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【みっちゃんの野望 覇王伝】中編」(2009/08/08 (土) 20:37:25) の最新版変更点

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<p>会場ホールの壁際に近づくにつれ、人混みも稀薄になってゆく。<br /> ようやく過度の緊張状態から解放されそうな予感に、ボクの足取りも軽くなった。<br />  <br /> ――と、なにげなく眼を向けた壁際に、意味不明な机の列が……。<br /> そこは閑散としていて、休憩スペースか資材置き場の様相を呈していたが、どうも違うようだ。<br /> なんだろう? 首を捻ったところで、ふと、みっちゃんの声が脳裏に甦った。<br />  <br /> 「そうそう。『壁』と呼ばれる、特別な売場があるって言ってたっけ」<br />  <br /> なんでも、ここに配置されるのが、超人気サークルのステイタスなのだとか。<br /> 真偽のほどは確かでないけれど、一日で百万円以上も売り上げがあったり、<br /> 開場して二時間と経たない間に、完売御礼となったりするらしい。<br />  <br /> 「これ……どこも、もうみんな完売したってコト? すごい勢いだなあ」<br />  <br /> どのサークルのスタッフも、既に撤収した後みたいだ。<br /> よくよく見れば、即興と思しい『完売しますた』のポップが置いてある机も、ちらほら。<br />  <br /> わずか半日ほどで、どのくらいの部数を売り切ったんだろう?<br /> みっちゃんのところも、売れ行きは上々に思えたけれど、こっちは桁が違うらしいね。<br /> 今日が初参加のボクなんかには、とても想像がつかない。<br />  <br /> 「いつか、みっちゃんのサークルも、『壁』に配置される日がくるのかなぁ」<br />  <br /> そんな光景を思い浮かべてみて、少しばかり頬が緩んだ。<br /> もしも、この妄想が現実のものとなった暁には、花束と讃辞ぐらいは贈呈しよう。<br /> コスプレ売り子を頼まれても、慎んでお断りさせてもらうけどね。<br /><br /> そのまま壁際に近づいて、開放されたシャッターを潜って外に出る。<br /> 一口にシャッターと言っても、その実、4tトラックでも楽に通り抜けできる大きなものだ。<br /> このサイズの通用口が、壁伝いにいくつも設けられ、開催期間中は通気口の役割を果たしていた。<br />  <br />   <br /> 会場を出た途端、むわっとした、生温くて潮くさい空気に包まれた。<br /> 裏手には灌木の植え込みもあったけれど、海風を遮るまでには至っていない。<br /> それどころか、かえって風通しのよくない、空気の澱みがちなエリアを構築してしまっている。<br /> これは……正直、長居したくはない環境だ。<br />  <br /> 見渡せば、一般客も、より風通りのいい海辺の公園を休憩場所に選んでいるらしい。<br /> と言うより、この付近で座り込んで屯していると、運営スタッフに注意されるみたいだね。<br /> 騒がしいのが好きじゃないボクとしては、願ったりなシチュエーションだ。<br />   <br /> 「ん~。慣れない服を着て、慣れないことしたせいかな。肩が凝ってるし、腰も痛いや」<br />  <br /> それに、全身の筋肉が、無駄に張ってる感じ。緊張しまくりだったからね。<br /> 両腕を大きく広げ、上身を左に右にと捩れば、背骨が小気味よい音を立てた。<br /> 続いて、前屈や屈伸、軽めのストレッチで身体の強ばりを解してゆく。<br />  <br /> 「あぁ……」<br />  <br /> リラックスしてきたのが分かる。意識しないところで、吐息が漏れた。<br /> そのせいなのかな、聞き慣れた自分の声と、少し違うような……?<br /> 不可思議に思いつつも、ゆっくりと首を回していたところに、またもや声が。<br />  <br />  <br /> 「ああ、もぅイヤ! 付き合ってられないわ、バっカみたい!」 <br /><br /> 一応、断っておく。ボクは息を吐いただけで、毒舌までは吐いてない。<br /> それなら、今の乱暴な物言いは、誰の? 首を巡らすと、声の主は思いがけず近くにいた。<br /> 建物の陰に隠れるようにして、なにやら地団駄を踏んでいる。<br />  <br /> それは、斜に構えた様子が絵になるだろう、見目麗しいコスプレイヤーの女の子だった。<br /> 歳の頃は、ボクとそう違わない感じ。流れるようなプラチナブロンドは、ウィッグ?<br />  <br /> 「うわぁ。また、ずいぶんと派手な格好だね」<br />  <br /> その娘は、全体的に淡いピンクを基調とした、目立つ服装をしていた。<br /> 魔法使いのコスプレかな。円筒形の帽子や、クエスチョンマークの付いた杖を携えている。<br /> この暑苦しい中、マントまで装着してるんだから、見ているこっちが辛くなった。<br />  <br /> 口振りから察するに、彼女も売り子の小休止で、ストレス発散に来たのだろうね。<br /> だったら、折角の息抜きを邪魔するのも、無粋というものだ。<br /> 立ち去ろうと、踵を返しかけた矢先――踏んだ小石が、思いがけず大きな音を立てた。<br /> その音で、こちらの気配に勘づいたらしい。女の子はギョッと、ボクの方へと振り返った。 <br />  <br /> 真っ向からぶつかり、絡み合う、両者の視線。<br /> お互いの双眸が、露骨に見開かれていくのが解った。<br />  <br /> 「キミは……」ボクは呆然と、ピンクのコスプレ娘に言葉を投げかける。<br /> 「ひょっとして、水銀燈なの?」<br />  <br /> まさかとは思ったけれど――ひょっとしなくても、同級生の水銀燈だ。<br /> 『なんで、ここに?』見つめ返してくる彼女の揺れる瞳が、そう語っていた。<br />  <br /> 水銀燈が、珍しく狼狽えた素振りを見せたのも、一瞬。<br /> すぐさま取り繕うように、彼女はグロスを塗った唇を、いつもの不敵な嘲笑に変えた。<br /><br /> 「あらぁ? 誰かと思えば、蒼星石じゃなぁい。<br />  ふふ……なぁに、その恥ずかしい格好。バカみたいねぇ。みっともない、みっともなぁい」<br /> 「それを、キミが言うのかい?」<br />  <br /> 揺るぎなく冷ややかに睨み返すと、水銀燈の嘲笑は、たちまち凍てついた。<br /> ばかりか、ボクの無遠慮な視線に気後れしたらしく、両腕を抱いて僅かに身悶えた。<br /> しかし、負けん気の強い彼女は、またも無意味に胸を張って、ぎこちない笑みを作る。<br />  <br /> 「ふ……呆れたおバカさん。貴女と一緒にしないでほしいわぁ。<br />  これは『派手な妖精』のコスチュームだから、恥ずかしい格好じゃないもの」<br /> 「あのさ、水銀燈」<br /> 「な、なによぉ」<br /> 「それって、もしかして…………『はてなようせい』じゃないの?」<br />  <br /> 確信が持てないのは、名前を聞いた憶えがあっただけで、現物を見たことがないから。<br /> 派手という点に関してなら、水銀燈の言うとおりなんだけどね……<br /> でも、彼女のコスチュームに鏤められた『?』マークが、ボクの正しさを証明してるっぽい。<br />  <br /> ――と、水銀燈の顔がボンッ! と音が聞こえそうなくらいに、いきなり真っ赤になった。<br />  <br /> 「う、うるさいっ! ワザとボケたに決まってるでしょ!」<br /> 「ぅわっ?! ちょ、ちょっと!」<br />  <br /> いきなりキレた。今まで、よっぽど恥ずかしいのを我慢してたのかもね。<br /> 水銀燈は顔を紅潮させたまま、子供みたいに『?』マークの杖を振り回し始めた。<br />  <br /> 「バカバカバカっ! ジャンクにしてやるんだからっ!」<br /> 「落ち着いてよ、水銀燈! ダメだってば」 <br /><br /> 赤面ナミダ目で幼児退行しちゃった水銀燈も、なかなか可愛……じゃなくて!<br /> いくら会場の外でも、暴れるのは、他の参加者に対する迷惑行為だ。<br /> まかり間違って第三者に怪我でも負わせようものなら、注意だけでは済まなくなる。<br /> ボクは、水銀燈が振り回す杖を白羽取りの要領で受け止めて、穏やかに語りかけた。<br />  <br /> 「こんな真似してたら、ますます目立つことになるよ。いいのかい?」<br />  <br /> 水銀燈としても、それは本意ではないだろう。<br /> 果たしてボクの見立てどおり、彼女は渋々と矛ならぬ杖を収め、指で目元を拭った。<br /> それから、仕切り直しとばかりに、杖の石突きでアスファルトを叩いた。<br />  <br /> 「ま、まあ……このくらいで勘弁してあげるわ。私にも、いろいろ都合があるしぃ」<br /> 「解ってくれて嬉しいよ」<br /> 「――それで?」<br /> 「えっ、なにが?」<br />  <br /> いきなり訊かれても、なんのことやら。<br /> まごついていたら、水銀燈に鼻先で嘲笑われた。<br />  <br /> 「察しが悪い娘ねぇ。そんな格好をしている理由を、訊いてるに決まってるでしょぉ?」<br /> 「ああ、そういうコトか。実は、ちょっと、知り合いに売り子を頼まれててね。<br />  看板娘だからって、こんなコスプレをさせられたんだよ。キミは、どうして?」<br /> 「私は、イヤだったんだけど」<br />  <br /> 水銀燈は、急に歯切れが悪くなった。<br /> 「めぐが、どうしても参加したいって言うから……仕方なくて」<br />  <br /> その名前には、聞き覚えがあった。柿崎めぐ――水銀燈の、無二の親友の女の子だ。<br /> 会ったことはないけれど、気分屋の水銀燈に、唯一ワガママを押し通せる人じゃないかな、柿崎さんは。 <br /><br /> 「ホントは、ちょっとコスプレしてみたかったんじゃないのかい、キミも」<br /> 「……ばぁか。勝手に言ってなさい」<br />  <br /> 辟易したように吐き捨てられた水銀燈の口調は、それでも柔らかかった。<br /> なんだかんだ言いながら、やはり満更でもなさそうだ。<br />  <br /> 「ところで、キミを未知の領域に誘った彼女は、どこに? 一緒に来たんでしょ?」<br />  <br /> 訊くや否や、水銀燈は大きな溜息を漏らして、小さくかぶりを振った。<br />  <br /> 「人の波に流されて、はぐれちゃったのよ。まったく、鈍くさいったら」<br /> 「すごい勢いだよね。ボクは初めて来てみたんだけど、人の多さに驚かされたよ」<br />  <br /> 会場は、複数のホールに分散されている。<br /> その内の西ホールには、一般企業のブースが配され、期間限定品を物販してるらしい。<br /> ソレを目当てに、殺気立って移動する人々も少なくないと、歴戦の勇士みっちゃんは語る。<br /> うっかりと、その民族大移動に呑まれたら、はぐれるのも致し方ないだろう。<br />  <br /> 「ふぅん? 初参加でコスプレだなんて、貴女にしては大胆じゃなぁい」<br /> 「キミだって、ボクのことは言えないでしょ」<br /> 「まぁね。打ち明けると、私も初参加だし。2度目はないでしょうけどぉ」<br />  <br /> 今度は、素直に認めた。いい加減、片意地を張るのに疲れたらしい。<br /> はぐれた親友も、探さないといけないだろうし。<br />  <br /> 「とりあえず、柿崎さんに、携帯電話で連絡とってみたのかい?」<br /> 「それが……着替えるとき、うっかりロッカーに放り込んできちゃったのよ。<br />  私としたことが、とんだオマヌケだわ。ロッカーの鍵は、めぐが持ってるし」 <br /><br /> 「というワケだから、蒼星石」<br /> 水銀燈は自嘲しつつ、ずいっ! と腕を伸ばしてきた。「ケータイ貸しなさい」<br />  <br /> もちろん、貸してあげたい。困ったときは、お互いさまだ。<br /> でも、お生憎。持っているものならば、という前提ありなんだよね。<br />  <br /> 「いやぁ……ごめんね、水銀燈。実は、ボクも持ってないんだ」<br /> 「はぁ? なんで持ってないのよ」<br /> 「だって、このコスチューム、携帯電話を入れておけるポケットがないんだもの」<br /> 「胸の間に挿んでおけばいいでしょうに。ったく、使えない娘ねぇ」<br /> 「そこまでの保持力と包容力はないってば、ボクの胸……」<br />  <br /> ひどい言い種だよね。自分の失態は棚に上げてさ。<br /> でもまあ、らしいと言ったら、水銀燈らしい手前勝手ぶりだけど。 <br />  <br /> 「とりあえずさ、水銀燈。一旦、会場に戻らない?」<br /> 「……なんで?」<br /> 「ボクのクライアントなら、携帯電話を持っているからね。<br />  かなりの常連だから、こういう場面での的確なアドバイスも、いろいろくれると思うよ」<br /> 「そう……それだったら、つべこべ言ってないで急ぎましょう。 <br />  めぐは病んでイカレてるから、早く保護しないと、いろいろヤバイのよ」<br />  <br /> なにが、どうヤバイのかな? 病んでるというのも、穏やかじゃないよね。<br /> 正直、興味をそそられた。けれど、そこまで。変に首を突っ込まないでおいた。<br /> そういう、おばさんの井戸端会議っぽいのって、ボクらしくないし。<br />  <br />  <br /> さて、ボクと水銀燈、二人揃って、みっちゃんのスペースに戻ったワケだけど―― <br /><br /> 「きゃーっ?! 誰っ? ね、ね、蒼星石ちゃんっ! その娘、誰なのー?<br />  可愛いぃぃー! お持ち帰りしたいぃぃぃ! みっちゃんに紹介してぇぇー!」<br /> 「みっちゃんさん。声が大きいですって……あぁ、鼻血まで……ティッシュティッシュ」<br />  <br /> ……あはは。なんだかね、病んでる人が、ここにも約一名いるんだけど。<br /> まあ、有り体に言ってしまうと、会場にいる人すべてが病……ううん、なんでもないよ。<br />  <br /> 「なによ、この変な女」<br /> 「ボクのクライアントの、みっちゃんさん」<br /> 「どうかしてるわ、イカレてるわ」<br /> 「そう言わないであげてよ」<br />  <br /> 眉を顰め、小声で毒づく水銀燈を、吐息混じりに宥めつつ。<br /> とにもかくにも、狂喜乱舞するみっちゃんを黙らせるべく、水銀燈を指して紹介した。<br />  <br /> 「同級生の水銀燈です。彼女も、これが初参加みたいで」<br /> 「へえー、そうなんだー。その『はてなようせい』のコス、なかなか完成度が高いわね。<br />  製作期間は、どのくらい? 一ヶ月ぐらいかかったのー?」<br /> 「え……と……。わ、私が縫ったワケじゃないから、詳しいことは知らないわ」<br /> 「あれま、残念。いろいろ、コス関連の情報交換したかったんだけどなー。<br />  ああ、それなら同人誌のほうで――」<br />  <br /> みっちゃんは本当に、この手の話題が好きみたいだ。<br /> でも、彼女に合わせていたら日が暮れてしまうね。ほどほどに打ち切らないと。<br />  <br /> 「みっちゃんさん、ストップ。実はですね、電話を貸してほしいんです」<br /> 「ん? なにか、トラブっちゃってる?」<br /> 「私と一緒に来てた娘が、この混雑に呑まれてね。はぐれちゃったのよ」<br /><br /> 「それで、現在地を特定したいってワケね。うん、いいわよ。そういう理由なら」<br />  <br /> さすがは百戦錬磨の兵。話が早い。みっちゃんは自分の携帯電話を差し出した。<br /> ――んだけど、水銀燈が掴む寸前になって、その手をひょいと引っ込めた。<br />  <br /> 「た、だ、しぃ。あたしのお願い叶えてくれたらね、はてなようせいちゃん♪<br />  できれば、他にもプライベートなこととか、いろいろ教えてほしいんだけどー」<br />  <br /> 強みを握るクライアントは、むふふ……と、いやらしく含み嗤った。<br /> うん。なんとなく、予想はついていたよ。こうなるだろうことはね。<br /> みっちゃんにも一応の分別はあるだろうから、突飛なお願いはしないと思うけど。<br />  <br /> 水銀燈が『?』ロッドを振り回したい衝動を抑えているのは、彼女の震える手から察せられた。<br /> 何度かの深呼吸を繰り返して、その試みは成功したらしく。<br />  <br /> 「なによ、お願いって」<br /> 憮然と訊き返す水銀燈に、みっちゃんは陽気なウインクで応じる。<br />  <br /> 「まっま、そんな怖い顔しないでぇ~。銀ちゃんの写真を撮らせてほしいだけだってば」<br /> 「はぁ? ちょ、まさか、この格好を撮ろうっていうのぉ?!」<br /> 「いぇ~っす! ねね、いいでしょ? 一枚だけ! 一枚でいいからっ!」<br /> 「撮らせてあげなよ、水銀燈。キミだって、早いところ、柿崎さんと合流したいんでしょ。<br />  みっちゃんさん、撮影した写真は、転売したりしないですよね?」<br /> 「当然、あたしのお楽しみタイム用よ。ネットに流したりしないから、安心して」<br /> 「…………しょうがないわねぇ」<br />  <br /> 水銀燈が、渋々と首肯したときにはもう、みっちゃんの手にはデジカメが召喚されていた。<br /> 「よしっと、商談成立っ! あ、折角だから、蒼星石ちゃんも一緒にね。並んで並んで~」<br /><br />    ★ <br />  <br /> 撮られてしまったよ……はてなようせいに扮した水銀燈との、ツーショット。<br /> みっちゃんの怒濤のテンションに翻弄されて、流されてしまったんだ。<br /> どうして、ボクはこう押しに弱いんだろう。<br /> いつも、姉さんに押し切られてるから、慣れちゃったのかな。<br />  <br /> まあ、そのお陰で携帯電話を借りられたし、柿崎さんの所在も判明したんだけど。<br /> 知人には、とても見せられない。見られたくない狂態だよ、まったく。<br />  <br />  <br /> 「よりにもよって、コスプレエリアまで流されて行っちゃってたなんてね」<br />  <br /> 黙っていると、どんどん気持ちが腐ってしまう。<br /> 柿崎さんを迎えに行く道すがら、気分転換に、隣を歩く水銀燈に話を振った。<br /> すると、水銀燈は額に手を当てて、憂鬱そうにイヤイヤをした。<br />  <br /> 「ホント、もう付き合いきれないわぁ。めぐの誘いでも、二度と来るもんですか」<br /> 「そうだね。ボクも、次は遠慮したいよ。この空気には馴染めそうもない」<br />  <br /> ボクが同行しているのは、水銀燈が、それを強く要望したから。<br /> コスプレしたまま独りで歩き回るのは、さすがの水銀燈でも気後れするらしい。<br />  <br /> 「話のネタに来るだけなら、一回で充分よねぇ」<br /> 「うん。今日の日記は、このことを書くつもりだよ」<br />  <br /> ボクが言うと、水銀燈はからかうように、右の眉を上げた。<br /> 「日記だなんて、几帳面ね。蒼星石らしいわ」 <br /><br /> 「ずっと続けてるからね。もう生活習慣になっているだけさ」<br /> 「私は、ダメねぇ。そういうの、いっつも三日坊主だしぃ」<br /> 「いいんじゃない? 少しぐらいルーズなほうが、キミらしいよ」<br /> 「……それ、褒めてるのぉ?」 <br /><br /> 怒り出すかと思いきや、水銀燈は鼻で笑って、ボクにデコピンしただけだった。<br />  <br />   <br /> ようやくにして辿り着いた屋外のコスプレエリアは、想像以上に広く、活気に満ちていた。<br /> 夏の強い日射しの下、さまざまなコスチュームに身を包んだ人々が、賑々しく談笑している。<br /> その中には、撮影許可を受けたらしい、腕章を着けたアマチュアカメラマンも、ちらほら。<br />  <br /> 「すっごい熱気。どうして、あんなに夢中になれるのかしら。理解できなぁい」<br /> 「好きだからこそ、だろうね。みんな楽しそうな顔してるよ」<br /> 「たかがマンガでしょうに……バカみたい。くっだらなぁい。呆れたわ」<br /> 「理解できないことを、くだらないと決めつけるのは横暴だよ。あまり感心しないね」<br />  <br /> ボクが言うと、水銀燈は拗ねたように唇をとがらせ、そっぽを向いた。<br />  <br /> まあ、この娘が多弁になるのは、少なからず興味があるときなんだけどね。<br /> 天の邪鬼だから、大概は、逆の意味にとっておけば間違いない。<br /> なんだかんだ文句を並べてる割には、はてなようせいコスを気に入ってるみたいだし。<br />  <br /> 「ほらほら、ヘソ曲げてないで。柿崎さんを探すんでしょ。<br />  彼女、どんな服装してるのさ。教えてくれるかな、はてなようせいさん?」<br />  <br /> 水銀燈は頬を紅に染めて、何事か言いかけたけれど――<br /> さすがに周囲の目を気にしたのだろう。芝居じみた舌打ちをして、怠そうに呟いた。<br /><br /> 「コスプレしてるわよ。赤と青のツートンカラーの衣装でね。赤十字のついた帽子をかぶってて。<br />  なんて言ったかしら……えぇと…………そうだわ。確か、えーりん……とか、なんとか」<br />  <br /> えーりん? なにそれ、映倫のこと?<br /> なんだろう、そこはかとなく卑猥な感じがするのは、ボクの考えすぎかな。<br /> でもまあ見方を変えれば、赤青ツートンなんて目立ちそうだし、歓迎すべきなのかも。<br />  <br /> 「じゃあ、手分けして探そうか」<br />  <br /> ふたりなんだから、その方が効率もいいだろう。<br /> そう思っての提案だったのだけど、水銀燈は言下に否定した。<br />  <br /> 「ダメよ。私たちだって、連絡手段を持ってないじゃない。<br />  捜索隊が二次遭難だなんて、おバカさんにも程があるわ」<br /> 「だからさ、前もって、合流する時間と場所を決めておけば問題な――」<br /> 「とにかく、ダメったらダメなの。言うこと聞かないと、ひっぱたくわよ」<br />  <br /> なんだか、いつにも増して強引だ。柿崎さんを捜しに来たのに、どういうつもり?<br /> 一寸、理由を考えてみて、もしや……と思い至った。<br />  <br /> 「勝手が分からない場所で、独りにされるのが怖いのかい?」<br /> 「ち、違うわよ!」<br /> 「……ふぅん、なるほど。キミも意外に、臆病なんだね」<br /> 「違うって言ってるでしょ、このっ!」<br /> 「痛いっ! な、なにするのさ! 杖でおしり叩かないでよ、もおっ」<br />  <br /> やれやれ。案外、可愛いトコあるなと思った途端に、この暴挙だもの。<br /> 照れ隠しにしても、もう少し穏やかにお願いしたいよ、ホント。 <br /><br /> ともあれ、ここで雑談をしてても埒が開かない。<br /> 水銀燈のためにも、さっさと柿崎さんを見つけ出してあげないとね。<br />  <br /> 「それじゃあ、ボクは会場側をメインに見回して歩くから」<br /> 「だったら、私は海側を中心に探すわ。それらしい格好を見かけたら、報せなさい」<br />  <br /> 簡単な打ち合わせをして、興宴の直中を歩きだす。<br /> 周りを賑わしている人々の九割がたは、当然だけど、コスプレイヤーだ。<br /> ゲームなのか、アニメのものなのか、ボクが見たこともない衣装ばかりだった。<br />  <br /> 「なんだか、違う惑星にでも降り立ったみたいねぇ」<br />  <br /> 水銀燈の独り言。さすがに違う惑星とは大袈裟だと思うけど、概ね、賛同するよ。<br /> ここには、なにか特殊なフィールドが張り巡らされているみたいだ。<br /> ボクらが何故か、この場に馴染んでしまっているのも、その影響なのか。 <br />  <br /> このときボクの胸を騒がせていた戸惑いは、どう書き表したら伝わるだろう。<br /> なんだか、触れてはいけないモノを、掘り出してしまったような……<br /> 禁忌を犯してしまった背徳感が、イメージ的に近いかもしれない。<br />  <br /> 現在進行形で、なにかに侵蝕されている危機感。<br /> 水銀燈が、最初に手分けして探すことに反撥したのも、もしかしたら直感的にソレを察知していたから?<br /> なにやら漠然とした怖れを抱きながら、ボクらは未知の領域を進み続けた。  <br />  <br /> そして、ボクは知ることになる。<br /> まさか、まさか――これが底なし沼への一方通行だったなんて。<br />  <br />  <br /> ん? この締めくくり方……なんかデジャビュ。</p>

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