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『パステル』 -3-」(2008/04/12 (土) 00:29:35) の最新版変更点

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<p> <br />  <br />  <br /> 雛苺は、まるで手品でも見るかのような眼差しを、真紅の所作へと注いでいた。<br /> 女主人は、客人の奇異な視線を気にする風もなく、片腕だけで紅茶を注いで見せる。<br /> ひとつひとつの仕種が、無駄のない、習熟した職人の洗練された技を思わせる。<br /> 優雅ですらあった。<br /><br />  「お待ちどおさま。さあ、どうぞ。冷めないうちに」<br /><br /> ティーカップを載せたソーサーが、ことり……。硬い音を立てて、雛苺の前に置かれた。<br /> 深紅の液体からは、温かな湯気と、得も言えぬ薫香が立ちのぼってくる。<br /> ここで生産されている、真紅ご自慢の紅茶『ローザミスティカ』なのだろう。<br /> お茶請けに……と、てんこ盛りの桜餅も供された。<br /><br /> けれど、上質の紅茶も、美味しそうなお菓子でさえ、雛苺の関心を惹かない。<br /> 無礼と承知しつつも、彼女の眼は、どうしても真紅の右肩へと向いてしまう。<br /> ただならぬ気配を察したらしく、真紅は品よく唇に三日月を描き、右肩に左手を添えた。<br /><br />  「気になる? やっぱり」<br />  「ちゃ、あぅ……。ご、ごめんなさい」<br />  「いいのよ、別に。見られることには、慣れているもの」<br /><br /> 彼女の立場上、広い人脈と面会するのは、いつものこと。<br /> しかも、衆目を集めてやまない美貌を、真紅は天より与えられている。<br /> 畢竟、隻腕も好奇の目に晒されてしまうわけだ。否応もなく。<br /><br /> 義手は、使わないの? そんな言葉が、喉までこみ上げ、今しも溢れそうになる。<br /> 雛苺はティーカップを手にすると、その質問を、お茶で肺腑に押し戻した。<br /> ついさっき出会ったばかりの他人が、気安く口出しできるような問題ではない。<br /> ありのままの姿でいるのも、彼女なりの考えあってのことだろう。<br /><br /><br /> 二人の間に横たわる、山脈のような、高く重たい静寂。<br /> その割に、音だけは――<br /> マントルピースの上に置かれた振り子時計のリズムは、やけに大きく聞こえた。<br /> 急かすように、からかうように。カチ……カチ……。<br /><br /><br /> どうにも、いたたまれない。居心地が悪くて、尾骨の辺りがウズウズする。<br /> 雛苺はティーカップの縁を啄みながら、対座する乙女を、上目遣いに窺った。<br /> なにか……この沈黙を押し退けるほどに勢いのある話題は、ないものかしら?<br /><br /> けれど、真紅は、雛苺の煩悶など、どこ吹く風で。<br /> うっとりと瞼を閉ざし、紅茶の味と香りに酔いしれている。<br /><br /> もっと、紅茶のことを知っておけばよかった。<br /> そうしたら、楽しくお喋りできるのに。<br /> 今更な後悔が、雛苺のアタマを掠める。<br /> しかし、このまま黙っていたくはなかった。<br /> 偶然にも触れ合えた絆を、無為にほどいてしまうのは惜しい。<br /><br /> 言葉に窮してしまうのは、お互いのことを知らなすぎるから。<br /> ならば、簡単なことだ。共通の話題を、暗中模索していけばいい。<br /> 雛苺はさりげなく、応接間を見回した。<br /> そして……真紅の背後、真鍮の振り子を煌めかす置き時計の横に、ソレを見つけた。<br /><br />  「ねえねえ、真紅~。あの写真、見せてもらってもいい?」<br /><br /> 指差された先を振り返って、真紅は微かに、白い喉を波だたせた。<br /> パッと見には判らないほどの、些細な変化。<br /> 雛苺の鋭敏な瞳を以てしてもなお、捉えるのが、やっとの機微だった。<br /><br /><br /> 「ええ、どうぞ」と。真紅は腰を上げて、フォトスタンドを手にした。<br /> 彼女の手と比較してみると、それが随分と大振りな一品であることが判る。<br /> 収められている写真も、2L版サイズらしい。<br /><br />  「これ――大学院に在籍していた頃に、図書館前の広場で撮ったのよ」<br /><br /> 言って、真紅はフォトスタンドを、雛苺に差し出した。<br /> 雛苺は軽く会釈して、賞状でも貰うかのように恭しく、それを受け取った。<br /><br /><br /> 2人の乙女が、青々とした芝生に腰を下ろし、肩を寄せ合っている写真――<br /> 真紅と、彼女の学友らしい銀髪の娘が、くつろいだ笑みを浮かべている。<br /> 撮影された季節は、だいたい、5~6月くらいか。<br /> 彼女たちや芝生に降り注いでいる日射しに、真夏ほどの強さは感じられない。<br /><br /> 2人とも、私服の上に、白衣をつっかけていた。真紅の右腕も、まだある。<br /> どんな研究をしていたのかしら? 格好からして、理工系?<br /> 学生生活を話題にするのは、妙案かもしれない。<br /><br /><br /> 改めて、雛苺は写真に見入った。<br /> この頃の真紅にはまだ、服装や面差しに、あどけなさが見え隠れしている。<br /> 現在の彼女を紅いバラに喩えるならば、学生時代の真紅は、ピンクのチューリップだろうか。<br /> どこか刺々しい印象の可憐さではなく、奥ゆかしく柔らかで、愛嬌に満ちた美しさがある。<br /><br />  「うよー。とっても初々しくって、かわいいのよ~」<br />  「……なんだか、いまの私が、擦れっ枯らしみたいに聞こえるわね」<br />  「考え過ぎなの~」<br /><br /> 雛苺は写真から目を離すことなく、すげなく切り返した。<br /><br /> それにしても、と。雛苺は、思わず嘆息した。<br /> 真紅もさることながら、隣りに座る銀髪の娘は、これまた抜きん出た美貌の持ち主だ。<br /> 女の子である雛苺でさえ、息を呑み、羨んでしまうほどの。<br /> 白衣で遮られていても、スタイルや、ファッションセンスの良さが垣間見える。<br /> こうして並んでみると、むしろ、真紅のほうが引き立て役だった。<br /><br /> 如才ない才媛なのね。雛苺は、直感的に判断していた。<br /> この娘は、天賦の魅力をもっているし、それを自覚してもいる――と。<br /> だからこそ、自らを、叩き売り同然に八方ひけらかすなんて愚は犯さない。<br /> 秀麗な存在と並び、衆目に比較させることで、自分の美を際立たせているのだ。<br /> 料理を味わい深くするため、隠し味として、スパイスを用いるように……。<br /><br /> 考えようによっては、酷薄とも言える人柄だ。<br /> そんな人と、どうして仲良さそうにしているのか。 <br /> 怜悧な真紅なら、交流相手の本性ぐらい、容易に見抜けただろうに。<br /><br /> 興味を惹かれた雛苺は、テーブルに半身を乗り出し、「ねえ、教えて」と。<br /> まるで友だちに宿題の解法を訊くみたいに、写真の、銀髪の乙女を指差した。<br /> 「この人とは、どういった間柄なの?」<br /><br /><br /> ――暫しの、間隙。<br /> 真紅は、手にしていたティーカップを、そっとテーブルに置いて、ひた……と。<br /> アクアマリンのように深く澄んだ蒼眸を、フォトスタンドに向けた。<br /><br />  「その子の名前は、水銀燈。私の幼なじみなのよ。<br />   見た目、お淑やかそうでしょう? でも、これで意外に激情家でね。<br />   私たちは互いにライバル視して、コトある毎に張り合って――<br />   ああ、そうそう。何回か、取っ組み合いのケンカもしたわね」<br /><br /> 小学校の頃だけど……と繋げて、真紅は、クスクスと肩を揺らした。<br /> 彼女だって、生まれながらに慎みある淑女だったワケではない。<br /> 人並みに、やんちゃで、おてんばな時期があったのだ。<br /> それは至極当然のことだけれど、雛苺の、真紅への親近感を膨らませる材料となった。<br /><br />  「幼稚園で、初めて逢ったときのショックは、いまも憶えているわ。  <br />   肌は透けるように色白だったし、こう……髪も総白髪って感じでね。<br />   絵本で読んだ『雪女』のイメージそのものだったから」<br /><br /> 語りながら、真紅は相好を崩した。彼女の瞳は、とても遠くを見ているようだった。<br /> もう手が届くことのない、遙か彼方にある、思い出の景色を。<br /><br />  「私、もう怖くて怖くて――膝がカクカクしていたの。本当よ。<br />   顔を伏せていた彼女が、上目遣いに私を見たときには、失神しそうになったのだわ」<br />  「それ、すっごく失礼な気がするのよー」<br />  「仕方ないじゃない、幼稚園に入園したての子供だったのだもの」<br />  「そんなに怖かったのに、なんでお友だちになれたの?」<br />  「……見ていられなくなった。それだけよ」<br /><br /> 一瞬、雛苺には、意味が解らなかった。<br /> 忌避したいと思いながら、どうして近づいていったのか。<br /> 怖いもの見たさ? それとも、子供にありがちな気紛れ?<br /><br /> 雛苺が問うより先に、真紅の唇が、答えを紡いだ。 <br /><br />  「水銀燈はね、先天性の疾病を患っていたの。<br />   詳しい病名は忘れてしまったけれど、臓器系の難病だったそうよ。<br />   だから、虚弱体質でね。階段の昇り降りだけでも、息切れしてしまうの。<br />   いきなり倒れることも、日常茶飯だったのよ」<br /><br /> 本当ならば、特別な養護施設に編入されても不思議はない子供だったワケだ。<br /> にも拘わらず、普通の幼稚園に入園したのは、どういった理由か。<br /> 真紅はまたもや、雛苺の思考を読んだかの如きタイミングで、口を開いた。<br /><br />  「普通、であること」<br />  「――うよ?」<br />  「私たちが、なんの気なく過ごしている、ありふれた日々。<br />   水銀燈が最も欲しかったのは、そんな『普通の日常』だったのよ。<br />   あの子は当時、あまり長くは生きられないって……そう言われていたから」<br /><br /> 普通ではない女の子の、普通への憧憬。<br /> ただ、周りの子たちと、同じ生活をしたいだけ。みんなと一緒に、遊びたいだけ。<br /> 言葉を交わすようになって数日後、真紅は水銀燈から、そう聞かされたのだという。<br /><br /> だからこそ、水銀燈の両親も、保育園の関係者も――<br /> 誰もが、彼女の健気な想いに応えようとした。もちろん、幼かった真紅も。<br /><br />  「優しいのね、真紅。ヒナだったら、見て見ないフリしちゃったかもしれないの。<br />   それか、腫れ物に障るような応対とか」<br />  「まあ、好き好んで面倒事に首を突っ込んだりする人は、少ないでしょうね。<br />   私だって、初めは少し気になるから、面倒を見ていただけだったのだわ。<br />   それが、いつも視界の隅に、あの子を探してるようになって……<br />   気づいたら、顔を合わせるたび、憎まれ口の応酬をする仲になっていたわ」<br />  「ケンカするほど仲が良い……ってコト?」<br />  「そうね。結局のところ、私と水銀燈は、似た者同士だったみたい」<br /><br /> 似た者同士は、無二の親友になるか、犬猿の仲になるか――どちらか。<br /> お互いのココロの距離が近すぎるから、接触や干渉することが、他の人々より頻繁で。<br /> それを心地よく思えばウマが合い、鬱陶しく思えば拒絶反応を示すワケだ。<br /><br /><br /> 真紅と水銀燈が、無二の親友となれたのは、やはり幼なじみだったから。<br /> まだ、未熟な――心身ともに、自分というものが確立される前の、<br /> その柔軟な時期を、一緒に歩んでこられたからなのだろう。<br /> たまに衝突することさえ、信頼関係を育む糧にして、今日まで――<br />  <br />  <br />  「なかよしだから、同じ大学の、同じ研究室を選んだの?」<br />  「大学だけじゃないわよ。小中高、ずっとよ」<br />  「……そこまでいくと、呆れを通り越して、感心しちゃうのよ。やれやれなの」<br />  「私も、そう思うわ。多分、水銀燈もね。だけど――」<br />  「だけど?」<br />  「私にとって水銀燈は、素直な自分を投影できる、鏡のような存在だったわ。<br />   ココロから信頼できる、数少ない親友だったから……離れられなかったのよ。<br />   いつまでも――そう。これからも、ずっと一緒のはずだったのに、ね」<br /><br /> ……だった? 雛苺の胸が、嫌な感じにざわついた。<br /> どうして過去形なの? それも、何度も何度も、しつこいくらいに重ねて。<br /><br /> 雛苺に眼差しで詰め寄られて、真紅は悲しげに睫毛を伏せた。<br /> やはり、なにかがあったのだろう。でなければ、そんな態度を見せるはずがない。<br /><br />  「この子とは、いまも会ってるの?」<br />  「……いいえ。水銀燈は…………もう、居ないわ」<br /><br /> ストレートな問いへの、ストレートな答え。<br /> 真紅は、テーブルに置かれたフォトスタンドを手に取って、そっ……と。<br /><br />  「私は、失ってしまったのだわ。水銀燈も、この右腕も」<br /><br /> 胸に抱きしめ、唇を噛んだ。<br /><br />  「間違えてしまったのは、私。ごめんなさい、水銀燈――」<br /><br /><br /> その先は、真紅の嗚咽に呑まれて、雛苺の耳に届くことはなかった。<br /><br /><br /><br />   -<a href="http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/3736.html">to be continued</a>-<br />  </p>
<p align="left"> <br />  <br /> 雛苺は、まるで手品でも見るかのような眼差しを、真紅の所作へと注いでいた。<br /> 女主人は、客人の奇異な視線を気にする風もなく、片腕だけで紅茶を注いで見せる。<br /> ひとつひとつの仕種が、無駄のない、習熟した職人の洗練された技を思わせる。<br /> 思わず見惚れてしまうほど、優雅だった。<br />  <br /> 「お待ちどおさま。さあ、どうぞ。冷めないうちに」<br />  <br /> ティーカップを載せたソーサーが、ことり……。硬い音を立てて、雛苺の前に置かれた。<br /> 深紅の液体からは、温かな湯気と、得も言えぬ薫香が立ちのぼってくる。<br /> ここで生産されている、真紅ご自慢の紅茶『ローザミスティカ』なのだろう。<br /> お茶請けに……と、てんこ盛りの桜餅も供された。<br />  <br /> けれど、上質の紅茶も、美味しそうなお菓子でさえ、雛苺の関心を惹ききらない。<br /> 無礼と承知しつつも、彼女の眼は、どうしても真紅の右肩へと向いてしまう。<br /> ただならぬ気配を察したらしく、真紅は品よく唇に三日月を描き、右肩に左手を添えた。<br />  <br /> 「気になる? やっぱり」<br /> 「ちゃ、あぅ……。ご、ごめんなさい」<br /> 「いいのよ、別に。見られることには、慣れているもの」<br />  <br /> 彼女の立場上、広い人脈と面会するのは、いつものこと。<br /> しかも、衆目を集めてやまない美貌を、真紅は天より与えられている。<br /> 畢竟、隻腕も好奇の目に晒されてしまうわけだ。否応もなく。</p> <p align="left">義手は、使ったりしないの?<br /> そんな言葉が、喉までこみ上げ、いましも溢れそうになる。<br /> 雛苺はティーカップを手にすると、その質問を、お茶で肺腑に押し戻した。<br /> ついさっき出会ったばかりの他人が、気安く口出しできるような問題ではない。<br /> ありのままの姿でいるのも、彼女なりの考えあってのことだろう。<br />  <br /> 二人の間に横たわる、山脈のような、高く重たい静寂。<br /> その割に、音だけは――<br /> マントルピースの上に置かれた振り子時計のリズムは、やけに大きく聞こえた。<br /> 急かすように、からかうように。カチ……カチ……。<br />  <br />  <br /> どうにも、いたたまれない。居心地が悪くて、尾骨の辺りがウズウズする。<br /> 雛苺はティーカップの縁を啄みながら、対座する乙女を、上目遣いに窺った。<br /> なにか……この沈黙を押し退けるほどに勢いのある話題は、ないものかしら?<br />  <br /> けれど、真紅は、雛苺の煩悶など、どこ吹く風で。<br /> うっとりと瞼を閉ざし、紅茶の味と香りに酔いしれている。<br />  <br /> もっと、紅茶のことを知っておけばよかった。<br /> 今更な後悔が、雛苺のアタマを掠める。が、このまま黙っていたくはなかった。<br /> 偶然にも触れ合えた絆を、無為にほどいてしまうのは惜しい。</p> <p align="left">言葉に窮してしまうのは、お互いのことを知らなすぎるから。<br /> ならば、簡単なことだ。共通の話題を、暗中模索していけばいい。<br /> 雛苺はさりげなく、応接間を見回した。<br /> そして……真紅の背後、真鍮の振り子を煌めかす置き時計の横に、ソレを見つけた。<br />  <br /> 「ねえねえ、真紅~。あの写真、見せてもらってもいい?」<br />  <br /> 指差された先を振り返って、真紅は微かに、白い喉を波だたせた。<br /> パッと見には判らないほどの、些細な変化。<br /> 雛苺の鋭敏な瞳を以てしてもなお、捉えるのが、やっとの機微だった。<br />  <br /> 「ええ、どうぞ」と。真紅は腰を上げて、フォトスタンドを手にした。<br /> 彼女の手と比較してみると、それが随分と大振りな一品であることが判る。<br /> 収められている写真も、2L版サイズらしい。<br />  <br /> 「これ――大学院に在籍していた頃に、図書館前の広場で撮った写真よ」<br />  <br /> 言って、真紅はフォトスタンドを、雛苺に差し出した。<br /> 雛苺は軽く会釈して、賞状でも貰うかのように恭しく、それを受け取った。<br />  <br /> 2人の乙女が、青々とした芝生に腰を下ろし、肩を寄せ合っている写真――<br /> 真紅と、彼女の学友らしい銀髪の娘が、くつろいだ笑みを浮かべている。<br /> 撮影された季節は、だいたい、5~6月くらいか。<br /> 彼女たちや芝生に降り注いでいる日射しに、真夏ほどの強さは感じられない。<br />  <br /> 2人とも、私服の上に、白衣をつっかけていた。真紅の右腕も、まだある。<br /> どんな研究をしていたのかしら? 格好からして、理工系?<br /> 学生生活の思い出を話題にするのは、妙案かもしれない。<br />  <br />   <br /> 改めて、雛苺は写真に見入った。<br /> この頃の真紅にはまだ、服装や面差しに、あどけなさが見え隠れしている。<br /> 現在の彼女を紅いバラに喩えるなら、学生の真紅は、ピンクのチューリップだろうか。<br /> どこか刺々しい印象の可憐さではなく、奥ゆかしく柔らかで、愛嬌に満ちた美しさがある。<br />  <br /> 「うよー。とっても初々しくって、かわいいのよ~」<br /> 「……なんだか、いまの私が、擦れっ枯らしみたいに聞こえるわね」<br /> 「考え過ぎなの」<br />  <br /> 雛苺は写真から目を離すことなく、すげなく切り返した。<br />  <br /> それにしても、と。雛苺は、思わず嘆息した。<br /> 真紅もさることながら、隣りに座る銀髪の娘は、これまた抜きん出た美貌の持ち主だ。<br /> 女の子である雛苺でさえ、息を呑み、羨んでしまうほどの。<br /> 白衣で遮られていても、スタイルや、ファッションセンスの良さが垣間見える。<br /> こうして並んでみると、むしろ、真紅のほうが引き立て役だった。<br />  <br /> 如才ない才媛なのね。雛苺は、直感的に判断していた。<br /> この娘は、天賦の魅力をもっているし、それを自覚してもいる――と。<br /> だからこそ、自らを、叩き売り同然に八方ひけらかすなんて愚は犯さない。<br /> 秀麗な存在と並び、衆目に比較させることで、自分の美をより際立たせているのだ。<br /> 料理を味わい深くするため、隠し味として、スパイスを用いるように……。<br />  <br /> 考えようによっては、酷薄とも言える人柄だ。<br /> そんな人と、どうして仲良さそうにしているのか。 <br /> 怜悧な真紅なら、交流相手の本性ぐらい、容易に見抜けただろうに。<br />  <br /> 興味を惹かれた雛苺は、テーブルに半身を乗り出し、「ねえ、教えて」と。<br /> まるで友だちに宿題の解法を訊くみたいに、写真の、銀髪の乙女を指差した。<br /> 「この人とは、どういった間柄なの?」<br />  <br />  <br /> ――暫しの、間隙。<br /> 真紅は、手にしていたティーカップを、そっとテーブルに置いて、ひた……と。<br /> アクアマリンのように深く澄んだ蒼眸を、フォトスタンドに向けた。<br />  <br /> 「その子の名前は、水銀燈。私の幼なじみなのよ。<br />  見た目、お淑やかそうでしょう? でも、これで意外に激情家でね。<br />  私たちは互いにライバル視して、コトある毎に張り合って――<br />  ああ、そうそう。何回か、取っ組み合いのケンカもしたわね」<br />  <br /> 小学校の頃だけど……と繋げて、真紅は、クスクスと肩を揺らした。<br /> 真紅だって、生まれながらに慎みある淑女だったワケではない。<br /> 人並みに、やんちゃで、おてんばな時期があったのだ。<br /> それは至極当然のことだけれど、雛苺の、真紅への親近感を膨らませる材料となった。<br />  <br /> 「幼稚園で、初めて逢ったときのショックは、いまも憶えているわ。  <br />  肌は透けるように色白だったし、こう……髪も総白髪って感じでね。<br />  絵本で読んだ『雪女』のイメージそのものだったから」<br />  <br /> 語りながら、真紅は相好を崩した。彼女の瞳は、とても遠くを見ている。<br /> もう手が届くことのない、遙か彼方にある、思い出の景色を。<br />  <br /> 「私、もう怖くて怖くて――膝がカクカクしていたの。本当よ。<br />  顔を伏せていた彼女が、上目遣いに私を見たときには、失神しそうになったのだわ」<br /> 「それ、すっごく失礼な気がするのよー」<br /> 「仕方ないじゃない、幼稚園に入園したての子供だったのだもの」<br /> 「そんなに怖かったのに、なんでお友だちになれたの?」<br /> 「……見ていられなくなった。それだけよ」<br />  <br /> 一瞬、雛苺には、意味が解らなかった。<br /> 忌避したいと思いながら、どうして近づいていったのか。<br /> 怖いもの見たさ? それとも、子供にありがちな気紛れ?<br /> 雛苺が問うより先に、真紅の唇が、答えを紡いだ。 <br />  <br /> 「水銀燈はね、先天性の疾病を患っていたの。<br />  詳しい病名は忘れてしまったけれど、臓器系の難病だったそうよ。<br />  だから、虚弱体質でね。階段の昇り降りだけでも、息切れしてしまうの。<br />  いきなり倒れることも、日常茶飯だったのよ」<br />  <br /> 本当ならば、特別な養護施設に編入されても不思議はない子供だったワケだ。<br /> にも拘わらず、普通の幼稚園に入園したのは、どういった理由か。<br /> 真紅はまたもや、雛苺の思考を読んだかの如きタイミングで、口を開いた。<br />  <br /> 「普通、であること」<br /> 「――うよ?」<br /> 「私たちが、なんの気なく過ごしている、ありふれた日々。<br />  水銀燈が最も欲しかったのは、そんな『普通の日常』だったのよ。<br />  あの子は当時、あまり長くは生きられないって……そう言われていたから」<br />  <br /> 普通ではない女の子の、普通への憧憬。<br /> ただ、周りの子たちと、同じ生活をしたいだけ。みんなと一緒に、遊びたいだけ。<br /> 言葉を交わすようになって数日後、真紅は水銀燈から、そう聞かされたのだという。<br />  <br /> だからこそ、水銀燈の両親も、保育園の関係者も――<br /> 誰もが、彼女の健気な想いに応えようとした。もちろん、幼かった真紅も。<br />  <br /> 「優しいのね、真紅。ヒナだったら、見て見ないフリしちゃったかもしれない。<br />  それか、腫れ物に障るような応対とか」<br /> 「まあ、好き好んで面倒事に首を突っ込んだりする人は、少ないでしょうね。<br />  私だって、初めは少し気になるから、面倒を見ていただけだったのだわ。<br />  それが、いつも視界の隅に、あの子を探してるようになって……<br />  気づいたら、顔を合わせるたび、憎まれ口の応酬をする仲になっていたわ」<br /> 「ケンカするほど仲が良い……ってコト?」<br /> 「そうね。結局のところ、私と水銀燈は、似た者同士だったみたい」<br />  <br /> 似た者同士は、無二の親友になるか、犬猿の仲になるか――どちらか。<br /> お互いのココロの距離が近すぎるから、接触や干渉することが、他の人々より頻繁で。<br /> それを心地よく思えばウマが合い、鬱陶しく思えば拒絶反応を示すワケだ。<br />  <br /> 真紅と水銀燈が、無二の親友となれたのは、やはり幼なじみだったから。<br /> まだ、未熟な――心身ともに、自分というものが確立される前の、<br /> その柔軟な時期を、一緒に歩んでこられたからなのだろう。<br /> たまに衝突することさえ、信頼関係を育む糧にして、今日まで――<br />  <br /> 「なかよしだから、同じ大学の、同じ研究室を選んだの?」<br /> 「大学だけじゃないわよ。小中高、ずっとよ」<br /> 「……そこまでいくと、呆れを通り越して、感心しちゃうのよ。やれやれなの」<br /> 「私も、そう思うわ。多分、水銀燈もね。だけど――」<br /> 「だけど?」<br /> 「私にとって水銀燈は、素直な自分を投影できる、鏡のような存在だったわ。<br />  ココロから信頼できる、数少ない親友だったから……離れられなかったのよ。<br />  いつまでも――そう。これからも、ずっと一緒のはずだったのに、ね」<br />  <br /> ……だった? 雛苺の胸が、嫌な感じにざわついた。<br /> どうして過去形なの? それも、何度も何度も、しつこいくらいに重ねて。<br /> 雛苺に眼差しで詰め寄られて、真紅は悲しげに睫毛を伏せた。<br /> やはり、なにかがあったのだろう。でなければ、そんな態度を見せるはずがない。<br />  <br /> 「この子とは、いまも会ってるの?」<br /> 「……いいえ。水銀燈は…………もう、居ないわ」<br />  <br /> ストレートな問いへの、ストレートな答え。<br /> 真紅は、テーブルに置かれたフォトスタンドを手に取って、<br />  <br /> 「私は、失ってしまったのだわ。水銀燈も、この右腕も」<br />  <br /> 胸に抱きしめ、唇を噛んだ。<br /> 「間違えてしまったのは、私。ごめんなさい、水銀燈――」<br />  <br /> その先に続く言葉は、嗚咽に呑まれて、雛苺の耳に届くことはなかった。<br />  <br />  <br />  <br />   -<a href="http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/3736.html">to be continued</a>-<br />  <br />  </p>

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