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<p> <br>  <br>   ~第十三章~<br>  <br>  <br> 宿の一室で、蒼星石は今日も、床に臥せている。<br> 湯治場での戦闘を終えて、早二日。<br> 翠星石に続き、ジュンまで失った悲しみで、蒼星石はすっかり鬱ぎ込んでいた。<br> そんな彼女を引きずるようにして、近くの大きな町に移動してきたのだが、<br> 町中の賑わいも、蒼星石の悲しみを紛らすことは出来なかった。<br> <br>  「蒼星石、入るわよ。食事を持ってきたわ」<br> <br> 部屋の障子がスッ……と開き、膳を持って、真紅が部屋を訪れる。<br> けれど、蒼星石は半身を起こそうともしない。<br> ただ、仰向けに寝転がったまま、気のない眼差しで、茫然と天井を眺めているだけだった。<br> <br>  「起きなさい、蒼星石。少しは食べないと、身体に悪いわ」<br>  「……食べたくない」<br> <br> そう言って、蒼星石は顔を背けてしまう。眼の下には、うっすらと隈が浮かんでいる。<br> 眠れないのは、空腹も影響しているのではないだろうか。<br> 真紅は溜息を吐いて、枕元に膳を置いた。<br> <br>  「しっかりなさい、蒼星石。貴女が行かないで、誰が彼を救い出すというの?」<br>  「だけど、ボクは……力を失ってしまった。もう……戦えないよ」<br>  「水銀燈と薔薇水晶が、刀匠を探してくれているのだわ。<br>   精霊までは無理でしょうけど、きっと、貴女の手に馴染む剣が手に入る筈よ」<br> <br> 解ってないね。蒼星石は、涙声でそう言った。<br> 確かに、戦い続けるには『力』の象徴とも言うべき、武器が必要不可欠だ。<br> 武器の性能が高ければ高いほど、有利に戦うことだって出来よう。<br> けれども、蒼星石にとっては闘う上で、得物や精霊より重要な物があった。<br>  <br>  <br> ――誰かを護りたいという想い。誰かのために、尽力を惜しまない気持ち。<br>  <br>  <br> その原動力が有ればこそ、蒼星石は今まで、戦い続けてこられたのだ。<br> 今は、それが失われて、心にぽっかりと穴が開いている。<br> 目的を無くした想いは、まるで、糸が切れて頼りなく宙を彷徨う凧のようだった。<br> <br>  「それでも、貴女は戦い続けなければならないのよ。御魂を宿す犬士として」<br> <br> そう告げても、蒼星石は何の反応も示さなかった。<br> 真紅は無言で、部屋を後にした。暫くは、静観する他ない。<br> それに、蒼星石ばかりに、かかりっきりでも居られなかった。<br> 冷たいようだが、真紅たちにも犬士としての役目があるのだ。<br> <br> 玄関の踊り場を横切ろうとした所で、真紅は刀匠探しから戻った水銀燈たちと合流した。<br> 二人の冴えない表情を見れば、結果は容易に推測できる。<br> <br>  「あまり、首尾は良くなかったらしいわね」<br>  「折れた刀を見本として置いてきたけれど、ちょっと時間が要るって言われたわぁ」<br>  「仕方ないわ。通常の刀と違って、精霊を込めないといけないもの」<br>  「技量は、充分に高い職人だったわよぉ。実際、精霊についても造詣が深かったしぃ」<br>  「でも……なんか……妙なこと言ってた」<br> <br> 妙なこととは、なんだろう? 真紅は頸を傾げ、視線で、薔薇水晶に先を促した。<br> <br>  「煉飛火と、蒼星石の契約……まだ切れてないって」<br>  「でも、煉飛火は、めぐに――」<br>  「奪われたというより、あの妖刀に閉じ込められた可能性が高いらしいわぁ」<br>  「それなら、精霊を取り戻せるかも知れないのね!」<br> <br> 職人の話では、そういう事らしいと、水銀燈は答えた。<br> その為の呪符を構築するのに、数日を要するらしい。<br> 巧くいく保証は無いが、それでも、僅かながら希望が見えた気がした。<br> <br>  「新たな剣が鍛えあがるまで、その職人を警護した方が良さそうね」<br>  「同感。穢れの者に察知されたら、間違いなく殺されるわよぉ」<br>  「じゃあ、私……今から、警護してくる」<br>  「頼むわね、薔薇水晶」<br>  「こうなったら、あの子にも工房に泊まり込みで警護させないとねぇ。<br>   寝てばかりなんて許さないわ。引きずってでも連れてってやるんだからぁ」<br> <br> 水銀燈は軽やかに階段を駆け昇り、声も掛けずに、蒼星石の部屋へ踏み込んだ。<br> 少し遅れて、真紅も続く。<br> だが、階段を昇っている途中で、水銀燈の怒声が聞こえた。<br> なんだか、尋常ではない雰囲気だ。<br> <br>  「ちょっと! 何をしているの?」<br> <br> 真紅が部屋に踏み込んだのと、胸倉を掴まれた蒼星石が水銀燈に張り倒されたのは、ほぼ同時。<br> 頬を撲たれた蒼星石は、布団の上に倒れ伏した。<br> 水銀燈は、蒼星石の上に馬乗りになって、更に殴りつけようとする。<br> <br>  「やめなさい、水銀燈っ! やめてっ!」<br> <br> 真紅は小柄な身体で、懸命に水銀燈にしがみつき、蒼星石から引き剥がした。<br> されるがままに、グッタリと横たわる蒼星石。<br> そんな彼女を、水銀燈は憎々しげに睨み付けていた。<br> <br>  「水銀燈っ! どういうつもりなの?」<br>  「どうもこうも……言ったでしょぉ。引きずってでも連れて行くって。<br>   大体、気に入らないのよ! いつまでも、ウジウジと……」<br>  「でも、それは――」<br>  「仕方ないって言うの? はん! 冗談じゃないわ!<br>   護るべき人が居なきゃ、戦えない? 甘ったれるんじゃないわよ!<br>   じゃあ、なぁに? 私たちは、共に戦い、護るにも値しない存在ってワケぇ?」<br>  「そ…………それは」<br> <br> 蒼星石はビクリと肩を震わせて、言葉に詰まった。<br> 反論しないことで、更に水銀燈の怒りを買うというのに。<br> <br>  「私たちには、協力を渋って、尽力を惜しむの? ふざけんじゃないわよぉ!<br>   ひとりで悲劇の主人公を演じちゃってさ、バッカじゃないのぉ?!」<br>  「……水銀燈……もう良いから」<br> <br> 真紅が腕の力を抜くと、水銀燈は畳に座り込んで、ぽろぽろと悔し涙を流した。<br> <br>  「私なんか……もしかしたら……」<br> <br> めぐを、この手に掛けなければならないのに。<br> 子供の頃から、大の親友だった彼女を、この手で殺す事になるかも知れないのに。<br> 叶うことなら、何もかも捨て去って、逃げ出したいくらいなのに。<br> <br>  「もう良いのよ、水銀燈」<br>  「真紅……真紅ぅ……」<br> <br> 水銀燈は、真紅の腰にしがみついて、声を殺し泣き続けた。<br>  <br>  <br>  <br> 水銀燈が泣き疲れて落ち着くのを見計らって、蒼星石は、沈鬱な表情で口を開いた。<br> <br>  「ごめん……水銀燈。ボクは甘え過ぎてたよ。みんなに、辛い想いをさせてしまった。<br>    本当に、すまないと思ってる」<br>  「……良いのよぉ。私の方こそ、殴ったりして、ごめんなさぁい」<br>  「気にしないで。お陰で、目を覚まさせて貰ったから。寧ろ、お礼を言わなきゃね」<br> <br> 蒼星石は水銀燈の隣に移動して、彼女の肩を優しく抱擁した。<br> <br>  「ありがとう、水銀燈。ボクは、もう迷わないよ。何があっても――」<br>  「もう……おばかさぁん。気付くのが遅すぎるわよ」<br>  「ふふっ……でも、良かった。雨降って地固まる……ってね」<br> <br> 二人の背中をポンポンと叩いて、真紅は彼女たちを促した。<br> <br>  「さあ、忙しくなるわよ。なんとしても、蒼星石の剣を完成させるのだわ」<br>  「泊まり込みで警護って話を、職人さんに通しておかないとね」 <br>  「どうせならぁ、私たちも泊まり込んだ方が手堅いし、宿代の節約になるんじゃなぁい?」<br>  「貴女、頭良いわね! 早速、刀匠の元へ向かうのだわ」<br> <br> とりあえず、泊まり込む事を承諾して貰うため、三人は工房へ足を運んだ。<br>  <br>  <br> そこは自宅兼作業場といった感じの、こじんまりした平長屋だった。<br> 廊下で繋がった母屋の方は、道場でも開いているのか、ちょっとだけ広い。<br> 柴崎と表札の掛かった門をくぐり、工房へ行くと、入り口に薔薇水晶が立っていた。<br> <br>  「今のところ……異常ないよ。みんなも警備に?」<br>  「ちょっと、職人さんに話を付けにきたのよ」<br>  「お爺さんなら……中に居るよ。蒼ちゃんのこと……待ってるから」<br>  「ボクを?」<br> <br> 煉飛火について、なにか訊きたいことが有るのだろうか。<br> 蒼星石は工房の木戸を叩いて、徐に開いた。<br> 薄暗い工房は、物凄い熱気が立ちこめている。直ぐに、額に汗が滲み出してきた。<br> そんな中に、禿頭の老人がこちらに背を向け、どっしりと腰を下ろしている。<br> 場の空気に飲まれ、気後れした蒼星石は、怖々と老人の背中に声を掛けた。<br> <br>  「あの~、失礼します。あなたが、柴崎さんですか?」<br>  「……むう? お主か、この剣を使っていたのは」<br> <br> 柴崎老人は、振り返りもせず、手にしていた剣を掲げて問いかけた。<br> 確かに、蒼星石が長年、愛用してきた剣だ。<br> マツという刀匠のお婆さんに、鍛えてもらった一振りだった。<br> <br>  「はい。でも、それがなにか?」<br> <br> 問い返す蒼星石に、柴崎老人は、ふ……と柔らかく笑って、やっと振り返った。<br> だが、その表情が忽ち驚愕に変わる。わなわなと口を震わせ、何かを喋ろうと苦戦している。<br> そして、漸く喉から絞り出された言葉は、聞いたこともない人物の名前だった。<br> <br>  「か……かずき……か?」<br>  「違うわ。この娘は蒼星石。私たちの、かけがえのない同志よ」<br> <br> いつの間にか、蒼星石の後ろには真紅たちが立っていた。<br>  <br>  <br>  <br>  <br> それから、真紅たちは柴崎老人から、様々な話を聞いた。<br> かずき……とは、亡くなった息子の名前だと言う。<br> 蒼星石の面差しが、なんとなく似ていたのだと、老人は自らの未練を恥じらい陳謝した。<br> <br>  「それで、ボクが貰った剣は、どういう由縁があるんですか」<br>  「それを語るには、まず妖刀『國久(くにひさ)』について、説明せねばならん」<br>  「妖刀『國久』って、めぐが持っていた刀よねぇ」<br>  「その名前を、なぜ貴方が知っているのかしらね、柴崎さん」<br>  「簡単な理由じゃよ」<br> <br> 柴崎老人は肩を揺すらせて、前歯の間から空気の漏れるような笑い声をあげた。<br> 暫く笑い続け、徐に咳き込む。<br> 小刻みな咳を振り切るように、大きく咳払いをして、説明を再会した。<br> <br>  「妖刀『國久』は、儂が鍛えた刀なのじゃからな」<br>  「う……そ!」<br>  「そんな、お爺さんが?」<br>  「ちょっとちょっとぉ! それ、本当なのぉ?!」<br>  「真実でしょうね。ウソを吐いたところで、柴崎さんには何の得もないのだわ」<br> <br> 真紅の言葉に、皆は口を噤んだ。言われてみれば、その通りだ。<br> 寧ろ、あんな禍々しい物を世に送り出したとあれば、厳罰に処されかねない。<br> それを、敢えて公言したのは、並々ならぬ覚悟をしたからだろう。<br> <br>  「あの刀を鍛えたのは、丁度……かずきの四十九日が開けた時じゃった」<br> <br> 柴崎老人は、遠くを眺める様な視線で、思い出を語り始めた。<br> 愛する一人息子を失った悲しみを誤魔化そうと、酒に溺れ、狂気を宿したこと。<br> そんな生活に疲れて、妻マツまでが、家を出てしまったこと。<br> 誰にも支えられず、誰に頼られることも無く、自堕落な生活を続けたこと。<br> そして、ある日……頭の中に、闇の眷属の声が聞こえたこと。<br> <br> ――忘れたければ、全ての憎悪と怨念を、刀に打ち込んでしまえば良い。<br>   息子を救えなかったのは、周囲の人間が手助けしてくれなかったせい。<br>   その怨嗟と悲嘆を、一振りの刀に凝縮してしまえ。<br> <br> それからは朝な夕な工房に籠もり、一心不乱に刀を鍛え続けた。<br> <br>  「そうして誕生したのが、あの妖刀『國久』なのじゃよ。<br>   あの刀には、儂の醜い感情が、埋め込まれておるのじゃ」<br>  「そんな事があったなんて、俄には信じられない話なのだわ」<br>  「でも、事実だよ。そして何の因果か、ボクはお婆さんに――<br>   柴崎さんの奥さんと出会って、煉飛火を刻印して貰ったんだ」<br>  「その通りじゃよ。そして、この刻印には、こうも記されている」<br> <br> 柴崎老人は、蒼星石の折れた剣の刻印を眺めて、皆に詠んで聞かせた。<br> <br>  「この剣は、夫、柴崎元治が鍛えし妖刀『國久』を屠る為に生み出されたり。<br>   我が願いが成就することを、切に願って――柴崎マツ。<br>   妻は、心血を注いでこの剣を鍛えて……精魂尽き果て、死んだのじゃろう?」 <br> <br> 柴崎老人の眼差しが、蒼星石に向けられる。<br> それは、全てを悟りきった瞳。<br> 蒼星石は徐に、頚を縦に振った。<br> 煉飛火の刻印を終えると同時に倒れ、そのまま、帰らぬ人となったお婆さん。<br> 枯れ木の様に窶れてしまったお婆さんの姿を思いだして、蒼星石の目頭は熱くなった。<br> <br> 柴崎老人は「気に病む事はない」と、蒼星石を労った。<br> 刀匠、殊に精霊を扱う職人の場合、刀を鍛えるのは命を削る事なのだと言う。<br> そこまでしなければ、本当に優れた刀剣は産まれないのだ……と。<br> <br>  「本当に、何の因果かのう……。まるで妻が、娘たちを連れて帰った気分じゃよ」<br>  「こぉんな、じゃじゃ馬娘ばかりで満足できるなら良いけどねぇ」<br>  「じゃじゃ馬は貴女だけよ、水銀燈」<br>  「あらぁ……面白い冗談ねぇ、真紅ぅ~」<br>  「二人とも……うるさい」<br> <br> 薔薇水晶にピシャリと注意を受けて、しょげ返る二人。<br> そんな賑やかな娘たちを見て、柴崎老人は口元を綻ばせた。<br> <br>  「とにかく、因縁あってここに集ったのであれば、儂も協力を惜しまぬ。<br>   じゃから……君たちには、必ずや妖刀『國久』を葬って欲しいのじゃ。<br>   全てを奪わんとする醜い怨恨の塊を、君たちの力で砕いてくれ。頼む!」<br>  <br> 深々と頭を垂れる柴崎老人に、真紅は「勿論!」と、力強く断言した。<br> ――その為に、私は神剣を授かったのだから。<br> <br>  「きっと、あの刀を砕いて見せるわ」<br>  「おお……本当かね? 頼まれてくれるのかね?」<br>  「任せて下さい。ボクたちが、必ず……」<br>  「まぁ、そうまで頭を下げられちゃあ、無下に断るなんて出来ないわよねぇ」<br>  「そう言うこと。安心……していい」<br> <br> 柴崎老人は、ありがとう! と頭を下げながら、一人一人と握手をしていった。<br>  <br>  <br>  <br>  <br> その日から、四人の犬士と柴崎老人は、ひとつ屋根の下で暮らし始めた。<br> 柴崎老人は寝食も忘れて、工房に籠もり、ひたすらに蒼星石の刀を鍛え続ける。<br> 荒行とも見える、その過酷な作業は、実に三日間にも及んだ。<br> <br> その晩、工房でウトウトと居眠りをしている柴崎老人を目にして、蒼星石は肩を揺らした。<br> <br>  「お爺さん……少し、横になった方がいいですよ」<br>  「んっ! お、おお……いかんいかん。うっかり眠ってしまったか」<br>  「あまり、無茶しなくても――」<br>  「そうはいかんよ。刀を鍛えるのは、子供を育てる事に等しいのじゃ。<br>   手を抜いては立派に育たん。注意を怠れば、歪んでしまう」<br> <br> でも――と反論しようとする蒼星石を、柴崎老人は掌で制した。<br> そして、徐に頚を振る。<br> 儂の、気の済むようにさせてくれ。<br> 柴崎老人の瞳が、そう語っていた。<br> <br>  「……解りました。けど、あまり無理はしないで下さいね」<br>  「ありがとう、かず……蒼星石。やれやれ……どうにも、いかんな」<br>  「かずき、でも良いですよ。今だけは――」<br> <br> 柴崎老人は、自分の未練がましさを隠すように、くるりと蒼星石に背を向けた。<br> けれど、一言――<br> <br>  「……ありがとう、かずき」<br> <br> 老人の肩が小刻みに震えだしたのを、蒼星石は見て見ぬ振りして、その場を立ち去った。<br>  <br>  <br>  <br>  =第十四章につづく=<br>  <br>  </p>
<p> <br>  <br>   ~第十三章~<br>  <br>  <br> 宿の一室で、蒼星石は今日も、床に臥せている。<br> 湯治場での戦闘を終えて、早二日。<br> 翠星石に続き、ジュンまで失った悲しみで、蒼星石はすっかり鬱ぎ込んでいた。<br> そんな彼女を引きずるようにして、近くの大きな町に移動してきたのだが、<br> 町中の賑わいも、蒼星石の悲しみを紛らすことは出来なかった。<br> <br>  「蒼星石、入るわよ。食事を持ってきたわ」<br> <br> 部屋の障子がスッ……と開き、膳を持って、真紅が部屋を訪れる。<br> けれど、蒼星石は半身を起こそうともしない。<br> ただ、仰向けに寝転がったまま、気のない眼差しで、茫然と天井を眺めているだけだった。<br> <br>  「起きなさい、蒼星石。少しは食べないと、身体に悪いわ」<br>  「……食べたくない」<br> <br> そう言って、蒼星石は顔を背けてしまう。眼の下には、うっすらと隈が浮かんでいる。<br> 眠れないのは、空腹も影響しているのではないだろうか。<br> 真紅は溜息を吐いて、枕元に膳を置いた。<br> <br>  「しっかりなさい、蒼星石。貴女が行かないで、誰が彼を救い出すというの?」<br>  「だけど、ボクは……力を失ってしまった。もう……戦えないよ」<br>  「水銀燈と薔薇水晶が、刀匠を探してくれているのだわ。<br>   精霊までは無理でしょうけど、きっと、貴女の手に馴染む剣が手に入る筈よ」<br> <br> 解ってないね。蒼星石は、涙声でそう言った。<br> 確かに、戦い続けるには『力』の象徴とも言うべき、武器が必要不可欠だ。<br> 武器の性能が高ければ高いほど、有利に戦うことだって出来よう。<br> けれども、蒼星石にとっては闘う上で、得物や精霊より重要な物があった。<br>  <br>  <br> ――誰かを護りたいという想い。誰かのために、尽力を惜しまない気持ち。<br>  <br>  <br> その原動力が有ればこそ、蒼星石は今まで、戦い続けてこられたのだ。<br> 今は、それが失われて、心にぽっかりと穴が開いている。<br> 目的を無くした想いは、まるで、糸が切れて頼りなく宙を彷徨う凧のようだった。<br> <br>  「それでも、貴女は戦い続けなければならないのよ。御魂を宿す犬士として」<br> <br> そう告げても、蒼星石は何の反応も示さなかった。<br> 真紅は無言で、部屋を後にした。暫くは、静観する他ない。<br> それに、蒼星石ばかりに、かかりっきりでも居られなかった。<br> 冷たいようだが、真紅たちにも犬士としての役目があるのだ。<br> <br> 玄関の踊り場を横切ろうとした所で、真紅は刀匠探しから戻った水銀燈たちと合流した。<br> 二人の冴えない表情を見れば、結果は容易に推測できる。<br> <br>  「あまり、首尾は良くなかったらしいわね」<br>  「折れた刀を見本として置いてきたけれど、ちょっと時間が要るって言われたわぁ」<br>  「仕方ないわ。通常の刀と違って、精霊を込めないといけないもの」<br>  「技量は、充分に高い職人だったわよぉ。実際、精霊についても造詣が深かったしぃ」<br>  「でも……なんか……妙なこと言ってた」<br> <br> 妙なこととは、なんだろう? 真紅は頸を傾げ、視線で、薔薇水晶に先を促した。<br> <br>  「煉飛火と、蒼星石の契約……まだ切れてないって」<br>  「でも、煉飛火は、めぐに――」<br>  「奪われたというより、あの妖刀に閉じ込められた可能性が高いらしいわぁ」<br>  「それなら、精霊を取り戻せるかも知れないのね!」<br> <br> 職人の話では、そういう事らしいと、水銀燈は答えた。<br> その為の呪符を構築するのに、数日を要するらしい。<br> 巧くいく保証は無いが、それでも、僅かながら希望が見えた気がした。<br> <br>  「新たな剣が鍛えあがるまで、その職人を警護した方が良さそうね」<br>  「同感。穢れの者に察知されたら、間違いなく殺されるわよぉ」<br>  「じゃあ、私……今から、警護してくる」<br>  「頼むわね、薔薇水晶」<br>  「こうなったら、あの子にも工房に泊まり込みで警護させないとねぇ。<br>   寝てばかりなんて許さないわ。引きずってでも連れてってやるんだからぁ」<br> <br> 水銀燈は軽やかに階段を駆け昇り、声も掛けずに、蒼星石の部屋へ踏み込んだ。<br> 少し遅れて、真紅も続く。<br> だが、階段を昇っている途中で、水銀燈の怒声が聞こえた。<br> なんだか、尋常ではない雰囲気だ。<br> <br>  「ちょっと! 何をしているの?」<br> <br> 真紅が部屋に踏み込んだのと、胸倉を掴まれた蒼星石が水銀燈に張り倒されたのは、ほぼ同時。<br> 頬を撲たれた蒼星石は、布団の上に倒れ伏した。<br> 水銀燈は、蒼星石の上に馬乗りになって、更に殴りつけようとする。<br> <br>  「やめなさい、水銀燈っ! やめてっ!」<br> <br> 真紅は小柄な身体で、懸命に水銀燈にしがみつき、蒼星石から引き剥がした。<br> されるがままに、グッタリと横たわる蒼星石。<br> そんな彼女を、水銀燈は憎々しげに睨み付けていた。<br> <br>  「水銀燈っ! どういうつもりなの?」<br>  「どうもこうも……言ったでしょぉ。引きずってでも連れて行くって。<br>   大体、気に入らないのよ! いつまでも、ウジウジと……」<br>  「でも、それは――」<br>  「仕方ないって言うの? はん! 冗談じゃないわ!<br>   護るべき人が居なきゃ、戦えない? 甘ったれるんじゃないわよ!<br>   じゃあ、なぁに? 私たちは、共に戦い、護るにも値しない存在ってワケぇ?」<br>  「そ…………それは」<br> <br> 蒼星石はビクリと肩を震わせて、言葉に詰まった。<br> 反論しないことで、更に水銀燈の怒りを買うというのに。<br> <br>  「私たちには、協力を渋って、尽力を惜しむの? ふざけんじゃないわよぉ!<br>   ひとりで悲劇の主人公を演じちゃってさ、バッカじゃないのぉ?!」<br>  「……水銀燈……もう良いから」<br> <br> 真紅が腕の力を抜くと、水銀燈は畳に座り込んで、ぽろぽろと悔し涙を流した。<br> <br>  「私なんか……もしかしたら……」<br> <br> めぐを、この手に掛けなければならないのに。<br> 子供の頃から、大の親友だった彼女を、この手で殺す事になるかも知れないのに。<br> 叶うことなら、何もかも捨て去って、逃げ出したいくらいなのに。<br> <br>  「もう良いのよ、水銀燈」<br>  「真紅……真紅ぅ……」<br> <br> 水銀燈は、真紅の腰にしがみついて、声を殺し泣き続けた。<br>  <br>  <br>  <br> 水銀燈が泣き疲れて落ち着くのを見計らって、蒼星石は、沈鬱な表情で口を開いた。<br> <br>  「ごめん……水銀燈。ボクは甘え過ぎてたよ。みんなに、辛い想いをさせてしまった。<br>    本当に、すまないと思ってる」<br>  「……良いのよぉ。私の方こそ、殴ったりして、ごめんなさぁい」<br>  「気にしないで。お陰で、目を覚まさせて貰ったから。寧ろ、お礼を言わなきゃね」<br> <br> 蒼星石は水銀燈の隣に移動して、彼女の肩を優しく抱擁した。<br> <br>  「ありがとう、水銀燈。ボクは、もう迷わないよ。何があっても――」<br>  「もう……おばかさぁん。気付くのが遅すぎるわよ」<br>  「ふふっ……でも、良かった。雨降って地固まる……ってね」<br> <br> 二人の背中をポンポンと叩いて、真紅は彼女たちを促した。<br> <br>  「さあ、忙しくなるわよ。なんとしても、蒼星石の剣を完成させるのだわ」<br>  「泊まり込みで警護って話を、職人さんに通しておかないとね」 <br>  「どうせならぁ、私たちも泊まり込んだ方が手堅いし、宿代の節約になるんじゃなぁい?」<br>  「貴女、頭良いわね! 早速、刀匠の元へ向かうのだわ」<br> <br> とりあえず、泊まり込む事を承諾して貰うため、三人は工房へ足を運んだ。<br>  <br>  <br> そこは自宅兼作業場といった感じの、こじんまりした平長屋だった。<br> 廊下で繋がった母屋の方は、道場でも開いているのか、ちょっとだけ広い。<br> 柴崎と表札の掛かった門をくぐり、工房へ行くと、入り口に薔薇水晶が立っていた。<br> <br>  「今のところ……異常ないよ。みんなも警備に?」<br>  「ちょっと、職人さんに話を付けにきたのよ」<br>  「お爺さんなら……中に居るよ。蒼ちゃんのこと……待ってるから」<br>  「ボクを?」<br> <br> 煉飛火について、なにか訊きたいことが有るのだろうか。<br> 蒼星石は工房の木戸を叩いて、徐に開いた。<br> 薄暗い工房は、物凄い熱気が立ちこめている。直ぐに、額に汗が滲み出してきた。<br> そんな中に、禿頭の老人がこちらに背を向け、どっしりと腰を下ろしている。<br> 場の空気に飲まれ、気後れした蒼星石は、怖々と老人の背中に声を掛けた。<br> <br>  「あの~、失礼します。あなたが、柴崎さんですか?」<br>  「……むう? お主か、この剣を使っていたのは」<br> <br> 柴崎老人は、振り返りもせず、手にしていた剣を掲げて問いかけた。<br> 確かに、蒼星石が長年、愛用してきた剣だ。<br> マツという刀匠のお婆さんに、鍛えてもらった一振りだった。<br> <br>  「はい。でも、それがなにか?」<br> <br> 問い返す蒼星石に、柴崎老人は、ふ……と柔らかく笑って、やっと振り返った。<br> だが、その表情が忽ち驚愕に変わる。わなわなと口を震わせ、何かを喋ろうと苦戦している。<br> そして、漸く喉から絞り出された言葉は、聞いたこともない人物の名前だった。<br> <br>  「か……かずき……か?」<br>  「違うわ。この娘は蒼星石。私たちの、かけがえのない同志よ」<br> <br> いつの間にか、蒼星石の後ろには真紅たちが立っていた。<br>  <br>  <br>  <br>  <br> それから、真紅たちは柴崎老人から、様々な話を聞いた。<br> かずき……とは、亡くなった息子の名前だと言う。<br> 蒼星石の面差しが、なんとなく似ていたのだと、老人は自らの未練を恥じらい陳謝した。<br> <br>  「それで、ボクが貰った剣は、どういう由縁があるんですか」<br>  「それを語るには、まず妖刀『國久(くにひさ)』について、説明せねばならん」<br>  「妖刀『國久』って、めぐが持っていた刀よねぇ」<br>  「その名前を、なぜ貴方が知っているのかしらね、柴崎さん」<br>  「簡単な理由じゃよ」<br> <br> 柴崎老人は肩を揺すらせて、前歯の間から空気の漏れるような笑い声をあげた。<br> 暫く笑い続け、徐に咳き込む。<br> 小刻みな咳を振り切るように、大きく咳払いをして、説明を再会した。<br> <br>  「妖刀『國久』は、儂が鍛えた刀なのじゃからな」<br>  「う……そ!」<br>  「そんな、お爺さんが?」<br>  「ちょっとちょっとぉ! それ、本当なのぉ?!」<br>  「真実でしょうね。ウソを吐いたところで、柴崎さんには何の得もないのだわ」<br> <br> 真紅の言葉に、皆は口を噤んだ。言われてみれば、その通りだ。<br> 寧ろ、あんな禍々しい物を世に送り出したとあれば、厳罰に処されかねない。<br> それを、敢えて公言したのは、並々ならぬ覚悟をしたからだろう。<br> <br>  「あの刀を鍛えたのは、丁度……かずきの四十九日が開けた時じゃった」<br> <br> 柴崎老人は、遠くを眺める様な視線で、思い出を語り始めた。<br> 愛する一人息子を失った悲しみを誤魔化そうと、酒に溺れ、狂気を宿したこと。<br> そんな生活に疲れて、妻マツまでが、家を出てしまったこと。<br> 誰にも支えられず、誰に頼られることも無く、自堕落な生活を続けたこと。<br> そして、ある日……頭の中に、闇の眷属の声が聞こえたこと。<br> <br> ――忘れたければ、全ての憎悪と怨念を、刀に打ち込んでしまえば良い。<br>   息子を救えなかったのは、周囲の人間が手助けしてくれなかったせい。<br>   その怨嗟と悲嘆を、一振りの刀に凝縮してしまえ。<br> <br> それからは朝な夕な工房に籠もり、一心不乱に刀を鍛え続けた。<br> <br>  「そうして誕生したのが、あの妖刀『國久』なのじゃよ。<br>   あの刀には、儂の醜い感情が、埋め込まれておるのじゃ」<br>  「そんな事があったなんて、俄には信じられない話なのだわ」<br>  「でも、事実だよ。そして何の因果か、ボクはお婆さんに――<br>   柴崎さんの奥さんと出会って、煉飛火を刻印して貰ったんだ」<br>  「その通りじゃよ。そして、この刻印には、こうも記されている」<br> <br> 柴崎老人は、蒼星石の折れた剣の刻印を眺めて、皆に詠んで聞かせた。<br> <br>  「この剣は、夫、柴崎元治が鍛えし妖刀『國久』を屠る為に生み出されたり。<br>   我が願いが成就することを、切に願って――柴崎マツ。<br>   妻は、心血を注いでこの剣を鍛えて……精魂尽き果て、死んだのじゃろう?」 <br> <br> 柴崎老人の眼差しが、蒼星石に向けられる。<br> それは、全てを悟りきった瞳。<br> 蒼星石は徐に、頚を縦に振った。<br> 煉飛火の刻印を終えると同時に倒れ、そのまま、帰らぬ人となったお婆さん。<br> 枯れ木の様に窶れてしまったお婆さんの姿を思いだして、蒼星石の目頭は熱くなった。<br> <br> 柴崎老人は「気に病む事はない」と、蒼星石を労った。<br> 刀匠、殊に精霊を扱う職人の場合、刀を鍛えるのは命を削る事なのだと言う。<br> そこまでしなければ、本当に優れた刀剣は産まれないのだ……と。<br> <br>  「本当に、何の因果かのう……。まるで妻が、娘たちを連れて帰った気分じゃよ」<br>  「こぉんな、じゃじゃ馬娘ばかりで満足できるなら良いけどねぇ」<br>  「じゃじゃ馬は貴女だけよ、水銀燈」<br>  「あらぁ……面白い冗談ねぇ、真紅ぅ~」<br>  「二人とも……うるさい」<br> <br> 薔薇水晶にピシャリと注意を受けて、しょげ返る二人。<br> そんな賑やかな娘たちを見て、柴崎老人は口元を綻ばせた。<br> <br>  「とにかく、因縁あってここに集ったのであれば、儂も協力を惜しまぬ。<br>   じゃから……君たちには、必ずや妖刀『國久』を葬って欲しいのじゃ。<br>   全てを奪わんとする醜い怨恨の塊を、君たちの力で砕いてくれ。頼む!」<br>  <br> 深々と頭を垂れる柴崎老人に、真紅は「勿論!」と、力強く断言した。<br> ――その為に、私は神剣を授かったのだから。<br> <br>  「きっと、あの刀を砕いて見せるわ」<br>  「おお……本当かね? 頼まれてくれるのかね?」<br>  「任せて下さい。ボクたちが、必ず……」<br>  「まぁ、そうまで頭を下げられちゃあ、無下に断るなんて出来ないわよねぇ」<br>  「そう言うこと。安心……していい」<br> <br> 柴崎老人は、ありがとう! と頭を下げながら、一人一人と握手をしていった。<br>  <br>  <br>  <br>  <br> その日から、四人の犬士と柴崎老人は、ひとつ屋根の下で暮らし始めた。<br> 柴崎老人は寝食も忘れて、工房に籠もり、ひたすらに蒼星石の刀を鍛え続ける。<br> 荒行とも見える、その過酷な作業は、実に三日間にも及んだ。<br> <br> その晩、工房でウトウトと居眠りをしている柴崎老人を目にして、蒼星石は肩を揺らした。<br> <br>  「お爺さん……少し、横になった方がいいですよ」<br>  「んっ! お、おお……いかんいかん。うっかり眠ってしまったか」<br>  「あまり、無茶しなくても――」<br>  「そうはいかんよ。刀を鍛えるのは、子供を育てる事に等しいのじゃ。<br>   手を抜いては立派に育たん。注意を怠れば、歪んでしまう」<br> <br> でも――と反論しようとする蒼星石を、柴崎老人は掌で制した。<br> そして、徐に頚を振る。<br> 儂の、気の済むようにさせてくれ。<br> 柴崎老人の瞳が、そう語っていた。<br> <br>  「……解りました。けど、あまり無理はしないで下さいね」<br>  「ありがとう、かず……蒼星石。やれやれ……どうにも、いかんな」<br>  「かずき、でも良いですよ。今だけは――」<br> <br> 柴崎老人は、自分の未練がましさを隠すように、くるりと蒼星石に背を向けた。<br> けれど、一言――<br> <br>  「……ありがとう、かずき」<br> <br> 老人の肩が小刻みに震えだしたのを、蒼星石は見て見ぬ振りして、その場を立ち去った。<br>  <br>  <br>  <br>  <a href= "http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/686.html">=第十四章につづく=</a><br>  <br>  </p>

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