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【夢の続き】~フォレスト~」(2006/10/07 (土) 16:32:12) の最新版変更点

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<p><a title="yumenotudukiforesuto" name= "yumenotudukiforesuto"></a>森は、静か。樹々の隙間から差し込む木漏れ日が、<br>  緑色を斑に照らしている。<br>  少しだけ風が吹いていて、その感触が心地よい。<br>  白のワンピースの裾が、揺れている。<br>  <br>  森の奥には、大きな切り株がある。<br>  その地に、しっかりと根を下ろしている。もう幹を<br>  持たない姿になっても、この樹は生きているのだろ<br>  う。私はそう思う。<br> <br>  そっ、と。そこに腰掛けた私は、優しく切り株の<br>  切り口を撫ぜた。<br> <br> <br> <br>  ――ねえ、知ってた?<br> <br>  私はひとり、呟く。――<br></p> <br> <p>―――――――――――――――――――――<br> 皆様、御機嫌よう。物語の案内役、道化のウサギで<br> 御座います。初めてお会いする方も、どうぞ宜しく<br> ……長い付き合いの方は、もうこれで五度目ほどの<br> 邂逅になるのでしょうか?<br> <br> さて、それでは。今回も、誰かが見ていた夢の続き<br> を繋ぎましょう。暫くお付き合い頂ければ幸いです<br> ……<br> ―――――――――――――――――――――<br> <br> <br> 【夢の続き】~フォレスト~<br></p> <p><br>  徐々に、陽の昇っている時間が長くなってきていた。<br> 春が終わろうとしていて、季節はもう少しで夏になる。<br> その前に梅雨がやってきてしまうけど、僕は雨が嫌いと<br> いう訳でもない。地を潤してくれる、そんな時期だから<br> だ。昨夜は少しだけ、梅雨入り前だったけども雨が降っ<br> たようだ。今朝登校したときなどは、道端にある草につ<br> いていた雨粒にひかりが反射して、とても綺麗だった。<br> <br>  陽が傾いて、空がその色を紅く染めている様子を見る<br> のが好きだ。きっと今の自分の姿も、紅く染まっていて。<br>  そんなことを考えていたが、どうやら少し口に出して<br> しまっていたらしい。<br> 「蒼星石は詩人ですねえ」<br> にこにこと返してくる翠星石。僕の、双子の姉。<br> 「なんでもないよ……さ、早く帰ろう。<br>  随分遅くなっちゃったしね」<br></p> <p>  今日も部活が忙しかった。翠星石の誘いで僕は園芸部<br> に入部し、学校の庭園の手入れをしている。部活と言っ<br> ても、部員は僕ら二人しか居なくて。たまに友人達が仕<br> 事を手伝ってくれているものの、実質二人だけで庭園の<br> 管理をしている。<br>  僕達が通う学園には、学校所有のものにしてはあまり<br> に見事な薔薇園があり、それは学園の人々を魅了してい<br> た。<br>  今は、春の薔薇がちょうど咲いている最中。そして初<br> 夏になれば、色とりどりの薔薇が咲き乱れるに違いない。<br> そうなれば、彼女は如雨露に水を汲み、地に潤いを与え<br> ていくだろう。僕は専ら手入れ専門で、花壇の整備は自<br> 分の役割だ。<br>  二人で、一つ。きっと翠星石はこの仕事が、本当に好<br> きなのだろうと思う。<br> <br> 「そうですねぇー。何だかお腹空いちゃったです。<br>  早く帰るですよ!」<br> そう言って。僕の手を引き、走り出す翠星石。<br> 「ちょ、ちょっと! 走るなら前向いて、前!」<br> 僕はもう、されるがまま。翠星石はころころと笑ってい<br> る。<br>  傾いた陽に照らされて。僕らの後ろの地面に、二人分<br> の長い影が映し出されていた。<br> <br></p> <p> 「いつもの日記書いてるですかぁ? 蒼星石」<br> 夕食後。お風呂上りの翠星石が、濡れた頭をタオルでわ<br> しわしやりながら話しかけてくる。<br> 「うん、日課だからね。こうやって文章に書き起こすと、<br>  一日が振り返られていいよ」<br> 寝る前に、日記を書くのが僕の習慣だった。文章を書く<br> のは結構好きなのである。<br> 「はぁー。まめなんですねぇ、蒼星石は」<br> ふぁ、と。小さなあくびを一つして、彼女は答える。今<br> 日の作業で疲れているのか、眠気がピークに達している<br> ようだ。<br> 「あ。髪、ちゃんと乾かさなきゃ駄目だよ?<br>  せっかく綺麗な髪なのに、そのまま寝たら痛んじゃうよ」<br> 翠星石の髪は長く、僕とは対照的だ。僕はよく男の子に間<br> 違われてしまうような感じだけど、彼女は本当に『女の子』。<br> 同じ双子なのに、こうも違う。性格だって、そう。僕の手を<br> 引き、前へ進んでいくのは彼女の役目。行き過ぎたところで<br> 制止するのが、僕の役目。……僕自身がその違いを感じてい<br> るからこそ、僕は彼女と一緒に居て楽しいし、一緒に居たい<br> とも思う。<br>  『似ている』というレベルならともかく。自分と『全く同<br> じ』パーソナリティを持った人間と、何時までも一緒に居た<br> いとは思えないかもしれない。<br> <br></p> <p>「わかったですぅー。ぶつぶつ……」<br> 文句を言いながらも、翠星石はドライヤーで髪を乾かし始め<br> る。何だかんだ言って、彼女の根はとても素直なのだ。互い<br> に反発することもあるけれど、姉妹として僕らは仲の良い方<br> だと思っている。<br> 「ふふ。いきなりそんな強くやってもほら……ああもう。<br>  僕が乾かしてあげるよ。久しぶりに」<br> ドライヤーで髪を舞い上げ放題にしている彼女を見ているのは<br> 微笑ましかったが、流石に見かねて声をかける。<br> 「ありがとです。蒼星石に乾かして貰えばばっちりですぅー!」<br> とすん、と。彼女は床に座った。……そしてそのまま、彼女の<br> 頭は船を漕ぎ始める。<br> 「やれやれ……」<br> 少し苦笑しながら。僕は翠星石の髪に櫛を入れ、彼女を起こさ<br> ないよう、出きるだけ静かに乾かし始めた。<br>  緩やかな時間。こんな日常なら、何時まで続いてもいいかな。<br> なんだか眠くなってきた。彼女の髪を乾かし終えたら、今日は<br> 僕も早めに寝よう……<br></p> <p>――――――――――――――――――――――――<br> <br> <br> 『……気付くと、森の中に居たのだ。<br>  ここは深く、静か。今は、一人で歩き続ける。いつも隣に<br>  る存在が居ない。それは寂しいこと。<br>  とても、寂しい、こと。<br>  ここへ来るのは初めてな筈なのに、迷子になったときの<br>  様な、独特の不安感が全く感じられない。何故だろう。<br>  ……<br>  <br>  森の奥に入る。少し樹々が避けて生えているような、<br>  広い空間があった。<br>  そこには大きな切り株があって、……』<br> <br> <br>  23ページ目、に記されている。<br> <br> <br> ―――――――――――――――――――――――――<br> <br></p> <p> 「いつまで寝てるですか、蒼星石ー!!」<br> がばー、と。布団をひっぺ返されてしまう、朝の始まり。<br> 「珍しいですねえ……いつも翠星石よりも早起きなのに」<br> とっか体調でも悪いですか? と。なんだか心配させて<br> しまったようだ。<br> 「ごめん。今日はなんか布団が気持ちよくってさ」<br> そう。普段寝起きは良い方なのだけれど、今日はいつまで<br> も寝ていたいような気分だったのだ。<br> 「まったく。駄目ですよ蒼星石、規則正しい生活はちゃん<br>  と保たないと。今日は良いけど、」<br> このままお説教のコースかなあ、などと考えてシュンとし<br> ていたのだが、<br> 「ま、まあ。たまには蒼星石も、ゆっくり寝てると良いのです。<br>  妹の世話を姉が見るのは、仕方のねーことなのですぅ」<br> 意外にも、そんなことは無かった。<br> <br>  今日はいつもと立場が逆だなあ。だけど、こんなことが<br> あってもいいかもしれない。<br> 「うん。じゃあ、僕が寝坊したときはよろしくね」<br> 笑って、僕は答えるのだ。<br> <br></p> <p>  園芸部の朝は早い。とりあえず、普通の生徒が登校する<br> 時間よりは早めに出発し、水やりなどをしなければならな<br> いのだ。<br> 「健やかにぃ~~~、のびやかにぃ~~~~♪」<br> 嬉しそうに水やりをする翠星石。『こうやって語りかけな<br> がら水やりすれば、薔薇もそれに応えてくれるんですよ』<br> というのは彼女の弁。確かにそうなのかもしれない。事実、<br> こうやって水と養分を与えられてきた薔薇たちの、現在の<br> 咲き誇り方は見事だった。<br>  僕は鋏を取り出して、伸び盛っている薔薇の、余計な部<br> 分を刈り取る作業を始める。水と養分だけでは、薔薇はう<br> まく咲いてはくれない。<br> 「あ、またあった……」<br> 台樹から、また余計な芽が吹き出している。これを放って<br> おくと、薔薇本体の伸びを妨げることになってしまう。そ<br> れを防ぐ為に。その芽を早めに刈り取ってしまうのも、自<br> 分の仕事のひとつ。<br>  そう。これは新たな芽と言えど、望まれていないもの。<br> 綺麗な花をつける新芽と違い。初めから、要らなかったも<br> のなのだ。<br> <br></p> <p>「……」<br> 無言でそれらを刈り取っていく。この庭園の作業の中でも、<br> これだけはどうにも好きになれない自分がいる。望まれた<br> 芽ではない、だから。『なかったことに、しよう』。<br>  必要なことだとは、わかっている。僕は黙々と、その作<br> 業を続けるのだ。何も問題は無い。何も、問題は、無い。<br> <br> <br> 「さ、朝の分は終了です~! 蒼星石、そっちはどうです<br>  か?」<br> 一仕事終えた彼女が、満足気な表情でこちらに駆け寄って<br> くる。<br> 「こっちも終わったよ。じゃ、教室に行こうか」<br> 僕は彼女を促して、この日の朝の作業は終了。<br>  翠星石の、笑顔。僕は先ほど抱いていた瑣末な感情を、<br> もう忘れてしまっている。<br></p> <p>  教室。いつもなら一番乗りなはずの僕らだったが、今日<br> はすでに先客がいた。<br> 「薔薇水晶! おはようですー。今日は早いですねえ」<br> 「……おはよう……二人は、今日も庭のお手入れ……?」<br> 朝の挨拶に、薔薇水晶は静かに受け応える。<br> <br>  僕の彼女に対する印象は、『不思議な少女』だという事。<br> このクラスはとりわけ個性的な人物が多いのだけど。彼女<br> のパーソナリティは、それらに対して全くひけを取らない。<br> ……というか、むしろ異彩を放っている。<br> <br> 「そうだよ。それにしても学校来るのが早いね、薔薇水晶。<br>  今日はなんか用事があったのかい?」<br> <br>  普段、僕と彼女との会話は多い方ではない。もともと彼女<br> は、饒舌な方ではないのだ。しかし、時々口を開いては、周<br> 囲を不思議な世界へ巻き込んでいく。たまに繰り広げられる<br> シュールな会話は、嫌いではない。<br></p> <p><br> 「……今日は気分を変えて。教室で朝ごはん……」<br> ごそごそと鞄からお弁当の箱を取り出す。かぱっ、と。<br> 中身を開いて見せてくれた。<br> <br> 「ば、薔薇水晶。朝っぱらからこれはねーですよ……」<br> 「……うわあ」<br> 畏れを抱いたような声を漏らした僕らが見たものは、……<br> ぎっしりと詰められたシューマイと、あとは少しの白米。<br> 「え、と、薔薇水晶? それって今日のお昼のお弁当じゃ<br>  ないの?」<br> かろうじて言葉を返す僕に対し、彼女は人差し指をたて、<br> 『ちっちっち』と指を振るを仕草をしてみせる彼女。<br> 「……大丈夫。もういっこ、あるから……」<br> またしても、ごそごそと鞄を漁り、弁当箱を取り出した。<br> でか! なんだあれ。今度は二段重ね。というか、あんな<br> 大きな弁当箱が、どうやってこんなちっちゃいバッグに詰<br> め込まれてるんだろう。……勉強道具はどうしたんだい?<br> </p> <p><br> 「……問題ないよ……」<br> にやり、とこっちを見る薔薇水晶。え、あ、声に出してた?<br> うろたえてしまった僕に、事も無げに彼女は答える。<br> 「……顔に、出てる……」<br> ちょっと、ぞくっとした。参ったなあ。結構自分では冷静な<br> 方だと思ってたのに。<br> <br>  そして予想通り(出来れば外れて欲しかったが)、二段の重<br> 箱には、シューマイと白米がそれぞれぎっしり詰まっていた<br> のだった。<br> 「何やってるです薔薇水晶! ちったぁ栄養のバランスも<br>  考えないといかんですよ!?」<br> 翠星石がぷりぷり怒っている。……突っ込み所はそこだけな<br> のかい? 翠星石。<br> 「……シウマイ。おいしい……」<br> お構いなしに、もくもくと食べ始めた薔薇水晶。……うわぁ、<br> 本当に幸せそうに食べるんだなぁ。君、ほっぺ紅いよ?<br> <br> 苦笑気味にその様子を眺めていると。<br> 「……食べる?……」<br> シューマイを一個差し出されてしまったのだが、丁寧にお断り<br> しておいたのだった。<br></p> <p>  昼休み。特に何か作業をしようと思っていたわけではないが、<br> 僕はひとり薔薇を見に庭へ来ていた。<br> 『ちょっと先生に呼び出されちゃって』<br> 翠星石にはそう言い伝えてある。放課後になればまたここへやっ<br> てくるというのに。そのような嘘をついてまで、今ここに来る必<br> 要はない筈だった。<br> 「……」<br> 刈り取った台芽の痕を見る。いくら初めからなかったことにしよ<br> うとしても、こうやってその痕跡は残される。<br> <br> 「うわっ」<br> 背後からいきなり肩を叩かれて、思わず声を上げてしまった。<br> 「……お昼の……お散歩?」<br> 「ば、薔薇水晶かぁ。びっくりした。おどかさないでよ」<br> ちょっと抗議する感じで返す。すると彼女は、何やらぶすっと<br> 頬を膨らませてしまった。<br> 「……何回呼んでも、気付かなかったから……」<br> 「え、そ、そうなの!? ごめんね、薔薇水晶」<br> 本当に、気付かなかった。どうしたのだろう。そんなに僕は、ぼ<br> んやりしていたのだろうか。<br> 「……」<br> 薔薇水晶は、何も答えない。ちょっとだけ、気まずい空気が流れる。<br> <br></p> <p> 「さっきはほんとにごめんね。なんか最近ぼーっとしてるっていうか、<br>  考え事が多くなっちゃってるような」<br> そう。特に何も考えていない訳ではない。しかしながら、僕はその<br> 『考え事』のイメージがよく掴めていないのである。おかしな話だっ<br> た。強いて言うなら、その『よく考えなければならない』事がある筈<br> なのに、……いや。自分に言い訳するのはやめておこう。最近ぼんや<br> りすることが多い。それで言い終えられることじゃないか。<br> <br> 「そう言えば薔薇水晶。あのお弁当はもう食べちゃったの?<br>  その、随分と量が多いみたいだったけど」<br> <br> そうだ、今朝から気になってたんだ。彼女は見た目、そんなに大喰ら<br> いには見えない……というか、むしろ華奢な身体の線をしている。<br> シューマイが好きだということは聞き及んでいたが、正直あのお弁当<br> を見たときは、目を疑った。<br> 「……あれ位なら、10分あれば事足りる……」<br> びしっ、と。親指を立てて『グッド!』のサイン。あ、あれを10分で<br> 平らげるとは。<br> 「薔薇水晶。えーとね、……」<br> 何か彼女に言わなければならないような。どうしよう。<br> 「?」<br> 小首を傾げて、こちらを眺める薔薇水晶。こんな時は、僕の心を読ん<br> でくれないんだろうか。<br> 「……食事は、もっとよく噛んで食べようね?」<br> 結局、こんな言葉くらいしか思いつかない。こくりと、彼女は無言で<br> 頷いた。<br></p> <p> 「じゃあ、僕はそろそろ教室行くけど。薔薇水晶も一緒に戻る?」<br> 昼休みも気付けば残り少なくなっていた。次の授業の準備をしてお<br> かないと。<br> 「……もう、ちょっと。ここに居る。大丈夫、先に行ってて……」<br> そんな風に彼女は返してくるので、僕はそれに従うことにする。<br> 「う、うん……君も早く戻りなよ? 授業遅れちゃうから」<br> はーい、と。右手を上げるジェスチャーをする彼女。本当にわかって<br> るんだろうか?<br>  少し気になりながらも、僕は庭園を後にした。<br> <br> <br> <br> <br>  私は見ている、教室へ戻っていく彼女の後姿を。誰に言うでもな<br> く、一人呟いていた。<br> 「……呼んでいるのに、気付かないのね……」<br> <br> <br></p> <p> ――――――――――――――――――――――――――<br> <br>  <br> 『……当にそうだ。彼女の胃袋はまさに鉄と呼んでいいかも<br>  しれない。ただ、朝一からお裾分けしてもらうのは。ちょっと<br>  胃に負担がかかってしまいそうだけど……あれは本当に美味し<br>  そう。いつか食べてみたいな。<br> <br>  それにしても。あんなに食べてるっていうのに、体型が全く変<br>  わる様子がない。それは見てて羨ましい限りで、……』<br> <br>  <br>  19ページ目、に記されている。<br> <br> <br> ――――――――――――――――――――――――――<br> <br></p> <br> <p> 「さて、と……」<br> 日常は、なんの変わりも無く続いている。今日の放課後も庭園へ<br> 向かうのだ。<br>  今日は翠星石が、手伝い要員を連れてきた。<br> 「ジュン君、ありがとう。いつも手伝ってくれるから、助かるよ」<br> 桜田ジュン。クラスメートだ。<br> 「ジュンは翠星石の頼みなら、断ることなんかしねーのです」<br> 何だか鼻高々になっている彼女だった。そこは自慢するとこなん<br> だろうか?<br>  苦笑の笑いを浮かべているところで、彼が言う。<br> 「まあ、ね。こいつの頼みを断ったら、後が怖いからな」<br> ちょっと意地悪い笑みを浮かべながら、ジト目をして翠星石の方<br> を向く。<br> 「んなっ! それじゃ翠星石は、ジュンを脅迫してるみたいに<br>  聞こえるです! 人聞きわりーのですよ、ジュン!」<br> ぷりぷりと怒る翠星石だった。<br></p> <p><br> 「あ、そう。じゃあ今日は帰ってもいいか」<br> そっけなく返すジュン君と、<br> 「えっ? あー、うー……」<br> それに反論出来ない翠星石。あ、そろそろだな。<br> 「ま、まあまあジュン君。用事があるならしょうがないけど、<br>  折角きてくれたから。手伝っていってくれると、僕も<br>  嬉しいかな」<br> とりあえずフォロー。彼女は普段は強気だけど、ちょっと切り返さ<br> れると途端に弱くなってしまう。まあ、彼もその辺のこともわかっ<br> ていて。本気で彼女のことを言い負かそうとはしないのだ。<br> だけどそこで、『蒼星石の頼みなら、断れないなあ』なんて。翠星<br> 石の方を向きながら言うものだから、彼女は更にヒステリーの度合<br> いを上げていく。<br></p> <p>  欠点、というもの。それは自分ではなかなか気付かないことでも、<br> 他人から見れば一目瞭然だったりすることが多い。彼女の場合は、<br> 基本的にひとに対して素直になれないところ。<br>  これは自分の私見だけれど、彼女は彼のことをかなり気に入ってい<br> る。なのに、いつもツンツンとした口調で。結局は言い争いになって<br> しまっていた。<br>  ただ。先ほども言った通り、彼は彼女よりも、一歩か二歩ほど余裕<br> を持って会話に望んでいる。その辺も愛想を尽かさず付き合っている<br> 限り、彼はとても優しいのだろうと思う。<br> <br>  本当。素直じゃないんだから、この二人は。まるで子供の様に……<br> 無邪気だ。<br> <br>  彼は翠星石のことを、どう思っているのだろう。きっと嫌いじゃ<br> ないだろうけど、本心が見えない。仲の良い友達、という感覚なの<br> だろうか。<br> <br> 『蒼星石の頼みなら……』<br> 何故か、今。僕の中で、さっきの彼の台詞がリフレインしている。<br> 翠星石は素直じゃないけど。僕、僕は。蒼星石という存在を、彼は<br> どう思って……<br></p> <p>「……?」<br> 僕は今、何を考えていたんだろう。そうだ。放課後の時間だって限<br> られているんだ。彼ら二人のやりとりを眺めているのは微笑ましい<br> けれど、そろそろ止めなきゃ。<br> 「ほらほら、二人とも! 作業をはじめようよ。<br>  またすぐ暗くなっちゃうよ?」<br> ぴしゃりと諌めておく。これで口喧嘩は終了だ。<br> 「そうだな、ごめん。蒼星石のいうことはもっともだ。<br>  ほんとしっかりしてて偉いよなあ」<br> 姉とは大違いだなあ、と言って。また言い争いの種が芽を吹きそう<br> な雰囲気だったけれど、その後は恙なく作業に入る事が出来た。彼<br> が結局、彼女にお詫びの言葉を入れたためである。<br>  やっぱり、この二人は仲が良い。僕は少しそれを、羨ましく感じ<br> ている。<br> <br> <br>  『大違いだなあ……』そう。違う。違うのだ。<br></p> <p><br> ―――――――――――――――――――――――――――<br> <br> <br> <br>  20ぺージ目、と記された頁の次が、破られている形跡がある。<br>  破られているのは、一枚分のようだ。<br> <br> <br> <br> ―――――――――――――――――――――――――――<br> <br></p> <p>  休日。とは言っても、庭園の手入れにお休みなどない。今日も<br> 今日とて出発なのである。夕方から雨が降ると天気予報は言って<br> いたので、午前中の作業だけでよさそうだ。<br>  随分と作業も手馴れたもので、お昼前には大体終了することが<br> 出来た。<br>  昼食は家で食べようということになって、二人で家路へつく。<br> 途中の道で、僕は何故か、ふと足を止めた。<br> 「ん? どうしたです蒼星石?」<br> 不思議そうに尋ねる彼女。<br> 「これ。こんなところ……わき道なんて、あったかな」<br> 林というか、森というか。この辺りは自然が多いほうだけど、今<br> まで気付かなかったのが不思議なくらいの、そんなわき道があっ<br> たのである。<br> 「この道の奥……森かな。なにがあるんだろう」<br> 行ってみたい。そう思った。……僕が、思った? <br> 「なんかこの森、気持ち悪いですぅ。やめとくですよ、蒼星石」<br> <br> 翠星石が、僕を止める。珍しい。いつも好奇心旺盛で、僕の手<br> を引いて先を行く彼女が。<br> 「……そうだね。お腹も空いたし、早く帰ろう」<br> <br> 『それが一番ですぅ』と言って、僕の手を引き始める翠星石。<br> 僕の、微かに感じていた違和感はなんだろうか。<br> <br> <br></p> <p>  そして。僕はその日の午後に、一人でその森へ行くことに決めた。<br>  何処か別の場所へ行くということを言い伝えておいても<br> 良かったのだが、それだと彼女が一緒について来る可能性<br> がある。彼女は、僕があの森へ行く事は拒否するだろう。<br>  僕は何故、ここまであの森に拘っているのだろう? 不<br> 思議な感覚だった、とても。だけど、僕のこころが。ここ<br> ろの奥底が、あそこへ行かなければならないと。そう告げ<br> ている。でも、でも。僕の身体は。……僕の"器"が。それ<br> を拒否している、そんな気がする。<br> <br> "器"だって? 自分で言っていて意味がわからない。<br> <br> <br>  森の入り口へ続く、あのわき道で。僕は出会うのだ。彼<br> 女に良く似た、彼女に。<br> <br> 「薔薇水晶……?」<br> <br> 居る。頭の隅にある混在したイメージが、何かを、警告して<br> いる。<br> <br></p> <p>「……あなたは、……ここに来るのは、まだ早いよ」<br> <br> よくわからないことを言う彼女。<br> <br> 「なんだって……? 薔薇水晶。そもそも何で君がここに、」<br> <br> 「……あなたは。」<br> <br> 最後まで言わせてもらえない。圧倒されている。<br> 知ってる、この感じを、僕は、<br> <br> 「……あなたは、思い出し始めている。<br>  だけど……気付いて、いないの。だから……」<br> <br> 彼女の、口調が、変わって、<br> <br> 「まずは、気付きなさい。貴女たちは、違いながらも"似ている"の」<br> <br> 「私の言葉を呑んで。<br>  芽を摘む役割を担った方が。それを、したの。<br>  そして『初めから無かったこと』になっているけれど――」<br> <br> ……『それでも、いいの?』…… <br> <br> 最後の声は。そんな風に、僕には聴こえた。<br></p> <p>――――――――――<br> <br> <br> 「ただいまー」<br> 夕方近く、僕は家へと戻った。<br> 「おかえりなさいです、蒼星石ー! 随分遅かったですね?」<br> 翠星石に出迎えられた。<br> 「うん、ごめん……適当に散歩するだけのつもりだったんだけどね。<br>  途中で薔薇水晶と会ってさ」<br> 一緒に買い物してきたよ、と。手提げの買い物袋を示した。<br> 「ああー、ずるいですよ蒼星石! 翠星石も一緒に買い物し<br>  たかったです……」<br> いじけてしまった。確かにそうだ。なんでまた僕は、散歩に行こう<br> としたんだろう? 結局、薔薇水晶に引っ張りまわされて(予想以上<br> に彼女はアクティブだった)、色々と買うハメになってしまった。<br> まあ、楽しかったからその辺りは良かったんだけど。<br> 「ごめん、翠星石。今度のお休みは、一緒に買い物行こう?」<br> 果たして、慰めになるだろうか。けれど精一杯の本心を伝えるくらい<br> しか、出来ない。<br> 「うー……しょーがねーです。それで勘弁してやるですよ。<br>  ところで蒼星石!」<br> いきなり返されたので、ビックリしてしまった。<br> 「え、な、何?」<br> 「何、じゃないです。買い物って言ってるんですから、<br>  何買ってきたのか聞こうとしただけですよ」<br> あくまで素、らしい。えーと。買い物はですね、ちょっと<br> 薔薇水晶に連れられて……その……下着類が売ってるとこ<br> で……えと……<br></p> <p><br> ――――そう。まさしく、買い物中は地獄だったのだ。<br> 僕はこんな容姿をしているので、よく男の子に間違え<br> られたりする。以前一人でランジェリーショップに入<br> 店したとき、他の一般客から結構痛い視線を浴びたり<br> した事があった(毎回店員に話しかけると、かろうじ<br> てわかってもらえる)。<br>  今回は、薔薇水晶と一緒。ぱっと見、同年代のカッ<br> プルに見られたらしい。最近では、恋人同士で入店し<br> てくるケースもしばしば見られるらしいのだが。とり<br> あえずそんな事は、僕には関係のないことで。<br> <br></p> <p><br> 「……これ……なんかどう……?」<br> え、何……? と、見た先にあったもの。<br> うん、薔薇水晶。それは、ほとんど紐だと思うんだ。<br> 「……蒼星石の、趣味にあわせて……」<br> ちょっ! 何顔紅くしてるのさ! っていうか僕の趣味って何さ!<br> あー、周りひそひそ言ってるよ!<br> <br> 『あのカレシ、ああいうの好みだってーひそひそ……』<br> 『大胆ねー、女の子の方恥ずかしそうにしてるしーひそひそ……』<br> <br>  違うううう!! 僕は変態じゃないんだ!!<br> <br> 「あの、お客様」<br> ああ、店員さん! 助けてください!(この状況から)<br> 「お客様のご趣味に合わせまして、このようなものも御座いますが」<br> <br> ぴらり、と。提示されたそれは完全シースルーの下着な訳でして、<br> <br> 『『ひそひそひそひそ!!』』<br> <br>  うわーん!! 違うんだあああああ!!!<br> <br> 悶えている僕を尻目に、薔薇水晶は、ぽつりと呟く。<br> <br> 「……キャラ的に、おいしいよね……」<br> <br> 僕はがっくりと膝をついた―――――――――<br></p> <p> 「……蒼星石? 大丈夫です? なんか泣いてますよ」<br> はっ。ちょっと意識が飛んでたらしい。眼を擦る。大丈夫、<br> 僕は泣いてない。<br> 「えっとね。うん、大丈夫。下着とか買ってきたんだ、ホラ」<br> 袋を手渡す。翠星石は『お姉ちゃんがチェックしてやるですぅ』<br> と言いながら、その中身を漁り始めた。<br> <br> 「あ、蒼星石ー! これかわいいですよ!<br>  なんかいつものやつと違うですねえ」<br> <br> 普段はスポーティなものを身に着けるのだけど。薔薇水晶が<br> 『そこにギャップを見出すと……グッド』<br> とか言いながら親指を立てていたので、結局それに従うこと<br> にしたのだった。紐とかよりは、マシだ。<br> 「はは、たまにはね……」<br> 僕は苦笑するしかない。<br> 「こんなの買ってくるなんてー。蒼星石もやっぱり女の子なのです。<br>  で、これで好きなひとでも誘惑するですか?」<br> <br> キラリ、と眼を光らせながら彼女は言う。<br> 『その辺の男なんかには、大事な妹はやれねーですけどね』<br> なんて言いながら、笑っている翠星石。<br> <br> <br>  好きな、ひと? 僕はその声を、何処か遠い位置で聞いて<br> いるようだった。僕の、好きなひとは――<br></p> <p>  就寝前。僕は布団に入りながら、翠星石にちょっと尋ねてみた。<br> 「ねえ、翠星石。君は好きなひと、居ないの?」<br> その質問の答えを僕は知らない、というのは。多分嘘だ。十中八九、<br> 彼女の想い人は、彼のことである。<br> 「なっ、なんですか蒼星石、やぶからぼうにー!」<br> 慌てる彼女。<br> 「いや、ちょっと気になっただけだよ」<br> それも、嘘。僕はここで、確認しておきたかった。<br> 「……いねーですよ。翠星石には、好きなひとなんかいねーのです」<br> <br> <br> どうして、僕はこんな事を聞いているのだろう。<br> そして彼女は。何でこんな風に、応えるのだろう――<br> <br> <br>  眠りに落ちる。僕は何かを思い出し始める。<br>  気付く事など、何も無いの筈なのに。<br>  何処からか、声が。<br> <br> 『また、繰り返すの?』<br> 『同じ事、繰り返すの?』――<br></p> <br> <p>―――――――――――――――――――――――<br> <br> <br> 『僕はこれから、、物語を綴ることにする。<br>  ここが肝心だ。これで、何の問題も無くなるだろ<br>  う。大丈夫、繰り返しになど、ならない。<br>  そして、……』<br> <br> <br> 25ページ目、に記されている。<br> <br>  <br> <br> ――――――――――――――――――――――――<br></p> <br> <p><br> 「ごほっ、ごほっ……う~」<br> 38.1度。これは酷い。<br> 「翠星石、大丈夫……?」<br> 僕は彼女の額のおしぼりを変えながら、聞いてみる。<br> 「ちょっと辛いですねぇ……今日は学校休むです……」<br> それはそうだ。でも、このまま家に残していくのも心配だ。<br> 「翠星石。今日は僕も休むよ」<br> そして病院へ付き添って、看病して。一人になると不安<br> がるだろうし。<br>  およそ僕の考えられる最良の選択肢だったが、彼女は<br> それを断った。<br> 「心配はありがたいです……でも、蒼星石まで休んだら、<br>  薔薇の世話をするひとが居ないのです……」<br> 確かに、それはそうだが。僕は『今日一日くらいなら大丈<br> 夫だよ』と。そう押したのだが、彼女は頑として譲らない。<br> <br> 「わかった。でも、辛くなったら。いつでも学校に<br>  電話して? あと、絶対安静にすること!<br>  今日は早く帰ってくるよ」<br> <br> とうとう僕が折れて、学校へ行く事になった。仕方が無い。<br> 後ろ髪を引かれる思いだが、今日の作業を早めに切り上げ<br> て、帰ることにしよう……<br></p> <p><br>  放課後。流石に一人で作業するとなると、時間的に普段の<br> 倍はかかる訳で。それだと、家へ帰るのが遅くなってしまう。<br>  僕はジュン君に助けを求めることにした。二つ返事で了承<br> である。<br> <br> 「翠星石の体調は大丈夫なのか? かなり酷い感じみたいだけど」<br> 彼女が風邪で休んでいることは、朝のホームルームで聞き及んで<br> いた筈なので、勿論彼も知っている。<br> 「うん……熱が上がってて。今日は早く帰らなきゃ」<br> その後、黙々と作業を続ける。<br> <br> 「ねぇ、」<br> 不意に、口が開く。何だ? 僕は何を聞こうとしている?<br> 「ジュン君ってさ、」<br> ジュン君? ジュン君が、<br> 「好きなひととか、居るのかい?」<br> 返す言葉を、僕は。僕という"器"が、知っている――<br> <br> なっ、と。言われた彼の顔が、紅い。<br> 僕の顔も、今紅くなっているのだろう。<br> そう、知っているのだから。<br> 僕? ……器。……僕は、誰だ……?<br> <br> <br> 「僕は、蒼星石のことが、――」<br> <br></p> <p>……<br> <br> <br> 「――ごめん!」<br> 僕は走り出し、脱兎の如くその場から離れる。<br> 違う。違う。僕はこうなることを知っていた、けど、<br> 今の"僕"ではいけない気がする――!<br> <br> <br> <br> ……<br> <br> <br> <br>  とぼとぼと、僕は帰り道をひとり歩いている。<br> 「はぁ……」<br> 溜息が、出た。<br>  僕は、彼に好きだと言われ、嬉しかった。だけど。<br> 何かが、違う。決定的な、何か。それについて考え<br> ようとすると、すごく頭が痛い。<br>  そもそも。僕は翠星石の気持ちを知りながら。何<br> て汚いことを、してしまったのだろうか――<br> <br></p> <p><br>  と。僕の行く先には人影がある。<br> 「薔薇水晶―――と」<br> もう一人、若い男性。あれは誰だ?―――<br> しかしながら。特に驚いたような感情の昂ぶりを、<br> ほとんど持ち合わせていない僕が居る。この男の<br> ひとは誰かわからないけど。ともかく、薔薇水晶<br> が、ここに―――森へ通じる道の入り口に―――<br> 居るのは、ひどく『ふさわしい』。<br> <br> <br> 「お嬢さん、はじめまして。私は白崎という者です」<br> 白崎、と名乗った男が挨拶をしてくる。言い方自体は<br> 普通、というよりむしろ丁寧であるのだが。これがこ<br> の男の本性ではない。そんな気がしている。<br></p> <p><br> 「何か、用ですか?」<br> 牽制。あまり深く関わらない方が良い。はず、だ。<br> いや、しかし。彼らから、何か重要なことを聞き<br> 出さないといけないのでは――<br> <br> 「……本当に、良いの?……」<br> <br> 薔薇水晶の視線に、射抜かれる。身体が、動か、な、<br> <br> 「いえいえ……物語に綻びが出始めたものでして。<br>  そもそもこの物語は、これからが肝要なのでは<br>  なかったのですか?<br>  ……まあ、いいでしょう。<br>  ちょっとこの娘の手に負えなくなる前に、<br>  私が出てきたまでのことですよ。お嬢さん」<br> <br> 何だ、何を言っている?<br> <br> 「それでも。貴女が自分で気付きたいと言うならば、<br>  止める理由もないのですが――」<br> <br> 「初めから"無かった"ことを暴き、ほり起こし。<br>  その続きを見る勇気が、貴女にはあるのですか?」<br></p> <p><br> 涙が出そうだ。怖い。僕は、この先を知る必要は、<br> ないのかもしれない。<br> <br> 「あ、あ、―――」<br> <br> 声が続かない。けれど、駄目だ。ここで"僕"が――、<br> 進まなければ、ならない!<br> <br> <br> 長い沈黙のあと。<br> 僕は、頷く。そして、この森の。―――奥にあるもの<br> を、確かめるのだ。<br> <br> <br> 「そうですか。なかなかどうして、勇気がおありですね、<br>  お嬢さん。それでは、物語の配役通り。<br>  薔薇水晶――いや、雪華綺晶。森の、奥へ――」<br> <br></p> <p>薔薇水晶、では無い。よく似ているけど、違う。<br> 雪華綺晶と呼ばれた彼女は、無表情に言った。<br> <br> 「人使いが荒いのですね、白崎。<br>  私はたまたま選ばれたけど、もう後はないですわ。<br>  貴方が言っている通り、物語に綻びが生じています。<br>  少しずつ、ずれてきていますから。<br>  貴女が――気付き始めて、いますし。<br>  "貴女"が、"貴女"の中から呼んでいる声に。<br>  あと、そうじゃ無くても。<br>  "森"も、長くは保たないでしょう」<br> <br> それでは、と。雪華綺晶と呼ばれた彼女が、森の奥へ<br> 消えていく。<br> <br> 「さあ、お行きなさい――と言いたいところですが、<br>  お嬢さん。貴女はまだ、気付いていない事がある。<br>  曖昧な感覚な気持ちで"森"に入れば、貴女はまた、<br>  誤魔化されてしまうでしょう。それほど、この森<br>  は深い。<br> ……ですから。まずはこれを、お探しなさい」<br> <br> それは。僕の、日記帳―――? どうして、ここに。<br> <br> 「もともとは、あなたが――いや、あなたに、近い魂が。<br>  この世界を、作り上げたのです。<br>  あなたもこの劇作の、一人の役者にすぎませんが―― <br>  幕を下ろすのを。<br>  あなたに任せてみるのも、良いでしょう」<br></p> <p><br>  家へ着いた。翠星石は、今は眠っているようだ。<br> 熱は少し下がっているらしく、規則正しい寝息を<br> たてている。<br> 「……」<br> 白崎が示したもの。あれは、僕の日記帳だった。<br> 「……世界……」<br> 僕は机の上に突っ伏す。そして、二段目の引き出<br> しの奥から、日記帳をとり出す。僕はこの日記帳<br> には、日常の出来事しか書いていないのだから。<br> 物語など、何処にもありはしない。<br>  白崎は、『探せ』と言った。探して見つからない<br> ものならば、きっとそういう言い方はしないだろう<br> と思う。<br>  近いところにあるのだろうか? 僕は翠星石を<br> 起こさないように気をつけながら、部屋の物色を<br> 始める。……まったくもって、馬鹿馬鹿しい、け<br> れど。僕は焦っている。早くしなければならない<br> という焦燥が、僕をどうしようもなく、駆り立て<br> ている。<br></p> <p><br> 「……あとは……」<br> あらかた、大体ではあるが部屋を漁り終えて。の<br> こるは、翠星石。彼女の机の、中。<br>  いくら姉妹とは言えど、こういった行動はプラ<br> イバシーの侵害になってしまうかもしれなかった。<br> それでも。意を決して、机を探す。<br> <br>  そして、僕はやはり知っていたのだ。<br>  "僕"ならきっと。<br>  日記帳をしまっておくのは、<br>  二段目の引き出しの、奥。<br> <br> 「……あった……」<br> <br> もともと僕が持っていたものと、全く同じデザイ<br> ンの日記帳。これで、二冊。<br> <br></p> <p> 僕の考えが正しければ。白崎から言っていた日記<br> 帳には、僕が。いや、"僕"の書いた物語が――"森"<br> に関する記述が、ある筈なのだ。そして、僕が"森"<br> に至ってしまう、その過程まで。<br> <br> <br>  何故、そのようなことが書かれているか?<br>  僕が、日常を記している日記帳と。<br>  まったく同じ形をした、もうひとつの日記帳。<br> <br> <br> この二つが同時に存在する時点で。<br> どちらかの存在が、『この世界にとって』イレギュラー<br> なのだ。そしてそれはもう、決まって、いる。<br>  <br> <br> ぱらり、と。日記帳をめくると。記憶に残っていた白<br> 紙部分が、文字で埋まっている。<br> <br></p> <br> <p>―――――――――――――――――――<br> <br>  またお会いしましたね。道化のウサギで御座います。<br>  これは。"とても似ている"、二人の少女の物語です。<br> <br>  蒼星石という少女。彼女の抱いていた『違和感』が、<br>  かたちになろうとしています。<br> <br>  "森"が、何であるのかという事。<br> <br>  そして、彼女が日ごろつけていた日記帳と、本来存在<br>  しない筈である『もう一つの日記帳』。<br> <br>  彼女はそれを読み、果たして何に気づくのでしょう?<br> <br>  それでは、この物語の続きを。<br>  最後までご覧頂ければと思います……<br> <br> ――――――――――――――――――――<br> <br> <br> 【夢の続き】~フォレスト~ そして幕間のつづき<br></p> <br> <p><br> <br> <br>  日付が……今日、になっている。<br>  そう。今日までしか、無い筈なのだ。<br>  僕は食い入るように、その内容を凝視し、読む。<br> <br>  つぅ……と。冷や汗が、背筋を降りていく感触。<br>  終わっていない、まだ文章は終わっていない、<br>  読まなきゃ、読まなければ、<br> <br> <br>  僕は、気付かなくてはいけない!<br> <br> <br>  続けて、読み進める。<br> <br> <br> <br> <br> 『気付くと、森の中に居たのだ。<br>  ここは深く、静か。今は、一人で歩き続ける。いつも隣に<br>  る存在が居ない。それは寂しいこと。<br>  とても、寂しい、こと。……<br>  <br>  <br>  森の奥に入る。少し樹々が避けて生えているような、<br>  広い空間があった。<br>  そこには大きな切り株があって、白いドレスをきた<br>  少女が、座っている。美しい容姿をした彼女。<br>  何処かで見たことが、あるような気がする。<br> <br>  <br>  彼女が言葉を投げかけてきた。<br>  "あなたは、だぁれ?"と。……』<br> <br>  森、に関する記述。僕は行かなければならない。<br>  全てはあそこから始まった物語。<br>  いや、"始められた"物語なのか――<br>  僕は。日記のあるページを破り、ポケットの中へ<br>  仕舞い込んだ。<br> <br> <br>  もう、誤魔化されない。<br></p> <p><br> <br>  走る。ただひたすらに。身体が拒否している、森へいくこと<br> を拒否している。それはそうだ。この身体は、ただの"器"だ――<br> 僕はまだ、"僕"である意識を以って、走る。<br> <br> <br> そして、あの大きな切り株のある場所へ。辿り付く。<br> 彼女は、居る。<br> <br> <br> 「あなたは、だぁれ?」<br> <br> <br> 答えは、決まっている。ポケットにねじ込んだ紙切れを<br> 突き出しながら、僕は息を吸う。<br> <br> <br> 「――、」<br> <br>  まさに声を出そうとした、その時だった。<br></p> <p><br> <br> <br> 「駄目です、蒼星石!」<br> <br> 「……翠星石」<br> <br> 僕のあとを、追ってきていたのか。頷ける。彼女は、<br> この世界を終わらせる訳には、いかないのだから。<br> でも、それは――<br> <br> 「蒼星石! 蒼星石は、今のままでいいんです!<br>  あなたはこの世界で、ジュンと幸せを掴むです!<br>  翠星石は、翠星石は……大丈夫なのです。<br>  "この世界"の私なら。きっと大丈夫なのです!」<br> <br>  泣いている。彼女は泣いている。<br>  ぽろぽろと涙を零して。<br> <br>  そして、気付く。<br> <br>  ああ――ならば。"この世界"ではなかった、翠星石の。<br>  "私"の心は、<br>  どれほど、弱かった事だろうか。<br> <br>  そして、"貴女の器"も。<br>  まだ眠っているのね、蒼星石。<br>  そう、それは。私の、せいで――<br></p> <p><br> <br> <br> ―――――――――――――――――――――――<br>  <br> <br> 『ジュン君に、告白された。本当なら、飛び上がる程<br>  嬉しいことなのに、今は全く喜ぶ気になれない。<br>  <br>  告白された直後、僕は翠星石に、その現場を見られて<br>  いたことに気付いた。彼女は逃げ出して。<br>  僕はそれを追いかけた。必死で。<br>  彼女を、追い続けた。<br> <br>  <br>  そして。丁度、目の前には階段。彼女がそれを降りて<br>  いきそうになるところで、僕は彼女を手を掴む。<br>  けれど。それを振り解こうとして、バランスを崩し。<br>  そして、僕も一緒に、そのまま――』<br> <br> <br> <br> <br>  ― ― ― ― ― ―<br></p> <p><br> <br> <br> 『手には、この日記帳を、握り締めていた。<br>  僕はそこで、人間の身体をしているのに、顔は<br>  白いウサギになっているものが、現れる。<br>  それは、道化のウサギである、と。<br>  自己紹介をしてくれた。<br> <br>  <br> 「おや、どうして貴女はこんなところに居るのです?<br>  ここは、深い意識の森。<br>  どうやら貴女の"器"は、眠ってしまっているようだ」<br> <br>  僕は、思う。<br>  僕は多分、彼のことが好きだったのだと思う。<br>  けど、それを自覚するほどのことでは無かった。<br>  興味本位。ほんの興味本位で、聞いてみたのだ。<br>  彼に、想い人が居るのかということを。<br> <br> <br>  彼から返ってきた答えは、意外なもので。<br>  それによって、僕は束の間の喜びを得て。<br>  そして翠星石は、傷ついた。<br>  深く、深く。僕の、せいで。<br></p> <p><br> <br>  僕は、思う。<br>  そもそも、彼の好きな人が、僕で無かったら<br>  良かったのだ。<br>  告白されて、もし幸せになっても。<br>  翠星石が傷つく結末なら、僕はいらない。<br> <br> <br> 「――ならば。そういった物語を、貴女が繋ぎなさい。<br>  貴女方は、似て非なるものですが、互いに近い魂を<br>  持っているのです。<br>  ほら、現にこの意識の森は……普通は一人一人、別<br>  なものの筈なのです。<br>  ですが、今ここは。彼女の意識と、繋がっているの<br>  ですよ?<br> <br>  <br>  貴女は今、ほとんど自分の形を、成していない……<br>  ですから、どうにでもなる。<br> <br> <br>  ――よく、わかりませんか。<br>  では、例を示しましょう。<br>  雪華綺晶、おいでなさい。<br>  彼女もそういう"もの"なのです」<br> <br> <br> <br> <br>  雪華綺晶と呼ばれた少女。<br> 『あなたは、だぁれ?』と。さっき、<br>  僕に問うてきた……そうだ、彼女は。<br>  薔薇水晶に、似ている?<br> <br> <br>  そして、雪華綺晶という名前らしい少女が、<br>  口を開く。<br> <br> 「似ている、と。貴女は今思いましたね?……そう。<br>  貴女の知っている彼女と"私"は、近い魂を持っている。<br>  まあ、私はこの森から出られませんし。<br>  普段貴女とお会いすることは、ないでしょうけど」<br> <br> <br>  何故、君はここに居るの?<br> <br> <br> 「私は何処にも居ないし、……何処にでも、居るんですよ」<br> <br>  貴女は知らなくても良いことだけれど、と。<br>  そう言った彼女の表情は読み取りにくかったが、<br>  その時。彼女は微笑んだのだと、思った。<br>  今思えば、それは少しだけ。寂しさを、含むものであった<br>  かもしれない。<br> <br> <br>  そしてまた、彼女は口を開く。<br> <br> 「実際、貴女も彼女も、眠っているけど。<br> <br>  彼女は弱く、傷つき。現実に、耐えられなかった。<br>  今ある状況は、偶然なのだろうけど。<br>  あるいは、運命だったのかもしれない。<br> <br>  起こってしまったことは、変えられないの。<br>  だから、あの少年が、――蒼星石。貴女に好意を<br>  抱き、そして告白すると言う事実は、この世界<br>  でも変えられない。他人の意識が介入したら、<br>  この森の中では変わらない。<br> <br>  けれどね。さっきも言われていた通り、<br>  貴女達は、とても近い魂を持っている。<br>  そう、もはや『他人』とは呼べない程の。<br> <br> <br>  ――もし、今。<br>  貴女が彼女の器に入り、彼女が貴女の器に入れば――<br> <br>  貴女の望みは、叶うと思う?<br>  この、世界の中で」<br> <br></p> <p><br> <br> <br> <br> <br>  僕は、きっとジュン君に相応しくない。<br>  翠星石こそ、彼と一緒に居るべきなのだ。<br>  だから――僕が、彼女に。彼女が、僕に。<br>  ジュン君。僕の姿をした翠星石を、愛してあげて。<br>  そして僕は。それをきっと祝福出来る――!<br> <br> <br> 「貴女は、私の言葉を呑むと言うのね。<br> <br>  じゃあ、夢を見せてあげましょう。<br>  時間のねじを、少しだけ巻き戻して。<br> <br>  貴女は、物語を綴ると良いでしょう。<br>  どのような結末になるか、その眼で確かめなさい――」<br> <br> <br> <br> <br> <br> <br> ……<br> <br></p> <p> 不思議な出来事だったが、記憶に残っている限り<br>  書き残しておきたい。僕が、してしまったことも含めて。<br>  可笑しな話だ、本当の僕は、今も眠っているというのに。<br>  ……そしてそれは、彼女も同じこと。<br> <br> 『繋がっている』と、白崎は言った。僕と、彼女の意識。<br>  いま、ここでも――彼女を、傷つける訳には、いかない。<br> 万が一にも忘れることはないだろうけど、<br>  一応こうやってかたちにしておく。<br>  僕がしてしまったことを、忘れない為。<br>  何時だって思い出して。<br>  それを、背負っていく為に。<br> <br>  さあ、夢を見る。<br>  僕の今の姿は、翠星石で。きっと僕の器の中に、<br>  彼女も入っているだろう。<br>  どうやら、この翠星石の器が眠っている間、僕<br>  は僕として居られるようだ。<br>  だから、この間に――物語を、これからこの日<br>  記帳に綴ろうと思う。<br> <br>  大丈夫。僕が眠っている間も、<br>  "翠星石"を悲しませることは、しない――』<br> <br> <br>  破かれた形跡のある紙切れ一枚と。<br>  24ページ目、および25ページの途中まで、<br>  それぞれ記されている。<br> ―――――――――――――――――――――――――<br></p> <p><br> <br>  <br>  近い魂は、この森の力で入れ替わり。そして<br> それは近すぎた故、器に染められてしまった。<br>  思い出さなければ、このまま幸せに、暮らすこと<br> が出来たのだろうか。いや、――結局は、眠り続けて<br> いるだけ。だから。現実に体験したところまでしか<br> "この世界"は存在出来ず、その先はない筈だった。<br> <br>  だが。彼女には、この世界を動かす「日記帳」が<br> ある。これから先のことは、物語として綴っていけば<br> 良いのだ。そうすれば、森は全てを体現してくれる。<br> これは深い、深い意識の森なのだから。<br> <br> <br>  ただ、それは。役者である、この私が。この世界のか<br> らくりを、暴いてしまわない限りであって――<br> <br> <br> <br> ……<br> 『あなたは、だぁれ?』と。切り株に座り、<br> 尋ねる彼女。もう、その問いの答えはわかっていた。<br> <br> <br> <br></p> <p><br>  <br> <br> 「……そろそろ、姿を戻してもらえねーですか。<br>  もう全部、気付いちまってるですよ」<br> <br> <br>  まったく。外面は蒼星石の姿をしているのに、口調は<br> 翠星石で。周りからみたら、さぞ可笑しいことだろう。<br> 周りと言っても、ギャラリーは多くない訳だが。<br> <br>  この器に入ってみてよくわかった。"蒼星石"の気持ち、<br> そして、"翠星石"という自分の弱さ。<br> <br> <br> 「あなたは……気付いているようね。<br>  この森から、弾く必要は無さそうですわ」<br> <br> <br>  形が一度不安定になり、翠星石は、翠星石の。蒼星石は、<br> 蒼星石の。元の姿へ、戻された。<br>  私は立ち尽くしていて、蒼星石はその場に倒れている。<br> <br> 「蒼星石!」<br> <br>  私は彼女を抱き起こす。眠ってしまっている時の、穏や<br> かな表情。<br> <br> <br> <br> <br> 「蒼星石……眼を、覚ますです。翠星石は……もう、<br>  大丈夫ですから」<br> <br> <br>  もともとは、私の弱さが。彼女を追いつめ、こんなこと<br> にまでなってしまった。私の、私のせいだ。<br> <br>  私達は、早く眼を覚まさなければならない。<br>  蒼星石の肩をつかみ、優しく揺する。<br> <br> 「……蒼星石?」<br> <br> 反応が無い。<br> <br> 「蒼星石!!」<br> <br> 今度は、激しく揺さぶる。彼女は、眼を覚まさない。<br> <br> <br></p> <p>「言ったでしょう。物語が、綻び始めていると。<br>  ここは、蒼星石という意識の森の中。そこに<br>  あなたは同化して、今までここに居たけれど……<br> <br>  この娘の器は、もう壊れ始めているみたいね。<br>  物語の書き手が居なくなったら、この世界も<br>  長くは保たないのは道理でしょう」<br> <br> 事も無げに、彼女は言った。<br> <br> 「そんな! なんとかするです!」<br> <br> 書き手が居なくなる、とは。蒼星石は今、外で<br> 死にかけている、という事? そんな、馬鹿な。<br> 私に巻き込まれて、彼女が死ぬなんて!<br> <br> 「いいです! 私はどうなってもいいですよ!<br>  ぐすっ……妹にこんなに思いつめさせて……<br>  そりゃ蒼星石は、真面目で。<br>  すぐ極端な方向に走りたがるです。<br>  今だって、こんな……」<br> <br> 私は、涙を拭い、叫ぶ。<br> <br> 「けれど。姉想いの、いい妹なのです!」<br> <br> 私が。私が強く在れば。こんなに苦しませることは、<br> 無かったのだ――<br> <br> <br> <br> <br> <br> 「……だ、そうですよ。道化のウサギさん。<br>  ここからは、私の管轄外かしら」<br> <br> 私はこの世界の。貴女達の、ただの監視役だから、と。<br> 彼女は言った。<br> <br> <br> 「左様ですか、お嬢さん。<br>  ならば貴女は、目覚めを望むと言うのですね?」<br> <br> 何処からか現れた白ウサギは、そんなことを言う。<br> <br> 「貴女はまず、自分の森に帰りなさい。<br>  ここに居たら、貴女も目覚められなくなるでしょう――<br> <br>  私は私で、これからこの森の修復に入ります。<br>  雪華綺晶。貴女にも手伝ってもらいますよ?」<br> <br> 特にリアクションは無いけれど。何だか不満そうな彼女。<br> 『しょうがないですわ』と、切り株から腰を上げた。<br> <br> <br> 「ただし。この森から、更に外の世界に干渉するということ<br>  は――現実世界の流れを、変えると言う事。<br>  それは、奇跡と呼んで、差し支えの無いことなのです。<br> <br>  それ相応の代価を彼女から頂くということを、<br>  どうかお忘れなく――」<br> <br> <br> <br>  ウサギは光輝く穴を森の空間に繋ぎ、<br>  私はそこに吸い込まれていった―――<br> <br> <br> <br> ――――――――――――――――――――――――――<br> <br> <br> 『ジュン君に、告白された。すごく嬉しい。<br>  その日は風邪で休んでいた翠星石にも、<br>  夜の内に報告して。<br>  翠星石は、それを祝福してくれて―――<br>  勿論、彼女と彼の仲はいいから。<br>  三人で、楽しくやっていけたらいいと思う。<br>  幸せな毎日。どうかこんな夢のような日々が、<br>  ずっと続いていけばいい。……』<br> <br> <br>  26ページ目、に記されている。<br> <br> <br> ――――――――――――――――――――――――――<br> <br></p> <p><br> ――――――<br> <br>  森は、静か。樹々の隙間から差し込む木漏れ日が、<br>  緑色を斑に照らしている。<br>  少しだけ風が吹いていて、その感触が心地よい。<br>  白のワンピースの裾が、揺れている。<br>  <br>  森の奥には、大きな切り株がある。<br>  その地に、しっかりと根を下ろしている。もう幹を<br>  持たない姿になっても、この樹は生きているのだろ<br>  う。私はそう思う。<br> <br>  そっ、と。そこに腰掛けた私は、優しく切り株の<br>  切り口を撫ぜた。<br> <br> <br> 「蒼星石!」<br> <br>  駆け寄ってくる女性。<br> <br> 「蒼星石……私の、名前……」<br> <br> <br> <br>  私は、私であるという記憶が、『およそ無い』。<br>  わからないものはわからないのだから、いきなり<br> 「記憶喪失」と言われても、ピンとこないのだけれど。<br> <br>  駆け寄ってきた彼女は、翠星石。私の、双子の姉ら<br>  しい。私がこんな状態になって随分悲しんだけれど、<br>  今までずっと、私についていてくれる。<br>  彼女と一緒に居ると、とても安心できて心地よい。<br> <br>  きっと、疑いようもなく。私達は、姉妹であると思<br>  う。この、眼の色を見ても、わかるように。。<br>  翠星石の眼の色は、光によく映えて綺麗だった。<br>  私の眼も、そんな風に映っているのかな。<br> <br>  そんなことを考えていたら、また新しい人影が。<br> <br> 「翠星石……お前、走るの早すぎ。もっと加減しろよ」<br> 「……ジュンの、体力が無いから……」<br> <br>  ジュンと呼ばれる男の子と。薔薇水晶という名前の女の子。<br> <br></p> <p><br> <br> <br> 「ジュン、運動不足すぎるですよ! もっと翠星石を見習うと<br>  いいですぅ」<br> 「お前、何で園芸部なのに……っていうか、運動不足って言<br>  うな! 僕だってなあ……」<br> 「……知ってる。ジュンはいつも、通販で買ったアイテムで、<br>  身体を鍛えてるんだよね……」<br> 「あーあー。そんなんだから普段家で引きこもりがちになる<br>  ですぅ。外に出るですよ、外に」<br> 「僕は引きこもってないー!」<br> <br>  くすっ。ふき出してしまう。彼女達のやりとりは、何回聞い<br>  ても飽きることが無
<p><a title="yumenotudukiforesuto" name="yumenotudukiforesuto"></a></p> <p><a title="yumenotudukiforesuto" name= "yumenotudukiforesuto"></a>森は、静か。樹々の隙間から差し込む木漏れ日が、<br>  緑色を斑に照らしている。<br>  少しだけ風が吹いていて、その感触が心地よい。<br>  白のワンピースの裾が、揺れている。<br>  <br>  森の奥には、大きな切り株がある。<br>  その地に、しっかりと根を下ろしている。もう幹を<br>  持たない姿になっても、この樹は生きているのだろ<br>  う。私はそう思う。<br> <br>  そっ、と。そこに腰掛けた私は、優しく切り株の<br>  切り口を撫ぜた。<br> <br> <br> <br>  ――ねえ、知ってた?<br> <br>  私はひとり、呟く。――<br></p> <br> <p>―――――――――――――――――――――<br> 皆様、御機嫌よう。物語の案内役、道化のウサギで<br> 御座います。初めてお会いする方も、どうぞ宜しく<br> ……長い付き合いの方は、もうこれで五度目ほどの<br> 邂逅になるのでしょうか?<br> <br> さて、それでは。今回も、誰かが見ていた夢の続き<br> を繋ぎましょう。暫くお付き合い頂ければ幸いです<br> ……<br> ―――――――――――――――――――――<br> <br> <br> 【夢の続き】~フォレスト~<br></p> <p><br>  徐々に、陽の昇っている時間が長くなってきていた。<br> 春が終わろうとしていて、季節はもう少しで夏になる。<br> その前に梅雨がやってきてしまうけど、僕は雨が嫌いと<br> いう訳でもない。地を潤してくれる、そんな時期だから<br> だ。昨夜は少しだけ、梅雨入り前だったけども雨が降っ<br> たようだ。今朝登校したときなどは、道端にある草につ<br> いていた雨粒にひかりが反射して、とても綺麗だった。<br> <br>  陽が傾いて、空がその色を紅く染めている様子を見る<br> のが好きだ。きっと今の自分の姿も、紅く染まっていて。<br>  そんなことを考えていたが、どうやら少し口に出して<br> しまっていたらしい。<br> 「蒼星石は詩人ですねえ」<br> にこにこと返してくる翠星石。僕の、双子の姉。<br> 「なんでもないよ……さ、早く帰ろう。<br>  随分遅くなっちゃったしね」<br></p> <p>  今日も部活が忙しかった。翠星石の誘いで僕は園芸部<br> に入部し、学校の庭園の手入れをしている。部活と言っ<br> ても、部員は僕ら二人しか居なくて。たまに友人達が仕<br> 事を手伝ってくれているものの、実質二人だけで庭園の<br> 管理をしている。<br>  僕達が通う学園には、学校所有のものにしてはあまり<br> に見事な薔薇園があり、それは学園の人々を魅了してい<br> た。<br>  今は、春の薔薇がちょうど咲いている最中。そして初<br> 夏になれば、色とりどりの薔薇が咲き乱れるに違いない。<br> そうなれば、彼女は如雨露に水を汲み、地に潤いを与え<br> ていくだろう。僕は専ら手入れ専門で、花壇の整備は自<br> 分の役割だ。<br>  二人で、一つ。きっと翠星石はこの仕事が、本当に好<br> きなのだろうと思う。<br> <br> 「そうですねぇー。何だかお腹空いちゃったです。<br>  早く帰るですよ!」<br> そう言って。僕の手を引き、走り出す翠星石。<br> 「ちょ、ちょっと! 走るなら前向いて、前!」<br> 僕はもう、されるがまま。翠星石はころころと笑ってい<br> る。<br>  傾いた陽に照らされて。僕らの後ろの地面に、二人分<br> の長い影が映し出されていた。<br> <br></p> <p> 「いつもの日記書いてるですかぁ? 蒼星石」<br> 夕食後。お風呂上りの翠星石が、濡れた頭をタオルでわ<br> しわしやりながら話しかけてくる。<br> 「うん、日課だからね。こうやって文章に書き起こすと、<br>  一日が振り返られていいよ」<br> 寝る前に、日記を書くのが僕の習慣だった。文章を書く<br> のは結構好きなのである。<br> 「はぁー。まめなんですねぇ、蒼星石は」<br> ふぁ、と。小さなあくびを一つして、彼女は答える。今<br> 日の作業で疲れているのか、眠気がピークに達している<br> ようだ。<br> 「あ。髪、ちゃんと乾かさなきゃ駄目だよ?<br>  せっかく綺麗な髪なのに、そのまま寝たら痛んじゃうよ」<br> 翠星石の髪は長く、僕とは対照的だ。僕はよく男の子に間<br> 違われてしまうような感じだけど、彼女は本当に『女の子』。<br> 同じ双子なのに、こうも違う。性格だって、そう。僕の手を<br> 引き、前へ進んでいくのは彼女の役目。行き過ぎたところで<br> 制止するのが、僕の役目。……僕自身がその違いを感じてい<br> るからこそ、僕は彼女と一緒に居て楽しいし、一緒に居たい<br> とも思う。<br>  『似ている』というレベルならともかく。自分と『全く同<br> じ』パーソナリティを持った人間と、何時までも一緒に居た<br> いとは思えないかもしれない。<br> <br></p> <p>「わかったですぅー。ぶつぶつ……」<br> 文句を言いながらも、翠星石はドライヤーで髪を乾かし始め<br> る。何だかんだ言って、彼女の根はとても素直なのだ。互い<br> に反発することもあるけれど、姉妹として僕らは仲の良い方<br> だと思っている。<br> 「ふふ。いきなりそんな強くやってもほら……ああもう。<br>  僕が乾かしてあげるよ。久しぶりに」<br> ドライヤーで髪を舞い上げ放題にしている彼女を見ているのは<br> 微笑ましかったが、流石に見かねて声をかける。<br> 「ありがとです。蒼星石に乾かして貰えばばっちりですぅー!」<br> とすん、と。彼女は床に座った。……そしてそのまま、彼女の<br> 頭は船を漕ぎ始める。<br> 「やれやれ……」<br> 少し苦笑しながら。僕は翠星石の髪に櫛を入れ、彼女を起こさ<br> ないよう、出きるだけ静かに乾かし始めた。<br>  緩やかな時間。こんな日常なら、何時まで続いてもいいかな。<br> なんだか眠くなってきた。彼女の髪を乾かし終えたら、今日は<br> 僕も早めに寝よう……<br></p> <p>――――――――――――――――――――――――<br> <br> <br> 『……気付くと、森の中に居たのだ。<br>  ここは深く、静か。今は、一人で歩き続ける。いつも隣に<br>  る存在が居ない。それは寂しいこと。<br>  とても、寂しい、こと。<br>  ここへ来るのは初めてな筈なのに、迷子になったときの<br>  様な、独特の不安感が全く感じられない。何故だろう。<br>  ……<br>  <br>  森の奥に入る。少し樹々が避けて生えているような、<br>  広い空間があった。<br>  そこには大きな切り株があって、……』<br> <br> <br>  23ページ目、に記されている。<br> <br> <br> ―――――――――――――――――――――――――<br> <br></p> <p> 「いつまで寝てるですか、蒼星石ー!!」<br> がばー、と。布団をひっぺ返されてしまう、朝の始まり。<br> 「珍しいですねえ……いつも翠星石よりも早起きなのに」<br> とっか体調でも悪いですか? と。なんだか心配させて<br> しまったようだ。<br> 「ごめん。今日はなんか布団が気持ちよくってさ」<br> そう。普段寝起きは良い方なのだけれど、今日はいつまで<br> も寝ていたいような気分だったのだ。<br> 「まったく。駄目ですよ蒼星石、規則正しい生活はちゃん<br>  と保たないと。今日は良いけど、」<br> このままお説教のコースかなあ、などと考えてシュンとし<br> ていたのだが、<br> 「ま、まあ。たまには蒼星石も、ゆっくり寝てると良いのです。<br>  妹の世話を姉が見るのは、仕方のねーことなのですぅ」<br> 意外にも、そんなことは無かった。<br> <br>  今日はいつもと立場が逆だなあ。だけど、こんなことが<br> あってもいいかもしれない。<br> 「うん。じゃあ、僕が寝坊したときはよろしくね」<br> 笑って、僕は答えるのだ。<br> <br></p> <p>  園芸部の朝は早い。とりあえず、普通の生徒が登校する<br> 時間よりは早めに出発し、水やりなどをしなければならな<br> いのだ。<br> 「健やかにぃ~~~、のびやかにぃ~~~~♪」<br> 嬉しそうに水やりをする翠星石。『こうやって語りかけな<br> がら水やりすれば、薔薇もそれに応えてくれるんですよ』<br> というのは彼女の弁。確かにそうなのかもしれない。事実、<br> こうやって水と養分を与えられてきた薔薇たちの、現在の<br> 咲き誇り方は見事だった。<br>  僕は鋏を取り出して、伸び盛っている薔薇の、余計な部<br> 分を刈り取る作業を始める。水と養分だけでは、薔薇はう<br> まく咲いてはくれない。<br> 「あ、またあった……」<br> 台樹から、また余計な芽が吹き出している。これを放って<br> おくと、薔薇本体の伸びを妨げることになってしまう。そ<br> れを防ぐ為に。その芽を早めに刈り取ってしまうのも、自<br> 分の仕事のひとつ。<br>  そう。これは新たな芽と言えど、望まれていないもの。<br> 綺麗な花をつける新芽と違い。初めから、要らなかったも<br> のなのだ。<br> <br></p> <p>「……」<br> 無言でそれらを刈り取っていく。この庭園の作業の中でも、<br> これだけはどうにも好きになれない自分がいる。望まれた<br> 芽ではない、だから。『なかったことに、しよう』。<br>  必要なことだとは、わかっている。僕は黙々と、その作<br> 業を続けるのだ。何も問題は無い。何も、問題は、無い。<br> <br> <br> 「さ、朝の分は終了です~! 蒼星石、そっちはどうです<br>  か?」<br> 一仕事終えた彼女が、満足気な表情でこちらに駆け寄って<br> くる。<br> 「こっちも終わったよ。じゃ、教室に行こうか」<br> 僕は彼女を促して、この日の朝の作業は終了。<br>  翠星石の、笑顔。僕は先ほど抱いていた瑣末な感情を、<br> もう忘れてしまっている。<br></p> <p>  教室。いつもなら一番乗りなはずの僕らだったが、今日<br> はすでに先客がいた。<br> 「薔薇水晶! おはようですー。今日は早いですねえ」<br> 「……おはよう……二人は、今日も庭のお手入れ……?」<br> 朝の挨拶に、薔薇水晶は静かに受け応える。<br> <br>  僕の彼女に対する印象は、『不思議な少女』だという事。<br> このクラスはとりわけ個性的な人物が多いのだけど。彼女<br> のパーソナリティは、それらに対して全くひけを取らない。<br> ……というか、むしろ異彩を放っている。<br> <br> 「そうだよ。それにしても学校来るのが早いね、薔薇水晶。<br>  今日はなんか用事があったのかい?」<br> <br>  普段、僕と彼女との会話は多い方ではない。もともと彼女<br> は、饒舌な方ではないのだ。しかし、時々口を開いては、周<br> 囲を不思議な世界へ巻き込んでいく。たまに繰り広げられる<br> シュールな会話は、嫌いではない。<br></p> <p><br> 「……今日は気分を変えて。教室で朝ごはん……」<br> ごそごそと鞄からお弁当の箱を取り出す。かぱっ、と。<br> 中身を開いて見せてくれた。<br> <br> 「ば、薔薇水晶。朝っぱらからこれはねーですよ……」<br> 「……うわあ」<br> 畏れを抱いたような声を漏らした僕らが見たものは、……<br> ぎっしりと詰められたシューマイと、あとは少しの白米。<br> 「え、と、薔薇水晶? それって今日のお昼のお弁当じゃ<br>  ないの?」<br> かろうじて言葉を返す僕に対し、彼女は人差し指をたて、<br> 『ちっちっち』と指を振るを仕草をしてみせる彼女。<br> 「……大丈夫。もういっこ、あるから……」<br> またしても、ごそごそと鞄を漁り、弁当箱を取り出した。<br> でか! なんだあれ。今度は二段重ね。というか、あんな<br> 大きな弁当箱が、どうやってこんなちっちゃいバッグに詰<br> め込まれてるんだろう。……勉強道具はどうしたんだい?<br> </p> <p><br> 「……問題ないよ……」<br> にやり、とこっちを見る薔薇水晶。え、あ、声に出してた?<br> うろたえてしまった僕に、事も無げに彼女は答える。<br> 「……顔に、出てる……」<br> ちょっと、ぞくっとした。参ったなあ。結構自分では冷静な<br> 方だと思ってたのに。<br> <br>  そして予想通り(出来れば外れて欲しかったが)、二段の重<br> 箱には、シューマイと白米がそれぞれぎっしり詰まっていた<br> のだった。<br> 「何やってるです薔薇水晶! ちったぁ栄養のバランスも<br>  考えないといかんですよ!?」<br> 翠星石がぷりぷり怒っている。……突っ込み所はそこだけな<br> のかい? 翠星石。<br> 「……シウマイ。おいしい……」<br> お構いなしに、もくもくと食べ始めた薔薇水晶。……うわぁ、<br> 本当に幸せそうに食べるんだなぁ。君、ほっぺ紅いよ?<br> <br> 苦笑気味にその様子を眺めていると。<br> 「……食べる?……」<br> シューマイを一個差し出されてしまったのだが、丁寧にお断り<br> しておいたのだった。<br></p> <p>  昼休み。特に何か作業をしようと思っていたわけではないが、<br> 僕はひとり薔薇を見に庭へ来ていた。<br> 『ちょっと先生に呼び出されちゃって』<br> 翠星石にはそう言い伝えてある。放課後になればまたここへやっ<br> てくるというのに。そのような嘘をついてまで、今ここに来る必<br> 要はない筈だった。<br> 「……」<br> 刈り取った台芽の痕を見る。いくら初めからなかったことにしよ<br> うとしても、こうやってその痕跡は残される。<br> <br> 「うわっ」<br> 背後からいきなり肩を叩かれて、思わず声を上げてしまった。<br> 「……お昼の……お散歩?」<br> 「ば、薔薇水晶かぁ。びっくりした。おどかさないでよ」<br> ちょっと抗議する感じで返す。すると彼女は、何やらぶすっと<br> 頬を膨らませてしまった。<br> 「……何回呼んでも、気付かなかったから……」<br> 「え、そ、そうなの!? ごめんね、薔薇水晶」<br> 本当に、気付かなかった。どうしたのだろう。そんなに僕は、ぼ<br> んやりしていたのだろうか。<br> 「……」<br> 薔薇水晶は、何も答えない。ちょっとだけ、気まずい空気が流れる。<br> <br></p> <p> 「さっきはほんとにごめんね。なんか最近ぼーっとしてるっていうか、<br>  考え事が多くなっちゃってるような」<br> そう。特に何も考えていない訳ではない。しかしながら、僕はその<br> 『考え事』のイメージがよく掴めていないのである。おかしな話だっ<br> た。強いて言うなら、その『よく考えなければならない』事がある筈<br> なのに、……いや。自分に言い訳するのはやめておこう。最近ぼんや<br> りすることが多い。それで言い終えられることじゃないか。<br> <br> 「そう言えば薔薇水晶。あのお弁当はもう食べちゃったの?<br>  その、随分と量が多いみたいだったけど」<br> <br> そうだ、今朝から気になってたんだ。彼女は見た目、そんなに大喰ら<br> いには見えない……というか、むしろ華奢な身体の線をしている。<br> シューマイが好きだということは聞き及んでいたが、正直あのお弁当<br> を見たときは、目を疑った。<br> 「……あれ位なら、10分あれば事足りる……」<br> びしっ、と。親指を立てて『グッド!』のサイン。あ、あれを10分で<br> 平らげるとは。<br> 「薔薇水晶。えーとね、……」<br> 何か彼女に言わなければならないような。どうしよう。<br> 「?」<br> 小首を傾げて、こちらを眺める薔薇水晶。こんな時は、僕の心を読ん<br> でくれないんだろうか。<br> 「……食事は、もっとよく噛んで食べようね?」<br> 結局、こんな言葉くらいしか思いつかない。こくりと、彼女は無言で<br> 頷いた。<br></p> <p> 「じゃあ、僕はそろそろ教室行くけど。薔薇水晶も一緒に戻る?」<br> 昼休みも気付けば残り少なくなっていた。次の授業の準備をしてお<br> かないと。<br> 「……もう、ちょっと。ここに居る。大丈夫、先に行ってて……」<br> そんな風に彼女は返してくるので、僕はそれに従うことにする。<br> 「う、うん……君も早く戻りなよ? 授業遅れちゃうから」<br> はーい、と。右手を上げるジェスチャーをする彼女。本当にわかって<br> るんだろうか?<br>  少し気になりながらも、僕は庭園を後にした。<br> <br> <br> <br> <br>  私は見ている、教室へ戻っていく彼女の後姿を。誰に言うでもな<br> く、一人呟いていた。<br> 「……呼んでいるのに、気付かないのね……」<br> <br> <br></p> <p> ――――――――――――――――――――――――――<br> <br>  <br> 『……当にそうだ。彼女の胃袋はまさに鉄と呼んでいいかも<br>  しれない。ただ、朝一からお裾分けしてもらうのは。ちょっと<br>  胃に負担がかかってしまいそうだけど……あれは本当に美味し<br>  そう。いつか食べてみたいな。<br> <br>  それにしても。あんなに食べてるっていうのに、体型が全く変<br>  わる様子がない。それは見てて羨ましい限りで、……』<br> <br>  <br>  19ページ目、に記されている。<br> <br> <br> ――――――――――――――――――――――――――<br> <br></p> <br> <p> 「さて、と……」<br> 日常は、なんの変わりも無く続いている。今日の放課後も庭園へ<br> 向かうのだ。<br>  今日は翠星石が、手伝い要員を連れてきた。<br> 「ジュン君、ありがとう。いつも手伝ってくれるから、助かるよ」<br> 桜田ジュン。クラスメートだ。<br> 「ジュンは翠星石の頼みなら、断ることなんかしねーのです」<br> 何だか鼻高々になっている彼女だった。そこは自慢するとこなん<br> だろうか?<br>  苦笑の笑いを浮かべているところで、彼が言う。<br> 「まあ、ね。こいつの頼みを断ったら、後が怖いからな」<br> ちょっと意地悪い笑みを浮かべながら、ジト目をして翠星石の方<br> を向く。<br> 「んなっ! それじゃ翠星石は、ジュンを脅迫してるみたいに<br>  聞こえるです! 人聞きわりーのですよ、ジュン!」<br> ぷりぷりと怒る翠星石だった。<br></p> <p><br> 「あ、そう。じゃあ今日は帰ってもいいか」<br> そっけなく返すジュン君と、<br> 「えっ? あー、うー……」<br> それに反論出来ない翠星石。あ、そろそろだな。<br> 「ま、まあまあジュン君。用事があるならしょうがないけど、<br>  折角きてくれたから。手伝っていってくれると、僕も<br>  嬉しいかな」<br> とりあえずフォロー。彼女は普段は強気だけど、ちょっと切り返さ<br> れると途端に弱くなってしまう。まあ、彼もその辺のこともわかっ<br> ていて。本気で彼女のことを言い負かそうとはしないのだ。<br> だけどそこで、『蒼星石の頼みなら、断れないなあ』なんて。翠星<br> 石の方を向きながら言うものだから、彼女は更にヒステリーの度合<br> いを上げていく。<br></p> <p>  欠点、というもの。それは自分ではなかなか気付かないことでも、<br> 他人から見れば一目瞭然だったりすることが多い。彼女の場合は、<br> 基本的にひとに対して素直になれないところ。<br>  これは自分の私見だけれど、彼女は彼のことをかなり気に入ってい<br> る。なのに、いつもツンツンとした口調で。結局は言い争いになって<br> しまっていた。<br>  ただ。先ほども言った通り、彼は彼女よりも、一歩か二歩ほど余裕<br> を持って会話に望んでいる。その辺も愛想を尽かさず付き合っている<br> 限り、彼はとても優しいのだろうと思う。<br> <br>  本当。素直じゃないんだから、この二人は。まるで子供の様に……<br> 無邪気だ。<br> <br>  彼は翠星石のことを、どう思っているのだろう。きっと嫌いじゃ<br> ないだろうけど、本心が見えない。仲の良い友達、という感覚なの<br> だろうか。<br> <br> 『蒼星石の頼みなら……』<br> 何故か、今。僕の中で、さっきの彼の台詞がリフレインしている。<br> 翠星石は素直じゃないけど。僕、僕は。蒼星石という存在を、彼は<br> どう思って……<br></p> <p>「……?」<br> 僕は今、何を考えていたんだろう。そうだ。放課後の時間だって限<br> られているんだ。彼ら二人のやりとりを眺めているのは微笑ましい<br> けれど、そろそろ止めなきゃ。<br> 「ほらほら、二人とも! 作業をはじめようよ。<br>  またすぐ暗くなっちゃうよ?」<br> ぴしゃりと諌めておく。これで口喧嘩は終了だ。<br> 「そうだな、ごめん。蒼星石のいうことはもっともだ。<br>  ほんとしっかりしてて偉いよなあ」<br> 姉とは大違いだなあ、と言って。また言い争いの種が芽を吹きそう<br> な雰囲気だったけれど、その後は恙なく作業に入る事が出来た。彼<br> が結局、彼女にお詫びの言葉を入れたためである。<br>  やっぱり、この二人は仲が良い。僕は少しそれを、羨ましく感じ<br> ている。<br> <br> <br>  『大違いだなあ……』そう。違う。違うのだ。<br></p> <p><br> ―――――――――――――――――――――――――――<br> <br> <br> <br>  20ぺージ目、と記された頁の次が、破られている形跡がある。<br>  破られているのは、一枚分のようだ。<br> <br> <br> <br> ―――――――――――――――――――――――――――<br> <br></p> <p>  休日。とは言っても、庭園の手入れにお休みなどない。今日も<br> 今日とて出発なのである。夕方から雨が降ると天気予報は言って<br> いたので、午前中の作業だけでよさそうだ。<br>  随分と作業も手馴れたもので、お昼前には大体終了することが<br> 出来た。<br>  昼食は家で食べようということになって、二人で家路へつく。<br> 途中の道で、僕は何故か、ふと足を止めた。<br> 「ん? どうしたです蒼星石?」<br> 不思議そうに尋ねる彼女。<br> 「これ。こんなところ……わき道なんて、あったかな」<br> 林というか、森というか。この辺りは自然が多いほうだけど、今<br> まで気付かなかったのが不思議なくらいの、そんなわき道があっ<br> たのである。<br> 「この道の奥……森かな。なにがあるんだろう」<br> 行ってみたい。そう思った。……僕が、思った? <br> 「なんかこの森、気持ち悪いですぅ。やめとくですよ、蒼星石」<br> <br> 翠星石が、僕を止める。珍しい。いつも好奇心旺盛で、僕の手<br> を引いて先を行く彼女が。<br> 「……そうだね。お腹も空いたし、早く帰ろう」<br> <br> 『それが一番ですぅ』と言って、僕の手を引き始める翠星石。<br> 僕の、微かに感じていた違和感はなんだろうか。<br> <br> <br></p> <p>  そして。僕はその日の午後に、一人でその森へ行くことに決めた。<br>  何処か別の場所へ行くということを言い伝えておいても<br> 良かったのだが、それだと彼女が一緒について来る可能性<br> がある。彼女は、僕があの森へ行く事は拒否するだろう。<br>  僕は何故、ここまであの森に拘っているのだろう? 不<br> 思議な感覚だった、とても。だけど、僕のこころが。ここ<br> ろの奥底が、あそこへ行かなければならないと。そう告げ<br> ている。でも、でも。僕の身体は。……僕の"器"が。それ<br> を拒否している、そんな気がする。<br> <br> "器"だって? 自分で言っていて意味がわからない。<br> <br> <br>  森の入り口へ続く、あのわき道で。僕は出会うのだ。彼<br> 女に良く似た、彼女に。<br> <br> 「薔薇水晶……?」<br> <br> 居る。頭の隅にある混在したイメージが、何かを、警告して<br> いる。<br> <br></p> <p>「……あなたは、……ここに来るのは、まだ早いよ」<br> <br> よくわからないことを言う彼女。<br> <br> 「なんだって……? 薔薇水晶。そもそも何で君がここに、」<br> <br> 「……あなたは。」<br> <br> 最後まで言わせてもらえない。圧倒されている。<br> 知ってる、この感じを、僕は、<br> <br> 「……あなたは、思い出し始めている。<br>  だけど……気付いて、いないの。だから……」<br> <br> 彼女の、口調が、変わって、<br> <br> 「まずは、気付きなさい。貴女たちは、違いながらも"似ている"の」<br> <br> 「私の言葉を呑んで。<br>  芽を摘む役割を担った方が。それを、したの。<br>  そして『初めから無かったこと』になっているけれど――」<br> <br> ……『それでも、いいの?』…… <br> <br> 最後の声は。そんな風に、僕には聴こえた。<br></p> <p>――――――――――<br> <br> <br> 「ただいまー」<br> 夕方近く、僕は家へと戻った。<br> 「おかえりなさいです、蒼星石ー! 随分遅かったですね?」<br> 翠星石に出迎えられた。<br> 「うん、ごめん……適当に散歩するだけのつもりだったんだけどね。<br>  途中で薔薇水晶と会ってさ」<br> 一緒に買い物してきたよ、と。手提げの買い物袋を示した。<br> 「ああー、ずるいですよ蒼星石! 翠星石も一緒に買い物し<br>  たかったです……」<br> いじけてしまった。確かにそうだ。なんでまた僕は、散歩に行こう<br> としたんだろう? 結局、薔薇水晶に引っ張りまわされて(予想以上<br> に彼女はアクティブだった)、色々と買うハメになってしまった。<br> まあ、楽しかったからその辺りは良かったんだけど。<br> 「ごめん、翠星石。今度のお休みは、一緒に買い物行こう?」<br> 果たして、慰めになるだろうか。けれど精一杯の本心を伝えるくらい<br> しか、出来ない。<br> 「うー……しょーがねーです。それで勘弁してやるですよ。<br>  ところで蒼星石!」<br> いきなり返されたので、ビックリしてしまった。<br> 「え、な、何?」<br> 「何、じゃないです。買い物って言ってるんですから、<br>  何買ってきたのか聞こうとしただけですよ」<br> あくまで素、らしい。えーと。買い物はですね、ちょっと<br> 薔薇水晶に連れられて……その……下着類が売ってるとこ<br> で……えと……<br></p> <p><br> ――――そう。まさしく、買い物中は地獄だったのだ。<br> 僕はこんな容姿をしているので、よく男の子に間違え<br> られたりする。以前一人でランジェリーショップに入<br> 店したとき、他の一般客から結構痛い視線を浴びたり<br> した事があった(毎回店員に話しかけると、かろうじ<br> てわかってもらえる)。<br>  今回は、薔薇水晶と一緒。ぱっと見、同年代のカッ<br> プルに見られたらしい。最近では、恋人同士で入店し<br> てくるケースもしばしば見られるらしいのだが。とり<br> あえずそんな事は、僕には関係のないことで。<br> <br></p> <p><br> 「……これ……なんかどう……?」<br> え、何……? と、見た先にあったもの。<br> うん、薔薇水晶。それは、ほとんど紐だと思うんだ。<br> 「……蒼星石の、趣味にあわせて……」<br> ちょっ! 何顔紅くしてるのさ! っていうか僕の趣味って何さ!<br> あー、周りひそひそ言ってるよ!<br> <br> 『あのカレシ、ああいうの好みだってーひそひそ……』<br> 『大胆ねー、女の子の方恥ずかしそうにしてるしーひそひそ……』<br> <br>  違うううう!! 僕は変態じゃないんだ!!<br> <br> 「あの、お客様」<br> ああ、店員さん! 助けてください!(この状況から)<br> 「お客様のご趣味に合わせまして、このようなものも御座いますが」<br> <br> ぴらり、と。提示されたそれは完全シースルーの下着な訳でして、<br> <br> 『『ひそひそひそひそ!!』』<br> <br>  うわーん!! 違うんだあああああ!!!<br> <br> 悶えている僕を尻目に、薔薇水晶は、ぽつりと呟く。<br> <br> 「……キャラ的に、おいしいよね……」<br> <br> 僕はがっくりと膝をついた―――――――――<br></p> <p> 「……蒼星石? 大丈夫です? なんか泣いてますよ」<br> はっ。ちょっと意識が飛んでたらしい。眼を擦る。大丈夫、<br> 僕は泣いてない。<br> 「えっとね。うん、大丈夫。下着とか買ってきたんだ、ホラ」<br> 袋を手渡す。翠星石は『お姉ちゃんがチェックしてやるですぅ』<br> と言いながら、その中身を漁り始めた。<br> <br> 「あ、蒼星石ー! これかわいいですよ!<br>  なんかいつものやつと違うですねえ」<br> <br> 普段はスポーティなものを身に着けるのだけど。薔薇水晶が<br> 『そこにギャップを見出すと……グッド』<br> とか言いながら親指を立てていたので、結局それに従うこと<br> にしたのだった。紐とかよりは、マシだ。<br> 「はは、たまにはね……」<br> 僕は苦笑するしかない。<br> 「こんなの買ってくるなんてー。蒼星石もやっぱり女の子なのです。<br>  で、これで好きなひとでも誘惑するですか?」<br> <br> キラリ、と眼を光らせながら彼女は言う。<br> 『その辺の男なんかには、大事な妹はやれねーですけどね』<br> なんて言いながら、笑っている翠星石。<br> <br> <br>  好きな、ひと? 僕はその声を、何処か遠い位置で聞いて<br> いるようだった。僕の、好きなひとは――<br></p> <p>  就寝前。僕は布団に入りながら、翠星石にちょっと尋ねてみた。<br> 「ねえ、翠星石。君は好きなひと、居ないの?」<br> その質問の答えを僕は知らない、というのは。多分嘘だ。十中八九、<br> 彼女の想い人は、彼のことである。<br> 「なっ、なんですか蒼星石、やぶからぼうにー!」<br> 慌てる彼女。<br> 「いや、ちょっと気になっただけだよ」<br> それも、嘘。僕はここで、確認しておきたかった。<br> 「……いねーですよ。翠星石には、好きなひとなんかいねーのです」<br> <br> <br> どうして、僕はこんな事を聞いているのだろう。<br> そして彼女は。何でこんな風に、応えるのだろう――<br> <br> <br>  眠りに落ちる。僕は何かを思い出し始める。<br>  気付く事など、何も無いの筈なのに。<br>  何処からか、声が。<br> <br> 『また、繰り返すの?』<br> 『同じ事、繰り返すの?』――<br></p> <br> <p>―――――――――――――――――――――――<br> <br> <br> 『僕はこれから、、物語を綴ることにする。<br>  ここが肝心だ。これで、何の問題も無くなるだろ<br>  う。大丈夫、繰り返しになど、ならない。<br>  そして、……』<br> <br> <br> 25ページ目、に記されている。<br> <br>  <br> <br> ――――――――――――――――――――――――<br></p> <br> <p><br> 「ごほっ、ごほっ……う~」<br> 38.1度。これは酷い。<br> 「翠星石、大丈夫……?」<br> 僕は彼女の額のおしぼりを変えながら、聞いてみる。<br> 「ちょっと辛いですねぇ……今日は学校休むです……」<br> それはそうだ。でも、このまま家に残していくのも心配だ。<br> 「翠星石。今日は僕も休むよ」<br> そして病院へ付き添って、看病して。一人になると不安<br> がるだろうし。<br>  およそ僕の考えられる最良の選択肢だったが、彼女は<br> それを断った。<br> 「心配はありがたいです……でも、蒼星石まで休んだら、<br>  薔薇の世話をするひとが居ないのです……」<br> 確かに、それはそうだが。僕は『今日一日くらいなら大丈<br> 夫だよ』と。そう押したのだが、彼女は頑として譲らない。<br> <br> 「わかった。でも、辛くなったら。いつでも学校に<br>  電話して? あと、絶対安静にすること!<br>  今日は早く帰ってくるよ」<br> <br> とうとう僕が折れて、学校へ行く事になった。仕方が無い。<br> 後ろ髪を引かれる思いだが、今日の作業を早めに切り上げ<br> て、帰ることにしよう……<br></p> <p><br>  放課後。流石に一人で作業するとなると、時間的に普段の<br> 倍はかかる訳で。それだと、家へ帰るのが遅くなってしまう。<br>  僕はジュン君に助けを求めることにした。二つ返事で了承<br> である。<br> <br> 「翠星石の体調は大丈夫なのか? かなり酷い感じみたいだけど」<br> 彼女が風邪で休んでいることは、朝のホームルームで聞き及んで<br> いた筈なので、勿論彼も知っている。<br> 「うん……熱が上がってて。今日は早く帰らなきゃ」<br> その後、黙々と作業を続ける。<br> <br> 「ねぇ、」<br> 不意に、口が開く。何だ? 僕は何を聞こうとしている?<br> 「ジュン君ってさ、」<br> ジュン君? ジュン君が、<br> 「好きなひととか、居るのかい?」<br> 返す言葉を、僕は。僕という"器"が、知っている――<br> <br> なっ、と。言われた彼の顔が、紅い。<br> 僕の顔も、今紅くなっているのだろう。<br> そう、知っているのだから。<br> 僕? ……器。……僕は、誰だ……?<br> <br> <br> 「僕は、蒼星石のことが、――」<br> <br></p> <p>……<br> <br> <br> 「――ごめん!」<br> 僕は走り出し、脱兎の如くその場から離れる。<br> 違う。違う。僕はこうなることを知っていた、けど、<br> 今の"僕"ではいけない気がする――!<br> <br> <br> <br> ……<br> <br> <br> <br>  とぼとぼと、僕は帰り道をひとり歩いている。<br> 「はぁ……」<br> 溜息が、出た。<br>  僕は、彼に好きだと言われ、嬉しかった。だけど。<br> 何かが、違う。決定的な、何か。それについて考え<br> ようとすると、すごく頭が痛い。<br>  そもそも。僕は翠星石の気持ちを知りながら。何<br> て汚いことを、してしまったのだろうか――<br> <br></p> <p><br>  と。僕の行く先には人影がある。<br> 「薔薇水晶―――と」<br> もう一人、若い男性。あれは誰だ?―――<br> しかしながら。特に驚いたような感情の昂ぶりを、<br> ほとんど持ち合わせていない僕が居る。この男の<br> ひとは誰かわからないけど。ともかく、薔薇水晶<br> が、ここに―――森へ通じる道の入り口に―――<br> 居るのは、ひどく『ふさわしい』。<br> <br> <br> 「お嬢さん、はじめまして。私は白崎という者です」<br> 白崎、と名乗った男が挨拶をしてくる。言い方自体は<br> 普通、というよりむしろ丁寧であるのだが。これがこ<br> の男の本性ではない。そんな気がしている。<br></p> <p><br> 「何か、用ですか?」<br> 牽制。あまり深く関わらない方が良い。はず、だ。<br> いや、しかし。彼らから、何か重要なことを聞き<br> 出さないといけないのでは――<br> <br> 「……本当に、良いの?……」<br> <br> 薔薇水晶の視線に、射抜かれる。身体が、動か、な、<br> <br> 「いえいえ……物語に綻びが出始めたものでして。<br>  そもそもこの物語は、これからが肝要なのでは<br>  なかったのですか?<br>  ……まあ、いいでしょう。<br>  ちょっとこの娘の手に負えなくなる前に、<br>  私が出てきたまでのことですよ。お嬢さん」<br> <br> 何だ、何を言っている?<br> <br> 「それでも。貴女が自分で気付きたいと言うならば、<br>  止める理由もないのですが――」<br> <br> 「初めから"無かった"ことを暴き、ほり起こし。<br>  その続きを見る勇気が、貴女にはあるのですか?」<br></p> <p><br> 涙が出そうだ。怖い。僕は、この先を知る必要は、<br> ないのかもしれない。<br> <br> 「あ、あ、―――」<br> <br> 声が続かない。けれど、駄目だ。ここで"僕"が――、<br> 進まなければ、ならない!<br> <br> <br> 長い沈黙のあと。<br> 僕は、頷く。そして、この森の。―――奥にあるもの<br> を、確かめるのだ。<br> <br> <br> 「そうですか。なかなかどうして、勇気がおありですね、<br>  お嬢さん。それでは、物語の配役通り。<br>  薔薇水晶――いや、雪華綺晶。森の、奥へ――」<br> <br></p> <p>薔薇水晶、では無い。よく似ているけど、違う。<br> 雪華綺晶と呼ばれた彼女は、無表情に言った。<br> <br> 「人使いが荒いのですね、白崎。<br>  私はたまたま選ばれたけど、もう後はないですわ。<br>  貴方が言っている通り、物語に綻びが生じています。<br>  少しずつ、ずれてきていますから。<br>  貴女が――気付き始めて、いますし。<br>  "貴女"が、"貴女"の中から呼んでいる声に。<br>  あと、そうじゃ無くても。<br>  "森"も、長くは保たないでしょう」<br> <br> それでは、と。雪華綺晶と呼ばれた彼女が、森の奥へ<br> 消えていく。<br> <br> 「さあ、お行きなさい――と言いたいところですが、<br>  お嬢さん。貴女はまだ、気付いていない事がある。<br>  曖昧な感覚な気持ちで"森"に入れば、貴女はまた、<br>  誤魔化されてしまうでしょう。それほど、この森<br>  は深い。<br> ……ですから。まずはこれを、お探しなさい」<br> <br> それは。僕の、日記帳―――? どうして、ここに。<br> <br> 「もともとは、あなたが――いや、あなたに、近い魂が。<br>  この世界を、作り上げたのです。<br>  あなたもこの劇作の、一人の役者にすぎませんが―― <br>  幕を下ろすのを。<br>  あなたに任せてみるのも、良いでしょう」<br></p> <p><br>  家へ着いた。翠星石は、今は眠っているようだ。<br> 熱は少し下がっているらしく、規則正しい寝息を<br> たてている。<br> 「……」<br> 白崎が示したもの。あれは、僕の日記帳だった。<br> 「……世界……」<br> 僕は机の上に突っ伏す。そして、二段目の引き出<br> しの奥から、日記帳をとり出す。僕はこの日記帳<br> には、日常の出来事しか書いていないのだから。<br> 物語など、何処にもありはしない。<br>  白崎は、『探せ』と言った。探して見つからない<br> ものならば、きっとそういう言い方はしないだろう<br> と思う。<br>  近いところにあるのだろうか? 僕は翠星石を<br> 起こさないように気をつけながら、部屋の物色を<br> 始める。……まったくもって、馬鹿馬鹿しい、け<br> れど。僕は焦っている。早くしなければならない<br> という焦燥が、僕をどうしようもなく、駆り立て<br> ている。<br></p> <p><br> 「……あとは……」<br> あらかた、大体ではあるが部屋を漁り終えて。の<br> こるは、翠星石。彼女の机の、中。<br>  いくら姉妹とは言えど、こういった行動はプラ<br> イバシーの侵害になってしまうかもしれなかった。<br> それでも。意を決して、机を探す。<br> <br>  そして、僕はやはり知っていたのだ。<br>  "僕"ならきっと。<br>  日記帳をしまっておくのは、<br>  二段目の引き出しの、奥。<br> <br> 「……あった……」<br> <br> もともと僕が持っていたものと、全く同じデザイ<br> ンの日記帳。これで、二冊。<br> <br></p> <p> 僕の考えが正しければ。白崎から言っていた日記<br> 帳には、僕が。いや、"僕"の書いた物語が――"森"<br> に関する記述が、ある筈なのだ。そして、僕が"森"<br> に至ってしまう、その過程まで。<br> <br> <br>  何故、そのようなことが書かれているか?<br>  僕が、日常を記している日記帳と。<br>  まったく同じ形をした、もうひとつの日記帳。<br> <br> <br> この二つが同時に存在する時点で。<br> どちらかの存在が、『この世界にとって』イレギュラー<br> なのだ。そしてそれはもう、決まって、いる。<br>  <br> <br> ぱらり、と。日記帳をめくると。記憶に残っていた白<br> 紙部分が、文字で埋まっている。<br> <br></p> <br> <p>―――――――――――――――――――<br> <br>  またお会いしましたね。道化のウサギで御座います。<br>  これは。"とても似ている"、二人の少女の物語です。<br> <br>  蒼星石という少女。彼女の抱いていた『違和感』が、<br>  かたちになろうとしています。<br> <br>  "森"が、何であるのかという事。<br> <br>  そして、彼女が日ごろつけていた日記帳と、本来存在<br>  しない筈である『もう一つの日記帳』。<br> <br>  彼女はそれを読み、果たして何に気づくのでしょう?<br> <br>  それでは、この物語の続きを。<br>  最後までご覧頂ければと思います……<br> <br> ――――――――――――――――――――<br> <br> <br> 【夢の続き】~フォレスト~ そして幕間のつづき<br></p> <br> <p><br> <br> <br>  日付が……今日、になっている。<br>  そう。今日までしか、無い筈なのだ。<br>  僕は食い入るように、その内容を凝視し、読む。<br> <br>  つぅ……と。冷や汗が、背筋を降りていく感触。<br>  終わっていない、まだ文章は終わっていない、<br>  読まなきゃ、読まなければ、<br> <br> <br>  僕は、気付かなくてはいけない!<br> <br> <br>  続けて、読み進める。<br> <br> <br> <br> <br> 『気付くと、森の中に居たのだ。<br>  ここは深く、静か。今は、一人で歩き続ける。いつも隣に<br>  る存在が居ない。それは寂しいこと。<br>  とても、寂しい、こと。……<br>  <br>  <br>  森の奥に入る。少し樹々が避けて生えているような、<br>  広い空間があった。<br>  そこには大きな切り株があって、白いドレスをきた<br>  少女が、座っている。美しい容姿をした彼女。<br>  何処かで見たことが、あるような気がする。<br> <br>  <br>  彼女が言葉を投げかけてきた。<br>  "あなたは、だぁれ?"と。……』<br> <br>  森、に関する記述。僕は行かなければならない。<br>  全てはあそこから始まった物語。<br>  いや、"始められた"物語なのか――<br>  僕は。日記のあるページを破り、ポケットの中へ<br>  仕舞い込んだ。<br> <br> <br>  もう、誤魔化されない。<br></p> <p><br> <br>  走る。ただひたすらに。身体が拒否している、森へいくこと<br> を拒否している。それはそうだ。この身体は、ただの"器"だ――<br> 僕はまだ、"僕"である意識を以って、走る。<br> <br> <br> そして、あの大きな切り株のある場所へ。辿り付く。<br> 彼女は、居る。<br> <br> <br> 「あなたは、だぁれ?」<br> <br> <br> 答えは、決まっている。ポケットにねじ込んだ紙切れを<br> 突き出しながら、僕は息を吸う。<br> <br> <br> 「――、」<br> <br>  まさに声を出そうとした、その時だった。<br></p> <p><br> <br> <br> 「駄目です、蒼星石!」<br> <br> 「……翠星石」<br> <br> 僕のあとを、追ってきていたのか。頷ける。彼女は、<br> この世界を終わらせる訳には、いかないのだから。<br> でも、それは――<br> <br> 「蒼星石! 蒼星石は、今のままでいいんです!<br>  あなたはこの世界で、ジュンと幸せを掴むです!<br>  翠星石は、翠星石は……大丈夫なのです。<br>  "この世界"の私なら。きっと大丈夫なのです!」<br> <br>  泣いている。彼女は泣いている。<br>  ぽろぽろと涙を零して。<br> <br>  そして、気付く。<br> <br>  ああ――ならば。"この世界"ではなかった、翠星石の。<br>  "私"の心は、<br>  どれほど、弱かった事だろうか。<br> <br>  そして、"貴女の器"も。<br>  まだ眠っているのね、蒼星石。<br>  そう、それは。私の、せいで――<br></p> <p><br> <br> <br> ―――――――――――――――――――――――<br>  <br> <br> 『ジュン君に、告白された。本当なら、飛び上がる程<br>  嬉しいことなのに、今は全く喜ぶ気になれない。<br>  <br>  告白された直後、僕は翠星石に、その現場を見られて<br>  いたことに気付いた。彼女は逃げ出して。<br>  僕はそれを追いかけた。必死で。<br>  彼女を、追い続けた。<br> <br>  <br>  そして。丁度、目の前には階段。彼女がそれを降りて<br>  いきそうになるところで、僕は彼女を手を掴む。<br>  けれど。それを振り解こうとして、バランスを崩し。<br>  そして、僕も一緒に、そのまま――』<br> <br> <br> <br> <br>  ― ― ― ― ― ―<br></p> <p><br> <br> <br> 『手には、この日記帳を、握り締めていた。<br>  僕はそこで、人間の身体をしているのに、顔は<br>  白いウサギになっているものが、現れる。<br>  それは、道化のウサギである、と。<br>  自己紹介をしてくれた。<br> <br>  <br> 「おや、どうして貴女はこんなところに居るのです?<br>  ここは、深い意識の森。<br>  どうやら貴女の"器"は、眠ってしまっているようだ」<br> <br>  僕は、思う。<br>  僕は多分、彼のことが好きだったのだと思う。<br>  けど、それを自覚するほどのことでは無かった。<br>  興味本位。ほんの興味本位で、聞いてみたのだ。<br>  彼に、想い人が居るのかということを。<br> <br> <br>  彼から返ってきた答えは、意外なもので。<br>  それによって、僕は束の間の喜びを得て。<br>  そして翠星石は、傷ついた。<br>  深く、深く。僕の、せいで。<br></p> <p><br> <br>  僕は、思う。<br>  そもそも、彼の好きな人が、僕で無かったら<br>  良かったのだ。<br>  告白されて、もし幸せになっても。<br>  翠星石が傷つく結末なら、僕はいらない。<br> <br> <br> 「――ならば。そういった物語を、貴女が繋ぎなさい。<br>  貴女方は、似て非なるものですが、互いに近い魂を<br>  持っているのです。<br>  ほら、現にこの意識の森は……普通は一人一人、別<br>  なものの筈なのです。<br>  ですが、今ここは。彼女の意識と、繋がっているの<br>  ですよ?<br> <br>  <br>  貴女は今、ほとんど自分の形を、成していない……<br>  ですから、どうにでもなる。<br> <br> <br>  ――よく、わかりませんか。<br>  では、例を示しましょう。<br>  雪華綺晶、おいでなさい。<br>  彼女もそういう"もの"なのです」<br> <br> <br> <br> <br>  雪華綺晶と呼ばれた少女。<br> 『あなたは、だぁれ?』と。さっき、<br>  僕に問うてきた……そうだ、彼女は。<br>  薔薇水晶に、似ている?<br> <br> <br>  そして、雪華綺晶という名前らしい少女が、<br>  口を開く。<br> <br> 「似ている、と。貴女は今思いましたね?……そう。<br>  貴女の知っている彼女と"私"は、近い魂を持っている。<br>  まあ、私はこの森から出られませんし。<br>  普段貴女とお会いすることは、ないでしょうけど」<br> <br> <br>  何故、君はここに居るの?<br> <br> <br> 「私は何処にも居ないし、……何処にでも、居るんですよ」<br> <br>  貴女は知らなくても良いことだけれど、と。<br>  そう言った彼女の表情は読み取りにくかったが、<br>  その時。彼女は微笑んだのだと、思った。<br>  今思えば、それは少しだけ。寂しさを、含むものであった<br>  かもしれない。<br> <br> <br>  そしてまた、彼女は口を開く。<br> <br> 「実際、貴女も彼女も、眠っているけど。<br> <br>  彼女は弱く、傷つき。現実に、耐えられなかった。<br>  今ある状況は、偶然なのだろうけど。<br>  あるいは、運命だったのかもしれない。<br> <br>  起こってしまったことは、変えられないの。<br>  だから、あの少年が、――蒼星石。貴女に好意を<br>  抱き、そして告白すると言う事実は、この世界<br>  でも変えられない。他人の意識が介入したら、<br>  この森の中では変わらない。<br> <br>  けれどね。さっきも言われていた通り、<br>  貴女達は、とても近い魂を持っている。<br>  そう、もはや『他人』とは呼べない程の。<br> <br> <br>  ――もし、今。<br>  貴女が彼女の器に入り、彼女が貴女の器に入れば――<br> <br>  貴女の望みは、叶うと思う?<br>  この、世界の中で」<br> <br></p> <p><br> <br> <br> <br> <br>  僕は、きっとジュン君に相応しくない。<br>  翠星石こそ、彼と一緒に居るべきなのだ。<br>  だから――僕が、彼女に。彼女が、僕に。<br>  ジュン君。僕の姿をした翠星石を、愛してあげて。<br>  そして僕は。それをきっと祝福出来る――!<br> <br> <br> 「貴女は、私の言葉を呑むと言うのね。<br> <br>  じゃあ、夢を見せてあげましょう。<br>  時間のねじを、少しだけ巻き戻して。<br> <br>  貴女は、物語を綴ると良いでしょう。<br>  どのような結末になるか、その眼で確かめなさい――」<br> <br> <br> <br> <br> <br> <br> ……<br> <br></p> <p> 不思議な出来事だったが、記憶に残っている限り<br>  書き残しておきたい。僕が、してしまったことも含めて。<br>  可笑しな話だ、本当の僕は、今も眠っているというのに。<br>  ……そしてそれは、彼女も同じこと。<br> <br> 『繋がっている』と、白崎は言った。僕と、彼女の意識。<br>  いま、ここでも――彼女を、傷つける訳には、いかない。<br> 万が一にも忘れることはないだろうけど、<br>  一応こうやってかたちにしておく。<br>  僕がしてしまったことを、忘れない為。<br>  何時だって思い出して。<br>  それを、背負っていく為に。<br> <br>  さあ、夢を見る。<br>  僕の今の姿は、翠星石で。きっと僕の器の中に、<br>  彼女も入っているだろう。<br>  どうやら、この翠星石の器が眠っている間、僕<br>  は僕として居られるようだ。<br>  だから、この間に――物語を、これからこの日<br>  記帳に綴ろうと思う。<br> <br>  大丈夫。僕が眠っている間も、<br>  "翠星石"を悲しませることは、しない――』<br> <br> <br>  破かれた形跡のある紙切れ一枚と。<br>  24ページ目、および25ページの途中まで、<br>  それぞれ記されている。<br> ―――――――――――――――――――――――――<br></p> <p><br> <br>  <br>  近い魂は、この森の力で入れ替わり。そして<br> それは近すぎた故、器に染められてしまった。<br>  思い出さなければ、このまま幸せに、暮らすこと<br> が出来たのだろうか。いや、――結局は、眠り続けて<br> いるだけ。だから。現実に体験したところまでしか<br> "この世界"は存在出来ず、その先はない筈だった。<br> <br>  だが。彼女には、この世界を動かす「日記帳」が<br> ある。これから先のことは、物語として綴っていけば<br> 良いのだ。そうすれば、森は全てを体現してくれる。<br> これは深い、深い意識の森なのだから。<br> <br> <br>  ただ、それは。役者である、この私が。この世界のか<br> らくりを、暴いてしまわない限りであって――<br> <br> <br> <br> ……<br> 『あなたは、だぁれ?』と。切り株に座り、<br> 尋ねる彼女。もう、その問いの答えはわかっていた。<br> <br> <br> <br></p> <p><br>  <br> <br> 「……そろそろ、姿を戻してもらえねーですか。<br>  もう全部、気付いちまってるですよ」<br> <br> <br>  まったく。外面は蒼星石の姿をしているのに、口調は<br> 翠星石で。周りからみたら、さぞ可笑しいことだろう。<br> 周りと言っても、ギャラリーは多くない訳だが。<br> <br>  この器に入ってみてよくわかった。"蒼星石"の気持ち、<br> そして、"翠星石"という自分の弱さ。<br> <br> <br> 「あなたは……気付いているようね。<br>  この森から、弾く必要は無さそうですわ」<br> <br> <br>  形が一度不安定になり、翠星石は、翠星石の。蒼星石は、<br> 蒼星石の。元の姿へ、戻された。<br>  私は立ち尽くしていて、蒼星石はその場に倒れている。<br> <br> 「蒼星石!」<br> <br>  私は彼女を抱き起こす。眠ってしまっている時の、穏や<br> かな表情。<br> <br> <br> <br> <br> 「蒼星石……眼を、覚ますです。翠星石は……もう、<br>  大丈夫ですから」<br> <br> <br>  もともとは、私の弱さが。彼女を追いつめ、こんなこと<br> にまでなってしまった。私の、私のせいだ。<br> <br>  私達は、早く眼を覚まさなければならない。<br>  蒼星石の肩をつかみ、優しく揺する。<br> <br> 「……蒼星石?」<br> <br> 反応が無い。<br> <br> 「蒼星石!!」<br> <br> 今度は、激しく揺さぶる。彼女は、眼を覚まさない。<br> <br> <br></p> <p>「言ったでしょう。物語が、綻び始めていると。<br>  ここは、蒼星石という意識の森の中。そこに<br>  あなたは同化して、今までここに居たけれど……<br> <br>  この娘の器は、もう壊れ始めているみたいね。<br>  物語の書き手が居なくなったら、この世界も<br>  長くは保たないのは道理でしょう」<br> <br> 事も無げに、彼女は言った。<br> <br> 「そんな! なんとかするです!」<br> <br> 書き手が居なくなる、とは。蒼星石は今、外で<br> 死にかけている、という事? そんな、馬鹿な。<br> 私に巻き込まれて、彼女が死ぬなんて!<br> <br> 「いいです! 私はどうなってもいいですよ!<br>  ぐすっ……妹にこんなに思いつめさせて……<br>  そりゃ蒼星石は、真面目で。<br>  すぐ極端な方向に走りたがるです。<br>  今だって、こんな……」<br> <br> 私は、涙を拭い、叫ぶ。<br> <br> 「けれど。姉想いの、いい妹なのです!」<br> <br> 私が。私が強く在れば。こんなに苦しませることは、<br> 無かったのだ――<br> <br> <br> <br> <br> <br> 「……だ、そうですよ。道化のウサギさん。<br>  ここからは、私の管轄外かしら」<br> <br> 私はこの世界の。貴女達の、ただの監視役だから、と。<br> 彼女は言った。<br> <br> <br> 「左様ですか、お嬢さん。<br>  ならば貴女は、目覚めを望むと言うのですね?」<br> <br> 何処からか現れた白ウサギは、そんなことを言う。<br> <br> 「貴女はまず、自分の森に帰りなさい。<br>  ここに居たら、貴女も目覚められなくなるでしょう――<br> <br>  私は私で、これからこの森の修復に入ります。<br>  雪華綺晶。貴女にも手伝ってもらいますよ?」<br> <br> 特にリアクションは無いけれど。何だか不満そうな彼女。<br> 『しょうがないですわ』と、切り株から腰を上げた。<br> <br> <br> 「ただし。この森から、更に外の世界に干渉するということ<br>  は――現実世界の流れを、変えると言う事。<br>  それは、奇跡と呼んで、差し支えの無いことなのです。<br> <br>  それ相応の代価を彼女から頂くということを、<br>  どうかお忘れなく――」<br> <br> <br> <br>  ウサギは光輝く穴を森の空間に繋ぎ、<br>  私はそこに吸い込まれていった―――<br> <br> <br> <br> ――――――――――――――――――――――――――<br> <br> <br> 『ジュン君に、告白された。すごく嬉しい。<br>  その日は風邪で休んでいた翠星石にも、<br>  夜の内に報告して。<br>  翠星石は、それを祝福してくれて―――<br>  勿論、彼女と彼の仲はいいから。<br>  三人で、楽しくやっていけたらいいと思う。<br>  幸せな毎日。どうかこんな夢のような日々が、<br>  ずっと続いていけばいい。……』<br> <br> <br>  26ページ目、に記されている。<br> <br> <br> ――――――――――――――――――――――――――<br> <br></p> <p><br> ――――――<br> <br>  森は、静か。樹々の隙間から差し込む木漏れ日が、<br>  緑色を斑に照らしている。<br>  少しだけ風が吹いていて、その感触が心地よい。<br>  白のワンピースの裾が、揺れている。<br>  <br>  森の奥には、大きな切り株がある。<br>  その地に、しっかりと根を下ろしている。もう幹を<br>  持たない姿になっても、この樹は生きているのだろ<br>  う。私はそう思う。<br> <br>  そっ、と。そこに腰掛けた私は、優しく切り株の<br>  切り口を撫ぜた。<br> <br> <br> 「蒼星石!」<br> <br>  駆け寄ってくる女性。<br> <br> 「蒼星石……私の、名前……」<br> <br> <br> <br>  私は、私であるという記憶が、『およそ無い』。<br>  わからないものはわからないのだから、いきなり<br> 「記憶喪失」と言われても、ピンとこないのだけれど。<br> <br>  駆け寄ってきた彼女は、翠星石。私の、双子の姉ら<br>  しい。私がこんな状態になって随分悲しんだけれど、<br>  今までずっと、私についていてくれる。<br>  彼女と一緒に居ると、とても安心できて心地よい。<br> <br>  きっと、疑いようもなく。私達は、姉妹であると思<br>  う。この、眼の色を見ても、わかるように。。<br>  翠星石の眼の色は、光によく映えて綺麗だった。<br>  私の眼も、そんな風に映っているのかな。<br> <br>  そんなことを考えていたら、また新しい人影が。<br> <br> 「翠星石……お前、走るの早すぎ。もっと加減しろよ」<br> 「……ジュンの、体力が無いから……」<br> <br>  ジュンと呼ばれる男の子と。薔薇水晶という名前の女の子。<br> <br></p> <p><br> <br> <br> 「ジュン、運動不足すぎるですよ! もっと翠星石を見習うと<br>  いいですぅ」<br> 「お前、何で園芸部なのに……っていうか、運動不足って言<br>  うな! 僕だってなあ……」<br> 「……知ってる。ジュンはいつも、通販で買ったアイテムで、<br>  身体を鍛えてるんだよね……」<br> 「あーあー。そんなんだから普段家で引きこもりがちになる<br>  ですぅ。外に出るですよ、外に」<br> 「僕は引きこもってないー!」<br> <br>  くすっ。ふき出してしまう。彼女達のやりとりは、何回聞い<br>  ても飽きることが無い。<br> <br>  特に、ジュン君と翠星石。彼らは本当、お似合いのカップル<br>  だと思うんだけどなあ。お互い素直じゃないところが、<br>  ちょっとたまにキズだけど。<br>  それはそれ、ではないだろうか?<br> <br> <br>  ただ、ジュン君は。いつか私に、はっきり伝えたいことが<br>  あるんだって、言っている。なんだろう。私も彼のことは<br>  何だか気に入っているし、少し楽しみだったりする。<br> <br> <br> <br></p> <p><br> <br>  薔薇水晶。よく覚えてないけれど、私は貴女と、お話した<br>  ことがあるような気がしているの。何処だったろう、はっ<br>  きりとしないのだけれど。<br> <br>  時々貴女は、私に優しげな表情で話しかけてくれて。<br> 『あなたはもう、大丈夫』と。私にはよくわからないけど、<br>  何故か。いつもその言葉を聞くと、涙が出そうになって<br>  しまう。<br> <br>  ただ、貴女とは。良いお友達になれそうだと。<br>  そう、思う。……<br> <br> <br></p> <p><br> <br> ――――――<br> <br>  蒼星石が、微笑んでいて。その笑顔が眩しかった。<br>  私は、貴女の姉なんだから――<br>  貴女ばかりに頑張らせては、いけないのよね?<br>  本当にごめんなさい、蒼星石。<br>  私は、これから。貴女の傍に、ついているから。<br> <br>  森は、私達が目覚めてからも、同じ場所にあった。<br>  驚くこともない。実際の世界を、よく反映した<br>  世界だったのだから、あそこは。ただ、今はもう。<br>  貴女の意識と繋がっている訳では、ないけれど。<br> <br> <br>  "ここではない、同じ場所"で。<br>  貴女は私に。私は貴女になって。<br>  改めてわかったことが、あったの。<br> <br> <br>  ――ねえ、知ってた?<br> <br>  私はひとり、呟く。<br> <br>  私達は、魂のかたちが。<br> <br>  とてもよく、似ているのだと――<br> <br></p> <p><br> ――――――――――――――――――――<br> <br> <br> <br> 『今度は、私が強くなる番。蒼星石、貴女を守る為に。<br>  そして、――"あなた達"の幸せを、見守る為に。<br> <br> <br>  私達は、夢から覚めて。<br>  作られた物語の様に、先は読めないけれど。<br> <br> <br>  だからこそ、今度は間違えないように。<br>  少しずつ、大切に―――生きて、いくのだ。……』<br> <br> <br> <br>  一番新しいページ、に記されている。<br>  その先は。今はまだ、白紙のまま。<br> <br></p> <br> <p><br> ――――――――――――――――――――<br> <br> <br>  如何でしたか? これで今回の物語はおしまいです。<br>  本来私は、あまり干渉してはいけないのですが……<br>  ついついお節介を、焼いてしまいました。<br> <br>  それでは、また。機会がありましたら、<br>  別な誰かの見ていた夢で、お会いしましょう。<br>  ……<br> <br> ――――――――――――――――――――<br> <br> 【夢の続き】~フォレスト~<br> <br> <br> おわり<br></p>

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