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《薔薇国志》 第二章 第三節 ―少女は嫉妬し、少年は動き始める―」(2008/02/12 (火) 22:51:13) の最新版変更点

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<p>《薔薇国志》 第二章 第三節 ―少女は嫉妬し、少年は動き始める―<br> <br> <br> ○雲南 政庁<br> <br> 相も変わらず人気のない政庁を、連れ帰ってきた少女―薔薇水晶を伴いながら歩き――。<br> この街の軍士―ジュンは、通り抜けてきた市場を思い出す。<br> 三週間ほど前に此処を発った時と比べると、、市場は格段に賑わいの声が広がっていた。<br> 店の数も増え、並ぶ商品の品ぞろえも豊富になり、軒先でそれらを選ぶ人の数も増えている。<br> 反面、急激な店舗の増加の為か、彼らをさばく店側の人間が間に合ってない様で、絶対数が少ない。<br> 店側からすれば嬉しい悲鳴と言った状態であろうが、ジュンは、それをある程度予測し―望んでいた。<br> 人が足りていないのは、市場だけではないだろう――静かな廊下を歩きながら、ジュンは考える。<br> ジュンは諜報先の永昌に行く前、真紅に「工房の底上げ」を最優先に指示するよう伝え、その後に<br> 「農地の開墾」を提案していた。<br> その二案は、彼が成そうとしている対永昌戦の骨子とも言える、重要な案件の一部。<br> 人員の少ない軍隊の補強を考えていた真紅に、ジュンはそう言って、内政を充実させる様に頼んだ。<br> 当時はまだ知らせたくなかった作戦内容を説明してでも、この案件を通そうとしたジュンであったが。<br> 真紅は、意外なほどにあっさりと、それらを呑んだ。<br> 拍子抜けするジュンに、真顔で真紅―「貴方がそう言うんだったら、それ相応の理由があるんでしょ?」<br> 勝てる気がしないな――ジュンは心の中で舌を巻いたのだった。<br> ともかく、呑んだ以上は彼女はそれを実行するだろうし、中途半端に投げ出す事はなかろう。<br> それ故、底上げと開墾が一段落し、その他の内政―市場の拡張―に手を付けた………そう、ジュンは推測する。<br> (市場を発展させて資金を増やす事も必要だけど………どうせ、払う俸禄も使える人材もいないしな。<br> それよりも、今は都市を大きくして………ん)――「――どうした?」<br> 黙々と歩くジュンだったが、後ろからついてくる薔薇水晶に袖口を掴まれ、思考を中断させる。<br> 控え目にくぃくぃと引っ張る彼女は、普段―と言っても、二三日の付き合いだが―の様から駆け離れていて。<br> 彼は素直に、その理由を問うた。<br> <br> 「ん。………真紅、わかるかな?」<br> 「――?何をだ?」<br> 「ばらしーが、ばらしーだって事………」<br> <br> 何時も通り抑揚のない声だが何時もより不安げな瞳に、道中に彼女がぽつぽつと<br> 語っていた、彼女自身の生い立ちをジュンは思いだす。<br> 幼い頃―幼年期か小児期かは明言しなかった―、に真紅ら姉妹と離れ離れになってしまい、<br> 長らく逢っていない事。<br> 容姿はともかく、自分では気付きにくい性格・口調の変化があるのではなかろうか、という疑心。<br> 眉根を八の字に曲げ、「わかるかな………わかるかな………?」と繰り返す彼女は、普段のふざけた<br> 態度よりも、時折見せる蠱惑的な表情よりも、何故かしっくりときた。<br> 「――大丈夫だろ、………多分だけどさ」<br> 言葉の最後に曖昧さを含ませるのは、ジュンの悪い癖だったが。<br> 薔薇水晶は、『大丈夫』という単語に、袖口を引っ張る力を強くする。<br> 「ほんと?ほんとにそう思う?」<br> 彼女の童の様な言動に、ジュンは微苦笑を浮かべ、ぽんぽんと頭を軽く叩く。<br> 彼は先程、『多分』などと誤魔化し、不確定要素を残したが。<br> 真紅になら、今目の前にいる少女が―例え数年離れていようが―姉妹の一人である、と判るだろうと<br> 確信していた。<br> 「真紅が、お前の事を『掴みどころのない』って言っててさ。<br> 僕もそれで、お前が薔薇水晶だってわかったから………言った本人なら、当然わかるだろう」<br> そうかな?と瞳を覗き込み問い返してくる少女に、あぁ、と短く返す少年。<br> 己の返答に愁いを消した薔薇水晶の表情に、くすぐったい感情を持ちつつ。<br> 太守殿も顔を綻ばしてくれるだろうか――ジュンは、そう思った。<br> <br> それから数分後。<br> ジュンと薔薇水晶は大きな扉―太守の間への扉の前まで辿り着く。<br> 殊更に巨大な門に、まるで自分が試されている様な気がして、薔薇水晶は小さく身構えた。<br> 少女の様子に呆れつつ、自分はどうだったかな、とジュンは振り返る。<br> (………静けさに、戦々恐々としてたっけ)<br> 少女と大して変わらない様だった己を、苦笑と共に思い出す。<br> あの時は、この先は二人しかいなかった空間。<br> しかし、今は、姉を入れて三人であったし――この「うぅうぅ」と無機物に唸っている少女もまた、<br> 空間を共有する一員となるであろう。<br> 国造りの最初はこんなものなのかもしれない………少年はそう思いつつ、少女の頭を軽く叩き、<br> 静かに告げた。<br> 「大丈夫だから、そんな緊張するなって。<br> ――最初は、正式な報告しないといけないから少し待っててくれ」<br> 「少し?少しってどれ位?」<br> 「あのな………ちゃんと呼ぶから。良い子で、な?」<br> 「………うん」<br> 童を扱う様な接し方は、年頃の少女には失礼なのだが。<br> 薔薇水晶は、それこそ本当に童の様な返答をする。<br> 『掴みどころのない』少女を段々と掴めてきた少年は、彼女の素直な対応に彼にしては珍しい<br> 淀みのない笑顔を送った。<br> <br> 「――朗繕軍が軍士・桜田ジュン。帰ってきたぞ」<br> 重い扉を開き、けば立ちの少ない赤絨毯の真ん中まで進み。<br> ジュンは、その先に真紅がいる事を疑問にも思わず、帰還の意を告げた。<br> ただ、いぶかしむ事が一つ――(なんか、妙に不機嫌じゃないか、こいつ………?)<br> 「――そ。お疲れ様。<br> 時間がかかったみたいだけど、首尾は?」<br> 淡々とした言い草は何時も通りであったし、短い労いの言葉も予想していた。<br> しかし、ジュンは感じ取る――真紅が、何事か自分に対して怒りを放っていると。<br> 相性の良さが成せる業であったが、生憎その理由までは皆目見当がつかず。<br> 首を捻る思いを留め、彼は永昌の現状をかいつまんで報告していく。<br> <br> 「二つ、朗報がある。<br> 一つ――永昌の諜報結果だけど………噂にあった通り、治安及び防衛は自衛団がやってるみたいだ」<br> 「そ」<br> 「数は2500~3000って所だな。正式な訓練はしてないみたいだから、軍隊の強さとしてはほどほど。<br> ただ、士気は高い」<br> 「まぁ、自分たちの街ですものね」<br> 「あぁ。それに、境界の都市だけあって城壁は未だ健在」<br> 「兵糧戦になると厄介ね。………その調子だと――」<br> 「――農地も市場も工房も、栄えてはいないけど活気がない訳でもない」<br> <br> ――ジュンの、彼らしいざっくばらんな、しかし的確な報告を受けるにつれ。<br> 真紅は、己の懸念も忘れ、話にのめり込んでいった。<br> そして、彼の報告を頭の中で更にまとめ、自分なりの対永昌戦について考える。<br> (近い距離に太守―攻め込んでくる者―はいないから、私も兵も全て回せるけれど………。<br> 台所事情も考えると、持っていける兵糧は精々三十日分が限度ね。<br> ………永昌に太守がいれば、速攻の型も使えたけど――本末転倒だし、考えても栓ない話。<br> ふむ………今の戦力だと、負けはしないでしょうけど、下手をすると勝てもしない、か)<br> 冷静に弾きだした予測に、頭が痛くなる。<br> どれだけ他の事―農地の開墾など―を一月に亘り行っていようが、此方の戦力は曲がりなりにも<br> 軍隊と呼ばれるもの。<br> 敗北するのは無論、引き分けとするのも風評に悪過ぎる。<br> 真紅と言う『少女』は、戦火での評判は余り気にしていない。<br> しかし、『太守』の彼女としてはそうも言っていられず、また何よりも、<br> 兵士達の士気が―恐らく確実に―低下する事が恐ろしい。<br> ――そこまで考えた所で、真紅はジュンの冒頭の言葉を思い出す。<br> 自分が計算した事ならば、当然、彼も予測しているだろう――だと言うのに、彼は言った。<br> 『朗報』だと――「何か、策があるのね?」――真正面から問う。<br> 瞳は受け止められた――少年の双眸と確固たる言葉に。<br> <br> 「ある。でなけりゃ、今の戦力で勝てるとは思わない。<br> ――確認しておくけど、頼んでいた技術の底上げと農地の開墾は………」<br> 「一段落、と言った所ね。でもないと、頼まれた私がこんな所でのんびりしていないのだわ」<br> 「仰る通り――だったら、勝てる」<br> 「そう――任せたわよ」<br> <br> 軍士は、どの様な手で勝利を手にするつもりなのか全く説明していない。<br> 太守は、どれだけの兵力が必要なのか聞く事もしない。<br> 曖昧さのない宣言に、信頼を寄せた短い命令――それだけで、充分だった。<br> 太守の間を覆っていた硬い空気は、どちらからとも判断しにくい笑い声により、弛緩していく。<br> 「はは、任せる………って、それだけでいいのかよ」<br> 「ふふ、貴方が断言するんですもの、よほど確信があるんでしょう?――ところで」<br> 「もう少しだけ準備が必要だけどな。――うん?」<br> 「朗報は二つあるんでしょう?もう一つって」<br> ジュンは、あぁ、と含み笑いと共に頷く。<br> 真紅からすれば、もしかすると今からの報告の方が嬉しいかもしれないな、なんて考えつつ。<br> 「人手を見つけてな。登用したんだ」<br> 「あら………足りていないから有難いけど、それは頼んでいなかったと――」<br> 「そうだな――でも、願ってはいたさ。<br> ――いいぞ、入ってこい」<br> 響きわたる、ジュンの珍しい大声。<br> 耳を抑え、少しばかり非難めいた視線を送る真紅だったが。<br> ぎぃ、と微かな軋み音を立てて開いた扉の先に、目を―思考を奪われる。<br> <br> 「んと。お久しぶり………真紅」<br> <br> てくてくと歩みを進ませる少女。<br> <br> 「えと。やっと………逢えた。また、逢えた」<br> <br> 拙い言葉に、幾千幾万の想いを込めて。<br> ――ふわふわとした少女の足取りは、赤絨毯の真ん中前で止められた。<br> もう一人の少女――駆けてきた真紅に、抱きとめられて。<br> <br> 「――お久しぶり………本当に、本当にお久しぶりね。<br> もう………何所に、行って、いたのよ――薔薇水晶」<br> 「えへへ………色んな所………また、怒られた。<br> でも………嬉しい」<br> 「怒ってあげるわ、何度でも。――だから、もう離れないで頂戴ね」<br> <br> 美しい滴を零しつつ、二人の少女の抱擁は続く。<br> 身長差のある二人は、姉と妹の関係に見えたが、言葉だけでは背の低い少女が姉の様。<br> (口に出したら睨まれそうだけど)――微苦笑しながら、事の成り行きを見守るジュンはそう思った。<br> <br> 「ジュン――ありがとう」<br> <br> いきなりの真紅の礼に、心臓を飛び跳ねさせる少年だったが。<br> 涙を拭う彼女に、怒りの表情は見てとれず。<br> むしろ、その微笑みに別の感情で胸が高鳴り、そっぽを向いてしまう。<br> 何時も通り素直な感情を受け止められない少年に、くすりと真紅は微笑む。<br> 姉妹に感化されたのか――もう一人の少女も、少年に笑みを送る。<br> 「えへへ………ジュンの言うとおりだった。真紅、わかったよ。<br> ――………ありがと」<br> 微笑みと呼ぶには幼すぎるその表情に、少年はまたもどぎまぎしてしまい。<br> 思わず、つっけんどんに言い返してしまう。<br> ………それが、どういう結果を及ぼすか、全く考えもしないで。<br> 「ったく、心配し過ぎなんだよ、お前は。<br> 道中もずっと言ってたじゃないか」<br> 「ぅー………だって………」<br> 「だってじゃない。その所為で、僕は一昨日から寝不足なんだからな」<br> 「昨日は、さっさと寝たくせにー」<br> 「開き直るなよ………真紅、お前からも――」<br> 「真紅は、ばらしーの味方だよ――ひっ………っ」<br> 非難の同意を得ようとした少年。<br> 姉妹を味方につけようとした少女。<br> 二人が視線を向けた先の少女は――笑みを浮かべていた。<br> 完璧すぎる三日月、触れがたい美しさ、柔らかい微笑み。<br> 「――此処…永昌で先程会ったんではないの?」<br> 「いや、二三日前に邪龍で、真夜中に偶然見つけた」<br> 「そう、真夜中。寒かったんじゃないの?」<br> 微笑みを浮かべたまま問うてくる真紅に、ジュンは饒舌に返答する。<br> 彼としては、礼を言われた反動―照れによる軽口であったのだが。<br> 舌が滑り過ぎたのが、普段の彼の賢明さを消してしまっていた。<br> もしも、普段の注意深い彼であったならば、語りかけている真紅の後ろにいる薔薇水晶の<br> 表情に違和感を覚えていただろう。<br> 漂漂とした彼女がとんと見せない類の―恐怖と言う感情が、表に出ていたのだから。<br> 「『掴みどころのない』誰かさんがもたれかかってきてな。<br> まぁ、寒くはなかったさ」<br> <br> ぴき。<br> <br> 「………そう。姉妹が迷惑をかけた様ね」<br> 「まったくだ。子ども体温だから、寝具代りには丁度良かったかもな」<br> <br> ぴきぴき。<br> <br> 「………………そ」<br> 「あぁ、それに、お前と違って肉付きもいいみたいだし」<br> <br> ぴ………っきん。<br> <br> 「――言いたい事は、それだけ?」<br> 「ん………そうだな。――髪結い、お前が着けるならもう少し紅い方が」<br> 「今さら遅いのだわ!」<br> <br> すぱんっ――と影すらついてこれそうにない突きを、ジュンの額に放つ。<br> っっこん――受けた少年が音を認識できたのは、奇麗に尻もちをついてからだった。<br> 「――って、いきなり、何するんだよ!?」<br> 「煩いのだわ、人の気も知らないで!――<br> こんな人放っておいて、いきましょう、薔薇水晶」<br> 言い放ち、くるりと背をジュンに向けて、薔薇水晶の是非さえも問わずすたすたと太守の間を出て行く。<br> 訳のわからない彼女の行動にジュンは怒りよりも戸惑いが先だつ。<br> ぱちくりと目を瞬かせる彼に、薔薇水晶は詫びを入れ、姉妹の機微を説明する――多少、余韻で震えながら。<br> <br> 「途中でとめれなくて、ごめん。<br> 真紅、美味しそうに、ぷくぅってなっちゃった」<br> 「謝られる理由も、その比喩もわからないんだが………」<br> 「………ばらしー、ジュンと真紅が話し始めた時から、真紅が怒ってるのわかった。<br> 真紅、ほんとに怒ってる時は、あぁいう笑い方するの」<br> 「それもわからないんだよな。<br> 怒ってるのは、まぁ後後察しがついたけど、その理由がわからない。しかも、本気で怒ってたのか」<br> 「ん――ばらしーも、何回かだけ、あぁいう感じで怒られた。<br> ………………途中までは、だけど」<br> 「――途中?」<br> 「ん。真紅は、本当のほんとに怒ってる時は、手は絶対に出さない。<br> ちゃんと、何をどう怒ってるのかわかりやすく説明するの」<br> 「今回のは、手も出したし、簡単な説明すらなかったぞ」<br> 「うん、だから、ばらしーの知らない怒り方―女の子な怒り方。<br> 理不尽だけど、怒っちゃ駄目だよ?」<br> <br> 煙を出しそうに熱い額をさすりながら、ジュンは何の事だと考える。<br> どう考えても非は真紅にあるのだが、怒ってはいけないらしい。<br> 気難しい顔をしてその理由を模索する彼に、薔薇水晶はくすくすと笑む。と――<br> <br> 「――薔薇水晶、何をしているの?早く来なさいな!」<br> <br> 扉の向こう側から、感情が丸わかりの可愛らしい姉妹の呼び声。<br> 太守と軍士の遣り取りを聞く前であったならば、呼ばれた薔薇水晶はおっかなびっくりとした<br> 足取りでついて行っただろうが。<br> 彼女の知らなかった姉妹の一部を覗いた今は、にやにやとした、彼女独特の楽しみの表情を<br> 浮かべている。<br> とことこと足取りも軽やかに扉の方に向かい――ふと思い出し、ぽかんと呆けた様なジュンに<br> 最後の補足を残し、彼女も奥に消えて行った。<br> <br> 「お醤油をかけて食べたら、とっても美味しいのだ」<br> <br> ――その補足も彼女独特のものだったため、言われた少年はより一層不可解な顔をしているが。<br> 二人の少女に取り残された少年は、悩んでいても仕方がない、と思考を切り替える。<br> その内容は無論、目下のところ、彼に課せられた使命―永昌討伐であった。<br> <br> (条件は、とりあえずだけど整った。<br> 後は………一応の、保険をかけておかないとな)<br> <br> <br> ○雲南 兵舎<br> <br> がやがやどやどや――政庁とは違い、嫌でも喧騒が耳に入る。<br> 士気が高く、統率が完璧ならば、この場所ももう少し静かなのだろうが――(仕方無いか)。<br> そういう指示を出さなかったのは、自分自身であることはよく分かっている。<br> そして、それを責任転嫁できるほど、少年は図太くなかった。<br> 噎せかえる空気の中を、少年は顔を顰めながら歩く。<br> きょろきょろと目的の人物を探している様は、迷子の童のようで。<br> 余りにも場違いな彼を、数人の兵士たちは声には上げないで笑っていた。<br> 少年とて、それに気づいていない訳ではないが、ふんと鼻を小さく鳴らし無理やり意識の外に押しやる。<br> 彼にとって、彼らはまだ、ごろつきと余り変わらない存在と言う認識だったから。<br> ――数分程の探索ののち、ジュンは目的の人物を探し当てる。<br> <br> 「――珍しい場所にいやがるな、坊主」<br> 「ふん………用事があるからな。――あと、坊主って呼ぶな」<br> <br> そうでもなければ来るものか――解り易い言葉の裏に、ジュンの目的の人物―歩兵士長は苦笑した。<br> 歩兵士長は、自身に学がない事を解っている。<br> しかし、年を重ねてきた分だけ、人の機微を伺う術は得ていた。<br> ジュン自身が自らを訪ねてきたのは、それ相応の理由があるのだろう。<br> だとすれば、此方に不快な態度を取る事は良い選択とは言えない。<br> 彼は少年の青臭い対応に苦笑し、その分、自らの対応を軟化する事に決めた。<br> 「で、用事ってのはなんだい?――嬢ちゃんと痴話喧嘩でもして、機嫌の取り方でも聞きに来たか」<br> 「なんでそうなる!?」<br> 顔を赤くして怒号をあげる少年に、歩兵士長はくくっと小さく笑う。<br> 推測半分やまかん半分で叩いた軽口だったのだが、どうやら図星だった様だ。<br> 自分の額をとんとんと指で弾きながら、少年に種明かしをする。<br> 「その赤いの、嬢ちゃんにはたかれでもしたんだろ?<br> まぁ、人の事は言えんが」<br> 「あんたもか………いや、そうじゃなくて」<br> 一瞬、緊張を緩ませるジュン。<br> 少年の様子に暫しにやりと笑んだ歩兵士長だったが、一転して表情を真面目なものに変える。<br> 緊張や警戒は、話を拗れさせる――彼の頬にくっきりと浮かぶ皺が、年相応の知恵を伺わせた。<br> 「永昌戦の話だな。――俺も含めて、兵士どもは爆発寸前だぞ?」<br> 彼らの感情は、士気と呼ぶには余りにも乱暴であった。<br> しかし、その類の感情は抑えにくい事を歩兵士長は知っている。<br> それ故、自分達を動かす眼前の少年軍士にそれとなく告げる歩兵士長。<br> 一方のジュンも、彼の危惧を重々承知している。<br> だからこそ、ジュンは政庁から此処に一直線でやってきたのだ。<br> <br> 「――永昌へは、一週間後に攻め込む。ただ、その前にあんたに頼みたい事がある」<br> 「一週間………ね。その間に、兵を集めて鍛える………ってのは、多少無理があるんじゃないか?」<br> 「集めなくてもいいんだ。そう、小数を鍛えるだけで良い――あんたも含めて」<br> 「はんっ!?幾らなんでも、今の数じゃ――」<br> 「それを可能にする為の策は考えてある――聞いてくれ」<br> <br> ――――――――――――<br> <br> 永昌の現状から始まるジュンの説明を、歩兵士長は初め、静に聞いていたが。<br> 策の骨子に触れるにあたり、眼を丸め、口を挟もうとした。<br> だが、ジュンの口は止まらず、また、歩兵士長自身、その策について検討を始め。<br> 結局、少年軍士は十数分、延々と己の策を披露する事となった。<br> ――ジュンの説明が終わり、一旦、間が合く。<br> 己の策に、説明に不備はなかっただろうか………反応のない歩兵士長に不安を感じ始めるジュンだったが。<br> 彼から返ってきたのは、感嘆の言葉であった――<br> 「………たまげたな。そういう戦り方もあるのか」<br> 「あぁ、自軍の現状、相手の現状――二つを鑑みると、是が一番いいと思う」<br> 「なるほど………それで、お前さん自らわざわざ見に行った、と」<br> あぁ、と頷くジュン。<br> 初めて人に策を説明したからであろう――彼としては珍しく、顔に熱気が上がっている。<br> ジュンの実に『少年』らしい表情に、歩兵士長は胸を打たれるが。<br> 今、自分がしなくてはいけない事は称賛ではない――策に穴がないかの質問である。<br> <br> 「確かに、お前さんの考えが当たっていりゃ、これ程の勝利は考えられねぇ。<br> だがな―気を悪くするなよ―正直………机上の空論じゃねぇか?」<br> 「しないさ。むしろ、どんどん反論してくれ。<br> ――是でも、大衆心理は読めるんだよ。あっちのあの状態なら、半分成功してるようなもんさ。<br> 問題は、こっち。士気や訓練はほどほどで構わないから、軍規だけは守る様にしてくれ」<br> 「そいつは心配するな。乱暴もんばっかだけど、根は悪くねぇ奴らだからな。<br> しかし………よく、嬢ちゃんが認めたな」<br> <br> 歩兵士長が知る限り、真紅は概ね、真面目な類の人間である。<br> その手の者は、例え必要があろうと『不真面目』を毛嫌いする事が多い。<br> また、常識を非常に重んじる。<br> ジュンの作戦は正攻法と呼べるものではなく、むしろ、常識外の『戦い方』だ。<br> いや、それをそう呼んでいいのかどうかさえ、歩兵士長は首を捻る。<br> そんな戦い方をよく認めさせたもんだ――彼は、ジュンの弁舌に感心したのだが。<br> 当のジュンは、歩兵士長の思惑とは裏腹に、顔を小さく横に振る――「話してないさ」<br> <br> 「………はんっ!?話してないって、そりゃお前ぇさん――」<br> 「何から何まで、全部。<br> 正式な作戦会議はまだだけど………出来る事なら、骨子は話したくない」<br> <br> 衝撃の事実に面食らう歩兵士長だったが、少し気まずげな少年軍士の顔を見るに言葉に嘘はなさそうだ。<br> 口をあんぐりと広げる彼は、しかし、では何故、と疑問が湧き上がる。<br> <br> 「――そんな策を、何で俺に?」<br> <br> 少年は自分を――と言うより、兵士と言うものを快く思っていない。<br> 表情からも言論からも、それは容易に想像できる。<br> だのに、彼は重要な策を己の太守よりも先に自分と言う一兵卒に語った。<br> 不可解でならない、と言う表情を隠しもしないで歩兵士長は返答を待つ。<br> 返ってきた言葉は単純――。<br> <br> 「必要だからさ。あんたには、『保険』の為にも知っていてもらわないと困る」<br> <br> ――しかし、簡単ではない心情。<br> ジュンの言う事は尤もだ――彼の策の全貌を聞いている歩兵士長は、そう思う。<br> 自分で気付くならまだしも、人に明かされれば為し難い対応を、ジュンは求めている。<br> だから、必要最低限のものにしか話したくない。<br> 其れが例え、己が太守であっても。<br> 理屈で考えれば、それは正しい判断だ。<br> だが、誰にでも出来る態度ではない――失敗すれば、全ての責任が圧し掛かるのだから。<br> 少年の簡素な言葉に、歩兵士長は確かな覚悟を感じ、ごくりと唾を飲み込む。<br> <br> 「………一週間だったな」<br> <br> ジュンの提示した永昌戦までの時間を確認する。<br> <br> 「あぁ、一週間後だ。――『保険』の準備、できるか?」<br> <br> 微かに不安そうになるジュンの頭をわしわしと掴み。<br> <br> 「厳しいが、やってやろうじゃねぇか。その代り――」<br> <br> 邪険に振り払おうとする少年の手を無視し、力強く笑む。<br> <br> 「帰ってきてからの祝杯の際は、絶対出席しろよ――坊主殿」<br> <br> 歩兵士長の言葉と表情、そのどちらにも一定の満足を覚え。<br> ジュンは、ふん、と鼻を鳴らし、約束した。<br> <br> 「酒は嫌いなんだけどな。――わかった、ごろつき殿」<br> <br> 坊主とごろつきは、互いに小さく短く笑い。<br> 一週間後の為の――永昌戦の準備の為、動き始めた。<br> <br> <br> ―――――――――――――《薔薇国志》 第二章 第三節 了</p>

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