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【空と森のノート】」(2008/01/09 (水) 00:34:17) の最新版変更点

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   「はあ……暇ですねぇ」  誰に語りかけるでもなく、呟いてみる。  気だるい午後――には、まだ早い。今はまだ、お昼前。庭にお水はもうやってしまったし、朝のお仕事は終わってしまった。  気晴らしにスコーンでも焼こうかしら、とも思うのだけれど、妹が出かけているし、それもなんだかやりがいが無い。  妹は森へ木の実を採りにいった。もう暫くすれば、帰ってくるような気もする。  そうすれば、今日の午後は、木の実を使ったタルトでも作ることが出来る――ああ、待ち遠しい。レシピはもう覚えてしまっているから――その内新しいものを思いついたら、またノートに書いておこう。  ちょっと、外へ出てみた。  樹々の隙間から、木漏れ日が私の顔を照らす。今日も、天気が良い。ぽかぽかと暖かいし、やわらかいベッドに潜り込んだら、もういくらでも眠ってしまえそう。  でも、それは駄目。ぐうたら過ごすのは楽には楽で、それは私を誘うわけだけど……今、この時間に起きていることで感じられる気持ちよさがあるから、そっちを選ぶわけだ。  今日も、特別なこともなく、いつも通り。  そうやって私達は日々を送る。繰り返し、繰り返し。  んー、と。大きく伸びをして。少し遠い先から、妹が帰ってくる気配がする。  ここはとても静かで、誰かが来るなら、直ぐにわかる。  予想通り、妹が姿を現す。籠いっぱいに、木の実を詰めて。 「ただいま、姉さん」  にこやかに言う妹の隣には、黒いトランクを持った少年が。 「やあ、君が翠星石か。蒼星石からきいたよ」  今日という日は、お客人と共に、過ごすことになる。  それもきっと、特別なことなんかじゃ、ない。   【森と空のノート】 「しっかし、よく迷わなかったですねぇ。山歩きするって感じでもないでしょうに」 「なんとなく、ふらふらしてただけだよ。そしたら、彼女に逢ったんだ」 「うん。でも何故だか、お互い驚かないんだよね」  まるいテーブルを、三人で囲んでいる。元々ふたりでは微妙に広かったものだから、三人でもまだ、スペースは大分空いている。 「それでのんびり、自己紹介ですか? 何とも気の抜けた話ですねぇ、蒼星石」 「うん、まあね」  答えながら妹は、ふっと笑った。 「まったく。熊が出たらどうするつもりだったです」 「別に狩る気も無いんだから、大丈夫だよ姉さん。大体彼らも、大人しいじゃないか」 「いやまあ、そうですけど……なんだかんだで平和ですからねえ。見たことねえですが、お花畑があってもおかしくねー雰囲気です」  普段から出かけている妹などは、もう道を覚えてしまっていたし、そこから外れることなど勿論しない。私も、標があれば平気だった。そう、この一帯は、私達の場所だから。奥になど、入り込む必要がない。 「庭の薔薇って、君らが育ててるんだろ?」 「そうだよ。僕が鋏でお手入れして、姉さんが水をあげるんだ。姉さんが水を撒くと、すごくきれいに咲くんだよ」 「へぇ……すごいじゃないか」 「ほほ、褒めたってなんもお得なことなんかねぇですよ!?」  まあ、悪い気はしない。庭の花は、私の思うように咲いてくれる。けれど、それだけでは勢いがつきすぎていけない。そう、結局のところ…… 「蒼星石がうまくバランスとってくれるです。ありゃあ、私達ふたりの薔薇なんですよ」  そうして、暫しの談笑。 「最近は天気が穏やかでいいね。過ごしやすいし、丁度いいよ」 「へぇ。けど、庭の薔薇、結構範囲が広いみたいだけど。水やりなんて、大変じゃないか?」 「全くです。ま、ずっと続く晴れの天気もねえもんですから。たまには雨も降るですね」 「そうだね。……雨が降ると、結構長い。空がくらくなるのは、僕はあんまりすきじゃないなあ」  妹が、またふっと笑う。 「さて、と」  三人で話を続けているのも良かったが、とりもあえず立ち上がる。 「お客人がきたとなれば、予定は繰り上げです! 蒼星石、ジュンの話し相手をしとくです」 「ふふ、わかったよ。ジュン君、少し待ってて? 姉さんが、とっておきのお菓子を作ってくれるから」 「や、そんなに気を遣わなくてもいいよ」 「いーんです! 大人しく座ってやがれですよ」  いそいそとキッチンへ。ふむ、紅だの紫だの、この辺りの実を使わせてもらおう。ナッツを添えて……ラムは、確か棚の上にあった筈。さて、ちょっくら腕を振るいましょうか。  エプロンをつけて、腕まくり。鼻歌まじりで、私は準備にとりかかった。 ―――――― 「ここには、ずっと二人で住んでいるのか?」 「ずっと……うん。そうなるね」 「いつ頃から?」 「うーん、と……」  翠星石がお菓子を作っている間、僕と彼の二人きり。別段緊張することもなく、ぽつぽつと会話を続けている。 「君は、ずっと歩いているのかい?」 「さあ……どうだろう」 「ふふ。さっきの僕の答えも、同じようなものさ」  少し考える素振りをみせたあと、ああ、と彼は言う。 「よくわからない、ってことか」 「そういうこと」  僕は森に入るときは独りだけれど、彼もそうなのだ。  翠星石は多分、僕がこの辺りの道を覚えてしまっているものだと考えている。ただそれは正確にいうとちょっと間違っていた。実際森にはいくつかの標があるけれど、あれは実のところ、時にその姿を変えてしまう。 「迷うかもしれない、とかは考えていなかった?」 「そうだなあ。あんまり気にしてなかった」 「ふふっ、君は運がいいかもしれないね」 「どういうこと?」  本気でわからない、という表情を浮かべる彼。 「この森は、表情を変えるから」 「表情……」 「そう。入るたびにとは言わないけれど、時間によっては道が変わってしまう」 「だけど君は、普段から木の実を採りにいったりするんだろう」 「うん、そうだよ。ただ僕は、お昼前にしか行かないから。早いうちに入って、早いうちに戻ってくるのさ」  陽が次第に高くなって、樹々の隙間から入り込むひかりが、普段は見つけられない筈の標を浮かび上がらせる。まだ空は明るいというのに、それは森の影と影の間に、ひっそりと存在する。誘うように、それはある。まるで、魔法がかかっているように。  かつてそれに従って進んでいったら、本当に戻れなくなるところだった。あのまま進んでいたら、ひょっとして、僕のしらない素晴らしい場所へ辿りつくのかもしれなかった。けれど、僕はそれが、何だか怖い。  地図、を作らなければならないと思った。僕が何度も森に入って作り上げたものは、朝の森の地図。その殆どを頭に叩き込んで、それでいて僕は、朝以外の森を、自由に歩くことが出来ない。ましてそのまま、奥に入っていくことなど。だから僕は、『森の道のすべてを、覚えているのではない』。  夜などは、もっと手に負えない。夜の森は、もう別物になる。ただ、くらい間というものは、朝を待つ眠りの時間なのだから――夜の地図は必要ない。 「どうして、森の奥に入らないんだ? 朝の地図に書き足していけばいいじゃないか」 「そうだね。けど、それはしないよ。姉さんが、行ってはいけないと言うから」  僕が約束を破ると、姉さんは悲しい思いをするだろう。すると、僕も悲しくなる。 「きっと森の奥に、平穏を崩す何かがあるんだ。ここだけで、この場所だけで、僕たちは生きていける。変化は怖いものだよ、ジュン君。だから僕たちは、いつもの日々を、いつものように暮らすことを選ぶ」  君はどう思う? ……ジュン君。―― ―――――― 「さ、出来たですよー!」 「おお、結構本格的だなあ」 「お疲れ様、姉さん。あ、紅茶は僕が準備するよ」 「ありがとです。戸棚の二番目に、葉っぱが残ってた筈ですから、それを使うです」  クロスをテーブルに引いて、木の実のタルトがお目見え。小皿にそれを取り分けていく。 「はい、お待たせ。……なんか大きすぎない? 姉さん」 「いいんです!」  まあ。それでも、今日のお昼が要らない位の量はあるかもしれない……タルトは結構、お腹にたまるものだから。ちょっと張り切りすぎただろうか? 「姉さん、張り切りすぎたって顔してるよ」  妹が、ころころと笑う。 「そそ、そんなことねぇです! 何をいってやがるですか」  ……とりあえず流しておいて。いただきます、の号令とともに、タルトを口に運ぶ面々。 「ん、……旨いな、これ」 「うん。甘すぎないし、良い感じだね。美味しいよ、姉さん」 「そりゃあ、当然なのですよ。私が作ったんですから」  話しながら食べるのはお行儀が悪いことだと言うけれど、おやつならばそれも許して貰えるに違いない。会話は、食べ物を美味しくするための、調味料のひとつのようにも思う。 「うん。紅茶にもよく合ってる」 「僕はグリーンティーの方がすきなんだけどね」 「気取ったって駄目です、蒼星石……そりゃあ緑茶じゃねえですか」 「あはは、そうだね。雰囲気だけでもと思ったけど、駄目かなあ」  穏やかな時間。だけど楽しい時間ほど、いつもよりも早く流れていく気がするのは、……きっと気のせいでは無いのだろう。  窓の外を見る。いつもの角度にあったお日さまが、もう枠から外れる程度に高くなっていた。 「そういえば、この部屋には時計が無いんだな」 「えっと、在るには在るんだけど」 「止まってますね」 「うん。懐中時計を持ってるんだ……螺子を巻いてないから、動いていない」 「不便じゃないか?」 「それらしく合わせることは、一応出来るよ」 「でもまあ、お日さまの高さをみりゃあ、お昼もお夕飯の頃合もわかるってもんです」  朝と昼と、夜。そして、普段よりも早起きしたとき見られる、ちょっと不思議な朝焼けと、その日の間もない終わりを告げる、ちょっとさみしい夕暮れ。私達は、それがわかっていれば十分だった。 「そんで……いつまでもゆっくり佇むって塩梅でもねぇ訳ですね、おめーは」 「ん、……そうだな。そろそろ行くよ。ありがとう、二人とも。タルトも紅茶も、美味しかった」 「行く当ては、あるのかい?」 「いや。適当に歩いてれば、どこかに着くだろ」  改めて礼を言い、去ろうとする彼を、少しの間呼び止める。 「……腹減ったら、これでも食べるです」  私はタルトのあまりを白紙で包み、更にそれを緑色のハンカチーフでくるんで手渡した。 「いつか返すですよ、そのハンカチ。お気に入りなんですから」 「まあ、約束は出来ないけれど、きっと」 「忘れんじゃねえですよ?」  笑顔で、彼に言ってやる。 「ジュン君、じゃあ……僕はこれを」  蒼星石が、部屋の棚上に置いてあったノートを手にとった。表紙は青、裏は緑色の、私達の大事なことを記している、ノート。その内の一ページを破りとる。 「朝の地図。もう直ぐ使えなくなるかもしれないけど……」  手渡す前に、妹は青いペンで、地図のある位置に丸印をつけた。 「迷いそうになったら、空を見上げなよ。見えるものは少ないかもしれないけれど、空も地図を描いているんだよ」 「――そうか、わかった。本当にありがとう、二人とも」  そう言って彼は、タルトを黒いトランクへ、地図を上着の左ポケットにしまい込む。  そして今度こそ家を出て、森へと入っていった。 ――――――  私達は暫く、彼が居なくなってからも、家の外で森の方を見つめていた。 「大丈夫かな」 「さあ……わからんですねえ」 「うん――とりあえず天気もいいし、お日さまも出ているからね」  このままずっと、雨が降らなければいいのに。  そう呟きながら、妹はさみしげに笑う。さみしいとき、彼女はこんな表情をすることを、私は知っていた。 「……雨が降るから、いつか来る晴れの日を待っていられるですよ、蒼星石」  陽の出ているのがわからなくなる位に、くらい雨が降り続いた日々もあった。ただ、それが続いて、本当に長く続いて……ある朝に、お日さまは、明るく森を照らしてくれた。  雨やみの空気、背の低い葉についていた雫が輝いていた。私にとってそれは、誇張もなく、宝石のように美しく感じられた。  雨がやむことは、特別なことなんかじゃなかった。ただ、私達は、それを喜んだ。 「そうか、……うん、そうだね」 「そうです。それが私達の、いつも通りの暮らしですよ」  また、彼がやってきて、話をして、お菓子を食べるということ。  それも、いつも通りになる。そういう風に、願う。  だから今日のお昼前のひとときも、いつも通りのことになったのだ。  それでいい、と思う。 「また来たら、菓子でも持たせりゃいいですよ。――さ、もう直ぐお昼ですね。腹はあんまり減ってねえですから――薔薇の水遣りでも、しますかね。蒼星石、お手入れお願いするです」 「了解したよ」  如雨露を取り出して、水を撒き始める。  さあ、元気になるですよ、薔薇さんたち。  水の重みで、薔薇の一輪が頭をたれた。  ――今日も、いつもの一日です。  その薔薇が、私の想いに、控えめに頷いているように感じられた――が、それを妹には伝えない。 「何か、かわいいこと考えてない?」  ぱちん、と台芽を切り取りながら、微笑んで彼女は言う。 「そんなことは、ねえですよ」  私も、何だかおかしくて、笑いを零しながら返す。  夜が来るまでに、まだ時間はある――そして夜がくるから、次の日の朝を待っていられる。  変わることは恐ろしい。でもその中で、生きているから。  私達は、待っていればいい。  自分から何かを変えようとすることは、私達の役割では、ない。 「午後は、何しましょうかねえ」 「新しいお菓子に挑戦してみようよ。僕も手伝うから」 「いいですよ。そういうことには積極的なんですね、全く」  水を一通り撒いて。やっぱり薔薇たちは、私の言葉に頷いているように見えた。   

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