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ほっしゅほしゅ」(2010/01/25 (月) 20:18:35) の最新版変更点

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<p>ええ、そうです――<br /> 疲れていると誰でもわかる声で答えながら、眼鏡を外して目頭あたりを揉む。<br /> 受話器の向こうからは、ふむぅと外国人特有のうなずきが聞こえ、<br /> 「Tante Grazie――ありがとう――、 ジュン」<br /> 明るい声の調子と共に地中海の匂いを乗せた風もやってきそうな感じだ。「ジュン、相当疲れが溜まっているようだけど」<br /> 「あぁ、少しね。彼女に会う時間さえないぐらいだよ」<br /> 能天気な彼でも気づいたのだろう、一応心配しているような言葉をかけてくるが、実際はそんなことはない。<br /> 多分、電話の向こうではいつもの笑顔を振りまいていることだろう。<br /> 「彼女を置いて仕事なんて、俺には出来ないね」<br />  こういったところは国民性をよく表していると思う。一途だ、と言い張る割には彼女や奥さんに見つからないところで旅行者を口説いている奴にそういうことを言われる筋合いはないと心の中で呆れていた。<br /> 「その言葉、今度奥さんに伝えておくよ」<br /> 僕は一番効く言葉を告げて、ふふっと笑った。<br /> これを言ったときの彼の焦りようは異様なほどだ。やはりどこの国でも奥さんには頭が上がらないのだなとつくづく感じる。<br /> 「それだけはやめてくれ! 何だってするから、それだけは!」<br /> 「嘘だよ。またそっちに行く時に連絡するからさ」<br /> 彼は大袈裟すぎる溜息をついて安心したように、<br /> 「考え直してくれてありがとう。会えるのを楽しみにしてるぞ」<br /> そして最後に一言付け足し、<br /> 「もし彼女に愛想を尽かされたら、こっちへ来い。いい人紹介してやるから」<br /> 「余計なお世話だよ」<br /> 投げるように受話器を置きながら大きく息を吐いた。<br /> けれど、実際にイタリアには美人が多すぎる――これが僕のイタリアに対する印象の一つ。食べ物もおいしいし、町並みも景色も全て美しく、そこに佇む女の人が何より綺麗なのだ。デザイナーとしての本拠地をイタリアに置いたのはそういう理由もあってのことだった。<br /><br /> 「駄目だ、やっぱり疲れてる」<br /> 僕は余計な思考をやめ、ベッドに潜って強く目を瞑った。仕事が忙しいと彼女に告げてから2ヶ月以上も経つ。その間は一度も連絡をとっていないし、そろそろ愛想を尽かされてもいい頃だ。<br /> 「何せプライドが嘆きの壁より高い人だからなぁ」<br /> きれいすぎる机の上には、イタリア行きのチケット。あさってにはまたイタリアへ舞い戻らなければいけない。<br /> 待たされるのが大嫌いな彼女は一緒に来てくれるだろうか?<br /> 「駄目だったら……」<br />  いい人でも紹介してもらおう。<br /> 瞼の裏には、太陽に反射してきらきらと輝く地中海の鮮やかなマリンブルーが広がっている。<br />  そんな綺麗な景色には、やはり彼女しか似合わない。<br /><br />  次の日の朝、冬将軍が猛威を振るったおかげで久々に寒さで目が覚めた。布団の中だというのに思わず身震いしてしまうほど。<br />  閉め切っているカーテンの隙間から太陽の光がこぼれてきているということは今日は晴れらしい。<br />  気の抜けたような欠伸をしながら脇に置いていた眼鏡をとってかけた後、ぼさぼさの髪の毛と髭を整える為に洗面所へ向かった。鏡に映った自分はどこからどう見てもデザイナーとは程遠い姿をしている。<br />  こんなところを彼女に見られたら、<br /> 『そんな汚らしい姿は主人として恥ずかしい限りだわ』<br /> なんて言うに違いない。自分ではちゃんと整えているはずなのだけど、あらゆる人にいろいろと注意されるのは駄目な証なのだろう。そしてその時に決まって言われることは、<br /> 『早く結婚して奥さんに直してもらえ!』<br /><br />  一通りし終えた後は軽い朝食を作り、大したことの無いニュースを見ながらそれを口に運んでいた。明日、日本を発つというのにこんな国内のニュースを見てもしょうがない。<br />  今はそんなことより、どうやって彼女に連絡を取ろうかと考える方が大切だ。今さら電話やメールなんかをしても応えてくれるとは到底思えない。<br /> 「まぁいいや。何せ告白したのも駄目もとだったからな」<br />  頭よりも指が覚えている彼女の電話番号。画面に表示されたのを確認すること無く、僕は通話ボタンを押した。<br />  プルルル…… 無機質な呼び出し音の間、僕は駄目もとで望んだ告白の時へと記憶の扉を開いた。<br /><br />  僕が真紅に告白したのは今から6年前、ちょうど20歳のときのことだった。<br />  小中高と同じ進路を歩み、幼馴染み以上恋人未満という言葉がぴったりあてはまるような曖昧な関係が続いていた。<br />  いつでも真紅の隣にいたせいか、真紅に告白する男子からは、<br /> 『お前と真紅さんって付き合っていないんだよな?』<br />  いちいち確認までされる始末となるほど。そのときは恋愛感情を抱いてはいなかったけれど、見てて楽しいということはない。心の中でどこか焼きもちを妬いていたのかもしれないと今は思う。<br />  そして、大学も通い始めて2年ほどが過ぎた頃。<br />  秋も深まり、銀杏の葉が黄金色に輝きながら舞落ちる遊歩道で僕は隣を歩く真紅を呼び止めた。<br /> 「どうしたのジュン?」<br />  振り返る真紅の美しい金色の髪の毛が夕日の光に反射して眩しく感じる。<br /> 「あのさ」<br />  この季節には浮いている、二つのサファイアブルーの瞳が僕を捕らえる。全てを見透かすような澄んだ瞳で。<br /> 「こんな台詞、真紅は言われ慣れてるかもしれないけど… 」<br />  大きく息を吸い込んで、いつもの倍ほど早いスピードで鼓動を打つ心臓を落ち着かせる。<br /> 「僕が真紅のことを好きっていう気持ちは世界中の誰より負けないと思う。10年以上も一緒にいて今更って思うかもしれないけど、それでも今までお前に告白してきた奴らなんかより、ずっとずっと真紅を幸せにする自信がある」<br />  考えていたこととは全く違うことをこの口は喋る。いきなりの告白というのに真紅は驚いた顔もせず、ただじっと僕を見つめている。 <br /><br /> 「その言葉って」<br />  ふと口を開く真紅。手を頬に当てて首を傾げ、<br /> 「どちらかと言えば、告白というよりもプロポーズに近いわ」<br />  冷静かつ真っ当なご指摘を受けた僕は緊張の糸が切れた為か、一気に肩の力が抜けて崩れた。聞きたいのはそんなことじゃない。複雑な気持ちを隠しながら、顔には苦笑いを浮かべた。<br /> 「そういうことには慣れてないからさ、どんなこと言えばいいかわからないんだよ」<br /> 「でも、嬉しかったのだわ」<br /> 「――は?」<br />  一瞬、耳を疑うような真紅の嬉しそうな声と共に聞こえた言葉。それを裏付けるように、目の前の美女は蕩けるようなほどの笑顔だ。<br /> 「ジュン、私も愛してる」<br /> 「あっ、ああ」<br />  人目を憚りもせず抱きついてくる真紅を受け止め、その華奢な体を壊さぬようにそっと抱き締めた。<br />  恥ずかしさと真紅への愛を天秤にかけるわけにもいかず。<br />  。僕だけがそこから逃げるように真紅の手を引っ張り、積もった銀杏の葉を払いながらベンチへ腰をかけた。<br /><br /> 「そんなに疲れた表情をしなくてもいいのではなくて」<br /> いつもより少しだけ声のトーンを落として、拗ねたようにそっぽを向く彼女。<br /> 「してないよ。僕の頭の処理速度じゃ追いつけなかっただけ」<br /> 「その声からして疲れているとわかるのだわ」<br /> 秋にしては肌寒い風が顔を撫で、彼女の言葉もさらに冷たく聞こえる。まだ告白してから20分ほどしか経っていないというのに、もう危機を迎えているなんて嫌な話だ。<br /> どう声をかけていいかもわからずにただ狼狽える僕に、やっと彼女は振り向いてくれ、<br /> 「御免なさい、あなたのせいで少しおかしくなったみたい」<br /> 困惑と喜びを混ぜたような中途半端な笑顔を見せてくれた。彼女の陶磁器のように透き通った白い肌を紅くさせたのは僕のせいだろうか。<br /> 「真紅のそんな顔を見るの初めてかもしれないな」<br /> 「う、うるさいわね。当たり前でしょう」<br /> 大好きな人からの告白なんだもの、こっちが恥ずかしくなる台詞を簡単に彼女は言ってしまう。<br /> 彼女が美しいなんてことは随分前から知っている筈なのに。思わずその横顔に見とれてしまった。<br /> 「ジュン」<br /> 「ん?」<br /> 「幸せにしてくれるかしら」<br /> 「当たり前だろ。僕にしか真紅を幸せにできないんだからな」<br /> 夕日に照れされ、遊歩道に浮かぶ二つの影は一つになる。<br /> 予想はしていた。彼女とのキスは甘いだろうと。<br /> けれど、全ての物事はいつも予想の遥か上をゆく。<br /> 甘すぎるのだ、唇から体が溶け出していくような錯覚に陥るほどに。<br /> あぁ、と僕は思った。<br /> それほどまでに僕は彼女に心を奪われていたのだと。それもずっとずっと昔から。<br /><br /> 僕が記憶の海から現実へと引き戻されたのは呼び出し音がぷつりと切れ、聞き覚えのある懐かしい声が聞こえてからだった。<br /> 「もしもし?」<br /> 「あぁ、ごめん。久しぶりと言えばいいかな」<br /> 「久しぶり、なんて言葉じゃ足りなさ過ぎるのだわ」<br /> どれだけ待っていたかと綺麗な言葉遣いで延々と彼女は語り、<br /> 「猫の手も借りたい程に忙しいあなたが連絡だなんて珍しすぎるわ。何かあるんでしょう?」<br /> まるで会って話をしていると思うぐらいに心を読まれている。これは流石というべきところだろうか。<br /> 「何年付き合いしてると思っているの」<br /> また読まれた。どう足掻いても勝てる相手ではない。まさか勝負なんて仕掛ける勇気なんか全くないが。<br /> 「いきなりで悪いけど、これから会えないか」<br /> 「これから?」<br /> 「忙しいならいいよ。ただ会いたかっただけだから」<br /> しばらく彼女は考え込んでいるようで、互いの電話を沈黙が支配する。<br /> 「どこに行けばあなたに会えるのかしら?」<br /> 「会ってくれるんだな」<br /> 「だって会うしかないでしょう。普段はそんなこと言わないじゃない」<br /> 苦笑まじりに聞こえる声の様子からして、一応は不機嫌ではないらしい。<br /> ほっとしたのがばれないように取り繕い、あとで迎えにいくと告げて電話を切った。<br /> 白い壁にかけられた時計を見る。まだ11時も来ていない。<br /> 明日の今頃はちょうど飛行機の中だろう。隣に彼女がいるかどうかは想像の範囲外でわからないけれど。<br /> 「出来ればチケットが無駄にならなきゃいいけどなぁ」<br /> 窓の外で雀が陽気に鳴いている。<br /><br /><br />  終わり</p>

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