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第六話 幕間」(2006/05/29 (月) 03:31:26) の最新版変更点

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<p><br> 薔薇屋敷の異名を持つ館の主、真紅は、人々の夢を叶える薔薇の指輪の呪いを<br> 受けて、それを縛り付ける処置のために館の外に出ることが出来ない。<br> 真紅の呪いは、夢を叶えたあとに発生した悪夢が実現しようとすること。<br> それを阻止するため、真紅の夢の"世界"に発生する観念の虚像、通称"異なるもの"と<br> の戦闘を繰り返す"庭師"翠星石と蒼星石。<br> また、現実世界での"異なるもの"との闘いに特化した力を持つ、"策士"金糸雀と<br> "観察者"みっちゃん。<br> 館に住み着いている幽霊、桜田ジュンは闘いに協力し、真紅にかけられた呪いに<br> 抗おうとする。<br> <br> 前回までに彼らは、今までよりも強大な力を持った"異なるもの"に苦戦しつつも、勝利を<br> 収める。<br> <br> 魔法の指輪を作った、過去の魔術師の存在。そして未だその正体が明らかにされて<br> いない幽霊、桜田ジュン。<br> <br> 指輪を巡る運命の物語が、廻り始める――<br> <br> <br> <br> <br> <br> 「ん……」<br> <br> <br>  目覚めてみれば、そこはいつもの自分の部屋。<br>  だけど、状況だけは普段の目覚めとは少しだけ違う。<br> <br> <br> 「おはようかしら、真紅ー」<br> <br> 「あら、真紅ちゃん起きた? いい夢見れた?」<br> <br> 「今日の仕事は完了だよ、真紅」<br> <br> 「今回も蒼星石は大活躍だったですよ! 姉としては鼻高々なのですぅ」<br> <br> 「……あー。言われる前に言っとくか。今日は紅茶の葉、何がいいんだ?」<br> <br> <br>  ……随分と、賑やかなのだった。<br> <br> <br> <br> <br> 【ゆめまぼろし】第六話 幕間<br> <br> <br> <br> <br> 「お気遣いありがとうかしらー、ジュン」<br> <br> 「あら、中々のお味……かなり良い葉を使ってるのかな?」<br> <br> 「はいはい、どういたしまして。……どうせ何人増えても一緒だろ」<br> <br> <br>  いつものメンバーに新たな二人が加わると、それだけでも結構賑やかになるものだ。私自<br> 身、館の外に出なくなってからそれほど時間は経ってはいない――せいぜい一ヶ月強、と言<br> ったところか――とは言えども、"庭師"の二人とジュン以外の人間と会話するのはかなり久<br> しぶりであるような感覚。<br> <br>  "策士"金糸雀、"観察者"みっちゃんと名乗る二人。先ほど私が眠ってしまう前に、二人が<br> 闘う様を私は見ていた。<br> <br> 「……」<br> <br>  どうやらこの二人は"庭師"と同じ組織に属する人間らしい。要は、私にかけられた呪いに<br> 抗うために闘ってくれる人物。もっとも、"庭師"のように、私の夢の中で闘うのではなく。<br> 実際に私が目覚めている空間での戦闘に長けているようだが。<br> <br> 「そうだ、真紅。ここの屋敷に、何か物置のような所はないかしら?」<br> <br> 「ええ、あるけど。それがどうかしたの? ええと――」<br> <br> 「金糸雀って、呼び捨てで構わないかしら。私も名前で呼んでいるし」<br> <br> 「わかったわ、金糸雀。その物置が何か気になるの?」<br> <br>  少し話してみた印象だが、彼女達は悪い人間ではないな、と思う。初対面なのにそうい<br> う風に『良いか悪いか』を判断するのは失礼にあたるかもしれないが、決して他意はない。<br> あくまで、話しやすいかどうかといった面で考えた上での考えである。<br> <br> 「さっき私達が闘ってた、絵のような――"異なるもの"。<br>  多分その絵が、ここにあるかしら」<br> <br> 「金糸雀。僕達は真紅の夢の"世界"で、額縁のイメージを模した"異なるもの"<br>  と闘ったんだ。それらはやはり繋がっていたということかい?」<br> <br> 「それは多分あってるかしら、蒼星石。私もあの"異なるもの"の原典を暴いた<br>  時点でそれは感じたのだけど、何も無い所からはイメージは生まれない筈。<br>  多分、その原典はここにあるかしら」<br> <br>  もっとも、それが『オリジナル』の作品であるとは限らないけど、と彼女は言った。<br> <br> 「そうなの……私の記憶も曖昧だけど、心の底でそのイメージがあったのかしらね。<br>  それにしても――遅くなったけど、お礼を言わせて頂くのだわ。<br>  本当にありがとう」<br> <br>  頭を下げる。彼女達が居なければ、私自身どうなっていたかはわからない。<br> かなり怖い思いはしたけれど……<br> <br> 「いえいえ、気にしないで真紅ちゃん。それが私達の仕事なんだもの。ね、カナ?」<br> <br> 「そうかしら。貴女の"世界"で闘ってた皆も頑張ってくれたみたいだし。それに<br>  例を言うなら、私達の上司にあとで言ってほしいかしらー」<br> <br> <br> 「上司……白崎さんのことですかぁ?」<br> <br> 「正解かしらー。まあ私も来ていきなり戦闘になるとは思わなかったけれど。<br>  "庭師"にも宜しくって言ってたかしら、翠星石」<br> <br> 「あー……前の定期報告から、暫く会ってないですねぇ。相変わらずなんですか、あの人」<br> <br> 「そうだねえ。『翠星石さん、ちゃんとやってますかねぇ』って言ってたよ」<br> <br> 「みっちゃん! それは言わないようにって……!」<br> <br> 「くぅ……返す言葉が見つからんです……」<br> <br>  <br>  ん。プライドの高い翠星石が、ぐうの音も出ないとは。過去に何かあったのだろうか。<br> <br> <br> 「まあまあ、翠星石。僕らは随分お世話になってるし、面倒も見てもらったしね。<br>  心配してくれてるんだよ、眼をかけてもらってたからさ」<br> <br> 「……あの実践練習は反則だったですぅ、蒼星石。あのひとは容赦がなさすぎなんです」<br> <br> <br>  ……あまり掘り返さない方が良さそうだろうか。<br> <br> 「真紅。じゃあとりあえず、ちょっと案内してくれるかしら?」<br> <br> 「わかったわ、こっちよ」<br> <br> 「私は部屋に残ってるね。"庭師"さん達とお話してるから」<br> <br>  私は金糸雀を連れて部屋を出た。<br> <br> <br> ―――――<br> <br> <br> 「……」<br> <br> 「……」<br> <br>  部屋を出てから、私と金糸雀の二人きり。歩いている間は無言だった。何か話した方が<br> 良いだろうかと思いながらも、話題が見つからない按配。彼女自体が話しづらい人間なの<br> ではなくて、多分これは私の方の性質によるのだろうけど。<br> <br>  窓の外を見ると、雨がやんだのか陽が差し込んできている。庭に見える薔薇が、雨粒で<br> 輝いて見えた。その水滴の一粒一粒が虹色を放ち、その美しさを際立たせている。<br> <br> 「薔薇……」<br> <br> 「どうしたかしら? 真紅」<br> <br> <br> 「いえ……さっき部屋で見たものを少し思い出したの」<br> <br>  金糸雀が、"異なるもの"の圧力から私を守る為に渡してくれた傘。あの中に入ったとき、<br> 私は普段見ている空間とは違うものを見ていた。<br>  悪夢を館に戒める、茨の結界。私の部屋の中だけでも、正直ぞっとしてしまうほどのも<br> のだった。今の私には、例えば自分がこの瞬間に捉えている視界の中にも茨は存在しない。<br>  けれど、それは。確実にこの屋敷にも張り巡らされていて、――私自身を、戒めている。<br> <br> 「――色々とショックだろうけど、仕方ないことかしら……あれは貴女をこの屋敷に縛る<br>  と同時に、貴女を守る為のものなんだから」<br> <br> 「そうね。――わかっているのだわ。ところで、金糸雀」<br> <br> 「何かしら?」<br> <br> 「あの傘は、やっぱり何か特別な処置が施されているの?」<br> <br> 「そうかしら。あの傘は私特製。あの時は急だったから、詳しい説明は省いたけれど。簡単<br>  に表現は出来ないんだけど――有体に言えば、魔術がかかっている道具かしら」<br> <br> 「魔術……」<br> <br>  もし私が、こういった環境下ではなく。普通に暮らしていたとしたら、魔術など何て前<br> 時代的な、と……そんな風に考えていたに違いない。<br>  だけど、もう十分に非現実的な場面に遭遇し続けた私にとっては、特に驚くべきことで<br> もない。幽霊だって居るんだし。<br> <br> <br> 「そう、魔術。あの傘を用いて――貴女の身体を、観念拠りにしたの」<br> <br> 「観念拠り、とはどういうこと?」<br> <br> 「普段私達がこの実空間で生きている以上、勿論実体を持っているかしら。<br>  だけど、実空間に現れる"異なるもの"は――観念の虚像。まあ、幽霊もそうなんだけど、<br>  普通はそういった存在は私達は触れることが出来ない、と考えるわよね?」<br> <br> 「ええ、確かにそうね」<br> <br> 「だけど、"異なるもの"達は。実空間の在り方を捻じ曲げてきたりして、私達を攻撃して<br>  くるの。もっとも、『存在を捻じ曲げる』ような奴らは相当特別な力を持っているから、<br>  あんまり見ないけど」<br> <br> 「さっき見た――"異なるもの"は、そういったものとは違うと言うのね」<br> <br> 「そうかしら。ポピュラーな方法としては、相手の観念――こころね。<br>  それを直接握りつぶした方が早いから。<br> <br>  実体を持っていると、剥き出しの観念的な衝撃に対しては、酷く脆くなるの。<br>  だから、貴女の身体が、一時的に観念の耐性を持つようにしたのかしら。<br>  それが『観念拠り』にしたということ」<br> <br>  成る程。ということは、私はあの時、実体を持ちながら『イメージに近い』状態になっ<br> ていたということか。<br> <br> <br> 「じゃあ、あの時茨が見えたのは――」<br> <br> 「そうね。貴女がそういった状態になったことで、もともと観念の結界であるものも見え<br>  たということかしら」<br> <br> 「金糸雀、貴女は普段ああいったものが見えるものなの?」<br> <br> 「ん……まあ、そうかしら。私の眼、そのものの性質が特別というところもあるかしら。<br>  それをこれで補助してる感じ」<br> <br>  そう言って金糸雀は、自分にかけている眼鏡を指差した。<br> <br> 「みっちゃんも私の持つ能力に属した眼を持ってて、色々なものが"視える"んだけど。<br>  それにはある程度力を解放しなくちゃいけない。眼鏡――勿論それにも魔術は施されてる<br>  かしら――をかけて、ある程度通常の状態でも程ほどに"視える"ように力を増幅してるのかしら」<br> <br>  私はさっきの彼女達の様子を思い出す。二人が"異なるもの"に向かって言葉を投げかけ<br> たとき――眼が、紅く光っていた。<br> <br> 「じゃあ――今も貴女の眼には、茨が"視えて"いるのね」<br> <br> 「うっすらと、だけど。多分あの"庭師"達にも"視えて"いる筈。この結界自体は<br>  あの娘達が施したものじゃないだろうけど、補強はしてるようだし。<br>  元々この実空間に反映されてるから、イメージが増幅しやすいのかしら。<br> <br>  だとしたら、元々何も無かった筈のこの場所に結界をはった最初の人間は、<br>  相当協力な力を持っていたことになるわね」<br> <br> ―――――<br> <br>  物置部屋の前に辿り着いた。<br> <br> 「ここよ。暫く入ってないから、埃っぽいかもしれないけど……」<br> <br>  扉を開ける。自分自身この部屋に足を踏み入れるのは久しぶりのことだった。<br> <br> 「これは……すごいかしら。ちょっとした骨董市が開けそう」<br> <br> 十畳程の広さである部屋の中に詰まっている物、物、物。父が蒐集家であったことは幼い<br> 頃からの記憶としてあったのだけれど、果たしてこれほどのものだったであろうか。<br> <br> 「この辺りに絵が固まって置いてあるわね」<br> <br> 金糸雀がそう言いながら、部屋を漁り始める。<br> <br> 「オリジナル、真作だったらすごいだろうけど……レプリカも多いみたいなのだわ。<br>  大っぴらに飾っていたわけではなかったし、父の趣味みたいなものかしらね」<br> <br> 「……」<br> <br> 「どうしたの? 金糸雀」<br> <br> 「貴女のお父様も。イメージ……多分そういったものに、<br>  強く惹かれるところがあったのかも。だからこういった絵を集めたのかしら……」<br> <br>  金糸雀に促されて、一枚の絵を見る。<br> <br> <br>  後姿のひとが、描かれている絵だった。その人物は絵の中で、視線の先には『絵の中に<br> 在る絵』を捉えている。でも――<br> <br> <br> 「何も、描かれていない――?」<br> <br>  『絵の中に在る絵』。それは、木枠の額縁に飾られていた、真っ黒な空間。<br> <br> 「黒。絵の具で塗りつぶされたような闇は――ひとのこころを、不安に誘うものの象徴かし<br>  ら。この絵の作者は確か……マグリット。ルネ・マグリットね。<br> <br>  命そのものや、死という概念はそれだけで圧倒的なイメージ。それに惹かれるというのは、<br>  ある種人間の性とも呼べるかしら。<br> <br>  こっちにある絵――『オルフェウスの死』――オディロン・ルドン。<br>  死のイメージを完全に、美しさと安息の中に補完してる。<br>  安寧への願望……それにしても、よくこれだけ集めたものかしら……」<br> <br> 「……」<br> <br>  私は金糸雀の言葉に、答えない。<br> <br>  お父様。お父様は、生きている間――指輪の呪いが受け継がれてから、外に出ること<br> を許されず。どんなことを、思っていたのだろう……?<br> <br> 「さっきも言ったけれど――もし、絵のように視覚的に捉えられる手法を用いて存在する<br>  ものがあるとして。それを用いて、不安を訴えようとする場合は、確かにあるの。<br>  それは、画家の意図として。<br> <br>  だけど、その真意はわからないでしょう? 全ては受けて側のイメージ。<br>  もし絵の中に、二人以上の人物が描かれていたとするでしょう? そうすると、見ている<br>  側はその"光景"から物語を紡ぎだそうとする。作者の狙いを超えて、それは展開されるも<br>  のかしら。それは絵との対話なのだから。<br> <br>  そしてね――その対話を、拒絶しようという狙いを持ったのが……きっとこの絵かしら」<br> <br> 彼女が、先ほどと違う額縁を私に示してみせる。<br> <br> 「"頭部無き絵"……」<br> <br> 「そう。さっき私達が闘っていた相手の、オリジナル。これもフェイクではあるけれども、<br>  貴女の持つ意識の中では、これが"原典"なのかしら」<br> <br> <br>  私は、絵の表面をそっと撫ぜてみた。紙の上質さは私の知り得るところでは無かったし、<br> 油彩独特の凹凸もこの手には感じられない。これは、きっと偽者なのだ。<br> <br>  だけど、これが私を取り込もうと、眼の前に現れた――<br> <br> 「元気を出して、真紅。貴女の呪いについて、楽観的なことは決して言えないけれど――<br>  きっと、今までとは違った結末が待っているような気がするかしら」<br> <br> 「違った、結末?」<br> <br>  金糸雀が、私の方を見据える。今、彼女の瞳は紅くはない。だけど、その緑眼に……全てを<br> 見透かされて。そして吸い込まれてしまいそうな、そんな感覚に陥る。<br> <br> 「聞きたいことがあるの。あの幽霊――桜田ジュンのことかしら」<br> <br> 「……」<br> <br> 「さっき、ジュンの左手をみたかしら。貴女と同じ、指輪がついてた」<br> <br> 「彼は……」<br> <br> 「観念の存在であるジュンが、あなたと全く同じかたちを模した指輪をつけている。<br>  あれは単なる真似では無くて――指輪の『存在を分け与えた』。そんな気がするかしら」<br> <br> 「彼は……私を、守ってくれたのだわ」<br> <br> 「……彼と初めて、逢った時に?」<br> <br> 「そう、初めて逢った時に」<br> <br> 「貴女はそのとき、目覚めていたのね――外敵がその時、現れた?」<br> <br> 「そう。さっきの貴女達の闘いも怖かったけど、実は二度目。ああいった形の争いを<br>  見るのは――」<br> <br> <br> そして、その"初めて"は――二度目のそれとは比べ物にならない位に恐ろしく、<br> 絶望的だったこと。<br> <br> 「"異なるもの"と呼べばよかったのかしらね、あれも――」<br> ――――――――――――――<br> <br>  唐突な、目覚めだった。部屋の窓にカーテンがかけられていたものの、この暗さ<br> ならば夜は空けていないということが容易に感じ取れた。<br> <br>  寝汗が、酷い。それになんだか、頭がぼんやりとしていた。身体を起こすと、背<br> 中が置かれていた部分のシーツがぐっしょりと濡れている。<br> <br>  私は手を頭に添えた。<br> <br>  父が亡くなって、二週間が経とうかという頃。私はそれよりも更に三週間程前に、<br> 父の指輪を"受け継いだ"。<br>  呪いの、薔薇の指輪。私の呪いに抗う為に屋敷にやってきた"庭師"の姉妹は、別室<br> にて就寝中の筈である。<br>  もう何度か、私の夢の"世界"の中で、"異なるもの"と闘っている。ただその時の私<br> は眠りについているし、目覚めれば全てが終わっている。<br>  もし彼らが、闘いに敗れたとしたら――? それは私の運命なのだろうと思った。<br> <br>  父が指輪を"受け継いだ"のは、四十代を過ぎたあたりのことであったらしい。母と<br> 結婚して、私が産まれ――母は私を産んですぐに亡くなってしまったから、その顔の<br> 面影は写真でしか知ることが出来ない。<br>  ともかく、そんな折に父の指には指輪が現れたのだった。<br> <br> 「……」<br> <br>  私は結婚している訳でも無いし、まして跡を継がせるような子供も居ない。そんな<br> 場合、もし私が死んでしまったら。この指輪はどうなるのだろうかと――私は独り暗<br> 闇の中、そんなことを考えている。<br> <br>  ひゅう、と。生暖かい風が頬を撫でていったような気がした。<br> <br> 「……?」<br> <br>  視界は大分慣れてきていて。部屋の明かりをつけることもせず、私はその風の出所<br> らしき方向へ眼を向けてみた。<br> <br>  そこには、何も無い。当たり前だ。四月に入りたての空気はまだ夜を冷たくしていたし、<br> それを知っているが故に窓は開けてはいないのだから。<br>  だけど……何か、部屋の中に居る様な。そんな気配を薄々と感じる。<br>  <br> <br> <br> 「……誰なの?」<br> <br> <br>  暗闇の先に、声をかけてみた。返事を期待していた訳では無い。それも当たり前のこと。<br> <br> 「ふぅん――お前、僕が居るのがわかるのか。"視える"のか?」<br> <br> 「!?―――」<br> <br>  その、期待していなかった声は、私を驚かすのには十分だった。<br>  けど、何か――不思議と自分にとっての脅威と成り得るものでは無い。そんな根拠の無い<br> 感覚を、私は覚える。<br> <br>  よくよく、眼を凝らしてみる。そこには……ぼんやりと。ひとのかたちが……眼鏡をかけ<br> た少年が、居た。<br> <br> <br> 「ええ、見えるのだわ。貴方は誰? 先に自己紹介した方がいいわね――<br>  私の名前は真紅。さあ、レディに先に名乗らせておいて、貴方の正体はいつ明かして貰える<br>  のかしら?」</p> <p><br> <br> 「……」</p> <p><br> <br></p> <p>「……」</p> <p><br></p> <p>「……ぷっ、あはははははは!」</p> <p><br></p> <p>「――何か、おかしい?」</p> <p><br></p> <p> 「いやいや、おかしいだろ。まあ、いいか――僕の名前はジュン。桜田ジュン。まあ有体に<br>  言うと、幽霊ってことになるのか」</p> <br> <p>「そう」</p> <p><br></p> <p>「……驚かないのか?」</p> <p><br></p> <p> 「驚くも何も。世の中に幽霊の一人や二人、居たっておかしくはないでしょう。<br>  その中の一人が私の眼の前に居る。それだけのことなのだわ」</p> <p><br></p> <p>「……」</p> <p><br></p> <p>  ジュン、という名前らしき幽霊は、不思議そうな表情で私の方を見ている。<br> そしてまた、話を切り出してきた。</p> <p><br></p> <p> 「成る程。元々不思議な体験には慣れてるって所か。例えばそう――その、指輪」</p> <p>「――!」<br></p> <p>  指摘され、少し私は身構えた。そうだ、指輪の呪いは、何も私の夢の"世界"だけで展開<br> されている訳では無い。数こそ少なくなったものの、外から私を襲ってくる輩も居ると、<br> 蒼星石が話していたではないか。<br>  だけど、そういった所謂『外敵』から私を守るために、結界が張られているのではなかっ<br> ただろうか。その結界自身をこの眼で確かめたことはないけれど。<br> </p> <p> 「――そう。貴方もこの指輪に引き寄せられたのね? 私を取り殺しにでもきたのかしら。<br>  代々受け継がれてきた呪いとやらも、これで終わりになると良いのだわ」<br> </p> <p>  あっけないもの。ここでよもやアウトになるとは――そう、考えた時。ジュンはそれを<br> 慌てた様子で否定する。<br></p> <p> 「いや、別にお前を呪い殺そうだなんて僕は思ってないぞ。僕は此処に"居る"。ただ、それだけ」<br> </p> <p>「……本当に?」<br></p> <p> 「嘘ついてもしょうがないだろ。なんていうか――その指輪は、僕の眼から見ると随分特別に<br>  見えるんだよ。何て言えばいいかな、僕のような……幽霊の存在に近いっていうか」<br> </p> <p>「――"観念"?」<br></p> <p> 「お、話が早いな。そう、幽霊は観念の塊みたいなもの――<br>  それに近い空気を、その指輪にも感じる。ああ、あと」<br> </p> <p>「え……?」<br></p> <p> 「呪い殺す、って言ったっけ。そういうものは、あっちに居るお客さんが望んでそうなんだが」</p> <br> <br> <br> <br> <br> <br> <p><br>  私は、ジュンの目線の先を追う。そこには、やっぱりひとのかたちをした影が在った。<br> だけどそれは、私のよく見知った顔で―――<br></p> <p><br> 「……お父様!?」<br></p> <p>  ――どうして。父はもう既にこの世には居ない。ああでも、ジュンと同じように幽霊に<br> なって、私に逢いに来てくれた――?<br></p> <p>「奴に近づくな、真紅」<br></p> <p>「どうしてっ!? 私のお父様なのよ!?」<br></p> <p> 「あー。ひょっとして、あいつこそがその指輪とやらに"引き寄せられた"んじゃないか」<br> </p> <p>「……どういうこと!?」</p> <p><br> <br> 「あいつからもその指輪と同じ空気が滲み出ている。どうみても、正気を保っているよう<br>  には見えないな。少なくとも、感動的な父娘の再会じゃないだろ。<br> </p> <p>  代々受け継がれてきた、って言ってたな。――ってことは……『この状況』も、代々<br>  続いてきたことなのか?」<br></p> <p><br> 「嫌……嫌あああぁぁぁぁ!!」<br></p> <br> <br> <br> <br> <br> <p><br>  知らない、こんなことは知らない。こんなこと、聞いてなかった!<br>  ……どうしてこんなにジュンは冷静なのだろう。<br></p> <p> 幽霊だから? <br>  私とは関係ないから?<br>  ただ此処に――"居る"だけだから?<br></p> <p><br>  刹那。私の視界は、夜の帳よりも深い闇に包まれた。<br></p> <p><br> 「あ、ああ……!」</p> <p><br> <br> 『真、紅……』</p> <p><br> <br> お、とうさ、ま、</p> <p><br> <br> 『逃 げ  、ロ』</p> <p><br> <br> 「―――――あ、あああああっ!!」</p> <br> <br> <p>  ――――そして。闇を破るように、私の身体が光のようなものに包まれる。</p> <br> <br> <br> <br> <br> <br> <br> <br> <p>「……い、と……?」<br></p> <p>  私の左手の薬指。そこにつけられた指輪から、光の糸が……紡ぎだされている。<br> </p> <p> 暖かい。なんてやさしい、ひかり――<br></p> <p>「――真紅!」<br></p> <p>「ジュ……ン……?」<br></p> <p> 「その指輪――お前を守ってくれたみたいだな。だけど――このまま奴を放っておいても、<br>  お前の方が壊れるぞ」<br></p> <p>「……」<br></p> <p> 声が掠れて。うまく話すことが出来ない……<br>  私はただ、口を僅かに動かすことくらいしか出来なかった。<br> </p> <p> 「真紅、よく聞け。その指輪――観念の存在に、近いもの。その存在を――僕に、分けろ。<br>  そして僕の存在に意味をつけてくれ」<br> <br> <br> 「……ど、……いう……」<br></p> <p> 「僕はこのままじゃ、ただの幽霊だ。……まあいい。その指輪の呪いとやら、<br>  半分貰ってやる」</p> <p><br> <br>  そう言うと。ジュンは私の方へ飛んできて、左手の薬指に――口付けた。</p> <br> <br> <br> <br> <br> <br> <br> <p> 光の糸よりも、更に眩いひかりが部屋を包む。<br></p> <p> 「ははっ……ほんとに出来るだなんて。失敗したらどうしようかと思った」</p> <p><br> <br>  そんなことを言いながら、彼は父の方を見据える。<br></p> <p> 「……真紅。これから起こることは、眼を瞑るなりなんなりして、いくらでも眼を逸らしても<br>  いいことだ。……せめて良い夢が、見れるといいな」</p> <p><br> <br>  ジュンは、自身の左手の薬指につけられた指輪を私に示しながら――穏やかに、微笑む。</p> <p><br> <br> 『お前を、守ってやるよ――』</p> <p><br> <br>  彼が父に――いや、かつて父だった『もの』に、物凄いスピードで突っ込んでいく間際。<br>  彼のそんな声が聴こえたような気がして……私は、気を失った。</p> <br> <br> <p>――――――――――――――</p> <br> <br> <br> <br> <br> <br> <br> <p><br> 「……」<br></p> <p>  私の話を、金糸雀は黙ったまま聞いていた。私自身、これを話すこと自体みだりにするもの<br> では無いとは思っている。だけど……ここで話しておかなければならないような。そんな気が、<br> した。<br></p> <p>「指輪の宿主を、前の所有者が襲う……?」<br></p> <p>  彼女は唸りながら首を傾げている。ジュンはあの時、『代々"受け継がれてきた"ことか』<br> と言っていたが。あの事例自体は本当に珍しいことなのだろうか?<br> </p> <p> 「まあ……ここで頭を捻らせても仕方ないかしら。戻りましょう? 真紅」<br> </p> <p>「ええ……」<br></p> <p>  部屋をあとにする前に――私は一度だけ、その中を振り返って。<br>  そして……部屋の鍵を、かけた。<br></p> <p><br>  また、二人で廊下を歩いている。今度は彼女の方から、私に話しかけてきた。<br> </p> <p>「サティ、好きなのかしら?」<br></p> <p>「え?」<br></p> <p> 「真紅の部屋の中にかかってた音楽。"グノシエンヌ"――第五番」<br> </p> <br> <br> <br> <br> <p><br> 「そう、かけていたCDが鳴り続けていたのね、きっと。サティは好きよ――<br>  雨の降る夜には、よく似合いそうね。……今は晴れているけど」<br> </p> <p> そう言って、また窓の外を見る。暫く、直接太陽の下に出ることがなかった。<br> こうやって窓から射し込んでくる光だけが――真に私を照らすものだとした<br> ら、どうすれば良いだろう。<br></p> <p><br> 「"グノシエンヌ"の語源は知ってる? 真紅」<br></p> <p>「いえ、知らないのだわ」<br></p> <p> 「あれは、サティの造語。『知る』と言う意味を持つ言葉から、発音をとったもの」<br> </p> <p>「『知る』……」<br></p> <p> 「そう。今、きっと私達は……知らなければいけないことが、沢山あると思うの。<br>  それは貴方の呪いを打ち破る、術になるかもしれないかしら。<br> </p> <p>  だけど、――さっきはごめんなさい、真紅。辛いことを、思い出させてしまって」<br> </p> <p>「いえ、良いのよ。気にしないで金糸雀」</p> <br> <br> <br> <br> <br> <br> <p> 翠星石達が残っている筈の部屋の前まで来る。<br>  なんだか、騒がしいのだが。ちょっと嫌な予感。</p> <p><br> <br> 『きゃー! こっち向いて蒼星石ちゃーん……』<br></p> <p> 『蒼星石、最高ですぅ! こんなにピンクが似合うだなんて驚きですぅー……』<br> </p> <p><br>  何、だろう? 中から聴こえてくる黄色い声は。<br></p> <p><br> 「みっちゃん……」<br></p> <p> 金糸雀が溜息をつきながら、頭に手をやった。<br></p> <p>「おい……何とかしてくれよあいつら……」<br></p> <p> すぅ、と。廊下の天井からジュンが出てきた。<br></p> <p> 「なんだあのコスプレパーティーは。……主に被害者は蒼星石だが。<br>  みっちゃんとか言ったか、着替えのときに無理矢理外に出された上に結界張りやがったぞ。<br>  しかも特殊なやつ……ちゃんと仕事してんのか? お前ら」<br> </p> <p>「め、面目無いかしらー……」<br></p> <p> 金糸雀は、返す言葉も無いようだ。<br></p> <br> <br> <br> <br> <br> <p> 「とにかく、蒼星石を早く解放してやってくれ。顔がまっかっかでとても見てられない。<br>  まあ、スカートは似合ってたけど」<br></p> <p> そう言って何やらにやけている彼の耳を、左手で引っ張った。<br> </p> <p>「い、痛てててててて! 何すんだよ真紅!」<br></p> <p> 「金糸雀! 貴女は中に入って場を収拾しなさい!」<br></p> <p>「わ、わかったかしらー……」<br></p> <p>  ……ひょっとしたら彼女自身、"観察者"の餌食になってしまうかもしれなかったが。<br> 私もそれに巻き込まれては敵わない……<br></p> <p>  そして。自分の部屋の前から逃げるように去り、私は居間にやってきた。<br> </p> <p>「ジュン、紅茶を居れて頂戴」<br></p> <p>「はいはい……」<br></p> <p>「はい、は一回よ!」<br></p> <p>「あーもう。何怒ってるんだよ」<br></p> <p>「別に怒ってないのだわ……」<br></p> <p>  私のその台詞を聞くと、彼は溜息をつきつつも台所へ向かっていった。<br> </p> <br> <br> <br> <br> <br> <br> <p>――――――</p> <p><br> <br> 「はいよ、お待たせしました」<br></p> <p>「ありがとう、ジュン」<br></p> <p>  紅茶を一口飲んで、ほっと一息。これだけは、変わらない習慣で。この先も<br> 続いていくことなのだろうかと……なんとなく、思う。<br></p> <p> 「それにしても、さっきは酷かったなあ。金糸雀が哀れな子羊に見えたぞ」<br> </p> <p>「なっ! だって……ピンク色の服とか、その」<br></p> <p>「だって、何だよ」<br></p> <p><br> 「だって……私には、……そういう可愛らしい服は、似合わないのだわ、きっと」<br> </p> <p>「……」 「……」<br></p> <p>  そうして、『はぁ……』と、ジュンはまた盛大に溜息をつく。<br> </p> <p> 「何よ! 何か言いたいことがあるならはっきり言って頂戴!」<br> </p> <p>「や、真紅も奥ゆかしいお嬢さんだなあと」<br></p> <p>「……どういう意味?」</p> <br> <br> <br> <p><br> 「まあ、なんだ。どっから情報入手したか知らないが、お前の分らしき衣装も<br>  用意してあったぞ。<br></p> <p>  なんと言うか……お前が着ても似合う……可愛いと思うんだが」<br> </p> <p><br> 「っ……!」</p> <p><br> <br>  そういう不意打ちは反則なのではないかと思う、この幽霊は!<br>  でも、まあ……動揺を悟られるのも杓なので、つとめて冷静な声で返すことにする。<br> </p> <p>「……褒めても、何も出ないのだわ」<br></p> <p>「期待してないぞ」<br></p> <p>「……」  「……」<br></p> <p>「ふふっ」 「ははっ」<br></p> <p><br>  何となく、笑った。今日初めて、声を出して笑ったかもしれなかった。<br> </p> <p>  私は紅茶のカップを持って立ち上がり――それは作法としてはどうかと思ったけれ<br> ど――窓の近くまで歩いていって、レースのカーテンに手をかけた。</p> <br> <br> <br> <br> <p><br>  別に、庭に出るくらいなら構わないのだけど。何となくそれは躊躇われて、窓から<br> 外を見つめるだけにしておく。<br></p> <p><br> 「ねぇ、ジュン」<br></p> <p>「なんだよ」<br></p> <p><br>  指輪を、見つめた。子供の居ない――まあ、多分これから先も、その可能性は<br> 限りなく少ない訳で――そんな私の、ちょっとした反撃。<br> </p> <p><br> 「幽霊と人間って、結婚できるのかしらね?――」<br></p> <p><br>  返事が、無い。<br></p> <p>  ジュンの姿を追ってみる。すると彼は、そっぽを向いたままであった。<br>  顔を何やら紅くしつつ。……幽霊でも、照れることがあるのか。<br> </p> <p> まあ、いい。さっきのお返しだから。</p> <br> <br> <br> <br> <p>「何言ってんだよ、お前は……」<br></p> <p> 「あら。今まで外に出ていたときだって、男性とお付き合いしたことは無いのだわ。<br>  この先だって、その可能性も少ない訳だし――<br>  身近な男性と言えば、貴方くらいしか居ないのだもの」<br> </p> <p> 「……必要に迫られて仕方なく、って感じがするなあ」<br></p> <p> あ、なんだか不満そう。まあ私も――決して彼を馬鹿にするつもりで言ったのでは無い。<br> </p> <p><br> 「結婚は冗談にしても――貴方は、私の傍に居てくれるのかしら?<br>  そしていつでも美味しい紅茶を淹れて貰わないと――」<br> </p> <p><br>  ぽん、と。私の頭に添えられる、彼の左手。指輪のついた、私に触れることが出来る……手。<br> </p> <p><br> 「心配しなくても――ちゃんと守ってやるから」<br></p> <p><br>  私はくるりとまた窓の方に身体を向けて、窓の外を見る。そして、窓を開けた。<br> </p> <p>  雨上がりの空気も落ち着いて、とてもとても静かだった。<br>  こうしていると、今まさに自分が指輪の呪いに囚われているだなんて、<br>  忘れてしまいそう。</p> <br> <br> <br> <br> <br> <p>  微かに、微かに――私の部屋の方から、音が聴こえた。<br> </p> <p>  "グノシエンヌ"、第五番。そのピアノの音が、聴こえるか聴こえないか位の<br>  小さな旋律を紡いでいる。<br></p> <p>  "知る"ということ。私が今、知りたいと思うのは……?<br>  このままでも良かったかもしれないけれど、きっと私は――もっと自由を、<br>  知りたかったのかもしれない。<br></p> <p>  その時見える景色は、どんな色をしているのだろうかと……<br>  そんな、本当に些細なことを。<br></p> <p><br>  金糸雀が言っていた、今までとは違う結末に対する可能性のことを。<br>  少しだけ考えて、眼を瞑り――この暫しの幕間に、私は身を任せた。</p> <br> <p><br></p>
<p><br> 薔薇屋敷の異名を持つ館の主、真紅は、人々の夢を叶える薔薇の指輪の呪いを<br> 受けて、それを縛り付ける処置のために館の外に出ることが出来ない。<br> 真紅の呪いは、夢を叶えたあとに発生した悪夢が実現しようとすること。<br> それを阻止するため、真紅の夢の"世界"に発生する観念の虚像、通称"異なるもの"と<br> の戦闘を繰り返す"庭師"翠星石と蒼星石。<br> また、現実世界での"異なるもの"との闘いに特化した力を持つ、"策士"金糸雀と<br> "観察者"みっちゃん。<br> 館に住み着いている幽霊、桜田ジュンは闘いに協力し、真紅にかけられた呪いに<br> 抗おうとする。<br> <br> 前回までに彼らは、今までよりも強大な力を持った"異なるもの"に苦戦しつつも、勝利を<br> 収める。<br> <br> 魔法の指輪を作った、過去の魔術師の存在。そして未だその正体が明らかにされて<br> いない幽霊、桜田ジュン。<br> <br> 指輪を巡る運命の物語が、廻り始める――<br> <br> <br> <br> <br> <br> 「ん……」<br> <br> <br>  目覚めてみれば、そこはいつもの自分の部屋。<br>  だけど、状況だけは普段の目覚めとは少しだけ違う。<br> <br> <br> 「おはようかしら、真紅ー」<br> <br> 「あら、真紅ちゃん起きた? いい夢見れた?」<br> <br> 「今日の仕事は完了だよ、真紅」<br> <br> 「今回も蒼星石は大活躍だったですよ! 姉としては鼻高々なのですぅ」<br> <br> 「……あー。言われる前に言っとくか。今日は紅茶の葉、何がいいんだ?」<br> <br> <br>  ……随分と、賑やかなのだった。<br> <br> <br> <br> <br> 【ゆめまぼろし】第六話 幕間<br> <br> <br> <br> <br> 「お気遣いありがとうかしらー、ジュン」<br> <br> 「あら、中々のお味……かなり良い葉を使ってるのかな?」<br> <br> 「はいはい、どういたしまして。……どうせ何人増えても一緒だろ」<br> <br> <br>  いつものメンバーに新たな二人が加わると、それだけでも結構賑やかになるものだ。私自<br> 身、館の外に出なくなってからそれほど時間は経ってはいない――せいぜい一ヶ月強、と言<br> ったところか――とは言えども、"庭師"の二人とジュン以外の人間と会話するのはかなり久<br> しぶりであるような感覚。<br> <br>  "策士"金糸雀、"観察者"みっちゃんと名乗る二人。先ほど私が眠ってしまう前に、二人が<br> 闘う様を私は見ていた。<br> <br> 「……」<br> <br>  どうやらこの二人は"庭師"と同じ組織に属する人間らしい。要は、私にかけられた呪いに<br> 抗うために闘ってくれる人物。もっとも、"庭師"のように、私の夢の中で闘うのではなく。<br> 実際に私が目覚めている空間での戦闘に長けているようだが。<br> <br> 「そうだ、真紅。ここの屋敷に、何か物置のような所はないかしら?」<br> <br> 「ええ、あるけど。それがどうかしたの? ええと――」<br> <br> 「金糸雀って、呼び捨てで構わないかしら。私も名前で呼んでいるし」<br> <br> 「わかったわ、金糸雀。その物置が何か気になるの?」<br> <br>  少し話してみた印象だが、彼女達は悪い人間ではないな、と思う。初対面なのにそうい<br> う風に『良いか悪いか』を判断するのは失礼にあたるかもしれないが、決して他意はない。<br> あくまで、話しやすいかどうかといった面で考えた上での考えである。<br> <br> 「さっき私達が闘ってた、絵のような――"異なるもの"。<br>  多分その絵が、ここにあるかしら」<br> <br> 「金糸雀。僕達は真紅の夢の"世界"で、額縁のイメージを模した"異なるもの"<br>  と闘ったんだ。それらはやはり繋がっていたということかい?」<br> <br> 「それは多分あってるかしら、蒼星石。私もあの"異なるもの"の原典を暴いた<br>  時点でそれは感じたのだけど、何も無い所からはイメージは生まれない筈。<br>  多分、その原典はここにあるかしら」<br> <br>  もっとも、それが『オリジナル』の作品であるとは限らないけど、と彼女は言った。<br> <br> 「そうなの……私の記憶も曖昧だけど、心の底でそのイメージがあったのかしらね。<br>  それにしても――遅くなったけど、お礼を言わせて頂くのだわ。<br>  本当にありがとう」<br> <br>  頭を下げる。彼女達が居なければ、私自身どうなっていたかはわからない。<br> かなり怖い思いはしたけれど……<br> <br> 「いえいえ、気にしないで真紅ちゃん。それが私達の仕事なんだもの。ね、カナ?」<br> <br> 「そうかしら。貴女の"世界"で闘ってた皆も頑張ってくれたみたいだし。それに<br>  例を言うなら、私達の上司にあとで言ってほしいかしらー」<br> <br> <br> 「上司……白崎さんのことですかぁ?」<br> <br> 「正解かしらー。まあ私も来ていきなり戦闘になるとは思わなかったけれど。<br>  "庭師"にも宜しくって言ってたかしら、翠星石」<br> <br> 「あー……前の定期報告から、暫く会ってないですねぇ。相変わらずなんですか、あの人」<br> <br> 「そうだねえ。『翠星石さん、ちゃんとやってますかねぇ』って言ってたよ」<br> <br> 「みっちゃん! それは言わないようにって……!」<br> <br> 「くぅ……返す言葉が見つからんです……」<br> <br>  <br>  ん。プライドの高い翠星石が、ぐうの音も出ないとは。過去に何かあったのだろうか。<br> <br> <br> 「まあまあ、翠星石。僕らは随分お世話になってるし、面倒も見てもらったしね。<br>  心配してくれてるんだよ、眼をかけてもらってたからさ」<br> <br> 「……あの実践練習は反則だったですぅ、蒼星石。あのひとは容赦がなさすぎなんです」<br> <br> <br>  ……あまり掘り返さない方が良さそうだろうか。<br> <br> 「真紅。じゃあとりあえず、ちょっと案内してくれるかしら?」<br> <br> 「わかったわ、こっちよ」<br> <br> 「私は部屋に残ってるね。"庭師"さん達とお話してるから」<br> <br>  私は金糸雀を連れて部屋を出た。<br> <br> <br> ―――――<br> <br> <br> 「……」<br> <br> 「……」<br> <br>  部屋を出てから、私と金糸雀の二人きり。歩いている間は無言だった。何か話した方が<br> 良いだろうかと思いながらも、話題が見つからない按配。彼女自体が話しづらい人間なの<br> ではなくて、多分これは私の方の性質によるのだろうけど。<br> <br>  窓の外を見ると、雨がやんだのか陽が差し込んできている。庭に見える薔薇が、雨粒で<br> 輝いて見えた。その水滴の一粒一粒が虹色を放ち、その美しさを際立たせている。<br> <br> 「薔薇……」<br> <br> 「どうしたかしら? 真紅」<br> <br> <br> 「いえ……さっき部屋で見たものを少し思い出したの」<br> <br>  金糸雀が、"異なるもの"の圧力から私を守る為に渡してくれた傘。あの中に入ったとき、<br> 私は普段見ている空間とは違うものを見ていた。<br>  悪夢を館に戒める、茨の結界。私の部屋の中だけでも、正直ぞっとしてしまうほどのも<br> のだった。今の私には、例えば自分がこの瞬間に捉えている視界の中にも茨は存在しない。<br>  けれど、それは。確実にこの屋敷にも張り巡らされていて、――私自身を、戒めている。<br> <br> 「――色々とショックだろうけど、仕方ないことかしら……あれは貴女をこの屋敷に縛る<br>  と同時に、貴女を守る為のものなんだから」<br> <br> 「そうね。――わかっているのだわ。ところで、金糸雀」<br> <br> 「何かしら?」<br> <br> 「あの傘は、やっぱり何か特別な処置が施されているの?」<br> <br> 「そうかしら。あの傘は私特製。あの時は急だったから、詳しい説明は省いたけれど。簡単<br>  に表現は出来ないんだけど――有体に言えば、魔術がかかっている道具かしら」<br> <br> 「魔術……」<br> <br>  もし私が、こういった環境下ではなく。普通に暮らしていたとしたら、魔術など何て前<br> 時代的な、と……そんな風に考えていたに違いない。<br>  だけど、もう十分に非現実的な場面に遭遇し続けた私にとっては、特に驚くべきことで<br> もない。幽霊だって居るんだし。<br> <br> <br> 「そう、魔術。あの傘を用いて――貴女の身体を、観念拠りにしたの」<br> <br> 「観念拠り、とはどういうこと?」<br> <br> 「普段私達がこの実空間で生きている以上、勿論実体を持っているかしら。<br>  だけど、実空間に現れる"異なるもの"は――観念の虚像。まあ、幽霊もそうなんだけど、<br>  普通はそういった存在は私達は触れることが出来ない、と考えるわよね?」<br> <br> 「ええ、確かにそうね」<br> <br> 「だけど、"異なるもの"達は。実空間の在り方を捻じ曲げてきたりして、私達を攻撃して<br>  くるの。もっとも、『存在を捻じ曲げる』ような奴らは相当特別な力を持っているから、<br>  あんまり見ないけど」<br> <br> 「さっき見た――"異なるもの"は、そういったものとは違うと言うのね」<br> <br> 「そうかしら。ポピュラーな方法としては、相手の観念――こころね。<br>  それを直接握りつぶした方が早いから。<br> <br>  実体を持っていると、剥き出しの観念的な衝撃に対しては、酷く脆くなるの。<br>  だから、貴女の身体が、一時的に観念の耐性を持つようにしたのかしら。<br>  それが『観念拠り』にしたということ」<br> <br>  成る程。ということは、私はあの時、実体を持ちながら『イメージに近い』状態になっ<br> ていたということか。<br> <br> <br> 「じゃあ、あの時茨が見えたのは――」<br> <br> 「そうね。貴女がそういった状態になったことで、もともと観念の結界であるものも見え<br>  たということかしら」<br> <br> 「金糸雀、貴女は普段ああいったものが見えるものなの?」<br> <br> 「ん……まあ、そうかしら。私の眼、そのものの性質が特別というところもあるかしら。<br>  それをこれで補助してる感じ」<br> <br>  そう言って金糸雀は、自分にかけている眼鏡を指差した。<br> <br> 「みっちゃんも私の持つ能力に属した眼を持ってて、色々なものが"視える"んだけど。<br>  それにはある程度力を解放しなくちゃいけない。眼鏡――勿論それにも魔術は施されてる<br>  かしら――をかけて、ある程度通常の状態でも程ほどに"視える"ように力を増幅してるのかしら」<br> <br>  私はさっきの彼女達の様子を思い出す。二人が"異なるもの"に向かって言葉を投げかけ<br> たとき――眼が、紅く光っていた。<br> <br> 「じゃあ――今も貴女の眼には、茨が"視えて"いるのね」<br> <br> 「うっすらと、だけど。多分あの"庭師"達にも"視えて"いる筈。この結界自体は<br>  あの娘達が施したものじゃないだろうけど、補強はしてるようだし。<br>  元々この実空間に反映されてるから、イメージが増幅しやすいのかしら。<br> <br>  だとしたら、元々何も無かった筈のこの場所に結界をはった最初の人間は、<br>  相当協力な力を持っていたことになるわね」<br> <br> ―――――<br> <br>  物置部屋の前に辿り着いた。<br> <br> 「ここよ。暫く入ってないから、埃っぽいかもしれないけど……」<br> <br>  扉を開ける。自分自身この部屋に足を踏み入れるのは久しぶりのことだった。<br> <br> 「これは……すごいかしら。ちょっとした骨董市が開けそう」<br> <br> 十畳程の広さである部屋の中に詰まっている物、物、物。父が蒐集家であったことは幼い<br> 頃からの記憶としてあったのだけれど、果たしてこれほどのものだったであろうか。<br> <br> 「この辺りに絵が固まって置いてあるわね」<br> <br> 金糸雀がそう言いながら、部屋を漁り始める。<br> <br> 「オリジナル、真作だったらすごいだろうけど……レプリカも多いみたいなのだわ。<br>  大っぴらに飾っていたわけではなかったし、父の趣味みたいなものかしらね」<br> <br> 「……」<br> <br> 「どうしたの? 金糸雀」<br> <br> 「貴女のお父様も。イメージ……多分そういったものに、<br>  強く惹かれるところがあったのかも。だからこういった絵を集めたのかしら……」<br> <br>  金糸雀に促されて、一枚の絵を見る。<br> <br> <br>  後姿のひとが、描かれている絵だった。その人物は絵の中で、視線の先には『絵の中に<br> 在る絵』を捉えている。でも――<br> <br> <br> 「何も、描かれていない――?」<br> <br>  『絵の中に在る絵』。それは、木枠の額縁に飾られていた、真っ黒な空間。<br> <br> 「黒。絵の具で塗りつぶされたような闇は――ひとのこころを、不安に誘うものの象徴かし<br>  ら。この絵の作者は確か……マグリット。ルネ・マグリットね。<br> <br>  命そのものや、死という概念はそれだけで圧倒的なイメージ。それに惹かれるというのは、<br>  ある種人間の性とも呼べるかしら。<br> <br>  こっちにある絵――『オルフェウスの死』――オディロン・ルドン。<br>  死のイメージを完全に、美しさと安息の中に補完してる。<br>  安寧への願望……それにしても、よくこれだけ集めたものかしら……」<br> <br> 「……」<br> <br>  私は金糸雀の言葉に、答えない。<br> <br>  お父様。お父様は、生きている間――指輪の呪いが受け継がれてから、外に出ること<br> を許されず。どんなことを、思っていたのだろう……?<br> <br> 「さっきも言ったけれど――もし、絵のように視覚的に捉えられる手法を用いて存在する<br>  ものがあるとして。それを用いて、不安を訴えようとする場合は、確かにあるの。<br>  それは、画家の意図として。<br> <br>  だけど、その真意はわからないでしょう? 全ては受けて側のイメージ。<br>  もし絵の中に、二人以上の人物が描かれていたとするでしょう? そうすると、見ている<br>  側はその"光景"から物語を紡ぎだそうとする。作者の狙いを超えて、それは展開されるも<br>  のかしら。それは絵との対話なのだから。<br> <br>  そしてね――その対話を、拒絶しようという狙いを持ったのが……きっとこの絵かしら」<br> <br> 彼女が、先ほどと違う額縁を私に示してみせる。<br> <br> 「"頭部無き絵"……」<br> <br> 「そう。さっき私達が闘っていた相手の、オリジナル。これもフェイクではあるけれども、<br>  貴女の持つ意識の中では、これが"原典"なのかしら」<br> <br> <br>  私は、絵の表面をそっと撫ぜてみた。紙の上質さは私の知り得るところでは無かったし、<br> 油彩独特の凹凸もこの手には感じられない。これは、きっと偽者なのだ。<br> <br>  だけど、これが私を取り込もうと、眼の前に現れた――<br> <br> 「元気を出して、真紅。貴女の呪いについて、楽観的なことは決して言えないけれど――<br>  きっと、今までとは違った結末が待っているような気がするかしら」<br> <br> 「違った、結末?」<br> <br>  金糸雀が、私の方を見据える。今、彼女の瞳は紅くはない。だけど、その緑眼に……全てを<br> 見透かされて。そして吸い込まれてしまいそうな、そんな感覚に陥る。<br> <br> 「聞きたいことがあるの。あの幽霊――桜田ジュンのことかしら」<br> <br> 「……」<br> <br> 「さっき、ジュンの左手をみたかしら。貴女と同じ、指輪がついてた」<br> <br> 「彼は……」<br> <br> 「観念の存在であるジュンが、あなたと全く同じかたちを模した指輪をつけている。<br>  あれは単なる真似では無くて――指輪の『存在を分け与えた』。そんな気がするかしら」<br> <br> 「彼は……私を、守ってくれたのだわ」<br> <br> 「……彼と初めて、逢った時に?」<br> <br> 「そう、初めて逢った時に」<br> <br> 「貴女はそのとき、目覚めていたのね――外敵がその時、現れた?」<br> <br> 「そう。さっきの貴女達の闘いも怖かったけど、実は二度目。ああいった形の争いを<br>  見るのは――」<br> <br> <br> そして、その"初めて"は――二度目のそれとは比べ物にならない位に恐ろしく、<br> 絶望的だったこと。<br> <br> 「"異なるもの"と呼べばよかったのかしらね、あれも――」<br> ――――――――――――――<br> <br>  唐突な、目覚めだった。部屋の窓にカーテンがかけられていたものの、この暗さ<br> ならば夜は空けていないということが容易に感じ取れた。<br> <br>  寝汗が、酷い。それになんだか、頭がぼんやりとしていた。身体を起こすと、背<br> 中が置かれていた部分のシーツがぐっしょりと濡れている。<br> <br>  私は手を頭に添えた。<br> <br>  父が亡くなって、二週間が経とうかという頃。私はそれよりも更に三週間程前に、<br> 父の指輪を"受け継いだ"。<br>  呪いの、薔薇の指輪。私の呪いに抗う為に屋敷にやってきた"庭師"の姉妹は、別室<br> にて就寝中の筈である。<br>  もう何度か、私の夢の"世界"の中で、"異なるもの"と闘っている。ただその時の私<br> は眠りについているし、目覚めれば全てが終わっている。<br>  もし彼らが、闘いに敗れたとしたら――? それは私の運命なのだろうと思った。<br> <br>  父が指輪を"受け継いだ"のは、四十代を過ぎたあたりのことであったらしい。母と<br> 結婚して、私が産まれ――母は私を産んですぐに亡くなってしまったから、その顔の<br> 面影は写真でしか知ることが出来ない。<br>  ともかく、そんな折に父の指には指輪が現れたのだった。<br> <br> 「……」<br> <br>  私は結婚している訳でも無いし、まして跡を継がせるような子供も居ない。そんな<br> 場合、もし私が死んでしまったら。この指輪はどうなるのだろうかと――私は独り暗<br> 闇の中、そんなことを考えている。<br> <br>  ひゅう、と。生暖かい風が頬を撫でていったような気がした。<br> <br> 「……?」<br> <br>  視界は大分慣れてきていて。部屋の明かりをつけることもせず、私はその風の出所<br> らしき方向へ眼を向けてみた。<br> <br>  そこには、何も無い。当たり前だ。四月に入りたての空気はまだ夜を冷たくしていたし、<br> それを知っているが故に窓は開けてはいないのだから。<br>  だけど……何か、部屋の中に居る様な。そんな気配を薄々と感じる。<br>  <br> <br> <br> 「……誰なの?」<br> <br> <br>  暗闇の先に、声をかけてみた。返事を期待していた訳では無い。それも当たり前のこと。<br> <br> 「ふぅん――お前、僕が居るのがわかるのか。"視える"のか?」<br> <br> 「!?―――」<br> <br>  その、期待していなかった声は、私を驚かすのには十分だった。<br>  けど、何か――不思議と自分にとっての脅威と成り得るものでは無い。そんな根拠の無い<br> 感覚を、私は覚える。<br> <br>  よくよく、眼を凝らしてみる。そこには……ぼんやりと。ひとのかたちが……眼鏡をかけ<br> た少年が、居た。<br> <br> <br> 「ええ、見えるのだわ。貴方は誰? 先に自己紹介した方がいいわね――<br>  私の名前は真紅。さあ、レディに先に名乗らせておいて、貴方の正体はいつ明かして貰える<br>  のかしら?」</p> <p><br> <br> 「……」</p> <p><br> <br></p> <p>「……」</p> <p><br></p> <p>「……ぷっ、あはははははは!」</p> <p><br></p> <p>「――何か、おかしい?」</p> <p><br></p> <p> 「いやいや、おかしいだろ。まあ、いいか――僕の名前はジュン。桜田ジュン。まあ有体に<br>  言うと、幽霊ってことになるのか」</p> <br> <p>「そう」</p> <p><br></p> <p>「……驚かないのか?」</p> <p><br></p> <p> 「驚くも何も。世の中に幽霊の一人や二人、居たっておかしくはないでしょう。<br>  その中の一人が私の眼の前に居る。それだけのことなのだわ」</p> <p><br></p> <p>「……」</p> <p><br></p> <p>  ジュン、という名前らしき幽霊は、不思議そうな表情で私の方を見ている。<br> そしてまた、話を切り出してきた。</p> <p><br></p> <p> 「成る程。元々不思議な体験には慣れてるって所か。例えばそう――その、指輪」</p> <br> <p>「――!」</p> <p><br></p> <p>  指摘され、少し私は身構えた。そうだ、指輪の呪いは、何も私の夢の"世界"だけで展開<br> されている訳では無い。数こそ少なくなったものの、外から私を襲ってくる輩も居ると、<br> 蒼星石が話していたではないか。<br>  だけど、そういった所謂『外敵』から私を守るために、結界が張られているのではなかっ<br> ただろうか。その結界自身をこの眼で確かめたことはないけれど。</p> <p><br></p> <p> 「――そう。貴方もこの指輪に引き寄せられたのね? 私を取り殺しにでもきたのかしら。<br>  代々受け継がれてきた呪いとやらも、これで終わりになると良いのだわ」</p> <p><br></p> <p>  あっけないもの。ここでよもやアウトになるとは――そう、考えた時。ジュンはそれを<br> 慌てた様子で否定する。</p> <p><br></p> <p> 「いや、別にお前を呪い殺そうだなんて僕は思ってないぞ。僕は此処に"居る"。ただ、それだけ」</p> <p><br></p> <p>「……本当に?」</p> <p><br></p> <p> 「嘘ついてもしょうがないだろ。なんていうか――その指輪は、僕の眼から見ると随分特別に<br>  見えるんだよ。何て言えばいいかな、僕のような……幽霊の存在に近いっていうか」</p> <p><br></p> <p>「――"観念"?」</p> <p><br></p> <p> 「お、話が早いな。そう、幽霊は観念の塊みたいなもの――<br>  それに近い空気を、その指輪にも感じる。ああ、あと」</p> <p><br></p> <p>「え……?」</p> <p><br></p> <p> 「呪い殺す、って言ったっけ。そういうものは、あっちに居るお客さんが望んでそうなんだが」</p> <p><br>  私は、ジュンの目線の先を追う。そこには、やっぱりひとのかたちをした影が在った。<br> だけどそれは、私のよく見知った顔で―――<br></p> <p><br> 「……お父様!?」</p> <p><br></p> <p>  ――どうして。父はもう既にこの世には居ない。ああでも、ジュンと同じように幽霊に<br> なって、私に逢いに来てくれた――?</p> <p><br></p> <p>「奴に近づくな、真紅」</p> <p><br></p> <p>「どうしてっ!? 私のお父様なのよ!?」</p> <p><br></p> <p> 「あー。ひょっとして、あいつこそがその指輪とやらに"引き寄せられた"んじゃないか」</p> <p><br></p> <p>「……どういうこと!?」</p> <p><br> <br> 「あいつからもその指輪と同じ空気が滲み出ている。どうみても、正気を保っているよう<br>  には見えないな。少なくとも、感動的な父娘の再会じゃないだろ。</p> <p><br></p> <p>  代々受け継がれてきた、って言ってたな。――ってことは……『この状況』も、代々<br>  続いてきたことなのか?」</p> <p><br></p> <p><br> 「嫌……嫌あああぁぁぁぁ!!」<br></p> <br> <br> <p><br>  知らない、こんなことは知らない。こんなこと、聞いてなかった!<br>  ……どうしてこんなにジュンは冷静なのだろう。</p> <p><br></p> <p> 幽霊だから? <br>  私とは関係ないから?<br>  ただ此処に――"居る"だけだから?</p> <p><br></p> <p><br>  刹那。私の視界は、夜の帳よりも深い闇に包まれた。</p> <p><br></p> <p><br> 「あ、ああ……!」</p> <p><br> <br> 『真、紅……』</p> <p><br> <br> お、とうさ、ま、</p> <p><br> <br> 『逃 げ  、ロ』</p> <p><br> <br> 「―――――あ、あああああっ!!」</p> <br> <br> <p>  ――――そして。闇を破るように、私の身体が光のようなものに包まれる。</p> <br> <br> <br> <p>「……い、と……?」</p> <p><br></p> <p>  私の左手の薬指。そこにつけられた指輪から、光の糸が……紡ぎだされている。</p> <p><br></p> <p> 暖かい。なんてやさしい、ひかり――</p> <p><br></p> <p>「――真紅!」</p> <p><br></p> <p>「ジュ……ン……?」</p> <p><br></p> <p> 「その指輪――お前を守ってくれたみたいだな。だけど――このまま奴を放っておいても、<br>  お前の方が壊れるぞ」</p> <p><br></p> <p>「……」</p> <p><br></p> <p> 声が掠れて。うまく話すことが出来ない……<br>  私はただ、口を僅かに動かすことくらいしか出来なかった。</p> <p><br></p> <p> 「真紅、よく聞け。その指輪――観念の存在に、近いもの。その存在を――僕に、分けろ。<br>  そして僕の存在に意味をつけてくれ」<br> <br> <br> 「……ど、……いう……」</p> <p><br></p> <p> 「僕はこのままじゃ、ただの幽霊だ。……まあいい。その指輪の呪いとやら、<br>  半分貰ってやる」</p> <p><br> <br>  そう言うと。ジュンは私の方へ飛んできて、左手の薬指に――口付けた。</p> <br> <br> <p> 光の糸よりも、更に眩いひかりが部屋を包む。</p> <p><br></p> <p> 「ははっ……ほんとに出来るだなんて。失敗したらどうしようかと思った」</p> <p><br> <br>  そんなことを言いながら、彼は父の方を見据える。</p> <p><br></p> <p> 「……真紅。これから起こることは、眼を瞑るなりなんなりして、いくらでも眼を逸らしても<br>  いいことだ。……せめて良い夢が、見れるといいな」</p> <p><br> <br>  ジュンは、自身の左手の薬指につけられた指輪を私に示しながら――穏やかに、微笑む。</p> <p><br> <br> 『お前を、守ってやるよ――』</p> <p><br> <br>  彼が父に――いや、かつて父だった『もの』に、物凄いスピードで突っ込んでいく間際。<br>  彼のそんな声が聴こえたような気がして……私は、気を失った。</p> <br> <br> <p>――――――――――――――</p> <br> <p><br> 「……」</p> <p><br></p> <p>  私の話を、金糸雀は黙ったまま聞いていた。私自身、これを話すこと自体みだりにするもの<br> では無いとは思っている。だけど……ここで話しておかなければならないような。そんな気が、<br> した。</p> <p><br></p> <p>「指輪の宿主を、前の所有者が襲う……?」</p> <p><br></p> <p>  彼女は唸りながら首を傾げている。ジュンはあの時、『代々"受け継がれてきた"ことか』<br> と言っていたが。あの事例自体は本当に珍しいことなのだろうか?</p> <p><br></p> <p> 「まあ……ここで頭を捻らせても仕方ないかしら。戻りましょう? 真紅」</p> <p><br></p> <p>「ええ……」</p> <p><br></p> <p>  部屋をあとにする前に――私は一度だけ、その中を振り返って。<br>  そして……部屋の鍵を、かけた。<br></p> <p><br>  また、二人で廊下を歩いている。今度は彼女の方から、私に話しかけてきた。</p> <p><br></p> <p>「サティ、好きなのかしら?」</p> <p><br></p> <p>「え?」</p> <p><br></p> <p> 「真紅の部屋の中にかかってた音楽。"グノシエンヌ"――第五番」<br> </p> <br> <p><br> 「そう、かけていたCDが鳴り続けていたのね、きっと。サティは好きよ――<br>  雨の降る夜には、よく似合いそうね。……今は晴れているけど」</p> <p><br></p> <p> そう言って、また窓の外を見る。暫く、直接太陽の下に出ることがなかった。<br> こうやって窓から射し込んでくる光だけが――真に私を照らすものだとした<br> ら、どうすれば良いだろう。<br></p> <p><br> 「"グノシエンヌ"の語源は知ってる? 真紅」</p> <p><br></p> <p>「いえ、知らないのだわ」</p> <p><br></p> <p> 「あれは、サティの造語。『知る』と言う意味を持つ言葉から、発音をとったもの」</p> <p><br></p> <p>「『知る』……」</p> <p><br></p> <p> 「そう。今、きっと私達は……知らなければいけないことが、沢山あると思うの。<br>  それは貴方の呪いを打ち破る、術になるかもしれないかしら。</p> <br> <p>  だけど、――さっきはごめんなさい、真紅。辛いことを、思い出させてしまって」</p> <p><br></p> <p>「いえ、良いのよ。気にしないで金糸雀」<br> <br></p> <p> 翠星石達が残っている筈の部屋の前まで来る。<br>  なんだか、騒がしいのだが。ちょっと嫌な予感。</p> <p><br> <br> 『きゃー! こっち向いて蒼星石ちゃーん……』</p> <p><br></p> <p> 『蒼星石、最高ですぅ! こんなにピンクが似合うだなんて驚きですぅー……』<br> </p> <p><br>  何、だろう? 中から聴こえてくる黄色い声は。<br></p> <p><br> 「みっちゃん……」</p> <p><br></p> <p> 金糸雀が溜息をつきながら、頭に手をやった。</p> <p><br></p> <p>「おい……何とかしてくれよあいつら……」</p> <p><br></p> <p> すぅ、と。廊下の天井からジュンが出てきた。</p> <p><br></p> <p> 「なんだあのコスプレパーティーは。……主に被害者は蒼星石だが。<br>  みっちゃんとか言ったか、着替えのときに無理矢理外に出された上に結界張りやがったぞ。<br>  しかも特殊なやつ……ちゃんと仕事してんのか? お前ら」</p> <p><br></p> <p>「め、面目無いかしらー……」</p> <p><br></p> <p> 金糸雀は、返す言葉も無いようだ。<br></p> <br> <br> <p> 「とにかく、蒼星石を早く解放してやってくれ。顔がまっかっかでとても見てられない。<br>  まあ、スカートは似合ってたけど」</p> <p><br></p> <p> そう言って何やらにやけている彼の耳を、左手で引っ張った。</p> <p><br></p> <p>「い、痛てててててて! 何すんだよ真紅!」</p> <p><br></p> <p>「金糸雀! 貴女は中に入って場を収拾しなさい!」</p> <p><br></p> <p>「わ、わかったかしらー……」</p> <p><br></p> <p>  ……ひょっとしたら彼女自身、"観察者"の餌食になってしまうかもしれなかったが。<br> 私もそれに巻き込まれては敵わない……</p> <p><br></p> <br> <p>  そして。自分の部屋の前から逃げるように去り、私は居間にやってきた。</p> <p><br></p> <p>「ジュン、紅茶を居れて頂戴」</p> <p><br></p> <p>「はいはい……」</p> <p><br></p> <p>「はい、は一回よ!」</p> <p><br></p> <p>「あーもう。何怒ってるんだよ」</p> <p><br></p> <p>「別に怒ってないのだわ……」</p> <p><br></p> <p>  私のその台詞を聞くと、彼は溜息をつきつつも台所へ向かっていった。<br> </p> <br> <br> <br> <p>――――――</p> <p><br> <br> 「はいよ、お待たせしました」</p> <p><br></p> <p>「ありがとう、ジュン」</p> <p><br></p> <p>  紅茶を一口飲んで、ほっと一息。これだけは、変わらない習慣で。この先も<br> 続いていくことなのだろうかと……なんとなく、思う。</p> <p><br></p> <p> 「それにしても、さっきは酷かったなあ。金糸雀が哀れな子羊に見えたぞ」</p> <p><br></p> <p>「なっ! だって……ピンク色の服とか、その」</p> <p><br></p> <p>「だって、何だよ」<br></p> <p><br> 「だって……私には、……そういう可愛らしい服は、似合わないのだわ、きっと」</p> <p><br></p> <p>「……」 「……」</p> <p><br></p> <p>  そうして、『はぁ……』と、ジュンはまた盛大に溜息をつく。</p> <p><br></p> <p> 「何よ! 何か言いたいことがあるならはっきり言って頂戴!」</p> <p><br></p> <p>「や、真紅も奥ゆかしいお嬢さんだなあと」</p> <p><br></p> <p>「……どういう意味?」</p> <p><br> 「まあ、なんだ。どっから情報入手したか知らないが、お前の分らしき衣装も<br>  用意してあったぞ。</p> <p><br></p> <p>  なんと言うか……お前が着ても似合う……可愛いと思うんだが」</p> <p><br></p> <p><br> 「っ……!」</p> <p><br> <br>  そういう不意打ちは反則なのではないかと思う、この幽霊は!<br>  でも、まあ……動揺を悟られるのも杓なので、つとめて冷静な声で返すことにする。</p> <p><br></p> <p>「……褒めても、何も出ないのだわ」</p> <p><br></p> <p>「期待してないぞ」</p> <p><br></p> <p>「……」  「……」</p> <p><br></p> <p>「ふふっ」 「ははっ」</p> <p><br></p> <p><br>  何となく、笑った。今日初めて、声を出して笑ったかもしれなかった。</p> <p><br></p> <p>  私は紅茶のカップを持って立ち上がり――それは作法としてはどうかと思ったけれ<br> ど――窓の近くまで歩いていって、レースのカーテンに手をかけた。</p> <p><br>  別に、庭に出るくらいなら構わないのだけど。何となくそれは躊躇われて、窓から<br> 外を見つめるだけにしておく。<br></p> <p><br> 「ねぇ、ジュン」</p> <p><br></p> <p>「なんだよ」<br></p> <p><br>  指輪を、見つめた。子供の居ない――まあ、多分これから先も、その可能性は<br> 限りなく少ない訳で――そんな私の、ちょっとした反撃。<br> </p> <p><br> 「幽霊と人間って、結婚できるのかしらね?――」</p> <p><br></p> <p><br>  返事が、無い。<br></p> <p>  ジュンの姿を追ってみる。すると彼は、そっぽを向いたままであった。<br>  顔を何やら紅くしつつ。……幽霊でも、照れることがあるのか。<br> </p> <p> まあ、いい。さっきのお返しだから。</p> <br> <br> <br> <p>「何言ってんだよ、お前は……」</p> <p><br></p> <p> 「あら。今まで外に出ていたときだって、男性とお付き合いしたことは無いのだわ。<br>  この先だって、その可能性も少ない訳だし――<br>  身近な男性と言えば、貴方くらいしか居ないのだもの」</p> <p><br></p> <p> 「……必要に迫られて仕方なく、って感じがするなあ」</p> <p><br></p> <p> あ、なんだか不満そう。まあ私も――決して彼を馬鹿にするつもりで言ったのでは無い。</p> <p><br></p> <p><br> 「結婚は冗談にしても――貴方は、私の傍に居てくれるのかしら?<br>  そしていつでも美味しい紅茶を淹れて貰わないと――」</p> <p><br></p> <p><br>  ぽん、と。私の頭に添えられる、彼の左手。指輪のついた、私に触れることが出来る……手。</p> <p><br></p> <p><br> 「心配しなくても――ちゃんと守ってやるから」</p> <p><br></p> <p><br>  私はくるりとまた窓の方に身体を向けて、窓の外を見る。そして、窓を開けた。</p> <p><br></p> <p>  雨上がりの空気も落ち着いて、とてもとても静かだった。<br>  こうしていると、今まさに自分が指輪の呪いに囚われているだなんて、<br>  忘れてしまいそう。</p> <br> <p>  微かに、微かに――私の部屋の方から、音が聴こえた。</p> <p><br></p> <p>  "グノシエンヌ"、第五番。そのピアノの音が、聴こえるか聴こえないか位の<br>  小さな旋律を紡いでいる。</p> <p><br></p> <p>  "知る"ということ。私が今、知りたいと思うのは……?<br>  このままでも良かったかもしれないけれど、きっと私は――もっと自由を、<br>  知りたかったのかもしれない。</p> <p><br></p> <p>  その時見える景色は、どんな色をしているのだろうかと……<br>  そんな、本当に些細なことを。</p> <p><br></p> <p><br>  金糸雀が言っていた、今までとは違う結末に対する可能性のことを。<br>  少しだけ考えて、眼を瞑り――この暫しの幕間に、私は身を任せた。</p> <br> <p><br></p>

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