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『誰より好きなのに』 エピローグ」(2008/06/30 (月) 01:38:20) の最新版変更点

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<p align="left"> <br />  <br /> 閉ざしたカーテンの向こうから、スズメたちのケンカする声が飛び込んでくる。<br /> 私はベッドの中で、朦朧としながら、それを聞いていた。<br /><br />  「もう、朝……」<br /><br /> よく眠った。夢さえ見ないほどに深く。<br /> そもそも、いつ床に就いたっけ?<br /> 書き物をしていた記憶は、漠然と浮かぶけれど。それから後のことは……。<br /><br /> ……まあ、いい。<br /> これから紡がれる、新たな思い出に比べたら――すべて瑣末なこと。<br /><br /> 私はベッドを抜け出して、勢いよく、カーテンを開いた。<br /> 窓辺にたむろしていたスズメたちが、驚いて、一斉に飛び立った。<br /> よく晴れてる。防波堤の向こう、遙かな沖合まで、すっかり見渡せる。<br /> 1日の始まりとしては、申し分ない。<br />  <br />  <br />  <br />  <br /> 顔を洗い、着替えてから、お母さまの人形に、朝の挨拶をする。<br /> 端から見たら、アタマの弱い子だって思われるだろうが、別に構わない。<br /> そうすることで、私は少なからず、安らぎを覚えているのだから。<br /> お父さまが、どういう意図で、この人形を作ったのかは判らないけど……今は感謝していた。<br /><br /> ベーコンエッグとトーストの軽い朝食を摂るのは、そのあと。<br /> 食器その他の台所まわりを片づけて、鏡台に向かう。<br /> 髪を梳りながら、壁掛け時計と自分の写し身を交互に見つめ、「よし」と頷く。<br /> いつもどおり。この生活パターンにも、すっかり慣れたものだ。<br />  <br />  <br />  <br /> 身だしなみが済んだら、次は屋内外の掃除。<br /> サンダルをつっかけ、家の前を箒で掃いていると。<br /><br />  「おはよ」<br /><br /> お隣の、めぐさんに声を掛けられた。<br /> 私も手を止めて、会釈を返す。<br /><br />  「おはようございます」<br />  「晴れてよかったわね。今日でしょ?」<br />  「はい。午後になると思いますけど」<br /><br /> あの嵐の夜から、早1ヶ月――<br /> お父さまは、今日、退院してくる。<br /> 経過は良好だった。危惧されていた後遺症はなく、仕事にも、差し支えない。<br /> ただ、割れた骨を繋ぐ金具は入ったままなので、いずれ手術で外さないといけないけれど。<br /> それは、もう少し先のことになる。<br /><br />  「迎えに来なくてもいいだなんて、彼らしいわね」<br />  「職人気質って言うんでしょうか……偏屈なところは、ありますね」<br />  「もう大丈夫だってアピールしたいのよ、きっと」<br /><br /> 実際、お父さまは起きあがれるようになると、すぐにリハビリを始めた。<br /> 私にも、見舞いは毎日じゃなくていいと、言い出すほどで。<br /> まあ、それでも私が訪れると、すごく嬉しそうな顔をしていたけれど。<br /><br /> 「ところで」<br /> めぐさんが話題を転じた。「原稿の方は、進んでる?」<br />  <br />  「それなりに。順調では、ないですけど」<br />  <br /> 私は相槌を打って、昨夜までの進捗を、思い浮かべた。<br /> 独りで過ごす夜の慰みに始めた、物語の執筆状況を。<br />  <br />  <br />  <br /> キッカケは、白崎さんの家で夜食をご馳走になった、あの晩だ。<br /> 初めて口にしたワインに酔って、お父さまの作業机で眠ってしまった、あのとき――<br /> 私は夢うつつに、囁きかける声を聞いた。<br /><br /> 今なら解る。あれは、アリスが――もう1人の私が、話しかけてきたのだ、と。<br /> あの瞬間まで、『きらきしょー』が、アリスだと思っていた。<br /> でも、それは私の考え違い。<br /> 《九秒前の白》で会った、真紅の姿をした女性こそが、本当のアリスだったのだ。<br /> 『きらきしょー』は、見ることができなかった妹に、古いイメージを投影しただけの人形。<br /> 言うなれば、私の、妄想の産物に過ぎなかった。<br /><br /> なぜ、アリスが真紅へと変貌を遂げたのか。<br /> それは、きっと……私の、お母さまに対する羨望が、そうさせたに違いない。<br /> 彼女のような、至高の存在になりたいと強く願う気持ちが、私の別人格さえも変えた。<br /> ……そういうことなのだろう。<br /><br /><br /> 以来、私は市販の大学ノートに、物語を書き始めた。『きらきしょー』という名の、女の子の物語を。<br /> なんとなく、夢見がちな私には相応しいと……<br /> そして、そうすることが、アリスを含めた私自身の慰めになると、思えたのだ。<br /> 今では、創作の時間が、日常生活の時間を浸蝕しつつあった。<br />  <br />  <br />  <br />  <br />  「いつか、出版とか、されるといいわね」<br /><br /> めぐさんの声に、我に返る。<br /> 私は取り繕うように笑って、また相槌を打った。<br /><br />  「そうですね。いつか……誰かに、ステキなイラストを描いてもらって……」<br />  「イラスト? 絵本とか、童話なの?」<br />  「……さあ。どういうカタチに収まるのかは、私にも解りませんけど」<br /><br /> 事実、私のアタマの中には、終わりまでの展望など描かれていない。<br /> その都度、ノートを開く度に、世界が綴られていくのだ。<br /> いわば、私もまた旅人――『きらきしょー』の同伴者だった。<br /><br /> そう告げると、めぐさんは、ふぅん? と。<br /> 小首を傾げ、興味深げに、瞳を輝かせた。<br /><br />  「いいわね、そういうの。私、好きよ」<br />  「めぐさんも、創作に携わったことが?」<br />  「……んー。長く入院してた時期があって、その頃に、ちょっとね。<br />   黒い天使の話なんだけど」<br />  「その物語は、今も?」<br />  「ううん。退院してから、それっきりね。現実の忙しなさに、追い立てられちゃって。<br />   ほら、誰だったかの歌にもあったでしょ。夢みる少女じゃいられない……ってね」<br />  「それでも……めぐさんは、幸せ?」<br /><br /> 問いかけると、彼女は一瞬、キョトンとして。<br /> また一瞬の後に、破顔していた。「そうね。幸せよ。彼も、とても良くしてくれるし」<br />  <br />  <br /> そんな日が、いつか私にも、訪れるのだろうか。<br /> 現実の世界に喜びと幸せを見つけて、夢は夢と割り切るように、なるのだろうか。<br /><br /> そのとき、アリスや、きらきーは――<br /> あの《九秒前の白》は、どうなってしまうのかしら。<br /> 弾けて、泡と消えてしまうのならば、それは、とても悲しいこと。<br /><br /><br />  『ここには、私たちしか居ないわ。私たちしか入れないのよ』<br /><br />  『貴女は生きて、歩き続けなさい。そして、此処を守るのだわ』<br /><br /><br /> あの言葉――<br /> あれは、アリスの切望だったのかも知れない。<br /> 私が物語を綴りだしたのも、彼女の意志が、強く介在しているのかも。<br /><br /> ならば、私は書き続けよう。ずっと……いつまでだって。<br /> もちろん、この世界での幸福も、しっかり手に入れるけどね。<br /><br />  「めぐさん。私、そろそろ」<br />  「あ……ごめんね、引き留めちゃって。<br />   それじゃ、槐くんが戻ったら、今夜はウチで退院祝いしましょうね」<br />  「はい。ありがとう」<br /><br /> 私たちは微笑み合って、互いに手を振った。<br /><br /><br />  「さて、と。次は、お店の掃除しなきゃ」<br /><br /> 独りごちて、家に入り、店の窓を開け放つ。<br /> 毎日、掃除をしているけれど、いつの間にか埃は積もっているもので……<br /> ショーケースの上を、はたきがけすると、舞い上がった塵で、鼻がムズムズした。<br /><br /> 2、3発、クシャミすると、今度は鼻が垂れてくるから、始末に負えない。<br /> ティッシュで鼻をかんでから、ハンカチを対角線に畳んで、マスク代わりにした。<br /> そして、ショーケースを拭こうと、雑巾を手にした、そのとき。<br /><br /><br /> 店の前で、甲高い軋めきが生じた。車のブレーキノイズだ。<br /> それが意味するところを察して、私は雑巾を放りだすと、ドアに駆け寄った。<br /><br /> 果たして、予感は的中。午後になると、思っていたのに――<br /> 停車したタクシーから、支払いを済ませたお父さまが、ボストンバッグを抱えて降りてくる。<br /> 私は気持ちを抑えきれずに、ドアをくぐり、彼の前に立った。<br /> すると……<br /><br />  「なんだい、その古いギャングみたいな格好は?」<br /><br /> いきなり大笑いされた。<br /> 私は慌てて、口元を覆っていたハンカチを、襟首まで降ろした。<br /><br />  「だって……お掃除中……だったから」<br />  「――そうか。いろいろと、苦労をかけたね」<br />  「ううん。私こそ……いろいろと、ごめんなさい」<br /><br /> 本当は、もっと言いたいことがあったけれど。<br /> 声が詰まって、思うことが話せなくて。<br /><br /><br />  「いいんだよ」<br /><br /> どさり――と。<br /> お父さまは、ボストンバッグを脇に落として、私を抱きしめてくれた。<br /><br />  「もう、いいんだ」<br />  「…………うん。ありがとう」<br /><br /> 私は、爪先立ちをして、やっとの想いで、その広い胸に頬を寄せた。<br /><br />  「だいすき」<br />  「ああ、僕もだよ」<br /><br /> それは、父親として、娘を好きだと言ったのだろう。<br /> だけど……やっぱり、私は――この想いを、止められない。<br /> だから、今、伝えようと思った。<br />  <br />  <br />  「あの、ね」<br />  「うん?」<br />  「私…………どうしても、伝えたいことが……あるの」<br />  <br />  <br />  <br />  <br />  <br />  <br />  <br />  <br />  </p>

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