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『孤独の中の神の祝福』 後編」(2008/06/08 (日) 23:20:27) の最新版変更点

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<p align="left"> <br />  <br />  「明日は、会えないと思います。もしかしたら、明後日も」<br />  <br />  <br /> 見回りの看護士さんに咎められて、渋々と引き上げる間際、<br /> 雪華綺晶は、もらわれていく子犬みたいな、頼りない眼をして言った。<br /><br /> 手術に何時間かかるか分からないし、早く終わったとしても、麻酔が抜けきってないはず。<br /> 明後日も、鎮痛剤とか、いろいろ投薬されてるだろうし……<br /> ま、普通に考えても、とても歩き回れる状態じゃないわね、きっと。<br /><br /> だったら――<br /> 私は景気づけに彼女の背中をバシッ! と叩いて、笑顔で送り出した。<br /><br />  「元気だしてよ。お見舞いには、必ず行ってあげるから」<br /><br /> 「きっとですわよ?」と、雪華綺晶は縋るような眼差しのまま、去ってゆく。<br /> 何度も何度も、振り返り振り返り。<br /><br /> やがて、常夜灯だけが点る薄暗い廊下の向こうに、彼女のシルエットが消えた。<br /> 私は静寂の中に、ぽつんと立っていた。<br /> これでまた、独りっきり。そう思った途端、大きな喪失感が、私を呑み込んだ。<br /> 火が消えたようなって表現、そのものだった。<br /><br /> 胸が、キリキリと痛い。でも、発作じゃない。<br /> いつからか忘れてた――忘れたフリをしていた感情が、その痛みを生んでいる。<br /><br /> …………寂しい。<br /><br /><br /> このまま眠ることなんて、できない。気づいてしまったから。<br /> ベッドに入っても、きっと泣いてしまう。<br /><br /><br /> そう。ずっと、私は求めていたの。<br /> この孤独で枯れそうなココロに、恵みの雨を降らせて、潤してくれる存在を。<br /> 死に憧れたのだって、その先に在るかも知れない救済を、夢みていたからだ。<br /><br /> 結局のところ、私の中でも、天使は曖昧なイメージでしかなかった。<br /> 人でも動物でも、物でも、歌みたいな形のないモノでも……<br /> ここから私の魂を解き放ってくれるのなら、すべてが天使になり得たんだわ。<br /><br /> でも、いま私の胸には、確かな天使の像が宿っている。<br /> 眼を閉ざしても、瞼の裏に、その姿を描くことができる。<br /> だから、もう早く死にたいだなんて思わない。<br /> 独りで漠然と空を眺めることも、もうしない。<br /><br /><br />  「そうだ。おやすみって言うの忘れてた」<br /><br /> 我ながら、白々しい。会いに行きたいなら、ただ歩き出すだけでいいのに。<br /> そんなコトにさえ、口実を求めているなんて。<br /> ……ちょっと、素直な自分を、長いこと押し込めすぎてたみたい。<br />  <br />  <br /> 夜の病棟内は、怖いくらいに静かで、パジャマの衣擦れさえ、うるさく聞こえる。<br /> スリッパなんか履いていられない。<br /> 私は素足になると、背を屈めて、ネコのように素早く歩き始めた。<br />  <br /> 幸い、夜勤の看護士さんたちは全員、ナースステーションに詰めていた。<br /> お陰で、私は見咎められることなく、3階にある雪華綺晶の病室まで辿り着けた。<br /> 入り口のプレートで、室内の配置を確認――彼女のベッドは窓側の、向かって右。<br /><br /> それぞれのベッドは、L字型のレールに掛けられたカーテンで仕切られている。<br /> 耳をそばだてる……左右から聞こえてくるのは、規則ただしい寝息だけ。<br /> それでも、なるべく物音を立てないよう、慎重に足を運んだ。<br /> 窓際のベッドの左からは、カーテン越しに、鼾が聞こえた。<br /><br /> じゃあ、右のベッドは? と言えば、これが驚くほど静かだった。<br /> もう、眠っちゃったのかな。ついさっき別れたばかりなのに。<br /> ひょっとして、雪華綺晶って、かなり寝付きがいい?<br /><br />  「きらきー、起きてる?」<br /><br /> 囁いて、カーテンの端っこに人差し指だけ掛け、そぉ……っと開いてゆく。<br /> 息を殺し、覗き込んだ先には――<br /><br /> ――誰もいない。空っぽのベッドに手を差し入れても、温もりは残ってなかった。<br /> 病室は空調が効いていて、温度や湿度は一定に保たれている。<br /> この状況で、こんな短時間に、ベッドが冷えるワケがない。<br /><br /> 導かれる結論は、つまり、雪華綺晶は私と別れた後、ベッドに入ってないと言うこと。<br /> じゃあ、この夜更けに、彼女はどこへ? <br /> 着替えて、病院の外のコンビニまで、こっそり買い出しに行ったとか?<br /><br />  「まさか、ね。あり得ないわ」<br /><br /> 買い置きはあると言ってたし、やっぱり、病院のどこかに居るに違いない。<br /><br /><br /> もしかしたら――焦りにも似たウズウズ感が、私を突き動かす。<br /> 窓に降ろされたブラインドの隙間に、ゆっくりと指を差し入れる。<br /> そして、刑事ドラマよろしく指先で僅かにこじ開け、外の様子を窺った。<br /><br />  「やっぱり」<br /><br /> 私の勘は当たっていた。<br /> 雪華綺晶は、私たちの待ち合わせ場所だった木陰に、じっと立ち尽くしていた。<br /> 月光を浴びた彼女は、夜闇の中で、仄かに白く輝いて見える。<br /><br /><br />   まるで、幽霊みたい。<br /><br /><br /> 思った途端、雪華綺晶が顔を上げた。<br /> まるで、私の思念に引かれたように、まっすぐ、この病室を見つめている。<br /> 夜の暗い中で、しかも僅かな隙間にもかかわらず、窓越しに眼が合った。<br /> パッと破顔一笑した彼女は、優雅な仕種で、おいでおいでと手招きする。<br /><br /> 私が来ることを、予期してたの?<br /> それとも、不安で眠れず、散歩してたら、偶然この状況になった?<br /><br /> 分からない。でも、どうでもよかった。<br /> 私は雪華綺晶に会うために、わざわざ来たんだもの。<br /> 彼女が外にいるなら、私も外に行く。それだけのことよ。<br /><br /><br /> ブラインドから指を引き抜いて、私は速やかに病室を後にした。<br /> スリッパやサンダルは、病室に置いてきてしまったので、仕方なく素足のまま外に出た。<br /> 直に触れるタイルやアスファルトは、ひんやりしてて、意外に気持ちがいい。<br /> いつもの木のところに行くと、雪華綺晶は芝生に座って、膝を抱えていた。<br /><br />  「こんな夜中に、なにしてるの?」<br /><br /> 訊ねたら、「貴女こそ」と。<br /> 雪華綺晶は儚げな微笑みを浮かべて、傍らに立つ私を見上げる。<br /> 青白い月影の下で、彼女の唇は、異様に紅く見えた。<br /><br />  「どうして、私の病室にいらしたのですか」<br />  「それは……おやすみって、言ってなかったから」<br />  「寂しかったから、じゃなくて?」<br />  「有り体に言っちゃうと、そうかな」<br /><br /> 不思議なものよね。独り寝には慣れっこで、寂しいなんて思いもしなかったのに。<br /> いまでは、独りでいることを、嫌いになり始めている。<br /><br />  「隣、座ってもいい?」<br />  「どうぞ」<br /><br /> 私は雪華綺晶の隣に腰を降ろして、ひっそりと寝静まる病棟を仰ぎ見た。<br /> 更にその上には、ちらほらと星が瞬いている。<br /> そう言えば、ここのところ、あまり夜空を眺めてなかったなあ。<br /><br /> なんだか、小学校の夏休みに、家族で軽井沢に旅行したことが思い出された。<br /> あの頃は、パパもママも、今よりずっと近くにいてくれた。<br /> 私の心臓だって、まだ頻繁に発作を起こすこともなくて――<br /> パパは天体望遠鏡で、夏の星座を教えてくれたっけ。懐かしいな……とっても。<br /><br /><br />  「星を見るのは、お好き?」<br /><br /> 雪華綺晶に訊ねられて、私は「ええ」と首を振った。<br /><br />  「正しくは、夜空を眺めているのが好き。<br />   独りで、病室の窓を開け放して、じっと虚空を見つめているの。<br />   そうしているとね、黒い天使が舞い降りてくる気がして」<br />  「ソレって、悪魔と違いますの?」<br />  「天使も悪魔も、すべては主観の問題よ。本質は、どっちでもないわ」<br />  「……そうですわね」<br /><br /> 私たちは、また夜空に眼を向けた。いつになく静かな夜だ。<br /> 街灯の明るさに寝惚けたカラスが、時折、かぁ……と啼くくらいで。<br /> 病院の脇を走る国道からも、物音は響いてこない。<br /> 昼間は車が数珠つなぎになるくらい、混雑するのにね。<br /><br /><br />  「私の病気は――」<br /><br /> 静かすぎて、つい寝そうになった矢先、雪華綺晶の囁きが、私を起こした。<br /> 「右の視神経に、腫瘍ができているんです。どうも転移性の腫瘍みたいで」<br /><br />  「転移性って、ガンじゃないの、それ?」<br />  「詳しくは分かりませんけど。植物の種くらいの大きさで。<br />   お医者さまの説明では、視神経は左右で交叉してますし、脳にも繋がってますから、<br />   そちらへの影響を考えると、あまり強いお薬は使えないらしいんです」<br />  「でも、放っておくことも、できないんでしょ?」<br />  「ええ。放置すれば、いずれ左の視神経や下垂体、脳の他の部分にも腫瘍が転移して、<br />   両眼の失明――最悪のパターンでは、脳への重篤な障害も考えられると」<br /><br /> だから、手術で腫瘍を切除して、その後は定期的に効力の弱い薬を投与しながら、<br /> 経過を診るとのことだった。それを、だいたい5年くらい続けるんだって。<br /> まるっきりガンの治療法と同じね。<br /><br /> 今なら、まだ右眼だけで被害を食い止められる。<br /> 定期的な通院が必要にはなるけれど、元どおりの生活に戻れる。<br /> だったら、手術を受けるべきよね。<br /><br /><br />   元どおりになることと、治ることは、必ずしも同じではないのです。<br /><br /><br /> 私は、数日前に聞いた、雪華綺晶の言葉を思い出した。<br /> そっか。あれは、こういう意味だったのね。やっと解った。<br /><br /><br /><br /> その後、巡回の看護士さんに見つかりそうになった私たちは、<br /> 連れ立って病院の敷地に隣接する教会へと逃れた。<br /> 誰にも邪魔されずに、夜明けまで喋っていたい気分だったから。<br /><br /> 教会には、新旧ふたつの礼拝堂がある。<br /> 古い方はもう使われていなくて、近々、取り壊されるらしい。<br /> だから、近づく人は居ない。こんな夜中なら、尚のこと。<br /> そのせいか、扉は施錠もされていなかった。<br /><br />  「不用心ですわね。イタズラでもされたら、どうするのでしょう」<br />  「いいんじゃない? どうせ壊すんだし、火事で焼けたら手間が省けるでしょ」<br />  「また、不敬極まりないなコトを」<br /><br /> 祭具の類は、すべて新しい礼拝堂に移されたようで、がらんとしていた。<br /> 礼拝堂だった名残を留めているのは、整然と並んだ机と……<br /> かつて十字架が掲げられてただろう祭壇の、大きなステンドグラスだけ。<br /><br /> 私たちは祭壇に歩み寄って、それを見上げた。<br /><br /><br />  「見事なものよね。荘厳って感じで」<br />  「本当に……きれいですわ」<br /><br /> ステンドグラスには、天使が描かれている。ケルビムなのかな?<br /> 私、クリスチャンじゃないから、よく知らないんだけど。<br /><br />  「ねえ、きらきー。あなた、空を飛びたいって思ったこと、ある?」<br /><br /> 藪から棒な質問だったにも拘わらず、雪華綺晶は驚いた風もなく。<br /><br />  「ありますよ。実際、飛んでいますし」<br />  「え? ウソ!」<br /><br /> 逆に、私の方が驚かされていた。<br /> だいたい、実際に飛んでるってナニ? バンジージャンプか、なにか?<br /><br />  「実はね、私、趣味でパラモーターをしているんです」<br />  「パラモーター?」<br />  「エンジン付きパラグライダーですわ」<br />  「あ! あの扇風機みたいなの背負って飛ぶ、あれのこと?」<br />  「ええ。操作に慣れると、自由に空を飛べるので気持ちいいですわよ」<br /><br /> 大空を自由に飛んでいる光景を、思い浮かべてみる。<br /> もしかしたら、雪華綺晶と一緒に、空を飛べる日がくるかも知れないなぁって。<br /> そう思ってしまうと、あっさり死ぬのが惜しくなった。<br /><br />  「それって、私でも、すぐ飛べるようになる?」<br />  「貴女は……いつ発作が起こるか分かりませんし。単独飛行は、すすめられませんわね」<br />  「そんな死に方も、望むところだけど」<br />  「ダメです! どうしても飛びたいのでしたら、私が連れていってあげますわ。<br />   これでもライセンス持ちですから、タンデム飛行も、お手のモノですのよ」<br />  「ホント?!」<br />  「私が退院したら、めぐの体調がいい日に、外出許可をいただいてフライトしましょう」<br />  「最高っ! 私ったらツイてるわ~」<br /><br /> ずっと、蒼穹を眺めながら、空を飛びたいと願っていた。<br /> その夢は、ちょっと手を伸ばせば掴めそうなところに、確かにある。<br /> でも、なにかを得ようと思えば、必ず対価は求められるものだわ。<br /> 私には、ナニがある? 対価として払えるものを、私は持っている?<br /><br /> 考えてみて、愕然とした。<br /> ……なにもない。<br /><br />  「ゴメンね、雪華綺晶。私には、明日の手術、頑張ってとしか言えない。<br />   あなたは私の夢を叶えてくれようとしているのに、私は、なにもしてあげられない」<br /><br /> それが、ものすごく悔しかった。<br /> 知らず知らずのうちに、涙が溢れてくる。<br /> 私はただ、「ゴメンね」を繰り返すばかりで、結局、雪華綺晶を困らせている。<br /><br /> なのに、彼女は、涙に濡れる私の頬を、柔らかな手つきで包み込んで――<br />  <br />  <br />  「では、勇気をください」<br /><br /><br /> ――と。<br /> 意味を問い返す暇もなく、私の唇は、雪華綺晶の唇によって塞がれていた。<br /><br /> それが、どれだけ続いたのか、憶えていない。<br /> ただ、アタマが真っ白になって。<br /> いつの間にか、涙さえ止まっていた。<br /><br /><br />  「……んふ。めぐの唇、キャベツ太郎の味がしましたわ」<br />  「なっ?! ば、バカ……」<br /><br /> そりゃ確かに、病室でお喋りしながら食べてたわよ、キャベツ太郎。<br /> でもね、それを言ったら、雪華綺晶だって――<br /><br />  「あなただって、ハートチップルの匂いがするじゃない! ニンニクくさっ!」<br />  「うっ! それを言われると」<br />  「あーもうっ。ムードもなにもブチ壊しよ」<br />  「お菓子だけに、おかしな結末ですわね。お後がよろしいようで」<br />  「……最悪」<br /><br /> 本当に、顔から火が出るくらい恥ずかしくて、人生で最悪の出来事だった。<br /><br /> だけど、無かったことにするつもりも、なかった。<br /> 私が死の間際に立たされたときには、きっと、いい思い出になっていると予感していたから。<br /><br /><br />   ~  ~  ~<br /><br /><br /> そんなコトがあってから、およそ1ヶ月が過ぎた、ある日。<br /> 私は、雪華綺晶の操るパラモーターで、夢にまで見た大空を飛んでいた。<br /><br /> 彼女の手術は、無事に済んでいた。<br /> 右眼の視力を失ったものの、他への転移は、今のところ見られないと言う。<br /> そこで、私の体調を見ながら、主治医に外出許可をもらったの。<br /><br /> 不思議なことに、あれからの1ヶ月、私の体調は、すこぶる良かった。<br /> 心境の変化が、病状を劇的に快復させることがあるって話を聞くけれど、<br /> まさか、そんなことが自分の身に起こるだなんて、思ってもみなかったわ。<br /><br /><br />   病は気から。為せば成る……か。<br /><br /><br /> それにしても、なんて気持ちがいいんだろう。<br /> 眼下にも、周囲にも、私を閉じこめるものは、なにもない。<br /> 私は、雪華綺晶の耳元に顔を寄せて、モーターの音に負けないくらいの大声を出した。<br /><br />  「ありがとう、天使さん」<br /><br /> 私に向けられた彼女の瞳が、どういたしまして、と語りかけてくる。<br /><br /> 幸せだ。<br /> 本当に、私の人生で最高の、至福の瞬間だった。<br /><br /><br /> 夢が叶った。天使と共に、空を飛ぶ夢が。<br /> なんだか、ホッとしちゃった。<br /> もう、なにも思い残すことなんか……ない。<br /><br /> 無上の喜びに全身を包まれながら、私は――<br /> 雪華綺晶の頬にキスをして、彼女の肩に、頭を預けた。<br /><br /> そして、囁きかける。<br /> 彼女に聞こえようと、聞こえまいと、どっちでもよかった。<br /><br /><br />  「長かったわ、今日まで。本当に、長い長い闘病生活だった。<br />   ちょっと、疲れちゃった」<br /><br />  「……めぐ?」<br /><br /><br /> 雪華綺晶が呼びかけてくるけど、キニシナイ。<br /> 私は、深く息を吸い込んで。<br /><br /><br />  「もう……ゴールしても良いよね」<br /><br /><br /> 大きく吐息すると、そのまま、瞼を閉ざした。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />  <br />  「めぐ? ……めぐ?」<br />  <br />  <br />  <br />  「まさか…………そんな! こんなのウソよね?<br />   お願いですから、目を醒ましてっ! めぐっ!」<br />  <br />  <br />  <br /> あまりに狼狽えた声を出すものだから、もう我慢の限界。<br /> 私は笑いを堪えながら、目を開けた。<br />  <br />  「――――なワケないじゃぁぁん」<br />  「…………はぃ?」<br />  <br /> 雪華綺晶は、呆気にとられた様子で、すっかり涙目になっていた。<br /> もう少しだけ焦らしてたら、ホントに泣き出しちゃったかもね。<br /> それはそれで、見てみたかったけど……また次の機会のお楽しみってコトで。<br />  <br />  「ビックリした? 私、けっこう死んだフリが巧いでしょ」<br />  「ふ、ふふ……ふほほほ」<br />  <br /> ようやく、からかわれたと悟ったらしく。<br /> 半泣きの顔に、引きつった笑みを浮かべて、雪華綺晶は安堵を滲ませる。<br /> そして、次の瞬間!<br />  <br />  「もう貴女ゴールしちゃいなさいっ!」<br />  <br /> 彼女は般若のごとき形相で、私の頸を右手で鷲掴みにした。<br /> でも、そんなことをしたら――<br />  <br />  「ぐがが……ちょ、きら……操縦して……落ち」<br />  「ふえ? あわわわっ?! き、きゃーっ!」<br />  「いやぁーっ! 死んじゃうー!」<br />  <br />  <br />  <br />  <br /> ――と、まあ九死に一生を得る体験もしたけれど。<br /> 私は、ちゃんと生きている。たまに、雪華綺晶と一緒に、空も飛んでいる。<br /> やっぱり、天使が味方だと、死の方が逃げていくみたいね。<br />  <br />  <br />  <br /> 今日も、病室の窓から空を眺める。<br /> もうしないって決めてたけど、あれはウソ。<br />  <br />  <br />   だって、ほら――<br />  <br />  <br />   ここから見る世界には、パラモーターを操る天使が居るんだもの。<br />  <br />  <br />   <br />  <br />   ~終~ <br />  </p>
<p align="left"> <br />  <br />  「明日は、会えないと思います。もしかしたら、明後日も」<br />  <br />  <br /> 見回りの看護士さんに咎められて、渋々と引き上げる間際、<br /> 雪華綺晶は、もらわれていく子犬みたいな、頼りない眼をして言った。<br /><br /> 手術に何時間かかるか分からないし、早く終わったとしても、麻酔が抜けきってないはず。<br /> 明後日も、鎮痛剤とか、いろいろ投薬されてるだろうし……<br /> ま、普通に考えても、とても歩き回れる状態じゃないわね、きっと。<br /><br /> だったら――<br /> 私は景気づけに彼女の背中をバシッ! と叩いて、笑顔で送り出した。<br /><br />  「元気だしてよ。お見舞いには、必ず行ってあげるから」<br /><br /> 「きっとですわよ?」と、雪華綺晶は縋るような眼差しのまま、去ってゆく。<br /> 何度も何度も、振り返り振り返り。<br /><br /> やがて、常夜灯だけが点る薄暗い廊下の向こうに、彼女のシルエットが消えた。<br /> 私は静寂の中に、ぽつんと立っていた。<br /> これでまた、独りっきり。そう思った途端、大きな喪失感が、私を呑み込んだ。<br /> 火が消えたようなって表現、そのものだった。<br /><br /> 胸が、キリキリと痛い。でも、発作じゃない。<br /> いつからか忘れてた――忘れたフリをしていた感情が、その痛みを生んでいる。<br /><br /> …………寂しい。<br /><br /><br /> このまま眠ることなんて、できない。気づいてしまったから。<br /> ベッドに入っても、きっと泣いてしまう。<br /><br /><br /> そう。ずっと、私は求めていたの。<br /> この孤独で枯れそうなココロに、恵みの雨を降らせて、潤してくれる存在を。<br /> 死に憧れたのだって、その先に在るかも知れない救済を、夢みていたからだ。<br /><br /> 結局のところ、私の中でも、天使は曖昧なイメージでしかなかった。<br /> 人でも動物でも、物でも、歌みたいな形のないモノでも……<br /> ここから私の魂を解き放ってくれるのなら、すべてが天使になり得たんだわ。<br /><br /> でも、いま私の胸には、確かな天使の像が宿っている。<br /> 眼を閉ざしても、瞼の裏に、その姿を描くことができる。<br /> だから、もう早く死にたいだなんて思わない。<br /> 独りで漠然と空を眺めることも、もうしない。<br /><br /><br />  「そうだ。おやすみって言うの忘れてた」<br /><br /> 我ながら、白々しい。会いに行きたいなら、ただ歩き出すだけでいいのに。<br /> そんなコトにさえ、口実を求めているなんて。<br /> ……ちょっと、素直な自分を、長いこと押し込めすぎてたみたい。<br />  <br />  <br /> 夜の病棟内は、怖いくらいに静かで、パジャマの衣擦れさえ、うるさく聞こえる。<br /> スリッパなんか履いていられない。<br /> 私は素足になると、背を屈めて、ネコのように素早く歩き始めた。<br />  <br /> 幸い、夜勤の看護士さんたちは全員、ナースステーションに詰めていた。<br /> お陰で、私は見咎められることなく、3階にある雪華綺晶の病室まで辿り着けた。<br /> 入り口のプレートで、室内の配置を確認――彼女のベッドは窓側の、向かって右。<br /><br /> それぞれのベッドは、L字型のレールに掛けられたカーテンで仕切られている。<br /> 耳をそばだてる……左右から聞こえてくるのは、規則ただしい寝息だけ。<br /> それでも、なるべく物音を立てないよう、慎重に足を運んだ。<br /> 窓際のベッドの左からは、カーテン越しに、鼾が聞こえた。<br /><br /> じゃあ、右のベッドは? と言えば、これが驚くほど静かだった。<br /> もう、眠っちゃったのかな。ついさっき別れたばかりなのに。<br /> ひょっとして、雪華綺晶って、かなり寝付きがいい?<br /><br />  「きらきー、起きてる?」<br /><br /> 囁いて、カーテンの端っこに人差し指だけ掛け、そぉ……っと開いてゆく。<br /> 息を殺し、覗き込んだ先には――<br /><br /> ――誰もいない。空っぽのベッドに手を差し入れても、温もりは残ってなかった。<br /> 病室は空調が効いていて、温度や湿度は一定に保たれている。<br /> この状況で、こんな短時間に、ベッドが冷えるワケがない。<br /><br /> 導かれる結論は、つまり、雪華綺晶は私と別れた後、ベッドに入ってないと言うこと。<br /> じゃあ、この夜更けに、彼女はどこへ? <br /> 着替えて、病院の外のコンビニまで、こっそり買い出しに行ったとか?<br /><br />  「まさか、ね。あり得ないわ」<br /><br /> 買い置きはあると言ってたし、やっぱり、病院のどこかに居るに違いない。<br /><br /><br /> もしかしたら――焦りにも似たウズウズ感が、私を突き動かす。<br /> 窓に降ろされたブラインドの隙間に、ゆっくりと指を差し入れる。<br /> そして、刑事ドラマよろしく指先で僅かにこじ開け、外の様子を窺った。<br /><br />  「やっぱり」<br /><br /> 私の勘は当たっていた。<br /> 雪華綺晶は、私たちの待ち合わせ場所だった木陰に、じっと立ち尽くしていた。<br /> 月光を浴びた彼女は、夜闇の中で、仄かに白く輝いて見える。<br /><br /><br />   まるで、幽霊みたい。<br /><br /><br /> 思った途端、雪華綺晶が顔を上げた。<br /> まるで、私の思念に引かれたように、まっすぐ、この病室を見つめている。<br /> 夜の暗い中で、しかも僅かな隙間にもかかわらず、窓越しに眼が合った。<br /> パッと破顔一笑した彼女は、優雅な仕種で、おいでおいでと手招きする。<br /><br /> 私が来ることを、予期してたの?<br /> それとも、不安で眠れず、散歩してたら、偶然この状況になった?<br /><br /> 分からない。でも、どうでもよかった。<br /> 私は雪華綺晶に会うために、わざわざ来たんだもの。<br /> 彼女が外にいるなら、私も外に行く。それだけのことよ。<br /><br /><br /> ブラインドから指を引き抜いて、私は速やかに病室を後にした。<br /> スリッパやサンダルは、病室に置いてきてしまったので、仕方なく素足のまま外に出た。<br /> 直に触れるタイルやアスファルトは、ひんやりしてて、意外に気持ちがいい。<br /> いつもの木のところに行くと、雪華綺晶は芝生に座って、膝を抱えていた。<br /><br />  「こんな夜中に、なにしてるの?」<br /><br /> 訊ねたら、「貴女こそ」と。<br /> 雪華綺晶は儚げな微笑みを浮かべて、傍らに立つ私を見上げる。<br /> 青白い月影の下で、彼女の唇は、異様に紅く見えた。<br /><br />  「どうして、私の病室にいらしたのですか」<br />  「それは……おやすみって、言ってなかったから」<br />  「寂しかったから、じゃなくて?」<br />  「有り体に言っちゃうと、そうかな」<br /><br /> 不思議なものよね。独り寝には慣れっこで、寂しいなんて思いもしなかったのに。<br /> いまでは、独りでいることを、嫌いになり始めている。<br /><br />  「隣、座ってもいい?」<br />  「どうぞ」<br /><br /> 私は雪華綺晶の隣に腰を降ろして、ひっそりと寝静まる病棟を仰ぎ見た。<br /> 更にその上には、ちらほらと星が瞬いている。<br /> そう言えば、ここのところ、あまり夜空を眺めてなかったなあ。<br /><br /> なんだか、小学校の夏休みに、家族で軽井沢に旅行したことが思い出された。<br /> あの頃は、パパもママも、今よりずっと近くにいてくれた。<br /> 私の心臓だって、まだ頻繁に発作を起こすこともなくて――<br /> パパは天体望遠鏡で、夏の星座を教えてくれたっけ。懐かしいな……とっても。<br /><br /><br />  「星を見るのは、お好き?」<br /><br /> 雪華綺晶に訊ねられて、私は「ええ」と首を振った。<br /><br />  「正しくは、夜空を眺めているのが好き。<br />   独りで、病室の窓を開け放して、じっと虚空を見つめているの。<br />   そうしているとね、黒い天使が舞い降りてくる気がして」<br />  「ソレって、悪魔と違いますの?」<br />  「天使も悪魔も、すべては主観の問題よ。本質は、どっちでもないわ」<br />  「……そうですわね」<br /><br /> 私たちは、また夜空に眼を向けた。いつになく静かな夜だ。<br /> 街灯の明るさに寝惚けたカラスが、時折、かぁ……と啼くくらいで。<br /> 病院の脇を走る国道からも、物音は響いてこない。<br /> 昼間は車が数珠つなぎになるくらい、混雑するのにね。<br /><br /><br />  「私の病気は――」<br /><br /> 静かすぎて、つい寝そうになった矢先、雪華綺晶の囁きが、私を起こした。<br /> 「右の視神経に、腫瘍ができているんです。どうも転移性の腫瘍みたいで」<br /><br />  「転移性って、ガンじゃないの、それ?」<br />  「詳しくは分かりませんけど。植物の種くらいの大きさで。<br />   お医者さまの説明では、視神経は左右で交叉してますし、脳にも繋がってますから、<br />   そちらへの影響を考えると、あまり強いお薬は使えないらしいんです」<br />  「でも、放っておくことも、できないんでしょ?」<br />  「ええ。放置すれば、いずれ左の視神経や下垂体、脳の他の部分にも腫瘍が転移して、<br />   両眼の失明――最悪のパターンでは、脳への重篤な障害も考えられると」<br /><br /> だから、手術で腫瘍を切除して、その後は定期的に効力の弱い薬を投与しながら、<br /> 経過を診るとのことだった。それを、だいたい5年くらい続けるんだって。<br /> まるっきりガンの治療法と同じね。<br /><br /> 今なら、まだ右眼だけで被害を食い止められる。<br /> 定期的な通院が必要にはなるけれど、元どおりの生活に戻れる。<br /> だったら、手術を受けるべきよね。<br /><br /><br />   元どおりになることと、治ることは、必ずしも同じではないのです。<br /><br /><br /> 私は、数日前に聞いた、雪華綺晶の言葉を思い出した。<br /> そっか。あれは、こういう意味だったのね。やっと解った。<br /><br /><br /><br /> その後、巡回の看護士さんに見つかりそうになった私たちは、<br /> 連れ立って病院の敷地に隣接する教会へと逃れた。<br /> 誰にも邪魔されずに、夜明けまで喋っていたい気分だったから。<br /><br /> 教会には、新旧ふたつの礼拝堂がある。<br /> 古い方はもう使われていなくて、近々、取り壊されるらしい。<br /> だから、近づく人は居ない。こんな夜中なら、尚のこと。<br /> そのせいか、扉は施錠もされていなかった。<br /><br />  「不用心ですわね。イタズラでもされたら、どうするのでしょう」<br />  「いいんじゃない? どうせ壊すんだし、火事で焼けたら手間が省けるでしょ」<br />  「また、不敬極まりないなコトを」<br /><br /> 祭具の類は、すべて新しい礼拝堂に移されたようで、がらんとしていた。<br /> 礼拝堂だった名残を留めているのは、整然と並んだ机と……<br /> かつて十字架が掲げられてただろう祭壇の、大きなステンドグラスだけ。<br /><br /> 私たちは祭壇に歩み寄って、それを見上げた。<br /><br /><br />  「見事なものよね。荘厳って感じで」<br />  「本当に……きれいですわ」<br /><br /> ステンドグラスには、天使が描かれている。ケルビムなのかな?<br /> 私、クリスチャンじゃないから、よく知らないんだけど。<br /><br />  「ねえ、きらきー。あなた、空を飛びたいって思ったこと、ある?」<br /><br /> 藪から棒な質問だったにも拘わらず、雪華綺晶は驚いた風もなく。<br /><br />  「ありますよ。実際、飛んでいますし」<br />  「え? ウソ!」<br /><br /> 逆に、私の方が驚かされていた。<br /> だいたい、実際に飛んでるってナニ? バンジージャンプか、なにか?<br /><br />  「実はね、私、趣味でパラモーターをしているんです」<br />  「パラモーター?」<br />  「エンジン付きパラグライダーですわ」<br />  「あ! あの扇風機みたいなの背負って飛ぶ、あれのこと?」<br />  「ええ。操作に慣れると、自由に空を飛べるので気持ちいいですわよ」<br /><br /> 大空を自由に飛んでいる光景を、思い浮かべてみる。<br /> もしかしたら、雪華綺晶と一緒に、空を飛べる日がくるかも知れないなぁって。<br /> そう思ってしまうと、あっさり死ぬのが惜しくなった。<br /><br />  「それって、私でも、すぐ飛べるようになる?」<br />  「貴女は……いつ発作が起こるか分かりませんし。単独飛行は、すすめられませんわね」<br />  「そんな死に方も、望むところだけど」<br />  「ダメです! どうしても飛びたいのでしたら、私が連れていってあげますわ。<br />   これでもライセンス持ちですから、タンデム飛行も、お手のモノですのよ」<br />  「ホント?!」<br />  「私が退院したら、めぐの体調がいい日に、外出許可をいただいてフライトしましょう」<br />  「最高っ! 私ったらツイてるわ~」<br /><br /> ずっと、蒼穹を眺めながら、空を飛びたいと願っていた。<br /> その夢は、ちょっと手を伸ばせば掴めそうなところに、確かにある。<br /> でも、なにかを得ようと思えば、必ず対価は求められるものだわ。<br /> 私には、ナニがある? 対価として払えるものを、私は持っている?<br /><br /> 考えてみて、愕然とした。<br /> ……なにもない。<br /><br />  「ゴメンね、雪華綺晶。私には、明日の手術、頑張ってとしか言えない。<br />   あなたは私の夢を叶えてくれようとしているのに、私は、なにもしてあげられない」<br /><br /> それが、ものすごく悔しかった。<br /> 知らず知らずのうちに、涙が溢れてくる。<br /> 私はただ、「ゴメンね」を繰り返すばかりで、結局、雪華綺晶を困らせている。<br /><br /> なのに、彼女は、涙に濡れる私の頬を、柔らかな手つきで包み込んで――<br />  <br />  <br />  「では、勇気をください。それで契約しましょう」<br /><br /><br /> ――と。<br /> 意味を問い返す暇もなく、私の唇は、雪華綺晶の唇によって塞がれていた。<br /><br /> それが、どれだけ続いたのか、憶えていない。<br /> ただ、アタマが真っ白になって。<br /> いつの間にか、涙さえ止まっていた。<br /><br /><br />  「……んふ。めぐの唇、キャベツ太郎の味がしましたわ」<br />  「なっ?! ば、バカ……」<br /><br /> そりゃ確かに、病室でお喋りしながら食べてたわよ、キャベツ太郎。<br /> でもね、それを言ったら、雪華綺晶だって――<br /><br />  「あなただって、ハートチップルの匂いがするじゃない! ニンニクくさっ!」<br />  「うっ! それを言われると」<br />  「あーもうっ。ムードもなにもブチ壊しよ」<br />  「お菓子だけに、おかしな結末ですわね。お後がよろしいようで」<br />  「……最悪」<br /><br /> 本当に、顔から火が出るくらい恥ずかしくて、人生で最悪の出来事だった。<br /><br /> だけど、無かったことにするつもりも、なかった。<br /> 私が死の間際に立たされたときには、きっと、いい思い出になっていると予感していたから。<br /><br /><br />   ~  ~  ~<br /><br /><br /> そんなコトがあってから、およそ1ヶ月が過ぎた、ある日。<br /> 私は、雪華綺晶の操るパラモーターで、夢にまで見た大空を飛んでいた。<br /><br /> 彼女の手術は、無事に済んでいた。<br /> 右眼の視力を失ったものの、他への転移は、今のところ見られないと言う。<br /> そこで、私の体調を見ながら、主治医に外出許可をもらったの。<br /><br /> 不思議なことに、あれからの1ヶ月、私の体調は、すこぶる良かった。<br /> 心境の変化が、病状を劇的に快復させることがあるって話を聞くけれど、<br /> まさか、そんなことが自分の身に起こるだなんて、思ってもみなかったわ。<br /><br /><br />   病は気から。為せば成る……か。<br /><br /><br /> それにしても、なんて気持ちがいいんだろう。<br /> 眼下にも、周囲にも、私を閉じこめるものは、なにもない。<br /> 私は、雪華綺晶の耳元に顔を寄せて、モーターの音に負けないくらいの大声を出した。<br /><br />  「ありがとう、天使さん」<br /><br /> 私に向けられた彼女の瞳が、どういたしまして、と語りかけてくる。<br /><br /> 幸せだ。<br /> 本当に、私の人生で最高の、至福の瞬間だった。<br /><br /><br /> 夢が叶った。天使と共に、空を飛ぶ夢が。<br /> なんだか、ホッとしちゃった。<br /> もう、なにも思い残すことなんか……ない。<br /><br /> 無上の喜びに全身を包まれながら、私は――<br /> 雪華綺晶の頬にキスをして、彼女の肩に、頭を預けた。<br /><br /> そして、囁きかける。<br /> 彼女に聞こえようと、聞こえまいと、どっちでもよかった。<br /><br /><br />  「長かったわ、今日まで。本当に、長い長い闘病生活だった。<br />   ちょっと、疲れちゃった」<br /><br />  「……めぐ?」<br /><br /><br /> 雪華綺晶が呼びかけてくるけど、キニシナイ。<br /> 私は、深く息を吸い込んで。<br /><br /><br />  「もう……ゴールしても良いよね」<br /><br /><br /> 大きく吐息すると、そのまま、瞼を閉ざした。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />  <br />  「めぐ? ……めぐ?」<br />  <br />  <br />  <br />  「まさか…………そんな! こんなのウソよね?<br />   お願いですから、目を醒ましてっ! ねえっ! めぐっ!」<br />  <br />  <br />  <br /> あまりに狼狽えた声を出すものだから、もう我慢の限界。<br /> 私は笑いを堪えながら、目を開けた。<br />  <br />  「――――なワケないじゃぁぁん」<br />  「…………はぃ?」<br />  <br /> 雪華綺晶は、呆気にとられた様子で、すっかり涙目になっていた。<br /> もう少しだけ焦らしてたら、ホントに泣き出しちゃったかもね。<br /> それはそれで、見てみたかったけど……また次の機会のお楽しみってコトで。<br />  <br />  「ビックリした? 私、けっこう死んだフリが巧いでしょ」<br />  「ふ、ふは……ふひひひ」<br />  <br /> ようやく、からかわれたと悟ったらしく。<br /> 半泣きの顔に、引きつった笑みを浮かべて、雪華綺晶は安堵を滲ませる。<br /> そして、次の瞬間!<br />  <br />  「もう貴女ゴールしちゃいなさいっ!」<br />  <br /> 彼女は般若のごとき形相で、私の頸を右手で鷲掴みにした。<br /> でも、そんなことをしたら――<br />  <br />  「ぐがが……ちょ、きら……操縦して……落ち」<br />  「ふえ? あわわわっ?! き、きゃーっ!」<br />  「いやぁーっ! 死んじゃうー!」<br />  <br />  <br />  <br />  <br /> ――と、まあ九死に一生を得る体験もしたけれど。<br /> 私は、ちゃんと生きている。たまに、雪華綺晶と一緒に、空も飛んでいる。<br /> やっぱり、天使が味方だと、死の方が逃げていくみたいね。<br />  <br />  <br />  <br /> 今日も、病室の窓から空を眺める。<br /> もうしないって決めてたけど、あれはウソ。<br />  <br />  <br />   だって、ほら――<br />  <br />  <br />   ここから見る世界には、パラモーターを操る天使が居るんだもの。<br />  <br />  <br />   <br />  <br />   ~終~ <br />  </p>

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