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<p align="left"> <br />  <br />   2-2<br />  <br />  <br /> そのとき、ジュンの脳裏には、霖雨のごとく疑問符が降りしきっていた。<br /> ……だろうけど。……じゃないのか。なのに……なんでだ?<br /> ひとつの思惟から、みっつの苦悩が派生するも、そのすべては『?』に呑まれ埋もれてゆく。<br /> その上にまた、頬の痛みと熱が生みだす新たな自問が積み上がり、山を為していた。<br />  <br /> いつ果てるともなく繰り返される、疑問を疑問で塗り替える迷想の連鎖。<br /> この輪廻を、あとどれだけ――<br />  <br />  <br /> 「差し引きゼロか、ややプラスってとこだろ。どう考えたってさ……」<br />  <br /> 柴崎元治と並んで馬車の御者台に座るジュンは、すっかり気が腐っていた。<br /> いたずらウサギ撃退のハレンチ行為に対する乙女組の仕打ちに、打ちひしがれていた。<br /> 確かに、緊急措置とは言え、彼がとった行動は褒められたものではなかろう。<br /> しかし、だ。それによって進路が開かれたのも、また厳然たる事実ではないか。<br />  <br /> 遙か蒼穹に、虚ろな瞳を彷徨わせながら、「ベストを尽くしたのに」ジュンは小声でぼやいた。<br /> まったくもって、理不尽。この世は納得できないことだらけ。<br /> いい加減、模範解答などない懊悩に疲れて、少年は重苦しい嘆息を漏らした。<br />  <br /> 生きることは痛みを知ること――<br /> どこかで聞いた憶えのある言葉が、ぼんやりと、少年の胸に浮かんできた。<br /> 理屈は解る。だが、こうも痛めつけられるだけでは、生きる気力も萎えるというもの。<br /> まだ見ぬ『ココロの樹』だって、打たれ強く成長する前に、立ち枯れてしまいそうだ。<br />  <br /> 「少しは、楽になったかね」<br />  <br /> ……またも疑問の螺旋に呑まれかけたジュンを、嗄れた声が、現実に連れ戻す。<br /> そちらに向けられた少年の瞳と、老人の視線がぶつかった。<br /> 元治は弛んだ微笑のまま、ものの見事に腫れた少年の頬へと、眼差しを移した。<br />  <br /> ジュンは引きつった笑みと共に、「少しはね」と、老人の台詞をおうむ返しにする。<br /> ウソではない。車上を行き過ぎる風は、ジュンの頬を心地よく冷やしてくれていた。<br />  <br /> 「そうかい、そうかい」元治は鷹揚に頷いて、前に向き直った。<br /> 「憎まれ口をきけるなら、大丈夫じゃな。あと十年は戦えるよ」<br />  <br /> なにが大丈夫なもんか。ジュンは言いかけて、その愚痴を呑み込んだ。<br /> 老人に八つ当たりしても詮ないこと。かえって惨めになるだけだ。<br />  <br /> 「なあ、爺さん……ちょっと、訊きたいんだけど」<br />  <br /> でも、独りで鬱屈したままよりは、問題解決の糸口を掴めるかも知れない。<br /> 亀の甲より年の劫。いいアドバイスをくれるかもと、少しの期待は込められていた。<br />  <br /> 問いかけた声が、よほど深刻に聞こえたと見えて、「どうしたのかね?」<br /> 元治が再び、ジュンの顔を覗き込んだ。<br />  <br /> 「わしに答えられることかな」<br /> 「どうだろうな。アタマおかしいって、思われるかも」<br /> 「ほぅほぅ。そんなに突拍子もない質問なのかい」<br />  <br /> 言って、元治は小刻みに、空咳のような音を立てた。<br /> それが乾いた笑い声と判るまで、ジュンは暫しの時間を要した。<br /> なにを独り合点したのか、老人がニヤリと、茶渋に染まった歯を見せる。<br />  <br /> 「ははぁん……さては、あのウサギっ娘をペットにしたくなったのじゃな?」</p> <p align="left">ペット。なんてことない単語が、なぜこんなにも卑猥に感じられるのだろうか。<br /> ジュンは、腫れた頬をさらに赤らめて、元治の言葉に噛みついた。<br />  <br /> 「はあ? 冗談よしてくれよ。あんなワケの解らないのは、願い下げだっての」<br /> 「ヌフフフッ……隠すな隠すな。若者なら健全な反応じゃぞ、少年」<br /> 「ばッ、ないから! マジ有り得ねえ! そのルパン笑いも止めろ!」<br />  <br /> だいたい、どこをどう間違えたら、あの眼帯娘がウサギっ娘に見えるのか。<br /> 確かに、言動は奇妙だった。左眼を隠した容貌は、ミステリアスな印象だった。<br /> が、ジュンの眼に写ったのは、ごくごく普通の女の子。それ以外ではなかった。<br />  <br /> 透けるほどに白い桃尻が、ありありと網膜に甦って、鼻の奥から熱いパトスが溢れてくる。<br /> それを啜りあげながら、照れ隠しとばかりに、「茶化さないでくれよ!」<br /> 猛然と言い返して、ジュンは悔しげに睫毛を伏せた。<br />  <br /> 「他人には笑い話だろうけどな、僕にとっては人生を左右する一大事なんだ」<br /> 「そうですよ、あなた」<br />  <br /> 柔らかく落ち着いた声が、ジュンを支持する。いつの間にか、マツが彼らの背後に佇んでいた。<br /> 彼らに注がれるのは、臈たけた老婦人の、神々しく慈愛に満ちた笑顔。<br /> その細く頼りなげな腕が支える『バールのようなもの』さえ、金剛杵に見えてくるから不思議だ。<br /> ジュンは反射的に、ココロの裡で祈りを捧げていた。ああっ如来さまっ――と。<br />  <br /> 「からかうのも大概になさい。老人は、若い人の模範たるべきでしょうに。<br />  それを、おかしな言動で徒に惑わせるなんて、言語道断です」<br /> 「まあ、待て待て……真に受けるでない。物には順序、話には枕と言うじゃろう。<br />  場を和ますための軽口であって、嘲っていたのではないぞ」<br />  <br /> 意外に恐妻家なのか、マツの仕種と一言は、好々爺を一変させた。<br /> けれど、元治の弁明もまた、幾ばくかの事実を含んでいるように思われた。<br /> マツが割って入らずとも、眼帯娘の話は、遅かれ早かれ締め括られていただろう。<br />  <br />  <br /> 「では、仕切りなおして……」<br /> 元治の顔つきが引き締まる。「そこまで思い詰めるほどの問題、とは?」<br /> 彼の、ジュンに向けた双眸には、年長者としての貫禄が満ちていた。<br />  <br /> いざ真面目に対応されると、なにやら教師との二者面談みたいで気まずくて。<br /> ひとつ、唾を飲み込む。尻込みしそうになるココロを奮い起こし、ジュンは唇を開いた。<br />  <br /> 「――僕は、呪われてるんだ」<br /> 「なんじゃと? 本当なのかね?」<br /> 「驚いたわねえ。どうして、また……そんなコトに」<br /> 「不慮の事故だよ。爺さんたちなら、呪いの解き方とか識ってるんじゃないか」<br />  <br /> けれど、ジュンは期待した分だけ、突き落とされる痛みを知る羽目となった。<br /> 口を噤んだきり、低く唸る元治。その傍らで、マツは息を呑んだまま絶句している。<br /> 彼らの沈黙は、否定の返事に他ならなかった。<br />  <br /> それにしても……。虚脱状態まっしぐらな心境で、ジュンは訝しんだ。<br /> この世界における呪術とは、なんなのだろう?<br /> 珍稀な現象らしいことは、昨夜、巴が見せた好奇の眼差しからも推し測れた。<br /> しかも『触らぬ神に祟りなし』なんて格言そっちのけで、触りまくりの撫でまくり。<br /> わざわざ動物園まで、珍獣を眺めに足を運ぶ見物客のイメージに類似していた。<br />  <br /> とどのつまりが、他人事と見なし、安心しているのだろう。<br /> 疫病みたいに蔓延する災厄と違って、呪いは個人に限定された不幸だ。<br /> 誰だって、自分に深刻な被害が及ばないことなら、あくせくと準備したりしない。<br /> 全員がその認識であれば、対抗手段が洗練されないのも、無理からぬことだ。<br />  <br /> だが、しかし――<br />  <br /> そうだとしても、まさかのときの予防手段が、ちゃんと用意されているはずである。<br /> 病気を引き合いに出せば、特効薬やワクチンみたいな対処法が。<br /> それなのに、幾十年と叡知を積み重ねてきた元治たちでさえ、呆気なく匙を投げる。<br /> 端から、抗おうとすらしていない。できないことと諦めているのか?<br />  <br /> ジュンはなんとなく、そこに祭祀めいた利権の気配を嗅ぎ取っていた。<br /> 強大な権力が、民衆から知る自由を奪っているのかも知れない……と。<br /> 予備知識を持たないから、こんな風に、素人の手に負えず右往左往の事態となるのだ。<br />  <br /> 「じゃあさ、爺さんたちは呪いをかけられたら、どうしてるんだよ」<br />  <br /> 呪術の秘匿し、独占している何者かが存在するのなら、そこに救済を求めるのが道理。<br /> この忌々しい天狗から解放されるものならば、ジュンは、なぐり込みも辞さない覚悟だった。<br /> ……けれど、肝心の何者とやは、どこに居るのか。<br /> 結局、疑問の堂々めぐりにしかならない苛立ちから、ジュンは語気を強めて老人に詰め寄った。<br />  <br /> 「本当は、なにか知ってるんだろ? 勿体ぶらないでくれよ!」<br />  <br /> 病気には薬を服用しておきながら、呪いなら受容するなんて不自然きわまる。<br /> およそ常識では考えられない、馬鹿げた酔興だ。<br /> それは自虐。もっと有り体に言えば、他殺願望ではないのか。<br />  <br /> 「まーまー、ジュンジュン。そう熱くならないで」<br />  <br /> 空気の刺々しさを察した姉貴分が、荷台から御者台に身を乗り出して、口を挟んだ。<br /> 「同情はするけどさあ、独りでテンパってても、しょうがないでしょー」<br />  <br /> 言われるまでもない。ジュンだって、見苦しい真似をしていることは承知の上。<br /> ただ、遣る方なかった憤懣が、たまたま開いた捌け口から噴きだしただけである。<br />  <br /> 「そりゃ僕だって、八つ当たりなんかしたくないけど。どうにも、やるせなくて」<br /> 「解る解る。当然ちゃ当然だよねー。ま、そんなときには……巴ちゃん、お願い」<br /> 「ええ。いまこそ、私の独壇場ね」<br />  <br /> 巴は意気揚々と、懐から大アルカナの束を取り出した。<br /> 「さあ、迷える子羊よ……このタロットマスタートモエの前に跪きなさい」<br />  <br /> なんでだよっ! いつもなら即座に、がなり立てているところだ。<br /> けれども、ジュンは急な脱力感に襲われ、口を開くのも億劫になっていた。<br /> ここまで引っぱってきた重くシリアスな雰囲気も、一瞬にして雲散霧消。<br /> グズグズ悩んでいたのが、ひどく愚かしく思えて、少年は少しばかり投げ遣り気味だった。<br />  <br /> もし、巴の言いなりに跪いたら、次は「脚をお舐め」とでも命じられるのだろうか?<br /> ――なんて、奇妙な想像を広げながら、ジュンは巴と目を合わせた。<br /> 眼帯娘の一件で生まれた確執めいた気持ちさえ、もう瑣末なことに感じられていた。<br />  <br /> 「柏葉……占ってくれ。どうしたら、僕の呪いは解けるのか」<br />  <br /> 跪いたジュンに頷いて、巴はサクサクとカードを並べてゆく。<br /> 期待するだけ無駄と拗ねた見方をしながらも、彼は乙女の手さばきに目を注いでいた。<br />  <br /> 「――ふぅん」<br /> 小難しい顔で、溜息を漏らした巴の様子に、ほぉら、やっぱり……<br /> ジュンは露骨に唇を歪めて、最初っから予測の範疇だったさと、無言のアピール。<br /> だが、その態度はネガティブに過ぎたらしい。<br />  <br /> 「これは、なかなか幸先いい暗示かもよ、桜田くん」<br /> 「マジで?!」<br />  <br /> 予想外の返事に、ジュンは現金にも喜色を露わにした。「どんな風にだよ」<br /> これには、みつも興味深そうに身を乗り出して、巴の顔と手元を交互に見つめた。<br />  <br /> 「具体的なコトは判らないの、巴ちゃん」<br /> 「そうね。遠からず、運命の出逢いがありそう」<br /> 「おいおい……。そりゃまた、随分と曖昧で思わせぶりじゃないか」<br />  <br /> ただ単に『運命』と言うだけでは、どちらに転ぶか判らない。<br /> まかり間違っても、ベジータや眼帯娘みたいな変人に遭遇するのは、ゴメンだ。<br />  <br /> ――しかし、だ。好意的に捉えれば、変革……運が開ける兆しとも言えよう。<br /> みつの師匠の魔導士と、あまり苦労しないで近々に会える予告かも知れない。<br /> あるいは、例の、どこの誰とも判らない声だけの娘と邂逅する……とか。<br /> いずれにせよ、ナニかが変わる貴重な一歩には違いない。<br /> 先行きを思い不安に駆られるよりも、事態が動いてくれることを、ジュンは喜んだ。<br />  <br /> 「サンキュ、柏葉。ほんの少しだけど、気が晴れたよ」<br /> 「そう? よかった。また鬱になったときは、言って。占ってあげるから」<br /> 「ああ。遠慮なく頼むことにする」<br />  <br /> ジュンは決然と前に向き直ると、さっきと打って変わって、不敵な笑みを浮かべた。<br /> そう。なにも好きこのんで、悪い想像ばかりしなくたっていいではないか。<br /> 雲を掴むような話でも、悪い結末にだけ辿り着くワケじゃない。いい目だって用意されている。<br /> ならば、これこそ千載一遇のチャンスと、ポジティブに進めばいいのだ。<br />  <br /> 果たして、彼の心境の変化が、運命を動かしたのか――<br />  <br />  <br /> 「おやおや……道端に、誰か倒れておるぞ」<br /> 元治が瞼を細めて言った。「今日はまた随分と、こんな場面に出くわすのぉ」<br />  <br /> すわ、いきなり邂逅か! 元治の左右から、ジュンとみつが勢いよく身を乗り出す。<br /> 元治の指差す先を辿っていくと、百メートルほど彼方の路肩に、人影が突っ伏していた。<br /> 着ている服は、遠目にもよく判るほど派手な赤と白のストライプ模様に、青い縁取り。<br /> 同じカラーリングの三角帽子も被って、どこかパジャマを彷彿させるデザインだった。<br />  <br /> 「なあ――」<br /> どこか見憶えがある気がして、眼を眇めていたジュンが口を開いた。<br /> 「あれって、マジで人間か? 前に、あんな感じの人形を見たことが、あるんだけど……」<br />   <br /> 「そうそう」荷台から眺めていたマツも思い出したらしく、手を叩いた。<br /> 「あなた、あれは道頓堀のスターですよ。あの特徴ある服装は、間違いないわ」<br />  <br /> 老女の言を首肯しながら、ジュンは、かつて見た看板を脳裏に想い描いていた。<br /> 閉ざされた店舗のシャッター。掲げられた看板と、店名の書かれたスネアドラム。<br />  <br />  <br />   『わて、旅に出まんねん』<br />  <br />  <br /> 彼――看板の中のくいだおれ太郎は、穏やかな面持ちで、そう語りかけていた。<br /> それが、まさか……まさか……<br /> こんな夢境にまで旅してきた挙げ句、行き倒れ人形になっているだなんて、誰が想像しようか。<br />  <br /> 「爺さん、ちょっと停めてくれ」<br />  <br /> 見て見ぬフリをするのは簡単だ。しかし、たとえ人形でも、見捨てるのは忍びなかった。<br /> ゆっくりと馬車が停まるが早いか、身のこなしも軽く、御者台から飛び降りるジュン。<br /> みつと巴も、いたずらウサギの罠かも知れないと危ぶんで、足早に彼を追う。<br /> ……が、手の届く距離まで近づいても、先ほどのような激変は起こらなかった。<br />  <br /> 「取り越し苦労みたいだな」<br /> だとしても、油断はしない。見張りを巴たちに任せて、ジュンは俯せた人形の脇に片膝をついた。<br /> そして、身元を確かめるため、仰向けにしようと触れると――<br />  <br /> ――ふにょん。人形にしては柔らかい感触が、彼の手に返ってきた。<br /> まるで生身の人間みたいだ。そう思いつつ、人形の上半身を抱え起こす。<br /> その際に、被っていた三角帽子が落ちて、ジュンを驚愕させる事態が発生した。<br />  <br /> 「うおわっ、これは……」<br /> 「なあに、ジュンジュン……って、ええっ? なにそれ!」<br />  <br /> いきなり、さらさらと流れ落ちた、艶やかな黒髪。帽子の中に、まとめていたのだろう。<br /> 柔らかな肌の感触といい、長い髪といい、誰がどう見ても、導き出される真実はひとつ。<br /> 「これ、人間の女の子じゃないか!」<br />  <br /> どれほど長い間、こうして倒れていたのか。女の子の表情は、病的なまでに青白い。<br /> 「こんな場所に、女の子がたった一人で?」娘の顔を覗き込んで、みつは眉を顰めた。<br />  <br /> 「いったい、どうなってるのよー」<br /> 「僕に訊いたって、解りっこないだろ!」乙女の肩を抱えたまま、ジュンが言い返す。<br /> 「なにか怪しいわね……。桜田くん、これはきっと孔明の罠よ!」<br />  <br /> とりあえず、巴の妄言は、聞こえなかったコトにした。<br />  <br /> ジュンたちの喧噪が、くいだおれ人形の格好をした女の子に、目覚めを促したのだろう。<br /> 娘の、血色の悪い唇が薄く開かれ、「……し…………か」掠れた声が絞り出された。<br /> しか……鹿? なんのことやら? 娘は尚もなにか喋っているが、よく聞き取れない。<br /> 「なんだって?」ジュンは、女の子の唇に触れるくらいに、グッと耳を近づけた。<br />  <br /> 消え入りそうな譫言が、弱々しく繰り返される。<br /> ジュンは限界まで耳をそばだてて、なんとか聞き取っていた。娘の懸命な囁きを。<br /> 彼女は、ジュンに問いかけていたのだった。『天使は、そこにいますか』――と。<br />  <br /> なんと答えるべきだろう。ジュンは悩んだ。熱が出そうなほど真剣に考えた。<br /> この娘は、見たところ衰弱しきっている。このままでは、いまにも死んでしまいそうだ。<br /> それなら……月並みだが励まして、生きる気力を取り戻させるのが先決か。<br />  <br /> 「いるぞ!」<br /> ジュンは思い切って、女の子の耳元で叫んだ。「天使は、ここにいる!」<br />  <br /> 娘の瞼が、揺らぎながら押し上げられてゆく。<br /> その奥に沈んでいた暗く虚ろな瞳が、ふらふらと彷徨いだした。<br /> 「どこ……見えない……」<br />  <br /> 声が届いた! いまこそ元気づけるときだ。<br /> ジュンは彼女を横たえ、「これを見なはれ~」と、着ていたローブの前を開いた。<br /> 満を持して現れ出たるは、天下無敵の暴れん坊天狗。<br /> その効果は覿面で、たちまち、死にかけの女の子は、カッ! と双眸を見開いた。<br />  <br /> 「それ天狗じゃないの、バカっ! さっさと天使だせ!」<br />  <br /> しかも、それまでの儚さがウソのように、猛然と罵詈雑言を速射してくるではないか。<br /> その怒濤のごとき勢いに、みつと巴は圧倒されっぱなしで、声もなく立ち尽くしている。<br /> ジュンだけが意地を張って、負けじと孤軍奮闘していた。<br />  <br /> 「だから、これはノーテングモデルの『マークエルフ』って、天使なんだってば!」<br /> 「ウソつきっ! そうやって、わたしのことバカにしてっ!<br />  みんな嫌いよバカっ! 死ね! 死んじまえっ!」<br />  <br /> 女の子は、さんざん口汚く罵り続け、「死…………う……うぅ……」<br /> 突如として、白目を剥いて昏倒した。<br />  <br /> ようやく訪れる静寂。その場の誰もに共通していたのは、ひとつの疑問だった。<br /> この女の子は、何者なのだろう? ジュンは娘を見おろしながら、ポツリと呟いた。<br />  <br /> 「ココロのコスモを燃やし尽くしたのか……無茶しやがって」<br /> 「無茶させたのは、ジュンジュンでしょうに」<br /> 「桜田くん、最低……」 <br />  <br /> そして、少年はまたも脳天に、¥ロッドと空中トゥモエチョップの洗礼を受けたのだった。<br />  <br />  <br />  <br /> 再び、馬車の荷台に場所を移して、暫し――<br /> くいだおれ太郎の衣装を着た女の子が、みつの膝枕で、うっすらと目を醒ました。<br />  <br /> 「あ、気がついたー?」<br /> 驚かせないように配慮したのだろう。みつが、軽い口振りで話しかける。<br /> すると娘は、呆気に取られたように、パチクリと瞬きを繰り返して――<br /> やおら、胸の前で両手を組み合わせた。<br />  <br /> 「金ピカのローブ…………あなた、もしかして…………マツケン?<br />  マツケンね! そうよ、わたしの元にマツケンが来てくれたんだわ。やったぁ!」<br />  <br /> いきなり、なにを言いだすのかと思えば、よもやの世迷い言。<br /> 上機嫌に『マツケンサンバⅡ』を口ずさむ娘を余所に、みつがジュンに囁きかける。<br />  <br /> 「ちょっとー、ジュンジュンが無茶させたから、この子、おかしくなっちゃったんじゃないの?」<br />  <br /> 「そんなバナナ」ジュンは言って、身元不明の娘と、二度目の対面をした。<br /> 「ひとまず教えてくれ。君は誰だ? どうして、倒れてたんだよ?」<br />  <br /> ここは冗談抜き。彼の真摯さが伝わったらしく、娘も表情を引き締めた。<br /> 「紹介が、まだだったわね。わたし、柿崎めぐ。吟遊詩人よ」<br />  <br /> どう贔屓目に見てもチンドン屋だろ。そう告げたい衝動を、ジュンは堪える。<br /> めぐと名乗った娘は、表情を翳らせ、続けた。<br />  <br /> 「相棒のメイメイと一緒に、旅をしてたわ。そうしたら、ここで盗賊に襲われて、楽器を――<br />  ……って、そう言えば、あの子は? メイメイは、どこ?」<br /> 「え? いや……倒れてたのは、君だけだったけど」<br /> 「そんな――きっと、盗賊に連れ去られたんだわ! あの子カワイイから掠われたのよ!」<br />  <br /> ここで何を思ったか、マツが立ち上がって「メぇーイちゃぁぁぁぁん!」<br /> 周りに広がる田圃に向かって叫んだから、めぐの顔が蒼白となった。<br /> さすがに、このタイミングでトトロネタはないだろ、婆さん――<br /> 絶句するジュン。これで池にサンダルが浮かんでたりしたら、洒落にもならない。<br /> そんな彼の腕に、めぐが必死の形相で縋りつく。<br />  <br /> 「おねがい! わたしにチカラを貸して。メイメイと楽器を取り戻したいの!」<br /> 彼女のパッチリとした双眸からは、いまにも涙が零れ落ちそうだった。<br />  <br /> これも縁か。あるいは、運命の出逢いか。<br /> ジュンは、みつと巴に目配せして同意を取り付け、めぐに頷いて見せた。<br /> 「もちろんだ。困ったときは、お互い様だからな。喜んで協力するよ」<br />  <br /> それに、盗賊団なら、財宝も山ほど貯め込んでいるに違いない。万年金欠から脱出するチャンスだ。<br />  <br />  <br /> 情けは人のためならず。<br /> 各々の思惑を孕んで、殴り込みシナリオは進みゆくのだった……。<br />  <br />  </p>

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