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「【夢の続き】~フォレスト~」(2006/10/07 (土) 16:32:12) の最新版変更点
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<p><a title="yumenotudukiforesuto" name=
"yumenotudukiforesuto"></a>森は、静か。樹々の隙間から差し込む木漏れ日が、<br>
緑色を斑に照らしている。<br>
少しだけ風が吹いていて、その感触が心地よい。<br>
白のワンピースの裾が、揺れている。<br>
<br>
森の奥には、大きな切り株がある。<br>
その地に、しっかりと根を下ろしている。もう幹を<br>
持たない姿になっても、この樹は生きているのだろ<br>
う。私はそう思う。<br>
<br>
そっ、と。そこに腰掛けた私は、優しく切り株の<br>
切り口を撫ぜた。<br>
<br>
<br>
<br>
――ねえ、知ってた?<br>
<br>
私はひとり、呟く。――<br></p>
<br>
<p>―――――――――――――――――――――<br>
皆様、御機嫌よう。物語の案内役、道化のウサギで<br>
御座います。初めてお会いする方も、どうぞ宜しく<br>
……長い付き合いの方は、もうこれで五度目ほどの<br>
邂逅になるのでしょうか?<br>
<br>
さて、それでは。今回も、誰かが見ていた夢の続き<br>
を繋ぎましょう。暫くお付き合い頂ければ幸いです<br>
……<br>
―――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
【夢の続き】~フォレスト~<br></p>
<p><br>
徐々に、陽の昇っている時間が長くなってきていた。<br>
春が終わろうとしていて、季節はもう少しで夏になる。<br>
その前に梅雨がやってきてしまうけど、僕は雨が嫌いと<br>
いう訳でもない。地を潤してくれる、そんな時期だから<br>
だ。昨夜は少しだけ、梅雨入り前だったけども雨が降っ<br>
たようだ。今朝登校したときなどは、道端にある草につ<br>
いていた雨粒にひかりが反射して、とても綺麗だった。<br>
<br>
陽が傾いて、空がその色を紅く染めている様子を見る<br>
のが好きだ。きっと今の自分の姿も、紅く染まっていて。<br>
そんなことを考えていたが、どうやら少し口に出して<br>
しまっていたらしい。<br>
「蒼星石は詩人ですねえ」<br>
にこにこと返してくる翠星石。僕の、双子の姉。<br>
「なんでもないよ……さ、早く帰ろう。<br>
随分遅くなっちゃったしね」<br></p>
<p>
今日も部活が忙しかった。翠星石の誘いで僕は園芸部<br>
に入部し、学校の庭園の手入れをしている。部活と言っ<br>
ても、部員は僕ら二人しか居なくて。たまに友人達が仕<br>
事を手伝ってくれているものの、実質二人だけで庭園の<br>
管理をしている。<br>
僕達が通う学園には、学校所有のものにしてはあまり<br>
に見事な薔薇園があり、それは学園の人々を魅了してい<br>
た。<br>
今は、春の薔薇がちょうど咲いている最中。そして初<br>
夏になれば、色とりどりの薔薇が咲き乱れるに違いない。<br>
そうなれば、彼女は如雨露に水を汲み、地に潤いを与え<br>
ていくだろう。僕は専ら手入れ専門で、花壇の整備は自<br>
分の役割だ。<br>
二人で、一つ。きっと翠星石はこの仕事が、本当に好<br>
きなのだろうと思う。<br>
<br>
「そうですねぇー。何だかお腹空いちゃったです。<br>
早く帰るですよ!」<br>
そう言って。僕の手を引き、走り出す翠星石。<br>
「ちょ、ちょっと! 走るなら前向いて、前!」<br>
僕はもう、されるがまま。翠星石はころころと笑ってい<br>
る。<br>
傾いた陽に照らされて。僕らの後ろの地面に、二人分<br>
の長い影が映し出されていた。<br>
<br></p>
<p> 「いつもの日記書いてるですかぁ? 蒼星石」<br>
夕食後。お風呂上りの翠星石が、濡れた頭をタオルでわ<br>
しわしやりながら話しかけてくる。<br>
「うん、日課だからね。こうやって文章に書き起こすと、<br>
一日が振り返られていいよ」<br>
寝る前に、日記を書くのが僕の習慣だった。文章を書く<br>
のは結構好きなのである。<br>
「はぁー。まめなんですねぇ、蒼星石は」<br>
ふぁ、と。小さなあくびを一つして、彼女は答える。今<br>
日の作業で疲れているのか、眠気がピークに達している<br>
ようだ。<br>
「あ。髪、ちゃんと乾かさなきゃ駄目だよ?<br>
せっかく綺麗な髪なのに、そのまま寝たら痛んじゃうよ」<br>
翠星石の髪は長く、僕とは対照的だ。僕はよく男の子に間<br>
違われてしまうような感じだけど、彼女は本当に『女の子』。<br>
同じ双子なのに、こうも違う。性格だって、そう。僕の手を<br>
引き、前へ進んでいくのは彼女の役目。行き過ぎたところで<br>
制止するのが、僕の役目。……僕自身がその違いを感じてい<br>
るからこそ、僕は彼女と一緒に居て楽しいし、一緒に居たい<br>
とも思う。<br>
『似ている』というレベルならともかく。自分と『全く同<br>
じ』パーソナリティを持った人間と、何時までも一緒に居た<br>
いとは思えないかもしれない。<br>
<br></p>
<p>「わかったですぅー。ぶつぶつ……」<br>
文句を言いながらも、翠星石はドライヤーで髪を乾かし始め<br>
る。何だかんだ言って、彼女の根はとても素直なのだ。互い<br>
に反発することもあるけれど、姉妹として僕らは仲の良い方<br>
だと思っている。<br>
「ふふ。いきなりそんな強くやってもほら……ああもう。<br>
僕が乾かしてあげるよ。久しぶりに」<br>
ドライヤーで髪を舞い上げ放題にしている彼女を見ているのは<br>
微笑ましかったが、流石に見かねて声をかける。<br>
「ありがとです。蒼星石に乾かして貰えばばっちりですぅー!」<br>
とすん、と。彼女は床に座った。……そしてそのまま、彼女の<br>
頭は船を漕ぎ始める。<br>
「やれやれ……」<br>
少し苦笑しながら。僕は翠星石の髪に櫛を入れ、彼女を起こさ<br>
ないよう、出きるだけ静かに乾かし始めた。<br>
緩やかな時間。こんな日常なら、何時まで続いてもいいかな。<br>
なんだか眠くなってきた。彼女の髪を乾かし終えたら、今日は<br>
僕も早めに寝よう……<br></p>
<p>――――――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
『……気付くと、森の中に居たのだ。<br>
ここは深く、静か。今は、一人で歩き続ける。いつも隣に<br>
る存在が居ない。それは寂しいこと。<br>
とても、寂しい、こと。<br>
ここへ来るのは初めてな筈なのに、迷子になったときの<br>
様な、独特の不安感が全く感じられない。何故だろう。<br>
……<br>
<br>
森の奥に入る。少し樹々が避けて生えているような、<br>
広い空間があった。<br>
そこには大きな切り株があって、……』<br>
<br>
<br>
23ページ目、に記されている。<br>
<br>
<br>
―――――――――――――――――――――――――<br>
<br></p>
<p> 「いつまで寝てるですか、蒼星石ー!!」<br>
がばー、と。布団をひっぺ返されてしまう、朝の始まり。<br>
「珍しいですねえ……いつも翠星石よりも早起きなのに」<br>
とっか体調でも悪いですか? と。なんだか心配させて<br>
しまったようだ。<br>
「ごめん。今日はなんか布団が気持ちよくってさ」<br>
そう。普段寝起きは良い方なのだけれど、今日はいつまで<br>
も寝ていたいような気分だったのだ。<br>
「まったく。駄目ですよ蒼星石、規則正しい生活はちゃん<br>
と保たないと。今日は良いけど、」<br>
このままお説教のコースかなあ、などと考えてシュンとし<br>
ていたのだが、<br>
「ま、まあ。たまには蒼星石も、ゆっくり寝てると良いのです。<br>
妹の世話を姉が見るのは、仕方のねーことなのですぅ」<br>
意外にも、そんなことは無かった。<br>
<br>
今日はいつもと立場が逆だなあ。だけど、こんなことが<br>
あってもいいかもしれない。<br>
「うん。じゃあ、僕が寝坊したときはよろしくね」<br>
笑って、僕は答えるのだ。<br>
<br></p>
<p>
園芸部の朝は早い。とりあえず、普通の生徒が登校する<br>
時間よりは早めに出発し、水やりなどをしなければならな<br>
いのだ。<br>
「健やかにぃ~~~、のびやかにぃ~~~~♪」<br>
嬉しそうに水やりをする翠星石。『こうやって語りかけな<br>
がら水やりすれば、薔薇もそれに応えてくれるんですよ』<br>
というのは彼女の弁。確かにそうなのかもしれない。事実、<br>
こうやって水と養分を与えられてきた薔薇たちの、現在の<br>
咲き誇り方は見事だった。<br>
僕は鋏を取り出して、伸び盛っている薔薇の、余計な部<br>
分を刈り取る作業を始める。水と養分だけでは、薔薇はう<br>
まく咲いてはくれない。<br>
「あ、またあった……」<br>
台樹から、また余計な芽が吹き出している。これを放って<br>
おくと、薔薇本体の伸びを妨げることになってしまう。そ<br>
れを防ぐ為に。その芽を早めに刈り取ってしまうのも、自<br>
分の仕事のひとつ。<br>
そう。これは新たな芽と言えど、望まれていないもの。<br>
綺麗な花をつける新芽と違い。初めから、要らなかったも<br>
のなのだ。<br>
<br></p>
<p>「……」<br>
無言でそれらを刈り取っていく。この庭園の作業の中でも、<br>
これだけはどうにも好きになれない自分がいる。望まれた<br>
芽ではない、だから。『なかったことに、しよう』。<br>
必要なことだとは、わかっている。僕は黙々と、その作<br>
業を続けるのだ。何も問題は無い。何も、問題は、無い。<br>
<br>
<br>
「さ、朝の分は終了です~! 蒼星石、そっちはどうです<br>
か?」<br>
一仕事終えた彼女が、満足気な表情でこちらに駆け寄って<br>
くる。<br>
「こっちも終わったよ。じゃ、教室に行こうか」<br>
僕は彼女を促して、この日の朝の作業は終了。<br>
翠星石の、笑顔。僕は先ほど抱いていた瑣末な感情を、<br>
もう忘れてしまっている。<br></p>
<p>
教室。いつもなら一番乗りなはずの僕らだったが、今日<br>
はすでに先客がいた。<br>
「薔薇水晶! おはようですー。今日は早いですねえ」<br>
「……おはよう……二人は、今日も庭のお手入れ……?」<br>
朝の挨拶に、薔薇水晶は静かに受け応える。<br>
<br>
僕の彼女に対する印象は、『不思議な少女』だという事。<br>
このクラスはとりわけ個性的な人物が多いのだけど。彼女<br>
のパーソナリティは、それらに対して全くひけを取らない。<br>
……というか、むしろ異彩を放っている。<br>
<br>
「そうだよ。それにしても学校来るのが早いね、薔薇水晶。<br>
今日はなんか用事があったのかい?」<br>
<br>
普段、僕と彼女との会話は多い方ではない。もともと彼女<br>
は、饒舌な方ではないのだ。しかし、時々口を開いては、周<br>
囲を不思議な世界へ巻き込んでいく。たまに繰り広げられる<br>
シュールな会話は、嫌いではない。<br></p>
<p><br>
「……今日は気分を変えて。教室で朝ごはん……」<br>
ごそごそと鞄からお弁当の箱を取り出す。かぱっ、と。<br>
中身を開いて見せてくれた。<br>
<br>
「ば、薔薇水晶。朝っぱらからこれはねーですよ……」<br>
「……うわあ」<br>
畏れを抱いたような声を漏らした僕らが見たものは、……<br>
ぎっしりと詰められたシューマイと、あとは少しの白米。<br>
「え、と、薔薇水晶? それって今日のお昼のお弁当じゃ<br>
ないの?」<br>
かろうじて言葉を返す僕に対し、彼女は人差し指をたて、<br>
『ちっちっち』と指を振るを仕草をしてみせる彼女。<br>
「……大丈夫。もういっこ、あるから……」<br>
またしても、ごそごそと鞄を漁り、弁当箱を取り出した。<br>
でか! なんだあれ。今度は二段重ね。というか、あんな<br>
大きな弁当箱が、どうやってこんなちっちゃいバッグに詰<br>
め込まれてるんだろう。……勉強道具はどうしたんだい?<br>
</p>
<p><br>
「……問題ないよ……」<br>
にやり、とこっちを見る薔薇水晶。え、あ、声に出してた?<br>
うろたえてしまった僕に、事も無げに彼女は答える。<br>
「……顔に、出てる……」<br>
ちょっと、ぞくっとした。参ったなあ。結構自分では冷静な<br>
方だと思ってたのに。<br>
<br>
そして予想通り(出来れば外れて欲しかったが)、二段の重<br>
箱には、シューマイと白米がそれぞれぎっしり詰まっていた<br>
のだった。<br>
「何やってるです薔薇水晶! ちったぁ栄養のバランスも<br>
考えないといかんですよ!?」<br>
翠星石がぷりぷり怒っている。……突っ込み所はそこだけな<br>
のかい? 翠星石。<br>
「……シウマイ。おいしい……」<br>
お構いなしに、もくもくと食べ始めた薔薇水晶。……うわぁ、<br>
本当に幸せそうに食べるんだなぁ。君、ほっぺ紅いよ?<br>
<br>
苦笑気味にその様子を眺めていると。<br>
「……食べる?……」<br>
シューマイを一個差し出されてしまったのだが、丁寧にお断り<br>
しておいたのだった。<br></p>
<p>
昼休み。特に何か作業をしようと思っていたわけではないが、<br>
僕はひとり薔薇を見に庭へ来ていた。<br>
『ちょっと先生に呼び出されちゃって』<br>
翠星石にはそう言い伝えてある。放課後になればまたここへやっ<br>
てくるというのに。そのような嘘をついてまで、今ここに来る必<br>
要はない筈だった。<br>
「……」<br>
刈り取った台芽の痕を見る。いくら初めからなかったことにしよ<br>
うとしても、こうやってその痕跡は残される。<br>
<br>
「うわっ」<br>
背後からいきなり肩を叩かれて、思わず声を上げてしまった。<br>
「……お昼の……お散歩?」<br>
「ば、薔薇水晶かぁ。びっくりした。おどかさないでよ」<br>
ちょっと抗議する感じで返す。すると彼女は、何やらぶすっと<br>
頬を膨らませてしまった。<br>
「……何回呼んでも、気付かなかったから……」<br>
「え、そ、そうなの!? ごめんね、薔薇水晶」<br>
本当に、気付かなかった。どうしたのだろう。そんなに僕は、ぼ<br>
んやりしていたのだろうか。<br>
「……」<br>
薔薇水晶は、何も答えない。ちょっとだけ、気まずい空気が流れる。<br>
<br></p>
<p>
「さっきはほんとにごめんね。なんか最近ぼーっとしてるっていうか、<br>
考え事が多くなっちゃってるような」<br>
そう。特に何も考えていない訳ではない。しかしながら、僕はその<br>
『考え事』のイメージがよく掴めていないのである。おかしな話だっ<br>
た。強いて言うなら、その『よく考えなければならない』事がある筈<br>
なのに、……いや。自分に言い訳するのはやめておこう。最近ぼんや<br>
りすることが多い。それで言い終えられることじゃないか。<br>
<br>
「そう言えば薔薇水晶。あのお弁当はもう食べちゃったの?<br>
その、随分と量が多いみたいだったけど」<br>
<br>
そうだ、今朝から気になってたんだ。彼女は見た目、そんなに大喰ら<br>
いには見えない……というか、むしろ華奢な身体の線をしている。<br>
シューマイが好きだということは聞き及んでいたが、正直あのお弁当<br>
を見たときは、目を疑った。<br>
「……あれ位なら、10分あれば事足りる……」<br>
びしっ、と。親指を立てて『グッド!』のサイン。あ、あれを10分で<br>
平らげるとは。<br>
「薔薇水晶。えーとね、……」<br>
何か彼女に言わなければならないような。どうしよう。<br>
「?」<br>
小首を傾げて、こちらを眺める薔薇水晶。こんな時は、僕の心を読ん<br>
でくれないんだろうか。<br>
「……食事は、もっとよく噛んで食べようね?」<br>
結局、こんな言葉くらいしか思いつかない。こくりと、彼女は無言で<br>
頷いた。<br></p>
<p>
「じゃあ、僕はそろそろ教室行くけど。薔薇水晶も一緒に戻る?」<br>
昼休みも気付けば残り少なくなっていた。次の授業の準備をしてお<br>
かないと。<br>
「……もう、ちょっと。ここに居る。大丈夫、先に行ってて……」<br>
そんな風に彼女は返してくるので、僕はそれに従うことにする。<br>
「う、うん……君も早く戻りなよ? 授業遅れちゃうから」<br>
はーい、と。右手を上げるジェスチャーをする彼女。本当にわかって<br>
るんだろうか?<br>
少し気になりながらも、僕は庭園を後にした。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
私は見ている、教室へ戻っていく彼女の後姿を。誰に言うでもな<br>
く、一人呟いていた。<br>
「……呼んでいるのに、気付かないのね……」<br>
<br>
<br></p>
<p>
――――――――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
『……当にそうだ。彼女の胃袋はまさに鉄と呼んでいいかも<br>
しれない。ただ、朝一からお裾分けしてもらうのは。ちょっと<br>
胃に負担がかかってしまいそうだけど……あれは本当に美味し<br>
そう。いつか食べてみたいな。<br>
<br>
それにしても。あんなに食べてるっていうのに、体型が全く変<br>
わる様子がない。それは見てて羨ましい限りで、……』<br>
<br>
<br>
19ページ目、に記されている。<br>
<br>
<br>
――――――――――――――――――――――――――<br>
<br></p>
<br>
<p> 「さて、と……」<br>
日常は、なんの変わりも無く続いている。今日の放課後も庭園へ<br>
向かうのだ。<br>
今日は翠星石が、手伝い要員を連れてきた。<br>
「ジュン君、ありがとう。いつも手伝ってくれるから、助かるよ」<br>
桜田ジュン。クラスメートだ。<br>
「ジュンは翠星石の頼みなら、断ることなんかしねーのです」<br>
何だか鼻高々になっている彼女だった。そこは自慢するとこなん<br>
だろうか?<br>
苦笑の笑いを浮かべているところで、彼が言う。<br>
「まあ、ね。こいつの頼みを断ったら、後が怖いからな」<br>
ちょっと意地悪い笑みを浮かべながら、ジト目をして翠星石の方<br>
を向く。<br>
「んなっ! それじゃ翠星石は、ジュンを脅迫してるみたいに<br>
聞こえるです! 人聞きわりーのですよ、ジュン!」<br>
ぷりぷりと怒る翠星石だった。<br></p>
<p><br>
「あ、そう。じゃあ今日は帰ってもいいか」<br>
そっけなく返すジュン君と、<br>
「えっ? あー、うー……」<br>
それに反論出来ない翠星石。あ、そろそろだな。<br>
「ま、まあまあジュン君。用事があるならしょうがないけど、<br>
折角きてくれたから。手伝っていってくれると、僕も<br>
嬉しいかな」<br>
とりあえずフォロー。彼女は普段は強気だけど、ちょっと切り返さ<br>
れると途端に弱くなってしまう。まあ、彼もその辺のこともわかっ<br>
ていて。本気で彼女のことを言い負かそうとはしないのだ。<br>
だけどそこで、『蒼星石の頼みなら、断れないなあ』なんて。翠星<br>
石の方を向きながら言うものだから、彼女は更にヒステリーの度合<br>
いを上げていく。<br></p>
<p>
欠点、というもの。それは自分ではなかなか気付かないことでも、<br>
他人から見れば一目瞭然だったりすることが多い。彼女の場合は、<br>
基本的にひとに対して素直になれないところ。<br>
これは自分の私見だけれど、彼女は彼のことをかなり気に入ってい<br>
る。なのに、いつもツンツンとした口調で。結局は言い争いになって<br>
しまっていた。<br>
ただ。先ほども言った通り、彼は彼女よりも、一歩か二歩ほど余裕<br>
を持って会話に望んでいる。その辺も愛想を尽かさず付き合っている<br>
限り、彼はとても優しいのだろうと思う。<br>
<br>
本当。素直じゃないんだから、この二人は。まるで子供の様に……<br>
無邪気だ。<br>
<br>
彼は翠星石のことを、どう思っているのだろう。きっと嫌いじゃ<br>
ないだろうけど、本心が見えない。仲の良い友達、という感覚なの<br>
だろうか。<br>
<br>
『蒼星石の頼みなら……』<br>
何故か、今。僕の中で、さっきの彼の台詞がリフレインしている。<br>
翠星石は素直じゃないけど。僕、僕は。蒼星石という存在を、彼は<br>
どう思って……<br></p>
<p>「……?」<br>
僕は今、何を考えていたんだろう。そうだ。放課後の時間だって限<br>
られているんだ。彼ら二人のやりとりを眺めているのは微笑ましい<br>
けれど、そろそろ止めなきゃ。<br>
「ほらほら、二人とも! 作業をはじめようよ。<br>
またすぐ暗くなっちゃうよ?」<br>
ぴしゃりと諌めておく。これで口喧嘩は終了だ。<br>
「そうだな、ごめん。蒼星石のいうことはもっともだ。<br>
ほんとしっかりしてて偉いよなあ」<br>
姉とは大違いだなあ、と言って。また言い争いの種が芽を吹きそう<br>
な雰囲気だったけれど、その後は恙なく作業に入る事が出来た。彼<br>
が結局、彼女にお詫びの言葉を入れたためである。<br>
やっぱり、この二人は仲が良い。僕は少しそれを、羨ましく感じ<br>
ている。<br>
<br>
<br>
『大違いだなあ……』そう。違う。違うのだ。<br></p>
<p><br>
―――――――――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
<br>
20ぺージ目、と記された頁の次が、破られている形跡がある。<br>
破られているのは、一枚分のようだ。<br>
<br>
<br>
<br>
―――――――――――――――――――――――――――<br>
<br></p>
<p>
休日。とは言っても、庭園の手入れにお休みなどない。今日も<br>
今日とて出発なのである。夕方から雨が降ると天気予報は言って<br>
いたので、午前中の作業だけでよさそうだ。<br>
随分と作業も手馴れたもので、お昼前には大体終了することが<br>
出来た。<br>
昼食は家で食べようということになって、二人で家路へつく。<br>
途中の道で、僕は何故か、ふと足を止めた。<br>
「ん? どうしたです蒼星石?」<br>
不思議そうに尋ねる彼女。<br>
「これ。こんなところ……わき道なんて、あったかな」<br>
林というか、森というか。この辺りは自然が多いほうだけど、今<br>
まで気付かなかったのが不思議なくらいの、そんなわき道があっ<br>
たのである。<br>
「この道の奥……森かな。なにがあるんだろう」<br>
行ってみたい。そう思った。……僕が、思った? <br>
「なんかこの森、気持ち悪いですぅ。やめとくですよ、蒼星石」<br>
<br>
翠星石が、僕を止める。珍しい。いつも好奇心旺盛で、僕の手<br>
を引いて先を行く彼女が。<br>
「……そうだね。お腹も空いたし、早く帰ろう」<br>
<br>
『それが一番ですぅ』と言って、僕の手を引き始める翠星石。<br>
僕の、微かに感じていた違和感はなんだろうか。<br>
<br>
<br></p>
<p>
そして。僕はその日の午後に、一人でその森へ行くことに決めた。<br>
何処か別の場所へ行くということを言い伝えておいても<br>
良かったのだが、それだと彼女が一緒について来る可能性<br>
がある。彼女は、僕があの森へ行く事は拒否するだろう。<br>
僕は何故、ここまであの森に拘っているのだろう? 不<br>
思議な感覚だった、とても。だけど、僕のこころが。ここ<br>
ろの奥底が、あそこへ行かなければならないと。そう告げ<br>
ている。でも、でも。僕の身体は。……僕の"器"が。それ<br>
を拒否している、そんな気がする。<br>
<br>
"器"だって? 自分で言っていて意味がわからない。<br>
<br>
<br>
森の入り口へ続く、あのわき道で。僕は出会うのだ。彼<br>
女に良く似た、彼女に。<br>
<br>
「薔薇水晶……?」<br>
<br>
居る。頭の隅にある混在したイメージが、何かを、警告して<br>
いる。<br>
<br></p>
<p>「……あなたは、……ここに来るのは、まだ早いよ」<br>
<br>
よくわからないことを言う彼女。<br>
<br>
「なんだって……? 薔薇水晶。そもそも何で君がここに、」<br>
<br>
「……あなたは。」<br>
<br>
最後まで言わせてもらえない。圧倒されている。<br>
知ってる、この感じを、僕は、<br>
<br>
「……あなたは、思い出し始めている。<br>
だけど……気付いて、いないの。だから……」<br>
<br>
彼女の、口調が、変わって、<br>
<br>
「まずは、気付きなさい。貴女たちは、違いながらも"似ている"の」<br>
<br>
「私の言葉を呑んで。<br>
芽を摘む役割を担った方が。それを、したの。<br>
そして『初めから無かったこと』になっているけれど――」<br>
<br>
……『それでも、いいの?』…… <br>
<br>
最後の声は。そんな風に、僕には聴こえた。<br></p>
<p>――――――――――<br>
<br>
<br>
「ただいまー」<br>
夕方近く、僕は家へと戻った。<br>
「おかえりなさいです、蒼星石ー! 随分遅かったですね?」<br>
翠星石に出迎えられた。<br>
「うん、ごめん……適当に散歩するだけのつもりだったんだけどね。<br>
途中で薔薇水晶と会ってさ」<br>
一緒に買い物してきたよ、と。手提げの買い物袋を示した。<br>
「ああー、ずるいですよ蒼星石! 翠星石も一緒に買い物し<br>
たかったです……」<br>
いじけてしまった。確かにそうだ。なんでまた僕は、散歩に行こう<br>
としたんだろう? 結局、薔薇水晶に引っ張りまわされて(予想以上<br>
に彼女はアクティブだった)、色々と買うハメになってしまった。<br>
まあ、楽しかったからその辺りは良かったんだけど。<br>
「ごめん、翠星石。今度のお休みは、一緒に買い物行こう?」<br>
果たして、慰めになるだろうか。けれど精一杯の本心を伝えるくらい<br>
しか、出来ない。<br>
「うー……しょーがねーです。それで勘弁してやるですよ。<br>
ところで蒼星石!」<br>
いきなり返されたので、ビックリしてしまった。<br>
「え、な、何?」<br>
「何、じゃないです。買い物って言ってるんですから、<br>
何買ってきたのか聞こうとしただけですよ」<br>
あくまで素、らしい。えーと。買い物はですね、ちょっと<br>
薔薇水晶に連れられて……その……下着類が売ってるとこ<br>
で……えと……<br></p>
<p><br>
――――そう。まさしく、買い物中は地獄だったのだ。<br>
僕はこんな容姿をしているので、よく男の子に間違え<br>
られたりする。以前一人でランジェリーショップに入<br>
店したとき、他の一般客から結構痛い視線を浴びたり<br>
した事があった(毎回店員に話しかけると、かろうじ<br>
てわかってもらえる)。<br>
今回は、薔薇水晶と一緒。ぱっと見、同年代のカッ<br>
プルに見られたらしい。最近では、恋人同士で入店し<br>
てくるケースもしばしば見られるらしいのだが。とり<br>
あえずそんな事は、僕には関係のないことで。<br>
<br></p>
<p><br>
「……これ……なんかどう……?」<br>
え、何……? と、見た先にあったもの。<br>
うん、薔薇水晶。それは、ほとんど紐だと思うんだ。<br>
「……蒼星石の、趣味にあわせて……」<br>
ちょっ! 何顔紅くしてるのさ! っていうか僕の趣味って何さ!<br>
あー、周りひそひそ言ってるよ!<br>
<br>
『あのカレシ、ああいうの好みだってーひそひそ……』<br>
『大胆ねー、女の子の方恥ずかしそうにしてるしーひそひそ……』<br>
<br>
違うううう!! 僕は変態じゃないんだ!!<br>
<br>
「あの、お客様」<br>
ああ、店員さん! 助けてください!(この状況から)<br>
「お客様のご趣味に合わせまして、このようなものも御座いますが」<br>
<br>
ぴらり、と。提示されたそれは完全シースルーの下着な訳でして、<br>
<br>
『『ひそひそひそひそ!!』』<br>
<br>
うわーん!! 違うんだあああああ!!!<br>
<br>
悶えている僕を尻目に、薔薇水晶は、ぽつりと呟く。<br>
<br>
「……キャラ的に、おいしいよね……」<br>
<br>
僕はがっくりと膝をついた―――――――――<br></p>
<p>
「……蒼星石? 大丈夫です? なんか泣いてますよ」<br>
はっ。ちょっと意識が飛んでたらしい。眼を擦る。大丈夫、<br>
僕は泣いてない。<br>
「えっとね。うん、大丈夫。下着とか買ってきたんだ、ホラ」<br>
袋を手渡す。翠星石は『お姉ちゃんがチェックしてやるですぅ』<br>
と言いながら、その中身を漁り始めた。<br>
<br>
「あ、蒼星石ー! これかわいいですよ!<br>
なんかいつものやつと違うですねえ」<br>
<br>
普段はスポーティなものを身に着けるのだけど。薔薇水晶が<br>
『そこにギャップを見出すと……グッド』<br>
とか言いながら親指を立てていたので、結局それに従うこと<br>
にしたのだった。紐とかよりは、マシだ。<br>
「はは、たまにはね……」<br>
僕は苦笑するしかない。<br>
「こんなの買ってくるなんてー。蒼星石もやっぱり女の子なのです。<br>
で、これで好きなひとでも誘惑するですか?」<br>
<br>
キラリ、と眼を光らせながら彼女は言う。<br>
『その辺の男なんかには、大事な妹はやれねーですけどね』<br>
なんて言いながら、笑っている翠星石。<br>
<br>
<br>
好きな、ひと? 僕はその声を、何処か遠い位置で聞いて<br>
いるようだった。僕の、好きなひとは――<br></p>
<p>
就寝前。僕は布団に入りながら、翠星石にちょっと尋ねてみた。<br>
「ねえ、翠星石。君は好きなひと、居ないの?」<br>
その質問の答えを僕は知らない、というのは。多分嘘だ。十中八九、<br>
彼女の想い人は、彼のことである。<br>
「なっ、なんですか蒼星石、やぶからぼうにー!」<br>
慌てる彼女。<br>
「いや、ちょっと気になっただけだよ」<br>
それも、嘘。僕はここで、確認しておきたかった。<br>
「……いねーですよ。翠星石には、好きなひとなんかいねーのです」<br>
<br>
<br>
どうして、僕はこんな事を聞いているのだろう。<br>
そして彼女は。何でこんな風に、応えるのだろう――<br>
<br>
<br>
眠りに落ちる。僕は何かを思い出し始める。<br>
気付く事など、何も無いの筈なのに。<br>
何処からか、声が。<br>
<br>
『また、繰り返すの?』<br>
『同じ事、繰り返すの?』――<br></p>
<br>
<p>―――――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
『僕はこれから、、物語を綴ることにする。<br>
ここが肝心だ。これで、何の問題も無くなるだろ<br>
う。大丈夫、繰り返しになど、ならない。<br>
そして、……』<br>
<br>
<br>
25ページ目、に記されている。<br>
<br>
<br>
<br>
――――――――――――――――――――――――<br></p>
<br>
<p><br>
「ごほっ、ごほっ……う~」<br>
38.1度。これは酷い。<br>
「翠星石、大丈夫……?」<br>
僕は彼女の額のおしぼりを変えながら、聞いてみる。<br>
「ちょっと辛いですねぇ……今日は学校休むです……」<br>
それはそうだ。でも、このまま家に残していくのも心配だ。<br>
「翠星石。今日は僕も休むよ」<br>
そして病院へ付き添って、看病して。一人になると不安<br>
がるだろうし。<br>
およそ僕の考えられる最良の選択肢だったが、彼女は<br>
それを断った。<br>
「心配はありがたいです……でも、蒼星石まで休んだら、<br>
薔薇の世話をするひとが居ないのです……」<br>
確かに、それはそうだが。僕は『今日一日くらいなら大丈<br>
夫だよ』と。そう押したのだが、彼女は頑として譲らない。<br>
<br>
「わかった。でも、辛くなったら。いつでも学校に<br>
電話して? あと、絶対安静にすること!<br>
今日は早く帰ってくるよ」<br>
<br>
とうとう僕が折れて、学校へ行く事になった。仕方が無い。<br>
後ろ髪を引かれる思いだが、今日の作業を早めに切り上げ<br>
て、帰ることにしよう……<br></p>
<p><br>
放課後。流石に一人で作業するとなると、時間的に普段の<br>
倍はかかる訳で。それだと、家へ帰るのが遅くなってしまう。<br>
僕はジュン君に助けを求めることにした。二つ返事で了承<br>
である。<br>
<br>
「翠星石の体調は大丈夫なのか? かなり酷い感じみたいだけど」<br>
彼女が風邪で休んでいることは、朝のホームルームで聞き及んで<br>
いた筈なので、勿論彼も知っている。<br>
「うん……熱が上がってて。今日は早く帰らなきゃ」<br>
その後、黙々と作業を続ける。<br>
<br>
「ねぇ、」<br>
不意に、口が開く。何だ? 僕は何を聞こうとしている?<br>
「ジュン君ってさ、」<br>
ジュン君? ジュン君が、<br>
「好きなひととか、居るのかい?」<br>
返す言葉を、僕は。僕という"器"が、知っている――<br>
<br>
なっ、と。言われた彼の顔が、紅い。<br>
僕の顔も、今紅くなっているのだろう。<br>
そう、知っているのだから。<br>
僕? ……器。……僕は、誰だ……?<br>
<br>
<br>
「僕は、蒼星石のことが、――」<br>
<br></p>
<p>……<br>
<br>
<br>
「――ごめん!」<br>
僕は走り出し、脱兎の如くその場から離れる。<br>
違う。違う。僕はこうなることを知っていた、けど、<br>
今の"僕"ではいけない気がする――!<br>
<br>
<br>
<br>
……<br>
<br>
<br>
<br>
とぼとぼと、僕は帰り道をひとり歩いている。<br>
「はぁ……」<br>
溜息が、出た。<br>
僕は、彼に好きだと言われ、嬉しかった。だけど。<br>
何かが、違う。決定的な、何か。それについて考え<br>
ようとすると、すごく頭が痛い。<br>
そもそも。僕は翠星石の気持ちを知りながら。何<br>
て汚いことを、してしまったのだろうか――<br>
<br></p>
<p><br>
と。僕の行く先には人影がある。<br>
「薔薇水晶―――と」<br>
もう一人、若い男性。あれは誰だ?―――<br>
しかしながら。特に驚いたような感情の昂ぶりを、<br>
ほとんど持ち合わせていない僕が居る。この男の<br>
ひとは誰かわからないけど。ともかく、薔薇水晶<br>
が、ここに―――森へ通じる道の入り口に―――<br>
居るのは、ひどく『ふさわしい』。<br>
<br>
<br>
「お嬢さん、はじめまして。私は白崎という者です」<br>
白崎、と名乗った男が挨拶をしてくる。言い方自体は<br>
普通、というよりむしろ丁寧であるのだが。これがこ<br>
の男の本性ではない。そんな気がしている。<br></p>
<p><br>
「何か、用ですか?」<br>
牽制。あまり深く関わらない方が良い。はず、だ。<br>
いや、しかし。彼らから、何か重要なことを聞き<br>
出さないといけないのでは――<br>
<br>
「……本当に、良いの?……」<br>
<br>
薔薇水晶の視線に、射抜かれる。身体が、動か、な、<br>
<br>
「いえいえ……物語に綻びが出始めたものでして。<br>
そもそもこの物語は、これからが肝要なのでは<br>
なかったのですか?<br>
……まあ、いいでしょう。<br>
ちょっとこの娘の手に負えなくなる前に、<br>
私が出てきたまでのことですよ。お嬢さん」<br>
<br>
何だ、何を言っている?<br>
<br>
「それでも。貴女が自分で気付きたいと言うならば、<br>
止める理由もないのですが――」<br>
<br>
「初めから"無かった"ことを暴き、ほり起こし。<br>
その続きを見る勇気が、貴女にはあるのですか?」<br></p>
<p><br>
涙が出そうだ。怖い。僕は、この先を知る必要は、<br>
ないのかもしれない。<br>
<br>
「あ、あ、―――」<br>
<br>
声が続かない。けれど、駄目だ。ここで"僕"が――、<br>
進まなければ、ならない!<br>
<br>
<br>
長い沈黙のあと。<br>
僕は、頷く。そして、この森の。―――奥にあるもの<br>
を、確かめるのだ。<br>
<br>
<br>
「そうですか。なかなかどうして、勇気がおありですね、<br>
お嬢さん。それでは、物語の配役通り。<br>
薔薇水晶――いや、雪華綺晶。森の、奥へ――」<br>
<br></p>
<p>薔薇水晶、では無い。よく似ているけど、違う。<br>
雪華綺晶と呼ばれた彼女は、無表情に言った。<br>
<br>
「人使いが荒いのですね、白崎。<br>
私はたまたま選ばれたけど、もう後はないですわ。<br>
貴方が言っている通り、物語に綻びが生じています。<br>
少しずつ、ずれてきていますから。<br>
貴女が――気付き始めて、いますし。<br>
"貴女"が、"貴女"の中から呼んでいる声に。<br>
あと、そうじゃ無くても。<br>
"森"も、長くは保たないでしょう」<br>
<br>
それでは、と。雪華綺晶と呼ばれた彼女が、森の奥へ<br>
消えていく。<br>
<br>
「さあ、お行きなさい――と言いたいところですが、<br>
お嬢さん。貴女はまだ、気付いていない事がある。<br>
曖昧な感覚な気持ちで"森"に入れば、貴女はまた、<br>
誤魔化されてしまうでしょう。それほど、この森<br>
は深い。<br>
……ですから。まずはこれを、お探しなさい」<br>
<br>
それは。僕の、日記帳―――? どうして、ここに。<br>
<br>
「もともとは、あなたが――いや、あなたに、近い魂が。<br>
この世界を、作り上げたのです。<br>
あなたもこの劇作の、一人の役者にすぎませんが―― <br>
幕を下ろすのを。<br>
あなたに任せてみるのも、良いでしょう」<br></p>
<p><br>
家へ着いた。翠星石は、今は眠っているようだ。<br>
熱は少し下がっているらしく、規則正しい寝息を<br>
たてている。<br>
「……」<br>
白崎が示したもの。あれは、僕の日記帳だった。<br>
「……世界……」<br>
僕は机の上に突っ伏す。そして、二段目の引き出<br>
しの奥から、日記帳をとり出す。僕はこの日記帳<br>
には、日常の出来事しか書いていないのだから。<br>
物語など、何処にもありはしない。<br>
白崎は、『探せ』と言った。探して見つからない<br>
ものならば、きっとそういう言い方はしないだろう<br>
と思う。<br>
近いところにあるのだろうか? 僕は翠星石を<br>
起こさないように気をつけながら、部屋の物色を<br>
始める。……まったくもって、馬鹿馬鹿しい、け<br>
れど。僕は焦っている。早くしなければならない<br>
という焦燥が、僕をどうしようもなく、駆り立て<br>
ている。<br></p>
<p><br>
「……あとは……」<br>
あらかた、大体ではあるが部屋を漁り終えて。の<br>
こるは、翠星石。彼女の机の、中。<br>
いくら姉妹とは言えど、こういった行動はプラ<br>
イバシーの侵害になってしまうかもしれなかった。<br>
それでも。意を決して、机を探す。<br>
<br>
そして、僕はやはり知っていたのだ。<br>
"僕"ならきっと。<br>
日記帳をしまっておくのは、<br>
二段目の引き出しの、奥。<br>
<br>
「……あった……」<br>
<br>
もともと僕が持っていたものと、全く同じデザイ<br>
ンの日記帳。これで、二冊。<br>
<br></p>
<p> 僕の考えが正しければ。白崎から言っていた日記<br>
帳には、僕が。いや、"僕"の書いた物語が――"森"<br>
に関する記述が、ある筈なのだ。そして、僕が"森"<br>
に至ってしまう、その過程まで。<br>
<br>
<br>
何故、そのようなことが書かれているか?<br>
僕が、日常を記している日記帳と。<br>
まったく同じ形をした、もうひとつの日記帳。<br>
<br>
<br>
この二つが同時に存在する時点で。<br>
どちらかの存在が、『この世界にとって』イレギュラー<br>
なのだ。そしてそれはもう、決まって、いる。<br>
<br>
<br>
ぱらり、と。日記帳をめくると。記憶に残っていた白<br>
紙部分が、文字で埋まっている。<br>
<br></p>
<br>
<p>―――――――――――――――――――<br>
<br>
またお会いしましたね。道化のウサギで御座います。<br>
これは。"とても似ている"、二人の少女の物語です。<br>
<br>
蒼星石という少女。彼女の抱いていた『違和感』が、<br>
かたちになろうとしています。<br>
<br>
"森"が、何であるのかという事。<br>
<br>
そして、彼女が日ごろつけていた日記帳と、本来存在<br>
しない筈である『もう一つの日記帳』。<br>
<br>
彼女はそれを読み、果たして何に気づくのでしょう?<br>
<br>
それでは、この物語の続きを。<br>
最後までご覧頂ければと思います……<br>
<br>
――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
【夢の続き】~フォレスト~ そして幕間のつづき<br></p>
<br>
<p><br>
<br>
<br>
日付が……今日、になっている。<br>
そう。今日までしか、無い筈なのだ。<br>
僕は食い入るように、その内容を凝視し、読む。<br>
<br>
つぅ……と。冷や汗が、背筋を降りていく感触。<br>
終わっていない、まだ文章は終わっていない、<br>
読まなきゃ、読まなければ、<br>
<br>
<br>
僕は、気付かなくてはいけない!<br>
<br>
<br>
続けて、読み進める。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
『気付くと、森の中に居たのだ。<br>
ここは深く、静か。今は、一人で歩き続ける。いつも隣に<br>
る存在が居ない。それは寂しいこと。<br>
とても、寂しい、こと。……<br>
<br>
<br>
森の奥に入る。少し樹々が避けて生えているような、<br>
広い空間があった。<br>
そこには大きな切り株があって、白いドレスをきた<br>
少女が、座っている。美しい容姿をした彼女。<br>
何処かで見たことが、あるような気がする。<br>
<br>
<br>
彼女が言葉を投げかけてきた。<br>
"あなたは、だぁれ?"と。……』<br>
<br>
森、に関する記述。僕は行かなければならない。<br>
全てはあそこから始まった物語。<br>
いや、"始められた"物語なのか――<br>
僕は。日記のあるページを破り、ポケットの中へ<br>
仕舞い込んだ。<br>
<br>
<br>
もう、誤魔化されない。<br></p>
<p><br>
<br>
走る。ただひたすらに。身体が拒否している、森へいくこと<br>
を拒否している。それはそうだ。この身体は、ただの"器"だ――<br>
僕はまだ、"僕"である意識を以って、走る。<br>
<br>
<br>
そして、あの大きな切り株のある場所へ。辿り付く。<br>
彼女は、居る。<br>
<br>
<br>
「あなたは、だぁれ?」<br>
<br>
<br>
答えは、決まっている。ポケットにねじ込んだ紙切れを<br>
突き出しながら、僕は息を吸う。<br>
<br>
<br>
「――、」<br>
<br>
まさに声を出そうとした、その時だった。<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
「駄目です、蒼星石!」<br>
<br>
「……翠星石」<br>
<br>
僕のあとを、追ってきていたのか。頷ける。彼女は、<br>
この世界を終わらせる訳には、いかないのだから。<br>
でも、それは――<br>
<br>
「蒼星石! 蒼星石は、今のままでいいんです!<br>
あなたはこの世界で、ジュンと幸せを掴むです!<br>
翠星石は、翠星石は……大丈夫なのです。<br>
"この世界"の私なら。きっと大丈夫なのです!」<br>
<br>
泣いている。彼女は泣いている。<br>
ぽろぽろと涙を零して。<br>
<br>
そして、気付く。<br>
<br>
ああ――ならば。"この世界"ではなかった、翠星石の。<br>
"私"の心は、<br>
どれほど、弱かった事だろうか。<br>
<br>
そして、"貴女の器"も。<br>
まだ眠っているのね、蒼星石。<br>
そう、それは。私の、せいで――<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
―――――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
『ジュン君に、告白された。本当なら、飛び上がる程<br>
嬉しいことなのに、今は全く喜ぶ気になれない。<br>
<br>
告白された直後、僕は翠星石に、その現場を見られて<br>
いたことに気付いた。彼女は逃げ出して。<br>
僕はそれを追いかけた。必死で。<br>
彼女を、追い続けた。<br>
<br>
<br>
そして。丁度、目の前には階段。彼女がそれを降りて<br>
いきそうになるところで、僕は彼女を手を掴む。<br>
けれど。それを振り解こうとして、バランスを崩し。<br>
そして、僕も一緒に、そのまま――』<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
― ― ― ― ― ―<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
『手には、この日記帳を、握り締めていた。<br>
僕はそこで、人間の身体をしているのに、顔は<br>
白いウサギになっているものが、現れる。<br>
それは、道化のウサギである、と。<br>
自己紹介をしてくれた。<br>
<br>
<br>
「おや、どうして貴女はこんなところに居るのです?<br>
ここは、深い意識の森。<br>
どうやら貴女の"器"は、眠ってしまっているようだ」<br>
<br>
僕は、思う。<br>
僕は多分、彼のことが好きだったのだと思う。<br>
けど、それを自覚するほどのことでは無かった。<br>
興味本位。ほんの興味本位で、聞いてみたのだ。<br>
彼に、想い人が居るのかということを。<br>
<br>
<br>
彼から返ってきた答えは、意外なもので。<br>
それによって、僕は束の間の喜びを得て。<br>
そして翠星石は、傷ついた。<br>
深く、深く。僕の、せいで。<br></p>
<p><br>
<br>
僕は、思う。<br>
そもそも、彼の好きな人が、僕で無かったら<br>
良かったのだ。<br>
告白されて、もし幸せになっても。<br>
翠星石が傷つく結末なら、僕はいらない。<br>
<br>
<br>
「――ならば。そういった物語を、貴女が繋ぎなさい。<br>
貴女方は、似て非なるものですが、互いに近い魂を<br>
持っているのです。<br>
ほら、現にこの意識の森は……普通は一人一人、別<br>
なものの筈なのです。<br>
ですが、今ここは。彼女の意識と、繋がっているの<br>
ですよ?<br>
<br>
<br>
貴女は今、ほとんど自分の形を、成していない……<br>
ですから、どうにでもなる。<br>
<br>
<br>
――よく、わかりませんか。<br>
では、例を示しましょう。<br>
雪華綺晶、おいでなさい。<br>
彼女もそういう"もの"なのです」<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
雪華綺晶と呼ばれた少女。<br>
『あなたは、だぁれ?』と。さっき、<br>
僕に問うてきた……そうだ、彼女は。<br>
薔薇水晶に、似ている?<br>
<br>
<br>
そして、雪華綺晶という名前らしい少女が、<br>
口を開く。<br>
<br>
「似ている、と。貴女は今思いましたね?……そう。<br>
貴女の知っている彼女と"私"は、近い魂を持っている。<br>
まあ、私はこの森から出られませんし。<br>
普段貴女とお会いすることは、ないでしょうけど」<br>
<br>
<br>
何故、君はここに居るの?<br>
<br>
<br>
「私は何処にも居ないし、……何処にでも、居るんですよ」<br>
<br>
貴女は知らなくても良いことだけれど、と。<br>
そう言った彼女の表情は読み取りにくかったが、<br>
その時。彼女は微笑んだのだと、思った。<br>
今思えば、それは少しだけ。寂しさを、含むものであった<br>
かもしれない。<br>
<br>
<br>
そしてまた、彼女は口を開く。<br>
<br>
「実際、貴女も彼女も、眠っているけど。<br>
<br>
彼女は弱く、傷つき。現実に、耐えられなかった。<br>
今ある状況は、偶然なのだろうけど。<br>
あるいは、運命だったのかもしれない。<br>
<br>
起こってしまったことは、変えられないの。<br>
だから、あの少年が、――蒼星石。貴女に好意を<br>
抱き、そして告白すると言う事実は、この世界<br>
でも変えられない。他人の意識が介入したら、<br>
この森の中では変わらない。<br>
<br>
けれどね。さっきも言われていた通り、<br>
貴女達は、とても近い魂を持っている。<br>
そう、もはや『他人』とは呼べない程の。<br>
<br>
<br>
――もし、今。<br>
貴女が彼女の器に入り、彼女が貴女の器に入れば――<br>
<br>
貴女の望みは、叶うと思う?<br>
この、世界の中で」<br>
<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
<br>
<br>
僕は、きっとジュン君に相応しくない。<br>
翠星石こそ、彼と一緒に居るべきなのだ。<br>
だから――僕が、彼女に。彼女が、僕に。<br>
ジュン君。僕の姿をした翠星石を、愛してあげて。<br>
そして僕は。それをきっと祝福出来る――!<br>
<br>
<br>
「貴女は、私の言葉を呑むと言うのね。<br>
<br>
じゃあ、夢を見せてあげましょう。<br>
時間のねじを、少しだけ巻き戻して。<br>
<br>
貴女は、物語を綴ると良いでしょう。<br>
どのような結末になるか、その眼で確かめなさい――」<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
……<br>
<br></p>
<p> 不思議な出来事だったが、記憶に残っている限り<br>
書き残しておきたい。僕が、してしまったことも含めて。<br>
可笑しな話だ、本当の僕は、今も眠っているというのに。<br>
……そしてそれは、彼女も同じこと。<br>
<br>
『繋がっている』と、白崎は言った。僕と、彼女の意識。<br>
いま、ここでも――彼女を、傷つける訳には、いかない。<br>
万が一にも忘れることはないだろうけど、<br>
一応こうやってかたちにしておく。<br>
僕がしてしまったことを、忘れない為。<br>
何時だって思い出して。<br>
それを、背負っていく為に。<br>
<br>
さあ、夢を見る。<br>
僕の今の姿は、翠星石で。きっと僕の器の中に、<br>
彼女も入っているだろう。<br>
どうやら、この翠星石の器が眠っている間、僕<br>
は僕として居られるようだ。<br>
だから、この間に――物語を、これからこの日<br>
記帳に綴ろうと思う。<br>
<br>
大丈夫。僕が眠っている間も、<br>
"翠星石"を悲しませることは、しない――』<br>
<br>
<br>
破かれた形跡のある紙切れ一枚と。<br>
24ページ目、および25ページの途中まで、<br>
それぞれ記されている。<br>
―――――――――――――――――――――――――<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
近い魂は、この森の力で入れ替わり。そして<br>
それは近すぎた故、器に染められてしまった。<br>
思い出さなければ、このまま幸せに、暮らすこと<br>
が出来たのだろうか。いや、――結局は、眠り続けて<br>
いるだけ。だから。現実に体験したところまでしか<br>
"この世界"は存在出来ず、その先はない筈だった。<br>
<br>
だが。彼女には、この世界を動かす「日記帳」が<br>
ある。これから先のことは、物語として綴っていけば<br>
良いのだ。そうすれば、森は全てを体現してくれる。<br>
これは深い、深い意識の森なのだから。<br>
<br>
<br>
ただ、それは。役者である、この私が。この世界のか<br>
らくりを、暴いてしまわない限りであって――<br>
<br>
<br>
<br>
……<br>
『あなたは、だぁれ?』と。切り株に座り、<br>
尋ねる彼女。もう、その問いの答えはわかっていた。<br>
<br>
<br>
<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
「……そろそろ、姿を戻してもらえねーですか。<br>
もう全部、気付いちまってるですよ」<br>
<br>
<br>
まったく。外面は蒼星石の姿をしているのに、口調は<br>
翠星石で。周りからみたら、さぞ可笑しいことだろう。<br>
周りと言っても、ギャラリーは多くない訳だが。<br>
<br>
この器に入ってみてよくわかった。"蒼星石"の気持ち、<br>
そして、"翠星石"という自分の弱さ。<br>
<br>
<br>
「あなたは……気付いているようね。<br>
この森から、弾く必要は無さそうですわ」<br>
<br>
<br>
形が一度不安定になり、翠星石は、翠星石の。蒼星石は、<br>
蒼星石の。元の姿へ、戻された。<br>
私は立ち尽くしていて、蒼星石はその場に倒れている。<br>
<br>
「蒼星石!」<br>
<br>
私は彼女を抱き起こす。眠ってしまっている時の、穏や<br>
かな表情。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
「蒼星石……眼を、覚ますです。翠星石は……もう、<br>
大丈夫ですから」<br>
<br>
<br>
もともとは、私の弱さが。彼女を追いつめ、こんなこと<br>
にまでなってしまった。私の、私のせいだ。<br>
<br>
私達は、早く眼を覚まさなければならない。<br>
蒼星石の肩をつかみ、優しく揺する。<br>
<br>
「……蒼星石?」<br>
<br>
反応が無い。<br>
<br>
「蒼星石!!」<br>
<br>
今度は、激しく揺さぶる。彼女は、眼を覚まさない。<br>
<br>
<br></p>
<p>「言ったでしょう。物語が、綻び始めていると。<br>
ここは、蒼星石という意識の森の中。そこに<br>
あなたは同化して、今までここに居たけれど……<br>
<br>
この娘の器は、もう壊れ始めているみたいね。<br>
物語の書き手が居なくなったら、この世界も<br>
長くは保たないのは道理でしょう」<br>
<br>
事も無げに、彼女は言った。<br>
<br>
「そんな! なんとかするです!」<br>
<br>
書き手が居なくなる、とは。蒼星石は今、外で<br>
死にかけている、という事? そんな、馬鹿な。<br>
私に巻き込まれて、彼女が死ぬなんて!<br>
<br>
「いいです! 私はどうなってもいいですよ!<br>
ぐすっ……妹にこんなに思いつめさせて……<br>
そりゃ蒼星石は、真面目で。<br>
すぐ極端な方向に走りたがるです。<br>
今だって、こんな……」<br>
<br>
私は、涙を拭い、叫ぶ。<br>
<br>
「けれど。姉想いの、いい妹なのです!」<br>
<br>
私が。私が強く在れば。こんなに苦しませることは、<br>
無かったのだ――<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
「……だ、そうですよ。道化のウサギさん。<br>
ここからは、私の管轄外かしら」<br>
<br>
私はこの世界の。貴女達の、ただの監視役だから、と。<br>
彼女は言った。<br>
<br>
<br>
「左様ですか、お嬢さん。<br>
ならば貴女は、目覚めを望むと言うのですね?」<br>
<br>
何処からか現れた白ウサギは、そんなことを言う。<br>
<br>
「貴女はまず、自分の森に帰りなさい。<br>
ここに居たら、貴女も目覚められなくなるでしょう――<br>
<br>
私は私で、これからこの森の修復に入ります。<br>
雪華綺晶。貴女にも手伝ってもらいますよ?」<br>
<br>
特にリアクションは無いけれど。何だか不満そうな彼女。<br>
『しょうがないですわ』と、切り株から腰を上げた。<br>
<br>
<br>
「ただし。この森から、更に外の世界に干渉するということ<br>
は――現実世界の流れを、変えると言う事。<br>
それは、奇跡と呼んで、差し支えの無いことなのです。<br>
<br>
それ相応の代価を彼女から頂くということを、<br>
どうかお忘れなく――」<br>
<br>
<br>
<br>
ウサギは光輝く穴を森の空間に繋ぎ、<br>
私はそこに吸い込まれていった―――<br>
<br>
<br>
<br>
――――――――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
『ジュン君に、告白された。すごく嬉しい。<br>
その日は風邪で休んでいた翠星石にも、<br>
夜の内に報告して。<br>
翠星石は、それを祝福してくれて―――<br>
勿論、彼女と彼の仲はいいから。<br>
三人で、楽しくやっていけたらいいと思う。<br>
幸せな毎日。どうかこんな夢のような日々が、<br>
ずっと続いていけばいい。……』<br>
<br>
<br>
26ページ目、に記されている。<br>
<br>
<br>
――――――――――――――――――――――――――<br>
<br></p>
<p><br>
――――――<br>
<br>
森は、静か。樹々の隙間から差し込む木漏れ日が、<br>
緑色を斑に照らしている。<br>
少しだけ風が吹いていて、その感触が心地よい。<br>
白のワンピースの裾が、揺れている。<br>
<br>
森の奥には、大きな切り株がある。<br>
その地に、しっかりと根を下ろしている。もう幹を<br>
持たない姿になっても、この樹は生きているのだろ<br>
う。私はそう思う。<br>
<br>
そっ、と。そこに腰掛けた私は、優しく切り株の<br>
切り口を撫ぜた。<br>
<br>
<br>
「蒼星石!」<br>
<br>
駆け寄ってくる女性。<br>
<br>
「蒼星石……私の、名前……」<br>
<br>
<br>
<br>
私は、私であるという記憶が、『およそ無い』。<br>
わからないものはわからないのだから、いきなり<br>
「記憶喪失」と言われても、ピンとこないのだけれど。<br>
<br>
駆け寄ってきた彼女は、翠星石。私の、双子の姉ら<br>
しい。私がこんな状態になって随分悲しんだけれど、<br>
今までずっと、私についていてくれる。<br>
彼女と一緒に居ると、とても安心できて心地よい。<br>
<br>
きっと、疑いようもなく。私達は、姉妹であると思<br>
う。この、眼の色を見ても、わかるように。。<br>
翠星石の眼の色は、光によく映えて綺麗だった。<br>
私の眼も、そんな風に映っているのかな。<br>
<br>
そんなことを考えていたら、また新しい人影が。<br>
<br>
「翠星石……お前、走るの早すぎ。もっと加減しろよ」<br>
「……ジュンの、体力が無いから……」<br>
<br>
ジュンと呼ばれる男の子と。薔薇水晶という名前の女の子。<br>
<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
「ジュン、運動不足すぎるですよ! もっと翠星石を見習うと<br>
いいですぅ」<br>
「お前、何で園芸部なのに……っていうか、運動不足って言<br>
うな! 僕だってなあ……」<br>
「……知ってる。ジュンはいつも、通販で買ったアイテムで、<br>
身体を鍛えてるんだよね……」<br>
「あーあー。そんなんだから普段家で引きこもりがちになる<br>
ですぅ。外に出るですよ、外に」<br>
「僕は引きこもってないー!」<br>
<br>
くすっ。ふき出してしまう。彼女達のやりとりは、何回聞い<br>
ても飽きることが無
<p><a title="yumenotudukiforesuto" name="yumenotudukiforesuto"></a></p>
<p><a title="yumenotudukiforesuto" name=
"yumenotudukiforesuto"></a>森は、静か。樹々の隙間から差し込む木漏れ日が、<br>
緑色を斑に照らしている。<br>
少しだけ風が吹いていて、その感触が心地よい。<br>
白のワンピースの裾が、揺れている。<br>
<br>
森の奥には、大きな切り株がある。<br>
その地に、しっかりと根を下ろしている。もう幹を<br>
持たない姿になっても、この樹は生きているのだろ<br>
う。私はそう思う。<br>
<br>
そっ、と。そこに腰掛けた私は、優しく切り株の<br>
切り口を撫ぜた。<br>
<br>
<br>
<br>
――ねえ、知ってた?<br>
<br>
私はひとり、呟く。――<br></p>
<br>
<p>―――――――――――――――――――――<br>
皆様、御機嫌よう。物語の案内役、道化のウサギで<br>
御座います。初めてお会いする方も、どうぞ宜しく<br>
……長い付き合いの方は、もうこれで五度目ほどの<br>
邂逅になるのでしょうか?<br>
<br>
さて、それでは。今回も、誰かが見ていた夢の続き<br>
を繋ぎましょう。暫くお付き合い頂ければ幸いです<br>
……<br>
―――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
【夢の続き】~フォレスト~<br></p>
<p><br>
徐々に、陽の昇っている時間が長くなってきていた。<br>
春が終わろうとしていて、季節はもう少しで夏になる。<br>
その前に梅雨がやってきてしまうけど、僕は雨が嫌いと<br>
いう訳でもない。地を潤してくれる、そんな時期だから<br>
だ。昨夜は少しだけ、梅雨入り前だったけども雨が降っ<br>
たようだ。今朝登校したときなどは、道端にある草につ<br>
いていた雨粒にひかりが反射して、とても綺麗だった。<br>
<br>
陽が傾いて、空がその色を紅く染めている様子を見る<br>
のが好きだ。きっと今の自分の姿も、紅く染まっていて。<br>
そんなことを考えていたが、どうやら少し口に出して<br>
しまっていたらしい。<br>
「蒼星石は詩人ですねえ」<br>
にこにこと返してくる翠星石。僕の、双子の姉。<br>
「なんでもないよ……さ、早く帰ろう。<br>
随分遅くなっちゃったしね」<br></p>
<p>
今日も部活が忙しかった。翠星石の誘いで僕は園芸部<br>
に入部し、学校の庭園の手入れをしている。部活と言っ<br>
ても、部員は僕ら二人しか居なくて。たまに友人達が仕<br>
事を手伝ってくれているものの、実質二人だけで庭園の<br>
管理をしている。<br>
僕達が通う学園には、学校所有のものにしてはあまり<br>
に見事な薔薇園があり、それは学園の人々を魅了してい<br>
た。<br>
今は、春の薔薇がちょうど咲いている最中。そして初<br>
夏になれば、色とりどりの薔薇が咲き乱れるに違いない。<br>
そうなれば、彼女は如雨露に水を汲み、地に潤いを与え<br>
ていくだろう。僕は専ら手入れ専門で、花壇の整備は自<br>
分の役割だ。<br>
二人で、一つ。きっと翠星石はこの仕事が、本当に好<br>
きなのだろうと思う。<br>
<br>
「そうですねぇー。何だかお腹空いちゃったです。<br>
早く帰るですよ!」<br>
そう言って。僕の手を引き、走り出す翠星石。<br>
「ちょ、ちょっと! 走るなら前向いて、前!」<br>
僕はもう、されるがまま。翠星石はころころと笑ってい<br>
る。<br>
傾いた陽に照らされて。僕らの後ろの地面に、二人分<br>
の長い影が映し出されていた。<br>
<br></p>
<p> 「いつもの日記書いてるですかぁ? 蒼星石」<br>
夕食後。お風呂上りの翠星石が、濡れた頭をタオルでわ<br>
しわしやりながら話しかけてくる。<br>
「うん、日課だからね。こうやって文章に書き起こすと、<br>
一日が振り返られていいよ」<br>
寝る前に、日記を書くのが僕の習慣だった。文章を書く<br>
のは結構好きなのである。<br>
「はぁー。まめなんですねぇ、蒼星石は」<br>
ふぁ、と。小さなあくびを一つして、彼女は答える。今<br>
日の作業で疲れているのか、眠気がピークに達している<br>
ようだ。<br>
「あ。髪、ちゃんと乾かさなきゃ駄目だよ?<br>
せっかく綺麗な髪なのに、そのまま寝たら痛んじゃうよ」<br>
翠星石の髪は長く、僕とは対照的だ。僕はよく男の子に間<br>
違われてしまうような感じだけど、彼女は本当に『女の子』。<br>
同じ双子なのに、こうも違う。性格だって、そう。僕の手を<br>
引き、前へ進んでいくのは彼女の役目。行き過ぎたところで<br>
制止するのが、僕の役目。……僕自身がその違いを感じてい<br>
るからこそ、僕は彼女と一緒に居て楽しいし、一緒に居たい<br>
とも思う。<br>
『似ている』というレベルならともかく。自分と『全く同<br>
じ』パーソナリティを持った人間と、何時までも一緒に居た<br>
いとは思えないかもしれない。<br>
<br></p>
<p>「わかったですぅー。ぶつぶつ……」<br>
文句を言いながらも、翠星石はドライヤーで髪を乾かし始め<br>
る。何だかんだ言って、彼女の根はとても素直なのだ。互い<br>
に反発することもあるけれど、姉妹として僕らは仲の良い方<br>
だと思っている。<br>
「ふふ。いきなりそんな強くやってもほら……ああもう。<br>
僕が乾かしてあげるよ。久しぶりに」<br>
ドライヤーで髪を舞い上げ放題にしている彼女を見ているのは<br>
微笑ましかったが、流石に見かねて声をかける。<br>
「ありがとです。蒼星石に乾かして貰えばばっちりですぅー!」<br>
とすん、と。彼女は床に座った。……そしてそのまま、彼女の<br>
頭は船を漕ぎ始める。<br>
「やれやれ……」<br>
少し苦笑しながら。僕は翠星石の髪に櫛を入れ、彼女を起こさ<br>
ないよう、出きるだけ静かに乾かし始めた。<br>
緩やかな時間。こんな日常なら、何時まで続いてもいいかな。<br>
なんだか眠くなってきた。彼女の髪を乾かし終えたら、今日は<br>
僕も早めに寝よう……<br></p>
<p>――――――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
『……気付くと、森の中に居たのだ。<br>
ここは深く、静か。今は、一人で歩き続ける。いつも隣に<br>
る存在が居ない。それは寂しいこと。<br>
とても、寂しい、こと。<br>
ここへ来るのは初めてな筈なのに、迷子になったときの<br>
様な、独特の不安感が全く感じられない。何故だろう。<br>
……<br>
<br>
森の奥に入る。少し樹々が避けて生えているような、<br>
広い空間があった。<br>
そこには大きな切り株があって、……』<br>
<br>
<br>
23ページ目、に記されている。<br>
<br>
<br>
―――――――――――――――――――――――――<br>
<br></p>
<p> 「いつまで寝てるですか、蒼星石ー!!」<br>
がばー、と。布団をひっぺ返されてしまう、朝の始まり。<br>
「珍しいですねえ……いつも翠星石よりも早起きなのに」<br>
とっか体調でも悪いですか? と。なんだか心配させて<br>
しまったようだ。<br>
「ごめん。今日はなんか布団が気持ちよくってさ」<br>
そう。普段寝起きは良い方なのだけれど、今日はいつまで<br>
も寝ていたいような気分だったのだ。<br>
「まったく。駄目ですよ蒼星石、規則正しい生活はちゃん<br>
と保たないと。今日は良いけど、」<br>
このままお説教のコースかなあ、などと考えてシュンとし<br>
ていたのだが、<br>
「ま、まあ。たまには蒼星石も、ゆっくり寝てると良いのです。<br>
妹の世話を姉が見るのは、仕方のねーことなのですぅ」<br>
意外にも、そんなことは無かった。<br>
<br>
今日はいつもと立場が逆だなあ。だけど、こんなことが<br>
あってもいいかもしれない。<br>
「うん。じゃあ、僕が寝坊したときはよろしくね」<br>
笑って、僕は答えるのだ。<br>
<br></p>
<p>
園芸部の朝は早い。とりあえず、普通の生徒が登校する<br>
時間よりは早めに出発し、水やりなどをしなければならな<br>
いのだ。<br>
「健やかにぃ~~~、のびやかにぃ~~~~♪」<br>
嬉しそうに水やりをする翠星石。『こうやって語りかけな<br>
がら水やりすれば、薔薇もそれに応えてくれるんですよ』<br>
というのは彼女の弁。確かにそうなのかもしれない。事実、<br>
こうやって水と養分を与えられてきた薔薇たちの、現在の<br>
咲き誇り方は見事だった。<br>
僕は鋏を取り出して、伸び盛っている薔薇の、余計な部<br>
分を刈り取る作業を始める。水と養分だけでは、薔薇はう<br>
まく咲いてはくれない。<br>
「あ、またあった……」<br>
台樹から、また余計な芽が吹き出している。これを放って<br>
おくと、薔薇本体の伸びを妨げることになってしまう。そ<br>
れを防ぐ為に。その芽を早めに刈り取ってしまうのも、自<br>
分の仕事のひとつ。<br>
そう。これは新たな芽と言えど、望まれていないもの。<br>
綺麗な花をつける新芽と違い。初めから、要らなかったも<br>
のなのだ。<br>
<br></p>
<p>「……」<br>
無言でそれらを刈り取っていく。この庭園の作業の中でも、<br>
これだけはどうにも好きになれない自分がいる。望まれた<br>
芽ではない、だから。『なかったことに、しよう』。<br>
必要なことだとは、わかっている。僕は黙々と、その作<br>
業を続けるのだ。何も問題は無い。何も、問題は、無い。<br>
<br>
<br>
「さ、朝の分は終了です~! 蒼星石、そっちはどうです<br>
か?」<br>
一仕事終えた彼女が、満足気な表情でこちらに駆け寄って<br>
くる。<br>
「こっちも終わったよ。じゃ、教室に行こうか」<br>
僕は彼女を促して、この日の朝の作業は終了。<br>
翠星石の、笑顔。僕は先ほど抱いていた瑣末な感情を、<br>
もう忘れてしまっている。<br></p>
<p>
教室。いつもなら一番乗りなはずの僕らだったが、今日<br>
はすでに先客がいた。<br>
「薔薇水晶! おはようですー。今日は早いですねえ」<br>
「……おはよう……二人は、今日も庭のお手入れ……?」<br>
朝の挨拶に、薔薇水晶は静かに受け応える。<br>
<br>
僕の彼女に対する印象は、『不思議な少女』だという事。<br>
このクラスはとりわけ個性的な人物が多いのだけど。彼女<br>
のパーソナリティは、それらに対して全くひけを取らない。<br>
……というか、むしろ異彩を放っている。<br>
<br>
「そうだよ。それにしても学校来るのが早いね、薔薇水晶。<br>
今日はなんか用事があったのかい?」<br>
<br>
普段、僕と彼女との会話は多い方ではない。もともと彼女<br>
は、饒舌な方ではないのだ。しかし、時々口を開いては、周<br>
囲を不思議な世界へ巻き込んでいく。たまに繰り広げられる<br>
シュールな会話は、嫌いではない。<br></p>
<p><br>
「……今日は気分を変えて。教室で朝ごはん……」<br>
ごそごそと鞄からお弁当の箱を取り出す。かぱっ、と。<br>
中身を開いて見せてくれた。<br>
<br>
「ば、薔薇水晶。朝っぱらからこれはねーですよ……」<br>
「……うわあ」<br>
畏れを抱いたような声を漏らした僕らが見たものは、……<br>
ぎっしりと詰められたシューマイと、あとは少しの白米。<br>
「え、と、薔薇水晶? それって今日のお昼のお弁当じゃ<br>
ないの?」<br>
かろうじて言葉を返す僕に対し、彼女は人差し指をたて、<br>
『ちっちっち』と指を振るを仕草をしてみせる彼女。<br>
「……大丈夫。もういっこ、あるから……」<br>
またしても、ごそごそと鞄を漁り、弁当箱を取り出した。<br>
でか! なんだあれ。今度は二段重ね。というか、あんな<br>
大きな弁当箱が、どうやってこんなちっちゃいバッグに詰<br>
め込まれてるんだろう。……勉強道具はどうしたんだい?<br>
</p>
<p><br>
「……問題ないよ……」<br>
にやり、とこっちを見る薔薇水晶。え、あ、声に出してた?<br>
うろたえてしまった僕に、事も無げに彼女は答える。<br>
「……顔に、出てる……」<br>
ちょっと、ぞくっとした。参ったなあ。結構自分では冷静な<br>
方だと思ってたのに。<br>
<br>
そして予想通り(出来れば外れて欲しかったが)、二段の重<br>
箱には、シューマイと白米がそれぞれぎっしり詰まっていた<br>
のだった。<br>
「何やってるです薔薇水晶! ちったぁ栄養のバランスも<br>
考えないといかんですよ!?」<br>
翠星石がぷりぷり怒っている。……突っ込み所はそこだけな<br>
のかい? 翠星石。<br>
「……シウマイ。おいしい……」<br>
お構いなしに、もくもくと食べ始めた薔薇水晶。……うわぁ、<br>
本当に幸せそうに食べるんだなぁ。君、ほっぺ紅いよ?<br>
<br>
苦笑気味にその様子を眺めていると。<br>
「……食べる?……」<br>
シューマイを一個差し出されてしまったのだが、丁寧にお断り<br>
しておいたのだった。<br></p>
<p>
昼休み。特に何か作業をしようと思っていたわけではないが、<br>
僕はひとり薔薇を見に庭へ来ていた。<br>
『ちょっと先生に呼び出されちゃって』<br>
翠星石にはそう言い伝えてある。放課後になればまたここへやっ<br>
てくるというのに。そのような嘘をついてまで、今ここに来る必<br>
要はない筈だった。<br>
「……」<br>
刈り取った台芽の痕を見る。いくら初めからなかったことにしよ<br>
うとしても、こうやってその痕跡は残される。<br>
<br>
「うわっ」<br>
背後からいきなり肩を叩かれて、思わず声を上げてしまった。<br>
「……お昼の……お散歩?」<br>
「ば、薔薇水晶かぁ。びっくりした。おどかさないでよ」<br>
ちょっと抗議する感じで返す。すると彼女は、何やらぶすっと<br>
頬を膨らませてしまった。<br>
「……何回呼んでも、気付かなかったから……」<br>
「え、そ、そうなの!? ごめんね、薔薇水晶」<br>
本当に、気付かなかった。どうしたのだろう。そんなに僕は、ぼ<br>
んやりしていたのだろうか。<br>
「……」<br>
薔薇水晶は、何も答えない。ちょっとだけ、気まずい空気が流れる。<br>
<br></p>
<p>
「さっきはほんとにごめんね。なんか最近ぼーっとしてるっていうか、<br>
考え事が多くなっちゃってるような」<br>
そう。特に何も考えていない訳ではない。しかしながら、僕はその<br>
『考え事』のイメージがよく掴めていないのである。おかしな話だっ<br>
た。強いて言うなら、その『よく考えなければならない』事がある筈<br>
なのに、……いや。自分に言い訳するのはやめておこう。最近ぼんや<br>
りすることが多い。それで言い終えられることじゃないか。<br>
<br>
「そう言えば薔薇水晶。あのお弁当はもう食べちゃったの?<br>
その、随分と量が多いみたいだったけど」<br>
<br>
そうだ、今朝から気になってたんだ。彼女は見た目、そんなに大喰ら<br>
いには見えない……というか、むしろ華奢な身体の線をしている。<br>
シューマイが好きだということは聞き及んでいたが、正直あのお弁当<br>
を見たときは、目を疑った。<br>
「……あれ位なら、10分あれば事足りる……」<br>
びしっ、と。親指を立てて『グッド!』のサイン。あ、あれを10分で<br>
平らげるとは。<br>
「薔薇水晶。えーとね、……」<br>
何か彼女に言わなければならないような。どうしよう。<br>
「?」<br>
小首を傾げて、こちらを眺める薔薇水晶。こんな時は、僕の心を読ん<br>
でくれないんだろうか。<br>
「……食事は、もっとよく噛んで食べようね?」<br>
結局、こんな言葉くらいしか思いつかない。こくりと、彼女は無言で<br>
頷いた。<br></p>
<p>
「じゃあ、僕はそろそろ教室行くけど。薔薇水晶も一緒に戻る?」<br>
昼休みも気付けば残り少なくなっていた。次の授業の準備をしてお<br>
かないと。<br>
「……もう、ちょっと。ここに居る。大丈夫、先に行ってて……」<br>
そんな風に彼女は返してくるので、僕はそれに従うことにする。<br>
「う、うん……君も早く戻りなよ? 授業遅れちゃうから」<br>
はーい、と。右手を上げるジェスチャーをする彼女。本当にわかって<br>
るんだろうか?<br>
少し気になりながらも、僕は庭園を後にした。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
私は見ている、教室へ戻っていく彼女の後姿を。誰に言うでもな<br>
く、一人呟いていた。<br>
「……呼んでいるのに、気付かないのね……」<br>
<br>
<br></p>
<p>
――――――――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
『……当にそうだ。彼女の胃袋はまさに鉄と呼んでいいかも<br>
しれない。ただ、朝一からお裾分けしてもらうのは。ちょっと<br>
胃に負担がかかってしまいそうだけど……あれは本当に美味し<br>
そう。いつか食べてみたいな。<br>
<br>
それにしても。あんなに食べてるっていうのに、体型が全く変<br>
わる様子がない。それは見てて羨ましい限りで、……』<br>
<br>
<br>
19ページ目、に記されている。<br>
<br>
<br>
――――――――――――――――――――――――――<br>
<br></p>
<br>
<p> 「さて、と……」<br>
日常は、なんの変わりも無く続いている。今日の放課後も庭園へ<br>
向かうのだ。<br>
今日は翠星石が、手伝い要員を連れてきた。<br>
「ジュン君、ありがとう。いつも手伝ってくれるから、助かるよ」<br>
桜田ジュン。クラスメートだ。<br>
「ジュンは翠星石の頼みなら、断ることなんかしねーのです」<br>
何だか鼻高々になっている彼女だった。そこは自慢するとこなん<br>
だろうか?<br>
苦笑の笑いを浮かべているところで、彼が言う。<br>
「まあ、ね。こいつの頼みを断ったら、後が怖いからな」<br>
ちょっと意地悪い笑みを浮かべながら、ジト目をして翠星石の方<br>
を向く。<br>
「んなっ! それじゃ翠星石は、ジュンを脅迫してるみたいに<br>
聞こえるです! 人聞きわりーのですよ、ジュン!」<br>
ぷりぷりと怒る翠星石だった。<br></p>
<p><br>
「あ、そう。じゃあ今日は帰ってもいいか」<br>
そっけなく返すジュン君と、<br>
「えっ? あー、うー……」<br>
それに反論出来ない翠星石。あ、そろそろだな。<br>
「ま、まあまあジュン君。用事があるならしょうがないけど、<br>
折角きてくれたから。手伝っていってくれると、僕も<br>
嬉しいかな」<br>
とりあえずフォロー。彼女は普段は強気だけど、ちょっと切り返さ<br>
れると途端に弱くなってしまう。まあ、彼もその辺のこともわかっ<br>
ていて。本気で彼女のことを言い負かそうとはしないのだ。<br>
だけどそこで、『蒼星石の頼みなら、断れないなあ』なんて。翠星<br>
石の方を向きながら言うものだから、彼女は更にヒステリーの度合<br>
いを上げていく。<br></p>
<p>
欠点、というもの。それは自分ではなかなか気付かないことでも、<br>
他人から見れば一目瞭然だったりすることが多い。彼女の場合は、<br>
基本的にひとに対して素直になれないところ。<br>
これは自分の私見だけれど、彼女は彼のことをかなり気に入ってい<br>
る。なのに、いつもツンツンとした口調で。結局は言い争いになって<br>
しまっていた。<br>
ただ。先ほども言った通り、彼は彼女よりも、一歩か二歩ほど余裕<br>
を持って会話に望んでいる。その辺も愛想を尽かさず付き合っている<br>
限り、彼はとても優しいのだろうと思う。<br>
<br>
本当。素直じゃないんだから、この二人は。まるで子供の様に……<br>
無邪気だ。<br>
<br>
彼は翠星石のことを、どう思っているのだろう。きっと嫌いじゃ<br>
ないだろうけど、本心が見えない。仲の良い友達、という感覚なの<br>
だろうか。<br>
<br>
『蒼星石の頼みなら……』<br>
何故か、今。僕の中で、さっきの彼の台詞がリフレインしている。<br>
翠星石は素直じゃないけど。僕、僕は。蒼星石という存在を、彼は<br>
どう思って……<br></p>
<p>「……?」<br>
僕は今、何を考えていたんだろう。そうだ。放課後の時間だって限<br>
られているんだ。彼ら二人のやりとりを眺めているのは微笑ましい<br>
けれど、そろそろ止めなきゃ。<br>
「ほらほら、二人とも! 作業をはじめようよ。<br>
またすぐ暗くなっちゃうよ?」<br>
ぴしゃりと諌めておく。これで口喧嘩は終了だ。<br>
「そうだな、ごめん。蒼星石のいうことはもっともだ。<br>
ほんとしっかりしてて偉いよなあ」<br>
姉とは大違いだなあ、と言って。また言い争いの種が芽を吹きそう<br>
な雰囲気だったけれど、その後は恙なく作業に入る事が出来た。彼<br>
が結局、彼女にお詫びの言葉を入れたためである。<br>
やっぱり、この二人は仲が良い。僕は少しそれを、羨ましく感じ<br>
ている。<br>
<br>
<br>
『大違いだなあ……』そう。違う。違うのだ。<br></p>
<p><br>
―――――――――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
<br>
20ぺージ目、と記された頁の次が、破られている形跡がある。<br>
破られているのは、一枚分のようだ。<br>
<br>
<br>
<br>
―――――――――――――――――――――――――――<br>
<br></p>
<p>
休日。とは言っても、庭園の手入れにお休みなどない。今日も<br>
今日とて出発なのである。夕方から雨が降ると天気予報は言って<br>
いたので、午前中の作業だけでよさそうだ。<br>
随分と作業も手馴れたもので、お昼前には大体終了することが<br>
出来た。<br>
昼食は家で食べようということになって、二人で家路へつく。<br>
途中の道で、僕は何故か、ふと足を止めた。<br>
「ん? どうしたです蒼星石?」<br>
不思議そうに尋ねる彼女。<br>
「これ。こんなところ……わき道なんて、あったかな」<br>
林というか、森というか。この辺りは自然が多いほうだけど、今<br>
まで気付かなかったのが不思議なくらいの、そんなわき道があっ<br>
たのである。<br>
「この道の奥……森かな。なにがあるんだろう」<br>
行ってみたい。そう思った。……僕が、思った? <br>
「なんかこの森、気持ち悪いですぅ。やめとくですよ、蒼星石」<br>
<br>
翠星石が、僕を止める。珍しい。いつも好奇心旺盛で、僕の手<br>
を引いて先を行く彼女が。<br>
「……そうだね。お腹も空いたし、早く帰ろう」<br>
<br>
『それが一番ですぅ』と言って、僕の手を引き始める翠星石。<br>
僕の、微かに感じていた違和感はなんだろうか。<br>
<br>
<br></p>
<p>
そして。僕はその日の午後に、一人でその森へ行くことに決めた。<br>
何処か別の場所へ行くということを言い伝えておいても<br>
良かったのだが、それだと彼女が一緒について来る可能性<br>
がある。彼女は、僕があの森へ行く事は拒否するだろう。<br>
僕は何故、ここまであの森に拘っているのだろう? 不<br>
思議な感覚だった、とても。だけど、僕のこころが。ここ<br>
ろの奥底が、あそこへ行かなければならないと。そう告げ<br>
ている。でも、でも。僕の身体は。……僕の"器"が。それ<br>
を拒否している、そんな気がする。<br>
<br>
"器"だって? 自分で言っていて意味がわからない。<br>
<br>
<br>
森の入り口へ続く、あのわき道で。僕は出会うのだ。彼<br>
女に良く似た、彼女に。<br>
<br>
「薔薇水晶……?」<br>
<br>
居る。頭の隅にある混在したイメージが、何かを、警告して<br>
いる。<br>
<br></p>
<p>「……あなたは、……ここに来るのは、まだ早いよ」<br>
<br>
よくわからないことを言う彼女。<br>
<br>
「なんだって……? 薔薇水晶。そもそも何で君がここに、」<br>
<br>
「……あなたは。」<br>
<br>
最後まで言わせてもらえない。圧倒されている。<br>
知ってる、この感じを、僕は、<br>
<br>
「……あなたは、思い出し始めている。<br>
だけど……気付いて、いないの。だから……」<br>
<br>
彼女の、口調が、変わって、<br>
<br>
「まずは、気付きなさい。貴女たちは、違いながらも"似ている"の」<br>
<br>
「私の言葉を呑んで。<br>
芽を摘む役割を担った方が。それを、したの。<br>
そして『初めから無かったこと』になっているけれど――」<br>
<br>
……『それでも、いいの?』…… <br>
<br>
最後の声は。そんな風に、僕には聴こえた。<br></p>
<p>――――――――――<br>
<br>
<br>
「ただいまー」<br>
夕方近く、僕は家へと戻った。<br>
「おかえりなさいです、蒼星石ー! 随分遅かったですね?」<br>
翠星石に出迎えられた。<br>
「うん、ごめん……適当に散歩するだけのつもりだったんだけどね。<br>
途中で薔薇水晶と会ってさ」<br>
一緒に買い物してきたよ、と。手提げの買い物袋を示した。<br>
「ああー、ずるいですよ蒼星石! 翠星石も一緒に買い物し<br>
たかったです……」<br>
いじけてしまった。確かにそうだ。なんでまた僕は、散歩に行こう<br>
としたんだろう? 結局、薔薇水晶に引っ張りまわされて(予想以上<br>
に彼女はアクティブだった)、色々と買うハメになってしまった。<br>
まあ、楽しかったからその辺りは良かったんだけど。<br>
「ごめん、翠星石。今度のお休みは、一緒に買い物行こう?」<br>
果たして、慰めになるだろうか。けれど精一杯の本心を伝えるくらい<br>
しか、出来ない。<br>
「うー……しょーがねーです。それで勘弁してやるですよ。<br>
ところで蒼星石!」<br>
いきなり返されたので、ビックリしてしまった。<br>
「え、な、何?」<br>
「何、じゃないです。買い物って言ってるんですから、<br>
何買ってきたのか聞こうとしただけですよ」<br>
あくまで素、らしい。えーと。買い物はですね、ちょっと<br>
薔薇水晶に連れられて……その……下着類が売ってるとこ<br>
で……えと……<br></p>
<p><br>
――――そう。まさしく、買い物中は地獄だったのだ。<br>
僕はこんな容姿をしているので、よく男の子に間違え<br>
られたりする。以前一人でランジェリーショップに入<br>
店したとき、他の一般客から結構痛い視線を浴びたり<br>
した事があった(毎回店員に話しかけると、かろうじ<br>
てわかってもらえる)。<br>
今回は、薔薇水晶と一緒。ぱっと見、同年代のカッ<br>
プルに見られたらしい。最近では、恋人同士で入店し<br>
てくるケースもしばしば見られるらしいのだが。とり<br>
あえずそんな事は、僕には関係のないことで。<br>
<br></p>
<p><br>
「……これ……なんかどう……?」<br>
え、何……? と、見た先にあったもの。<br>
うん、薔薇水晶。それは、ほとんど紐だと思うんだ。<br>
「……蒼星石の、趣味にあわせて……」<br>
ちょっ! 何顔紅くしてるのさ! っていうか僕の趣味って何さ!<br>
あー、周りひそひそ言ってるよ!<br>
<br>
『あのカレシ、ああいうの好みだってーひそひそ……』<br>
『大胆ねー、女の子の方恥ずかしそうにしてるしーひそひそ……』<br>
<br>
違うううう!! 僕は変態じゃないんだ!!<br>
<br>
「あの、お客様」<br>
ああ、店員さん! 助けてください!(この状況から)<br>
「お客様のご趣味に合わせまして、このようなものも御座いますが」<br>
<br>
ぴらり、と。提示されたそれは完全シースルーの下着な訳でして、<br>
<br>
『『ひそひそひそひそ!!』』<br>
<br>
うわーん!! 違うんだあああああ!!!<br>
<br>
悶えている僕を尻目に、薔薇水晶は、ぽつりと呟く。<br>
<br>
「……キャラ的に、おいしいよね……」<br>
<br>
僕はがっくりと膝をついた―――――――――<br></p>
<p>
「……蒼星石? 大丈夫です? なんか泣いてますよ」<br>
はっ。ちょっと意識が飛んでたらしい。眼を擦る。大丈夫、<br>
僕は泣いてない。<br>
「えっとね。うん、大丈夫。下着とか買ってきたんだ、ホラ」<br>
袋を手渡す。翠星石は『お姉ちゃんがチェックしてやるですぅ』<br>
と言いながら、その中身を漁り始めた。<br>
<br>
「あ、蒼星石ー! これかわいいですよ!<br>
なんかいつものやつと違うですねえ」<br>
<br>
普段はスポーティなものを身に着けるのだけど。薔薇水晶が<br>
『そこにギャップを見出すと……グッド』<br>
とか言いながら親指を立てていたので、結局それに従うこと<br>
にしたのだった。紐とかよりは、マシだ。<br>
「はは、たまにはね……」<br>
僕は苦笑するしかない。<br>
「こんなの買ってくるなんてー。蒼星石もやっぱり女の子なのです。<br>
で、これで好きなひとでも誘惑するですか?」<br>
<br>
キラリ、と眼を光らせながら彼女は言う。<br>
『その辺の男なんかには、大事な妹はやれねーですけどね』<br>
なんて言いながら、笑っている翠星石。<br>
<br>
<br>
好きな、ひと? 僕はその声を、何処か遠い位置で聞いて<br>
いるようだった。僕の、好きなひとは――<br></p>
<p>
就寝前。僕は布団に入りながら、翠星石にちょっと尋ねてみた。<br>
「ねえ、翠星石。君は好きなひと、居ないの?」<br>
その質問の答えを僕は知らない、というのは。多分嘘だ。十中八九、<br>
彼女の想い人は、彼のことである。<br>
「なっ、なんですか蒼星石、やぶからぼうにー!」<br>
慌てる彼女。<br>
「いや、ちょっと気になっただけだよ」<br>
それも、嘘。僕はここで、確認しておきたかった。<br>
「……いねーですよ。翠星石には、好きなひとなんかいねーのです」<br>
<br>
<br>
どうして、僕はこんな事を聞いているのだろう。<br>
そして彼女は。何でこんな風に、応えるのだろう――<br>
<br>
<br>
眠りに落ちる。僕は何かを思い出し始める。<br>
気付く事など、何も無いの筈なのに。<br>
何処からか、声が。<br>
<br>
『また、繰り返すの?』<br>
『同じ事、繰り返すの?』――<br></p>
<br>
<p>―――――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
『僕はこれから、、物語を綴ることにする。<br>
ここが肝心だ。これで、何の問題も無くなるだろ<br>
う。大丈夫、繰り返しになど、ならない。<br>
そして、……』<br>
<br>
<br>
25ページ目、に記されている。<br>
<br>
<br>
<br>
――――――――――――――――――――――――<br></p>
<br>
<p><br>
「ごほっ、ごほっ……う~」<br>
38.1度。これは酷い。<br>
「翠星石、大丈夫……?」<br>
僕は彼女の額のおしぼりを変えながら、聞いてみる。<br>
「ちょっと辛いですねぇ……今日は学校休むです……」<br>
それはそうだ。でも、このまま家に残していくのも心配だ。<br>
「翠星石。今日は僕も休むよ」<br>
そして病院へ付き添って、看病して。一人になると不安<br>
がるだろうし。<br>
およそ僕の考えられる最良の選択肢だったが、彼女は<br>
それを断った。<br>
「心配はありがたいです……でも、蒼星石まで休んだら、<br>
薔薇の世話をするひとが居ないのです……」<br>
確かに、それはそうだが。僕は『今日一日くらいなら大丈<br>
夫だよ』と。そう押したのだが、彼女は頑として譲らない。<br>
<br>
「わかった。でも、辛くなったら。いつでも学校に<br>
電話して? あと、絶対安静にすること!<br>
今日は早く帰ってくるよ」<br>
<br>
とうとう僕が折れて、学校へ行く事になった。仕方が無い。<br>
後ろ髪を引かれる思いだが、今日の作業を早めに切り上げ<br>
て、帰ることにしよう……<br></p>
<p><br>
放課後。流石に一人で作業するとなると、時間的に普段の<br>
倍はかかる訳で。それだと、家へ帰るのが遅くなってしまう。<br>
僕はジュン君に助けを求めることにした。二つ返事で了承<br>
である。<br>
<br>
「翠星石の体調は大丈夫なのか? かなり酷い感じみたいだけど」<br>
彼女が風邪で休んでいることは、朝のホームルームで聞き及んで<br>
いた筈なので、勿論彼も知っている。<br>
「うん……熱が上がってて。今日は早く帰らなきゃ」<br>
その後、黙々と作業を続ける。<br>
<br>
「ねぇ、」<br>
不意に、口が開く。何だ? 僕は何を聞こうとしている?<br>
「ジュン君ってさ、」<br>
ジュン君? ジュン君が、<br>
「好きなひととか、居るのかい?」<br>
返す言葉を、僕は。僕という"器"が、知っている――<br>
<br>
なっ、と。言われた彼の顔が、紅い。<br>
僕の顔も、今紅くなっているのだろう。<br>
そう、知っているのだから。<br>
僕? ……器。……僕は、誰だ……?<br>
<br>
<br>
「僕は、蒼星石のことが、――」<br>
<br></p>
<p>……<br>
<br>
<br>
「――ごめん!」<br>
僕は走り出し、脱兎の如くその場から離れる。<br>
違う。違う。僕はこうなることを知っていた、けど、<br>
今の"僕"ではいけない気がする――!<br>
<br>
<br>
<br>
……<br>
<br>
<br>
<br>
とぼとぼと、僕は帰り道をひとり歩いている。<br>
「はぁ……」<br>
溜息が、出た。<br>
僕は、彼に好きだと言われ、嬉しかった。だけど。<br>
何かが、違う。決定的な、何か。それについて考え<br>
ようとすると、すごく頭が痛い。<br>
そもそも。僕は翠星石の気持ちを知りながら。何<br>
て汚いことを、してしまったのだろうか――<br>
<br></p>
<p><br>
と。僕の行く先には人影がある。<br>
「薔薇水晶―――と」<br>
もう一人、若い男性。あれは誰だ?―――<br>
しかしながら。特に驚いたような感情の昂ぶりを、<br>
ほとんど持ち合わせていない僕が居る。この男の<br>
ひとは誰かわからないけど。ともかく、薔薇水晶<br>
が、ここに―――森へ通じる道の入り口に―――<br>
居るのは、ひどく『ふさわしい』。<br>
<br>
<br>
「お嬢さん、はじめまして。私は白崎という者です」<br>
白崎、と名乗った男が挨拶をしてくる。言い方自体は<br>
普通、というよりむしろ丁寧であるのだが。これがこ<br>
の男の本性ではない。そんな気がしている。<br></p>
<p><br>
「何か、用ですか?」<br>
牽制。あまり深く関わらない方が良い。はず、だ。<br>
いや、しかし。彼らから、何か重要なことを聞き<br>
出さないといけないのでは――<br>
<br>
「……本当に、良いの?……」<br>
<br>
薔薇水晶の視線に、射抜かれる。身体が、動か、な、<br>
<br>
「いえいえ……物語に綻びが出始めたものでして。<br>
そもそもこの物語は、これからが肝要なのでは<br>
なかったのですか?<br>
……まあ、いいでしょう。<br>
ちょっとこの娘の手に負えなくなる前に、<br>
私が出てきたまでのことですよ。お嬢さん」<br>
<br>
何だ、何を言っている?<br>
<br>
「それでも。貴女が自分で気付きたいと言うならば、<br>
止める理由もないのですが――」<br>
<br>
「初めから"無かった"ことを暴き、ほり起こし。<br>
その続きを見る勇気が、貴女にはあるのですか?」<br></p>
<p><br>
涙が出そうだ。怖い。僕は、この先を知る必要は、<br>
ないのかもしれない。<br>
<br>
「あ、あ、―――」<br>
<br>
声が続かない。けれど、駄目だ。ここで"僕"が――、<br>
進まなければ、ならない!<br>
<br>
<br>
長い沈黙のあと。<br>
僕は、頷く。そして、この森の。―――奥にあるもの<br>
を、確かめるのだ。<br>
<br>
<br>
「そうですか。なかなかどうして、勇気がおありですね、<br>
お嬢さん。それでは、物語の配役通り。<br>
薔薇水晶――いや、雪華綺晶。森の、奥へ――」<br>
<br></p>
<p>薔薇水晶、では無い。よく似ているけど、違う。<br>
雪華綺晶と呼ばれた彼女は、無表情に言った。<br>
<br>
「人使いが荒いのですね、白崎。<br>
私はたまたま選ばれたけど、もう後はないですわ。<br>
貴方が言っている通り、物語に綻びが生じています。<br>
少しずつ、ずれてきていますから。<br>
貴女が――気付き始めて、いますし。<br>
"貴女"が、"貴女"の中から呼んでいる声に。<br>
あと、そうじゃ無くても。<br>
"森"も、長くは保たないでしょう」<br>
<br>
それでは、と。雪華綺晶と呼ばれた彼女が、森の奥へ<br>
消えていく。<br>
<br>
「さあ、お行きなさい――と言いたいところですが、<br>
お嬢さん。貴女はまだ、気付いていない事がある。<br>
曖昧な感覚な気持ちで"森"に入れば、貴女はまた、<br>
誤魔化されてしまうでしょう。それほど、この森<br>
は深い。<br>
……ですから。まずはこれを、お探しなさい」<br>
<br>
それは。僕の、日記帳―――? どうして、ここに。<br>
<br>
「もともとは、あなたが――いや、あなたに、近い魂が。<br>
この世界を、作り上げたのです。<br>
あなたもこの劇作の、一人の役者にすぎませんが―― <br>
幕を下ろすのを。<br>
あなたに任せてみるのも、良いでしょう」<br></p>
<p><br>
家へ着いた。翠星石は、今は眠っているようだ。<br>
熱は少し下がっているらしく、規則正しい寝息を<br>
たてている。<br>
「……」<br>
白崎が示したもの。あれは、僕の日記帳だった。<br>
「……世界……」<br>
僕は机の上に突っ伏す。そして、二段目の引き出<br>
しの奥から、日記帳をとり出す。僕はこの日記帳<br>
には、日常の出来事しか書いていないのだから。<br>
物語など、何処にもありはしない。<br>
白崎は、『探せ』と言った。探して見つからない<br>
ものならば、きっとそういう言い方はしないだろう<br>
と思う。<br>
近いところにあるのだろうか? 僕は翠星石を<br>
起こさないように気をつけながら、部屋の物色を<br>
始める。……まったくもって、馬鹿馬鹿しい、け<br>
れど。僕は焦っている。早くしなければならない<br>
という焦燥が、僕をどうしようもなく、駆り立て<br>
ている。<br></p>
<p><br>
「……あとは……」<br>
あらかた、大体ではあるが部屋を漁り終えて。の<br>
こるは、翠星石。彼女の机の、中。<br>
いくら姉妹とは言えど、こういった行動はプラ<br>
イバシーの侵害になってしまうかもしれなかった。<br>
それでも。意を決して、机を探す。<br>
<br>
そして、僕はやはり知っていたのだ。<br>
"僕"ならきっと。<br>
日記帳をしまっておくのは、<br>
二段目の引き出しの、奥。<br>
<br>
「……あった……」<br>
<br>
もともと僕が持っていたものと、全く同じデザイ<br>
ンの日記帳。これで、二冊。<br>
<br></p>
<p> 僕の考えが正しければ。白崎から言っていた日記<br>
帳には、僕が。いや、"僕"の書いた物語が――"森"<br>
に関する記述が、ある筈なのだ。そして、僕が"森"<br>
に至ってしまう、その過程まで。<br>
<br>
<br>
何故、そのようなことが書かれているか?<br>
僕が、日常を記している日記帳と。<br>
まったく同じ形をした、もうひとつの日記帳。<br>
<br>
<br>
この二つが同時に存在する時点で。<br>
どちらかの存在が、『この世界にとって』イレギュラー<br>
なのだ。そしてそれはもう、決まって、いる。<br>
<br>
<br>
ぱらり、と。日記帳をめくると。記憶に残っていた白<br>
紙部分が、文字で埋まっている。<br>
<br></p>
<br>
<p>―――――――――――――――――――<br>
<br>
またお会いしましたね。道化のウサギで御座います。<br>
これは。"とても似ている"、二人の少女の物語です。<br>
<br>
蒼星石という少女。彼女の抱いていた『違和感』が、<br>
かたちになろうとしています。<br>
<br>
"森"が、何であるのかという事。<br>
<br>
そして、彼女が日ごろつけていた日記帳と、本来存在<br>
しない筈である『もう一つの日記帳』。<br>
<br>
彼女はそれを読み、果たして何に気づくのでしょう?<br>
<br>
それでは、この物語の続きを。<br>
最後までご覧頂ければと思います……<br>
<br>
――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
【夢の続き】~フォレスト~ そして幕間のつづき<br></p>
<br>
<p><br>
<br>
<br>
日付が……今日、になっている。<br>
そう。今日までしか、無い筈なのだ。<br>
僕は食い入るように、その内容を凝視し、読む。<br>
<br>
つぅ……と。冷や汗が、背筋を降りていく感触。<br>
終わっていない、まだ文章は終わっていない、<br>
読まなきゃ、読まなければ、<br>
<br>
<br>
僕は、気付かなくてはいけない!<br>
<br>
<br>
続けて、読み進める。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
『気付くと、森の中に居たのだ。<br>
ここは深く、静か。今は、一人で歩き続ける。いつも隣に<br>
る存在が居ない。それは寂しいこと。<br>
とても、寂しい、こと。……<br>
<br>
<br>
森の奥に入る。少し樹々が避けて生えているような、<br>
広い空間があった。<br>
そこには大きな切り株があって、白いドレスをきた<br>
少女が、座っている。美しい容姿をした彼女。<br>
何処かで見たことが、あるような気がする。<br>
<br>
<br>
彼女が言葉を投げかけてきた。<br>
"あなたは、だぁれ?"と。……』<br>
<br>
森、に関する記述。僕は行かなければならない。<br>
全てはあそこから始まった物語。<br>
いや、"始められた"物語なのか――<br>
僕は。日記のあるページを破り、ポケットの中へ<br>
仕舞い込んだ。<br>
<br>
<br>
もう、誤魔化されない。<br></p>
<p><br>
<br>
走る。ただひたすらに。身体が拒否している、森へいくこと<br>
を拒否している。それはそうだ。この身体は、ただの"器"だ――<br>
僕はまだ、"僕"である意識を以って、走る。<br>
<br>
<br>
そして、あの大きな切り株のある場所へ。辿り付く。<br>
彼女は、居る。<br>
<br>
<br>
「あなたは、だぁれ?」<br>
<br>
<br>
答えは、決まっている。ポケットにねじ込んだ紙切れを<br>
突き出しながら、僕は息を吸う。<br>
<br>
<br>
「――、」<br>
<br>
まさに声を出そうとした、その時だった。<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
「駄目です、蒼星石!」<br>
<br>
「……翠星石」<br>
<br>
僕のあとを、追ってきていたのか。頷ける。彼女は、<br>
この世界を終わらせる訳には、いかないのだから。<br>
でも、それは――<br>
<br>
「蒼星石! 蒼星石は、今のままでいいんです!<br>
あなたはこの世界で、ジュンと幸せを掴むです!<br>
翠星石は、翠星石は……大丈夫なのです。<br>
"この世界"の私なら。きっと大丈夫なのです!」<br>
<br>
泣いている。彼女は泣いている。<br>
ぽろぽろと涙を零して。<br>
<br>
そして、気付く。<br>
<br>
ああ――ならば。"この世界"ではなかった、翠星石の。<br>
"私"の心は、<br>
どれほど、弱かった事だろうか。<br>
<br>
そして、"貴女の器"も。<br>
まだ眠っているのね、蒼星石。<br>
そう、それは。私の、せいで――<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
―――――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
『ジュン君に、告白された。本当なら、飛び上がる程<br>
嬉しいことなのに、今は全く喜ぶ気になれない。<br>
<br>
告白された直後、僕は翠星石に、その現場を見られて<br>
いたことに気付いた。彼女は逃げ出して。<br>
僕はそれを追いかけた。必死で。<br>
彼女を、追い続けた。<br>
<br>
<br>
そして。丁度、目の前には階段。彼女がそれを降りて<br>
いきそうになるところで、僕は彼女を手を掴む。<br>
けれど。それを振り解こうとして、バランスを崩し。<br>
そして、僕も一緒に、そのまま――』<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
― ― ― ― ― ―<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
『手には、この日記帳を、握り締めていた。<br>
僕はそこで、人間の身体をしているのに、顔は<br>
白いウサギになっているものが、現れる。<br>
それは、道化のウサギである、と。<br>
自己紹介をしてくれた。<br>
<br>
<br>
「おや、どうして貴女はこんなところに居るのです?<br>
ここは、深い意識の森。<br>
どうやら貴女の"器"は、眠ってしまっているようだ」<br>
<br>
僕は、思う。<br>
僕は多分、彼のことが好きだったのだと思う。<br>
けど、それを自覚するほどのことでは無かった。<br>
興味本位。ほんの興味本位で、聞いてみたのだ。<br>
彼に、想い人が居るのかということを。<br>
<br>
<br>
彼から返ってきた答えは、意外なもので。<br>
それによって、僕は束の間の喜びを得て。<br>
そして翠星石は、傷ついた。<br>
深く、深く。僕の、せいで。<br></p>
<p><br>
<br>
僕は、思う。<br>
そもそも、彼の好きな人が、僕で無かったら<br>
良かったのだ。<br>
告白されて、もし幸せになっても。<br>
翠星石が傷つく結末なら、僕はいらない。<br>
<br>
<br>
「――ならば。そういった物語を、貴女が繋ぎなさい。<br>
貴女方は、似て非なるものですが、互いに近い魂を<br>
持っているのです。<br>
ほら、現にこの意識の森は……普通は一人一人、別<br>
なものの筈なのです。<br>
ですが、今ここは。彼女の意識と、繋がっているの<br>
ですよ?<br>
<br>
<br>
貴女は今、ほとんど自分の形を、成していない……<br>
ですから、どうにでもなる。<br>
<br>
<br>
――よく、わかりませんか。<br>
では、例を示しましょう。<br>
雪華綺晶、おいでなさい。<br>
彼女もそういう"もの"なのです」<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
雪華綺晶と呼ばれた少女。<br>
『あなたは、だぁれ?』と。さっき、<br>
僕に問うてきた……そうだ、彼女は。<br>
薔薇水晶に、似ている?<br>
<br>
<br>
そして、雪華綺晶という名前らしい少女が、<br>
口を開く。<br>
<br>
「似ている、と。貴女は今思いましたね?……そう。<br>
貴女の知っている彼女と"私"は、近い魂を持っている。<br>
まあ、私はこの森から出られませんし。<br>
普段貴女とお会いすることは、ないでしょうけど」<br>
<br>
<br>
何故、君はここに居るの?<br>
<br>
<br>
「私は何処にも居ないし、……何処にでも、居るんですよ」<br>
<br>
貴女は知らなくても良いことだけれど、と。<br>
そう言った彼女の表情は読み取りにくかったが、<br>
その時。彼女は微笑んだのだと、思った。<br>
今思えば、それは少しだけ。寂しさを、含むものであった<br>
かもしれない。<br>
<br>
<br>
そしてまた、彼女は口を開く。<br>
<br>
「実際、貴女も彼女も、眠っているけど。<br>
<br>
彼女は弱く、傷つき。現実に、耐えられなかった。<br>
今ある状況は、偶然なのだろうけど。<br>
あるいは、運命だったのかもしれない。<br>
<br>
起こってしまったことは、変えられないの。<br>
だから、あの少年が、――蒼星石。貴女に好意を<br>
抱き、そして告白すると言う事実は、この世界<br>
でも変えられない。他人の意識が介入したら、<br>
この森の中では変わらない。<br>
<br>
けれどね。さっきも言われていた通り、<br>
貴女達は、とても近い魂を持っている。<br>
そう、もはや『他人』とは呼べない程の。<br>
<br>
<br>
――もし、今。<br>
貴女が彼女の器に入り、彼女が貴女の器に入れば――<br>
<br>
貴女の望みは、叶うと思う?<br>
この、世界の中で」<br>
<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
<br>
<br>
僕は、きっとジュン君に相応しくない。<br>
翠星石こそ、彼と一緒に居るべきなのだ。<br>
だから――僕が、彼女に。彼女が、僕に。<br>
ジュン君。僕の姿をした翠星石を、愛してあげて。<br>
そして僕は。それをきっと祝福出来る――!<br>
<br>
<br>
「貴女は、私の言葉を呑むと言うのね。<br>
<br>
じゃあ、夢を見せてあげましょう。<br>
時間のねじを、少しだけ巻き戻して。<br>
<br>
貴女は、物語を綴ると良いでしょう。<br>
どのような結末になるか、その眼で確かめなさい――」<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
……<br>
<br></p>
<p> 不思議な出来事だったが、記憶に残っている限り<br>
書き残しておきたい。僕が、してしまったことも含めて。<br>
可笑しな話だ、本当の僕は、今も眠っているというのに。<br>
……そしてそれは、彼女も同じこと。<br>
<br>
『繋がっている』と、白崎は言った。僕と、彼女の意識。<br>
いま、ここでも――彼女を、傷つける訳には、いかない。<br>
万が一にも忘れることはないだろうけど、<br>
一応こうやってかたちにしておく。<br>
僕がしてしまったことを、忘れない為。<br>
何時だって思い出して。<br>
それを、背負っていく為に。<br>
<br>
さあ、夢を見る。<br>
僕の今の姿は、翠星石で。きっと僕の器の中に、<br>
彼女も入っているだろう。<br>
どうやら、この翠星石の器が眠っている間、僕<br>
は僕として居られるようだ。<br>
だから、この間に――物語を、これからこの日<br>
記帳に綴ろうと思う。<br>
<br>
大丈夫。僕が眠っている間も、<br>
"翠星石"を悲しませることは、しない――』<br>
<br>
<br>
破かれた形跡のある紙切れ一枚と。<br>
24ページ目、および25ページの途中まで、<br>
それぞれ記されている。<br>
―――――――――――――――――――――――――<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
近い魂は、この森の力で入れ替わり。そして<br>
それは近すぎた故、器に染められてしまった。<br>
思い出さなければ、このまま幸せに、暮らすこと<br>
が出来たのだろうか。いや、――結局は、眠り続けて<br>
いるだけ。だから。現実に体験したところまでしか<br>
"この世界"は存在出来ず、その先はない筈だった。<br>
<br>
だが。彼女には、この世界を動かす「日記帳」が<br>
ある。これから先のことは、物語として綴っていけば<br>
良いのだ。そうすれば、森は全てを体現してくれる。<br>
これは深い、深い意識の森なのだから。<br>
<br>
<br>
ただ、それは。役者である、この私が。この世界のか<br>
らくりを、暴いてしまわない限りであって――<br>
<br>
<br>
<br>
……<br>
『あなたは、だぁれ?』と。切り株に座り、<br>
尋ねる彼女。もう、その問いの答えはわかっていた。<br>
<br>
<br>
<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
「……そろそろ、姿を戻してもらえねーですか。<br>
もう全部、気付いちまってるですよ」<br>
<br>
<br>
まったく。外面は蒼星石の姿をしているのに、口調は<br>
翠星石で。周りからみたら、さぞ可笑しいことだろう。<br>
周りと言っても、ギャラリーは多くない訳だが。<br>
<br>
この器に入ってみてよくわかった。"蒼星石"の気持ち、<br>
そして、"翠星石"という自分の弱さ。<br>
<br>
<br>
「あなたは……気付いているようね。<br>
この森から、弾く必要は無さそうですわ」<br>
<br>
<br>
形が一度不安定になり、翠星石は、翠星石の。蒼星石は、<br>
蒼星石の。元の姿へ、戻された。<br>
私は立ち尽くしていて、蒼星石はその場に倒れている。<br>
<br>
「蒼星石!」<br>
<br>
私は彼女を抱き起こす。眠ってしまっている時の、穏や<br>
かな表情。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
「蒼星石……眼を、覚ますです。翠星石は……もう、<br>
大丈夫ですから」<br>
<br>
<br>
もともとは、私の弱さが。彼女を追いつめ、こんなこと<br>
にまでなってしまった。私の、私のせいだ。<br>
<br>
私達は、早く眼を覚まさなければならない。<br>
蒼星石の肩をつかみ、優しく揺する。<br>
<br>
「……蒼星石?」<br>
<br>
反応が無い。<br>
<br>
「蒼星石!!」<br>
<br>
今度は、激しく揺さぶる。彼女は、眼を覚まさない。<br>
<br>
<br></p>
<p>「言ったでしょう。物語が、綻び始めていると。<br>
ここは、蒼星石という意識の森の中。そこに<br>
あなたは同化して、今までここに居たけれど……<br>
<br>
この娘の器は、もう壊れ始めているみたいね。<br>
物語の書き手が居なくなったら、この世界も<br>
長くは保たないのは道理でしょう」<br>
<br>
事も無げに、彼女は言った。<br>
<br>
「そんな! なんとかするです!」<br>
<br>
書き手が居なくなる、とは。蒼星石は今、外で<br>
死にかけている、という事? そんな、馬鹿な。<br>
私に巻き込まれて、彼女が死ぬなんて!<br>
<br>
「いいです! 私はどうなってもいいですよ!<br>
ぐすっ……妹にこんなに思いつめさせて……<br>
そりゃ蒼星石は、真面目で。<br>
すぐ極端な方向に走りたがるです。<br>
今だって、こんな……」<br>
<br>
私は、涙を拭い、叫ぶ。<br>
<br>
「けれど。姉想いの、いい妹なのです!」<br>
<br>
私が。私が強く在れば。こんなに苦しませることは、<br>
無かったのだ――<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
「……だ、そうですよ。道化のウサギさん。<br>
ここからは、私の管轄外かしら」<br>
<br>
私はこの世界の。貴女達の、ただの監視役だから、と。<br>
彼女は言った。<br>
<br>
<br>
「左様ですか、お嬢さん。<br>
ならば貴女は、目覚めを望むと言うのですね?」<br>
<br>
何処からか現れた白ウサギは、そんなことを言う。<br>
<br>
「貴女はまず、自分の森に帰りなさい。<br>
ここに居たら、貴女も目覚められなくなるでしょう――<br>
<br>
私は私で、これからこの森の修復に入ります。<br>
雪華綺晶。貴女にも手伝ってもらいますよ?」<br>
<br>
特にリアクションは無いけれど。何だか不満そうな彼女。<br>
『しょうがないですわ』と、切り株から腰を上げた。<br>
<br>
<br>
「ただし。この森から、更に外の世界に干渉するということ<br>
は――現実世界の流れを、変えると言う事。<br>
それは、奇跡と呼んで、差し支えの無いことなのです。<br>
<br>
それ相応の代価を彼女から頂くということを、<br>
どうかお忘れなく――」<br>
<br>
<br>
<br>
ウサギは光輝く穴を森の空間に繋ぎ、<br>
私はそこに吸い込まれていった―――<br>
<br>
<br>
<br>
――――――――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
『ジュン君に、告白された。すごく嬉しい。<br>
その日は風邪で休んでいた翠星石にも、<br>
夜の内に報告して。<br>
翠星石は、それを祝福してくれて―――<br>
勿論、彼女と彼の仲はいいから。<br>
三人で、楽しくやっていけたらいいと思う。<br>
幸せな毎日。どうかこんな夢のような日々が、<br>
ずっと続いていけばいい。……』<br>
<br>
<br>
26ページ目、に記されている。<br>
<br>
<br>
――――――――――――――――――――――――――<br>
<br></p>
<p><br>
――――――<br>
<br>
森は、静か。樹々の隙間から差し込む木漏れ日が、<br>
緑色を斑に照らしている。<br>
少しだけ風が吹いていて、その感触が心地よい。<br>
白のワンピースの裾が、揺れている。<br>
<br>
森の奥には、大きな切り株がある。<br>
その地に、しっかりと根を下ろしている。もう幹を<br>
持たない姿になっても、この樹は生きているのだろ<br>
う。私はそう思う。<br>
<br>
そっ、と。そこに腰掛けた私は、優しく切り株の<br>
切り口を撫ぜた。<br>
<br>
<br>
「蒼星石!」<br>
<br>
駆け寄ってくる女性。<br>
<br>
「蒼星石……私の、名前……」<br>
<br>
<br>
<br>
私は、私であるという記憶が、『およそ無い』。<br>
わからないものはわからないのだから、いきなり<br>
「記憶喪失」と言われても、ピンとこないのだけれど。<br>
<br>
駆け寄ってきた彼女は、翠星石。私の、双子の姉ら<br>
しい。私がこんな状態になって随分悲しんだけれど、<br>
今までずっと、私についていてくれる。<br>
彼女と一緒に居ると、とても安心できて心地よい。<br>
<br>
きっと、疑いようもなく。私達は、姉妹であると思<br>
う。この、眼の色を見ても、わかるように。。<br>
翠星石の眼の色は、光によく映えて綺麗だった。<br>
私の眼も、そんな風に映っているのかな。<br>
<br>
そんなことを考えていたら、また新しい人影が。<br>
<br>
「翠星石……お前、走るの早すぎ。もっと加減しろよ」<br>
「……ジュンの、体力が無いから……」<br>
<br>
ジュンと呼ばれる男の子と。薔薇水晶という名前の女の子。<br>
<br></p>
<p><br>
<br>
<br>
「ジュン、運動不足すぎるですよ! もっと翠星石を見習うと<br>
いいですぅ」<br>
「お前、何で園芸部なのに……っていうか、運動不足って言<br>
うな! 僕だってなあ……」<br>
「……知ってる。ジュンはいつも、通販で買ったアイテムで、<br>
身体を鍛えてるんだよね……」<br>
「あーあー。そんなんだから普段家で引きこもりがちになる<br>
ですぅ。外に出るですよ、外に」<br>
「僕は引きこもってないー!」<br>
<br>
くすっ。ふき出してしまう。彼女達のやりとりは、何回聞い<br>
ても飽きることが無い。<br>
<br>
特に、ジュン君と翠星石。彼らは本当、お似合いのカップル<br>
だと思うんだけどなあ。お互い素直じゃないところが、<br>
ちょっとたまにキズだけど。<br>
それはそれ、ではないだろうか?<br>
<br>
<br>
ただ、ジュン君は。いつか私に、はっきり伝えたいことが<br>
あるんだって、言っている。なんだろう。私も彼のことは<br>
何だか気に入っているし、少し楽しみだったりする。<br>
<br>
<br>
<br></p>
<p><br>
<br>
薔薇水晶。よく覚えてないけれど、私は貴女と、お話した<br>
ことがあるような気がしているの。何処だったろう、はっ<br>
きりとしないのだけれど。<br>
<br>
時々貴女は、私に優しげな表情で話しかけてくれて。<br>
『あなたはもう、大丈夫』と。私にはよくわからないけど、<br>
何故か。いつもその言葉を聞くと、涙が出そうになって<br>
しまう。<br>
<br>
ただ、貴女とは。良いお友達になれそうだと。<br>
そう、思う。……<br>
<br>
<br></p>
<p><br>
<br>
――――――<br>
<br>
蒼星石が、微笑んでいて。その笑顔が眩しかった。<br>
私は、貴女の姉なんだから――<br>
貴女ばかりに頑張らせては、いけないのよね?<br>
本当にごめんなさい、蒼星石。<br>
私は、これから。貴女の傍に、ついているから。<br>
<br>
森は、私達が目覚めてからも、同じ場所にあった。<br>
驚くこともない。実際の世界を、よく反映した<br>
世界だったのだから、あそこは。ただ、今はもう。<br>
貴女の意識と繋がっている訳では、ないけれど。<br>
<br>
<br>
"ここではない、同じ場所"で。<br>
貴女は私に。私は貴女になって。<br>
改めてわかったことが、あったの。<br>
<br>
<br>
――ねえ、知ってた?<br>
<br>
私はひとり、呟く。<br>
<br>
私達は、魂のかたちが。<br>
<br>
とてもよく、似ているのだと――<br>
<br></p>
<p><br>
――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
<br>
『今度は、私が強くなる番。蒼星石、貴女を守る為に。<br>
そして、――"あなた達"の幸せを、見守る為に。<br>
<br>
<br>
私達は、夢から覚めて。<br>
作られた物語の様に、先は読めないけれど。<br>
<br>
<br>
だからこそ、今度は間違えないように。<br>
少しずつ、大切に―――生きて、いくのだ。……』<br>
<br>
<br>
<br>
一番新しいページ、に記されている。<br>
その先は。今はまだ、白紙のまま。<br>
<br></p>
<br>
<p><br>
――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
如何でしたか? これで今回の物語はおしまいです。<br>
本来私は、あまり干渉してはいけないのですが……<br>
ついついお節介を、焼いてしまいました。<br>
<br>
それでは、また。機会がありましたら、<br>
別な誰かの見ていた夢で、お会いしましょう。<br>
……<br>
<br>
――――――――――――――――――――<br>
<br>
【夢の続き】~フォレスト~<br>
<br>
<br>
おわり<br></p>