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~第十四章~」(2006/05/01 (月) 01:25:45) の最新版変更点

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<p> <br>  <br>   ~第十四章~<br>  <br>  <br> およそ三日間が材料の加工に費やされ、四日目からが、本当の製造過程だった。<br> 剣の中心である心金、峰の部分に相当する棟金、刃となる硬い刃金。<br> そして、剣の両面に当たる側金。<br> 今は、棟金・心金・刃金を重ね合わせ『芯金』と呼ばれる合金を鍛えている工程だ。<br>  <br>  <br> 工房から聞こえる小槌の音を聞きながら、真紅と水銀燈は、敷地の周りを見回っていた。<br> 今のところ、穢れの者の気配は無い。<br> このまま何事もなく、完成してくれれば良いのだが……と、思わずには居られなかった。<br> <br>  「こうも敵の動きがないと、却って不気味よねぇ」<br>  「嵐の前の静けさ――かしらね」<br>  「まだ気付かれてないって思うのは、楽観すぎるぅ?」<br>  「場を和ますための冗談としては、上出来な方なのだわ」<br> <br> 湯治場の戦いで、笹塚を仕留め損ねたのは痛かった。<br> 悪知恵が働き、姑息な手を平然と使ってくる男だけに、油断がならない。<br> ひょっとしたら、もう町ごと焼き払う様な攻撃の手筈を、整えているかも知れなかった。<br> どれだけの規模で攻めてくるか……それが問題だ。<br> <br> 一応、襲撃に備えた布陣は、考えてある。<br> とは言え、穢れの者が、こちらの予想通りに仕掛けてくる保証なんて無い。<br> 時間帯によっては、四人のうち二人が仮眠中という状況も有り得た。<br> <br>  「ただ待ってるだけと言うのも、不安が募るものね」<br>  「そんな時はねぇ、身体を動かすのが一番なのよぉ……ふふふ」<br> <br> 水銀燈の口振りに、なにやら妙な思惑を感じて、真紅は横目で睨んだ。<br> <br>  「なに? また、変なコトを企んでいるんじゃないでしょうね」<br>  「変なコトって、何よぉ? ちょっと揉んであげようと思っただけじゃなぁい」<br>  「揉む……って、どこを」<br>  「真紅の胸♪」<br> <br> 恥じらう様子も見せず、事もなげに、さらりと言ってのける水銀燈。<br> 真紅は両腕で胸元を隠して、赤面しながら、キッ! と水銀燈を睨み付けた。<br> そんな彼女の頭を、水銀燈は平手でベシッ! と引っ叩いた。<br> <br>  「……な訳ないでしょぉ! おばかさぁん」<br>  「痛っ! じゃあ、なんなのよ!」<br>  「揉むって言うのはぁ、剣の稽古を付けてあげようかって意味よぉ」<br>  「……紛らわしい言い方を、しないでちょうだい」<br>  「あはははっ。真紅をからかうのって、ほんとに愉しいわぁ」<br> <br> 随分とまあ、いい性格をしているのね。<br> 真紅は心の中で文句を言いながらも、水銀燈の申し出を受け入れることにした。<br> これからの戦いは、ますます厳しさを増していくだろう。<br> 鬼祖軍団の四天王とも、いずれは決着を付けなければならない。<br> その場面になって、みんなの足手まといになるのは、彼女の自尊心が許さなかった。<br> <br>  「もうすぐ、交代の時間ね。その後で、指南してちょうだい」<br>  「いいわよぉ。足腰たたなくなるくらい、可愛がってあげるわぁ」<br>  「また、誤解を招く言い方をする……」<br> <br> 苦笑する真紅の背中を、ばしばし叩いて、水銀燈は笑い続けた。<br>  <br>  <br>  <br>  <br> 芯金が鍛え上がったところで、柴崎老人は一度、呪符を刻み始めた。<br> 鑿と槌を手に、細々とした文様を彫り込んでいく。<br> 普段の生活では絶対に使うことのない、特殊な文字だ。<br> それは文字と言うよりは絵に近く、象形文字を彷彿させた。<br> <br> 精霊同体型の剣を造るためには、必要不可欠な工程である。<br> 心血を注いで呪符を刻みあげると、今度は芯金を二枚の側金で挟み、火を通す。<br> そして、また金槌で叩き、鍛接していく。<br> 徐々に、剣の姿が現れつつあった。<br> <br>  「さて……これからが本番じゃな」<br> <br> ヤットコで挟んだ刀身を、熱しては叩き、冷めては熱しなおす。<br> 規則正しく打ち鳴らされる音が、狭い工房に反響していた。<br> 叩きながら、微妙に形を整えていく。老人の顔は、修羅の様に険しい。<br> <br> <br> ――この刀が完成したら、あの娘たちは遠くへ行ってしまうぞ。<br> <br>  「!! ぬ、ぬう……っ!」<br> <br> 不意に、柴崎老人の頭で囁く、怪しい声。<br> あの時――妖刀『國久』を鍛えろと唆した、あの声だ……。<br> <br> ――妻や子が、お前の元を去ったように、あの娘たちもまた、お前を置き去りにするぞ。<br>   それでも良いのか? 誰にも相手にされない孤独に、再び苛まれたいか?<br> <br> それは厭だった。誰に省みられる事もなく、自分の存在意義すら解らない日々……。<br> あの頃のように、目的もなく惨めな人生を送るなんて、もうたくさんだった。<br> <br> ――厭ならば、やめてしまえば良い。その刀を砕いてしまえ。<br>   <br> だが、それが本当に自分の望む事なのか? <br> いいや、違う。柴崎老人は、即座に否定した。<br> 確かに孤独でいることは、辛く、寂しい。<br> しかし、だからと言って彼女たちの信頼を裏切っていい理由にはならない。<br> そんな事をしたら、また、他人を不幸にするだけの妖刀を生み出しかねなかった。<br> <br> ――妻が引き合わせてくれた、あの娘たちを手元に繋ぎ止めて置きたくないのか?<br> <br>  「…………黙れ」<br> <br> ――刀を折り、娘たちを殺して、庭の隅にでも埋めてしまえば良い。<br>   そうすれば、もう二度とお前から離れていく者は居なくなる。<br> <br>  「黙れっ! 黙れ、黙れっ!」<br> <br> 柴崎老人は、怒号と共に傍らの鑿を掴んで、自らの太股に突き立てた。<br> 激痛が背筋を走り、衰えた灰色の脳に、強烈な刺激となって押し寄せる。<br> 奔流のような痛みに押し流されて、闇の声は聞こえなくなっていた。<br> <br>  「……お爺さん? 今の声は、一体……あぁっ!?」<br> <br> 突然の喚き声を聞きつけて、顔を覗かせた蒼星石は、<br> 老人の脚に深々と刺さる鑿を見て仰天した。<br> 慌てて駆け寄り、一気に引き抜くと、持っていた手拭いでキツく縛った。<br> <br>  「何をやってるんですか! どうして、こんな――」<br>  「すまない……蒼星石。また、あの声が……聞こえたんじゃよ」<br>  「それって、まさか――」<br> <br> 柴崎老人は、頷き、苦しげに口元を歪ませた。<br> いまだに邪悪な囁きが聞こえることを、心底から恥じているのだろう。<br> <br>  「つくづく、自分が情けない。儂の心が弱いから、付け狙われるのじゃな。<br>   ヤツらは何度でも、儂に悪意を吹き込もうとするのじゃ」<br>  「誰だって、心に弱さを持っている。恥じる事なんてないんですよ」<br>  「蒼星……石?」<br>  「ボクだって、弱かった。心の弱さ故に、大好きな人を失って……多くの、<br>   本当に多くの人々に、悲しい想いをさせてしまった」<br> <br> 蒼星石は、縛った手拭いが老人の血に染まっていくのを見詰めながら、訥々と語った。<br> <br>  「そして…………ボクの弱さは、ボク自身をも不幸にしてしまったんです。<br>   何もする気が起きず、食欲も湧かずに、ただ、死を願って眠るだけだった」<br>  「……儂も、そうじゃった。妻の諫言に耳を貸さず、死ぬ事ばかり考えていた。<br>   かずきの元に行くことだけを、切実に願っていた」<br>  「ボクと、お爺さんは、似てるんですね。色々なところで、とても似ている。<br>   だけどね……ひとつだけ、違った点があるよ」<br>  「それは、かけがえのない仲間が――過ちに気付かせてくれる友が、居たことじゃな」<br> <br> 老人の言葉に、蒼星石は無言で頷いた。<br> 悲愴感に支配されていた自分を、親身になって想い、殴ってくれた水銀燈。<br> 彼女に撲たれた痛みが、身体に刻み込まれている。<br> 彼女が放った罵声が、胸に突き刺さり、今も心を疼かせている。<br> けれど、その痛みこそが生きている証なのだと、水銀燈は気付かせてくれた。<br> <br> だから、ボクは戦う――<br> 蒼星石は、力強い口調で、柴崎老人に決意を伝えた。<br> <br>  「これ以上、大切な人たちを悲しませない為に、ボクは剣を振るおうと誓ったんです」<br>  「生きることは、戦うこと……か。当時の儂には、悲しみと戦う勇気が無かったな。<br>   それ故に、妻を悲しませて……臨終の間際、側に居てやる事もできなかった」<br> <br> 柴崎老人は、蒼星石の肩に手を置き、優しく叩いた。<br> <br>  「今こそ、罪滅ぼしの――妻の想いに答える時じゃな。<br>   もう大丈夫じゃ、蒼星石。儂はもう、邪な言葉に惑わされたりはしない。<br>   必ずや、この剣を鍛え上げて、蒼星石に渡そう。それが、儂の闘いじゃ」<br> <br> 肩に置かれた老人の手に、蒼星石は自らの手を重ねた。<br> そして、互いの眼を見つめ合い、ひとつ頷く。<br> もう、言葉は不要だった。<br> <br> いま、自分に出来ることを、精一杯やるだけ。<br> たった、それだけの事だけれど――<br> どれほどの人間が、それを実践しているだろうか。<br> 蒼星石は黙って、工房から立ち去る。いま、自分がすべき事を為すために。<br> <br> そして、柴崎老人も自らの人生と戦うために、小槌を手にした。<br> 再び、工房に刀を打つ音が響き始める。<br> そのひとつひとつに込められた、老人の精魂が、蒼星石には感じられた。<br>  <br>  <br>  <br>  <br> さらに二日が経ち、夜も更けた頃――<br> 工程は、最終段階に向かって順調に進んでいた。<br> 鍛え上げた剣に焼きを入れて、最後の整形と調整をしていく。<br> 特殊な鉋で表面の凹凸を削り取って、樋と呼ばれる溝を掘り込む。<br> それから、老職人は鑿と槌を巧みに扱って、精霊の発動機構を刀身に刻印していった。<br> <br> ここまで有した日数は、五日。<br> 昼夜を問わず鍛え続けた柴崎老人の執念が、あと僅かで結実しようとしていた。<br> <br>  「なんとか……間に合いそうだね」<br>  「どうかしらねぇ。発動機構は、まだ半分くらいしか書き上がってないみたいだしぃ」<br>  「水銀燈の言うとおり、最後まで油断は禁物よ。外で、警護を続けましょう」<br>  「頼んだよ、みんな。ボクは、工房で護衛を続ける」<br> <br> 工房の外に出た三人を、皓々たる月光が迎える。<br> 端が少し欠けた、十三夜。<br> しかし、くっきりと影が落ちるほど、明るい夜だった。<br> <br>  「綺麗ねぇ。それとも風流と言うべきかしらぁ」<br>  「今度、みんなで……お月見……しよ?」<br>  「良いかも知れないわね。ただし――」<br> <br> 真紅は、徐に神剣を引き抜いた。「無粋なヤツらを、追い返してからなのだわ」<br> <br>  「はぁ……まったくぅ。もう少し、ゆっくり来れば良いのにねぇ」<br>  「さっさと片付けて…………お月見する」<br> <br> 水銀燈の太刀と、薔薇水晶の小太刀が、降り注ぐ月光の中で煌めいた。<br>  <br>  <br>  <br> 工房の外から、戦闘音が飛び込んでくる。<br> 柴崎老人に悪意ある声が聞こえた時から、遠からず、こうなる事は予測できていた。<br> 蒼星石は普通の刀を手に、柴崎老人を庇うため、全周囲に注意を向けた。<br> 外で迎え撃つのは、三人だけ。<br> いずれ、穢れの者が工房に飛び込んでくる筈だ。<br> <br> そんな緊張状態の中、老職人は、懸命に発動機構と呪符を刻み込んでいた。<br> 残るは、あと僅か。<br> 蒼星石の見守る中で、最後の一文字が打ち込まれ、剣は新たな命を宿した。<br> <br>  「さぁ! 後は、刃を研いで、柄を取り付けるだけじゃ」<br>  「出来るだけ急いで。そろそろ来るよ」<br>  「任せておけ。ここまで来たら、儂の意地にかけて、絶対に完成させるわい」<br> <br> 砥石を水に浸し、剣を研ぎ始める。<br> 黒く煤けたり、焼き色が付いていた箇所が、鋭い鋼の輝きを放ち始めた。<br> <br> 突如、工房内に陣笠を被った骸骨の足軽が、足を踏み鳴らして乱入してきた。<br> 裏口を突破されたらしい。やはり、多勢に無勢か。<br> <br>  「これ以上、好き勝手な真似はさせないっ!」<br> <br> 自分を目掛けて振り下ろされた刀を弾き、蒼星石は骸骨を両断した。<br> まだ一体だけだが、いずれ、押し寄せて来よう。<br> 募る焦燥に振り返った蒼星石の瞳に、折れた剣から柄を取り外す老職人の姿が映る。<br> 外された柄は、新しい得物へと継がれ、目釘で固定された。<br> 残すは、銘の刻印のみ。<br> <br> 柴崎老人が、鑿と槌で剣に銘を刻み始めたと同時に、敵が押し寄せてきた。<br> 今度は、かなり多い。<br> しかも二手に分かれて、一方が蒼星石を、他方が老職人を狙っていた。<br> 一斉に走り出す、蒼星石と、穢れの者たち。しかし、僅かに穢れの者の方が早い。<br> ただ、一心不乱に銘を刻む柴崎老人に、凶刃が迫る。<br> <br>  「ダメぇっ! 避けて、お爺さんっ!」<br>  「よしっ! 出来たぞ、蒼星石っ!」<br> <br> 二人の叫びが重なった。<br> 蒼星石の悲鳴と、柴崎老人の歓声。<br> 相反する感情が混ざり合う中、老人の身体は、三本の刀に刺し貫かれていた。<br> <br>  「嫌あぁっ! お爺さんっ!」<br> <br> 絶叫しながら、蒼星石は老人を刺した三体の穢れを、瞬く間に破壊した。<br> 更に踵を返して、彼女の背中に斬りかかっていた数体を、一閃で薙ぎ払った。<br> <br>  「お爺さんっ! 死んじゃダメだっ! お爺さんっ!」<br>  「お、お……蒼……星石。こ、これ……を」<br> <br> 柴崎老人は、震える右腕で、蒼星石の為に鍛えた剣を差し出した。<br> 銘は『月華豹神』。華々しい月の光を浴びた、豹の如き女神……。<br> それは、蒼星石のことを比喩していた。<br> <br> 溢れる涙を堪えきれず、蒼星石は泣き続けた。<br> 剣の柄と、老人の嗄れた手を、しっかりと握り締める。 <br> 滲んだ視界の向こうで、柴崎老人は、満足そうに微笑んでいた。<br> <br>  「こんな……ことって!」<br>  「悲しまないで……おくれ、蒼星石。これは、儂が望ん……だこと。<br>   これで、やっと……儂は、マツと……かずきの元へ、逝ける」<br>  「お……爺……さん」<br> <br> 柴崎老人は、弱々しく左腕を伸ばしてきた。<br> その手が、蒼星石の頬を撫でる。涙に濡れた、彼女の頬を――<br> 老人の瞳からも、涙が零れ落ちた。<br> <br>  「おお……かずき。儂を……迎えに……来て……くれたのじゃ……な」<br>  「……お…………お父さん」<br> <br> 蒼星石の言葉に、老人は少しだけ目を見開き、涙を流した。<br> <br>  「ありが……とう。蒼……せ……」<br> <br> 柴崎老人の身体が、ふっ……と、軽くなった。<br> 閉ざされた瞼が開かれることは、もう無い。<br> <br>  「ボクの方こそ…………ありがとう、お爺さん。<br>   あなた達の想いは、確かに受け継いだから。安心して眠って」<br> <br> 蒼星石は、静かに老人の亡骸を横たえて、袖で涙を拭った。<br> もう、泣かない。泣いている暇なんて無い。<br> 老夫婦の絆が結びついた剣『月華豹神』を握り締めて、蒼星石は立ち上がった。<br> そして、工房を飛び出し、戦闘に身を投じた。<br> これ以上、大切な仲間を失わせない為に――<br>  <br>  <br>  <br>  <a href= "http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/761.html">=第十五章へと向かう=</a><br>  <br>  </p>
<p> <br>  <br>   ~第十四章~<br>  <br>  <br> およそ三日間が材料の加工に費やされ、四日目からが、本当の製造過程だった。<br> 剣の中心である心金、峰の部分に相当する棟金、刃となる硬い刃金。<br> そして、剣の両面に当たる側金。<br> 今は、棟金・心金・刃金を重ね合わせ『芯金』と呼ばれる合金を鍛えている工程だ。<br>  <br>  <br> 工房から聞こえる小槌の音を聞きながら、真紅と水銀燈は、敷地の周りを見回っていた。<br> 今のところ、穢れの者の気配は無い。<br> このまま何事もなく、完成してくれれば良いのだが……と、思わずには居られなかった。<br> <br>  「こうも敵の動きがないと、却って不気味よねぇ」<br>  「嵐の前の静けさ――かしらね」<br>  「まだ気付かれてないって思うのは、楽観すぎるぅ?」<br>  「場を和ますための冗談としては、上出来な方なのだわ」<br> <br> 湯治場の戦いで、笹塚を仕留め損ねたのは痛かった。<br> 悪知恵が働き、姑息な手を平然と使ってくる男だけに、油断がならない。<br> ひょっとしたら、もう町ごと焼き払う様な攻撃の手筈を、整えているかも知れなかった。<br> どれだけの規模で攻めてくるか……それが問題だ。<br> <br> 一応、襲撃に備えた布陣は、考えてある。<br> とは言え、穢れの者が、こちらの予想通りに仕掛けてくる保証なんて無い。<br> 時間帯によっては、四人のうち二人が仮眠中という状況も有り得た。<br> <br>  「ただ待ってるだけと言うのも、不安が募るものね」<br>  「そんな時はねぇ、身体を動かすのが一番なのよぉ……ふふふ」<br> <br> 水銀燈の口振りに、なにやら妙な思惑を感じて、真紅は横目で睨んだ。<br> <br>  「なに? また、変なコトを企んでいるんじゃないでしょうね」<br>  「変なコトって、何よぉ? ちょっと揉んであげようと思っただけじゃなぁい」<br>  「揉む……って、どこを」<br>  「真紅の胸♪」<br> <br> 恥じらう様子も見せず、事もなげに、さらりと言ってのける水銀燈。<br> 真紅は両腕で胸元を隠して、赤面しながら、キッ! と水銀燈を睨み付けた。<br> そんな彼女の頭を、水銀燈は平手でベシッ! と引っ叩いた。<br> <br>  「……な訳ないでしょぉ! おばかさぁん」<br>  「痛っ! じゃあ、なんなのよ!」<br>  「揉むって言うのはぁ、剣の稽古を付けてあげようかって意味よぉ」<br>  「……紛らわしい言い方を、しないでちょうだい」<br>  「あはははっ。真紅をからかうのって、ほんとに愉しいわぁ」<br> <br> 随分とまあ、いい性格をしているのね。<br> 真紅は心の中で文句を言いながらも、水銀燈の申し出を受け入れることにした。<br> これからの戦いは、ますます厳しさを増していくだろう。<br> 鬼祖軍団の四天王とも、いずれは決着を付けなければならない。<br> その場面になって、みんなの足手まといになるのは、彼女の自尊心が許さなかった。<br> <br>  「もうすぐ、交代の時間ね。その後で、指南してちょうだい」<br>  「いいわよぉ。足腰たたなくなるくらい、可愛がってあげるわぁ」<br>  「また、誤解を招く言い方をする……」<br> <br> 苦笑する真紅の背中を、ばしばし叩いて、水銀燈は笑い続けた。<br>  <br>  <br>  <br>  <br> 芯金が鍛え上がったところで、柴崎老人は一度、呪符を刻み始めた。<br> 鑿と槌を手に、細々とした文様を彫り込んでいく。<br> 普段の生活では絶対に使うことのない、特殊な文字だ。<br> それは文字と言うよりは絵に近く、象形文字を彷彿させた。<br> <br> 精霊同体型の剣を造るためには、必要不可欠な工程である。<br> 心血を注いで呪符を刻みあげると、今度は芯金を二枚の側金で挟み、火を通す。<br> そして、また金槌で叩き、鍛接していく。<br> 徐々に、剣の姿が現れつつあった。<br> <br>  「さて……これからが本番じゃな」<br> <br> ヤットコで挟んだ刀身を、熱しては叩き、冷めては熱しなおす。<br> 規則正しく打ち鳴らされる音が、狭い工房に反響していた。<br> 叩きながら、微妙に形を整えていく。老人の顔は、修羅の様に険しい。<br> <br> <br> ――この刀が完成したら、あの娘たちは遠くへ行ってしまうぞ。<br> <br>  「!! ぬ、ぬう……っ!」<br> <br> 不意に、柴崎老人の頭で囁く、怪しい声。<br> あの時――妖刀『國久』を鍛えろと唆した、あの声だ……。<br> <br> ――妻や子が、お前の元を去ったように、あの娘たちもまた、お前を置き去りにするぞ。<br>   それでも良いのか? 誰にも相手にされない孤独に、再び苛まれたいか?<br> <br> それは厭だった。誰に省みられる事もなく、自分の存在意義すら解らない日々……。<br> あの頃のように、目的もなく惨めな人生を送るなんて、もうたくさんだった。<br> <br> ――厭ならば、やめてしまえば良い。その刀を砕いてしまえ。<br>   <br> だが、それが本当に自分の望む事なのか? <br> いいや、違う。柴崎老人は、即座に否定した。<br> 確かに孤独でいることは、辛く、寂しい。<br> しかし、だからと言って彼女たちの信頼を裏切っていい理由にはならない。<br> そんな事をしたら、また、他人を不幸にするだけの妖刀を生み出しかねなかった。<br> <br> ――妻が引き合わせてくれた、あの娘たちを手元に繋ぎ止めて置きたくないのか?<br> <br>  「…………黙れ」<br> <br> ――刀を折り、娘たちを殺して、庭の隅にでも埋めてしまえば良い。<br>   そうすれば、もう二度とお前から離れていく者は居なくなる。<br> <br>  「黙れっ! 黙れ、黙れっ!」<br> <br> 柴崎老人は、怒号と共に傍らの鑿を掴んで、自らの太股に突き立てた。<br> 激痛が背筋を走り、衰えた灰色の脳に、強烈な刺激となって押し寄せる。<br> 奔流のような痛みに押し流されて、闇の声は聞こえなくなっていた。<br> <br>  「……お爺さん? 今の声は、一体……あぁっ!?」<br> <br> 突然の喚き声を聞きつけて、顔を覗かせた蒼星石は、<br> 老人の脚に深々と刺さる鑿を見て仰天した。<br> 慌てて駆け寄り、一気に引き抜くと、持っていた手拭いでキツく縛った。<br> <br>  「何をやってるんですか! どうして、こんな――」<br>  「すまない……蒼星石。また、あの声が……聞こえたんじゃよ」<br>  「それって、まさか――」<br> <br> 柴崎老人は、頷き、苦しげに口元を歪ませた。<br> いまだに邪悪な囁きが聞こえることを、心底から恥じているのだろう。<br> <br>  「つくづく、自分が情けない。儂の心が弱いから、付け狙われるのじゃな。<br>   ヤツらは何度でも、儂に悪意を吹き込もうとするのじゃ」<br>  「誰だって、心に弱さを持っている。恥じる事なんてないんですよ」<br>  「蒼星……石?」<br>  「ボクだって、弱かった。心の弱さ故に、大好きな人を失って……多くの、<br>   本当に多くの人々に、悲しい想いをさせてしまった」<br> <br> 蒼星石は、縛った手拭いが老人の血に染まっていくのを見詰めながら、訥々と語った。<br> <br>  「そして…………ボクの弱さは、ボク自身をも不幸にしてしまったんです。<br>   何もする気が起きず、食欲も湧かずに、ただ、死を願って眠るだけだった」<br>  「……儂も、そうじゃった。妻の諫言に耳を貸さず、死ぬ事ばかり考えていた。<br>   かずきの元に行くことだけを、切実に願っていた」<br>  「ボクと、お爺さんは、似てるんですね。色々なところで、とても似ている。<br>   だけどね……ひとつだけ、違った点があるよ」<br>  「それは、かけがえのない仲間が――過ちに気付かせてくれる友が、居たことじゃな」<br> <br> 老人の言葉に、蒼星石は無言で頷いた。<br> 悲愴感に支配されていた自分を、親身になって想い、殴ってくれた水銀燈。<br> 彼女に撲たれた痛みが、身体に刻み込まれている。<br> 彼女が放った罵声が、胸に突き刺さり、今も心を疼かせている。<br> けれど、その痛みこそが生きている証なのだと、水銀燈は気付かせてくれた。<br> <br> だから、ボクは戦う――<br> 蒼星石は、力強い口調で、柴崎老人に決意を伝えた。<br> <br>  「これ以上、大切な人たちを悲しませない為に、ボクは剣を振るおうと誓ったんです」<br>  「生きることは、戦うこと……か。当時の儂には、悲しみと戦う勇気が無かったな。<br>   それ故に、妻を悲しませて……臨終の間際、側に居てやる事もできなかった」<br> <br> 柴崎老人は、蒼星石の肩に手を置き、優しく叩いた。<br> <br>  「今こそ、罪滅ぼしの――妻の想いに答える時じゃな。<br>   もう大丈夫じゃ、蒼星石。儂はもう、邪な言葉に惑わされたりはしない。<br>   必ずや、この剣を鍛え上げて、蒼星石に渡そう。それが、儂の闘いじゃ」<br> <br> 肩に置かれた老人の手に、蒼星石は自らの手を重ねた。<br> そして、互いの眼を見つめ合い、ひとつ頷く。<br> もう、言葉は不要だった。<br> <br> いま、自分に出来ることを、精一杯やるだけ。<br> たった、それだけの事だけれど――<br> どれほどの人間が、それを実践しているだろうか。<br> 蒼星石は黙って、工房から立ち去る。いま、自分がすべき事を為すために。<br> <br> そして、柴崎老人も自らの人生と戦うために、小槌を手にした。<br> 再び、工房に刀を打つ音が響き始める。<br> そのひとつひとつに込められた、老人の精魂が、蒼星石には感じられた。<br>  <br>  <br>  <br>  <br> さらに二日が経ち、夜も更けた頃――<br> 工程は、最終段階に向かって順調に進んでいた。<br> 鍛え上げた剣に焼きを入れて、最後の整形と調整をしていく。<br> 特殊な鉋で表面の凹凸を削り取って、樋と呼ばれる溝を掘り込む。<br> それから、老職人は鑿と槌を巧みに扱って、精霊の発動機構を刀身に刻印していった。<br> <br> ここまで有した日数は、五日。<br> 昼夜を問わず鍛え続けた柴崎老人の執念が、あと僅かで結実しようとしていた。<br> <br>  「なんとか……間に合いそうだね」<br>  「どうかしらねぇ。発動機構は、まだ半分くらいしか書き上がってないみたいだしぃ」<br>  「水銀燈の言うとおり、最後まで油断は禁物よ。外で、警護を続けましょう」<br>  「頼んだよ、みんな。ボクは、工房で護衛を続ける」<br> <br> 工房の外に出た三人を、皓々たる月光が迎える。<br> 端が少し欠けた、十三夜。<br> しかし、くっきりと影が落ちるほど、明るい夜だった。<br> <br>  「綺麗ねぇ。それとも風流と言うべきかしらぁ」<br>  「今度、みんなで……お月見……しよ?」<br>  「良いかも知れないわね。ただし――」<br> <br> 真紅は、徐に神剣を引き抜いた。「無粋なヤツらを、追い返してからなのだわ」<br> <br>  「はぁ……まったくぅ。もう少し、ゆっくり来れば良いのにねぇ」<br>  「さっさと片付けて…………お月見する」<br> <br> 水銀燈の太刀と、薔薇水晶の小太刀が、降り注ぐ月光の中で煌めいた。<br>  <br>  <br>  <br> 工房の外から、戦闘音が飛び込んでくる。<br> 柴崎老人に悪意ある声が聞こえた時から、遠からず、こうなる事は予測できていた。<br> 蒼星石は普通の刀を手に、柴崎老人を庇うため、全周囲に注意を向けた。<br> 外で迎え撃つのは、三人だけ。<br> いずれ、穢れの者が工房に飛び込んでくる筈だ。<br> <br> そんな緊張状態の中、老職人は、懸命に発動機構と呪符を刻み込んでいた。<br> 残るは、あと僅か。<br> 蒼星石の見守る中で、最後の一文字が打ち込まれ、剣は新たな命を宿した。<br> <br>  「さぁ! 後は、刃を研いで、柄を取り付けるだけじゃ」<br>  「出来るだけ急いで。そろそろ来るよ」<br>  「任せておけ。ここまで来たら、儂の意地にかけて、絶対に完成させるわい」<br> <br> 砥石を水に浸し、剣を研ぎ始める。<br> 黒く煤けたり、焼き色が付いていた箇所が、鋭い鋼の輝きを放ち始めた。<br> <br> 突如、工房内に陣笠を被った骸骨の足軽が、足を踏み鳴らして乱入してきた。<br> 裏口を突破されたらしい。やはり、多勢に無勢か。<br> <br>  「これ以上、好き勝手な真似はさせないっ!」<br> <br> 自分を目掛けて振り下ろされた刀を弾き、蒼星石は骸骨を両断した。<br> まだ一体だけだが、いずれ、押し寄せて来よう。<br> 募る焦燥に振り返った蒼星石の瞳に、折れた剣から柄を取り外す老職人の姿が映る。<br> 外された柄は、新しい得物へと継がれ、目釘で固定された。<br> 残すは、銘の刻印のみ。<br> <br> 柴崎老人が、鑿と槌で剣に銘を刻み始めたと同時に、敵が押し寄せてきた。<br> 今度は、かなり多い。<br> しかも二手に分かれて、一方が蒼星石を、他方が老職人を狙っていた。<br> 一斉に走り出す、蒼星石と、穢れの者たち。しかし、僅かに穢れの者の方が早い。<br> ただ、一心不乱に銘を刻む柴崎老人に、凶刃が迫る。<br> <br>  「ダメぇっ! 避けて、お爺さんっ!」<br>  「よしっ! 出来たぞ、蒼星石っ!」<br> <br> 二人の叫びが重なった。<br> 蒼星石の悲鳴と、柴崎老人の歓声。<br> 相反する感情が混ざり合う中、老人の身体は、三本の刀に刺し貫かれていた。<br> <br>  「嫌あぁっ! お爺さんっ!」<br> <br> 絶叫しながら、蒼星石は老人を刺した三体の穢れを、瞬く間に破壊した。<br> 更に踵を返して、彼女の背中に斬りかかっていた数体を、一閃で薙ぎ払った。<br> <br>  「お爺さんっ! 死んじゃダメだっ! お爺さんっ!」<br>  「お、お……蒼……星石。こ、これ……を」<br> <br> 柴崎老人は、震える右腕で、蒼星石の為に鍛えた剣を差し出した。<br> 銘は『月華豹神』。華々しい月の光を浴びた、豹の如き女神……。<br> それは、蒼星石のことを比喩していた。<br> <br> 溢れる涙を堪えきれず、蒼星石は泣き続けた。<br> 剣の柄と、老人の嗄れた手を、しっかりと握り締める。 <br> 滲んだ視界の向こうで、柴崎老人は、満足そうに微笑んでいた。<br> <br>  「こんな……ことって!」<br>  「悲しまないで……おくれ、蒼星石。これは、儂が望ん……だこと。<br>   これで、やっと……儂は、マツと……かずきの元へ、逝ける」<br>  「お……爺……さん」<br> <br> 柴崎老人は、弱々しく左腕を伸ばしてきた。<br> その手が、蒼星石の頬を撫でる。涙に濡れた、彼女の頬を――<br> 老人の瞳からも、涙が零れ落ちた。<br> <br>  「おお……かずき。儂を……迎えに……来て……くれたのじゃ……な」<br>  「……お…………お父さん」<br> <br> 蒼星石の言葉に、老人は少しだけ目を見開き、涙を流した。<br> <br>  「ありが……とう。蒼……せ……」<br> <br> 柴崎老人の身体が、ふっ……と、軽くなった。<br> 閉ざされた瞼が開かれることは、もう無い。<br> <br>  「ボクの方こそ…………ありがとう、お爺さん。<br>   あなた達の想いは、確かに受け継いだから。安心して眠って」<br> <br> 蒼星石は、静かに老人の亡骸を横たえて、袖で涙を拭った。<br> もう、泣かない。泣いている暇なんて無い。<br> 老夫婦の絆が結びついた剣『月華豹神』を握り締めて、蒼星石は立ち上がった。<br> そして、工房を飛び出し、戦闘に身を投じた。<br> これ以上、大切な仲間を失わせない為に――<br>  <br>  <br>  <br>  <a href= "http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/761.html">=第十五章につづく=</a><br>  <br>  </p>

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