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『パステル』 -17-」(2008/12/21 (日) 23:55:29) の最新版変更点

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<p align="left"> <br />  <br /> 大地を埋め尽くす、紅い薔薇の園。<br /> その中央には、どこか気怠そうに佇む、緑髪の乙女。<br /> 若く張りのある肌は、生命の色で溢れていて、病人めいたところなど欠片もない。<br /> ――柿崎めぐ。それが、彼女の名前。<br />  <br /> めぐの右側から、墓場から這い出たばかりのような薄汚れた骸骨が、馴れ馴れしく抱きついている。<br /> 白骨と化した右手が、豊かに隆起する彼女の左胸へと伸ばされ、いましも愛撫しようとしていた。<br /> けれども、伸ばされたその手は、目的を達成できはしない。<br /> 左から、めぐを支えるジュンが、そうはさせじと掴み、引き剥がしているからだ。<br />  <br /> ジュンは、骸骨と奪い合うように、右腕で彼女の腰を抱き寄せている。<br /> 骸骨の右腕を掴む彼の左手――その薬指には、金属特有の光華を放つ、薔薇の指輪。<br />  <br /> だが、生々しく絡みあう3体の人影以上に異様なものも、描き込まれていた。<br /> 彼らを取り囲む、緻密な装飾を施された大小無数のドアの群れだ。<br /> どれもが捻れ、歪んでいる。なんのために描き込まれたのか解らない。<br /> そんなものが地平の彼方まで、隙間を埋めるタイルみたいに配されている。<br />  <br />  <br />  「――なんだか、吸い込まれてしまいそうね」<br />  <br /> 完成した絵に目を注ぎながら、真紅が独りごちる。<br /> 横から覗き込んでいた水銀燈も、似たような感想を抱いたのか、黙って頷く。<br />  <br />  「なあ。どうして、薔薇なんだ?」<br />  <br /> ジュンだけは、描いた当人を振り返って、問いかけた。<br /> 雛苺が、「ほえ?」という風に、顔をあげる。<br /> 彼女はいま、三時のおやつを兼ねた昼食を、摂っているところだった。<br /> 一気呵成に絵を仕上げていたため、こんな時間になってしまったのだ。<br />  <br />  <br /> 苺オーレで、本日6個目となるチーズ蒸しパンを流し込むと、雛苺は回答した。<br />  <br />  「ヒナの好きな花だから。<br />   あとね、生命の象徴としての紅を、配色したかったの」<br />  「生命の象徴としての、紅?」<br />  「血のことでしょう」<br />  <br /> 首を傾げるジュンに代わり、さも当然と言わんばかりに、真紅が口を挟む。<br />  <br />  「それに、紅いバラには『愛情』という意味もあるのよ。<br />   2人の門出を飾る花としてなら、最も相応しいかも知れないのだわ」<br />  <br /> 愛情って、与える者、受ける者、どちらにとっても生きる希望だと思うから。<br /> そう言うと、真紅は、うっとりと眼を細めた。 <br /> もしかしたら、初恋の思い出でも、瞼の裏に甦らせているのかも知れない。<br />  <br /> そんな真紅に優しく微笑みかけて、ジュンは絵に視線を戻した。<br />  <br />  「とりあえず、この絵によって、僕に与えられた課題は――」<br />  「めぐの傍らを片時も離れず、伸びてくる死の手を掴んでおくこと、ねぇ。<br />   伴侶としての義務を全うしなかったら、承知しないわよぉ」<br />  「それは当然のことだろ。僕が言いたかったのは、もっと現実的な問題さ」<br />  「現実的な問題って……なぁにぃ?」<br />  <br /> おうむ返しに訊ねる水銀燈に、ジュンは「これだよ」と、絵を指差して見せた。<br /> 「僕の左手に描かれてる、この指輪。探すか、特注で作ってもらわないと」<br />  <br /> 花弁の一枚、細かなトゲに至るまで、薔薇を精巧に象ったデザインだ。<br /> 材質にもよるが、最悪、オーダーメイドになるだろう。<br /> 一品物だし、どれだけ値の張ることか……。<br />  <br /> ところが、そんなジュンの見立ては、水銀燈によって一笑された。<br />  <br />  「なぁんだ。そんなの、問題でもなんでもないわぁ」<br />  「え? どういうことだよ」<br />  <br /> まさか、その手のショップや細工職人に、心当たりがあるのだろうか。<br /> ジュンが聞き返すと、水銀燈は小さな笑みを残したまま、頭を振った。<br />  <br />  「探す必要なんかない、って意味よ。<br />   私ね……貴方の探しもの、どこにあるか知ってるの」 <br />  「ホントか?! どこなんだ、それは」<br />  「あらぁ。気づいてなかったのぉ? ずっと、貴方の近くにあったのに」<br />  「僕の近くに? ずっと?」<br />  <br /> 考える。水銀燈とジュンの交流は、2年弱。高校生活よりも、まだ浅い。<br /> それとて、この病院に居る間だけのこと。正味は1年にも満たない時間だろう。<br /> 彼女の知るジュンのプライベートなど、ほんの僅かに過ぎないはずだ。<br />  <br /> ――では。<br /> ひとつの可能性に、ジュンは思い至った。<br /> 本来ならば、まず初めに辿り着くべき答えへと。<br />  <br />  「もしかして、めぐが持ってるのか」<br />  <br /> 彼と水銀燈の接点は、めぐの存在が大半を占める。<br /> それを考慮しつつ、さっきの対話を思い返せば、その結論にしか達し得なかった。<br /> いまも水銀燈が所有しているのなら、単刀直入に突き出していたはずだ。<br />  <br /> 案の定、水銀燈は、神妙な面持ちで頷いた。<br />  <br />  「前に、私がプレゼントしたのよ。この絵と、そっくりのデザインの指輪を。<br />   どういう偶然か知らないけど、不可思議な符合よねぇ」<br />  <br /> 言いながら、彼女は怪訝そうに、雛苺を一瞥した。<br /> けれど、それも瞬刻。めぐが話のネタに見せびらかしたのかも、と考えたのだろう。<br /> やおら表情から硬さを消して、水銀燈は続けた。<br />  <br />  「ともかく、そういうことだから。めぐと指輪の交換をすれば済む話よ」<br />  「なるほどな。それは確かに、簡単な解決策だ」<br />  <br /> でも――と、ジュン。<br /> 彼は、居合わせた3人の乙女を順繰りに見回して、宣誓するように言った。<br />  <br />  「やっぱり、僕はこの指輪を探すよ。そうしたいんだ。<br />   どうせなら、対になるものを自力で用意して、持っていたいって思うから。<br />   それにさ、君とめぐの記念の品なら、僕がもらうわけにいかないだろ」<br />  「……律儀ねぇ。と言うか、意地っ張りなおバカさんってカンジぃ」<br />  「貴女だって、相当な依怙地よ。やはり、バカって言った方がバカなのだわ」<br />  「な……真紅ぅ!」<br />  「あっ、ちょっ、なにするのよ。やめて、頬を摘まはひゃひへーふがふが」<br />  「んもー! 2人とも、ケンカはやめるのよー」<br />  <br /> いきなり始まった取っ組み合いに、雛苺が割り込む。<br /> もちろん、水銀燈たちとて、時と場所くらい弁えている。<br /> 親友同士の戯れもそこそこに、水銀燈はジュンへと水を向けた。<br />  <br />  「まあ、探すというなら、ツテが無いわけでもないわよ。<br />   槐先生は、アクセサリーの制作にも造詣が深かったから、多分――」<br />  「なら、相談に乗ってもらえるように、口を利いてもらえないか」<br />  「お安いご用よ。どのみち、車も返しに行かなきゃならないし」<br />  <br /> そのときに引き合わせるからと、水銀燈は確約した。<br /> だが、とにもかくにも、めぐに絵を見せるのが先だ。<br /> もう数時間が経っているし、そろそろ、彼女も目を醒ます頃合いだろう。<br /> 雛苺の食事も終わったし、3人が連れ立って病室を発とうとすると……<br />  <br />  「待ちなさい。私も、一緒に行くわ」<br />  <br /> ジュンたちを呼び止めた真紅は、ベッドから出ようとして、端麗な表情を歪めた。<br /> 昨日の今日だ。ちょっと動くだけでも、身体中が痛むに違いない。<br />  <br />  「無理しないで、安静にしてなさいよぉ」<br />  「どうしても、話したいことがあって」<br />  「めぐに? それなら、言伝を頼まれてあげるわ」<br />  「ダメよ。じかに会って、確かめたいの」<br />  「……しょうがないわねぇ」<br />  <br /> 面倒くさそうな口調のわりに、水銀燈は、いそいそと真紅に手を貸す。<br />  <br />  「真紅ってば、言い出したら聞き分けがない――って、<br />   うひぃ……湿布くさぁい。何枚、貼ってるのよぉ」<br />  「仕方ないでしょう。酷い打ち身なのだから」<br />  <br /> それは、水銀燈が真紅に与えてしまった痛み。<br /> そして、真紅が水銀燈を受け止めてくれた証し。<br /> 申し訳なくて、でも、そんな真紅の想いが嬉しくて、愛おしくて……<br />  <br />  「まあ、おまぬけ真紅は、トクホン臭いのがお似合いかもねぇ」<br />  <br /> なのに、ちょっと抱え起こすのにも、おまけの憎まれ口を叩いてしまう。<br />  <br /> そんなことは、真紅だって百も承知。言わせっぱなしでは済まさない。<br /> 左腕1本といえども、水銀燈に腕を巻きつけ、しがみついた。<br />  <br />  「うふふ……」<br />  「な、なによぉ。気持ち悪い笑い方しないでよ」<br />  「貴女が褒めてくれたから、喜んでいるのよ。そうだわ、お礼もしなければね。<br />   ええ、独り占めは良くないもの。貴女にも、湿布の臭いをお裾分けするわ」<br />  「ちょっ、やめてよ」<br />  「ほぉ~ら、だんだん衣服に染み込んでいくのだわぁ~」 <br />  「いやーっ! バカぁ!」<br />  <br /> 子供みたいにじゃれ合う2人を眺めながら、「あいつら仲良いな」と、ジュン。<br /> その隣で、雛苺も苦笑まじりに相槌を打った。<br />  <br />  「気兼ねなく幼さをさらけ出せるほど、ココロを許し合えてるのよ。<br />   早い話が、似た者同士の腐れ縁なの」<br />  <br />  <br />   ~  ~  ~<br />  <br /> そんなこんなの騒動を経て、316号室を訪れた雛苺たちは、<br /> ドアを開けるや、めぐに果物ナイフを突き付けられて竦み上がった。<br /> さては、前途を憂えて無理心中でもするつもりか! と、思いきや――<br />  <br />  「あ、いらっしゃい。そろそろ来るかなって、リンゴ切ってたのよ」<br />  <br /> ――なんて、悪びれもせずに微笑む。<br />  <br />  「あ、危ないでしょう!」<br />  <br /> 真紅が怒りを露わにするも、めぐは「平気よ」と、涼しい顔をする。<br /> 「もし、ブスッといっちゃっても、すぐ手当してもらえるってば」<br />  <br /> そう言うことじゃなくて。真紅は溜息を吐いて、額に手を遣った。<br /> 「相変わらずねぇ」と水銀燈が呟き、ジュンが肩を竦めるあたり、これが日常茶飯事なのか。<br /> 雛苺と真紅は呆気にとられて、しばし開いた口を塞げなかった。<br />  <br />  <br />  「ところで、あなたは?」<br />  <br /> ナイフを片づけてベッドに戻ると、めぐは好奇の眼差しを、金髪の麗人に据えた。<br /> 訊ねられたジュンが、水銀燈に支えられて佇む真紅を一瞥する。<br />  <br />  「彼女の名前は、真紅。水銀燈の幼なじみだそうだ。<br />   なんか、めぐに話があるらしくてね」<br />  「私に? どんなコトかしら」<br />  <br /> めぐが視線で促すも、真紅は瞼を閉ざして、頸を横に振った。<br />  <br />  「私の話は、後でいいわ。それよりも、雛苺……貴女の用件を、先に」<br />  「う、うい。それじゃあ――」<br />  <br /> 揃って病室に来た以上、理由は言わずと知れたことだが、一応の前置き。<br /> 雛苺は、スケッチブックを開いて、めぐに差しだした。<br />  <br />  「絵が、描きあがったなの」<br />  「ホント? 見せて。ふぅん……とても繊細な色使いね。<br />   この薔薇の紅、いいわね。私の好みよ。鮮やかで、とっても綺麗だわ」<br />  <br /> それだけ言うと、めぐは両手で絵を掲げて、すべての意識を、そこに向けた。<br /> 吟味の表現そのままに、鋭く一点を凝視したり、かと思えば忙しなく眺め回したり。<br /> なにを見て、感じているのか。絵という鏡に、どんなココロを映しているのだろう。<br /> めぐの瞳がスケッチブックの上を走るたび、雛苺の胸も高鳴る。<br />  <br /> そして、ふと――<br /> 紙面を離れた彼女の視線に捉えられて、雛苺は身を固くした。<br />  <br />  「ねえ、雛苺。ふたつ、訊いてもいいかな」<br />  「な、なに?」<br />  「服を脱ぎかけに描いた必要性。それから、この扉の意味は?」<br />  <br /> めぐの声音に、激情の気配はない。あるのは、純粋な知的探求心だけ……らしい。<br /> あくまで、生徒がテキスト片手に、教師に質問するかのような口ぶりだ。<br /> けれど、まだ抑制されているだけで、本当は沸々と煮えたぎっているのかも。<br /> 雛苺の答え次第では、一気に吹き零れんばかりに。<br />  <br />  「うと、ね。今回のテーマは、輪廻転生や再生じゃなく、再出発。<br />   要するに、スタートラインの引きなおしを目的に、描いたのよ。<br />   だから、めぐさんには、だらしなく服を着せてあるの」<br />  「……ん? ごめん。よく分からないんだけど」<br />  「服は、文明の産物でしょ。そして、叡智とか通則の具象でもあるわ」<br />  <br /> それを身に着けている――とは、世間一般の常識や良識を備えている、とも言える。<br /> 新生児との重大な差違は、そこだ。産まれたての赤ん坊に、俗智はない。<br />  <br />  「それじゃあ、このドアの群れは?」<br />  「未来の形容。無数の扉は、可能性を。歪んでるのは、不確定の表現なのよ」<br />  「ああ……なるほどね」<br />  <br /> 得心したらしく、めぐは頻りに頷いた。<br /> 「いろいろと、事細かに考えられてるのね。正直、意外だった」<br />  <br /> 雛苺の説明を聞いて、ジュンたちも、今更ながら納得顔をしている。<br /> どうしても、骸骨と乙女と青年のもつれ合いに目を引かれてしまって、<br /> それ以外の部分にまで注意が届いていなかったのだ。<br />  <br />  「めぐさんとジュンの未来は、2人が協力しあって描き続けていくものでしょ。<br />   ヒナが描けるのは、新しいスタートライン……物語の序曲だけなのよ」<br />  <br /> それを根本的な解決とは、決して言えない。<br /> めぐの心臓は、依然として癒えないのだから。<br />  <br />  「――序曲、か」<br />  <br /> けれど、めぐの表情は清々しかった。<br /> 彼女はいま、まさに自らの過ちに気づき、本当の意味での目的を得たのかも知れない。<br />  <br />  「ありがとう、雛苺。新生活に入る私たちへの、なによりの贈り物よ」<br />  <br /> 雛苺に描いてもらう、とは、結局のところ他力本願。<br /> 誰のせいにもしないと言いながら、自覚ないまま、逃げ道を探していた。<br /> 病身であることに甘えて、自ら掴みに行くことを、どこかで諦めていたのだ。<br />  <br /> でも、過ちに気づいたのなら、やり直すこともできる。<br /> その意欲と、実行する勇気さえあれば。<br />  <br />  <br /> めぐは、ジュンと目を合わせ、笑みを浮かべた。「もうちょっと頑張ってみるね、私」<br /> ジュンも微笑みながら、「全力で協力するよ」と頷き、雛苺に眼を転じた。<br />  <br />  「僕からも、礼を言わせてくれ。ありがとな」<br />  「気に入ってもらえたなら、ヒナも、ひと安心なのよ」<br />  「さて、次は――」<br />  <br /> 言って、めぐは穏やかな眼差しを、もう1人の乙女へと転じた。<br />  <br />  「あなたね。私に話したいことって、なに?」<br />  「まずは、祝福しておくわ。おめでとう、2人とも。<br />   ところで、貴方たち。新居は、もう決まっているの?」<br />  「僕の家で暮らす予定だけど」<br />  「そう――」<br />  <br /> 真紅は首を傾げて、少しばかり考え込む素振りをした。<br /> しかし、逡巡には至らず。強い意志を秘めた双眸を、ジュンとめぐに戻した。<br />  <br />  「もし、差し支えがなければ……私と契約する気はないかしら。<br />   私の用件と言うのはね、住み込みで働いてくれる夫婦を、探していたのよ」<br />  「また、いきなりな話だな」<br />  <br /> ジュンは呆れたように言うが、その胸裡では、微妙にココロを動かされていた。<br /> 彼なりに、姉を厄介払いするような状況には、呵責を感じていたのだ。<br />  <br /> 真紅の申し出を受け入れたなら、のりは今までどおり、生まれ育った家で暮らせる。<br /> けれども、めぐは、それを望まないかも知れない。<br /> 彼が、あまり乗り気でない風を装ったのも、偏に、めぐを気遣ってのことだった。<br />  <br />  「まあまあ。折角、こうして訪ねてくれたんだもの。<br />   話くらいは、聞いてあげましょうよ」<br />  <br /> ジュンの思いには、薄々、気づいていたのだろう。<br /> 途切れそうな話題を、めぐが繋げる。ひた……と、真紅を見つめながら。<br />  <br />  「具体的に、どこに住まわせようというの?」<br />  「私は、製茶業を営んでいてね。そこそこ広い茶畑を、保有しているの。<br />   そこにある施設の管理を、任せたいのだわ」<br />  「私と彼の、2人だけで?」<br />  「昼間は、うちの従業員が常駐しているわ。夜間は、貴方たちだけになるわね。<br />   いままでは、少ない人員をやりくりしていたのだけれど……<br />   夜勤も大きな負担なのよ。社員のプライベートにとっても、経理の面でも」<br />  「ふぅん……なるほどね」<br />  <br /> 会話の切れ間を縫って、雛苺がベッドに近づく。<br /> そして、めぐの手中にあるスケッチブックを捲って、下書きのページを開いた。<br />  <br />  「これが、いまの話に出てた、茶畑にある施設からの眺めなのよ。<br />   鉛筆描きだから、色合いは判りにくいんだけど」<br />  「へえ……けっこう広いんだ。ここって、山頂付近?<br />   空が、とっても近く見えるわ。すごく綺麗な景色なんでしょうね」<br />  <br /> 感嘆の息を吐いて、めぐは、ジュンに笑顔を向けた。<br /> 「いいんじゃないかな、引き受けてみても。あなた、どう思う?」<br />  <br /> 「どう――って、あのなあ……」ジュンは、片眉を上げて、苦笑う。<br /> 「いいのかよ、そんな簡単に決めちゃっても。待遇とか、いろいろあるだろ」<br />  <br /> それについては、即座に真紅が口を挟んだ。<br />  <br />  「正社員としての雇用よ。資格に応じて、別途手当もつけるわ」<br />  「――だ、そうよ。私は異存ないわ。こんな場所での暮らしにも憧れてたし。<br />   私、アルバイトすらしたことないから、働くってことに興味もあるのよ。<br />   それにね、彼女に雇われるのは、もう決定事項だと思うの」<br />  <br /> この絵が、描かれた時から――<br /> めぐは、そう言うと、スケッチブックを先程のページに戻した。<br />  <br /> 紅い薔薇の園に囲まれた、めぐと、ジュン。<br /> 真紅という乙女に重なる、気高く咲き誇る紅い薔薇のイメージ。<br /> 指摘されてから、改めて眺めると……なるほど、そう捉えられなくもない。<br /> そこまでの思惑が、雛苺にあったかどうかは、はなはだ疑問だが。<br />  <br />  「……そりゃまあ、めぐが望むなら、叶えてあげたいけどさ。<br />   あまりにも不便な生活を強いられるのなら、論外だろ。<br />   交通事情が最悪だと、もしものとき、病院への搬送が間に合わないかも。<br />   めぐの命に関わることだし、その懸念があるなら、僕は反対だ」<br />  「善処するわ。従業員の福利厚生を計るのも、雇用者の義務ですもの」<br />  <br /> 真紅は、その青い瞳に真摯な光を宿して、まっすぐにジュンたちを見つめた。<br /> そこには強い意志が感じられる。おそらく、真紅は約束を違えない。<br /> 結ばれた契約を、自らのプライドにかけて履行しようとするだろう。<br /> 不安は拭いきれないものの、ジュンは「わかった」と頷いた。<br />  <br /> 「じゃあ、決まりね」めぐが手を打ち鳴らして、締め括る。<br /> 「なんだか、ワクワクしてきちゃった。一度、前もって見学にも行きたいわね」<br />  <br /> 無邪気にはしゃぐ姿は、まるっきり遠足前夜のノリだ。<br /> そんな病人らしからぬ溌剌とした様子に、居合わせた誰もが、笑みを誘われていた。<br />  <br />  <br />  <br />   -<a href="http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/4111.html">to be continued</a>-<br />  <br />  </p>
<p align="left"> <br />  <br /> 大地を埋め尽くす、紅い薔薇の園。<br /> その中央には、どこか気怠そうに佇む、緑髪の乙女。<br /> 若く張りのある肌は、生命の色で溢れていて、病人めいたところなど欠片もない。<br /> ――柿崎めぐ。それが、彼女の名前。<br />  <br /> めぐの右側から、墓場から這い出たばかりのような薄汚れた骸骨が、馴れ馴れしく抱きついている。<br /> 白骨と化した右手が、豊かに隆起する彼女の左胸へと伸ばされ、いましも愛撫しようとしていた。<br /> けれども、伸ばされたその手は、目的を達成できはしない。<br /> 左から、めぐを支えるジュンが、そうはさせじと掴み、引き剥がしているからだ。<br />  <br /> ジュンは、骸骨と奪い合うように、右腕で彼女の腰を抱き寄せている。<br /> 骸骨の右腕を掴む彼の左手――その薬指には、金属特有の光華を放つ、薔薇の指輪。<br />  <br /> だが、生々しく絡みあう3体の人影以上に異様なものも、描き込まれていた。<br /> 彼らを取り囲む、緻密な装飾を施された大小無数のドアの群れだ。<br /> どれもが捻れ、歪んでいる。なんのために描き込まれたのか解らない。<br /> そんなものが地平の彼方まで、隙間を埋めるタイルみたいに配されている。<br />  <br />  <br /> 「――なんだか、吸い込まれてしまいそうね」<br />  <br /> 完成した絵に目を注ぎながら、真紅が独りごちる。<br /> 横から覗き込んでいた水銀燈も、似たような感想を抱いたのか、黙って頷く。<br />  <br /> 「なあ。どうして、薔薇なんだ?」<br />  <br /> ジュンだけは、描いた当人を振り返って、問いかけた。<br /> 雛苺が、「ほえ?」という風に、顔をあげる。<br /> 彼女はいま、三時のおやつを兼ねた昼食を、摂っているところだった。<br /> 一気呵成に絵を仕上げていたため、こんな時間になってしまったのだ。<br />  <br /> 苺オーレで、本日6個目となるチーズ蒸しパンを流し込むと、雛苺は回答した。<br />  <br /> 「ヒナの好きな花だから。<br />  あとね、生命の象徴としての紅を、配色したかったの」<br /> 「生命の象徴としての、紅?」<br /> 「血のことでしょう」<br />  <br /> 首を傾げるジュンに代わり、さも当然と言わんばかりに、真紅が口を挟む。<br />  <br /> 「それに、紅いバラには『愛情』という意味もあるのよ。<br />  2人の門出を飾る花としてなら、最も相応しいかも知れないのだわ」<br />  <br /> 愛情って、与える者、受ける者、どちらにとっても生きる希望だと思うから。<br /> そう言うと、真紅は、うっとりと眼を細めた。 <br /> もしかしたら、初恋の思い出でも、瞼の裏に甦らせているのかも知れない。<br />  <br /> そんな真紅に優しく微笑みかけて、ジュンは絵に視線を戻した。<br />  <br /> 「とりあえず、この絵によって、僕に与えられた課題は――」<br /> 「めぐの傍らを片時も離れず、伸びてくる死の手を掴んでおくこと、ねぇ。<br />  伴侶としての義務を全うしなかったら、承知しないわよぉ」<br /> 「それは当然のことだろ。僕が言いたかったのは、もっと現実的な問題さ」<br /> 「現実的な問題って……なぁにぃ?」<br />  <br /> おうむ返しに訊ねる水銀燈に、ジュンは「これだよ」と、絵を指差して見せた。<br /> 「僕の左手に描かれてる、この指輪。探すか、特注で作ってもらわないと」<br />  <br /> 花弁の一枚、細かなトゲに至るまで、薔薇を精巧に象ったデザインだ。<br /> 材質にもよるが、最悪、オーダーメイドになるだろう。<br /> 一品物だし、どれだけ値の張ることか……。<br />  <br /> ところが、そんなジュンの見立ては、水銀燈によって一笑された。<br />  <br /> 「なぁんだ。そんなの、問題でもなんでもないわぁ」<br /> 「え? どういうことだよ」<br />  <br /> まさか、その手のショップや細工職人に、心当たりがあるのだろうか。<br /> ジュンが聞き返すと、水銀燈は小さな笑みを残したまま、頭を振った。<br />  <br /> 「探す必要なんかない、って意味よ。<br />  私ね……貴方の探しもの、どこにあるか知ってるの」 <br /> 「ホントか?! どこなんだ、それは」<br /> 「あらぁ。気づいてなかったのぉ? ずっと、貴方の近くにあったのに」<br /> 「僕の近くに? ずっと?」<br />  <br /> 考える。水銀燈とジュンの交流は、2年弱。高校生活よりも、まだ浅い。<br /> それとて、この病院に居る間だけのこと。正味は1年にも満たない時間だろう。<br /> 彼女の知るジュンのプライベートなど、ほんの僅かに過ぎないはずだ。<br />  <br /> ――では。<br /> ひとつの可能性に、ジュンは思い至った。<br /> 本来ならば、まず初めに辿り着くべき答えへと。<br />  <br /> 「もしかして、めぐが持ってるのか」<br />  <br /> 彼と水銀燈の接点は、めぐの存在が大半を占める。<br /> それを考慮しつつ、さっきの対話を思い返せば、その結論にしか達し得なかった。<br /> いまも水銀燈が所有しているのなら、単刀直入に差し出していたはずだ。<br />  <br /> 案の定、水銀燈は、神妙な面持ちで頷いた。<br />  <br /> 「前に、私がプレゼントしたのよ。この絵と、そっくりのデザインの指輪を。<br />  どういう偶然か知らないけど、不可思議な符合よねぇ」<br />  <br /> 言いながら、彼女は怪訝そうに、雛苺を一瞥した。<br /> けれど、それも瞬刻。めぐが話のネタに見せびらかしたのかも、と考えたのだろう。<br /> やおら表情から硬さを消して、水銀燈は続けた。<br />  <br /> 「ともかく、そういうことだから。めぐと指輪の交換をすれば済む話よ」<br /> 「なるほどな。それは確かに、簡単な解決策だ」<br />  <br /> でも――と、ジュン。<br /> 彼は、居合わせた3人の乙女を順繰りに見回して、宣誓するように言った。<br />  <br /> 「やっぱり、僕はこの指輪を探すよ。そうしたいんだ。<br />  どうせなら、対になるものを自力で用意して、持っていたいって思うから。<br />  それにさ、君とめぐの記念の品なら、僕がもらうわけにいかないだろ」<br /> 「……律儀ねぇ。と言うか、意地っ張りなおバカさんってカンジぃ」<br /> 「貴女だって、相当な依怙地よ。やはり、バカって言った方がバカなのだわ」<br /> 「な……真紅ぅ!」<br /> 「あっ、ちょっ、なにするのよ。やめて、頬を摘まはひゃひへーふがふが」<br /> 「んもー! 2人とも、ケンカはやめるのよー」<br />  <br /> いきなり始まった取っ組み合いに、雛苺が割り込む。<br /> もちろん、水銀燈たちとて、時と場所くらい弁えている。<br /> 親友同士の戯れもそこそこに、水銀燈はジュンへと水を向けた。<br />  <br /> 「まあ、探すというなら、ツテが無いわけでもないわよ。<br />  槐先生は、アクセサリーの制作にも造詣が深かったから、多分――」<br /> 「なら、相談に乗ってもらえるように、口を利いてもらえないか」<br /> 「お安いご用よ。どのみち、車も返しに行かなきゃならないし」<br />  <br /> そのときに引き合わせるからと、水銀燈は確約した。<br /> だが、とにもかくにも、めぐに絵を見せるのが先だ。<br /> もう数時間が経っているし、そろそろ、彼女も目を醒ます頃合いだろう。<br /> 雛苺の食事も終わったし、3人が連れ立って病室を発とうとすると……<br />  <br /> 「待ちなさい。私も、一緒に行くわ」<br />  <br /> ジュンたちを呼び止めた真紅は、ベッドから出ようとして、端麗な表情を歪めた。<br /> 昨日の今日だ。ちょっと動くだけでも、身体中が痛むに違いない。<br />  <br /> 「無理しないで、安静にしてなさいよぉ」<br /> 「どうしても、話したいことがあって」<br /> 「めぐに? それなら、言伝を頼まれてあげるわ」<br /> 「ダメよ。じかに会って、確かめたいの」<br /> 「……しょうがないわねぇ」<br />  <br /> 面倒くさそうな口調のわりに、水銀燈は、いそいそと真紅に手を貸す。<br />  <br /> 「真紅ってば、言い出したら聞き分けがない――って、<br />  うひぃ……湿布くさぁい。何枚、貼ってるのよぉ」<br /> 「仕方ないでしょう。酷い打ち身なのだから」<br />  <br /> それは、水銀燈が真紅に与えてしまった痛み。<br /> そして、真紅が水銀燈を受け止めてくれた証し。<br /> 申し訳なくて、でも、そんな真紅の想いが嬉しくて、愛おしくて……<br />  <br /> 「まあ、おまぬけ真紅は、トクホン臭いのがお似合いかもねぇ」<br />  <br /> なのに、ちょっと抱え起こすのにも、おまけの憎まれ口を叩いてしまう。<br /> そんなことは、真紅だって百も承知。言わせっぱなしでは済まさない。<br /> 左腕1本といえども、水銀燈に腕を巻きつけ、しがみついた。<br />  <br /> 「うふふ……」<br /> 「な、なによぉ。気持ち悪い笑い方しないでよ」<br /> 「貴女が褒めてくれたから、喜んでいるのよ。そうだわ、お礼もしなければね。<br />  ええ、独り占めは良くないもの。貴女にも、湿布の臭いをお裾分けするわ」<br /> 「ちょっ、やめてよ」<br /> 「ほぉ~ら、だんだん衣服に染み込んでいくのだわぁ~」 <br /> 「いやーっ! 離しなさいよ、バカぁ!」<br />  <br /> 子供みたいにじゃれ合う2人を眺めながら、「あいつら仲良いな」と、ジュン。<br /> その隣で、雛苺も苦笑まじりに相槌を打った。<br />  <br /> 「気兼ねなく幼さをさらけ出せるほど、ココロを許し合えてるのよ。<br />  早い話が、似た者同士の腐れ縁なの」<br />  <br />  <br />   ~  ~  ~<br />  <br /> そんなこんなの騒動を経て、316号室を訪れた雛苺たちは、<br /> ドアを開けるや、めぐに果物ナイフを突き付けられて竦み上がった。<br /> さては、前途を憂えて無理心中でもするつもりか! と、思いきや――<br />  <br /> 「あ、いらっしゃい。そろそろ来るかなって、リンゴ切ってたのよ」<br />  <br /> ――なんて、悪びれもせずに微笑む。<br />  <br /> 「あ、危ないでしょう!」<br />  <br /> 真紅が怒りを露わにするも、めぐは「平気よ」と、涼しい顔をする。<br /> 「もし、ブスッといっちゃっても、すぐ手当してもらえるってば」<br />  <br /> そう言うことじゃなくて。真紅は溜息を吐いて、額に手を遣った。<br /> 「相変わらずねぇ」と水銀燈が呟き、ジュンが肩を竦めるあたり、これが日常茶飯事なのか。<br /> 雛苺と真紅は呆気にとられて、しばし開いた口を塞げなかった。<br />  <br />  <br />  「ところで、あなたは?」<br />  <br /> ナイフを片づけてベッドに戻ると、めぐは好奇の眼差しを、金髪の麗人に据えた。<br /> 訊ねられたジュンが、水銀燈に支えられて佇む真紅を一瞥する。<br />  <br /> 「彼女の名前は、真紅。水銀燈の幼なじみだそうだ。<br />  なんか、めぐに話があるらしくてね」<br /> 「私に? どんなコトかしら」<br />  <br /> めぐが視線で促すも、真紅は瞼を閉ざして、頸を横に振った。<br />  <br /> 「私の話は、後でいいわ。それよりも、雛苺……貴女の用件を、先に」<br /> 「う、うい。それじゃあ――」<br />  <br /> 揃って病室に来た以上、理由は言わずと知れたことだが、一応の前置き。<br /> 雛苺は、スケッチブックを開いて、めぐに差しだした。<br />  <br /> 「絵が、描きあがったなの」<br /> 「ホント? 見せて。ふぅん……とても繊細な色使いね。<br />  この薔薇の紅、いいわね。私の好みよ。鮮やかで、とっても綺麗だわ」<br />  <br /> それだけ言うと、めぐは両手で絵を掲げて、すべての意識を、そこに向けた。<br /> 吟味の表現そのままに、鋭く一点を凝視したり、かと思えば忙しなく眺め回したり。<br /> なにを見て、感じているのか。絵という鏡に、どんなココロを映しているのだろう。<br /> めぐの瞳がスケッチブックの上を走るたび、雛苺の胸も高鳴る。<br />  <br /> そして、ふと――<br /> 紙面を離れた彼女の視線に捉えられて、雛苺は身を固くした。<br />  <br /> 「ねえ、雛苺。ふたつ、訊いてもいいかな」<br /> 「な、なに?」<br /> 「服を脱ぎかけに描いた必要性。それから、この扉の意味は?」<br />  <br /> めぐの声音に、激情の気配はない。あるのは、純粋な知的探求心だけ……らしい。<br /> あくまで、生徒がテキスト片手に、教師に質問するかのような口ぶりだ。<br /> けれど、まだ抑制されているだけで、本当は沸々と煮えたぎっているのかも。<br /> 雛苺の答え次第では、一気に吹き零れんばかりに。<br />  <br /> 「うと、ね。今回のテーマは、輪廻転生や再生じゃなく、再出発。<br />  要するに、スタートラインの引きなおしを目的に、描いたのよ。<br />  だから、めぐさんには、だらしなく服を着せてあるの」<br /> 「……ん? ごめん。よく分からないんだけど」<br /> 「服は、文明の産物でしょ。そして、叡智とか通則の具象でもあるわ」<br />  <br /> それを身に着けている――とは、世間一般の常識や良識を備えている、とも言える。<br /> 新生児との重大な差違は、そこだ。産まれたての赤ん坊に、俗智はない。<br />  <br /> 「それじゃあ、このドアの群れは?」<br /> 「未来の形容。無数の扉は、可能性を。歪んでるのは、不確定の表現なのよ」<br /> 「ああ……なるほどね」<br />  <br /> 得心したらしく、めぐは頻りに頷いた。<br /> 「いろいろと、事細かに考えられてるのね。正直、意外だった」<br />  <br /> 雛苺の説明を聞いて、ジュンたちも、今更ながら納得顔をしている。<br /> どうしても、骸骨と乙女と青年のもつれ合いに目を引かれてしまって、<br /> それ以外の部分にまで注意が届いていなかったのだ。<br />  <br /> 「めぐさんとジュンの未来は、2人が協力しあって描き続けていくものでしょ。<br />  ヒナが描けるのは、新しいスタートライン……物語の序曲だけなのよ」<br />  <br /> それを根本的な解決とは、決して言えない。<br /> めぐの心臓は、依然として癒えないのだから。<br />  <br /> 「――序曲、か」<br />  <br /> けれど、めぐの表情は清々しかった。<br /> 彼女はいま、まさに自らの過ちに気づき、本当の意味での目的を得たのかも知れない。<br />  <br /> 「ありがとう、雛苺。新生活に入る私たちへの、なによりの贈り物よ」<br />  <br /> 雛苺に描いてもらう、とは、結局のところ他力本願。<br /> 誰のせいにもしないと言いながら、自覚ないまま、逃げ道を探していた。<br /> 病身であることに甘えて、自ら掴みに行くことを、どこかで諦めていたのだ。<br />  <br /> でも、過ちに気づいたのなら、やり直すこともできる。<br /> その意欲と、実行する勇気さえあれば。<br />  <br />  <br /> めぐは、ジュンと目を合わせ、笑みを浮かべた。「もうちょっと頑張ってみるね、私」<br /> ジュンも微笑みながら、「全力で協力するよ」と頷き、雛苺に眼を転じた。<br />  <br /> 「僕からも、礼を言わせてくれ。ありがとな」<br /> 「気に入ってもらえたなら、ヒナも、ひと安心なのよ」<br /> 「さて、次は――」<br />  <br /> 言って、めぐは穏やかな眼差しを、もう1人の乙女へと転じた。<br />  <br /> 「あなたね。私に話したいことって、なに?」<br /> 「まずは、祝福しておくわ。おめでとう、2人とも。<br />  ところで、貴方たち。新居は、もう決まっているの?」<br /> 「僕の家で暮らす予定だけど」<br /> 「そう――」<br />  <br /> 真紅は首を傾げて、少しばかり考え込む素振りをした。<br /> しかし、逡巡には至らず。強い意志を秘めた双眸を、ジュンとめぐに戻した。<br />  <br /> 「もし、差し支えがなければ……私と契約する気はないかしら。<br />  私の用件と言うのはね、住み込みで働いてくれる夫婦を、探していたのよ」<br /> 「また、いきなりな話だな」<br />  <br /> ジュンは呆れたように言うが、その胸裡では、微妙にココロを動かされていた。<br /> 彼なりに、姉を厄介払いするような状況には、呵責を感じていたのだ。<br />  <br /> 真紅の申し出を受け入れたなら、のりは今までどおり、生まれ育った家で暮らせる。<br /> けれども、めぐは、それを望まないかも知れない。<br /> 彼が、あまり乗り気でない風を装ったのも、偏に、めぐを気遣ってのことだった。<br />  <br /> 「まあまあ。折角、こうして訪ねてくれたんだもの。<br />  話くらいは、聞いてあげましょうよ」<br />  <br /> ジュンの思いには、薄々、気づいていたのだろう。<br /> 途切れそうな話題を、めぐが繋げる。ひた……と、真紅を見つめながら。<br />  <br /> 「具体的に、どこに住まわせようというの?」<br /> 「私は、製茶業を営んでいてね。そこそこ広い茶畑を、保有しているの。<br />  そこにある施設の管理を、任せたいのだわ」<br /> 「私と彼の、2人だけで?」<br /> 「昼間は、うちの従業員が常駐しているわ。夜間は、貴方たちだけになるわね。<br />  いままでは、少ない人員をやりくりしていたのだけれど……<br />  夜勤も大きな負担なのよ。社員のプライベートにとっても、経理の面でも」<br /> 「ふぅん……なるほどね」<br />  <br /> 会話の切れ間を縫って、雛苺がベッドに近づく。<br /> そして、めぐの手中にあるスケッチブックを捲って、下書きのページを開いた。<br />  <br /> 「これが、いまの話に出てた、茶畑にある施設からの眺めなのよ。<br />  鉛筆描きだから、色合いは判りにくいんだけど」<br /> 「へえ……けっこう広いんだ。ここって、山頂付近?<br />  空が、とっても近く見えるわ。すごく綺麗な景色なんでしょうね」<br />  <br /> 感嘆の息を吐いて、めぐは、ジュンに笑顔を向けた。<br /> 「いいんじゃないかな、引き受けてみても。あなた、どう思う?」<br />  <br /> 「どう――って、あのなあ……」ジュンは、片眉を上げて、苦笑う。<br /> 「いいのかよ、そんな簡単に決めちゃっても。待遇とか、いろいろあるだろ」<br />  <br /> それについては、即座に真紅が口を挟んだ。<br />  <br /> 「正社員としての雇用よ。資格に応じて、別途手当もつけるわ」<br /> 「――だ、そうよ。私は異存ないわ。こんな場所での暮らしにも憧れてたし。<br />  私、アルバイトすらしたことないから、働くってことに興味もあるのよ。<br />  それにね、彼女に雇われるのは、もう決定事項だと思うの」<br />  <br /> この絵が、描かれた時から――<br /> めぐは、そう言うと、スケッチブックを先程のページに戻した。<br />  <br /> 紅い薔薇の園に囲まれた、めぐと、ジュン。<br /> 真紅という乙女に重なる、気高く咲き誇る紅い薔薇のイメージ。<br /> 指摘されてから、改めて眺めると……なるほど、そう捉えられなくもない。<br /> そこまでの思惑が、雛苺にあったかどうかは、はなはだ疑問だが。<br />  <br /> 「……そりゃまあ、めぐが望むなら、叶えてあげたいけどさ。<br />  あまりにも不便な生活を強いられるのなら、論外だろ。<br />  交通事情が最悪だと、もしものとき、病院への搬送が間に合わないかも。<br />  めぐの命に関わることだし、その懸念があるなら、僕は反対だ」<br /> 「善処するわ。従業員の福利厚生を計るのも、雇用者の義務ですもの」<br />  <br /> 真紅は、その青い瞳に真摯な光を宿して、まっすぐにジュンたちを見つめた。<br /> そこには強い意志が感じられる。おそらく、真紅は約束を違えない。<br /> 結ばれた契約を、自らのプライドにかけて履行しようとするだろう。<br /> 不安は拭いきれないものの、ジュンは「わかった」と頷いた。<br />  <br /> 「じゃあ、決まりね」めぐが手を打ち鳴らして、締め括る。<br /> 「なんだか、ワクワクしてきちゃった。一度、前もって見学にも行きたいわね」<br />  <br /> 無邪気にはしゃぐ姿は、まるっきり遠足前夜のノリだ。<br /> そんな病人らしからぬ溌剌とした様子に、居合わせた誰もが、笑みを誘われていた。<br />    <br />  <br />  <br />   -<a href="http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/4111.html">to be continued</a>-<br />  <br />  </p>

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