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「『孤独の中の神の祝福』 中編」(2008/06/08 (日) 23:09:29) の最新版変更点
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<p align="left"> <br />
<br />
訊けば、雪華綺晶は私と同じ歳だという。<br />
彼女の落ち着いた雰囲気から、てっきり私より上だと思ってたけれど。<br />
それとも、まさか、私が子供っぽいだけとかじゃ……ないわよね。<br /><br />
私たちは木陰の芝生に場所を移して、隣り合わせに腰を降ろした。<br />
ヤブ蚊が出るかと危ぶんだけれど、ここには幸い、いないようね。<br />
よかった。これなら、のんびりと話ができそう。<br /><br />
「あ、そうそう。ねえ、きらきー」<br />
「きらきー?」<br />
「言ってたでしょ、好きに呼んでもいいって。<br />
だから、あなたは『天使きらきー』に決定!」<br />
「……はあ。解りましたわ。よく分かりませんけど」<br /><br />
雪華綺晶は、キョトンとした面持ちのまま、頷いた。<br />
そして、仕切りなおしとばかりに「ところで――」と、切り出す。<br /><br />
「初めに、なにか仰りかけてましたわね」<br />
「あぁ、そうだったわ。ちょっと、教えてもらいたかったのよ。<br />
あなたが歌ってた曲、なんていうの? 英語……じゃないわよね?」<br />
「シューベルトの『アヴェ・マリア』ですわ。歌詞は、ラテン語で。<br />
数あるアヴェ・マリアの中でも、特に知られた曲でしょうね」<br />
「ゴメン、知らなかった。クラシックって、あんまり詳しくないから」<br />
「でも、聴いたことはあるでしょう? テレビCMに、よく使われるし。<br />
映画『エクソシスト』でも使われてましたのよ」<br /><br />
それなら、見た憶えがある。と言っても、うろ覚えなんだけど。<br />
悪魔に憑かれた子供が、ベッドの上で両腕を広げ、歌っていたような……。<br /><br />
まあ、いいか。いまは映画の話よりも、雪華綺晶のことを知りたいから。<br /><br />
「また、聴かせてくれる?」<br />
「ええ。めぐのリクエストならば、いつでも」<br /><br />
嬉しいことを言ってくれる。<br />
やっぱり、この娘は私の願いを叶えてくれる天使だわ。<br />
そうよ。あなたは、孤独だった私に神が与えてくれた、私だけの天使。<br /><br />
「ところで、きらきーは、いつから入院していたの?<br />
私、随分と長くここに居るけれど、あなたのこと、今日まで知らなかった」<br />
「それは当然でしょう。だって、入院したのは今日ですもの。<br />
――近々、手術をするんです。この、右目の」<br /><br />
言って、彼女は白薔薇の眼帯を指差す。その声は、重たく沈んでいた。<br />
不安……なのかな。やっぱり怖いわよね。自分の身体を、他人任せにするのって。<br />
目の手術となれば、顔や頭部にメスを入れるかも知れないし……傷が残ったりとか。<br />
ああ、そうか。だから、私のところに来たのね。誰かとお喋りして、不安を紛らすために。<br /><br />
「すぐに、治りそう?」<br />
「……いいえ。分かってるんです。自分の身体だから。<br />
治らないものは、治らない――って」<br /><br />
あ、それ、私と同じ考えよ。<br />
同志を見つけた喜びから、つい笑い出しそうになるのを、私はグッと堪えた。<br />
だって、笑うことが罪深く思えるほど、雪華綺晶は悲しい顔をしていたから。<br /><br />
「治らないと解っていながら、それでも手術を受けるの?」<br />
「私の大切な人たちが、それを望んでいるんですもの」<br /><br />
彼女の一言が、私のココロの片隅に、嫉妬の火種を植えつけた。<br />
この娘を大切に想っているのは、私だけじゃない。<br />
そんなの当たり前だ。雪華綺晶には、包み込んでくれる温かい家族がいる。<br />
私なんかと違って、独りじゃないのよね。<br /><br /><br />
「あの――私、なにか気に障ること言いました?」<br /><br />
声に振り返ると、心配そうに見つめる雪華綺晶の顔があった。<br />
私は微笑んで、取り繕う。なんでもないわ、と。<br />
むりやり作った笑みだったから、相当ぎこちなかったハズだけど。<br /><br />
「実はね、私も手術の順番待ちなのよ。ここの……ね」<br />
「左胸…………乳ガン?」<br />
「違うってば。心臓よ」<br /><br />
故意にボケたのか、素で間違ったのかは判らない。<br />
でも、雪華綺晶のお陰で、私は素直な笑みを取り戻せた。<br /><br />
「私の心臓は、生まれたときから欠陥品なの。移植でしか、治る見込みがないって。<br />
その手術が成功したところで、拒絶反応がいつ起きるか判らないから、<br />
結局――病院とは縁を切れないワケよね。生きている間は、ずぅっと」<br /><br />
それを思えば憂鬱だ。死ぬと決まっているならば、焦らさないで欲しい。<br />
いっそ、一瞬で燃え尽きて、真っ白な灰になれたらいいのに。<br />
そうしたら、私の身体は風でちりぢりになって、どこへでも飛んでゆけるから。<br /><br />
「ねえ、きらきー。あなた、本は読む?」<br />
「少しは。目が疲れてしまうので、長時間つづけては無理ですけど」<br />
<br />
雪華綺晶は口で答えながら、同時に、琥珀色の瞳で問いかけてくる。<br />
どうして、そんなコトを訊くのか……と。<br /><br />
「ずっと前だけど、暇つぶしに読んでた小説にね、こう書いてあったのよ。<br />
未来は既に決まっていて、なるようにしか、ならないんだって」<br />
「神様のレシピ?」<br />
「そうそう! それよ。なぁんだ、あなたも読んでたのね」<br />
「偶然ですわね」<br /><br />
他愛ないこと。ただ、同じ本を読んでいただけのこと。<br />
冷静に考えれば、たいして面白くもない。<br />
それなのに、私たちは顔を合わせて、自然に笑い合っていた。<br /><br />
「ねえ、でも、それってとても文学的で、美しいと思わない?」<br />
「そうでしょうか?」<br />
「私は、そう考えてるわ。この状況も結構、気に入ってるの。<br />
治らないものは、治らない。なるようにしか、ならない。<br />
それなのに、漫然と何十年も生き続けるなんて、私はイヤ。<br />
一瞬だけ強く輝いて……潔く、パッと消えちゃいたいわ」<br />
「本心ですの、それ?」<br /><br />
雪華綺晶の口元には、相変わらず、笑みが湛えられている。<br />
けれど、返してくる口調は硬く、裏に憤りを隠していた。<br /><br />
「めぐ……私には貴女が、自棄になっているだけに見えます」<br />
「な、なに言って――」<br />
「では、なぜ最初から諦めてしまうの?<br />
神様のレシピ? なるようにしか、ならない?<br />
貴女はただ、他人の言葉を盾にとって、逃げているだけ」<br /><br />
違う。私は私なりに、前向きに生きている。<br />
向かっている先に、たまたま死があるだけであって、死を逃げ道にしてるワケじゃない。<br />
だいたい、それを言ったら手術してまで生き延びるほうが、死から逃げてるだけだわ。<br />
そう反駁すると、雪華綺晶は言葉を呑み込み、溜息を吐いた。<br /><br />
「――詭弁。ですが結局、どちらでもないのかも知れませんわね。<br />
主観の相違が呼び名を変えているだけで、物事の本質は、なにも変わらない。<br />
でも、やはり私は……めぐの生き方は、間違っていると思います」<br /><br />
面と向かって信念を否定されれば、誰だって癪に障るというもので。<br />
私もご多分に漏れず、腹立ち紛れに顔を背けた。<br />
……が、すぐに雪華綺晶の両手に頬を挟み込まれて、グイと向き直らされる。<br /><br />
「お聞きなさい、めぐ。この世界は決して、魂の牢獄などでは、ありません。<br />
神様という看守がレシピどおりに作ったエサを、与えられるまま貪る場所ではないの。<br />
自分たちの摂る食事は、自分たちでメニューを決めて、準備する自由がある。<br />
なるようにしか、ならない……って、裏を返せば『為せば成る』ということよ」<br />
「でも、あなただって、治らないものは治らないと諦めてたじゃない」<br />
「確かに。でも、元どおりになることと、治ることは、必ずしも同じではないのです」<br /><br />
私には、雪華綺晶の言っていることが解らない。<br />
こういう禅問答みたいなのって嫌いだわ。熱が出そう。<br /><br />
額に手を当てて、げんなりして見せると、雪華綺晶は、ころころと笑った。<br />
でも、小馬鹿にするような、嫌味な嗤いではなく……<br />
本当に愉しそうな、こっちまで楽しくなるような笑い声だった。<br /><br />
つられて、私も笑い出す。おなかの底から、楽しい気持ちが噴き出してくる。<br />
なんでだろう? よく解らない。解らないんだけど、それがまた可笑しかった。<br /><br /><br />
~ ~ ~<br /><br /><br />
雪華綺晶と知り合ってから、私は変わった……らしい。<br />
と言うのも、あまり自覚がないからだけど。<br />
他の入院患者さん、看護士さん、会う人みんな、機嫌よさそうだねと言う。<br /><br />
私、いままで根暗だった? <br />
そりゃまあ、以前は日がな一日、独りで空ばかり眺めてたけど。<br />
たった1日2日で、人の印象って変わるモノなのかしらん。<br /><br /><br />
「どうかした?」<br /><br />
右隣りに座る雪華綺晶が、親しげに、私の横顔を覗き込んでくる。<br />
ここ数日、時間さえあれば、私たちは木陰の芝生でお喋りをしていた。<br />
いつの間にか、ここが2人の待ち合わせ場所になってた。<br /><br />
考えてみたら、同い年の子と1日の大半を過ごすのって、久しぶり。<br />
病状が悪化して、入院を余儀なくされたのが、小学生の頃だから――<br />
かれこれ7年ぶり? ううん……もっとかな? 忘れちゃった。<br /><br />
「なんでもなーい。それより、きらきー。明日なのよね、あなたの手術」<br />
「ええ。正直、ちょっと怖いです」<br />
「ふぅん。あなたって結構、不敵というか、怖いモノ無しって感じだけど」<br />
「私だって、女の子ですもの。虚勢を張り続けられるほど、強くない」<br /><br />
沈んだ声で、そんな言い方をされたら、二の句が継げなくなってしまう。<br />
私が黙っていることで、雪華綺晶も、黙ったままで。<br />
埒のあかない時間が、無駄に過ぎてゆく。<br /><br /><br />
埒のあかない、無駄な時間。<br /><br /><br />
ココロに、その言葉が谺する。それって、私の人生そのものじゃないの?<br />
普通に暮らすことも、死ぬこともできずに……いつまで私、ここにいなきゃいけないの?<br /><br />
急に、胸がムカムカして、吐き気がこみ上げてきた。<br />
いつもの発作とは違う。でも、とんでもなく気持ち悪いのは同じ。<br />
心臓はメチャクチャなリズムを刻み、耳の奥で不愉快な旋律が奏でられる。<br /><br />
「ど、どうしたの?! めぐ! 顔色が悪いわ。気分が優れないの?」<br /><br />
雪華綺晶が、心配して呼びかけてくれてるのに、返事をする余裕もない。<br />
ぎゅぅっと左胸を押さえて、抗う。<br />
けれど、遠退いてゆく意識を捕まえることは、できなくて……<br />
目の前の景色が、世界のすべてが、回る。ぐるぐると、廻る。<br /><br />
「めぐっ! めぐっ! 待ってなさい、誰か呼んできますわ!」<br /><br />
肩を支えてくれていた腕が離れて、足音が遠ざかる。<br />
行かないで。そう叫んだけれど、したつもりになっただけで、おしまい。<br />
頬を刺す芝生の感触と、青臭い草の香と、土の臭い。私の周りには、それしかない。<br /><br /><br />
私……また…………独りぼっち。<br /><br /><br /><br /><br />
――歌が聞こえる。誰かが、手を握ってくれてる。<br /><br /><br />
――おばあちゃん?<br /><br /><br />
――違う。しわしわの手じゃない。すべすべで、柔らかくて、温かい手。<br /><br /><br />
――それに、この歌は……。<br /><br /><br /><br />
真っ白な世界を漂っていた私の意識が、なにかに引っかかった。<br />
それは私の魂と、意識の器が、ハーネスで結ばれた瞬間だったのかも知れない。<br />
お母さんと赤ちゃんが、へその緒で繋がるみたいに――<br /><br /><br />
目を醒ますと、私は見慣れた空間に居た。<br />
もう何年も暮らしてきた病室。使い続けてきたベッドと枕。<br />
ずっと空を眺めるだけだった大きな窓からは、仄かな残照が射し込んでいる。<br />
私にとっては、いつもどおりの、見飽きた景色だった。<br /><br />
狼狽えた雪華綺晶の声を聞いたことは、なんとか憶えている。<br />
駆け出してゆく足音に、待ってと言おうとしたことも。<br />
そこから先の記憶は、すっぽりと抜け落ちていた。<br />
もしかしたら、まだ夢の途中なのかな……なんて、思ったりする。<br /><br />
でも、これが夢ではない証拠も、ちゃんとある。<br />
私の手を包み込んでいる、温もり。<br />
私のために歌ってくれていた唇は、いま、圧し殺した嗚咽を漏らしていた。<br /><br /><br />
「ずっと付き添って……歌っててくれたのね。<br />
夢の中でも、聞こえてたわ。あなたの歌う『アヴェ・マリア』が」<br /><br />
あなたは、やっぱり私の天使よ。<br />
そう告げると、雪華綺晶は泣き顔を赤らめて、ふるふると頭を振った。<br /><br />
「私は、天使になんか、なれない」<br />
「じゃあ、今からなってよ。私の……私だけの天使に」<br />
「なったところで、奇跡なんか起こせませんって」<br />
「そばに居てくれるだけで良いのよ。お喋りしたり、歌とか歌ったり――」<br />
「それは天使ではなく、友だちの役目ではなくて?」<br /><br />
呼び方なんて、どうでもいいの。<br />
あなたは私に、大切なモノを与えてくれて、大切なコトを思い出させてくれる。<br />
その事実こそ――2人が出会えた奇跡こそが、偽りない本質なのだから。<br /><br /><br />
誰かはソレを、絆とも呼ぶでしょうけど。<br /><br /><br />
私は、雪華綺晶の手をギュッと握り返して、言う。<br /><br />
「まあ、とりあえず。あなたは涙を拭いて、鼻をかむべきだと思うの」<br />
「……でしたら、手を放してくださいよぉ」<br /><br />
ごもっとも。誠に失礼いたしました。<br />
私が苦笑しながら手を放すと、彼女は唇に笑みを作って腰を上げ、<br />
病室に備えつけの洗面台で、ざぶざぶと顔を洗った。<br /><br /><br />
それから、私たちは病室で一緒に、夜食を摂った。<br />
毎度のことだけど、病院食は味気なくて。<br /><br />
「これ、食べられたもんじゃないわよね」<br />
「贅沢は言いませんけど……量も少なくて、いっつも欲求不満になります」<br />
「2階の売店で、お菓子とかパンを買い溜めてたりする?」<br />
「もちろん。でも、私の病室は4人部屋なもので……<br />
他の人の迷惑になるから、夜中に間食できないんです。しくしくしく……」<br />
「あー解る解る。消灯時間が過ぎたら、ちょっとポテチは食べづらいわね。<br />
だったら、抜け出してきなさいよ。ここで食べればいいじゃない」<br />
「めぐ、ナイスアイディア」<br /><br />
――などなど。アレが食べたいコレが食べたい、とか。<br />
更に発展して、駅前のもんじゃ焼き店の『げろしゃぶ』ってメニューが美味しいらしい、とか。<br />
私たちは、絶えずスナック菓子に手を伸ばしながら、消灯時間まで盛り上がった。<br /><br />
久しく忘れていたけれど……やっぱり、友だちっていいな。<br />
他愛ないことでも、なんとなく楽しくて、安心できて、幸せで……。人生に友は必須だわ。<br />
でも、たくさんは要らない。振り回されるのは嫌いだから。<br /><br />
こういう気持ちって、いろんな呼び方があるけれど――<br />
コトの本質を宗教的に現すならば、きっと『神の祝福』なんだと思う。<br />
誰もが孤独だから、寂しい者同士で温めあえる術を、与えられたんだわ。<br /><br /><br />
なるように、なるように。<br />
<br />
<br />
<a href="http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/3800.html">後編につづく</a><br />
</p>
<p align="left"> <br />
<br />
訊けば、雪華綺晶は私と同じ歳だという。<br />
彼女の落ち着いた雰囲気から、てっきり私より上だと思ってたけれど。<br />
それとも、まさか、私が子供っぽいだけとかじゃ……ないわよね。<br /><br />
私たちは木陰の芝生に場所を移して、隣り合わせに腰を降ろした。<br />
ヤブ蚊が出るかと危ぶんだけれど、ここには幸い、いないようね。<br />
よかった。これなら、のんびりと話ができそう。<br /><br />
「あ、そうそう。ねえ、きらきー」<br />
「きらきー?」<br />
「言ってたでしょ、好きに呼んでもいいって。<br />
だから、あなたは『天使きらきー』に決定!」<br />
「……はあ。解りましたわ。よく分かりませんけど」<br /><br />
雪華綺晶は、キョトンとした面持ちのまま、頷いた。<br />
そして、仕切りなおしとばかりに「ところで――」と、切り出す。<br /><br />
「初めに、なにか仰りかけてましたわね」<br />
「あぁ、そうだったわ。ちょっと、教えてもらいたかったのよ。<br />
あなたが歌ってた曲、なんていうの? 英語……じゃないわよね?」<br />
「シューベルトの『アヴェ・マリア』ですわ。歌詞は、ラテン語で。<br />
数あるアヴェ・マリアの中でも、特に知られた曲でしょうね」<br />
「ゴメン、知らなかった。クラシックって、あんまり詳しくないから」<br />
「でも、聴いたことはあるでしょう? テレビCMに、よく使われるし。<br />
映画『エクソシスト』でも使われてましたのよ」<br /><br />
それなら、見た憶えがある。と言っても、うろ覚えなんだけど。<br />
悪魔に憑かれた子供が、ベッドの上で両腕を広げ、歌っていたような……。<br /><br />
まあ、いいか。いまは映画の話よりも、雪華綺晶のことを知りたいから。<br /><br />
「また、聴かせてくれる?」<br />
「ええ。めぐのリクエストならば、いつでも」<br /><br />
嬉しいことを言ってくれる。<br />
やっぱり、この娘は私の願いを叶えてくれる天使だわ。<br />
そうよ。あなたは、孤独だった私に神が与えてくれた、私だけの天使。<br /><br />
「ところで、きらきーは、いつから入院していたの?<br />
私、随分と長くここに居るけれど、あなたのこと、今日まで知らなかった」<br />
「それは当然でしょう。だって、入院したのは今日ですもの。<br />
――近々、手術をするんです。この、右目の」<br /><br />
言って、彼女は白薔薇の眼帯を指差す。その声は、重たく沈んでいた。<br />
不安……なのかな。やっぱり怖いわよね。自分の身体を、他人任せにするのって。<br />
目の手術となれば、顔や頭部にメスを入れるかも知れないし……傷が残ったりとか。<br />
ああ、そうか。だから、私のところに来たのね。誰かとお喋りして、不安を紛らすために。<br /><br />
「すぐに、治りそう?」<br />
「……いいえ。分かってるんです。自分の身体だから。<br />
治らないものは、治らない――って」<br /><br />
あ、それ、私と同じ考えよ。<br />
同志を見つけた喜びから、つい笑い出しそうになるのを、私はグッと堪えた。<br />
だって、笑うことが罪深く思えるほど、雪華綺晶は悲しい顔をしていたから。<br /><br />
「治らないと解っていながら、それでも手術を受けるの?」<br />
「私の大切な人たちが、それを望んでいるんですもの」<br /><br />
彼女の一言が、私のココロの片隅に、嫉妬の火種を植えつけた。<br />
この娘を大切に想っているのは、私だけじゃない。<br />
そんなの当たり前だ。雪華綺晶には、包み込んでくれる温かい家族がいる。<br />
私なんかと違って、独りじゃないのよね。<br /><br /><br />
「あの――私、なにか気に障ること言いました?」<br /><br />
声に振り返ると、心配そうに見つめる雪華綺晶の顔があった。<br />
私は微笑んで、取り繕う。なんでもないわ、と。<br />
むりやり作った笑みだったから、相当ぎこちなかったハズだけど。<br /><br />
「実はね、私も手術の順番待ちなのよ。ここの……ね」<br />
「左胸…………乳ガン?」<br />
「違うってば。心臓よ」<br /><br />
故意にボケたのか、素で間違ったのかは判らない。<br />
でも、雪華綺晶のお陰で、私は素直な笑みを取り戻せた。<br /><br />
「私の心臓は、生まれたときから欠陥品なの。移植でしか、治る見込みがないって。<br />
その手術が成功したところで、拒絶反応がいつ起きるか判らないから、<br />
結局――病院とは縁を切れないワケよね。生きている間は、ずぅっと」<br /><br />
それを思えば憂鬱だ。死ぬと決まっているならば、焦らさないで欲しい。<br />
いっそ、一瞬で燃え尽きて、真っ白な灰になれたらいいのに。<br />
そうしたら、私の身体は風でちりぢりになって、どこへでも飛んでゆけるから。<br /><br />
「ねえ、きらきー。あなた、本は読む?」<br />
「少しは。目が疲れてしまうので、長時間つづけては無理ですけど」<br />
<br />
雪華綺晶は口で答えながら、同時に、琥珀色の瞳で問いかけてくる。<br />
どうして、そんなコトを訊くのか……と。<br /><br />
「ずっと前だけど、暇つぶしに読んでた小説にね、こう書いてあったのよ。<br />
未来は既に決まっていて、なるようにしか、ならないんだって」<br />
「神様のレシピ?」<br />
「そうそう! それよ。なぁんだ、あなたも読んでたのね」<br />
「偶然ですわね」<br /><br />
他愛ないこと。ただ、同じ本を読んでいただけのこと。<br />
冷静に考えれば、たいして面白くもない。<br />
それなのに、私たちは顔を合わせて、自然に笑い合っていた。<br /><br />
「ねえ、でも、それってとても文学的で、美しいと思わない?」<br />
「そうでしょうか?」<br />
「私は、そう考えてるわ。この状況も結構、気に入ってるの。<br />
治らないものは、治らない。なるようにしか、ならない。<br />
それなのに、漫然と何十年も生き続けるなんて、私はイヤ。<br />
一瞬だけ強く輝いて……潔く、パッと消えちゃいたいわ」<br />
「本心ですの、それ?」<br /><br />
雪華綺晶の口元には、相変わらず、笑みが湛えられている。<br />
けれど、返してくる口調は硬く、裏に憤りを隠していた。<br /><br />
「めぐ……私には貴女が、自棄になっているだけに見えます」<br />
「な、なに言って――」<br />
「では、なぜ最初から諦めてしまうの?<br />
神様のレシピ? なるようにしか、ならない?<br />
貴女はただ、他人の言葉を盾にとって、逃げているだけ」<br /><br />
違う。私は私なりに、前向きに生きている。<br />
向かっている先に、たまたま死があるだけであって、死を逃げ道にしてるワケじゃない。<br />
だいたい、それを言ったら手術してまで生き延びるほうが、死から逃げてるだけだわ。<br />
そう反駁すると、雪華綺晶は言葉を呑み込み、溜息を吐いた。<br /><br />
「――詭弁。ですが結局、どちらでもないのかも知れませんわね。<br />
主観の相違が呼び名を変えているだけで、物事の本質は、なにも変わらない。<br />
でも、やはり私は……めぐの生き方は、間違っていると思います」<br /><br />
面と向かって信念を否定されれば、誰だって癪に障るというもので。<br />
私もご多分に漏れず、腹立ち紛れに顔を背けた。<br />
……が、すぐに雪華綺晶の両手に頬を挟み込まれて、グイと向き直らされる。<br /><br />
「お聞きなさい、めぐ。この世界は決して、魂の牢獄などでは、ありません。<br />
神様という看守がレシピどおりに作ったエサを、与えられるまま貪る場所ではないの。<br />
自分たちの摂る食事は、自分たちでメニューを決めて、準備する自由がある。<br />
なるようにしか、ならない……って、裏を返せば『為せば成る』ということよ」<br />
「でも、あなただって、治らないものは治らないと諦めてたじゃない」<br />
「確かに。でも、元どおりになることと、治ることは、必ずしも同じではないのです」<br /><br />
私には、雪華綺晶の言っていることが解らない。<br />
こういう禅問答みたいなのって嫌いだわ。熱が出そう。<br /><br />
額に手を当てて、げんなりして見せると、雪華綺晶は、ころころと笑った。<br />
でも、小馬鹿にするような、嫌味な嗤いではなく……<br />
本当に愉しそうな、こっちまで楽しくなるような笑い声だった。<br /><br />
つられて、私も笑い出す。おなかの底から、楽しい気持ちが噴き出してくる。<br />
なんでだろう? よく解らない。解らないんだけど、それがまた可笑しかった。<br /><br /><br />
~ ~ ~<br /><br /><br />
雪華綺晶と知り合ってから、私は変わった……らしい。<br />
と言うのも、あまり自覚がないからだけど。<br />
他の入院患者さん、看護士さん、会う人みんな、機嫌よさそうだねと言う。<br /><br />
私、いままで根暗だった? <br />
そりゃまあ、以前は日がな一日、独りで空ばかり眺めてたけど。<br />
たった1日2日で、人の印象って変わるモノなのかしらん。<br /><br /><br />
「どうかした?」<br /><br />
右隣りに座る雪華綺晶が、親しげに、私の横顔を覗き込んでくる。<br />
ここ数日、時間さえあれば、私たちは木陰の芝生でお喋りをしていた。<br />
いつの間にか、ここが2人の待ち合わせ場所になってた。<br /><br />
考えてみたら、同い年の子と1日の大半を過ごすのって、久しぶり。<br />
病状が悪化して、入院を余儀なくされたのが、小学生の頃だから――<br />
かれこれ7年ぶり? ううん……もっとかな? 忘れちゃった。<br /><br />
「なんでもなーい。それより、きらきー。明日なのよね、あなたの手術」<br />
「ええ。正直、ちょっと怖いです」<br />
「ふぅん。あなたって結構、不敵というか、怖いモノ無しって感じだけど」<br />
「私だって、女の子ですもの。虚勢を張り続けられるほど、強くない」<br /><br />
沈んだ声で、そんな言い方をされたら、二の句が継げなくなってしまう。<br />
私が黙っていることで、雪華綺晶も、黙ったままで。<br />
埒のあかない時間が、無駄に過ぎてゆく。<br /><br /><br />
埒のあかない、無駄な時間。<br /><br /><br />
ココロに、その言葉が谺する。それって、私の人生そのものじゃないの?<br />
普通に暮らすことも、死ぬこともできずに……いつまで私、ここにいなきゃいけないの?<br /><br />
急に、胸がムカムカして、吐き気がこみ上げてきた。<br />
いつもの発作とは違う。でも、とんでもなく気持ち悪いのは同じ。<br />
心臓はメチャクチャなリズムを刻み、耳の奥で不愉快な旋律が奏でられる。<br /><br />
「ど、どうしたの?! めぐ! 顔色が悪いわ。気分が優れないの?」<br /><br />
雪華綺晶が、心配して呼びかけてくれてるのに、返事をする余裕もない。<br />
ぎゅぅっと左胸を押さえて、抗う。<br />
けれど、遠退いてゆく意識を捕まえることは、できなくて……<br />
目の前の景色が、世界のすべてが、回る。ぐるぐると、廻る。<br /><br />
「めぐっ! めぐっ! 待ってなさい、誰か呼んできますわ!」<br /><br />
肩を支えてくれていた腕が離れて、足音が遠ざかる。<br />
行かないで。そう叫んだけれど、したつもりになっただけで、おしまい。<br />
頬を刺す芝生の感触と、青臭い草の香と、土の臭い。私の周りには、それしかない。<br /><br /><br />
私……また…………独りぼっち。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
――歌が聞こえる。誰かが、手を握ってくれてる。<br /><br /><br />
――おばあちゃん?<br /><br /><br />
――違う。しわしわの手じゃない。すべすべで、柔らかくて、温かい手。<br /><br /><br />
――それに、この歌は……。<br /><br /><br /><br />
真っ白な世界を漂っていた私の意識が、なにかに引っかかった。<br />
それは私の魂と、意識の器が、ハーネスで結ばれた瞬間だったのかも知れない。<br />
お母さんと赤ちゃんが、へその緒で繋がってるみたいに――<br /><br /><br />
目を醒ますと、私は見慣れた空間に居た。<br />
もう何年も暮らしてきた病室。使い続けてきたベッドと枕。<br />
ずっと空を眺めるだけだった大きな窓からは、仄かな残照が射し込んでいる。<br />
私にとっては、いつもどおりの、見飽きた景色だった。<br /><br />
狼狽えた雪華綺晶の声を聞いたことは、なんとか憶えている。<br />
駆け出してゆく足音に、待ってと言おうとしたことも。<br />
そこから先の記憶は、すっぽりと抜け落ちていた。<br />
もしかしたら、まだ夢の途中なのかな……なんて、思ったりする。<br /><br />
でも、これが夢ではない証拠も、ちゃんとある。<br />
私の手を包み込んでいる、温もり。<br />
私のために歌ってくれていた唇は、いま、圧し殺した嗚咽を漏らしていた。<br /><br /><br />
「ずっと付き添って……歌っててくれたのね。<br />
夢の中でも、聞こえてたわ。あなたの歌う『アヴェ・マリア』が」<br /><br />
あなたは、やっぱり私の天使よ。<br />
そう告げると、雪華綺晶は泣き顔を赤らめて、ふるふると頭を振った。<br /><br />
「私は、天使になんか、なれない」<br />
「じゃあ、今からなってよ。私の……私だけの天使に」<br />
「なったところで、奇跡なんか起こせませんって」<br />
「そばに居てくれるだけで良いのよ。お喋りしたり、歌とか歌ったり――」<br />
「それは天使ではなく、友だちの役目ではなくて?」<br /><br />
呼び方なんて、どうでもいいの。<br />
あなたは私に、大切なモノを与えてくれて、大切なコトを思い出させてくれる。<br />
その事実こそ――2人が出会えた奇跡こそが、偽りない本質なのだから。<br /><br /><br />
誰かはソレを、絆とも呼ぶでしょうけど。<br /><br /><br />
私は、雪華綺晶の手をギュッと握り返して、言う。<br /><br />
「まあ、とりあえず。あなたは涙を拭いて、鼻をかむべきだと思うの」<br />
「……でしたら、手を放してくださいよぉ」<br /><br />
ごもっとも。誠に失礼いたしました。<br />
私が苦笑しながら手を放すと、彼女は唇に笑みを作って腰を上げ、<br />
病室に備えつけの洗面台で、ざぶざぶと顔を洗った。<br /><br /><br />
それから、私たちは病室で一緒に、夜食を摂った。<br />
毎度のことだけど、病院食は味気なくて。<br /><br />
「これ、食べられたもんじゃないわよね」<br />
「贅沢は言いませんけど……量も少なくて、いっつも欲求不満になります」<br />
「2階の売店で、お菓子とかパンを買い溜めてたりする?」<br />
「もちろん。でも、私の病室は4人部屋なもので……<br />
他の人の迷惑になるから、夜中に間食できないんです。しくしくしく……」<br />
「あー解る解る。消灯時間が過ぎたら、ちょっとポテチは食べづらいわね。<br />
だったら、抜け出してきなさいよ。ここで食べればいいじゃない」<br />
「めぐ、ナイスアイディア」<br /><br />
――などなど。アレが食べたいコレが食べたい、とか。<br />
更に発展して、駅前のもんじゃ焼き店の『げろしゃぶ』ってメニューが美味しいらしい、とか。<br />
私たちは、絶えずスナック菓子に手を伸ばしながら、消灯時間まで盛り上がった。<br /><br />
久しく忘れていたけれど……やっぱり、友だちっていいな。<br />
他愛ないことでも、なんとなく楽しくて、安心できて、幸せで……。人生に友は必須だわ。<br />
でも、たくさんは要らない。振り回されるのは嫌いだから。<br /><br />
こういう気持ちって、いろんな呼び方があるけれど――<br />
コトの本質を宗教的に現すならば、きっと『神の祝福』なんだと思う。<br />
誰もが孤独だから、寂しい者同士で温めあえる術を、与えられたんだわ。<br /><br /><br />
なるように、なるように。<br />
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<a href="http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/3800.html">後編につづく</a><br />
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