、蒼星石が、お姉さんよりも私を選んでくれますように。<br>
<br>
想いを込めながら、私はプラチナの指輪を、蒼星石の右手の薬指に填めた。<br>
蒼星石は、夢見るような眼差しで指輪を見詰めながら、呟く。<br>
<br>
「ボクは、この指輪に誓うよ。死を以てしても分かたれない、永久の愛を」<br>
<br>
私の左手と、蒼星石の右手。<br>
お互いに差し出した掌を重ね合わせると、薬指のリングが当たる、硬い感触があった。<br>
蒼星石の瞳と、私の瞳。見つめ合い、瞼を閉じる。<br>
どちらからともなく、距離を縮めた。<br>
涙を溢れさせながら、唇を重ねた。<br>
この一瞬を、永久の愛に昇華させるための儀式は、これで終わる。<br>
<br>
優しいキスを終えて、私は泣きながら、彼女にお礼を告げた。<br>
<br>
「ありがとう、蒼星石。私、今になって、本当の夢を見付けたわ」<br>
「本当の、夢?」<br>
「いつか、話してたでしょう? もしも……の例え話」<br>
「ああ……あれか。懐かしいね、何もかも」<br>
<br>
本当に、懐かしい。あれは、先週の金曜日だった。<br>
たった一週間前のことなのに、どうして、こんなにも懐かしいの?<br>
なぜ、たった数日間のコトが、何年もの長さに感じられるの?<br>
<br>
<hr>
<br>
「せめて人並みに、幸せになりたい。<br>
あははっ……なんて平凡で、つまらない夢なの。<br>
人生で最後の願いが、こんな儚い願いだなんて……ホント、笑っちゃう。<br>
笑いすぎて、お腹が痛くって…………涙が出ちゃうわ」<br>
<br>
涙を流しながら、ボクに、そう語った日の夜――<br>
彼女は静かに、息を引き取った。死に顔は、幸せそうに微笑んでいたという。<br>
果たして、めぐの十八年間は、幸せだったのだろうか。ボクには、解らない。<br>
ボクは、彼女じゃないから。<br>
――だけど、幸せだったと信じたい。彼女は、素晴らしい人生を生きたんだ、と。<br>
<br>
<br>
あれから一ヶ月が過ぎて、ボクに残された時間も、あと僅かとなっている。<br>
病室の窓から見る十月の空は、どこまでも澄み渡り、高かった。<br>
今日は平日。枕元の時計は、午前十時を指していた。<br>
姉さんは今頃、授業中だね。水銀燈や、真紅……みんなも。<br>
この時間に来る見舞客は、居ない。ボクは、独りで死んでいくのかなぁ。<br>
<br>
ボクには、ある予感があった。<br>
今日、ボクは死ぬのだ……と。でも、それでも良い。<br>
永久の愛を誓った、めぐの元に行けるのだから。もう、明日を夢見る必要なんて無い。<br>
<br>
ふと、開け放った窓から吹き込んできた秋の風に、彼女の匂いを嗅いだ気がした。<br>
何気なく、窓の方に頚を巡らして、空を見上げてみた。<br>
<br>
「やっほー。お久しぶり」<br>
<br>
そこには、背中に白い翼を生やした、彼女が微笑んでいた。<br>
いつでも微笑みを……そう願った、ボクの為の笑顔が、目の前にあった。<br>
<br>
<hr>
<br>
少し見ない内に、蒼星石は痩せ衰えてしまっていた。<br>
可哀想に……こんなに窶れて。辛かったよね、きっと。私には解るわ。<br>
<br>
「キミの翼、とっても綺麗だね」<br>
<br>
掠れた声だったので聞き取り難かったけれど、蒼星石は、確かにそう言ってくれた。<br>
綺麗。その一言が、ただただ嬉しかった。<br>
他には何も要らないって、思えるくらいに。<br>
<br>
「ボクも欲しいな。キミと同じ、真っ白な翼が」<br>
「……どうして?」<br>
<br>
理由は解っていた。でも、わざと解らないフリをして訊ねたわ。<br>
だって、蒼星石の口から、蒼星石の言葉で、伝えて欲しかったんだもの。<br>
<br>
「君が好きだから、愛しているから、もう離れたくないから……。<br>
だから、ボクは翼が欲しい。キミと何処へでも、何処まででも行くために――」<br>
「ありがとう、蒼星石。私…………とっても幸せよ」<br>
<br>
私は、溢れる涙を抑えることが出来ず、ベッドの脇に降り立って、<br>
蒼星石と口付けを交わした。<br>
<br>
「キミは、ボクにとっての天使だったんだね」<br>
<br>
彼女は、潤んだ緋翠の瞳から、乙女色の涙を零した。<br>
私は、部屋の片隅に置かれた黒いケースを開いて、金色のフルートを取り出す。<br>
<br>
「あの頃とは、立場が逆ね。今日は、私が曲を演奏してあげるわ」<br>
<br>
<hr>
<br>
めぐは、そう言うと、徐に、フルートで妙なる調べを奏で始めた。<br>
ショパンの『別れの曲』だ。<br>
本当はピアノで演じる曲なんだけど、真に良質の旋律は、聞く者と楽器を選ばない。<br>
どんな楽器で奏でられても、人々を魅了する。<br>
どんなに荒んだ人の心にも、すんなりと染み込んでいって、心のヒビを埋めてくれる。<br>
<br>
それが、音楽の素晴らしさ。<br>
<br>
「折角なんだけど、ボクは、バッハの『G線上のアリア』が聞きたかったなぁ」<br>
「悪かったわね。練習する暇が無かったのよ」<br>
<br>
めぐと軽口を叩いていると、身体まで軽くなっていく気がした。<br>
<br>
いや……気のせいじゃない。ボクの身体は、いつの間にか宙に浮いていた。<br>
背中に、願った通りの真っ白な翼を得て。<br>
<br>
見下ろすと、ベッドには、ボクが持ち続けていた『意識の器』が横たわっていた。<br>
十八年が長かったのか、短かったのか、人生経験の足りないボクには答えを出せない。<br>
でも、多分、長さは関係ないと思う。<br>
楽しい十八年だったと満足できたなら、きっと素晴らしい人生だったんだよ。<br>
<br>
辛いこと、悲しいこともあったけど、素敵な十八年だったと思う。<br>
だから、未練はない。<br>
ボクの、意識の器……いままで、ありがとう。<br>
<br>
ボクは、もう行くよ。<br>
<br>
どこまでも、めぐと一緒に。<br>
<br>
<hr>
<br>
「準備は良い? 後悔とか、全くない?」<br>
「無いよ。キミを愛しているから……キミと一緒に居られるなら、何も後悔しない」<br>
「じゃあ行こうか、蒼星石。蒼い空の向こう側まで――」<br>
<br>
めぐと蒼星石は、病室の窓から飛び出し、真っ白な翼を広げた。<br>
思いっ切り羽ばたき、空を駆ける。<br>
蒼星石は、初めて知った。<br>
――空を飛ぶことが、こんなにも気持ちが良いことだったなんて。<br>
<br>
<br>
「ねえ! 蒼星石っ!」<br>
<br>
はしゃぐ蒼星石に、めぐが左腕を差し出す。<br>
<br>
「手、繋いでいこう?」<br>
「うん。今度こそ、ボクの右手に、キミの左手……だね」<br>
<br>
手を繋ぐと、誓いの指輪が、かちっと当たった。<br>
そして、二人は――蒼空の彼方へと、飛んでいった。<br>
<br>
何処へでも、何処まででも――<br>
<br>
<br>
<br>
愛って、なんですか?<br>
<br>
<br>
完<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<hr>
<br>
使用されたサブタイ<br>
<br>
【もしもシリーズ?】【私の夢は☆】【花言葉は乙女の真心】<br>
【明日は晴れ】【私が誰より1番】【夢は何色?】【僕の右手に君の左手】<br>
【儚い願い】【乙女の涙は乙女色】【乙女の涙は音迷路(乙女色)】<br>
【ずっと一緒に…】【君が好き】【花より団子?】【いつでも微笑みを】<br>
【さよならは突然に】【悲劇は繰り返される】【春の陽気に誘われて】<br>
【永久の愛】【届けたいこの思い】【蒼い空の向こう側】<br>
【私は此処に居るから】【薔薇の棘には御用心】【雨降りの日も】<br>
【麗しき乙女たち】【乙女のピンチ】【夢の導くままに】【明日を夢見る】<br>
【空を見上げて】<br>
<p><br>
フルートに吹き込む吐息に、ボクの想いを乗せて、その旋律は奏でられる。<br>
金糸雀が徹夜で作ったというこの曲は、単純だけれど玄妙なメロディを<br>
醸し出していた。<br>
すんなりと耳に入ってきて、勇気を沸き立たせてくれる、穏やかな調べ。<br>
天才の存在を、こんなにも身近に感じるとはね。<br>
もしかしたら、彼女は女神ミューズの生まれ変わりなのかも知れない。<br>
<br>
金糸雀には、どんなに感謝しても足りない。<br>
だけど……その恩を返す時間は、ボクに残されているだろうか。<br>
ボクの頬を涙が流れ落ちて、フルートの調べが揺らいだ。<br>
<br>
「あ~あ、なに泣いちゃってるんだろうね、この娘は。<br>
フルートの澄んだ音色が、へろへろに歪んじゃってるじゃないの。<br>
ゴチャゴチャして、まるで音の迷路よ。<br>
曲名、変えた方が良いわ。『乙女の涙は音迷路』ってね」<br>
「うん……そうだね」<br>
<br>
それ以上は演奏できなくて、ボクはフルートを降ろした。<br>
<br>
「どうしたの、蒼星石? 自分の演奏で、感激しちゃった?」<br>
「違うんだ。ごめん……なんでもないから」<br>
「なんでもなくて、いきなり泣き出すワケないでしょ!<br>
ねえ、話してみて。私たちの間で、隠し事なんて止めましょうよ」<br>
「…………」<br>
「お願いよ、蒼星石」<br>
「……そうだね。聞いてくれるかい、めぐ?」<br>
<br>
しっかりと頷く彼女に促されて、ボクは徐に、口を開いた。<br>
<br></p>
<hr>
<br>
蒼星石の言葉は、雷に撃たれたかのような衝撃を、私に与えた。<br>
末期のガン? 蒼星石が? こんなに、元気そうなのに?<br>
少女のように泣きじゃくる彼女を、私は両腕で抱き締め、包み込んであげた。<br>
過去の自分を見ているようで、心が張り裂けそうになる。<br>
<br>
検査の結果、判明したのだという。<br>
全身に転移していて、手術しても、手遅れなのだという。<br>
なぜ、神さまは、こんなに残酷なことをするの?<br>
博愛を唱えていながら、なぜ、全ての人を幸福にしてあげられないの?<br>
<br>
こんな事を言うと、神さまを信じる人達に怒られるだろうけど、<br>
一言だけ、言わせて。<br>
<br>
――神なんて、何もできない能無しよ。<br>
<br>
だけど、私は違う。蒼星石のために、何かを、してあげられる。<br>
私を元気付けるため、フルートの特訓までしてくれた彼女に、お返しをしなきゃ。<br>
<br>
「ねえ、蒼星石。二人の思い出のために、指輪の交換をしない?」<br>
「えっ?」<br>
「貴女が填めているファッションリングと、私の――」<br>
<br>
私は、ベッド脇の戸棚から、化粧箱に収められた指輪を取り出した。<br>
指輪の交換……それは、永久の愛を誓う、特別な儀式。<br>
<br>
「おばあちゃんから貰った、このプラチナの指輪を、交換しようよ」<br>
「そんな……価値が、違いすぎるよ」<br>
「良いのよ。市場の価値と、個人の値打ちは違うわ。<br>
私は、蒼星石がくれる物なら、なんだって大切にする。たとえ、安物の指輪でも」<br>
<br>
<hr>
<br>
さり気なく『安物の』と付けるところに、やっぱり値段を気にしてるんだなと、<br>
笑いを誘われる。<br>
でも、めぐの申し出は嬉しかった。<br>
ボクがプレゼントする物なら、何でも大切にしてくれると言うけど、<br>
それは、ボクにとっても同じコトなんだよ。<br>
物であれ、微笑みであれ、めぐが与えてくれるものは、ボクにとって珠玉の宝石なんだ。<br>
<br>
ボクは右手の中指から、安物のファッションリングを抜き取って、めぐに差し出した。<br>
<br>
「ボクには、こんな物しかあげられないけど……貰ってくれる?」<br>
「受け取るわ、勿論。それに、貴女は私に、沢山のものを与えてくれたわよ。<br>
この半年の思い出は、私にとって、かけがえのない宝物。<br>
貴女の想いは、今、私がこの世に存在する理由の、全てと言っても良いわ」<br>
<br>
めぐは、ボクの目の前に、すっ……と左手を伸ばした。<br>
<br>
「折角だから、貴女が填めてよ。私の薬指に」<br>
「……うん」<br>
<br>
彼女の望むままに、ボクは指輪を贈った。<br>
本当は、縁日の屋台で、姉さんとふざけて買って、交換した指輪なんだけど。<br>
許してくれるよね、姉さん。<br>
<br>
ボクが填めた指輪を、めぐはうっとりと見詰めながら、言葉を紡ぎ出した。<br>
<br>
「貴女にとって、私が誰より1番だったら良いな。ううん。そうじゃなきゃ許せない。<br>
だって……私は、世界で1番、蒼星石が好きなんだもの。<br>
それなのに、貴女が私を二号さんだと思っていたなら、不公平じゃない?」<br>
<br>
<hr>
<br>
心から、こう思う。私は、蒼星石の特別な人でありたい……と。<br>
お姉さんと、すごく仲がいいのは、彼女の態度から容易に察せられた。<br>
だからこそ願う。<br>
――どうか、蒼星石が、お姉さんよりも私を選んでくれますように。<br>
<br>
想いを込めながら、私はプラチナの指輪を、蒼星石の右手の薬指に填めた。<br>
蒼星石は、夢見るような眼差しで指輪を見詰めながら、呟く。<br>
<br>
「ボクは、この指輪に誓うよ。死を以てしても分かたれない、永久の愛を」<br>
<br>
私の左手と、蒼星石の右手。<br>
お互いに差し出した掌を重ね合わせると、薬指のリングが当たる、硬い感触があった。<br>
蒼星石の瞳と、私の瞳。見つめ合い、瞼を閉じる。<br>
どちらからともなく、距離を縮めた。<br>
涙を溢れさせながら、唇を重ねた。<br>
この一瞬を、永久の愛に昇華させるための儀式は、これで終わる。<br>
<br>
優しいキスを終えて、私は泣きながら、彼女にお礼を告げた。<br>
<br>
「ありがとう、蒼星石。私、今になって、本当の夢を見付けたわ」<br>
「本当の、夢?」<br>
「いつか、話してたでしょう? もしも……の例え話」<br>
「ああ……あれか。懐かしいね、何もかも」<br>
<br>
本当に、懐かしい。あれは、先週の金曜日だった。<br>
たった一週間前のことなのに、どうして、こんなにも懐かしいの?<br>
なぜ、たった数日間のコトが、何年もの長さに感じられるの?<br>
<br>
<hr>
<br>
「せめて人並みに、幸せになりたい。<br>
あははっ……なんて平凡で、つまらない夢なの。<br>
人生で最後の願いが、こんな儚い願いだなんて……ホント、笑っちゃう。<br>
笑いすぎて、お腹が痛くって…………涙が出ちゃうわ」<br>
<br>
涙を流しながら、ボクに、そう語った日の夜――<br>
彼女は静かに、息を引き取った。死に顔は、幸せそうに微笑んでいたという。<br>
果たして、めぐの十八年間は、幸せだったのだろうか。ボクには、解らない。<br>
ボクは、彼女じゃないから。<br>
――だけど、幸せだったと信じたい。彼女は、素晴らしい人生を生きたんだ、と。<br>
<br>
<br>
あれから一ヶ月が過ぎて、ボクに残された時間も、あと僅かとなっている。<br>
病室の窓から見る十月の空は、どこまでも澄み渡り、高かった。<br>
今日は平日。枕元の時計は、午前十時を指していた。<br>
姉さんは今頃、授業中だね。水銀燈や、真紅……みんなも。<br>
この時間に来る見舞客は、居ない。ボクは、独りで死んでいくのかなぁ。<br>
<br>
ボクには、ある予感があった。<br>
今日、ボクは死ぬのだ……と。でも、それでも良い。<br>
永久の愛を誓った、めぐの元に行けるのだから。もう、明日を夢見る必要なんて無い。<br>
<br>
ふと、開け放った窓から吹き込んできた秋の風に、彼女の匂いを嗅いだ気がした。<br>
何気なく、窓の方に頚を巡らして、空を見上げてみた。<br>
<br>
「やっほー。お久しぶり」<br>
<br>
そこには、背中に白い翼を生やした、彼女が微笑んでいた。<br>
いつでも微笑みを……そう願った、ボクの為の笑顔が、目の前にあった。<br>
<br>
<hr>
<br>
少し見ない内に、蒼星石は痩せ衰えてしまっていた。<br>
可哀想に……こんなに窶れて。辛かったよね、きっと。私には解るわ。<br>
<br>
「キミの翼、とっても綺麗だね」<br>
<br>
掠れた声だったので聞き取り難かったけれど、蒼星石は、確かにそう言ってくれた。<br>
綺麗。その一言が、ただただ嬉しかった。<br>
他には何も要らないって、思えるくらいに。<br>
<br>
「ボクも欲しいな。キミと同じ、真っ白な翼が」<br>
「……どうして?」<br>
<br>
理由は解っていた。でも、わざと解らないフリをして訊ねたわ。<br>
だって、蒼星石の口から、蒼星石の言葉で、伝えて欲しかったんだもの。<br>
<br>
「君が好きだから、愛しているから、もう離れたくないから……。<br>
だから、ボクは翼が欲しい。キミと何処へでも、何処まででも行くために――」<br>
「ありがとう、蒼星石。私…………とっても幸せよ」<br>
<br>
私は、溢れる涙を抑えることが出来ず、ベッドの脇に降り立って、<br>
蒼星石と口付けを交わした。<br>
<br>
「キミは、ボクにとっての天使だったんだね」<br>
<br>
彼女は、潤んだ緋翠の瞳から、乙女色の涙を零した。<br>
私は、部屋の片隅に置かれた黒いケースを開いて、金色のフルートを取り出す。<br>
<br>
「あの頃とは、立場が逆ね。今日は、私が曲を演奏してあげるわ」<br>
<br>
<hr>
<br>
めぐは、そう言うと、徐に、フルートで妙なる調べを奏で始めた。<br>
ショパンの『別れの曲』だ。<br>
本当はピアノで演じる曲なんだけど、真に良質の旋律は、聞く者と楽器を選ばない。<br>
どんな楽器で奏でられても、人々を魅了する。<br>
どんなに荒んだ人の心にも、すんなりと染み込んでいって、心のヒビを埋めてくれる。<br>
<br>
それが、音楽の素晴らしさ。<br>
<br>
「折角なんだけど、ボクは、バッハの『G線上のアリア』が聞きたかったなぁ」<br>
「悪かったわね。練習する暇が無かったのよ」<br>
<br>
めぐと軽口を叩いていると、身体まで軽くなっていく気がした。<br>
<br>
いや……気のせいじゃない。ボクの身体は、いつの間にか宙に浮いていた。<br>
背中に、願った通りの真っ白な翼を得て。<br>
<br>
見下ろすと、ベッドには、ボクが持ち続けていた『意識の器』が横たわっていた。<br>
十八年が長かったのか、短かったのか、人生経験の足りないボクには答えを出せない。<br>
でも、多分、長さは関係ないと思う。<br>
楽しい十八年だったと満足できたなら、きっと素晴らしい人生だったんだよ。<br>
<br>
辛いこと、悲しいこともあったけど、素敵な十八年だったと思う。<br>
だから、未練はない。<br>
ボクの、意識の器……いままで、ありがとう。<br>
<br>
ボクは、もう行くよ。<br>
<br>
どこまでも、めぐと一緒に。<br>
<br>
<hr>
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「準備は良い? 後悔とか、全くない?」<br>
「無いよ。キミを愛しているから……キミと一緒に居られるなら、何も後悔しない」<br>
「じゃあ行こうか、蒼星石。蒼い空の向こう側まで――」<br>
<br>
めぐと蒼星石は、病室の窓から飛び出し、真っ白な翼を広げた。<br>
思いっ切り羽ばたき、空を駆ける。<br>
蒼星石は、初めて知った。<br>
――空を飛ぶことが、こんなにも気持ちが良いことだったなんて。<br>
<br>
<br>
「ねえ! 蒼星石っ!」<br>
<br>
はしゃぐ蒼星石に、めぐが左腕を差し出す。<br>
<br>
「手、繋いでいこう?」<br>
「うん。今度こそ、ボクの右手に、キミの左手……だね」<br>
<br>
手を繋ぐと、誓いの指輪が、かちっと当たった。<br>
そして、二人は――蒼空の彼方へと、飛んでいった。<br>
<br>
何処へでも、何処まででも――<br>
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愛って、なんですか?<br>
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完<br>
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