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「『パステル』 -7-」(2008/06/08 (日) 23:48:53) の最新版変更点
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<p align="left"> <br />
<br />
「まーったく、おめーらときたら!」<br />
<br />
<br />
早朝の静けさを引き裂いて、応接間に轟く、ヒステリックなキンキン声。<br />
遠慮会釈もない衝撃波が、酒気の抜けきらない4人娘の脳天を突き抜ける。<br />
<br />
酔っていようが素面だろうが、むりやり眠りを破られるのは、不快なもの。<br />
真紅たちは顔を顰め、しょぼしょぼと恨みがましい双眸で、声の主を睨みつけた。<br />
<br />
「騒がしいわ、翠星石……静かにしてちょうだい」<br />
「まぁだ寝言ほざいてやがりますか、真紅っ!<br />
朝っぱらに呼びつけといて、酔いつぶれてるなんて、以ての外ですよ。<br />
ほんっとに、もう――呆れ果てて、言葉もないですぅ」<br />
「ウルサイなぁ、翠星石は。だったら、黙ってればいいのに」<br />
「……気が利かない……かしら~。うぅっ……アタマ痛ぃ」<br />
「きぃ――っ! 口の減らねえサラ金コンビですね。ムカツクですぅ!」<br />
<br />
翠星石と呼ばれたロングヘアーの娘は、独り、きゃんきゃんと捲したてて地団駄を踏む。<br />
そして、柳眉を逆立てたまま、隣に佇むショートヘアーの乙女に顔を巡らせるや、<br />
へたり込んでいる寝惚け娘たちをビシ! と指差した。<br />
<br />
「蒼星石も、このバカちん連中に、なんとか言ってやるですよっ」<br />
「まあまあ……。その辺にしておきなよ、姉さん」<br />
<br />
こんな風に、けしかけられる事には慣れているのだろう。<br />
蒼星石と呼ばれた娘は、いきりたつ姉の肩に手を置いて、彼女の怒りを和らげた。<br />
その一方、酒気に萎びた真紅たちにも顔を向け、ソツなく語りかける。<br />
<br />
「だけど、真紅。姉さんが怒るのも、当たり前だよ。もちろん、ボクも怒ってる。<br />
迎えに来させておきながら、約束の時間になっても、身支度さえしてないんだからね。<br />
サラと金糸雀だって、そろそろ開店準備を、始めなきゃいけないんじゃないのかい?」<br />
<br />
飲食店にとって、週末は書き入れ時だ。喫茶店『ジョナサン』とて、例外ではない。<br />
メニューには、簡単な料理やスイーツしか載せていないと言えども、<br />
怒濤のごときオーダーを手早くこなすには、それなりの下ごしらえが必要なのだ。<br />
サラは、時計を見るなり眉間に深い皺を刻んで、あくびを噛み殺した。<br />
<br />
「あっちゃ~。ちょっと寝過ぎたかも。金糸雀、急いで支度しなきゃ」<br />
「うぅ……シャワー浴びたい……かしら。まだ、お酒くさぃ……」<br />
「……確かに、髪とか臭いが残ってるわね。今なら、まだギリギリ……。<br />
よーし、速攻で浴びちゃうわよ。真紅ー、シャワー借りるねー!」<br />
「あうぅ~。かし……ら」<br />
「もー! しっかり歩いてよーっ!」<br />
<br />
二日酔いなのか、低血圧なのか……金糸雀は依然として、テンションの低いまま。<br />
なにを言われても、生返事しかしない。<br />
サラは小言を並べながら、金糸雀を引きずって、応接間を出ていった。<br />
どこに隠れていたのか、店の名前にもなった白黒の猫が、小走りに2人を追いかけていく。<br />
<br />
なんとまあ、傍若無人なことか。あまりのことに、雛苺は驚かされた。<br />
ここは真紅の自宅なのに……いくら友人とはいえ、好き勝手しすぎはしないか。<br />
<br />
ところが、真紅はと言うと、怒った様子でもなかった。<br />
年頃の娘が、だらしない――普段なら、決していい顔をしないだろう場面なのに、だ。<br />
あのくらいの勝手気ままな振る舞いは、どうやら、いつものコトらしい。<br />
それとも、当人も相当に酔いが残っているから、文句を言うのも億劫なのだろうか。<br />
<br />
「やれやれ。どいつもこいつも、しゃーねぇヤツらですぅ」<br />
<br />
代わって、翠星石が、腰に手をやって溜息を吐く。<br />
そして、今更ながら雛苺の存在に気づいて、ジロジロと無遠慮に目を注いだ。<br />
<br />
「ところで、真紅。このチビは……誰です? 金髪だし、妹とか従姉妹ですかね?<br />
それともぉ……ハッ! ま、ま、まさか、実の娘ですかぁ! はわわわ……」<br />
「姉さん、キミは少し黙っててくれないかな」<br />
<br />
ピシャリと咎められた翠星石は、子供のように拗ねて、唇を尖らせる。<br />
これでは、どちらが姉だか分かったものではない。<br />
もし、蒼星石を姉だと紹介されれば、十人が十人、信じるのではなかろうか。<br />
<br />
蒼星石は前屈みになって、ベタ座りしている雛苺に、整った笑顔を近づけた。<br />
ふわり……と、控えめながら品のいいフレグランスの香りが、雛苺の鼻先に漂う。<br />
服装や見た目はボーイッシュだけれど、やはり、蒼星石も女の子。<br />
それなりに、おしゃれには気を配っているらしい。<br />
<br />
「おはよう。あぁ……まずは、はじめまして、だね」<br />
「う、と……お、おはっ、めっましてなのっ!」<br />
「え? ふふっ、噛んじゃったね。かわいいよ」<br />
<br />
にこやかに相手を褒めるのは、お互いの距離を縮めるための、第一歩。<br />
さりげなく仕種が出てくる辺り、蒼星石は、なかなかに社交的なようだ。<br />
<br />
「そんなに緊張しないで」<br />
<br />
その優しげな笑みに、張り詰めていた緊張の糸を弛めたのも束の間――<br />
蒼星石の肩越しに、緋翠の瞳を爛々と燃えたたせた般若を見て、雛苺は息を呑んだ。<br />
「かわいい」だなんて蒼星石が口にしたものだから、翠星石の中で、<br />
ジェラシーのスイッチが入ってしまったらしい。<br />
<br />
雛苺の強張った表情と、背中にヒシヒシと伝わってくる気配から、<br />
蒼星石にも、およその見当はついた。<br />
<br />
――が、いちいち構っていたらキリがないことも承知していたので、<br />
ここは雛苺との話を優先させることにした。<br />
<br />
「ボクは、蒼星石。後ろにいる般若が、双子の姉の翠星石」<br />
「だっ、誰が般若ですかぁーっ!」<br />
「真紅から聞いていると思うけど、茶畑の管理を任されているんだ」<br />
「うよー。すっごいのー」<br />
「コラぁ! 人の話を聞けですぅー!」<br />
<br />
またぞろ喚きだした翠星石は放っておいて、雛苺は素直に感嘆した。<br />
真紅の話だと、畑には5人が常駐しているという。<br />
つまり、この姉妹は、最低でも3人の部下を使う立場にあるワケだ。<br />
若い身空で、そこまで社会的信頼を置かれるのは、並大抵のことではない。<br />
<br />
この双子の姉妹は、植物学かなにかのエキスパートなのだろうか。<br />
どういった経緯で、真紅と知り合いに? 雛苺の中で、興味が膨らんでゆく。<br />
……が、それを訊ねるのは後回し。<br />
<br />
「ヒナは、雛苺って名前なの。こう見えても、美術大学の学生なのよ」<br />
<br />
まずは、自己紹介を済ませておくのが礼儀だ。<br />
雛苺だって、子供ではない。そのくらいの節度は、わきまえている。<br />
説明の続きは、そのまま真紅が引き継いだ。<br />
<br />
「雛苺とは、昨日の朝、駅前のターミナルで出逢ったのだわ。<br />
絵のテーマを探すために、旅をしているんですって。<br />
それで、うちの茶畑を紹介してあげようと思って、貴女たちを呼んだのよ」<br />
「なるほどね。そういうコトか」<br />
「やっとこさ、状況が把握できたですぅ」<br />
<br />
<br />
日曜日の早朝に呼び出された理由と、ナゾの客人。<br />
それらが明らかになったものの、蒼星石と翠星石は、顔を見合わせた。<br />
<br />
「どうしようか? ボクは、案内することに異存ないけど」<br />
「私は――正直なところ……素人の立ち入りは、あんまり歓迎できないです。<br />
これからが、萌芽の大切な時期ですから」<br />
<br />
冬を越した茶樹は、陽気が春めいてくるに従って、新芽を伸ばし始める。<br />
この新芽が、4月の下旬から5月にかけて収穫され、一番茶として加工されるのだ。<br />
<br />
彼女たちの商標である紅茶『ローザミスティカ』は、高品質を売りにしている。<br />
それ故に、こだわりや意気込みは、並々ならないものがあるのだろう。<br />
ジャンルは違えど、創作に身を置く雛苺には、翠星石の気持ちがよく解った。<br />
<br />
――でも。だからこそ、より強く興味を惹かれたのも、また事実。<br />
そこまで情熱を傾けて管理された茶畑とは、どんなにステキな景色なのだろう。<br />
翠星石が渋ったことで、雛苺の『見たい』という欲求は尚更に刺激され、強められた。<br /><br />
「ヒナ、絶対にお仕事の邪魔なんかしないし、畑に入ったりもしないのよ。<br />
なんだったら、車に閉じこめてくれてもいいから……連れてって欲しいの」<br />
「私からもお願いするわ、翠星石」<br /><br />
ここぞとばかりに、真紅が助け船を出す。<br />
「駐車場から眺めるだけですもの。作業の邪魔には、ならないはずよ」<br /><br />
蒼星石は異存なし。その上、真紅にまで言われては、翠星石も強く反撥できない。<br />
「しゃーねぇです」と、不承不承ながら頷く彼女を見て、真紅は満足げに微笑んだ。<br /><br />
「決まりね。雛苺、なにをボーっとしているの。早く顔を洗ってきなさい」<br />
「はい、なのっ!」<br />
<br />
雛苺はデイパックからタオルを抜き出して、跳ねるように洗面所へと向かった。<br />
よっぽど、茶畑に行けることが嬉しかったのだろう。<br />
遠退く小さな背を見送りながら、翠星石はまた「しゃーねぇです」と吐息する。<br />
けれど、先程のソレと打って変わって、彼女の口振りには親しみと温かみが込められていた。<br /><br />
「さぁて。あいつらの準備が終わるのを待つ間に、朝食を用意しといてやるですよ」<br />
「あら、気が利くじゃない翠星石。いい子ね」<br />
「……くわぁ~、白々しいですぅ」<br /><br />
言って、翠星石は鼻を鳴らした。「最初っから、そのつもりだったクセに」<br /><br />
「え? ちょっと、真紅。それホントなの?」<br /><br />
双子の姉妹から、じっとりした視線を浴びせられても、真紅は涼しい顔。<br />
悪びれるどころか、楚々と笑って切り返した。<br /><br />
「さ……時間がないわ。まずは紅茶を煎れてちょうだい。大至急よ」<br />
<br />
<br />
~ ~ ~<br />
<br />
<br />
やっと車1台が通れるほどの細い林道が、針葉樹の森を貫いて、走っている。<br />
舗装はされているものの、アスファルトは割れ、ところどころ陥没していた。<br />
おまけに、ガードレールも、ほとんど設置されていないときている。<br />
片側は、急勾配の斜面。ハンドル操作を誤れば、それで一巻の終わりだ。<br /><br />
だが、翠星石の運転する白い軽トラックは、まったく危なげなく登ってゆく。<br />
ほぼ毎日、ここを通っているだけあって、さすがに慣れたものである。<br />
翠星石のハンドル捌きに安堵しつつ、雛苺は、隣に座る蒼星石を横目に見た。<br /><br />
彼女たちは、搭載物の見張りも兼ねて、荷台に陣取っていた。<br />
サスペンションは効いているが、シートに比べれば、乗り心地は雲泥の差だ。<br />
悪路ゆえに揺れも酷く、座ったままだと、すぐに臀部が痛くなった。<br />
おまけに、ひどく寒い。防寒服を重ね着しているにも拘わらず、凍えるようだ。<br /><br />
「あ、あの――」<br /><br />
口を開いた途端……ガタン! 不意の縦揺れに、雛苺は舌を噛みそうになった。<br />
なるべく喋らないようにと、出発の際にも、蒼星石から注意を受けていた。<br />
けれども、木立の中を走っていると、どうにもココロが逸ってしまって……<br />
雛苺は、揺れの合間を計りながら、早口調子で蒼星石に話しかけた。<br /><br />
「この林道の、どの辺で、真紅は片腕を失うほどの事故を起こしたの?」<br />
「もうすぐ、そこを通るよ。急カーブになっていてね。あ……ほら。ここさ」<br /><br />
3人の娘を載せた軽トラックが、徐行しながらカーブを曲がってゆく。<br />
その通り抜け様、蒼星石は、まだ新しいガードレールを指差し、睫毛を伏せた。<br />
事故が起きたために、新設されたのだろう。<br /><br />
ひょいと頸を伸ばして、覗き込んだガードレールの向こうは、深い谷。<br />
雛苺は思わず身震いすると、蒼星石の腕に縋りついた。<br /><br />
「こんなところから落ちたなんて……死んじゃっても、おかしくないのよ」<br />
「ホントにね。よく助かったものだよ。真紅も、水銀燈も――」<br /><br />
蒼星石の言葉に、雛苺の心臓が一拍する。<br />
ずっと胸に引っかかっていた名前。訊きたかったことが、そこにあった。<br />
<br />
<br />
「蒼星石は、水銀燈のことを知ってるなの?」<br />
「……うん。知っているよ。とても、よく知ってる」<br />
<br />
ふぅ――と。彼女が小さく息を吐いたのは、回想のための孤独を求めたから。<br />
それは実に効果的に、雛苺の沈黙を促し、目的を遂げる。<br /><br />
およそ1分ほど、荷台の上で揺られるだけの時間が過ぎて――<br />
蒼星石は、木漏れ日を眩しそうに見あげると、唇を開いた。<br /><br />
「ボクも、姉さんも、真紅や水銀燈と、同じ高校に通っていたんだ。<br />
彼女たちが3年生で、ボクたちは新入生でね。接点なんて、ナニもなかった。<br />
でも……ほら、姉さんって目立つじゃない? 良くも悪くも。<br />
それで、真紅たちも『面白い子がいる』って噂を、聞きつけたらしくて」<br /><br />
雛苺は今朝のことを思い返して、さもありなん、と頷いた。<br />
ただでさえ、学校なんて狭いコミュニティーでのこと。<br />
あんなに向こうっ気が強かったら、嫌でも注目の的になろう。<br /><br />
「蒼星石も、大変なのね」<br />
「まあ……そんな風に思ったことはない、と言ったらウソになるけど。<br />
でもね、姉さんは決して、理不尽な人じゃないんだよ。<br />
ただ、真っ直ぐな金属棒みたいな性格だから、折り合いをつけるのが難しいだけで」<br />
「……ふぅん。蒼星石は、翠星石のよき理解者なのねー」<br />
「そりゃあね。ボクにとっては、1番大切な人だもの。今のところは、だけど」<br /><br />
いきなり、軽トラックが横にブレた。<br />
運転席から、わざとらしい咳払いが、げふんげふん……。<br />
どうやら、今の会話を漏れ聞いていた翠星石が、ハンドル操作を誤ったらしい。<br />
雛苺と蒼星石は、内心『運転に集中しててよ!』と毒づきながら、青ざめた顔を見合わせた。<br />
<br />
<br />
「――で、話を戻すけど」<br />
「うい。真紅たちとは、どんな感じに知り合ったの?」<br />
「キッカケは、なんだったのかな? よく憶えてないんだ。<br />
いつの間にか顔見知りで、先輩と後輩として、それなりに交流もあったよ。<br />
でも、たった1年間じゃあ、親友と呼び合えるほどの距離にはなれなくてね。<br />
彼女たちが卒業してしまうと、それっきり。すぐに疎遠になっていった」<br />
「……ところが、それっきりじゃなかったのね」<br />
「うん。不思議なものだよ、人の縁って。<br />
どこからか運ばれてきた種子のようにね、気づくと、そこに芽吹いている」<br />
<br />
感慨深そうに放った言葉は、頼りない白の塊となって、早春の山林に溶けてゆく。<br />
蒼星石は、それを儚むように、新たな吐息を付け加えた。<br />
<br />
「そんな奇遇に恵まれたのは、ボクがまだ、学生の頃だったっけ。<br />
ある老紳士と、知り合いになってね。その人は、結菱と名乗ったんだ」<br />
「……それ、もしかして、あの結菱グループの?」<br />
「うん。そのときは知らなかったから、かなり失礼なこと喋った憶えがあるよ。<br />
でも、どういうワケか気に入られちゃって、ずっと懇意にしてもらってるんだ。<br />
――で、ある日、教えられた。この山の周辺一帯は、結菱グループの所有地だ、と」<br />
「それじゃあ、真紅たちと再会したのって――」<br /><br />
雛苺の推量を、蒼星石が首肯する。<br />
真紅や水銀燈と、偶然にも再会した場所は、結菱氏の屋敷だったと言う。<br />
そこで、蒼星石は彼女たちの計画を聞かされ、微力ながら手伝うことを決めたのだ。<br /><br />
結果は、現状のとおり。交渉は成立して、事業も順調に成長を続けている。<br />
一番の決め手となったのは、真紅の父と、サラの父親のバックアップだった。<br />
ビジネスとなると、どうしても社会的な地位や、財力がモノを言う。<br />
<br />
「彼らの存在なくしては、結菱氏も頷かなかっただろうね」と、蒼星石は語った。<br />
真紅が、サラの所行に甘い顔をするのも、そう言う背景があるからなのか。<br />
訊ねた雛苺に、蒼星石は、そっと首を横に振って見せた。<br />
<br />
「真紅は、変わったよ。本当に、凪いだ海みたいに穏やかで、懐が深くなった。<br />
あの事故で、身体と事業――ふたつの右腕を失ってから」<br />
「じゃあ、その前は、どんな人だったの?」<br />
「ん……と、そうだね。喩えるなら、薔薇のような乙女。<br />
気安く触れることを躊躇ってしまうほどの、鋭利な刺々しさがあったよ。<br />
それに、たとえ親友でも、自分の持ち物を勝手にいじったら容赦しなくて……。<br />
だからね、今朝みたいな賑々しい光景は、以前なら絶対になかったんだ」<br />
<br />
雛苺の脳裏に、サラや金糸雀の、奔放な姿が浮かんでくる。<br />
翠星石と蒼星石が、台所でトーストと目玉焼きを作っている光景が、思い出される。<br />
そんな彼女たちを見つめ、愛おしそうに目を細めた真紅の、優しい笑顔も――<br />
<br />
「まるで、憑き物が落ちたみたいに」<br />
<br />
蒼星石の一言が、雛苺のココロの泉に、ぽちゃん……と落ちて、波紋を広げた。<br />
そう。実際、そうなのだろう。<br />
カンペキであろうとして、真紅は、淑女を象った鎧を纏っていた。<br />
押し付けられた理想。とてつもなく重たい枷によって、自縄自縛に陥っていた。<br /><br />
不幸な欠落。後悔と、慚愧。心に刻まれた烙印。<br />
あの事故によって、真紅が心身に受けたダメージは、雛苺の計り知れるものではない。<br />
だが、それは同時に、彼女を抑え込んでいた枷が、壊されたことも意味していた。<br /><br />
一切の虚飾を捨て去って、自分の足で歩けるようになった、真紅――<br />
いまの彼女を見たとき、水銀燈は、なにを思うだろう。<br />
そんなことを、雛苺は思った。<br />
<br />
<br />
もう二度と、その機会は訪れないかも知れないのに。<br />
<br />
<br />
<br />
-<a href="http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/3802.html">to be
continued</a>-<br />
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<br />
「まったく、おめーらときたら!」<br />
<br />
早朝の静けさを引き裂いて、応接間に轟く、ヒステリックなキンキン声。<br />
遠慮会釈もない衝撃波が、酒気の抜けきらない4人娘の脳天を突き抜ける。<br />
<br />
酔っていようが素面だろうが、むりやり眠りを破られるのは、不快なもの。<br />
真紅たちは顔を顰め、しょぼしょぼと恨みがましい双眸で、声の主を睨みつけた。<br />
<br />
「騒がしいわ、翠星石……静かにしてちょうだい」<br />
「まぁだ寝言ほざいてやがりますか、真紅っ!<br />
朝っぱらに呼びつけといて、酔いつぶれてるなんて、以ての外ですよ。<br />
ほんっとに、もう――呆れ果てて、言葉もないですぅ」<br />
「ウルサイなぁ、翠星石は。だったら、黙ってればいいのに」とサラ。<br />
「……気が利かない……かしら~。うぅっ……アタマ痛ぃ」そこに金糸雀も続いた。<br />
「きぃ――っ! 口の減らねえサラ金コンビですね。ムカツクですぅ!」<br />
<br />
翠星石と呼ばれたロングヘアーの娘は、独り、きゃんきゃんと捲したてて地団駄を踏む。<br />
そして、柳眉を逆立てたまま、隣に佇むショートヘアーの乙女に顔を巡らせるや、<br />
へたり込んでいる寝惚け娘たちをビシ! と指差した。<br />
<br />
「蒼星石も、このバカちん連中に、なんとか言ってやるですよっ」<br />
「まあまあ……。その辺にしておきなよ、姉さん」<br />
<br />
こんな風に、けしかけられるコトには慣れているのだろう。<br />
蒼星石と呼ばれた娘は、いきりたつ姉の肩に手を置いて、彼女の怒りを和らげた。<br />
その一方、酒気に萎びた真紅たちにも顔を向け、ソツなく語りかける。<br />
<br />
「だけど、真紅。姉さんが怒るのも、当たり前だよ。もちろん、ボクも怒ってるからね。<br />
呼びつけておきながら、約束の時間になっても身支度さえしてないなんて、どういうコトなのさ。<br />
サラと金糸雀だって、そろそろ開店準備を、始めなきゃいけないんじゃないのかい?」<br />
<br />
飲食店にとって、週末は書き入れ時だ。喫茶店『ジョナサン』とて、例外ではない。<br />
メニューには、簡単な料理やスイーツしか載せていないと言えども、<br />
怒濤のごときオーダーを手早くこなすには、それなりの下ごしらえが必要なのだ。<br />
サラは、時計を見るなり眉間に深い皺を刻んで、あくびを噛み殺した。<br />
<br />
「あっちゃ~。ちょっと寝過ぎたかも。金糸雀、急いで支度しなきゃ」<br />
「うぅ……シャワー浴びたい……かしら。まだ、お酒くさぃ……」<br />
「……確かに、髪とか臭いが残ってるわね。今なら、まだギリギリ……。<br />
よーし、速攻で浴びちゃうわよ。真紅ー、シャワー借りるねー!」<br />
「あうぅ~。かし……ら」<br />
「もー! しっかり歩いてよーっ!」<br />
<br />
二日酔いなのか、低血圧なのか……金糸雀は依然として、テンションの低いまま。<br />
なにを言われても、生返事しかしない。<br />
サラは小言を並べながら、金糸雀を引きずって、応接間を出ていった。<br />
どこに隠れていたのか、店の名前にもなった白黒の猫が、小走りに2人を追いかけていく。<br />
<br />
なんとまあ、傍若無人なことか。あまりのことに、雛苺は驚かされた。<br />
ここは真紅の自宅なのに……いくら友人とはいえ、好き勝手しすぎはしないか。<br />
<br />
ところが、真紅はと言うと、怒った様子でもなかった。<br />
年頃の娘が、だらしない――普段なら、決していい顔をしないだろう場面なのに、だ。<br />
あのくらいの勝手気ままな振る舞いは、どうやら、いつものコトらしい。<br />
それとも、当人も相当に酔いが残っているから、文句を言うのも億劫なのだろうか。<br />
<br />
「やれやれ。どいつもこいつも、しゃーねぇヤツらですぅ」<br />
<br />
代わって、翠星石が、腰に手をやって溜息を吐く。<br />
そして、今更ながら雛苺の存在に気づいて、ジロジロと無遠慮に目を注いだ。<br />
<br />
「ところで、真紅。このチビは……誰です? 金髪だし、妹とか従姉妹ですかね?<br />
それともぉ……ハッ! ま、ま、まさか、実の娘ですかぁ! はわわわ……」<br />
「姉さん、キミは少し黙っててくれないかな」<br />
<br />
ピシャリと咎められた翠星石は、子供のように拗ねて、唇を尖らせる。<br />
これでは、どちらが姉だか分かったものではない。<br />
もし、蒼星石を姉だと紹介されれば、十人が十人、信じるのではなかろうか。<br />
<br />
蒼星石は前屈みになって、ベタ座りしている雛苺に、整った笑顔を近づけた。<br />
ふわり……と、控えめながら品のいいフレグランスの香りが、雛苺の鼻先に漂う。<br />
服装や見た目はボーイッシュだけれど、やはり、蒼星石も女の子。<br />
それなりに、おしゃれには気を配っているらしい。<br />
<br />
「おはよう。あぁ……まずは、はじめまして、だね」<br />
「う、と……お、おはっ、めっましてなのっ!」<br />
「え? ふふっ、噛んじゃったね。かわいいよ」<br />
<br />
にこやかに相手を褒めるのは、お互いの距離を縮めるための、第一歩。<br />
さりげなく仕種が出てくる辺り、蒼星石は、なかなかに社交的なようだ。<br />
<br />
「そんなに緊張しないで」<br />
<br />
その優しげな笑みに、張り詰めていた緊張の糸を弛めたのも束の間――<br />
蒼星石の肩越しに、緋翠の瞳を爛々と燃えたたせた般若を見て、雛苺は息を呑んだ。<br />
「かわいい」だなんて蒼星石が口にしたものだから、翠星石の中で、<br />
ジェラシーのスイッチが入ってしまったらしい。<br />
<br />
雛苺の強張った表情と、背中にヒシヒシと伝わってくる気配から、<br />
蒼星石にも、およその見当はついた。<br />
<br />
――が、いちいち構っていたらキリがないことも承知していたので、<br />
ここは雛苺との話を優先させることにした。<br />
<br />
「ボクは、蒼星石。後ろにいる般若が、双子の姉の翠星石」<br />
「だっ、誰が般若ですかぁーっ!」<br />
「真紅から聞いていると思うけど、茶畑の管理を任されているんだ」<br />
「うよー。すっごいのー」<br />
「コラぁ! 人の話を聞けですぅー!」<br />
<br />
またぞろ喚きだした翠星石は放っておいて、雛苺は素直に感嘆した。<br />
真紅の話だと、畑には5人が常駐しているという。<br />
つまり、この姉妹は、最低でも3人の部下を使う立場にあるワケだ。<br />
若い身空で、そこまで社会的信頼を置かれるのは、並大抵のことではない。<br />
<br />
この双子の姉妹は、植物学かなにかのエキスパートなのだろうか。<br />
どういった経緯で、真紅と知り合いに? 雛苺の中で、興味が膨らんでゆく。<br />
……が、それを訊ねるのは後回し。<br />
<br />
「ヒナは、雛苺って名前なの。こう見えても、美術大学の学生なのよ」<br />
<br />
まずは、自己紹介を済ませておくのが礼儀だ。<br />
雛苺だって、子供ではない。そのくらいの節度は、わきまえている。<br />
説明の続きは、そのまま真紅が引き継いだ。<br />
<br />
「雛苺とは、昨日の朝、駅前のターミナルで出逢ったのだわ。<br />
絵のテーマを探すために、旅をしているんですって。<br />
それで、うちの茶畑を紹介してあげようと思って、貴女たちを呼んだのよ」<br />
「なるほどね。そういうコトか」<br />
「やっとこさ、状況が把握できたですぅ」<br />
<br />
日曜日の早朝に呼び出された理由と、ナゾの客人。<br />
それらが明らかになったものの、蒼星石と翠星石は、顔を見合わせた。<br />
<br />
「どうしようか? ボクは、案内することに異存ないけど」<br />
「私は――正直なところ……素人の立ち入りは、あんまり歓迎できないです。<br />
これからが、萌芽の大切な時期ですから」<br />
<br />
冬を越した茶樹は、陽気が春めいてくるに従って、新芽を伸ばし始める。<br />
この新芽が、4月の下旬から5月にかけて収穫され、一番茶として加工されるのだ。<br />
<br />
彼女たちの商標である紅茶『ローザミスティカ』は、高品質を売りにしている。<br />
それ故に、こだわりや意気込みは、並々ならないものがあるのだろう。<br />
ジャンルは違えど、創作に身を置く雛苺には、翠星石の気持ちがよく解った。<br />
<br />
――でも。だからこそ、より強く興味を惹かれたのも、また事実。<br />
そこまで情熱を傾けて管理された茶畑とは、どんなにステキな景色なのだろう。<br />
翠星石が渋ったことで、雛苺の『見たい』という欲求は尚更に刺激され、強められた。<br />
<br />
「ヒナ、絶対にお仕事の邪魔なんかしないし、畑に入ったりもしないのよ。<br />
なんだったら、車に閉じこめてくれてもいいから……連れてって欲しいの」<br />
「私からもお願いするわ、翠星石」<br />
<br />
ここぞとばかりに、真紅が助け船を出す。<br />
「駐車場から眺めるだけですもの。作業の邪魔には、ならないはずよ」<br />
<br />
蒼星石は異存なし。その上、真紅にまで言われては、翠星石も強く反撥できない。<br />
「しゃーねぇです」と、不承不承ながら頷く彼女を見て、真紅は満足げに微笑んだ。<br />
<br />
「決まりね。雛苺、なにをボーっとしているの。早く顔を洗ってきなさい」<br />
「はい、なのっ!」<br />
<br />
雛苺はデイパックからタオルを抜き出して、跳ねるように洗面所へと向かった。<br />
よっぽど、茶畑に行けることが嬉しかったのだろう。<br />
遠退く小さな背を見送りながら、翠星石はまた「しゃーねぇです」と吐息する。<br />
けれど、先程のソレと打って変わって、彼女の口振りには親しみと温かみが込められていた。<br />
<br />
「さぁて。あいつらの準備が終わるのを待つ間に、朝食を用意しといてやるですよ」<br />
「あら、気が利くじゃない翠星石。いい子ね」<br />
「……くわぁ~、白々しいですぅ」<br />
<br />
言って、翠星石は鼻を鳴らした。「最初っから、そのつもりだったクセに」<br />
<br />
「え? ちょっと、真紅。それホントなの?」<br />
<br />
双子の姉妹から、じっとりした視線を浴びせられても、真紅は涼しい顔。<br />
悪びれるどころか、楚々と笑って切り返した。<br />
<br />
「さ……時間がないわ。まずは紅茶を煎れてちょうだい。大至急よ」<br />
<br />
<br />
~ ~ ~<br />
<br />
やっと車1台が通れるほどの細い林道が、針葉樹の森を貫いて、走っている。<br />
舗装はされているものの、アスファルトは割れ、ところどころ陥没していた。<br />
おまけに、ガードレールも、ほとんど設置されていないときている。<br />
片側は、急勾配の斜面。ハンドル操作を誤れば、それで一巻の終わりだ。<br />
<br />
だが、翠星石の運転する白い軽トラックは、まったく危なげなく登ってゆく。<br />
ほぼ毎日、ここを通っているだけあって、さすがに慣れたものである。<br />
翠星石のハンドル捌きに安堵しつつ、雛苺は、隣に座る蒼星石を横目に見た。<br />
<br />
彼女たちは、搭載物の見張りも兼ねて、荷台に陣取っていた。<br />
サスペンションは効いているが、シートに比べれば、乗り心地は雲泥の差だ。<br />
悪路ゆえに揺れも酷く、座ったままだと、すぐに臀部が痛くなった。<br />
おまけに、ひどく寒い。防寒服を重ね着しているにも拘わらず、凍えるようだ。<br />
<br />
「あ、あの――」<br />
<br />
口を開いた途端……ガタン! 不意の縦揺れに、雛苺は舌を噛みそうになった。<br />
なるべく喋らないようにと、出発の際にも、蒼星石から注意を受けていた。<br />
けれども、木立の中を走っていると、どうにもココロが逸ってしまって……<br />
雛苺は、揺れの合間を計りながら、早口調子で蒼星石に話しかけた。<br />
<br />
「この林道の、どの辺で、真紅は片腕を失うほどの事故を起こしたの?」<br />
「もうすぐ、そこを通るよ。急カーブになっていてね。あ……ほら。ここさ」<br />
<br />
3人の娘を載せた軽トラックが、徐行しながらカーブを曲がってゆく。<br />
その通り抜け様、蒼星石は、まだ新しいガードレールを指差し、睫毛を伏せた。<br />
事故が起きたために、新設されたのだろう。<br />
<br />
ひょいと頸を伸ばして、覗き込んだガードレールの向こうは、深い谷。<br />
雛苺は思わず身震いすると、蒼星石の腕に縋りついた。<br />
<br />
「こんなところから落ちたなんて……死んじゃっても、おかしくないのよ」<br />
「ホントにね。よく助かったものだよ。真紅も、水銀燈も――」<br />
<br />
蒼星石の言葉に、雛苺の心臓が一拍する。<br />
ずっと胸に引っかかっていた名前。訊きたかったことが、そこにあった。<br />
<br />
「蒼星石は、水銀燈のことを知ってるなの?」<br />
「……うん。知っているよ。とても、よく知ってる」<br />
<br />
ふぅ――と。彼女が小さく息を吐いたのは、回想のための孤独を求めたから。<br />
それは実に効果的に、雛苺の沈黙を促し、目的を遂げる。<br />
<br />
およそ1分ほど、荷台の上で揺られるだけの時間が過ぎて――<br />
蒼星石は、木漏れ日を眩しそうに見あげると、唇を開いた。<br />
<br />
「ボクも、姉さんも、真紅や水銀燈と、同じ高校に通っていたんだ。<br />
彼女たちが3年生で、ボクたちは新入生でね。接点なんて、ナニもなかった。<br />
でも……ほら、姉さんって目立つじゃない? 良くも悪くも。<br />
それで、真紅たちも『面白い子がいる』って噂を、聞きつけたらしくて」<br />
<br />
雛苺は今朝のことを思い返して、さもありなん、と頷いた。<br />
ただでさえ、学校なんて狭いコミュニティーでのこと。<br />
あんなに向こうっ気が強かったら、嫌でも注目の的になろう。<br />
<br />
「蒼星石も、大変なのね」<br />
「まあ……そんな風に思ったことはない、と言ったらウソになるけど。<br />
でもね、姉さんは決して、理不尽な人じゃないんだよ。<br />
ただ、真っ直ぐな金属棒みたいな性格だから、折り合いをつけるのが難しいだけで」<br />
「……ふぅん。蒼星石は、翠星石のよき理解者なのねー」<br />
「そりゃあね。ボクにとっては、1番大切な人だもの。今のところは、だけど」<br />
<br />
いきなり、軽トラックが横にブレた。<br />
運転席から、わざとらしい咳払いが、げふんげふん……。<br />
どうやら、今の会話を漏れ聞いていた翠星石が、ハンドル操作を誤ったらしい。<br />
雛苺と蒼星石は、内心『運転に集中しててよ!』と毒づきながら、青ざめた顔を見合わせた。<br />
<br />
「――話を戻すけど」<br />
「うい。真紅たちとは、どんな感じに知り合ったの?」<br />
「キッカケは、なんだったのかな? よく憶えてないんだ。<br />
いつの間にか顔見知りで、先輩と後輩として、それなりに交流もあったよ。<br />
でも、たった1年間じゃあ、親友と呼び合えるほどの距離にはなれなくてね。<br />
彼女たちが卒業してしまうと、それっきり。すぐに疎遠になっていった」<br />
「……ところが、それっきりじゃなかったのね」<br />
「うん。不思議なものだよ、人の縁って。<br />
どこからか運ばれてきた種子のようにね、気づくと、そこに芽吹いている」<br />
<br />
感慨深そうに放った言葉は、頼りない白の塊となって、早春の山林に溶けてゆく。<br />
蒼星石は、それを儚むように、新たな吐息を付け加えた。<br />
<br />
「そんな奇遇に恵まれたのは、ボクがまだ、学生の頃だったっけ。<br />
ある老紳士と、知り合いになってね。その人は、結菱と名乗ったんだ」<br />
「……それ、もしかして、あの結菱グループの?」<br />
「うん。そのときは知らなかったから、かなり失礼なこと喋った憶えがあるよ。<br />
でも、どういうワケか気に入られちゃって、ずっと懇意にしてもらってるんだ。<br />
――で、ある日、教えられた。この山の周辺一帯は、結菱グループの所有地だ、と」<br />
「それじゃあ、真紅たちと再会したのって――」<br />
<br />
雛苺の推量を、蒼星石が首肯する。<br />
真紅や水銀燈と、偶然にも再会した場所は、結菱氏の屋敷だったと言う。<br />
そこで、蒼星石は彼女たちの計画を聞かされ、微力ながら手伝うことを決めたのだ。<br />
<br />
結果は、現状のとおり。交渉は成立して、事業も順調に成長を続けている。<br />
一番の決め手となったのは、真紅の父と、サラの父親のバックアップだった。<br />
ビジネスとなると、どうしても社会的な地位や、財力がモノを言う。<br />
<br />
「彼らの存在なくしては、結菱氏も頷かなかっただろうね」と、蒼星石は語った。<br />
真紅が、サラの所行に甘い顔をするのも、そう言う背景があるからなのか。<br />
訊ねた雛苺に、蒼星石は、そっと首を横に振って見せた。<br />
<br />
「真紅は、変わったよ。本当に、凪いだ海みたいに穏やかで、懐が深くなった。<br />
あの事故で、身体と事業――ふたつの右腕を失ってから」<br />
「じゃあ、その前は、どんな人だったの?」<br />
「ん……と、そうだね。喩えるなら、薔薇のような乙女。<br />
気安く触れることを躊躇ってしまうほどの、鋭利な刺々しさがあったよ。<br />
それに、たとえ親友でも、自分の持ち物を勝手にいじったら容赦しなくて……。<br />
だからね、今朝みたいな賑々しい光景は、以前なら絶対になかったんだ」<br />
<br />
雛苺の脳裏に、サラや金糸雀の、奔放な姿が浮かんでくる。<br />
翠星石と蒼星石が、台所でトーストと目玉焼きを作っている光景が、思い出される。<br />
そんな彼女たちを見つめ、愛おしそうに目を細めた真紅の、優しい笑顔も――<br />
<br />
「憑き物が落ちたみたいに、変わったんだ」<br />
<br />
蒼星石の一言が、雛苺のココロの泉に、ぽちゃん……と落ちて、波紋を広げた。<br />
そう。実際、そうなのだろう。<br />
カンペキであろうとして、真紅は、淑女を象った鎧を纏っていた。<br />
押し付けられた理想。とてつもなく重たい枷によって、自縄自縛に陥っていた。<br />
<br />
不幸な欠落。後悔と、慚愧。心に刻まれた烙印。<br />
あの事故によって、真紅が心身に受けたダメージは、雛苺の計り知れるものではない。<br />
だが、それは同時に、彼女を抑え込んでいた枷が、壊されたことも意味していた。<br />
<br />
一切の虚飾を捨て去って、自分の足で歩けるようになった、真紅――<br />
いまの彼女を見たとき、水銀燈は、なにを思うだろう。<br />
そんなことを、雛苺は思った。もう二度と、その機会は訪れないかも知れないのに。<br />
<br />
<br />
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-<a href="http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/3802.html">to be
continued</a>-<br />
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</p>