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『メタモルフォーゼ』」(2006/02/28 (火) 01:57:07) の最新版変更点

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<p>  『メタモルフォーゼ』</p> <br> <p> 窓から射し込む朝日に照らされ、私は徐に瞼を開いた。<br> 昨夜、寝る前にカーテンを開け放っておいたのだ。<br> 真紅が言うには、そうするとスッキリ目が覚めるんだってぇ……。<br> 瞼をこすりこすり、枕元の時計を一瞥する。</p> <br> <p>――六時五十分</p> <br> <p>目覚まし時計が喧しく騒ぐ時間より、十分も早い。<br> なるほど。確かに、効果は有るみたいねぇ。<br> 昨夜は英文訳の宿題に手こずって夜更かししたので、正直、まだ眠い。<br> でも、二度寝してアラームに叩き起こされるのも癪に触るわぁ。<br> 私は思いっきり両腕と背筋を伸ばして、ひとつ、あくびをした。</p> <br> <p>惰眠の誘惑を振り切って、ベッドを出る。<br> 窓辺に歩み寄って、レースのカーテン越しに外の様子を窺った。<br> わぁ……今日は快晴ねぇ。しかも、今日は私の誕生日! 朝から気分良い。<br> 窓を開けて早朝の澄んだ空気を吸い込むと、五感は完全に覚醒した。</p> <br> <p> 動き始めた日常。背を丸めて歩いてくるスーツ姿の男性と、<br> 犬の散歩がてらジョギングしている若い女性が、前の道で擦れ違う。<br> その足下を、真っ白なウサギがちょろちょろと横切って、向かいの家の門構えに消えた。</p> <br> <p> 銀「野良……ウサギ?」</p> <br> <p> まさかねぇ。真っ白な野良猫を見間違えたのよ、きっと。<br> 私は部屋を出て、顔を洗いに行った。</p> <p><br></p> <p>――登校時間。</p> <br> <p> 鞄を手に、待ち合わせ場所まで歩いていた私の脇を、数人の小学生が<br> 元気に駆け抜けていった。<br> ふふ……私にも、あんな頃が有ったっけ。転ばないよう、気をつけてねぇ。<br> 遠ざかる子供たちのランドセルを眺めながら、心の中で呟いていた。</p> <br> <p>この辺りも家が増えたなぁ……と思う。<br> 私が子供の頃には、田圃や空き地ばかりだったのに。<br> みんなでザリガニ釣りをした沼も、今は埋め立てられてマンションに変わった。<br> 古い記憶が新たな記録に塗り替えられ、私の中に浸透していくのは、やはり寂しい。<br> あ~ぁ、こんな気持ちのいい朝に、何を感傷的になってるんだろ私。</p> <br> <p> いつもの待ち合わせ場所の手前には、雑草の生い茂った空き地が有る。<br> 木造の平屋が建ってたけど、私が産まれる前に火事で焼けちゃったんだってぇ。</p> <br> <p> 空き地の前を通り過ぎようとした時、ふと、視界の隅で何かが動いた。<br> 立ち止まって目を向けると、路肩に真っ白なウサギが蹲っていた。<br> これって、今朝の野良ウサギ? 見間違いじゃなかったのねぇ。</p> <br> <p>  銀「毛並み、綺麗ねぇ。どこかの家から逃げ出したのしらぁ?」</p> <br> <p> そう言えば、あちこちの電柱に貼り紙してあったっけ。<br> 偶然にも近くの電柱に貼ってあったチラシには、デジカメで撮影された<br> 写真が印刷してあった。特徴を見比べると、どうやら件のウサギらしい。<br> これは、保護してあげなきゃあねぇ。<br> 腕時計に視線を落とす。約束の時間まで、少しだけ余裕がある。</p> <br> <p>  銀「ほぉら、ノラちゃん。いい子だから、こっちへおいでぇ」</p> <br> <p> お弁当から取り出したニンジンのスティックを摘み、手を差し伸べる。<br> ……驚かさないように。<br> しかし、白ウサギは弾かれたように勢いよく走り出し、空き地に飛び込んだ。</p> <br> <p>慌てて、追いかけた。<br> 膝の丈まで伸びた雑草から、逃げるウサギの白い背中が垣間見える。<br> なんて、すばしっこいの。応援を呼んだ方が良いみたい。<br> そう思った矢先、目の前でウサギが飛び跳ねた。チャ~ンス! <br> 私は鞄を放り投げると走り幅跳びの要領で、ウサギを捕らえに行った。</p> <br> <p> 銀「やったぁ、捕まぁえた!」</p> <br> <p> 両手に暖かく柔らかな毛の感触。後は、この子を送り届けるだけね。<br> チラシに記載された住所はこの近くだったし、走れば待ち合わせの時間<br> にも間に合いそう。私はウサギをしっかりと抱きかかえて着地した。</p> <br> <p>ふわりと足が沈み込んだのは、その直後だった。</p> <br> <p> 銀「っ――!」</p> <br> <p> 声を上げる暇もなく、私は雑草に覆われていた広い縦穴に滑り落ちた。</p> <p><br> 気が付くと、私は縦穴の底でカラスになっていた。ウサギも居ない。<br> なんでぇ? どうしてぇ? 頭の中に飛び交うのは、その言葉だけ。<br> 私が一体、何をしたって言うのよぉ!?<br> そりゃあ、鳥になって何処までも飛んでいけたら素敵だなぁと夢想した<br> ことは有るけれど、この展開はあまりに突拍子すぎるんじゃなぁい?</p> <br> <p> 大体……なんでカラスなの? ちょっとイジケるわぁ。</p> <br> <p>  銀(ど……どうしよう。とにかく誰かに知らせないと。<br>    でも、どうやって?)</p> <br> <p>そうだ、携帯でメール飛ばせば――<br> 私は縦穴から飛び立ち、嘴で鞄の中を開けて携帯を取り出した。<br> 薔薇しぃからの着信履歴と、メールが入っていた。<br> 取り敢えず、嘴でつついて返信を作成しよう。</p> <br> <p> 【薔】銀ちゃん、悪いけど先に行くね。何かあったの?<br>   (ええ、ええ。ありましたとも。アンビリバボーな事がねぇ)<br> 【銀】遅れてゴメン。実は私、カラスに――<br>   (なっちゃった……なんて、書ける訳ないでしょおぉ!!)<br>  ――訂正訂正。<br> 【銀】遅れてゴメン。今日、休むわ♪<br>  <br>  送信……完了! (←以下略)</p> <br> <p>ああ、私これから、どうしたら良いのぉ?</p> <br> <p> そうだ! 金糸雀なら、なにか妙案があるかも。意外に物知りだったりするし。<br> まあ、大概は日常生活の役に立たないネタなんだけどねぇ。<br> でも、しょうがないでしょ。藁にも縋りたい心境なのよ、私は!</p> <br> <p> 何はともあれ、鞄をここに放置しておけない。私は鞄を掴み、自宅まで<br> ヨタヨタと飛んで帰った。</p> <br> <p>  銀(つつ、疲れたあぁ……。でも、金糸雀に会いに、学校へ行かなきゃ。<br>    ファイトよ、水銀燈っ!)<br>  <br> ストラップで携帯電話を頚に吊るし、私は再び空へ舞い上がる。<br> 気分転換に軽~く遊覧飛行としゃれ込みたいけど、遊んでる暇なんて無いわぁ。<br> サクサクッと行って来ちゃおうっと。</p> <br> <p> ――と、薔薇学園まで来たのは良いけれど。まだ一限目の真っ最中ね。</p> <br> <p>私は校舎の屋上に降りて、携帯電話を開いた。</p> <br> <p>  (今の内に、金糸雀にメール送っとこ)<br> 【銀】カナ~。大事な話が有るの。授業が終わったら屋上に来てね♪<br>   (おっしゃー。バッチコーイ!!)</p> <br> <p>ww……wwww!</p> <br> <p>  金「メールかしら~。あら? 銀ちゃん……大事な話って、まさかっ!<br>    愛の告白キターッ!! かしらー?!」<br>  梅「授業中だぞ、金糸雀。廊下に立っとれ」  <br>  金「ふぇーん。思わず、興奮しすぎたかしら~」</p> <p><br> ――そして、休憩時間。</p> <br> <p>  金「銀ちゃん、来たわよー。恥ずかしくって隠れてるのかしらー」<br>   (き、来た来た! 待ってましたよ、カナぁ~) </p> <br> <p> 私は歓喜のあまり、うっかり自分がカラスだと言う事を忘れて金糸雀の<br> 前に躍り出てしまった。あぁ……馬鹿、バカ、私ってホント、おばかさぁん。</p> <br> <p>  金「あら? カラスが携帯を頚から下げてる。見間違いかしらー」<br>   (いえいえ、カナの眼は正常よぉ。私の方が、おばかさぁん)<br>  金「その携帯……銀ちゃんのよね。銀ちゃんは何処?」<br>   (目の前に居るカラスが銀ちゃんですよぅ。はぁ……判るわけないかぁ)<br>  金「むむぅ? はっ! なぁんだ、判っちゃったのかしらー」<br>   (えっ? マジすか? マジすかポリス? 本当に判ってくれたのぉ?!)<br>  金「あんた…………銀ちゃんの携帯を盗んだ泥棒ガラスね!」<br>   (お約束のボケじゃないのよぉ! こぉんの、おばかさぁんっ!)</p> <br> <p>ガッ!</p> <br> <p> 私は、聡明な感じのする金糸雀の広い額に、嘴を突き立てた。<br> 一時撤収。仕切り直しだわぁ。</p> <p><br></p> <p> 二限目の数学が終わってから、再び屋上に金糸雀を呼び出した。<br> 私は給水タンクの陰に隠れて、嘴で忙しくメールを打っては送信する。<br> カラスの身体にも、ちょっと慣れてきたわねぇ。</p> <br> <p> 【銀】カナっち。呼び出しときながら会えなくてゴメン<br>  金「銀ちゃん……どうして姿を見せてくれないのかしらー」<br> 【銀】実は、人前に出られない姿にされちゃってぇ<br>  金「んまー! なんか卑猥かしらー! まさか今……全裸?(///)」<br> 【銀】全っ然、違うからぁ。次ボケたらヌッ殺すわよぉ♪<br>  金「(はっ! 殺気!)それで、大事な話って何かしらー?」</p> <br> <p>漸く、本題に入れそうねぇ。やれやれ。<br> 取り敢えず、呪いをかけられたと仮定して話を進めよう。呪い、と。<br> な、に、ぬ……っあ、ボタン強くつつきすぎて携帯が転がっちゃった! <br> しかも、誤爆したみたい~。orz</p> <br> <p>【銀】ぬ<br>  金「ぬ? ぬ…………るぽ?」</p> <br> <p>ガッ!!</p> <br> <p> 給水タンクの上から急降下した私は、金糸雀の後頭部に蹴りを入れた。<br> カナは、すぐボケるからダメだわ。<br> 次は、あの双子姉妹に賭けてみようかしらね。三人寄れば文殊の知恵よ。</p> <br> <p><br> ――三限目と四限目の間の休憩時間。教室にて</p> <br> <p>  翠「蒼星石。授業中に、銀ちゃんから怪しいメールがきたですよ」<br>  蒼「ああ、それならボクのとこにも送られてきたよ、姉さん」<br> 【銀】お願い、助けて! 独りじゃ解決できそうにないの<br>  翠「何をテンパッてやがるですかねぇ?」<br>  蒼「取り敢えず、返信してみようよ。なんか切迫してるみたいだし」</p> <br> <p> 例によって、私は給水タンクの下に隠れて、返信を待っていた。</p> <br> <p>♪バラノ-クビワ-ツナゲ-テ♪</p> <br> <p>おおっと! 蒼星石から返信キタワァ! <br> ここはもう余計な雑談抜きで、いきなり核心まっしぐらよぉ。</p> <br> <p> 【銀】私、カラスに姿を変えられてしまったのぉ。こんな呪いの解き方を<br>    貴女たち知らなぁい?<br>  蒼「これは……意味深な話だね。くんくん探偵の謎掛けシリーズかな?」<br>  翠「甘いですネ蒼星石。これは答えの内容で、性格判断が出来る問題です」<br>  蒼「えっ、そうなの? 例えば?」<br>  翠「例えば、ええと……藁人形を釘で打ち込むと答えたら、性格は陰険でFAですネ。<br>    御祓いして貰うと答えた奴は、他力本願な性格ですぅ」<br>  蒼「さすが姉さん、物知りだね。じゃあ早速、返信しよう」<br> 【翠】一昨日きやがれです。でも、下僕になるなら教えてやってもいいです<br> 【蒼】石仮面を被れば良いと思うよ。呪いには呪いで対抗がデフォ<br>  <br> あ、あいつらぁ……他人事だと思ってぇ。</p> <br> <p> 三人寄ったところで、所詮は烏合の衆ね。どうしたら元に戻れるのぉ?<br> 解決策は全く見当も付かないし、お腹も空いたわぁ。<br> みんな、お弁当を持って屋上に上がってくる。<br> 幾つかの仲良しグループの中に、いつもの面々も居た。</p> <br> <p> J「薔薇しぃ。水銀燈は風邪ひいたのか?」<br>  薔「分かんない。メールには……今日休むとしか……書いてなかったから」<br>  J「ふぅん。帰りがけ、水銀燈ん家に寄って様子みてくるかな」<br>  真「心配することないわ。どうせ寝過ごして、ズル休みしただけよ」<br>  翠「そう言えば、銀ちゃんが変なメール送ってきやがったです」<br>  蒼「そうそう。性格判断テスト」<br>  雛「なにそれ、楽しそうなのー。雛も受けるのー」<br>  金「カナの所には、愛の告白メール来てたわ。カナってモテモテかしらー」<br>  J「なんだそれ……行動パターンが支離滅裂だな」<br>  真「悪戯よ、きっと。真面目に取り合うだけ馬鹿を見るわ。それよりジュン。<br>    今日の帰り、紅茶を買いに行きたいの。選ぶの手伝ってちょうだい」</p> <br> <p>お、おのれ真紅ぅ~!<br> 私が居ないのを良いことに、ちゃっかり抜け駆けを企むなんて!<br> 許せないわぁ。そっちがその気なら……。</p> <br> <p><br> ――昼休みも終わり、五限目</p> <br> <p> 私は昼休み中に、更衣室へ潜り込んでいた。次の授業は体育。<br> ふふふ……覚悟しなさい、真紅ぅ。貴女の生着替え動画&赤裸々写真を盗撮して、<br> 弱みを握ればこっちのものよ。私の下僕にしてやるわぁ。<br> ロッカーの上に置かれた段ボール箱に潜み、私は獲物を待ち続けた。</p> <br> <p> ――が、待てど暮らせど一向に来る気配がないのは、どうしてぇ?</p> <br> <p>  (ちょっとメールしてみよ)<br> 【銀】雛ぁ~。ごはん食べた後の体育で、お腹いたくしてなぁい?<br> 【雛】平気なのー。今日は呂布先生お休みだから、教室で国語の授業なのー<br>    メソウサ先生、授業を脱線してコワイ話ばっかりしてるのー<br>   (なんてこったい。それじゃ、此処に隠れてても意味無いわぁ)</p> <br> <p> 私は段ボール箱から飛び出て、またまた屋上に戻った。教室を見下ろすと、<br> なるほど確かに、メソウサ先生が身振り手振りを交えて熱弁していた。<br> あの人、語りが上手だから迫力あるのよねぇ。稲川○○みたい。<br> 窓際の席では、無表情の真紅がメソウサ先生の話に聞き入っている。<br> 澄ました顔しちゃってぇ。本当は内心ガクブルのク・セ・に♪<br> メールを飛ばすと、真紅は遠目に見ても解るくらい激しく肩を震わせたわぁ。</p> <br> <p>【銀】私、銀ちゃん。今、校門のところに居るの<br>   (あ、なんか今、校門の方をチラッと見た)<br> 【銀】私、銀ちゃん。今、下駄箱の前に居るの。貴女の靴に画鋲いれとくね<br>   (うふふ……頬を引きつらせているわぁ)<br> 【銀】私、銀ちゃん。今、階段のぼってるところ<br>   (ちょっと、そわそわし始めたわねぇ。やぁん、可愛いわぁ)<br> 【銀】私、銀ちゃん。今、教室の扉の前に居るの<br>   (きょろきょろしてる……あ、注意された。笑われてる……いいきみねぇ)</p> <br> <p>――ちょっと間を空けて。</p> <br> <p> 【銀】私、銀ちゃん。今、教室の後ろに居るの。授業中に余所見はいけないわ<br>   (うふふ……青ざめてる青ざめてる。頻りに背後を気にしてるわぁ♪)<br> 【銀】私、銀ちゃん。今、貴女の足元に居るの。パンツ見えてるわよ</p> <br> <p> ガタッ! と席を蹴立てて、真紅は一目散に教室を飛び出していった。<br> あはははっ! これ結構、愉しい! クセになっちゃうかもぉ。<br> ……って、憂さ晴らししてる場合じゃないでしょ、水銀燈!<br> 早く元に戻る方法を見付けないと、一生カラスのまんまよ。</p> <br> <p>   (授業中だけど、ダメ元で薔薇しぃに訊いてみよ)<br> 【銀】あのね、薔薇しぃ。呪いで動物に姿を変えられてしまった場合、<br>    どうすれば元に戻れると思う? マジな解答キボンヌ<br>  薔「あれ? 銀ちゃんからメール。これ……どういう意味?」<br>    <br> 薔薇しぃは教科書を衝立にして、こそこそっと返信してくれた。</p> <br> <p> 【薔】グリム童話に『蛙の王子さま』って話があるよ。呪いを解くには、<br>    恋人のキスとかが有効なんじゃないかな?<br>   (そんな話だったかしら? まあ、元に戻れるならどうでも良いわぁ)<br> 【銀】なるほどっ! 説得力あるわ。でも私……恋人って……居ない。<br> 【薔】そうなの? じゃあ、あの……私が…………試してもイイ?<br>   (ウホッ! これって、フラグ? もしかしてフラグ立っちゃったのぉ?)</p> <br> <p><br> ――五限目と六限目の間の休憩時間。屋上にて</p> <br> <p>薔薇しぃは息を切らせて、屋上に来てくれた。</p> <br> <p> 薔「はぁ、はぁ……銀ちゃん……来たよ、私」<br> 【銀】来てくれたのね。ありがとう。ちょっと待ってて</p> <br> <p> 携帯を頸に下げて、私は給水タンクの陰から薔薇しぃの足下に舞い降りた。<br> 見上げると、薔薇しぃが驚愕に目を見開き、私を凝視していた。</p> <br> <p>  薔「――――嘘……でしょ。ホントに……銀ちゃんなの?」<br> 【銀】そう……私。驚いたよね、やっぱり</p> <br> <p> 私が床に降ろした携帯で打ち込んだメールを読むなり、<br> 薔薇しぃは腰を抜かした様に、ぺたんと座り込んでしまった。<br> 愕然――薔薇しぃの気持ちを表現するなら、この一言に尽きるでしょうね。<br>  <br> 【銀】ゴメンね、薔薇しぃ。今朝、待ち合わせの場所に行けなかったのは、<br>    こういう理由が有ったからなの<br>  薔「ぎっ――銀ちゃん! 銀ちゃあぁあん!!」<br>   (あはは……苦しいよ、薔薇しぃ)</p> <br> <p> ギュッ! 嗚咽しながら、薔薇しぃは小さな私の身体を抱き上げてくれた。<br> ちょっと窮屈で痛かったけど、抱き締められる温もりに飢えていた私には、<br> それがとても心地よく感じられた。</p> <br> <p>  薔「私、銀ちゃんのこと大好きだよ。だからきっと、呪いは解けるよ!」<br>   (ありがとう、薔薇しぃ。私のこと、そこまで想ってくれてたのね)</p> <br> <p> 私はモーレツに感動していた。カラスだって涙は流せると、初めて知ったわ。<br> 元に戻ったら、私も薔薇しぃのことギュッ! て、してあげるからねぇ。</p> <br> <p>  薔「じゃあ――――するね。大好きだよ……銀ちゃん♪」<br>   (うん……お願い。私も薔薇しぃのこと、大好きよぉ)</p> <br> <p>触れ合う唇と、嘴。そして、私の身体は……。</p> <br> <p> 薔「戻…………らないね。あれぇ?」<br>   (いや……あれぇ? じゃないでしょ。貴女、断言してたじゃないのぉ!)<br>  薔「おっかしいなぁ。普通なら、ここでパパラパーと元に戻って、二人は<br>    末永く一緒に暮らしましたとさ。めでたしめでたし……で終わるのに」<br>   (そりゃあ、童話ですもの。バッドエンドじゃ子供の心が荒むでしょ)<br>  薔「まあいっか。これはこれでハッピーエンドよね。喜んで、銀ちゃん。<br>    ウチのペットにしてあげるっ!!」<br>   (…………オイ。ソリャネェダロウ)<br>  薔「じゃあね、銀ちゃん。後で迎えに来るから、一緒に帰ろう?」</p> <br> <p> この世の幸福の全てを独占したかの様な満面の笑みを浮かべて、薔薇しぃは<br> 六限目の授業を受けるため走り去った。</p> <br> <p> 馬鹿だったわ。ちょっとでも感動した私がバカだったぁぁっ!!</p> <p><br></p> <p>――放課後。屋上にて</p> <br> <p>まったく、薔薇しぃったら。<br> 元に戻ったら、絶対にお嫁に行けない身体にしてやるわぁ。<br> あんなことや、こぉんなことして……ヤバ。ヨダレ垂れたわ。<br> 夕暮れせまる屋上から下校する生徒たちを見下ろしながら、<br> 黒々とした炎を燃え立たせていた時、ふらりと巴が姿を現した。<br> こんな時間に、どうしたのかしらぁ? 剣道部は今日も練習あるのに。</p> <br> <p> メールを出そうとした矢先、私の携帯にメールが届いた。差出人は……巴。</p> <br> <p> 【巴】銀ちゃん、具合は良くなった? これから部活だけど、銀ちゃんが<br>    居ないと張り合いがないよ。明日は学校、来れると良いね<br>   (そうそう。私と彼女は好敵手なのよねぇ。私がエメラルダスなら、巴は<br>    メー……っと、そんな事はどうでも良くてぇ)<br> 【銀】メールありがと、巴。でも、明日も授業に出られそうにないわ<br>  <br> ――だって、私はカラスなんだもの。この携帯のバッテリーが切れたら、<br>   心を通い合わす事も出来ない、ちっぽけで無力で……孤独なカラス。</p> <br> <p> このままなら、私はいつか、みんなの記憶から消えることになる。<br> この街の景色が時代と共に移ろいゆくように、私の存在もまた、<br> 新しい絵の具に塗り固められて、二度と日の目を見ることが無いだろう。<br> 何か……ふとしたきっかけで、私を覆い隠す絵の具が剥げ落ちない限り。</p> <br> <p> 【銀】私もう……みんなと一緒に過ごせないかも知れない<br>  <br> 宛先は巴、CCを大好きなみんなに設定。<br> 送信が終わったのを確認した私は、夕焼け空を仰ぎ――――少しだけ泣いた。 </p> <br> <p><br> ――放課後。</p> <br> <p> いつもの様に、午後五時を告げるチャイムが街中に流れた。<br> 『夕焼けこやけ』の曲だ。<br> カラスと一緒に帰りましょう――か。皮肉なものねぇ。思わず失笑した。<br> 私は、何処へ帰れば良いの?</p> <br> <p> 昼間の喧噪が嘘のように止んだ校舎の中に、階段を駆け昇ってくる複数人の足音が聞こえた。<br> ああ、そう言えば……薔薇しぃが迎えに来るって言ってたのよね。<br> さっきは厭だったけど、薔薇しぃの家のペットになるのも、そう悪くないかなぁ。<br> 今は、そんな風に思えた。</p> <br> <p> 最初に姿を見せたのは――とても意外だったけれど――真紅だったわ。<br> 続いて、みんなが屋上へと姿を表し、給水タンクの下で輪になった。</p> <br> <p>  紅「出てきなさい、水銀燈! あんなメールを送ってくるなんて、どういう<br>    つもりなの!」<br>  巴「訳は、薔薇しぃから聞いたよ。だけど、あんな寂しいメールを送って<br>    こないでよ! 私……わた――」</p> <br> <p> 巴は両手で顔を覆って泣き崩れた。巴の肩に両手を置いて、宥めるジュン。<br> 誰も彼も神妙な面持ちね。でも、泣きたいのは私も同じ。<br> いっそ、死んでしまいたいのに。<br>    <br> 私は給水タンクの上から飛翔し、真紅の肩に舞い降りた。</p> <br> <p><br> 朝からの経緯を、私は掻い摘んで説明した。</p> <br> <p>  紅「それで、独りで煮詰まっていたの? 馬鹿みたいだわ」<br> 【銀】ゴメン。でも、誰に訊いたって解決法を知らなそうだったから<br>  翠「うぅ……悪かったですぅ。てっきり冗談だと思ってたです」<br>  蒼「本当にゴメンよ、水銀燈。ボクも、てっきり――」<br> 【銀】いいのよ。当事者の私ですら、信じられないんだから<br>  巴「でも、なにか方法は無いの?」<br>  金「そうね。錬金術の実験中に精製した薬を試してみるかしら~?」<br> 【銀】止めて、カナ。それだけは</p> <br> <p>やっぱり、どうにもならないのね。<br> 落胆。ちょっとでも期待した分、リバウンドも大きいわ。<br> 誰もが重い溜息を吐いて俯く中で、馬鹿みたいに明るい声を出す二人が居た。</p> <br> <p>  金「それなら、私がズバッと解決しちゃおうかしらー」<br>  雛「カナ、すごいのー! 銀ちゃんを元に戻せるのー?」<br> 【銀】貴女たち、悪い冗談なら止して。今、笑える気分じゃないの<br>  J「水銀燈、話だけでも聞いてみようよ。少しでも手懸かりになるかも」<br> 【銀】ジュンがそう言うなら……話してみて、カナ<br>  金「わかったわー。呪いを解く鍵は……ズバリ! 野良ウサギかしらー」<br>  紅「う、ウサギですって?」<br>  金「ウサギを抱いて穴に落ちたらカラスになったのよね? <br>    なら、その逆をすれば良いのよ。どう? 完璧な理論!」</p> <br> <p> 思わず、その場の全員がどよめいた。それって……ホントに完璧?</p> <br> <p> 紅「でも……やってみる価値はありそうね」<br> 【銀】真紅! ちょっ……本気で言ってるのぉ?<br>  紅「当然よ。正直なところ、貴女が居なくなっても構わないけれど。<br>    でもね、雨上がりの翌日に、その辺でカラスが野垂れ死にしてると<br>    朝から気分が悪いの。その程度の理由と思ってちょうだい」<br>  薔「真紅、その言い方って酷い。銀ちゃんだって、自分から望ん――」<br>  紅「黙りなさい! 無駄口を叩く暇があるなら、直ぐにウサギを捕まえに行くわよ。<br>    水銀燈、そのウサギは、どっちへ逃げたの?」<br> 【銀】それが……ゴメン。縦穴の中で暫く気絶してたから分かんない<br>  紅「仕方ないわね。それなら、水銀燈の家から待ち合わせ場所までの道を、<br>    手分けして探しましょう。みんな、解散!」<br>  <br> 見事なまでのリーダーシップを発揮する真紅。学級委員長の金糸雀が霞んで見えるわ。<br> 普段は仕切り屋で鬱陶しく思えたけど、緊急時には意外と頼りになるじゃないの。<br>  <br>  銀(な、なんだか、ちょっとカッコイイ……わね)</p> <br> <p> それに引き替え、死にたいだなんて悄気てた私は、おばかさぁん。<br> 鬱ぎ込んで物事が解決するなら、誰も苦労はしないわ。<br> 元に戻りたければ、他人を当てにするのではなく、私自身があらゆる可能性を模索しなきゃ。<br> ありがとね、真紅。私――目が覚めたわ。<br> それと…………さっきは苛めてゴメン。</p> <br> <p> 紅「ん! な、何をするの、水銀燈?」</p> <br> <p> 頬を軽くつついた私を怪訝そうに見詰める真紅の肩から、私は夕闇せまる<br> 街へと飛び立った。あの野良ウサギを、私の手で探し出す為に。</p> <br> <p><br> あいつを捕まえた空き地に、私は戻ってみた。<br> 上空から見ると、縦穴がポッカリと口を開けているのが見える。<br> あれって、古井戸だったのねぇ。</p> <br> <p>  銀(もしかしたら、その辺の草むらの中に居るかも)</p> <br> <p> あいつは真っ白だから、茂みに隠れていても直ぐに判る。<br> 暫くの間、私は獲物を狙う猛禽のように、上空を旋回していた。<br> そして……私は遂に、空き地の隅に蠢く白ウサギを発見した。<br> 横滑り、そして急降下。<br> 私は白ウサギの背中を鷲掴み――カラスだけど――にして、脳天に嘴を叩き込んだ。</p> <br> <p>  銀(はぁい、ウサギさん。こんばんわ。今朝は大層、世話になったわねぇ。<br>    御礼に、空中散歩はいかが? <br>    今なら特別サービスで、一緒に古井戸へダイブしてあげるわよぉ)</p> <br> <p> 嬉しさのあまり哄笑した私の足元で、妙に馴れ馴れしい話し声がした。</p> <br> <p>  ?「痛たたた……やれやれ、元気なお嬢さんですね。<br>    ワタシからの誕生プレゼント、お気に召して頂けましたか?」<br>  銀(なっ! なんですって? まさか、私がカラスになったのは――)<br>  ?「ええ。ワタシの仕業です」<br>   <br> そう言った途端、ウサギは見る見るうちに人間らしくなっていき……。<br> 私は雑草の上へと放り出された。<br> 頚に掛けていたストラップが抜けて、携帯が何処か遠くに落ちる音がした。 </p> <br> <p>  銀「痛たたたぁ……って、あれ? 元に戻ってるぅ」</p> <br> <p> 呆然としていた私は、前に立つタキシード姿のウサギ男を見て絶句した。<br> しかも慇懃にお辞儀をするから、余計に思考が停止してしまった。<br> それでも、今日一日の体験を振り返って、なんとか気を取り直した。<br> 私だってカラスになっていたんだもの。この際なんでもアリよぉ。</p> <br> <p>  ?「驚かせて申し訳ない。お怪我は有りませんか、お嬢さん」<br>  銀「あ……貴方、だぁれ?」<br>  ?「名乗るほどの者ではありませんよ。日常と非現実の間を渡り歩く道化に、<br>    そもそも名など有りませんよ。ワタシはただ、お嬢さんの要求を知って、<br>    お節介を焼きに来ただけです」<br>  銀「じゃあ、名無しの道化ウサギさん。どうして、私に誕生プレゼントを?<br>    そもそも、カラスに変えた理由はなぁに?」<br>  ?「貴女が、それを望んだのですよ。カラスに姿を変えてまで得ようとしたもの。<br>    ワタシは、ほんの少し、それを手伝ったにすぎない」<br>  銀「私が…………切望? なにを?」</p> <br> <p> 分からない。判らない。解らない。この道化は、何を言っているの?</p> <br> <p>  ?「解りませんか? 貴女が本当に求めていたのは――」<br>  銀「私が本当に求めていたのは――」<br>    <br> 名無しの道化と、私の言葉が重なった。その瞬間、私は自分の本心を悟った。</p> <br> <p>  銀「私……いつまでも色褪せない思い出が欲しかったのね」</p> <br> <p> 色褪せない思い出。そうよね、こんな体験、二度と出来やしないわ。<br> 学園で親友達とメールやり取りしたこと。真紅をからかい、苛めたこと。<br> 薔薇しぃとのキス。それに、真紅が見せた凛々しい一面……。<br> どれもこれも、大切な思い出。私は生涯、忘れない。忘れられる筈がない。</p> <br> <p> 銀「貴方には、御礼を言わないとねぇ。<br>    素晴らしい誕生プレゼントを、ありがとう。<br>    お世辞なんかじゃなく、私の……一生の宝物よぉ」<br>  ?「ワタシは、お節介を焼いただけですよ。貴女は自ら求め、手に入れた。<br>    それだけの事です」</p> <br> <p>道化ウサギは肩を竦めて、小さく笑った。</p> <br> <p>  ?「さてさて……長話が過ぎたようですね。道化は消えるとしましょう」</p> <br> <p> 一陣の風。思わず瞑った瞼を開いたとき、道化は既に居なくなっていた。<br> 日常の生活に、ちょっとだけ割り込んだ非現実。<br> 下手をすれば、非現実に紛れ込んでしまうところだったのね、私。</p> <br> <p> 紅「水銀燈っ!」</p> <br> <p> 突然、背中に鈍い衝撃が走り、頚に両腕が絡み付いた。<br> 珍しいわねぇ。真紅が、感情を露わにして抱き付くなんてぇ。</p> <br> <p> 紅「元に……戻れたのね…………良かった」</p> <br> <p> 涙声。真紅が泣くところを、私は初めて見た。親友の涙も一生の宝物だわぁ。</p> <br> <p><br> 窓から射し込む朝日に照らされ、私は徐に瞼を開いた。<br> 瞼をこすりこすり、枕元の時計を一瞥する。<br> ふふ……いつも通り、時計が喧しく騒ぐ前に目覚めたわ。<br> 私は思いっきり両腕と背筋を伸ばして、ひとつ、あくびをした。</p> <br> <p>惰眠の誘惑を振り切って、ベッドを出た。<br> 窓辺に歩み寄って、レースのカーテン越しに外の様子を窺う。<br> うんうん……今日も快晴ねぇ。<br> 窓を開けて早朝の澄んだ空気を吸い込むと、五感は完全に覚醒した。</p> <br> <p>変わらない日常が、今日もまた始まっている。<br> でも、私は知ってしまった。<br> 日常の至る所に、非現実との接点が有るということを。<br> 一歩間違えば怖ろしい結果を招きかねない、道化ウサギの巣穴――<br> 今日も誰かが、誤って巣穴に落ちているのかも知れない。</p> <br> <p> ふと、家の前の道を真っ白なウサギが左から右に横切って、視界から消えた。</p> <br> <p> 銀「野良……ウサギ?」</p> <br> <p>まさかねぇ。見間違いよ、きっと。<br> さあ、早く支度して学校行かなきゃ。大好きな仲間たちとの思い出を作るために。<br> 私は部屋を出て、顔を洗いに行った。</p> <br> <p><br>   ~終わり~</p>
<p> <br>  <br>   『メタモルフォーゼ』<br>  <br>  <br> 窓から射し込む朝日に照らされ、私は徐に瞼を開いた。<br> 昨夜、寝る前にカーテンを開け放っておいたのだ。<br> 真紅が言うには、そうするとスッキリ目が覚めるんだってぇ……。<br> 瞼をこすりこすり、枕元の時計を一瞥する。<br> <br> ――六時五十分<br> <br> 目覚まし時計が喧しく騒ぐ時間より、十分も早い。<br> なるほど。確かに、効果は有るみたいねぇ。<br> 昨夜は英文訳の宿題に手こずって夜更かししたので、正直、まだ眠い。<br> でも、二度寝してアラームに叩き起こされるのも癪に触るわぁ。<br> 私は思いっきり両腕と背筋を伸ばして、ひとつ、あくびをした。<br> <br> 惰眠の誘惑を振り切って、ベッドを出る。<br> 窓辺に歩み寄って、レースのカーテン越しに外の様子を窺った。<br> わぁ……今日は快晴ねぇ。しかも、今日は私の誕生日! 朝から気分良い。<br> 窓を開けて早朝の澄んだ空気を吸い込むと、五感は完全に覚醒した。<br> <br> 動き始めた日常。背を丸めて歩いてくるスーツ姿の男性と、<br> 犬の散歩がてらジョギングしている若い女性が、前の道で擦れ違う。<br> その足下を、真っ白なウサギがちょろちょろと横切って、向かいの家の門構えに消えた。<br> <br>  「野良……ウサギぃ?」<br> <br> まさかねぇ。真っ白な野良猫を見間違えたのよ、きっと。<br> 私は部屋を出て、顔を洗いに行った。<br> <br> <br> <br> <br> ――登校時間。<br> <br> 鞄を手に、待ち合わせ場所まで歩いていた私の脇を、数人の小学生が<br> 元気に駆け抜けていった。<br> ふふ……私にも、あんな頃が有ったっけ。転ばないよう、気をつけてねぇ。<br> 遠ざかる子供たちのランドセルを眺めながら、心の中で呟いていた。<br> <br> この辺りも家が増えたなぁ……と思う。<br> 私が子供の頃には、田圃や空き地ばかりだったのに。<br> みんなでザリガニ釣りをした沼も、今は埋め立てられてマンションに変わった。<br> 古い記憶が新たな記録に塗り替えられ、私の中に浸透していくのは、やはり寂しい。<br> あ~ぁ、こんな気持ちのいい朝に、何を感傷的になってるんだろ私。<br> <br> いつもの待ち合わせ場所の手前には、雑草の生い茂った空き地が有る。<br> 木造の平屋が建ってたけど、私が産まれる前に火事で焼けちゃったんだってぇ。<br> <br> 空き地の前を通り過ぎようとした時、ふと、視界の隅で何かが動いた。<br> 立ち止まって目を向けると、路肩に真っ白なウサギが蹲っていた。<br> これって、今朝の野良ウサギ? 見間違いじゃなかったのねぇ。<br> <br>  「毛並み、綺麗ねぇ。どこかの家から逃げ出したのしらぁ?」<br> <br> そう言えば、あちこちの電柱に貼り紙してあったっけ。<br> 偶然にも近くの電柱に貼ってあったチラシには、デジカメで撮影された<br> 写真が印刷してあった。特徴を見比べると、どうやら件のウサギらしい。<br> これは、保護してあげなきゃあねぇ。<br> 腕時計に視線を落とす。約束の時間まで、少しだけ余裕がある。<br> <br>  「ほぉら、ノラちゃん。いい子だから、こっちへおいでぇ」<br> <br> お弁当から取り出したニンジンのスティックを摘み、手を差し伸べる。<br> ……驚かさないように。<br> しかし、白ウサギは弾かれたように勢いよく走り出し、空き地に飛び込んだ。<br> <br> 慌てて、追いかけた。<br> 膝の丈まで伸びた雑草から、逃げるウサギの白い背中が垣間見える。<br> なんて、すばしっこいの。応援を呼んだ方が良いみたい。<br> そう思った矢先、目の前でウサギが飛び跳ねた。チャ~ンス! <br> 私は鞄を放り投げると走り幅跳びの要領で、ウサギを捕らえに行った。<br> <br>  「やったぁ、捕まぁえた!」<br> <br> 両手に暖かく柔らかな毛の感触。後は、この子を送り届けるだけね。<br> チラシに記載された住所はこの近くだったし、走れば待ち合わせの時間<br> にも間に合いそう。私はウサギをしっかりと抱きかかえて着地した。<br> <br> ふわりと足が沈み込んだのは、その直後だった。<br> <br>  「っ――!」<br> <br> 声を上げる暇もなく、私は雑草に覆われていた広い縦穴に滑り落ちた。<br> <br> <br> <br> <br> 気が付くと、私は縦穴の底でカラスになっていた。ウサギも居ない。<br> なんでぇ? どうしてぇ? 頭の中に飛び交うのは、その言葉だけ。<br> 私が一体、何をしたって言うのよぉ!?<br> そりゃあ、鳥になって何処までも飛んでいけたら素敵だなぁと夢想した<br> ことは有るけれど、この展開はあまりに突拍子すぎるんじゃなぁい?<br> <br> 大体……なんでカラスなの? ちょっとイジケるわぁ。<br> <br>  (ど……どうしよう。とにかく誰かに知らせないと。<br>   でも、どうやって?)<br> <br> そうだ、携帯でメール飛ばせば――<br> 私は縦穴から飛び立ち、嘴で鞄の中を開けて携帯を取り出した。<br> 薔薇しぃからの着信履歴と、メールが入っていた。<br> 取り敢えず、嘴でつついて返信を作成しよう。<br> <br> <br>  【薔】銀ちゃん、悪いけど先に行くね。何かあったの?<br>    (ええ、ええ。ありましたとも。アンビリバボーな事がねぇ)<br>  【銀】遅れてゴメン。実は私、カラスに――<br>    (なっちゃった……なんて、書ける訳ないでしょおぉ!!)<br>   ――訂正訂正。<br>  【銀】遅れてゴメン。今日、休むわ♪<br>  <br>  送信……完了! (←以下略)<br> <br> ああ、私これから、どうしたら良いのぉ?<br> <br> <br> そうだ! 金糸雀なら、なにか妙案があるかも。意外に物知りだったりするし。<br> まあ、大概は日常生活の役に立たないネタなんだけどねぇ。<br> でも、しょうがないでしょ。藁にも縋りたい心境なのよ、私は!<br> <br> 何はともあれ、鞄をここに放置しておけない。私は鞄を掴み、自宅まで<br> ヨタヨタと飛んで帰った。<br> <br>  (つつ、疲れたあぁ……。でも、金糸雀に会いに、学校へ行かなきゃ。<br>   ファイトよ、水銀燈っ!)<br>  <br> ストラップで携帯電話を頚に吊るし、私は再び空へ舞い上がる。<br> 気分転換に軽~く遊覧飛行としゃれ込みたいけど、遊んでる暇なんて無いわぁ。<br> サクサクッと行って来ちゃおうっと。<br> <br> <br> <br> ――と、薔薇学園まで来たのは良いけれど。まだ一限目の真っ最中ね。<br> 私は校舎の屋上に降りて、携帯電話を開いた。<br> <br>    (今の内に、金糸雀にメール送っとこ)<br>  【銀】カナ~。大事な話が有るの。授業が終わったら屋上に来てね♥<br>    (おっしゃー。バッチコーイ!!)<br> <br> ww……wwww!<br> <br>  「メールかしら~。あら? 銀ちゃん……大事な話って、まさかっ!<br>   愛の告白キターッ!! かしらー?!」<br>  「授業中だぞ、金糸雀。廊下に立っとれ」 (by.梅岡先生)<br>  「ふぇーん。思わず、興奮しすぎたかしら~」<br> <br> <br> <br> ――そして、休憩時間。<br> <br>  「銀ちゃん、来たわよー。恥ずかしくって隠れてるのかしらー」<br>   (き、来た来た! 待ってましたよ、カナぁ~) <br> <br> 私は歓喜のあまり、うっかり自分がカラスだと言う事を忘れて金糸雀の<br> 前に躍り出てしまった。あぁ……馬鹿、バカ、私ってホント、おばかさぁん。<br> <br> <br>  「あら? カラスが携帯を頚から下げてる。見間違いかしらー」<br>   (いえいえ、カナの眼は正常よぉ。私の方が、おばかさぁん)<br>  「その携帯……銀ちゃんのよね。銀ちゃんは何処?」<br>   (目の前に居るカラスが銀ちゃんですよぅ。はぁ……判るわけないかぁ)<br>  「むむぅ? はっ! なぁんだ、判っちゃったのかしらー」<br>   (えっ? マジすか? マジすかポリス? 本当に判ってくれたのぉ?!)<br>  「あなた…………銀ちゃんの携帯を盗んだ泥棒ガラスね!」<br>   (お約束のボケじゃないのよぉ! こぉんの、おばかさぁんっ!)<br> <br> ガッ!<br> <br> 私は、聡明な感じのする金糸雀の広い額に、嘴を突き立てた。<br> 一時撤収。仕切り直しだわぁ。<br> <br> <br> <br> <br> 二限目の数学が終わってから、再び屋上に金糸雀を呼び出した。<br> 私は給水タンクの陰に隠れて、嘴で忙しくメールを打っては送信する。<br> カラスの身体にも、ちょっと慣れてきたわねぇ。<br> <br>  【銀】金糸雀。呼び出しときながら会えなくてゴメン<br>    「銀ちゃん……どうして姿を見せてくれないのかしらー」<br>  【銀】実は、人前に出られない姿にされちゃってぇ<br>    「んまー! なんか卑猥かしらー! まさか今……全裸? (♥)」<br>  【銀】全っ然、違うからぁ。次ボケたらヌッ殺すわよぉ♪<br>    「(はっ! 殺気!)それで、大事な話って何かしらー?」<br> <br> 漸く、本題に入れそうねぇ。やれやれ。<br> 取り敢えず、呪いをかけられたと仮定して話を進めよう。呪い、と。<br> な、に、ぬ……っあ、ボタン強くつつきすぎて携帯が転がっちゃった! <br> しかも、送信したみたい~。orz<br> <br> <br>  【銀】ぬ<br>    「ぬ? ぬ…………るぽ?」<br> <br> ガッ!!<br> <br> 給水タンクの上から急降下した私は、金糸雀の後頭部に蹴りを入れた。<br> カナは、すぐボケるからダメだわ。<br> 次は、あの双子姉妹に賭けてみようかしらね。三人寄れば文殊の知恵よ。<br> <br> <br> <br> <br> ――三限目と四限目の間の休憩時間。教室にて<br> <br>  「蒼星石。授業中に、銀ちゃんから怪しいメールがきたですよ」<br>  「ああ、それならボクのとこにも送られてきたよ、姉さん」<br> <br>  【銀】お願い、助けて! 独りじゃ解決できそうにないの<br> <br>  「何をテンパッてやがるですかねぇ?」<br>  「取り敢えず、返信してみようよ。なんか切迫してるみたいだし」<br> <br> 例によって、私は給水タンクの下に隠れて、返信を待っていた。<br> <br> <br> ♪バラノ-クビワ-ツナゲ-テ♪<br> <br> おおっと! 蒼星石から返信キタワァ! <br> ここはもう余計な雑談抜きで、いきなり核心まっしぐらよぉ。<br> <br>  【銀】私、カラスに姿を変えられてしまったのぉ。<br>     こんな呪いの解き方を、貴女たち知らなぁい?<br>   「これは……意味深な話だね。くんくん探偵の謎掛けシリーズかな?」<br>   「甘いですね、蒼星石。<br>    これは答えの内容で、性格判断が出来る問題ですぅ」<br>   「えっ、そうなの? 例えば?」<br>   「例えば、ええと……藁人形を釘で打ち込むと答えたら、<br>    性格は陰険でFAですね。<br>    御祓いして貰うと答えた奴は、他力本願な性格ですぅ」<br>   「さすが姉さん、物知りだね。じゃあ早速、返信しよう」<br> <br>  【翠】一昨日きやがれです。でも、下僕になるなら教えてやってもいいです<br>  【蒼】石仮面を被れば良いと思うよ。呪いには呪いで対抗がデフォ!<br>  <br> あ、あいつらぁ……他人事だと思ってぇ。<br> <br> 三人寄ったところで、所詮は烏合の衆ね。どうしたら元に戻れるのぉ?<br> 解決策は全く見当も付かないし、お腹も空いたわぁ。<br> みんな、お弁当を持って屋上に上がってくる。<br> 幾つかの仲良しグループの中に、いつもの面々も居た。<br> <br>  「なあ、薔薇水晶。水銀燈は風邪ひいたのか?」<br>  「分かんない。メールには……今日休むとしか……書いてなかったから」<br>  「ふぅん。帰りがけ、水銀燈ん家に寄って様子みてくるかな」<br>  「心配することないのだわ。どうせ寝過ごして、ズル休みしただけよ」<br>  「そう言えば、銀ちゃんが変なメール送ってきやがったです」<br>  「そうそう。性格判断テスト」<br>  「なにそれ、楽しそうなのー。ヒナも受けるのー」<br>  「カナの所には、愛の告白メール来てたわ。カナってモテモテかしらー」<br>  「なんだそれ……行動パターンが支離滅裂だな」<br>  「悪戯よ、きっと。真面目に取り合うだけ馬鹿を見るわ。それよりジュン。<br>   今日の帰り、紅茶を買いに行きたいの。選ぶの手伝ってちょうだい」<br> <br> お、おのれ真紅ぅ~!<br> 私が居ないのを良いことに、ちゃっかり抜け駆けを企むなんて!<br> 許せないわぁ。そっちがその気なら……。<br> <br> <br> <br> <br> ――昼休みも終わり、五限目<br> <br> 私は昼休み中に、更衣室へ潜り込んでいた。次の授業は体育。<br> ふふふ……覚悟しなさい、真紅ぅ。貴女の生着替え動画&赤裸々写真を盗撮して、<br> 弱みを握ればこっちのものよ。私の下僕にしてやるわぁ。<br> ロッカーの上に置かれた段ボール箱に潜み、私は獲物を待ち続けた。<br> <br> ――が、待てど暮らせど一向に来る気配がないのは、どうしてぇ?<br> <br>   (ちょっとメールしてみよ)<br>  【銀】ヒナちゃぁ~ん。ごはん食べた後の体育で、お腹いたくしてなぁい?<br>  【雛】平気なのー。今日は呂布先生お休みだから、教室で国語の授業なのー<br>     メソウサ先生、授業を脱線してコワイ話ばっかりしてるのー<br>   (なんてこったい。それじゃ、此処に隠れてても意味無いわぁ)<br> <br> 私は段ボール箱から飛び出て、またまた屋上に戻った。教室を見下ろすと、<br> なるほど確かに、メソウサ先生が身振り手振りを交えて熱弁していた。<br> あの人、語りが上手だから迫力あるのよねぇ。稲川○○みたい。<br> 窓際の席では、無表情の真紅がメソウサ先生の話に聞き入っている。<br> 澄ました顔しちゃってぇ。本当は内心ガクブルのク・セ・に♪<br> メールを飛ばすと、真紅は遠目に見ても解るくらい激しく肩を震わせたわぁ。<br> <br> <br>  【銀】私、銀ちゃん。今、校門のところに居るの<br>   (あ、なんか今、校門の方をチラッと見た)<br>  【銀】私、銀ちゃん。今、下駄箱の前に居るの。貴女の靴に画鋲いれとくね<br>   (うふふ……頬を引きつらせているわぁ)<br>  【銀】私、銀ちゃん。今、階段のぼってるところ<br>   (ちょっと、そわそわし始めたわねぇ。やぁん、可愛いわぁ)<br>  【銀】私、銀ちゃん。今、教室の扉の前に居るの<br>   (きょろきょろしてる……あ、注意された。笑われてる……いいきみねぇ)<br> <br> ――ちょっと間を空けて。<br> <br>  【銀】私、銀ちゃん。今、教室の後ろに居るの。授業中に余所見はいけないわ<br>   (うふふ……青ざめてる青ざめてる。頻りに背後を気にしてるわぁ♪)<br>  【銀】私、銀ちゃん。今、貴女の足元に居るの。パンツ見えてるわよ<br> <br> <br> ガタッ! と席を蹴立てて、真紅は一目散に教室を飛び出していった。<br> あはははっ! これ結構、愉しい! クセになっちゃうかもぉ。<br> ……って、憂さ晴らししてる場合じゃないでしょ、水銀燈!<br> 早く元に戻る方法を見付けないと、一生カラスのまんまよ。<br> <br>   (授業中だけど、ダメ元で薔薇しぃに訊いてみよ)<br>  【銀】あのね、薔薇しぃ。呪いで動物に姿を変えられてしまった場合、<br>   (どうすれば元に戻れると思う? マジな解答キボンヌ)<br>  「あれ? 銀ちゃんからメール。これ……どういう意味?」<br>    <br> 薔薇しぃは教科書を衝立にして、こそこそっと返信してくれた。<br> <br>  【薔】グリム童話に『蛙の王子さま』って話があるよ。呪いを解くには、<br>     恋人のキスとかが有効なんじゃないかな?<br>   (そんな話だったかしら? まあ、元に戻れるならどうでも良いわぁ)<br>  【銀】なるほどっ! 説得力あるわ。でも私……恋人って……居ない。<br>  【薔】そうなの? じゃあ、あの……私が…………試してもイイ?<br>   (ウホッ! これって、フラグ? もしかしてフラグ立っちゃったのぉ?)<br> <br> <br> <br> <br> ――五限目と六限目の間の休憩時間。屋上にて<br> <br> 薔薇しぃは息を切らせて、屋上に来てくれた。<br> <br>  「はぁ、はぁ……銀ちゃん……来たよ、私」<br>  【銀】来てくれたのね。ありがとう。ちょっと待ってて<br> <br> 携帯を頸に下げて、私は給水タンクの陰から薔薇しぃの足下に舞い降りた。<br> 見上げると、薔薇しぃが驚愕に目を見開き、私を凝視していた。<br> <br>  「――――嘘……でしょ。ホントに……銀ちゃんなの?」<br>  【銀】そう……私。驚いたよね、やっぱり<br> <br> 私が床に降ろした携帯で打ち込んだメールを読むなり、<br> 薔薇しぃは腰を抜かした様に、ぺたんと座り込んでしまった。<br> 愕然――薔薇しぃの気持ちを表現するなら、この一言に尽きるでしょうね。<br>  <br>  【銀】ゴメンね、薔薇しぃ。今朝、待ち合わせの場所に行けなかったのは、<br>     こういう理由が有ったからなの<br>  「ぎっ――銀ちゃん! 銀ちゃあぁあん!!」<br>   (あはは……苦しいよ、薔薇しぃ)<br> <br> ギュッ! 嗚咽しながら、薔薇しぃは小さな私の身体を抱き上げてくれた。<br> ちょっと窮屈で痛かったけど、抱き締められる温もりに飢えていた私には、<br> それがとても心地よく感じられた。<br> <br>  「私、銀ちゃんのこと大好きだよ。だからきっと、呪いは解けるよ!」<br>   (ありがとう、薔薇しぃ。私のこと、そこまで想ってくれてたのね)<br> <br> 私はモーレツに感動していた。カラスだって涙は流せると、初めて知ったわ。<br> 元に戻ったら、私も薔薇しぃのことギュッ! て、してあげるからねぇ。<br> <br>  「じゃあ――――するね。大好きだよ……銀ちゃん♥」<br>   (うん……お願い。私も薔薇しぃのこと、大好きよぉ)<br> <br> 触れ合う唇と、嘴。そして、私の身体は……。<br> <br> <br>  「戻…………らないね。あれぇ?」<br>   (いや……あれぇ? じゃないでしょ。貴女、断言してたじゃないのぉ!)<br>  「おっかしいなぁ。普通なら、ここでパパラパーと元に戻って、二人は<br>   末永く一緒に暮らしましたとさ。めでたしめでたし……で終わるのに」<br>   (そりゃあ、童話ですもの。バッドエンドじゃ子供の心が荒むでしょ)<br>  「まあいっか。これはこれでハッピーエンドよね。喜んで、銀ちゃん。<br>   ウチのペットにしてあげるっ!!」<br>   (…………オイ。ソリャネェダロウ)<br>  「じゃあね、銀ちゃん。後で迎えに来るから、一緒に帰ろう?」<br> <br> この世の幸福の全てを独占したかの様な満面の笑みを浮かべて、<br> 薔薇水晶は六限目の授業を受けるため走り去った。<br> <br> 馬鹿だったわ。ちょっとでも感動した私がバカだったぁぁっ!!<br> <br> <br> <br> <br> ――放課後。屋上にて<br> <br> まったく、薔薇しぃったら。<br> 元に戻ったら、絶対にお嫁に行けない身体にしてやるわぁ。<br> あんなことや、こぉんなことして……ヤバ。ヨダレ垂れたわ。<br> 夕暮れせまる屋上から下校する生徒たちを見下ろしながら、<br> 黒々とした炎を燃え立たせていた時、ふらりと巴が姿を現した。<br> こんな時間に、どうしたのかしらぁ? 剣道部は今日も練習あるのに。<br> <br> メールを出そうとした矢先、私の携帯にメールが届いた。差出人は……巴。<br> <br>  【巴】銀ちゃん、具合は良くなった? これから部活だけど、銀ちゃんが<br>     居ないと張り合いがないよ。明日は学校、来れると良いね<br>   (そうそう。私と彼女は好敵手なのよねぇ。私がエメラルダスなら、巴は<br>    メー……っと、そんな事はどうでも良くてぇ)<br>  【銀】メールありがと、巴。でも、明日も授業に出られそうにないわ<br>  <br> ――だって、私はカラスなんだもの。この携帯のバッテリーが切れたら、<br>   心を通い合わす事も出来ない、ちっぽけで無力で……孤独なカラス。<br> <br> このままなら、私はいつか、みんなの記憶から消えることになる。<br> この街の景色が時代と共に移ろいゆくように、私の存在もまた、<br> 新しい絵の具に塗り固められて、二度と日の目を見ることが無いだろう。<br> 何か……ふとしたきっかけで、私を覆い隠す絵の具が剥げ落ちない限り。<br> <br>  【銀】私もう……みんなと一緒に過ごせないかも知れない<br>  <br> 宛先は巴、CCを大好きなみんなに設定。<br> 送信が終わったのを確認した私は、夕焼け空を仰ぎ――――少しだけ泣いた。 <br> <br> <br> <br> <br> ――放課後。<br> <br> いつもの様に、午後五時を告げるチャイムが街中に流れた。<br> 『夕焼けこやけ』の曲だ。<br> カラスと一緒に帰りましょう――か。皮肉なものねぇ。思わず失笑した。<br> 私は、何処へ帰れば良いの?<br> <br> 昼間の喧噪が嘘のように止んだ校舎の中に、階段を駆け昇ってくる複数人の足音が聞こえた。<br> ああ、そう言えば……薔薇しぃが迎えに来るって言ってたのよね。<br> さっきは厭だったけど、薔薇しぃの家のペットになるのも、そう悪くないかなぁ。<br> 今は、そんな風に思えた。<br> <br> 最初に姿を見せたのは――とても意外だったけれど――真紅だったわ。<br> 続いて、みんなが屋上へと姿を表し、給水タンクの下で輪になった。<br> <br>  「出てきなさい、水銀燈! あんなメールを送ってくるなんて、どういうつもりなの!」<br>  「訳は、薔薇しぃから聞いたよ。だけど、あんな寂しいメールを送ってこないでよ!</p> <p>  私……わた――」<br> <br> 巴は両手で顔を覆って泣き崩れた。巴の肩に両手を置いて、宥めるジュン。<br> 誰も彼も神妙な面持ちね。でも、泣きたいのは私も同じ。<br> いっそ、死んでしまいたいのに。<br>    <br> 私は給水タンクの上から飛翔し、真紅の肩に舞い降りた。<br> <br> <br> 朝からの経緯を、私は掻い摘んで説明した。<br> <br>  「それで、独りで煮詰まっていたの? 馬鹿みたいだわ」<br>  【銀】ゴメン。でも、誰に訊いたって解決法を知らなそうだったから<br>  「うぅ……悪かったですぅ。てっきり冗談だと思ってたです」<br>  「本当にゴメンよ、水銀燈。ボクも、てっきり――」<br>  【銀】いいのよ。当事者の私ですら、信じられないんだから<br>  「でも、なにか方法は無いの?」<br>  「そうね。錬金術の実験中に精製した薬を試してみるかしら~?」<br>  【銀】止めて、カナ。それだけは<br> <br> やっぱり、どうにもならないのね。<br> 落胆。ちょっとでも期待した分、リバウンドも大きいわ。<br> 誰もが重い溜息を吐いて俯く中で、馬鹿みたいに明るい声を出す二人が居た。<br> <br>  「それなら、私がズバッと解決しちゃおうかしらー」<br>  「カナ、すごいのー! 銀ちゃんを元に戻せるのー?」<br>  【銀】貴女たち、悪い冗談なら止して。今、笑える気分じゃないの<br>  「水銀燈、話だけでも聞いてみようよ。少しでも手懸かりになるかも」<br>  【銀】ジュンがそう言うなら……話してみて、カナ<br>  「わかったわー。呪いを解く鍵は……ズバリ! 野良ウサギかしらー」<br>  「う、ウサギですって?」<br> <br> ポカンと口を開けたままの真紅を、金糸雀はビシッ! と指差して言った。<br> <br>  「ウサギを抱いて穴に落ちたらカラスになったのよね? <br>   なら、その逆をすれば良いのよ。どう? 完璧な理論かしらっ!」<br> <br> 思わず、その場の全員がどよめいた。それって……ホントに完璧?<br> <br>  「でも……やってみる価値はありそうね」<br>  【銀】真紅! ちょっ……本気で言ってるのぉ?<br>  「当然よ。正直なところ、貴女が居なくなっても構わないけれど。<br>   でもね、雨上がりの翌日に、その辺でカラスが野垂れ死にしてると<br>   朝から気分が悪いの。その程度の理由と思ってちょうだい」<br>  「真紅、その言い方って酷い。銀ちゃんだって、自分から望ん――」<br>  「黙りなさい! 無駄口を叩く暇があるなら、直ぐにウサギを捕まえに行くわよ。<br>   水銀燈、そのウサギは、どっちへ逃げたの?」<br>  【銀】それが……ゴメン。縦穴の中で暫く気絶してたから分かんない<br>  「仕方ないわね。それなら、水銀燈の家から待ち合わせ場所までの道を、<br>   手分けして探しましょう。みんな、解散!」<br>  <br> 見事なまでのリーダーシップを発揮する真紅。学級委員長の金糸雀が霞んで見えるわ。<br> 普段は仕切り屋で鬱陶しく思えたけど、緊急時には意外と頼りになるじゃないの。<br>  <br>  (な、なんだか、ちょっとカッコイイ……わね)<br> <br> それに引き替え、死にたいだなんて悄気てた私は、おばかさぁん。<br> 鬱ぎ込んで物事が解決するなら、誰も苦労はしないわ。<br> 元に戻りたければ、他人を当てにするのではなく、私自身があらゆる可能性を模索しなきゃ。<br> ありがとね、真紅。私――目が覚めたわ。<br> それと…………さっきは苛めてゴメン。<br> <br>  「ん! な、何をするの、水銀燈?」<br> <br> 頬を軽くつついた私を怪訝そうに見詰める真紅の肩から、私は夕闇せまる<br> 街へと飛び立った。あの野良ウサギを、私の手で探し出す為に。<br> <br> <br> <br> <br> あいつを捕まえた空き地に、私は戻ってみた。<br> 上空から見ると、縦穴がポッカリと口を開けているのが見える。<br> あれって、古井戸だったのねぇ。<br> <br>  (もしかしたら、その辺の草むらの中に居るかも)<br> <br> あいつは真っ白だから、茂みに隠れていても直ぐに判る。<br> 暫くの間、私は獲物を狙う猛禽のように、上空を旋回していた。<br> そして……私は遂に、空き地の隅に蠢く白ウサギを発見した。<br> 横滑り、そして急降下。<br> 私は白ウサギの背中を鷲掴み――カラスだけど――にして、脳天に嘴を叩き込んだ。<br> <br>  (はぁい、ウサギさん♥ こんばんわ。今朝は大層、世話になったわねぇ。<br>   御礼に、空中散歩はいかが? <br>   今なら特別サービスで、一緒に古井戸へダイブしてあげるわよぉ)<br> <br> 嬉しさのあまり哄笑した私の足元で、妙に馴れ馴れしい話し声がした。<br> <br>  「痛たたた……やれやれ、元気なお嬢さんですね。<br>   ワタシからの誕生プレゼント、お気に召して頂けましたか?」<br>  (なっ! なんですって? まさか、私がカラスになったのは――)<br>  「ええ。ワタシの仕業です」<br>   <br> そう言った途端、ウサギは見る見るうちに人間らしくなっていき……。<br> 私は雑草の上へと放り出された。<br> 頚に掛けていたストラップが抜けて、携帯が何処か遠くに落ちる音がした。 <br> <br>  「あいたぁ……って、あれ? 元に戻ってるぅ」<br> <br> 呆然としていた私は、前に立つタキシード姿のウサギ男を見て絶句した。<br> しかも慇懃にお辞儀をするから、余計に思考が停止してしまった。<br> それでも、今日一日の体験を振り返って、なんとか気を取り直した。<br> 私だってカラスになっていたんだもの。この際なんでもアリよぉ。<br> <br>  「驚かせて申し訳ない。お怪我は有りませんか、お嬢さん」<br>  「あ……貴方、誰よぉ?」<br>  「名乗るほどの者ではありませんよ。日常と非現実の間を渡り歩く道化に、<br>   そもそも名など有りませんよ。ワタシはただ、お嬢さんの要求を知って、<br>   お節介を焼きに来ただけです」<br>  「じゃあ、名無しの道化ウサギさん。どうして、私に誕生プレゼントを?<br>   そもそも、カラスに変えた理由はなぁに?」<br>  「貴女が、それを望んだのですよ。カラスに姿を変えてまで得ようとしたもの。<br>   ワタシは、ほんの少し、それを手伝ったにすぎない」<br>  「私が…………切望? なにを?」<br> <br> 分からない。判らない。解らない。この道化は、何を言っているの?<br> <br>  「解りませんか? 貴女が本当に求めていたのは――」<br>  「私が本当に求めていたのは――」<br>    <br> 名無しの道化と、私の言葉が重なった。その瞬間、私は自分の本心を悟った。<br> <br>  「私……いつまでも色褪せない思い出が欲しかったのね」<br> <br> 色褪せない思い出。そうよね、こんな体験、二度と出来やしないわ。<br> 学園で親友達とメールやり取りしたこと。真紅をからかい、苛めたこと。<br> 薔薇しぃとのキス。それに、真紅が見せた凛々しい一面……。<br> どれもこれも、大切な思い出。私は生涯、忘れない。忘れられる筈がない。<br> <br>  「貴方には、御礼を言わないとねぇ。<br>   素晴らしい誕生プレゼントを、ありがとう。<br>   お世辞なんかじゃなく、私の……一生の宝物よぉ」<br>  「ワタシは、お節介を焼いただけですよ。貴女は自ら求め、手に入れた。<br>   それだけの事です」<br> <br> 道化ウサギは肩を竦めて、小さく笑った。<br> <br>  「さてさて……長話が過ぎたようですね。道化は消えるとしましょう」<br> <br> 一陣の風。思わず瞑った瞼を開いたとき、道化は既に居なくなっていた。<br> 日常の生活に、ちょっとだけ割り込んだ非現実。<br> 下手をすれば、非現実に紛れ込んでしまうところだったのね、私。<br> <br>  「水銀燈っ!」<br> <br> 突然、背中に鈍い衝撃が走り、頚に両腕が絡み付いた。<br> 珍しいわねぇ。真紅が、感情を露わにして抱き付くなんてぇ。<br> <br>  「元に……戻れたのね…………良かった」<br> <br> 涙声。真紅が泣くところを、私は初めて見た。親友の涙も一生の宝物だわぁ。<br> <br> <br> <br> <br> 窓から射し込む朝日に照らされ、私は徐に瞼を開いた。<br> 瞼をこすりこすり、枕元の時計を一瞥する。<br> ふふ……いつも通り、時計が喧しく騒ぐ前に目覚めたわ。<br> 私は思いっきり両腕と背筋を伸ばして、ひとつ、あくびをした。<br> <br> 惰眠の誘惑を振り切って、ベッドを出た。<br> 窓辺に歩み寄って、レースのカーテン越しに外の様子を窺う。<br> うんうん……今日も快晴ねぇ。<br> 窓を開けて早朝の澄んだ空気を吸い込むと、五感は完全に覚醒した。<br> <br> 変わらない日常が、今日もまた始まっている。<br> でも、私は知ってしまった。<br> 日常の至る所に、非現実との接点が有るということを。<br> 一歩間違えば怖ろしい結果を招きかねない、道化ウサギの巣穴――<br> 今日も誰かが、誤って巣穴に落ちているのかも知れない。<br> <br> ふと、家の前の道を真っ白なウサギが左から右に横切って、視界から消えた。<br> <br>  「野良……ウサギぃ?」<br> <br> まさかねぇ。見間違いよ、きっと。<br> さあ、早く支度して学校行かなきゃ。大好きな仲間たちとの思い出を作るために。<br> 私は部屋を出て、顔を洗いに行った。<br>  <br>  <br>  <br>  終わり</p>

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