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【夢の続き】~ドール~」(2006/04/09 (日) 13:23:20) の最新版変更点

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 桜が、散ろうとしていた。待ち望んでいた筈の春は、あっという間にその終わりを見せよう としている。川沿いの桜並木から、零れ落ちていく花びら。それらが、水面にひたり。水の 流れに沿っている。落ちた花びらは、抗えず。ただ、流されていくだけ。  こんな風景を見て。私の心の内には、何の波も立っていない。感傷、寂しさ、あるいは哀し み……という名前の、『何か』。そういうものは、少なくとも私には必要の無いこと。  涙は流さず。少しの喜びと、楽しみがあれば。それだけで、良いのだから。  私は、十分に哀しんだ。  だからもう、いいと思う。  ちりん、と。首元から聴こえる金音。紫の紐に通された、ふたつの銀の輪。  ぎゅっと、握り締める。  光が眩しい。眼を細めて、私は。自分の先を、ただぼんやりと見つめている、だけ。   ―――――――――――  夢を、見ていた。私は春の桜並木の下を、ひとり歩いていて。桜の散り様を見て、春の 終わりを見せ付けられるのだ。  特に何の感慨も湧かない。今、外の季節は秋。そしてこれから、全てが眠りにつくよう な冬が待ち受けている。春は、確かに好きだけれど。夢の中の春の終わりに、いちいち 哀しんでいてもしょうがない。  『しょうがない』という言葉。私の中の大部分を構成している理念だと、多分自分では わかっているのだと思う。全てはなるようにしかならないのだし、そこで自分がどうあが こうとも、結果というものは予め決められているものだ。だから、『しょうがない』。自分の 好きなことをして、そこから悦びがうまれるのならば、それで良い。  私がどう動こうと、結果的に流れが変わらないのだから。どうせなら私は、その流れを 傍観する立場でいたい。関わりを持たなければ、ささいな波風もたてなくて澄む。  もともと、私は自分の感情を表すのが苦手。それに加え、積極的にひとと関わろうとは 思わない性格。……ひととの関わり、と言う点では、一部例外はあるけれど。ともかくそ れらが相まって、私が学校で付けられたあだ名は『人形』だった。私には直接耳に入らな いように付けたつもりなのだろうが、そういう声に壁は立てられないもの。  私はいつからか、涙を流さなくなった。泣かないということは、今まで生きてきた上で。 それほど『哀しい』だとか、そういう感情を抱かなかったせいなのだと思う。  だからこそ、その呼び名は。私にとってはお誂え、だと思う。そう、私はむしろ『人形』 になりたい。  幼い頃から持っている、お人形。心も無く。表情は、初めからつくられた一つだけの。今 もそれは、部屋の片隅に置かれている。大分薄汚れて、黒く灰がちになってしまっていて。 服も、ところどころ破れてしまっている。  そんなにぞんざいな扱いをした覚えもないのだけど。何故か捨てられずに、今もそれはある。  そういえば。今日の夢の中の私は、何故だか酷く『締め付けられていた』。そんなに 私が哀しみにくれたことが、過去にあったろうか。あったと言えばそんな気もするし、無 かったと言えばそうかもしれないし。  まあ、いいか。しょうがない。だって夢だから。  まだ何だか眠かったけれど、起きなければ。今日も学校へ行こう。  鏡を見る。琥珀色の右眼が、私を見つめ返している。 【夢の続き】~ドール~  早く来て何をしているという訳でもないけれど、何故か教室へはいつも一番乗りになって しまう。誰も居ない教室で、ぼんやりと座っているだけ。そうしていれば、いずれ誰かがやって くるのだし。いつも通りの喧騒に包まれるのだ。 「薔薇水晶~! おはようなの~!」 「……おはよう」 今日の教室二番乗りは、いつもと違った。どうしたものだろう。 「ヒナね、今日は日直当番なの~! だから頑張って、早起きしたのよ!」 えらいでしょ、と。えっへんと胸を張る。……大きいなあ。羨ましい…… 聞かれもしてないのに律儀に答える彼女は、雛苺。とにかく明るく、元気一杯。素直な性格が 好かれるのだろう、彼女の周りにはいつもひとが集まる。  私は何故か彼女に懐かれている様で、よく私についてくるので行動を共にすることが多い。 『薔薇水晶、今日はね~、……』  『薔薇水晶、ごはん一緒に食べようなのー!……』 何かにつけて、私に構おうとする。別に友達の少ない私を気にかけて、話しかけている訳では ないようだった。彼女には、裏がない。だから私も、彼女と一緒に居るのは心地良かったし。有 体に言うなら、こういう存在が『友達』と呼べるものなのかもしれない。彼女とクラスが一緒にな るまで、私にはそういう関係を持つ相手が居なかった。 「……日直って、朝にお仕事あったっけ?……」 疑問に思ったので、聞いてみる。放課後こそ、日誌やらなんやら出さなければならないことは 記憶にあるけど、朝はどうだったろうか。 「うゅ? ……うーん……」 考え込んでしまった。今朝の早起きに、特に裏打ちは無かったようだ。 「うう~~~ん」 まだ考えてる。何だか悪い気がしてきた。素直というか、なんというか。 「……大丈夫。早起きは、三文の得」 そういうと、彼女はますます『よくわからない』といった表情をする。……あ、クエスチョンマークが 頭に飛んでるのが見える。仕方が無いので説明。 「……早起きすると。それだけで良い事あるよ、っていう諺」 間違ってない、よね? ちょっと違うかもしれなかったけど。私がそう言うと、一気に雛苺の顔は 明るくなった。 「いい事あるの~! 今日もきっと、良い一日なのね!」 にこやかに、笑う。笑顔が眩しい。こんな風に笑えたら人生楽しいかも、だなんて。ちょっとだけ 思って、すぐ考えるのをやめた。  徐々にひとが教室へやってくる。 「よぉ、早いな」 「あ、ジュン~! おはようなの~!」 「……おはよう」 誰が相手でも、変わらない挨拶の私達。  桜田ジュン。同じクラスの男の子。雛苺は彼も結構――というかかなり――慕っているので、 同じクラスになってからは必然的に私も一緒に居る事が多くなった。  基本的に彼も、雛苺と同様にひとに対して『良い意味で』気を遣わない。噂によると、かなり モテるらしいのだけど……そんなに冴えてるイメージは、無いんだけどなあ。けれど、一度。私を 『人形』と陰口じみて言っていたひとに対して、本気で怒ってくれた事があった。嬉しいのかどうか は、自分でもよくわからなかった。私自身『人形』と呼ばれることに、それほど抵抗は無かったから。  彼は、ひとに『やさしい』のかも。そんな所がモテる要因なのかな、などと。ちょっとだけ思ったり もしている。 「そういえば、さ。今日って、確か留学生が来るんだろ? 短期留学だったっけ」 「留学生って、外人さん!? 楽しみなの~!」  雛苺の眼がきらきらしている。……あ、星。星が見えてる。ちょっとキレイ。 「……お前なあ。日本人だよ。もともとこっちの出身だけど、向こうで暮らしてるらしいとか」  もうちょっとちゃんと話聞いとけよ、と彼に言われて。『うゅ……』と、雛苺はシュンとしてしまった。 ごめんなさい、ジュン。私も、初耳。普段担任が言ってる事なんて、ほとんど聞き流してしまってい るからしょうがない。  留学生、か。秋口にやってくるのも、随分半端な感じがするけど。海外の学期って、日本と違う システムなんだっけ。 「ところで、薔薇水晶。さっきから反応無いけど。お前も知らなかった、って事は無いな?」 ジト目でジュンに視線を向けられる。 「……問題ないよ」 無難に返した、つもりだったが。思いっきり『やれやれ』と言った感じで方を竦められた。 参ったな。結構、鋭かったりするの? ジュン。 『なんなのジュン~?』と、またしても頭にクエスチョンマークを浮かべている雛苺と。 『お前等ひとの話を聞く癖つけろー!』と言って、がなるジュン。  こんなやりとりは、いつもの事。早起きをした、私が言った台詞をとる訳でもないけ れど。いつも通りの日常が、一番良いものなのかもしれなかった。 「ホームルーム始めるぞー。みんな席につけー」 担任がやってきた。 「今日は前も言っていた通り、留学生が来ます。皆仲良くするように!」 じゃ、自己紹介を、と。促されて、ひとりの生徒が教室の前に立つ。  ざわ……と、教室の空気が動いた。 『えー、あれって日本人……!?』  『きれーい……』  『肌、しろーい』  数々の賛美の声。本当、すごくキレイ。  だけど、私は。まず眼に見える特徴を注視せざるを得なかった。 「……眼……」 私と同じように、眼帯を付けている。違うところは、私は左眼に、彼女は右眼に。 一瞬、私と似ているだなんて。そんなことを思ってしまった。 「雪華綺晶、と申します。短い期間ですけれども、皆様よろしくお願いしますね」 沸き起こる拍手。彼女の口調には、何かこう。お嬢様的な気質を感じさせるものがある。 だけどそれが、嫌味な印象を与えない。清楚という言葉が、良く似合うと思った。 「うゅ~。何だか薔薇水晶と、よく似てるのね~」 近くの席に居る雛苺が、小声で話しかけてくる。  確かに、似ているかもしれない。何故だかわからないけれど、かなり親近感もある。 なんだろう。不思議な、感じ。 「じゃあ、雪華綺晶くんの席は……薔薇水晶くんの隣が空いてるな」 その時。びくっ、と、彼女は震えた様に見えた。そして何事も無かったかの様に、私の隣へ やってくる。 「薔薇水晶、さん、……宜しく、お願いしますね」 「……えと。よろしく……」 話しかけられたので、返しておく。  彼女はふと、笑って。それから教室は、普通に授業へ入っていった。  今思えば。彼女の笑みには少しだけ、翳りがあったかもしれなかった。  『私と似ているかも』だなんて。容姿だけならそうかもしれなかったけど、そんな事は私の 思い上がりだったということを、私はそれから思い知らされることになる。  彼女は、すぐにクラスの人気者になった。容姿が美しいのは勿論のこと。人当たりも良く、 気取らない性格はすぐに受け入れられる事となる。留学生とは言えど、元は日本人なのだ から日本語は流暢で。おまけに成績は優秀、スポーツは万能。いつの間にか『きらきー』と 言う愛称がつき、親しまれている。  私とは、違うな。『人形』と呼ばれてしまう様な私とは……  そんな彼女とは。留学初日の挨拶以来、特に話した事は無かった。  留学初日に日直だった雛苺は、彼女の学校案内やら何やらを任されて。それに巻き込ま たジュンや私も、行動を共にしていたのだけれど。彼らは彼らで親しくなっていた様子だった が、私は一歩離れたところからそれを見ていた。  時折、彼女から視線を感じることはあって。だけど、特に自分から離す理由も無く。今まで 通り、時は刻まれていく。  「ジュン様、お待ちください~」 雪華綺晶が、ジュンの後を追っていく。ジュンは雪華綺晶が留学生だからと言って、別に特 別扱いしたりはしていない様子だった。そんなところがツボなのかどうかわからないが、彼女 は彼によくくっついている。 「教室移動だぞ。もたもたしてると置いてくぞー」 すたすたと歩いていく彼。そんな様子を見ながら、 「ジュンときらきー、仲良しなのね~」 だなんて。雛苺はころころ笑っている。それを遠巻きから見ている私。  疎外感、では無いのだろうけど。あの三人は、上手く『廻っている』から。その場に私は必要 ないんじゃないかって、そんな事を考えたりする。  私と彼女の。立場が入れ替わった、だけ。  雛苺と出会う前の私に、戻っただけだ。ちょっとだけ、胸がきゅっとなる。これが、寂しいという 事なのかな……? 「おい、薔薇水晶! お前も早くしないと置いてくぞー!」 ジュンが振り返って、私に呼びかける。 「そうなの~! ジュンはそういうとこ、”れいこくひどう”なのよ!」 「……雛苺。お前、意味わかって使ってるか? それ」 「うゅ~?」 「誤魔化すんじゃなーい!」 ああ。それでも、彼等なら。私と一緒に、居てくれるのかも…… 「……」 また。雪華綺晶から感じる、視線。人の眼に突付かれるのは好きではないのだけれど、 不思議と今は嫌な感じがしない。その視線に、悪意がないことは、何となくわかるから。 そしてその視線に、少しだけ寂しさが混ざっている。そんな気がして……  私はまた少し、『締め付けられる』。  ある日の昼休み。私は雛苺と二人で、中庭でのんびりとした時を過ごしていた。冬の 割には陽が照っていて、暖かな午後。 「……ねむい……」 「なの~……」  まどろむ二人。このまま午後の授業をサボっちゃおうか、なんて。少し悪い考えが頭を よぎるが、それは彼女には伝えない。『サボるのはめっめっ、なのよ~!』と。怒られる のは、明らかだったから。  雛苺。彼女は私の、一番の友達だろうと思う。最近は、素直にそう思えるようになって きた。 「……こういう時は……」 そして。総動員されていく、私の少女漫画知識。 「!……」 閃く。あ、多分いま、私の頭の上に電球が光ってる筈。 「こういう時は、恋愛のお話……!」  仲の良い女友達とは、恋のお話をするのが常だ(昨日読んだ漫画)。  しかし。そこで思考が一旦途切れてしまう。  何故か。それは、雛苺は私以外にも友達は一杯いるけれど。私にとって身近な異性は、 ジュンしか居ないため。  うううう。ジュン、ジュンは……やさしい。いつも私を庇ってくれるし。……たまに怒られる けど、話していて楽しい、と思えることもある。私は、ジュンともっとお話……したい、かも、 しれない。いやでもでも、ううううう。 「……ねー。薔薇水晶、どうしたのー?」 ……はっ。気付けば私は、独りでうーうー唸っていたようだ。うううう……気を取り直して、 ちょっと遠まわしに話してみようかな。 「……ねえ、雛苺」 「うゅ~?」 「……雛苺は。ジュンの事、好き?」 !……ストレート、すぎる……! 自分の口下手を、今ばかりは少し呪った。全く遠まわしに なっていない。  だけど。それに対する、彼女の返答は。とてもとても、私を上回るほどのストレートさで。 「うぃ! ヒナ、ジュンのこと大好きなのよ~!」 「……」  この『好き』は。私の考えているそれと、ちょっと違うような? 「……えと。じゃあ、雪華綺晶は?……」 「好きなの~! きらきーも、薔薇水晶も、皆大好きなのよ!」 ……やっぱり。彼女の『好き』は、恋愛の話では無く、親愛の情。私はちょっと、溜息をつきそう になるけれど。雛苺なら、しょうがないかな……  そして。今の『しょうがない』は、いつもの諦めた感じとは違うかなあ、と。少しだけ、思った。 「……うん。私も雛苺のこと、好きだよ……」 『わ~いなの~!』喜んでいる。今の私の言葉に、嘘は無い。  ……じゃあ、ジュンは? ……雪華綺晶は? この二人に。私は何か、雛苺とは違った感情があるような。勿論悪い方向ではなくて、もっと 別の―― 『……なんだよー、外は寒いだろ~?……』 『……まぁまぁ。今日はきっと暖かいですよ、ジュン様……』 自分達の裏手の方から、聴こえる声。私の思考は、ここでまた途切れる。 「あ、ジュンなの、むがっ!?」 素早く雛苺の口を覆う。声から察するに、やってくるのはジュンと雪華綺晶。 「……こっそりとやってくる二人。野暮な真似は、ダメ……」  むがむが、と何か言おうとしている雛苺もそのままにして。彼等は私達を探しに来た可能性 もあったが、反射的に隠れてしまった。このシチュエーションは、何かあるに違いない。そんな 私の勘である。ひょっとしたら、愛の告白かも! ……漫画、読み過ぎなのかな…… 「なんだよ雪華綺晶。話があるって」 困惑気味なジュン。『話がある』だなんて。私の勘が当たってるのかな。……あれ。私、ドキドキ してる? いつしか私は、雛苺の口を押さえていた手を離して。彼女は彼女で、彼等を見守る体制 に入った。 「申し訳ありません、ジュン様……お話、というのは」 ゴクリ、と。唾を飲み込んだ。出歯亀という訳でもないのだろうが、かなり緊張する。 「私と、薔薇水晶の事です」 え? 思わず、声をあげてしまいそうになった。 何を……言って、いるの? 冷たい風が吹き始める。私は、雛苺を後ろから抱きしめるかたちになりながら。知らず知らずの内に、 彼女の手を強く握っていた。 ――――――――――― 「私と、薔薇水晶の事です」 言ってしまった。随分と、迷ったけれど。今まで見た感じ、彼は薔薇水晶に対して悪い感情を 持っているようでは無かったし。むしろよく気にかけていて、好意を持っている様にも見える。 信用に足る人物だ、きっと。 「私と、薔薇水晶。はじめに見たとき、どんな印象を抱かれましたか?」 とりあえず、聞いてみる。返ってくる言葉は、何となく予想がついている。 「雪華綺晶と……薔薇水晶? うーん……」 ちょっとだけ考えて、彼は。 「……うん、何だか。雰囲気が似てるよな、二人とも。性格は違うかもしれないけど、  良く似てると思うよ。外見だけじゃなくて」 ああ。このひとは。このひとになら、やっぱり話しても……思わず、笑みが零れる。 「おい、どうしたんだ? 雪華綺晶」 意図を汲み取れて居ない彼が、聞き返す。 「ええ……ありがとうございます、ジュン様。良かった、やっぱり似ているのですね」 安堵。そして、私は続ける。 「似ているのは当然ですわ。……私と薔薇水晶は。姉妹、なのですから」 『え?』という言葉は。その場で実は、三人分ユニゾンしていたことに、私は気づかない。 「彼女は私の事を、……覚えては居ないでしょう。少し寂しいことですけれど」 私は、続ける。このひとには、全てを伝えておこう。 「小さい頃。私達姉妹が、まだ小学生にもなっていない頃の話ですわ……」 ――――――――――― 「……ぷれぜんとー……」 クリスマス。正確には彼女へ向けたものでは無かったけれど、居間のテーブルに置いて あったロボットに、彼女の興味は注がれていた。  卓上ライター。ボタンひとつ押せば火がついてしまうような、簡便なもの。  思えば私が、あの時にもっと彼女を注意しておけば良かったのだと思う。私は、お姉ちゃ んなのだから。  薔薇水晶は女の子ながら、ロボットなど男の子が好きそうな物をよく好んでいた。  私はもっと、彼女を女の子らしい遊びに引き込もうとして。私が持っていた人形の一つを、 彼女にあげた。淡い紫色を基調とした人形が、なんだか彼女にとてもよく似ていて。私の お気に入りだったけど、『女の子らしさ』を彼女に体言してもらおうなどと。子供ながらに思っ ていたのだろう。そうすれば、姉妹で人形遊びが出来るだろうから。  彼女はそれを大層気に入ってくれて、念願の人形遊び――おままごと、とか――を、一 緒に出来るようになった。それでも、彼女のロボット好きが無くなった訳では無かったけれど。  薔薇水晶が遊んでいた、卓上ライターは。部屋を彩っていたクリスマスの装飾に火を点ける のに、充分すぎるものだった。  無論、彼女に。放火の意志が、あった筈は無い。だけど、燃え広がった炎は。私達を包み 込み、行く手を妨げる。 「けほっ、けほっ……おねえちゃん、こわいよー……」 最初は、火種は小さなものだった筈なのに。どうしよう、どうしよう。私が、しっかりしなきゃ…… 「けほっ……だいじょうぶ。おねえちゃんがついてるからね。はやく、おそとにでなきゃ……!」 薔薇水晶を抱きかかえる形で、外へ出ようとする。火の手も大きくなってきた。急がなければ。 「……うぅ……もえちゃうよー……お人形さん、もえちゃう……」 私があげた、人形のこと? そんなに、心配なの……? 「……だいじょうぶ! おねえちゃんに、まかせて……!」 玄関から私達は逃げ出し、彼女を外へ置いて。私は家の中へと踵を返す。きっと、間に合う! 「けほっ、けほっ……あった、お人形……」 部屋に置いてあった人形を手に取り。再び外へ出ようと、部屋の出口を見やる。 「あ……」  火の手が、行く先を塞いでいた。  部屋を埋め尽くす、煙。  何かが、頭の上で崩れる音がして。  私の意識は、そこで途切れた。 『……残念ですが、相当の傷が残るでしょう。右眼の視力も、恐らく……』 『おねえちゃーん! おねえちゃーん! わぁぁーーーーん……』  声が聴こえる。よかった、薔薇水晶。お人形は、無事だったよ…… ――――――――――― 「……私の右眼は、今は視力が無いのですわ」 する、と。私は眼帯を外す。これを外すと言う事は、傷を晒すということ。 「っ! ……」 ジュン様も、驚いている。そうだろう。隠しているとは言えど、この傷は生々しいものだから。 「私は運良く、と言いましょうか。不幸中の幸いで、命を取り留めました」 その代わりに、片方の眼の光を、失った。……けれど。 「けれど傷ついていたのは、私の身体だけではなかったのです」  そう、薔薇水晶は。眼に見える私の顔の傷を見て、酷いショックを受けた。子供ながらに 感じた、その負い目は。果たして、どれほどのものだっただろうか。  幼いこころに刻まれた、恐怖の記憶。そして、私の右眼を潰してしまったのは自分なのだと。 決して彼女のせいでは無いと言っているのに、彼女はそれを聞かず。後から聞いた話だと。 いつまで経っても泣き止まず、手がつけられない状態だったという。  右眼以外にも、頭自体を酷く強打していた私は、長期入院を余儀無くされた。その折、薔薇水晶が 大人に連れられて、私の病室へやってきた。  彼女は眼帯をしていた。私とは反対の、左眼に。 『……薔薇水晶!?……どうしたの、それは!?……』 『……みえないの。こっちのおめめ、みえないの……』 状況を把握していない私に、追い討ちをかける言葉が刺し込まれた。 『……おねえちゃん、だれ?……』  過度の、心因性ストレス。彼女は、恐怖の記憶を。それ以前のものごと、刈り取ってしまった。 そして、彼女の左眼は。外傷は無い筈であったが、検査の結果、全く見えていないという診断が 下されていた。  大人の後ろに隠れて。怯えた様子で自分の方を向いている彼女の姿を見て、私は泣くしか出来 なかった。何か、取り返しのつかないことになったと。そんな事を考えていたのかもしれない。  彼女は。私があげた、あの人形を。ぎゅっと、抱きしめていた。 ―――――――――――  「まあ、大人達の配慮でしたけれども。あのような状態で私達が一緒に暮らすのは偲びない、と言う  ことになりまして」  父親が、丁度海外転勤することになっていたから。私はそれを機に、共に海外へ。随分と、遠く離れ てはいたけれど。薔薇水晶のことを、忘れたことは無い。  眼帯を、付け直す。 「……薔薇水晶は、元気でやっているのかしら、って。ちょっと無理言って、戻ってきちゃいました。  進学自体は一年遅れちゃってますから。同学年で丁度いいかなあ、と思ったのです」  もっとも。この学校へやってきてから初めて交わした、言葉からわかるように。私の事を、彼女は覚え てなどいない。そして、それはそれとして。学校での彼女の評判も、そんなに良いものでは無いように 見受けられた。 「あの娘、『人形』だなんて呼ばれてるんですか……?」 噂で聞いた時は、ショックだった。まるで血が通ってないかのような、そんなイメージを抱かせるのに、 十分な言葉だったから。いや――だからこそ、その後の。 「薔薇水晶……あいつは、人形なんかじゃ、ない」 その、彼の言葉に。私は息を呑む。 「薔薇水晶は、普通の女の子だよ。ちょっと感情表現は苦手っぽいけど。それにしても――」 「"おねえちゃん"なんだろ? 妹の事、そんな風に思っちゃ、ダメだろ」 ええ……その、通りですわ。……ありがとう、ジュン様。貴方に話して、やっぱり良かった…… 「なんで、そんな話を僕にする気になったんだ?」 「ふふ。それはですね……」 ―――――――――――  二人の会話を、私はぼんやりと聞いていた。まるで他人事の、様。雛苺も、ずっと押し黙った ままだった。まだ彼等は話している。だけど、何だか耳に入ってこない。  雪華綺晶が、私の、姉? 私のせいで、右眼が。部屋に置いてある、人形。黒く汚れた、灰 がちの。私の人形。私の。私の。わたしの――  胸が締め付けられる。苦しい。酷く――苦しい。これは――哀しみ? 私は今、哀しんでいる。  だけど、だけど。涙が――出ない。 『私は十分、哀しんだ』。何処かで、思った記憶。私はきっと、それ以来泣かなくなったのだ。 何が『十分』だ。哀しかったのは、雪華綺晶で。私は逃げただけ。逃げただけだ――  いつの間に話しが終わったのか。既に二人は中庭に居なかった。残された、私と雛苺。彼 女は、何もしゃべらない。私はまだ、彼女の手を、握ったままだった。 「うゅ……」 雛苺が、くるりと振り返ってこっちを向く。 「びっくりしたの……きらきー、おねえさんだったのねー……でも」 肩に手を添えて、私をしゃがませる。 「やさしい、おねえさんなの。薔薇水晶と、お人形を。守ってくれたんだから……」 「だから、泣かないで。ね?」 いつの間にか、私の眼からは涙が溢れていた。雛苺の手が、私の頭を優しく撫でる。 「元気が出る、おまじない……」 その感触が、優しくて、優しくて。 「……っ、っ……あり、が、っ……とう……」 その日、私は。本当に久しぶりに、泣いた。 ―――――――――――  その日の帰り。いつもならば、私と雛苺と、ジュン。そして、最近では雪華綺晶も、一緒の 帰路となるのだが。今日は何故か、雛苺が先に帰ってしまった。雪華綺晶も居ない。 『きょ、今日は用事があるから、先にいくなのー!』 あからさまに挙動は不審であったけど。用事があると言うのならば、きっとそうなのだろう。 「……ふう。じゃ、今日は一緒に帰るかあ」 ジュンに促されて、私達は一緒に代えることになる。『やれやれ』という言葉が聴こえた気が したが、特に気にしなかった。  帰り道。私とジュンが二人きりになるのは、久しぶりだった。  今日は、色んな事があって。『色んな』と言っても、単に私のこころの中で、上手く整理がつ かないだけなのだけれど。  雪華綺晶が、私の姉で。私のせいで、彼女は右眼の視力を失った。  思い出せない。きっと、忘れてはいけなかったことなのだと思う。もやもやとした感情が、私の こころを覆っていく。  そして、ジュンはと言うと。彼は彼で、雪華綺晶からその話を聞かされている筈なのだから。 私になんと話しかければ良いか、考えあぐねている様子だった。 「……」 無言。何だか、きまずい。何か……何か、話さないと。 「「あの、」」 声が、重なる。 「あ……いや、悪い。お前から話してくれ」 促される。こくん、と頷いてから。私は口を開く。 「……ジュン。私の家、来た事無いよね?……」 『あ、ああ』と。少しうろたえた様子で、彼は答える。 なんとなく、思ったのだ。彼に見て欲しいものが、ある。 「……じゃあ。私の家に、……れっつ、ごー……」 無理矢理引っ張っていく。え、と。かなり緊張してる。けれど、彼は。もう全部、知っているから。  家へ着く。私の部屋へ、彼を招いた。  部屋は、基本的に殺風景だ。装飾などは好まないので、普通で言う『女の子らしいお部屋』とは 呼び難いかもしれない。けど、部屋の片隅には。あの人形が、ぽつんと置いてある。黒く、灰がち になった人形が。  これは、私だ。私の、分身。今まで捨てることも出来ずに。辛さから逃げ出し、薄汚れていった人形。  そしてそれが、彼に見てもらいたいものだった。  私は人形を手に取り、ジュンに差し出す。彼は何だか、驚いている様子。 「……この、お人形、……」 何て言おう。私は彼に、何を伝えればいい? この人形を、手に持って。言葉が、続かない。 「……お前。覚えて、たのか?……」 そう聞いてくる彼に、私は首を横に振る。激しく、激しく。『逃げた』私は、覚えていないのだから…… 「……今日、中庭で。二人の話、聞いちゃったの、……」 そう答えるのが、精一杯。 「……そうか」 そう言って。少しだけ、彼は眼を伏せる。 「じゃあ。これが、あの時の人形、なんだな」 彼は人形を手に取る。暫く、まじまじと見つめていた。……なんだろう? 「これ、薔薇水晶と似てるよな」 !……ジュンから見ても、そう見えるのか。そうだろう。そうだろう、けど……私は少し、『締め付け られた』。 「ちょっと、待ってろ。すぐに戻ってくる」  彼は部屋を出て行った。突然だったので、『え? え?』といった塩梅で。見送る位しか出来 ない。窓から見える、彼の後ろ姿。急いで駆けていって、すぐに背中は見えなくなってしまった。 「……」  独り、部屋に残される。 「……」  チッ、チッ、チッ。時計の秒針が、刻まれる音しか聴こえない。  独り、の空間。 「……寂しい、なー、……」  今日、一度涙を流してしまったから。何だか涙もろくなってしまったかもしれない。少しだけ、 泣いてしまう。私は、私は……どうすれば、いいだろう。  顔を伏せていると、玄関からインターホンの音が響いた。彼が、帰ってきたのだろう。 「……おかえり」 涙を拭いて、彼を迎える。 「……?」 息を切らせている彼は、何かを手にしていた。……箱、だろうか?  「はぁ、はぁ……薔薇水晶。ちょっとその人形、貸して」 私から人形を受け取り、床に座る。彼は箱から何かを取り出した。……お裁縫の、道具?  彼は。針と糸、そして布を取り出して。何やら繕い始めた。 「……」  魔法、を見ているようだった。破れた服が、直されていく。 「……すごい……」 薄汚れていた人形は。その姿を、綺麗でかわいい『お人形』へと変えていった。きっと、 初めてこの人形を雪華綺晶から受け取った時。これはもともと、こういう姿をしていたの だろうと――そう、思わせてくれる様な。 「薔薇水晶。そりゃあ、あんな話を聞かされたらショックだろうけど」 繕いながら。彼は口を開く。 「お前は。……お前自身は。どう、したいんだ?」 どう、したいか。わからない。私には、わからない―― 「出来たぞ」 ぽん、と。人形を受け渡された。繕っていた時間は、あっと言う間という訳でも無かったし。 流石に、完全に綺麗になっていた訳では無かったけれど。  私はそれに、魅入ってしまった。 「な? なんだか似てるだろ、お前と」 ジュンは、笑みを浮かべながら言う。人形も、微笑んでいる。私はこんなに、かわいくはないよ…… 「……」 何も答えられない私に、彼は言葉を続けた。 「確かに、似てるんだけどな。お前はもともと、かわいいし」 「なあ、薔薇水晶。前も言ったかもしれないけど」 「この人形とは似ていても……」 「お前は、人形じゃあ、無い。こころが、あるから」 答えられない。私は答えられない。 「お前が、素直に思ったことを。雪華綺晶に、伝えればいいだろう」 「あいつも何だか寂しがってるし。――それに」 「それに、昔どんな事があっても。雪華綺晶は、お前の『お姉ちゃん』なんだから」 ―――そうだ。彼女は。雪華綺晶は。私の、お姉ちゃん。 「泣くなよ」 ぽん、と。彼が私の頭に手を添える。また私は、泣いてしまったようだ。 「……うっ、っ、……だって……」 止まらない。けれど、今は。哀しいという気持ちに支配されて、泣いているのでは ないような気がする。 ――涙は。哀しく無い時にも、流れるのか――  ありがとう。ありがとう、ジュン。  暫くそうやって時間が流れて言ったけれど。やがてジュンが、ぽつりと零した。 「……うーん。さりげなく言ったけど、ここまで丸無視ってのもなあ……」 ぽりぽりと頭を掻きながら。……あれ。どうしてそんな、顔紅いの? 「いや、その。薔薇水晶のこと『かわいい』って言ったんだけど」 ……あ。そう言えば。 『お前はもともと、かわいいし』 ぼっ、と。今度は私の顔に熱が集まるのがわかった。まずい。多分いま、まっかっか。 「あー、うん。嘘じゃ、ないぞ?」 そっぽを向いて、彼は言った。それに対する、私の返答と言えば、 「……ずるい」 だなんて。何とも、気の効かない言葉だったのであって。  本当、ずるいなあ。なんか優しいところを見たと思ったら、そのうえ褒めてくれて。 私の事を、『人形じゃない』と言ってくれた男の子と。ちょっとだけ、親密になれた の、かなあ…… ――――――――――――――  <少しだけ。時間を遡った、お話し> 「なんで、そんな話を僕にする気になったんだ?」 「ふふ。それはですね……」  昼休みに呼び出しておいて、こんな重い話を聞かされたのだ。ジュン様の疑問も、 当然のことなのだろうと思う。 「――ジュン様には。伝えておきたかったのです。  貴方は薔薇水晶――私の妹に、特別な感情を、抱いていらっしゃいませんか?」  なっ、と。一瞬うろたえる彼の姿を、私は見逃さない。やっぱりね。顔が紅くなって いるのも隠しきれてませんわよ、ジュン様。  普段から、彼の様子を見るにつけて。彼は妹のことを、よく気にかけている様だった。 多分彼の性格ならば、誰にでも優しいに違いないと思う。だけど、妹には。何かこう、 優しさに加えた感情を込めた接し方をしているように思えた。  三学期が終われば。私は留学を終えて、また日本を出なければならない。もう、妹に ついていられる時間も残り少なかった。いつまでも見ていたいけど――そうも、いかない。 「いえ、それを咎めようと言う訳では無いのです。貴方がもしそう『想っている』ならば、  という具合でお話しを進めますが――」 ちょっと待てー! という声は聞かない。結構強引でしてよ? 私は。 「お願いです。お聞き下さい、ジュン様」 ぐむ、と。彼は押し黙ってしまった。 「薔薇水晶は――寂しがってなどはいないかもしれませんけど。貴方なら。『あの娘そ  のもの』を見てくれる貴方に――」 「あの娘の傍に居てあげて欲しい、と。そう、思ったのです」 「……」 彼は、暫く何も答えなくて。そしてやがて、口を開いた。 「……優しいんだな、お前は。けど――」 「お前達、姉妹が。今のままで――お前の優しさが、あいつに伝わらないのは……  少し、違うんじゃないか」 『僕が薔薇水晶をどう思っているかってのは、置いといてだな』なんて付け足しをして。 それは、そう……私もあの娘と、話したい。けど、それは。きっと私の役目では、無い のだと思う…… 「お気遣いありがとうございます、ジュン様。貴方はやっぱり、やさしいのですね」 全ては伝えていなくても。心からの言葉を、今は返す。 「……そうですね。それはそうと、ジュン様。きっとあの娘も、貴方の事を結構好いて  いると思いましてよ?」 なんでまたその話になるんだ! という声は、またしても無視。だから、結構強引なので すってば。  ……それに。こうやって話を続けなければ。私が貴方の優しさに、包み込まれてしま いそうで。もっとその気持ちを、どうかあの娘に向けて下さい…… 「薔薇水晶は、あれで引っ込み思案なところがありますから。表にこころを出すどころか、  自分でも無自覚な可能性もございますわ」 「……ですから、ジュン様。アプローチは積極的にするのが、良いと思います」 「……参った。降参。……だから勘弁してくれ、雪華綺晶」 ふふ。奥手なのは、あの娘だけじゃないようですね。 「今日は私、雛苺と一緒に帰りますわ。だからジュン様は、あの娘と一緒にいて下さいまし」  私のお膳立ては、ここまで。余計なお節介もいいとこなのだろうけど。せめて、薔薇水晶。 あなたには、笑っていて欲しいの。あなたは、人形なんかじゃ、無いんだから。  本当は。薔薇水晶がジュン様を好いている、という事には、もう少し違った確信があって。  私達は、姉妹。男のひとの趣味も、似通っているのですわ――  ただ、それは、伝えない。それで良いと思う。私の代わりに、どうかあの娘を。宜しくお願い しますね―― ――――――――――――――  次の日。朝、ジュンと顔を合わせるのは恥ずかしかったけど。しょうがない。…… しょうがない、しょうがない!  彼が教室へやってきた。 「……お、おは、よう……」 !……声が、裏返った……! 私の馬鹿……! 「おう、おはよう」 ぽん、と私の頭に手を置いて。わたわたしている私を尻目に、彼は挨拶を返すのだった。 ああ、恥ずかしい…… 「おはようなの~!」 「おはようございます」 雛苺と雪華綺晶も、教室へ入ってくる。 「……おはよう」 挨拶を返してから。私は雪華綺晶の……お姉ちゃんの。顔をじっと、みつめた。 「あ、おはようございます、薔薇水晶さん……」 ちょっと、たじろいでるみたい。それだけ私が、彼女に対して壁を作ってきたということ。 「……さん、いらない」 「え?」 「……呼び捨て、でいいよ……きらきー」 私以外のその場に居た三人が、眼を丸くしている。それはそうか。いきなり『きらきー』だからなあ…… 私自身、ちょっと恥ずかしいかも。  彼女は、私があの時中庭に居たことを知らない筈で。ジュンはジュンで、その事をお姉ちゃんには 言ってないようだから。とりあえず親しみを込めて、『きらきー』と呼んでみることにした。 「……ええ、おはようございます、薔薇水晶」 「……うん。おはよう、きらきー」 まだ私は、お姉ちゃんに向かって『お姉ちゃん』と呼べないような気がする。私の中で、記憶はやっぱり 抜け落ちたままなのだろうし。ただ、今は。前よりももっと親密に、なりたいと思う。だから、こころの中 で『お姉ちゃん』と、呼んでいる。  私達の隣で。ジュンと雛苺は、微笑んでいた。ありがとう、二人とも。  お姉ちゃんも、笑顔。私も、今。皆からすれば、笑っているように見えるかな……? ――――――――――――――    楽しい日々だった。あの時私が中庭に居たのは、何かの運命だったのかも。確かに辛くも思った けれど、それでも……良かったと。そう、思える毎日。  そうして、三学期が終わって。お姉ちゃんは、また海外へ戻ることになった。まだ外は肌寒いけど、 春は近い。空港へ行く途中に、電車内から見えた桜が、美しかった。  いつものメンバーとなった三人で、見送りに行く。私は、小脇に荷物を抱えながら。 「うゅ~……きらきー、外国でも元気でねー……ヒナ、お手紙かくから……!」 雛苺は、愚図って泣いている。その気持ちは、今の私ならよくわかる。私もすごく、寂しい。 「ありがとう、雛苺。私もお手紙、書きますからね?」 よしよし、と。彼女の頭を撫でるお姉ちゃん。あ、いいなあ…… 「薔薇水晶……あなたも、お元気で」 うん。私、がんばる…… そして。 『ところで。ジュン様とはうまくいってますか?』 小声で、私の耳元で囁かれた。 「……~~~~~」 ああ……お願いだから、人前で顔を紅くさせないでー…… 「……雪華綺晶。お前、薔薇水晶に何か変な事言ったか?」 私の様子がおかしいのを見て、ジュンが話に入ってきた。ああ……この顔、絶対気付いてるよー…… 恥ずかしさで泣きそうになってる私を見ながら。 「なんでもありませんよ? ジュン様。うふふふ」 笑っているお姉ちゃんなのだった。 「そうだ、薔薇水晶……これ、良かったら差し上げますわ」 「……?」 すっ、と首の後ろに手をやって。彼女は首飾りを私に手渡す。 「指輪……ついてる」 淡い、紫色の紐に通された、指輪。 「ちょっと私には、径が大きすぎたんですの。ネックレスみたく、つけてましたけど」 私の愛用なんですのよ? と言って微笑んでいる。 「……いいの?」 通された銀の輪は、安物には見えない。 「いいんです、薔薇水晶。是非もってて下さると、私もありがたいですから」 お姉ちゃんからプレゼントを貰うのは、これで二つ目。 「……じゃあ、きらきー。プレゼント、交換……」 私が荷物から取り出すのは。勿論、あの人形。ジュンに直してもらって、綺麗になったお人形…… 「……私と、似てるんだって。ジュンが、そう言ってくれたの……」 「……汚れたり、破れたりしてたんだけど……それもジュンが、直してくれたから……」 ぽりぽりと頭を掻きながら。私の言葉を聞いている彼は、何だかバツが悪そうだ。 「これは……これは、私が――」 言い終わる前に。私はお姉ちゃんの唇を、人差し指でぴたりと抑えた。 「……じゃあ。きらきーが帰ってきたら。また、プレゼント交換、しよ?……」 「……このお人形も、私の、愛用だから……」 「……私も、きらきーが帰ってくるまで、ネックレス、つけてるから……」 「……大事に、してあげて。約束、っ、……ね?……」 涙。私、泣いてばっかりだ…… 抱きしめられる。お姉ちゃんも、泣いてる。 「ありがとう、っ、ひっく、ありがとう、薔薇水晶……」 ――――――――――――――  飛行機が、発っていった。 「行っちゃったなあ……それにしても、薔薇水晶」 「……何?」 「うん、なんていうか、その……良かったのか?」 ジュンが『良かったのか』と言うのは。私が結局、最後まで『お姉ちゃん』と、声に出さなかったこ となのだろう。 「……いいの、今は。だけど、いつか……」 そういう風に呼べる日が、くればいいな…… 街へ戻ってきて。 「じゃあ、ヒナの帰り道、こっちだから。バイバイなの~!」 また春休みも遊ぼうね~、と言いながら。雛苺は先に行ってしまった。 「あいつは……あの気の遣いよう。絶対、雪華綺晶の影響だな」 やっぱりそうなのか。前に彼女と話したときに、『"おとなのれんあい"って、奥が深いのね~』とか 言ってたので。思わず食べてたシウマイを噴出しそうになってしまったことがあった。 お姉ちゃん……雛苺に変な事、教えてないよね?  二人になった途端、変に意識してしまって。紅くなってしまう。というか、ジュンの顔も紅いよ…… 「「あの、」」 被った。ああ、もう…… 「……どうぞ。ジュンからお先に……」 「お、おう」 促されて、彼はポケットから何かを取り出した。小さな、箱。 「や。雪華綺晶に、先越されちゃったんだけどさ……」 箱に入っていたのは、指輪だった。 「良かったら。つけてくれよ、な」 ああ。また、泣きそう。私、泣き虫だったんだ。今の自分の顔を、鏡で見るのが怖い。 たぶん、ゆでだこ並…… と、幸せな気分には。そんなに長く、浸らせてくれないようで。 「……入らない……」 薬指につけようとしたのだが。指輪の径が小さくて、入らない。……泣きそう。そんな私の 様子を見て、途端にジュンは慌て出す。 「え!? え!? しまった……! こ、小指にはゆるすぎるな……」 『華奢だから、七号サイズだと思った』という言い訳。 「……そんなー……お姉ちゃんなら、まだしも……ううう」 ちょっとぐちってみる。 「ご、ごめん薔薇水晶……くそ、返品するか。……かっこわるいけど」 返品、はいやだなあ。折角貰ったのに…… 「……うーん…………………………!」 そうだ。ピコン、と。いつもの閃き電球。 私は首の後ろに手を回し、お姉ちゃんから貰った首飾りを取り外す。 「これに、通しておく……」  私はジュンと、手を繋いで歩く。丁度、桜は満開になろうとしていた。この桜 も、いずれ散ってしまうだろう。だけど、今は。待ち望んでいた春がそこまで来 ていることが、なんだか嬉しい。  「ジュン、ちょっと先に行ってて……」  手を離し、彼を先へ行かせた。すぐに追いつくからと、私はその場に立ち止まる。  『振り向かないで、歩いてて』。私のお願いに彼は少し困惑気味だったけれど、  了承してくれたようだった。  先を行く彼の背中を見つめながら。  私は左眼の眼帯に手をかけて――それを、外す。  「……」  まだ、見えない。私の左眼は、まだ光を、映さない。    けれど。もう、隠すのはやめよう。私は――人形なんかじゃ、ないんだから……  お姉ちゃんが、戻ってきたら。また一緒に暮らしたいな。  この眼がいつか、見えるようになったなら――その時は直接、『お姉ちゃん』って。呼ぶの……  そして、私と、雛苺と、お姉ちゃんと、――そして、ジュンと。  また、皆で遊ぼう――  「……」  両目、閉じる。  ちりん、と。首元で金音が、響いた。私はそれを、ぎゅっと握り締める。  首飾りの紐に付けられた、大きさの違う、二つの銀の輪。  ひとつは、契り。ひとつは、――約束。  いつか見た夢は、哀しかったのだと。今なら、わかる気がする。  これは、その夢の続きでは、無くて……もっと別の。違う『今』を、私は生きているから。  眼を、開ける。  光が眩しい。そして、私は。自分の先に居る後姿を追って、  ――走り、始める。 【夢の続き】~ドール~ おわり

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