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~第二十七章~」(2006/05/14 (日) 04:08:19) の最新版変更点

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<p> <br>  <br>   ~第二十七章~<br>  <br>  <br> ――ダメ! 死んじゃダメ!<br> <br> 懸命に呼びかける私の声は、唇から出た途端に掻き消されて、妹には届かない。<br> お母様が、身を挺して庇ってくれた、私たちの生命。<br> なのに、こんなところで、微かな命の灯火は消えてしまうの?<br> ううん……そんな事は、させない。絶対に、消させはしない。<br> <br> ――これからは、薔薇水晶の命を……未来を、あなたが護ってあげて。<br> <br> 今際の時、お母様は私に、そう言い残した。<br> そう。薔薇水晶を護るのは、私がお母様と交わした、最後の約束。<br> だから、私は、文字通り決死の覚悟で生き延びようとした。<br> 夜中、畑から農作物を盗んだりもした。<br> 五歳ながら、人殺し紛いの事にまで手を染めて、命を繋いできた。<br> <br> 仕方がないじゃない。生きる為だもの。他に、どんな方法が有ったと言うの?<br> たった五歳と、四歳の子供に、どんな手段が残されていたというの?<br> <br> 薔薇水晶のため……。<br> ただ、それだけの為に、私は修羅の道に身を窶した。<br> 薔薇水晶が見せる、無邪気な笑顔に癒されながら、良心の痛みに堪え続けた。<br> でも、私の尽力を嘲笑うかの様に、運命は過酷な試練を与えてくる。<br> <br> 今や、薔薇水晶は骨が浮き出るほどに痩せ衰え、衰弱しきっていた。<br> 私が渇望して止まない無邪気な笑顔も、もう見せてはくれない。<br> お腹が空いたと、泣き出す事も無い。<br> 妹は、殆どの表情を失っていた。まるで、人形みたい――<br> <br> この子の命を、未来を、私が護ると約束したのに。<br> 涙を流して懇願するお母様に、きっと守るからと誓ったのに。<br> <br> ――このまま、終わらせはしない。絶対に!<br> 私は、住処にしていた稲荷の祠に薔薇水晶を横たえると、外に飛び出した。<br> <br>  (お薬……それに、なにか食べ物を手に入れないと)<br> <br> 感情を喪失して、人形のようになってしまった薔薇水晶。<br> あの子を、救わなければならない。それが出来るのは、私しか居ない。<br> 燃え立つ使命感と、押し寄せる焦燥感に衝き動かされて、走る。<br> 山を越えた先にある廃村まで、ひたすらに走り続けた。<br> <br> <br> けれど、峠道で倒れてから、私の身体はパッタリと動かなくなってしまった。<br> もう四日も、まともな食事をしていない。空腹過ぎて、立ち上がる力も出ない。<br> 薔薇水晶が待っているのに……これじゃあ、帰ることすら出来ない。<br> ――私、ここで死んでしまうの?<br> 私の意識は、急速に、深い闇へと落ちていった。<br> <br> <br> 目を覚ましたとき、私の身体は温かな白い光に包まれていた。<br> どうしてだか解らないけれど、身体の奥底から、力が漲ってくる。<br> まるで、生まれ変わったみたい。<br> 私は立ち上がって、再び、走り始めた。<br> 薔薇水晶の為に、廃村で捨て置かれたままの薬を探し出して、持ち帰るのだ。<br> 煎じ薬や粉薬については、お母様に色々と教わっていたから、大抵の物は解る。<br> <br> 既に住む者が居なくなって久しい廃村で、私は粉薬と、真っ赤な花を見付けた。<br> 茎に鋭い棘が生えていたけれど、とても綺麗で、私は直ぐに魅了された。<br> ――そうだ! この花、薔薇水晶の為に、摘んでいってあげよう。<br> <br> 顔を近付け、棘に気を付けながら、指で茎を摘む。<br> そのまま摘み取ろうとした直後、私は信じられない目に遭ってしまった。<br> なんと、その花が、私の右眼に噛み付いてきたのだ。<br> <br> とても痛かった。それこそ、言葉では言い尽くせないほどに。<br> 私は右眼を手で押さえて、土間を転げ回った。痛くて、目が開けられない。<br> 溢れた涙が傷に沁みて、また、涙が溢れてくる。<br> そんな悪循環を、ちょっとの間、繰り返していた。<br> <br> やがて痛みは収まったけれど、右眼を開けることは出来なかった。<br> でもまあ、瞼を開かずに済むなら、それでも良い。<br> 私の右眼と、薔薇水晶の左眼は、普通の人と異なる目をしていたから……。<br> まだ村が戦災に焼かれる前、私たち姉妹はウサギの赤目と呼ばれ、<br> 頻繁に虐められたものだ。あの頃は、毎日が厭で――<br> <br> 当時の事を回想しかけて、私は頭を振った。<br> 好んで懐かしむ様な思い出じゃない。<br> <br>  (そんな事よりも、早く、薔薇水晶の元へ戻らないと)<br> <br> 私は一度も休息することなく、稲荷の祠へと駆け戻った。<br> しかし…………そこに、薔薇水晶の姿は無かった。<br> 何処へ行ってしまったの? 動き回れるほどの体力は、もう無い筈なのに。<br> ――もしかして、私を探して、たった独りで?<br> <br> 祠の周囲を隈無く探したものの、薔薇水晶の姿は、遂に発見できなかった。<br> 私は失意の内に、祠を後にした。<br> 薔薇水晶を探して、当て所なく彷徨い続ける。<br> だけど、もう……体力は限界。なにもかも、面倒くさい。疲れちゃった。<br> もう、死んでも……良いよね?<br> 私は道端に座り込んで、疲れ切った身体を横たえた。<br> <br> ――そして私は、鈴鹿御前様や、のりを含む四天王の面々と出会った。<br>  <br>  <br>  <br>  <br> 瞼に光を感じて、雪華綺晶は、徐に目を開いた。<br> <br>  (……随分と、古い夢を見たものですわね)<br> <br> 古刹の埃っぽい床板を、柔らかな朝の日射しが照らしている。<br> 光芒の中を舞う微粒子を、雪華綺晶は寝ぼけ眼で、なにげなく眺めていた。<br> 正直なところ、夢見は良くない。<br> けれど、不思議と清々しい気分だった。<br> <br> こんなにも心安らかに目覚めたのは久方ぶりだ。この前は、いつの事だっけ?<br> とりあえず、すぐに答えが出てこないほど久しぶりなのは確かだった。<br> <br> 仰向けのまま頸を巡らすと、隣に、最愛の妹の姿。<br> 薔薇水晶は幼い頃の様に、彼女の右腕にしがみつき、健やかな寝息を立てている。<br> あどけない寝顔に、昨日の戦闘時に見た凛々しさは欠片も見出せなかった。<br> <br>  (薔薇水晶……今も昔も、私は貴女に辛い想いを、させてばかりね)<br> <br> 昨日の件は勿論、今まで自分がしてきた事についても、ハッキリと憶えている。<br> 御前様の為と思って、自発的に残虐行為に手を染めたことも多々あった。<br> それは、信念を貫き通した結果にすぎない。<br> 命を救ってくれた鈴鹿御前への、せめてもの恩返しだ……と。<br> しかし、穢れの植物が取り除かれた今、その気持ちが少しずつ揺らぎ始めていた。<br> <br>  (私は、自分の意志で動いていた。そのつもりだったのに――)<br> <br> もしかしたら、穢れの寄生植物に意志を操作されていたのだろうか?<br> 操り人形に、なり果てていたのだろうか?<br> 考えても、よく解らない。<br> 過程を仮定したところで、今更、結果は変わらない。<br> 私は、償いきれない罪を重ねてきた……。それだけが、真実。<br> <br>  (なんだか、喉が渇きましたわ)<br> <br> 昨日は、かなり汗をかいていたから、水分が不足しているのかも知れない。<br> 雪華綺晶は起きあがろうとしたが、薔薇水晶が右腕を放してくれなかった。<br> 引き抜こうとすると、行かせまいとする様に、ギュッとしがみついてくる。<br> もしかして、起きているのでは? と思いたくなる反応だった。<br> <br> 雪華綺晶は微笑み、薔薇水晶の髪を、優しく撫でながら囁いた。<br> <br>  「心配いりませんわよ。もう……どこにも行きませんから」<br>  「…………ん」<br> <br> 寝言なのか、薔薇水晶は小さく呻いて、雪華綺晶の腕を解放した。<br> もう一度だけ妹の頭を撫でて、雪華綺晶は物音を立てないように起きあがった。<br> みんなは、まだ眠っている。足音を忍ばせて、外に出た。<br> <br> 早朝の、ひんやりした空気を胸一杯に吸い込み、両腕を天に伸ばす。<br> 大きな欠伸をひとつして、雪華綺晶は水場を探した。<br> こういう山の中に建てられた古刹の近くには、大概、清水が沸き出している。<br> 周辺を少し散策すると、目当てのものは、直ぐに見付かった。<br> 割れた岩の間に差し込んだ竹の樋を伝って、澄んだ水が流れ出している。<br> 掌で受け止めた水は、身を切るほどに冷たかった。<br> <br>  「んん~、甘露ですわねぇ」<br> <br> 掬っては飲み、飲み干しては掬う。<br> 存分に喉を潤していた雪華綺晶は、ふと、背後に接近する者の気配を感じて、身を強張らせた。<br> 敵意は伝わってこない。だからと言って、油断もしない。<br> 雪華綺晶は密かに精霊の起動準備をしながら、一分の隙も見せずに振り返った。<br> そこに立っていたのは――<br> <br>  「……真紅?」<br> <br> 見紛う筈もない、巫女装束の娘。稀代の退魔師、真紅その人だった。<br> けれど、様子が少し……おかしい。<br> 澄んだ碧眼は茫乎として、雪華綺晶を見ているようで、見ていない。<br> まるで、何かに憑かれたような雰囲気だった。<br> <br>  「何か用事ですか? それとも、お話でしょうか?」<br>  「貴女に、渡したい物があります」<br>  「? 急な話ですわね。いったい、何を頂けるのでしょう」<br> <br> よもや、新しい眼帯などとは言わないだろうが……果たして、何なのだろう?<br> 真紅の手には、それらしい物など何一つ握られていなかった。<br> <br> 怪訝な面持ちの雪華綺晶を前に、真紅は掌を上にして、両腕を肩の高さに掲げた。<br> 瞼を閉じて、なにやら小声で聞き慣れない詞を唱えだした。<br> 彼女の両手の上で、眩い光が踊り始める。<br> <br> 次の瞬間、凄まじい閃光が走り、雪華綺晶は反射的に腕を翳した。<br> 一体全体、真紅は何をしているの? 何を渡そうというの?<br> 腕で影を作って目を凝らずが、彼女の手元は、眩しすぎて良く見えなかった。<br> <br> 程なくして、閃光が収束する。<br> ちらちらと残像の浮かぶ眼を瞬かせて、雪華綺晶は真紅の手元を見遣った。<br> 彼女の両手には、いつの間に現れたのか、光り輝く一本の槍が乗っていた。<br> <br>  「雪華綺晶……貴女に、これを預けます」<br>  「これは?」<br>  「真紅が持つ神剣『菖蒲』と並ぶ、穢れを祓う武具。神槍『澪浄』です」<br>  「神槍……みお、きよめ?」<br>  「身体を清める意味が、込められているのです。さあ、手に取りなさい」<br> <br> ずいっ……と差し出されて、雪華綺晶は、おずおずと腕を伸ばした。<br> こんな大層な物を、自分が預かっても良いのかと、迷う。<br> でもまあ、真紅が預けると言うのだから、何も気にする必要は無いだろう。<br> 一度、生唾を呑み込んで、雪華綺晶は覚悟を決めた。<br> <br>  「……解りましたわ。お預かりしましょう」<br> <br> 雪華綺晶は一歩、前に進み出て、右手で神槍を握った。<br> その途端、身体が温かな白い光に包まれる。<br> <br>  「っ! これは……子供の頃に感じた、あの光っ!」<br> <br> 突然、左手の甲に激痛が走った。<br> まるで赤熱した鉄の棒を押し当てられて、肌が焼かれる様な痛みだ。<br> <br>  「な、なんですの?! あ、熱いっ!」<br>  <br> 雪華綺晶は神槍を投げ捨てると、慌てて左手の籠手を外した。<br> 外気に触れて、手の甲がズキズキと疼く。<br> 歯を食いしばって痛みに堪えながら、不意に襲った激痛の原因を確かめた。<br> <br> そこに刻み込まれていたのは、火傷の痕ではなく、真円の青黒い痣。<br> 紛れもなく、少し前まで仇敵の証として見なしてきた、あの痣だった。<br> 中心に浮かぶは【礼】の一文字。<br> <br>  「これは…………私も、犬士と言うこと?! まさか……」<br> <br> 眉を顰め、動揺を隠しきれない彼女に、真紅は――<br> <br>  「貴女は間違いなく、私の魂を受け継ぐ者です」<br>  「……?」<br>  「これからは、鈴鹿御前ではなく、真紅を――」<br>  「まさか! 貴女は……房姫?!」<br> <br> 真紅が眠りに就いている間に、彼女の身体を一時的に借りていたのだろう。<br> それも、もう限界の様だ。<br> 房姫は返事の変わりに、優しい笑みを浮かべて、雪華綺晶に告げた。<br> <br>  「真紅を……護ってあげて」<br> <br> その言葉は、雪華綺晶の胸に残る母との約束と、重なって聞こえた。<br>  <br>  <br> 言い終えると、真紅は、まるで糸の切れた操り人形のように膝を折った。<br> ――倒れるっ!<br> 雪華綺晶が、腕を差し伸べる。<br> しかし、彼女より先に、木陰を飛び出してきた人影が真紅を抱き留めた。<br> <br>  「まぁったくぅ……様子が変だと思ったら、そう言うコトだったのねぇ」<br>  「……水銀燈。貴女、いつから聞いていたのですか?」<br>  「最初っから、全部よ。盗み聞きするつもりは無かったんだけどねぇ」<br>  「目を覚ますなり、私の元へ真っ直ぐに向かう彼女の様子が気になって、<br>   見にきてみれば、とんでもない話をしていた……と」<br>  「話が早くて、助かるわぁ。正に、その通りよ」<br> <br> 水銀燈は左腕で真紅を支えながら、雪華綺晶に右腕を差し出した。<br> <br>  「とりあえずぅ、同志になった記念に……ね」<br>  「でも、私は……一度は、本気で貴女を殺そうとした女ですよ?」<br>  「気にしなぁい。私だって、貴女をホントに斬ろうと思ってたわよぉ?<br>   だから、チャラって事で良いじゃなぁい」<br>  「……貴女という人は」<br> <br> おおらかなのか、それとも単に、いい加減なだけなのか。<br> どちらにせよ、いい性格なのは疑いない。<br> 雪華綺晶は、水銀燈のような人が嫌いではなかった。<br> <br>  「では、そういう事にしておきましょうか」<br>  「よろしい。頼もしい味方が加わって、みんなも喜ぶわぁ」<br> <br> 水銀燈と雪華綺晶は、見つめ合い、固い握手を交わした。<br>  <br>  <br>  <br> 気を失った真紅を抱えた水銀燈と、雪華綺晶が古刹に戻ると、<br> みんなは既に、全員が目を覚ましていた。<br> 雪華綺晶が神槍と【礼】の御魂を見せて、これまでの経緯を説明をすると、<br> 誰もが彼女を歓待した。薔薇水晶の歓びようは、特に――<br> <br>  「犬士となる資格を持っていただなんて、私自身が一番、驚いてますわ」<br>  「確かに、ボクたちとは出自が異なっているよね」<br>  「でも、変じゃねぇです? 私たちが産まれたとき、二人は既に五歳と四歳だったです。<br>   どうして、房姫の御魂が宿ったですかねぇ?」<br> <br> 素朴な疑問を口にして、翠星石は腕を組んだ。<br> <br>  「多分……二人は一度、死んでしまったんじゃないかしら。<br>   あ、気分を悪くしたなら謝るかしら。単に、可能性の話だから」<br>  「……平気。それに……なんとなく、そんな気がしてた」<br>  「死んでしまった時ぃ、飛んできた房姫の御魂によって蘇生したってわけぇ?」<br>  「話の流れを辿っていくと、そういう事になりそうだね」<br> <br> 蒼星石が言うと、誰もが神妙な面持ちで頷いた。<br> 思えば、つくづく不思議な縁だ。<br> 互いの顔も知らず。何処で産まれたかも解らず……。<br> 個々の人生を歩んできた者たちが、こんな形で一堂に会するとは。<br> <br>  「ねえ……それに関連する話を、ちょっと聞いて欲しいかしら」<br> <br> 金糸雀が口を開いた。あまりにも真剣な口調だったので、誰もが注目する。<br> 金糸雀は、真紅が眠っているのを確かめてから、声を潜めて語り始めた。<br> 鈴鹿御前を斃すためには、御魂が、やがて一つに集まらねばならない事を。<br> <br> 真紅に御魂を渡すと言う事は、即ち――<br> <br> <br> 金糸雀が全て話し終えるのを待っていたかのように、真紅が目を覚ます。<br> そして、雪華綺晶が八人目の犬士であることを知って、目を丸くした。<br> なんという因縁だろうか。<br> 御魂が宿している絆の強さに、真紅は空恐ろしさを覚えた。<br> <br> 全ては、産まれたときから定められていた運命なのか。<br> だとしたら、今後の闘いには、どんな運命が待っていると言うのだろう。<br> 真紅の頭を、柴崎老人の家で聞いた、金糸雀の話が過ぎった。<br> <br>  (私は……私たちは、今のままで鈴鹿御前に勝てるの?)<br> <br> みんなの御魂を奪うことなく勝てるのならば、それが一番いい。<br> そうなって欲しいと、願わずにはいられなかった。<br>  <br>  <br>  <br>  =第二十八章につづく=<br>  <br>  </p>
<p> <br>  <br>   ~第二十七章~<br>  <br>  <br> ――ダメ! 死んじゃダメ!<br> <br> 懸命に呼びかける私の声は、唇から出た途端に掻き消されて、妹には届かない。<br> お母様が、身を挺して庇ってくれた、私たちの生命。<br> なのに、こんなところで、微かな命の灯火は消えてしまうの?<br> ううん……そんな事は、させない。絶対に、消させはしない。<br> <br> ――これからは、薔薇水晶の命を……未来を、あなたが護ってあげて。<br> <br> 今際の時、お母様は私に、そう言い残した。<br> そう。薔薇水晶を護るのは、私がお母様と交わした、最後の約束。<br> だから、私は、文字通り決死の覚悟で生き延びようとした。<br> 夜中、畑から農作物を盗んだりもした。<br> 五歳ながら、人殺し紛いの事にまで手を染めて、命を繋いできた。<br> <br> 仕方がないじゃない。生きる為だもの。他に、どんな方法が有ったと言うの?<br> たった五歳と、四歳の子供に、どんな手段が残されていたというの?<br> <br> 薔薇水晶のため……。<br> ただ、それだけの為に、私は修羅の道に身を窶した。<br> 薔薇水晶が見せる、無邪気な笑顔に癒されながら、良心の痛みに堪え続けた。<br> でも、私の尽力を嘲笑うかの様に、運命は過酷な試練を与えてくる。<br> <br> 今や、薔薇水晶は骨が浮き出るほどに痩せ衰え、衰弱しきっていた。<br> 私が渇望して止まない無邪気な笑顔も、もう見せてはくれない。<br> お腹が空いたと、泣き出す事も無い。<br> 妹は、殆どの表情を失っていた。まるで、人形みたい――<br> <br> この子の命を、未来を、私が護ると約束したのに。<br> 涙を流して懇願するお母様に、きっと守るからと誓ったのに。<br> <br> ――このまま、終わらせはしない。絶対に!<br> 私は、住処にしていた稲荷の祠に薔薇水晶を横たえると、外に飛び出した。<br> <br>  (お薬……それに、なにか食べ物を手に入れないと)<br> <br> 感情を喪失して、人形のようになってしまった薔薇水晶。<br> あの子を、救わなければならない。それが出来るのは、私しか居ない。<br> 燃え立つ使命感と、押し寄せる焦燥感に衝き動かされて、走る。<br> 山を越えた先にある廃村まで、ひたすらに走り続けた。<br> <br> <br> けれど、峠道で倒れてから、私の身体はパッタリと動かなくなってしまった。<br> もう四日も、まともな食事をしていない。空腹過ぎて、立ち上がる力も出ない。<br> 薔薇水晶が待っているのに……これじゃあ、帰ることすら出来ない。<br> ――私、ここで死んでしまうの?<br> 私の意識は、急速に、深い闇へと落ちていった。<br> <br> <br> 目を覚ましたとき、私の身体は温かな白い光に包まれていた。<br> どうしてだか解らないけれど、身体の奥底から、力が漲ってくる。<br> まるで、生まれ変わったみたい。<br> 私は立ち上がって、再び、走り始めた。<br> 薔薇水晶の為に、廃村で捨て置かれたままの薬を探し出して、持ち帰るのだ。<br> 煎じ薬や粉薬については、お母様に色々と教わっていたから、大抵の物は解る。<br> <br> 既に住む者が居なくなって久しい廃村で、私は粉薬と、真っ赤な花を見付けた。<br> 茎に鋭い棘が生えていたけれど、とても綺麗で、私は直ぐに魅了された。<br> ――そうだ! この花、薔薇水晶の為に、摘んでいってあげよう。<br> <br> 顔を近付け、棘に気を付けながら、指で茎を摘む。<br> そのまま摘み取ろうとした直後、私は信じられない目に遭ってしまった。<br> なんと、その花が、私の右眼に噛み付いてきたのだ。<br> <br> とても痛かった。それこそ、言葉では言い尽くせないほどに。<br> 私は右眼を手で押さえて、土間を転げ回った。痛くて、目が開けられない。<br> 溢れた涙が傷に沁みて、また、涙が溢れてくる。<br> そんな悪循環を、ちょっとの間、繰り返していた。<br> <br> やがて痛みは収まったけれど、右眼を開けることは出来なかった。<br> でもまあ、瞼を開かずに済むなら、それでも良い。<br> 私の右眼と、薔薇水晶の左眼は、普通の人と異なる目をしていたから……。<br> まだ村が戦災に焼かれる前、私たち姉妹はウサギの赤目と呼ばれ、<br> 頻繁に虐められたものだ。あの頃は、毎日が厭で――<br> <br> 当時の事を回想しかけて、私は頭を振った。<br> 好んで懐かしむ様な思い出じゃない。<br> <br>  (そんな事よりも、早く、薔薇水晶の元へ戻らないと)<br> <br> 私は一度も休息することなく、稲荷の祠へと駆け戻った。<br> しかし…………そこに、薔薇水晶の姿は無かった。<br> 何処へ行ってしまったの? 動き回れるほどの体力は、もう無い筈なのに。<br> ――もしかして、私を探して、たった独りで?<br> <br> 祠の周囲を隈無く探したものの、薔薇水晶の姿は、遂に発見できなかった。<br> 私は失意の内に、祠を後にした。<br> 薔薇水晶を探して、当て所なく彷徨い続ける。<br> だけど、もう……体力は限界。なにもかも、面倒くさい。疲れちゃった。<br> もう、死んでも……良いよね?<br> 私は道端に座り込んで、疲れ切った身体を横たえた。<br> <br> ――そして私は、鈴鹿御前様や、のりを含む四天王の面々と出会った。<br>  <br>  <br>  <br>  <br> 瞼に光を感じて、雪華綺晶は、徐に目を開いた。<br> <br>  (……随分と、古い夢を見たものですわね)<br> <br> 古刹の埃っぽい床板を、柔らかな朝の日射しが照らしている。<br> 光芒の中を舞う微粒子を、雪華綺晶は寝ぼけ眼で、なにげなく眺めていた。<br> 正直なところ、夢見は良くない。<br> けれど、不思議と清々しい気分だった。<br> <br> こんなにも心安らかに目覚めたのは久方ぶりだ。この前は、いつの事だっけ?<br> とりあえず、すぐに答えが出てこないほど久しぶりなのは確かだった。<br> <br> 仰向けのまま頸を巡らすと、隣に、最愛の妹の姿。<br> 薔薇水晶は幼い頃の様に、彼女の右腕にしがみつき、健やかな寝息を立てている。<br> あどけない寝顔に、昨日の戦闘時に見た凛々しさは欠片も見出せなかった。<br> <br>  (薔薇水晶……今も昔も、私は貴女に辛い想いを、させてばかりね)<br> <br> 昨日の件は勿論、今まで自分がしてきた事についても、ハッキリと憶えている。<br> 御前様の為と思って、自発的に残虐行為に手を染めたことも多々あった。<br> それは、信念を貫き通した結果にすぎない。<br> 命を救ってくれた鈴鹿御前への、せめてもの恩返しだ……と。<br> しかし、穢れの植物が取り除かれた今、その気持ちが少しずつ揺らぎ始めていた。<br> <br>  (私は、自分の意志で動いていた。そのつもりだったのに――)<br> <br> もしかしたら、穢れの寄生植物に意志を操作されていたのだろうか?<br> 操り人形に、なり果てていたのだろうか?<br> 考えても、よく解らない。<br> 過程を仮定したところで、今更、結果は変わらない。<br> 私は、償いきれない罪を重ねてきた……。それだけが、真実。<br> <br>  (なんだか、喉が渇きましたわ)<br> <br> 昨日は、かなり汗をかいていたから、水分が不足しているのかも知れない。<br> 雪華綺晶は起きあがろうとしたが、薔薇水晶が右腕を放してくれなかった。<br> 引き抜こうとすると、行かせまいとする様に、ギュッとしがみついてくる。<br> もしかして、起きているのでは? と思いたくなる反応だった。<br> <br> 雪華綺晶は微笑み、薔薇水晶の髪を、優しく撫でながら囁いた。<br> <br>  「心配いりませんわよ。もう……どこにも行きませんから」<br>  「…………ん」<br> <br> 寝言なのか、薔薇水晶は小さく呻いて、雪華綺晶の腕を解放した。<br> もう一度だけ妹の頭を撫でて、雪華綺晶は物音を立てないように起きあがった。<br> みんなは、まだ眠っている。足音を忍ばせて、外に出た。<br> <br> 早朝の、ひんやりした空気を胸一杯に吸い込み、両腕を天に伸ばす。<br> 大きな欠伸をひとつして、雪華綺晶は水場を探した。<br> こういう山の中に建てられた古刹の近くには、大概、清水が沸き出している。<br> 周辺を少し散策すると、目当てのものは、直ぐに見付かった。<br> 割れた岩の間に差し込んだ竹の樋を伝って、澄んだ水が流れ出している。<br> 掌で受け止めた水は、身を切るほどに冷たかった。<br> <br>  「んん~、甘露ですわねぇ」<br> <br> 掬っては飲み、飲み干しては掬う。<br> 存分に喉を潤していた雪華綺晶は、ふと、背後に接近する者の気配を感じて、身を強張らせた。<br> 敵意は伝わってこない。だからと言って、油断もしない。<br> 雪華綺晶は密かに精霊の起動準備をしながら、一分の隙も見せずに振り返った。<br> そこに立っていたのは――<br> <br>  「……真紅?」<br> <br> 見紛う筈もない、巫女装束の娘。稀代の退魔師、真紅その人だった。<br> けれど、様子が少し……おかしい。<br> 澄んだ碧眼は茫乎として、雪華綺晶を見ているようで、見ていない。<br> まるで、何かに憑かれたような雰囲気だった。<br> <br>  「何か用事ですか? それとも、お話でしょうか?」<br>  「貴女に、渡したい物があります」<br>  「? 急な話ですわね。いったい、何を頂けるのでしょう」<br> <br> よもや、新しい眼帯などとは言わないだろうが……果たして、何なのだろう?<br> 真紅の手には、それらしい物など何一つ握られていなかった。<br> <br> 怪訝な面持ちの雪華綺晶を前に、真紅は掌を上にして、両腕を肩の高さに掲げた。<br> 瞼を閉じて、なにやら小声で聞き慣れない詞を唱えだした。<br> 彼女の両手の上で、眩い光が踊り始める。<br> <br> 次の瞬間、凄まじい閃光が走り、雪華綺晶は反射的に腕を翳した。<br> 一体全体、真紅は何をしているの? 何を渡そうというの?<br> 腕で影を作って目を凝らずが、彼女の手元は、眩しすぎて良く見えなかった。<br> <br> 程なくして、閃光が収束する。<br> ちらちらと残像の浮かぶ眼を瞬かせて、雪華綺晶は真紅の手元を見遣った。<br> 彼女の両手には、いつの間に現れたのか、光り輝く一本の槍が乗っていた。<br> <br>  「雪華綺晶……貴女に、これを預けます」<br>  「これは?」<br>  「真紅が持つ神剣『菖蒲』と並ぶ、穢れを祓う武具。神槍『澪浄』です」<br>  「神槍……みお、きよめ?」<br>  「身体を清める意味が、込められているのです。さあ、手に取りなさい」<br> <br> ずいっ……と差し出されて、雪華綺晶は、おずおずと腕を伸ばした。<br> こんな大層な物を、自分が預かっても良いのかと、迷う。<br> でもまあ、真紅が預けると言うのだから、何も気にする必要は無いだろう。<br> 一度、生唾を呑み込んで、雪華綺晶は覚悟を決めた。<br> <br>  「……解りましたわ。お預かりしましょう」<br> <br> 雪華綺晶は一歩、前に進み出て、右手で神槍を握った。<br> その途端、身体が温かな白い光に包まれる。<br> <br>  「っ! これは……子供の頃に感じた、あの光っ!」<br> <br> 突然、左手の甲に激痛が走った。<br> まるで赤熱した鉄の棒を押し当てられて、肌が焼かれる様な痛みだ。<br> <br>  「な、なんですの?! あ、熱いっ!」<br>  <br> 雪華綺晶は神槍を投げ捨てると、慌てて左手の籠手を外した。<br> 外気に触れて、手の甲がズキズキと疼く。<br> 歯を食いしばって痛みに堪えながら、不意に襲った激痛の原因を確かめた。<br> <br> そこに刻み込まれていたのは、火傷の痕ではなく、真円の青黒い痣。<br> 紛れもなく、少し前まで仇敵の証として見なしてきた、あの痣だった。<br> 中心に浮かぶは【礼】の一文字。<br> <br>  「これは…………私も、犬士と言うこと?! まさか……」<br> <br> 眉を顰め、動揺を隠しきれない彼女に、真紅は――<br> <br>  「貴女は間違いなく、私の魂を受け継ぐ者です」<br>  「……?」<br>  「これからは、鈴鹿御前ではなく、真紅を――」<br>  「まさか! 貴女は……房姫?!」<br> <br> 真紅が眠りに就いている間に、彼女の身体を一時的に借りていたのだろう。<br> それも、もう限界の様だ。<br> 房姫は返事の変わりに、優しい笑みを浮かべて、雪華綺晶に告げた。<br> <br>  「真紅を……護ってあげて」<br> <br> その言葉は、雪華綺晶の胸に残る母との約束と、重なって聞こえた。<br>  <br>  <br> 言い終えると、真紅は、まるで糸の切れた操り人形のように膝を折った。<br> ――倒れるっ!<br> 雪華綺晶が、腕を差し伸べる。<br> しかし、彼女より先に、木陰を飛び出してきた人影が真紅を抱き留めた。<br> <br>  「まぁったくぅ……様子が変だと思ったら、そう言うコトだったのねぇ」<br>  「……水銀燈。貴女、いつから聞いていたのですか?」<br>  「最初っから、全部よ。盗み聞きするつもりは無かったんだけどねぇ」<br>  「目を覚ますなり、私の元へ真っ直ぐに向かう彼女の様子が気になって、<br>   見にきてみれば、とんでもない話をしていた……と」<br>  「話が早くて、助かるわぁ。正に、その通りよ」<br> <br> 水銀燈は左腕で真紅を支えながら、雪華綺晶に右腕を差し出した。<br> <br>  「とりあえずぅ、同志になった記念に……ね」<br>  「でも、私は……一度は、本気で貴女を殺そうとした女ですよ?」<br>  「気にしなぁい。私だって、貴女をホントに斬ろうと思ってたわよぉ?<br>   だから、チャラって事で良いじゃなぁい」<br>  「……貴女という人は」<br> <br> おおらかなのか、それとも単に、いい加減なだけなのか。<br> どちらにせよ、いい性格なのは疑いない。<br> 雪華綺晶は、水銀燈のような人が嫌いではなかった。<br> <br>  「では、そういう事にしておきましょうか」<br>  「よろしい。頼もしい味方が加わって、みんなも喜ぶわぁ」<br> <br> 水銀燈と雪華綺晶は、見つめ合い、固い握手を交わした。<br>  <br>  <br>  <br> 気を失った真紅を抱えた水銀燈と、雪華綺晶が古刹に戻ると、<br> みんなは既に、全員が目を覚ましていた。<br> 雪華綺晶が神槍と【礼】の御魂を見せて、これまでの経緯を説明をすると、<br> 誰もが彼女を歓待した。薔薇水晶の歓びようは、特に――<br> <br>  「犬士となる資格を持っていただなんて、私自身が一番、驚いてますわ」<br>  「確かに、ボクたちとは出自が異なっているよね」<br>  「でも、変じゃねぇです? 私たちが産まれたとき、二人は既に五歳と四歳だったです。<br>   どうして、房姫の御魂が宿ったですかねぇ?」<br> <br> 素朴な疑問を口にして、翠星石は腕を組んだ。<br> <br>  「多分……二人は一度、死んでしまったんじゃないかしら。<br>   あ、気分を悪くしたなら謝るかしら。単に、可能性の話だから」<br>  「……平気。それに……なんとなく、そんな気がしてた」<br>  「死んでしまった時ぃ、飛んできた房姫の御魂によって蘇生したってわけぇ?」<br>  「話の流れを辿っていくと、そういう事になりそうだね」<br> <br> 蒼星石が言うと、誰もが神妙な面持ちで頷いた。<br> 思えば、つくづく不思議な縁だ。<br> 互いの顔も知らず。何処で産まれたかも解らず……。<br> 個々の人生を歩んできた者たちが、こんな形で一堂に会するとは。<br> <br>  「ねえ……それに関連する話を、ちょっと聞いて欲しいかしら」<br> <br> 金糸雀が口を開いた。あまりにも真剣な口調だったので、誰もが注目する。<br> 金糸雀は、真紅が眠っているのを確かめてから、声を潜めて語り始めた。<br> 鈴鹿御前を斃すためには、御魂が、やがて一つに集まらねばならない事を。<br> <br> 真紅に御魂を渡すと言う事は、即ち――<br> <br> <br> 金糸雀が全て話し終えるのを待っていたかのように、真紅が目を覚ます。<br> そして、雪華綺晶が八人目の犬士であることを知って、目を丸くした。<br> なんという因縁だろうか。<br> 御魂が宿している絆の強さに、真紅は空恐ろしさを覚えた。<br> <br> 全ては、産まれたときから定められていた運命なのか。<br> だとしたら、今後の闘いには、どんな運命が待っていると言うのだろう。<br> 真紅の頭を、柴崎老人の家で聞いた、金糸雀の話が過ぎった。<br> <br>  (私は……私たちは、今のままで鈴鹿御前に勝てるの?)<br> <br> みんなの御魂を奪うことなく勝てるのならば、それが一番いい。<br> そうなって欲しいと、願わずにはいられなかった。<br>  <br>  <br>  <br>  <a href= "http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/786.html">=第二十八章につづく=</a><br>  <br>  </p>

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