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<p>《薔薇国志》 第二章 第二節 ―少年は涙を掬い取り、少女は政庁にて餅を焼く―<br>
<br>
○永昌―雲南間（邪龍）<br>
<br>
「あ・悪党に教える名は持ち合わせちゃぁ、いねぇ。<br>
綺麗で真ん丸な、お月さんの下、汚ねぇ血肉をぶちまけてやる――この、薔薇水晶のぉ,手によって」<br>
<br>
眼帯を左目につけた少女―薔薇水晶は、物騒な発言を、儚げな印象を持つ外見から言い放つ。<br>
外套を脱ぎ去った彼女の腕には、いつの間にか、彼女の手には少々大き過ぎる大剣を握っていて。<br>
丸い月の光に照らされ、美しく光るその剣は、彼女の気持ちを投影しているようだ。<br>
―斬・斬・ざーん！―<br>
殺る気満々な少女に、少年―ジュンは、持前の体質により、彼女に聞こえる程の声で突っ込みを入れてしまう。<br>
――彼と彼女の間にいるごろつき達の存在を、一時的に忘れてしまい。<br>
「なんだよ、その変な節は！？<br>
しかも、名乗っちゃってるし！」<br>
しまった！―と、彼が悔やんだ時には、もう遅かった。<br>
ごろつき達は混乱しながらも、後方にいる少年にも警戒の目を向け、己の獲物をおたおたと取り出す。<br>
彼らの手にした武器は、赤錆びて所々にひびが入っている、刀剣と言うよりは鈍器と呼ぶべきもの。<br>
だが、それでも無駄に体力だけはありそうに見えるごろつき達が振るえば、十分に凶器と言えるだろう。<br>
己の愚行に大きな舌打ちをし、ジュンは武器である鉄針の狙いを定め直す。<br>
相手は三人………とは言え、少女の奇矯と自身の登場で戸惑っている。<br>
態勢を立て直されたら不利――思考を疾走させ、気持ちを固める――今しか、ない。<br>
<br>
彼がそう決断を下した直後。<br>
どさどさ、どさ………と大きな三つの物音。<br>
そして、妙な節の少女の声。<br>
<br>
「ふ………また詰まらぬ者をきってしまったぁよ………」<br>
「………いや。<br>
切ってないだろ、お前」<br>
<br>
状況を余り飲み込めていないジュンだったが、少女の持つ大剣に血糊は浮かんでいないので、<br>
思わず茶々を入れてしまう。<br>
半眼で突っ込みを入れる少年に、薔薇水晶は何故か笑みを返す。<br>
微笑でもなく大輪の笑顔と言う訳でもなく、にやぁ、と表現される半笑いの。<br>
じっとりとしたその笑みに、妙な冷汗を感じてしまうジュン。<br>
しかし、咄嗟に入れた茶々は間違ってはいない筈、と改めて思う。<br>
男達が崩れ落ちた理由――少女の動きを、眼で追えたから。<br>
以前、雲南の市場で真紅の早業を視認できなかったのは、真剣さの違いだろう。<br>
あの時はあの時で事の成り行きを真面目に確認しているつもりだったが、先程の様に<br>
自らの危険を顧みず、と言うほどではなかった。<br>
――ジュンが視認できた少女の動きは、以下の様なもの。<br>
言葉にするのが馬鹿らしいほど速く動いて、力任せに的確な人体の弱い部分―鳩尾を強打した。以上。<br>
自分の目が可笑しくなったのかと眩暈を覚えるジュンであったが、<br>
実際にごろつき達は呻き声をあげる暇もなく地に伏してしまったのだ。<br>
自身の確認した事を―少女の出鱈目な強さを、認めない訳にはいかない。<br>
（ひょっとすると、真紅以上かもな………ん………？）<br>
硬直していた頭は、己の太守の名を思った所で動きだす。<br>
―目の前の不確定名・半笑い少女は、先程、何と名乗った？<br>
――真紅は、彼女の姉妹をどう語っていた？<br>
<br>
『掴みどころのない薔薇水晶』――（――こいつだ！）<br>
<br>
喝采をあげるべきか、途方に暮れるべきか。<br>
この、掴み所がないと言うより掴みたくない少女を前にして、ジュンは数秒間、悩む。<br>
頭に浮かぶのは、真紅の言葉と同時に思い出した、彼女の優しく儚い声色。<br>
<br>
『判らないけれど――探しだすわ。――絶対に………絶対に。<br>
何にも変えられない、大切な………姉妹だもの』<br>
<br>
数秒の思考の後に、彼は小さく鼻を鳴らす――ふん。<br>
（訳わかんない奴だけど、武力はあるみたいだし。<br>
僕はどうでもいいけど、こいつに合ってた事があいつにばれると怒るだろうし。<br>
まぁ、ほんとにあいつの姉妹かなんてわからないけど――声をかける位なら）<br>
回りくどい少年が、回りくどい思考の結果を弾きだした時。<br>
彼の目の前――半歩動けばぶつかる距離に、少女は移動していた。<br>
<br>
「………二つ。――ありがと」<br>
<br>
小さな口を必要最低限に動かし、彼女は礼の言葉を告げる。<br>
耳朶に感じる少女の声は、先程とはうって代わって、何故だかとても蠱惑的で。<br>
ジュンは、弛みそうになる自制心を叱咤しつつ、礼に対する返答をする。<br>
<br>
「礼を言われる様な事は、何一つしてないと思うけどな。<br>
あと、何時の間にこんな近づいてきた」<br>
「………つれない人ﾈｪ。<br>
普通に歩いてきたーよ。………ちょっと足音を隠しただけ」<br>
「それは、普通とは言わない！」<br>
<br>
軽快に続く会話だったが、その一方を担う少年は頭を抱えたい衝動に駆られていたり。<br>
だが、そんな態度の少年にも、相手たる少女の方はにまにまとした笑みを浮かべている。<br>
――出会って数分の彼に判れと言うのも酷な話だが、その笑みは、<br>
少女が純粋に楽しんでいる証拠であった。<br>
ふと、少女は笑みの質を変える。<br>
放っておくと地団駄を踏みそうなジュンに、少女はそれを意識してかしないでか――。<br>
<br>
「一つ。ぼけに突っ込みは必要」<br>
「あーそーかい！それはどーも！」<br>
「二つ――助けてくれようと、してた」<br>
<br>
――半笑いの口を、微笑みに変えた。<br>
<br>
「………知ってたのか」<br>
「うん」<br>
<br>
自分が木々の影に潜んでいた事がばれていたのは、わかっていた。<br>
けれど、その意思まで読まれていたとはわからなかったし、思わなかった。<br>
<br>
「じゃあ、なんで、自分で動いた？」<br>
「震えてた。………ちょっとだけだけど」<br>
<br>
不確定名・半笑い少女、蠱惑的に感じた彼女。<br>
それだけだったならば、ジュンは少女の返答に険しい剣幕で突っかかっただろう。<br>
――僕は震えてなんかいないっ。<br>
そうさせなかったのは、彼女の返答と表情が、とても素直で幼く――童女の様に思えたから。<br>
僅かな間に様々な面を見せる少女に、ジュンは確信する。<br>
この少女は、真紅が語った姉妹の一人、彼女の大切な姉妹の一人、薔薇水晶だ――と。<br>
<br>
「――薔薇水晶。僕と一緒に、来てくれないか？」<br>
<br>
丸く煌々と輝く月の下、少年は、少女に語りかける。<br>
自分自身が己の契約者に誘われた時の様に、真剣な眼差しで。<br>
目の前の少女―薔薇水晶が、真紅だけでなく、自分にとっても大切な仲間となると思ったから。<br>
一拍の時を置き、ジュンの言葉をかみ砕いてから、薔薇水晶は………問い返した。<br>
<br>
「………求婚？」<br>
<br>
「なんでそーなる！？」<br>
「そんな雰囲気」<br>
「あーのーなー！」<br>
「ﾌ、おじょーちゃんのお望みにぃ、応えたいのはぁ、やまやまだがぁ」<br>
「誰がお嬢ちゃんだ。あと、その変な節付けは止めろ」<br>
「――この薔薇水晶、ちょいと人探しの、途中でさぁ。<br>
ｵｲﾗも罪な、女だｾﾞｨ」<br>
「人の話を聞け！それに、探しているのって――」<br>
<br>
朗々と語る薔薇水晶、突っ込んでも意味がないと判りつつ言葉を挟むジュン。<br>
相性がいいのかな、と少女は朧気に思い、既視感を感じる、と少年は頭痛に襲われる。<br>
だけども、少年の言葉に、少女は語りをぴたりと止め。<br>
彼女の探し人を謡う――素のままの、奇麗な声で。<br>
<br>
「私が探しているのは、薔薇水晶が捜しているのは――。<br>
七人の姉妹、一人のお義父様――。<br>
すんすん水銀燈、にこにこ金糸雀、がやがや翠星石――。<br>
きりきり蒼星石、わいわい雛苺、そして、がみがみ真紅――。<br>
皆と一緒だったぽけぽけ薔薇水晶は、何時からか皆とはぐれて――。<br>
お義父様に出会った、でも、また、はぐれた――。<br>
だから、私は独り。寂しくて、切なくて、恋しくて――。<br>
だから、私は捜す。寂しくて、切なくて、恋しくて――また、一緒に居たいから」<br>
<br>
瞳を閉じ、謡いあげる少女に、ジュンは見惚れてしまい。<br>
少しの間、二人を静寂が包みこみ。<br>
――先に口を開いたのは、少年の方であった。<br>
<br>
「なぁ、薔薇水晶。真紅には、よく怒られていたのか？」<br>
「うん。いっぱいいっぱい、怒られてた。<br>
でも、その後、金糸雀にいっぱいいっぱい、いい子いい子してもらえた。<br>
それに、真紅が怒ってくれたから、ばらしーには良い事と悪い事、ちゃんとわかる。<br>
だから、真紅も、大好き」<br>
「そっか。―はは、『がみがみ』か。なんか、わかるよ」<br>
「うん、『がみがみ』。えへへ。………え？」<br>
<br>
ジュンの共感に、薔薇水晶はきょとんと目をぱちくりさせる。<br>
初めて会話の主導権を握れた事に、少しだけ満足感を得るジュンだったが。<br>
そんな童の様な喜びを若干恥ずかしく思い、その感情を打ち切り、彼女に告げる。<br>
「他の姉妹は――悪いけど、僕もわからない。<br>
でも、真紅なら今、此処から一日二日にある雲南にいるぞ。<br>
あいつも、お前達を――って、おい、いきなり、何を泣いて――！？」<br>
あっさりと主導権を奪われた事にも気付かず、ジュンは突然の薔薇水晶の涙にうろたえる。<br>
大きな瞳から零れ落ちる水滴は、それほどまでに彼の心を穿った。<br>
だが、当の薔薇水晶は己の頬を伝う水分を拭う事も払う事もせず。<br>
震えた声で、ジュンに問い返す。<br>
<br>
「――ほんと？ほんとに、真紅がいるの？」<br>
「あ、あぁ。曲がりなりにも太守だから、そう簡単に動ける訳でもないし。<br>
僕は、あいつの軍士だから、一緒に行けばすぐに会えるさ」<br>
「真紅がいる、近くにいる………逢える、すぐに逢える――――嬉しい」<br>
<br>
言葉を繰り返すのは、駆けだしそうな気持を抑える為。<br>
目の前の少年は、教えてくれた――自分の姉妹―真紅が、すぐ其処にいると。<br>
少しの間では何所かに行かないと、伝えてくれた。<br>
だから、少女は己の心が落ち着くまで、瞳と口を暫しの間、閉じた。<br>
一人取り残された少年は、その時間を少し持余し―彼女の代りに、流れで続ける水滴を拭う。<br>
彼らを覆う外気は、夜と言う事もあって冷たかったが、<br>
少年の指に絡まる涙と触れている頬は、その分、とても暖かく感じた。<br>
<br>
少女の瞳の蛇口が閉じて、しばらくしてから。<br>
ジュンは触れていた指をそっと離し、瞳を閉じたままの少女におずおずと切り出す。<br>
<br>
「――なぁ、そろそろ………」<br>
「――うん、も、大丈夫。<br>
ありがと、真紅の軍士さん」<br>
「………なんであいつの所有物扱いなんだよ」<br>
「………じゃあ、おじょーちゃん？」<br>
「何が『じゃあ』だ！僕の何所が女に見える！？」<br>
「見えない事もないよ？………あ、凹んでる凹んでる。<br>
んと、だって、ばらしー、貴方の名前、知らない」<br>
<br>
絶対、体力つけてやる………っ、と背を向けて力なく呟く少年に、何の遠慮もなく<br>
言い放つ薔薇水晶。<br>
尋ねられた事に強烈な既視感を感じつつ――そういや、真紅の時もそうだったな。<br>
こほんと空咳を打ち、少年は、少女に名乗った。<br>
<br>
「――僕は、ジュン。桜田ジュン」<br>
「ん。私は、薔薇水晶。朗繕薔薇水晶。ばらしーでいいよ？」<br>
「………とりあえず、場所を移して今日は休もう、薔薇水晶」<br>
「いけずー」<br>
<br>
うるさい、とぶっきらぼうに言い、歩きだすジュンに、<br>
にまにまとした笑みを再度浮かべる薔薇水晶。<br>
傍から見たらどう見えるかな――そんな事を思いつつ、薔薇水晶はとことこと彼について行った。<br>
<br>
――喧騒が聞こえる以前にいた場所に戻ったジュンと薔薇水晶は、雑談もそこそこに<br>
眠りにつこうとした。<br>
事が起こる前、少年は寝る直前であったし、少女とて同じ様なものであったから、<br>
目下のところ、二人とも睡眠を欲しているのだ。<br>
当然の様に消えている火を再度つけ直し、少年は近くにあった木にもたれかかった。<br>
――直後、もたれかかられた。<br>
<br>
「………薔薇水晶？」<br>
「寒い」<br>
「ごもっとも。――じゃなくて、その、僕が寝れそうにないんだけど」<br>
「人肌が恋ｼｲﾉー」<br>
「やかましい」<br>
<br>
ごろごろと大きな子猫の様にすり寄ってくる薔薇水晶に、ジュンは半眼で言い返した。<br>
なんとなく、この少女は言葉の奥域と言うものを理解していないと思ったから。<br>
――それは、半分正解であり、半分間違っているのだが。<br>
<br>
「んと、久しぶりに、とっても久しぶりに、独りじゃないから。<br>
だから、ちょっとだけ………」<br>
<br>
――駄目？と、薔薇水晶は視線で訴えてくる。<br>
自分が人並み以上の理性を持っている事を悟ってしまった少年は、少女の視線から<br>
逃れる様に顔を背け、ぽつりと呟いた。<br>
<br>
「――ふん。寝ちゃえば、ちょっともずっともないじゃないか。<br>
………今日だけだからな」<br>
「――うんっ」<br>
<br>
儚げな印象とは程遠い、元気な嬉々とした声に。<br>
ジュンは苦笑いと共に、自分に暖を求めてくる少女を眺めた。<br>
疲れていたのであろう――少女は、呆気ないほど素早く寝息を立て始め、<br>
少年もそれに続く様に瞼を下ろす。<br>
うとうととした漂う思考の中、ジュンはふと、先程聴いた彼女の詩を思い出し。<br>
疑問に思う――些細な点を。<br>
<br>
（探す………七人の姉妹………――あれ、でも………）<br>
<br>
――そこで、彼の思考は眠りと共に、落ちた。<br>
<br>
<br>
○此処でない場所 今でない何時か<br>
<br>
少年―と言うよりは、童が一人、綺麗で真新しく、彼の手には長い鉄の針を嬉しそうに並べている。<br>
その針は、童が持っていても危なくない様に、先端が丸くなっていた。<br>
床に並べられた九つの針を―きちんと並べられたからだろう―、童はにこにこと眺める。<br>
至福の表情をしていた童だったが、突然、きぃ………と開いた、厳めしい扉に驚き、<br>
大きな瞳を不安げに其方に向けた。<br>
「………おとうさん？」<br>
違うだろうな、と思いつつも、童は扉の向こうに語りかける。<br>
「うぅん」<br>
扉から出てきたのは、薄紫色の髪をして、左目に眼帯をつけた少女――此方も、童であったが。<br>
<br>
「ばらしーは、女の子」<br>
<br>
見ればわかるよ――そう言おうとした童だったが、とことこと歩いてくる童を見ているだけで<br>
手いっぱいで、言葉にはできなかった。<br>
もう一人の童は、並べられた針の前にちょこんと座り、一言――「凄い」。<br>
何がどう『凄い』のかまるでわからなかったが、童は、まるで自分が褒められている様に感じて。<br>
<br>
「一つなら、あげるよ」<br>
<br>
まだ八つもあるし――童はそう言って、針を手渡した。<br>
<br>
「ほんと？――えへへ、………嬉しい」<br>
「うん、ほんと。――あ、僕の名前は――」<br>
「んと、ばらしーの名前は――」<br>
<br>
――彼が手渡した針は、彼女の髪色を映し、淡い紫の輝きを放っていた――<br>
<br>
<br>
○雲南 政庁<br>
<br>
ジュンと薔薇水晶が出逢った日から数日後の雲南。<br>
雲南の太守―真紅は、一人、脳内言い訳合戦に陥っていた。<br>
知識ある者が見ればわかるのだが、彼女の装いは、いつもよりも上等なものである。<br>
<br>
事の次第は、数刻前の、のりの一言、歩兵士長の戯言。<br>
<br>
「俺はただの鍬でいい………農耕器という名の鍬でいい――。<br>
つーか、そうでも思わないとやってらんねぇ！！」<br>
言葉とは裏腹に、数日前よりも確実に上達した動きで田を耕す若者の叫びを流しつつ。<br>
真紅は額に流れる汗を拭いつつ、ふと呟く。<br>
「――もうそろそろ、帰ってくる頃ね」<br>
彼女の独り言を耳にした、のりと歩兵士長は顔を見合せ。<br>
誰が、とは聞かず、話を振る。<br>
「わかるものなの？」<br>
「なんとなく、ね。――永昌はそれほど遠い所でもないし」<br>
何故かその返答を恥ずかしく思い、真紅はぱっと思いついた妥当な理由を付け足す。<br>
その様をくすくすと微笑むのり。<br>
あっちぃなぁ、と浮かんでいない汗を拭おうとする歩兵士長に、冷たい一瞥を送り、<br>
真紅はのりに口を開く――勿論、早口で。<br>
<br>
「のり、何か勘違いしている様だけど。<br>
さっきのは、ジュンの諜報能力と運動能力、雲南から永昌の距離を考慮しての発言なのだわ。<br>
配下の能力を正確に判断するのは太守として当然の事であって、決して、<br>
願望とかそういう類の発言では――」<br>
「そこまで思ってないわよぅ」<br>
「ぅぐ………」<br>
<br>
あっさりと墓穴を掘る弟の太守殿に、のりは微笑む。<br>
彼女の名の様に顔を赤くする真紅は、とても可愛らしく思え、もう少し<br>
楽しみたいと願わないでもなかったが。<br>
流石に、今の格好で逢わすのは忍びないと考え、真紅が納得出来る様な形で、<br>
のりは助言を送った。<br>
「ね、真紅ちゃん。<br>
もうすぐジュン君が帰ってくるなら、お着替えした方がいいんじゃないかしら」<br>
「だ、だから、私は別にどうとも――」<br>
「だって、真紅ちゃんは『太守』なんですもの。<br>
配下の報告は、それ相応の格好で受けないと」<br>
――ね？とにこにことした笑顔でだめ押し。<br>
でも、その、と俯く真紅は、年相応の少女にしか見えなかった。<br>
二人の遣り取りを傍で聞いていた歩兵士長は、巧いな、と思いつつ、のりに助勢する。<br>
彼とて、少年と少女の関係に無関心な訳ではない。<br>
「ま、嬢ちゃんが召かしこみゃ、仮に坊主が永昌に『港』を作ってたとしてもっぱぁっ！？」<br>
助勢の言葉が彼の年相応過ぎたのだが。<br>
神速のでこぴんを歩兵士長に打ち込んだ真紅は、くるりと政庁の方に体を向け。<br>
目を回す歩兵士長の額を撫でながら呪いの言葉―痛いの痛いのとんでけー<br>
―をかけるのりに、後を頼む旨を告げる。<br>
<br>
「――のりの言う通り、報告を受けるんだから、身なりは正しておいた方がいいわね」<br>
「うん、太守として、ね」<br>
「…………………ありがとう、のり」<br>
「ふふ、どう致しまして」<br>
<br>
――その後、真紅は自宅に戻り、身を清め、いつもよりほんの少し、召かしこみ。<br>
心持ち速くなっている心音を持て余しつつ、今に至る。<br>
悶々とした表情で政庁の椅子に座るが、やはりと言うか、太守の顔ではなかった。<br>
<br>
（――別に、召かしこむって言っても、髪結いを新しいのにしただけなのだわ。<br>
男性はそういうの、気付き難いって聞くし………それはそれで癪だけど。<br>
………『港』………まさかね、彼がそんな事、出来る訳ないわ。<br>
でも、ほんとにそうなってたら………い、いえ、私は気にしないのだわ、<br>
あ、だけど、任務中だったんだから、怒らないと。………怒らないと）<br>
<br>
こめかみをひくひくと動かしながら、不気味な笑みを浮かべる真紅。<br>
衆人が見れば、後にこう伝えただろう―真来来（悪い事していると、真紅が来るぞ）と。<br>
――そんな彼女を知る由もなく。<br>
彼女の軍士殿は、彼女の姉妹をつれ、雲南に帰ってきた。<br>
<br>
<br>
―――――――――――――《薔薇国志》 第二章 第二節 了</p>
