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『冬と姉妹とクロスワード』」(2007/12/09 (日) 02:02:47) の最新版変更点

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<div class="main_body"> <p> <br>  <br>   『冬と姉妹とクロスワード』<br>  <br>   <br> 「蒼星石……ちょっと、良いですか」<br>   <br> 双子の姉、翠星石は、ノックも無しに開けたドアの陰から、ひょいと顔を覗かせた。<br> 年の瀬も近い、底冷えのする週末の夜のことだ。<br> ボクは炬燵に足を突っ込んで、時折、お茶とKit Katを口に運びながら、<br> センター試験に向けて、微分積分の問題集を片っ端から解いているところだった。<br>   <br> 「ん? なぁに、姉さん」<br> 「ほんの少しだけ、知恵を貸して欲しいです」<br>   <br> 心底、申し訳なさそうな声色――<br> 悩ましげな彼女の表情は、ボクの胸にも、別の意味での悩ましさを植えつけた。<br> いったい何が、姉さんをこんな顔にさせているのだろう。<br> ボクで手伝えることなら、力になってあげることに吝かじゃあない。<br>   <br> 「とにかく、入っちゃってよ。ドアを開けっ放しにされてると寒いから」<br> 「じゃあ、お邪魔するですよ」<br>  <br> 井ゲタ模様の半纏を引っかけた彼女は、長い髪と相俟って、モコモコして見えた。<br> パジャマから伸びる足の先は、冷たい廊下に立っていたためか、白くなっている。<br> 冷え症だとか言うくせに、靴下を履くのはババ臭いだなんて強がるんだから――<br>  <br> やれやれ、と肩を竦めるボクを余所に、姉さんは炬燵に足を突っ込んできた。<br> 氷のように冷え切った足が、遠慮会釈もなく、ひたり……と太股に触れてくる。<br> 背中に氷を放り込むような、いつもの悪戯心だろう。困った人だね、キミは。<br> それを分かっていながら「ひゃぁ」と悪ノリしてあげるボクの性分も、また然りだけれど。<br>  <br> 「もぉ。そういうコトするなら、お菓子あげないよ」<br> 「だったら、こっちを頂くまでですぅ」<br>  <br> 着膨れているにも拘わらず、素早く伸ばされた腕が、マグカップを掴み――<br> ボクが止める間もなく、姉さんは温くなったお茶を飲み干してしまった。<br>  <br> 「ちょっと! それボクの……」<br> 「いいじゃねぇですか。ケチケチすんなですぅ」<br> 「いや、そうじゃなくって」<br>  <br> ボクの飲みかけだったんだけど。<br> その台詞を呑み込んだのは、姉さんがニャ~ンと、いやらしく嗤っていたから。<br> また、からかわれた。思わず素で反応してしまったことが、頬を熱くさせる。<br> 照れた顔を彼女に見られるのが癪で、ボクは手元に視線を落とした。<br>  <br> その時だった。<br> 彼女が携えてきたA4サイズの薄い冊子の存在に、やっと気づいたのは。<br> 知恵を貸して欲しいって言ってたし……宿題で解らないところを、聞きに来たのかな。<br> ――でも、なんの教科だろう?<br>  <br> 高校2年生の末に行われた進路希望調査で、ボクは理系の道を選んだ。<br> 現在の、地球規模での環境問題について、いろいろ思うところがあったためだ。<br> そして3年生の今、受験に向けて猛勉強中。ちなみに、応用化学を専攻する予定。<br>  <br> 一方、数学を天敵視している姉さんは、文系へ。<br> 彼女は彼女なりに、思うところがあったらしい。訊ねたことは無いけれど。<br>  <br> 「それで……訊きたいことって、なにさ?」<br>  <br> ボクに聞いてくるってことは、英語とか数ⅠAなどの、文理共通の科目かな。<br> 問いながら、改めて冊子の文字を、まじまじと確かめてみた。<br> それは、受験対策の問題集――<br>  <br>  <br> ――ではなく、クロスワードパズルの本だった。<br>  <br> 「……ちょっと。姉さんもセンター受けるんでしょ? 遊んでて平気なの」<br> 「息抜きですよ、息抜き。蒼星石も、ちったぁ肩の力を抜くですぅ」<br> 「そ、そうは言われても」<br> 「あ~あ~もうもう。そんなガッチガチ頭じゃあ、ゴール直前でコケるですよ。<br>  人間ってぇ生物は、少しぐらい遊ばないと、おバカになるです」<br>  <br> キミは、緊張感がなさすぎだと思うんだけど。<br> 異を唱えようとしたボクの目の前に、クロスワードのマス目が、バッ! と突き付けられる。<br> 姉さんは、大きな空白地帯を指差しながら、言った。<br>  <br> 「ここ! この辺のヒントが知らないことばっかりで、どうにも埋まらねぇですよ」<br> 「もぉ……仕方ないなぁ」<br>  <br> 依怙地な彼女は、こうなってしまうと、絶対に我を曲げない。<br> 説得しようにも、言いくるめられるより先に、ヘソを曲げてしまうのだ。<br> そのように育ってしまった原因の一端は、ボクにも有るんだろうけど……。<br>  <br> 「じゃあ、縦146番のくらいから埋めていこうか」<br> 「そこのヒントは、ええっと――」<br>  <br> と、ふたり頭を並べて、広げた誌面に目を走らせていたら、<br> ムダに自己主張している太字ゴシック体の箇所が飛び込んできた。<br>  <br>  <br> 応募先……なになに? 二重枠に入る文字をA~Zまで繋げると、クイズになる。<br> 正解者の中から抽選で一組に、温泉旅行ペアチケット?<br> ……ははぁん。そういうコトか。<br> 息抜きとか言ってる割に、やたらと熱が入ってると思えば――<br>  <br> 「当たると良いね」<br> 「はぃ? どこ読んでるですか」<br> 「ここだよ。応募するんでしょ。だぁ~れと行くつもりなのかなぁ~?」<br> 「な、なに言い出すです。そんなの、捕らぬタヌキの八畳敷き、ってヤツですぅ」<br> 「それは、ちょっと違う気がするんだけど」<br>  <br> 姉さんは、決して『ちっとも興味ないですよ』というスタンスを崩さない。<br> でも、ボクはお見通しだよ。だって、他人ならぬ、もう一人のボクのことだもの。<br> ちょっとばかり胸のモヤモヤを覚えたけれど、敢えて冗談めかしておいた。<br> 彼女の言うとおり、当選するかどうかも判らないんだから。<br>  <br>  <br> その話題は、それっきり。<br> ボクたちは頭を突き合わせ――ときどき、近付きすぎて本当に頭をぶつけたりしながら、<br> ゆっくりと、でも確実に、空欄を埋めていった。<br>  <br> ――ところが、事件は思いがけないところから起きる。<br>  <br> 「んーっと。ここの縦のヒントは……あれ? 『おばかさん』だけ?」<br> 「……ですぅ。当てはまるマスも、5つありますけど――」<br> 「これが答えとは、思えないよねぇ」<br>  <br> その5マス分も、他のヒントによって、既に3マスが埋まっている。<br> 図で表すなら、【お□ん□ん】なんだけど――<br>  <br> 「素直に『おばかさん』と入れるには、真ん中の『ん』が違うよ」<br> 「その真ん中が、違ってるんじゃねぇです?」<br> 「えぇ~? それはないよ。横にクロスするのは……89番。<br>  ヒントは『ロウを塗った銅板の表面を掘り、酸による腐食で凹版を作る技術。<br>  または、その凹版を用いた印刷物のこと』とあるよ。<br>  これって中学生の頃、美術の時間に習ったエッチングのことでしょ」<br>  <br> そう。エッチングの『ン』こそが、先の3文字目に入っている『ん』だ。<br> やっぱり【お□ん□ん】に間違いない。<br>  <br> 「とすると、どういう意味なのかなぁ…………姉さん?」<br> 「……ち。えっ…………ぐ」<br> 「ちょっと、姉さん。なにブツブツ言ってるの」<br> 「へっ?! え?! い、言ってないです! エッチングなんて言ってないですぅ!」<br>  <br> キミって人は……。<br> ああ、解る。手に取るように解るよ、キミが何を考えていたか。<br>  <br> 「えっちなイタズラして、エッチングなんて言ったら、本気で撲つからね」<br> 「や、やですねぇ、蒼星石ぃ~。その発想はなかったですぅ」<br> 「はいはい。そういう事にしておくよ」<br>  <br> じゃあ、キミの引き攣った笑みは、なんなのさ? なんて、つっこみは入れなかった。<br> しつこく訊いたって、言を左右にされるだけだろうし。逆ギレされても困る。<br> それよりも、まずはヒント【おばかさん】の真意を、ちゃんと確かめなきゃ。<br> 答えが解らないままじゃあ、気になって勉強も手に着かないもの。<br>  <br> 「おばかさん……お□ん□ん……どういう繋がりだろう――」<br> 「解らんです。【おさんどん】とかですかね」<br> 「おさんどんって、賄い婦のことじゃなかった?」<br>  <br> 厨房働き……いわゆる調理人が、おばかさん? おばさん、じゃなく?<br> ――どうにも違う気がする。<br>  <br> この際、姉さんの『当てはまりそうな単語を探す』発想は、有効かも知れない。<br> 解答から遡及すれば、ヒントの意味も、自ずと知れよう。<br>  <br> 「おてもやん……は『も』が違うか。おでん缶……とも、違うなぁ」<br> 「お銀さん……酸……あ! オレイン酸じゃねぇですか?」<br> 「それじゃ字余りだよ、姉さん。もっと真剣に考えてよ」<br> 「やってるですよ。蒼星石こそ、ちゃんと頭を働かせてるですか」<br> 「考えてるってば。今だって――あっ!」<br>  <br> ある単語が脳裏に浮かんできて、ボクは思わず、素っ頓狂な声をあげてしまった。<br> それを受けて、瞳に星を鏤めた姉さんが、半身を乗り出してくる。<br>  <br> 「答えが解ったですか?」<br> 「え……いや…………そのぉ」<br> 「なんです? ほれ、ちゃっちゃと教えるです」<br> 「で、でもぉ」<br> 「だあ――っ! 間怠っこしいですね。言わないならエッチングの刑に処すですよ!」<br> 「そんなぁ……無茶苦茶だよぉ」<br>  <br> でも、姉さんの眼は本気だ。<br> 子鹿を前にしてヨダレを垂らす虎みたいに、ふぅーふぅーっと飢えた吐息を放っている。<br>  <br> このままじゃ、ボクの貞操が危ない。<br> 保身のため、頭に浮かんでしまったことを呪いながら、ある言葉を口にした。<br>  <br> 「ぉ…………ん」<br> 「え? なんです? 聞こえないですよ」<br> 「お……ん……」<br> 「もっと大きな声で言ってくれなきゃ、聞き取れないですぅ」<br>  <br> 姉さん、ホントはちゃんと聞こえてるんじゃないの?<br> ココロの内で、確証のない悪態を吐いたって、事態は変わらない。<br> もう、やけっぱちな心境で、ボクは言った。<br>  <br> 「おちん●ん!」<br> 「そっ!? 蒼星石っ! 女の子が、なんてハレンチなこと口走りやがりますかぁ!」<br> 「なにその手の平返しのリアクション! 言えって脅迫したのは誰さ!」<br> 「知らんです、おバカっ! おめーを見損なったですよ!」<br>  <br> クロスワードの雑誌を引ったくり、ついでにKit Katまで鷲掴みにして、<br> 姉さんはプンスカ怒りながら部屋を出ていってしまった。<br> もぅ……なんなのさ、本当に。<br> ボクは重い溜息を吐いて、姉さんに飲まれてしまった焙じ茶を煎れなおしに、<br> 台所へと立った。<br>  <br>  <br>  <br>  <br> お祖父さんとお祖母さんの分も煎れて、気分一新。さあ、勉強を再開しなきゃ。<br> マグカップとポッキーの箱を手に、部屋に戻ろうとしたところで、<br> ボクは台所の前で悄気ている姉さんと鉢合わせした。<br>  <br>  <br> 「……どうしたの? そんなところに立ってたら寒いでしょ」<br> 「さっきは――そのぉ……ごめんなさいです」<br> 「ああ。別に、気にしてないってば」<br> 「ホント、です?」<br> 「うん。本当だよ。まあ一緒に、お茶でもどう」<br>  <br> ポッキーを翳して誘うと、鏡写しの女の子は漸く、沈鬱な表情を引っ込めてくれた。<br> やっぱり、姉さんには太陽のように眩しい笑顔こそが、相応しいよ。<br> 本当に……ココロから、そう想う。いつでも無邪気に微笑んでいて欲しい、って。<br> その為ならば――<br> ボクは、キミの分まで傷つき、枯れるまで涙を流すことさえ厭わない。<br>  <br>  <br> 「あ、そうそう」<br>  <br> 夜も更けて、家の中にも、ひしひしと静寂が浸みこんでくる中……。<br> ボクの煎れた焙じ茶を飲み飲み、ハムスターみたいにポッキーを囓っていた彼女が、<br> ふと、照れ笑いながら切り出した。<br>  <br> 「さっきの答え、解ったですよ。他のヒントから辿って、やっと繋がったです」<br> 「本当? なんだったのさ」<br> 「アレは【おたんちん】です」<br> 「……ああ! それで『おばかさん』なのか」<br>  <br> 確か、バカ・アホ、みたいなニュアンスの言葉だったはず。<br> あんまり使われないとこから察するに、方言みたいなモノなんだろうね。<br> ボクたちは顔を見合わせて、ほぼ同時に噴き出していた。<br> さっきの騒動が、あまりにもバカバカしく思えたから。<br>  <br> 「なんか、他愛ないことで騒いでたんだね、ボクたち」<br> 「まったくです。横着した私たちの方こそ、おばかさんでしたね」<br> 「うん。【無知の知】……だね」<br>  <br> ともかく、仲直りできたし、答えも解ったから、一石二鳥の結果オーライ。<br> そう思っての軽口だったのだけれど――<br> ボクの真向かいで、姉さんは何故か、頬を強張らせていた。<br>  <br> 「どうしたのさ?」<br> 「ど……どーしたも、こーしたもねぇですっ!<br>  なぁにがムチムチですかっ! そんな眼で、私を見てたです? やらしい!」<br> 「え? え? ちょっと――」<br> 「もう知らんです! 蒼星石のバカちん!」<br>  <br> ……なんだかなぁ。<br> 姉さんは、呆然とするボクには目もくれず、台所を飛び出していった。<br> まったく――キミの早とちりにも困ったものだよ。<br> 一度で良いから、それに振り回されるボクの身にも、なって欲しい。<br>  <br> まあ……こうして、なあなあで赦してしまうことが、いけないんだろうね。<br> たまにでも、ちゃんと自分の意見をぶつけてこなかったことが。<br> そう考えて、ボクはふと、あることに気づいた。<br>  <br> 「クロスワード……か」<br>  <br> それは、彼女なりの、極めて不器用な『本音の表現』だったんじゃないのかな?<br> 学校では、3年から文理系のクラスに分かれて、姉さんと話す時間が減っていた。<br> 家に帰っても勉強ばかりで、このところ夕飯の時くらいしか会話の機会がなかった。<br>  <br> もっと、おしゃべりしたくて……構って欲しかったのかも。<br> 強がりで意地っ張りだから、寂しいだなんて、彼女は絶対に言わないけれど。<br>  <br> 「――よし! 明日も休みだし、今夜は徹底的に話し合っちゃおう」<br>  <br> 勉強は二の次。今は、ふたりの言葉を重ねる方が、よっぽど大切だから――<br> たとえ、会話が元で、いろいろと誤解を生じようとも、それは一時的なこと。<br> 交えた言葉は、きっと『加算』や『乗算』となって、ふたりの絆を強くしてくれる。<br> 擦れ違ったって『=』になるだけ。『-』になんかならない。ボクが、そうはさせない。<br> だって……かけがえのない、双子の姉妹なんだもの。<br>  <br> ボクは、お盆にふたつのマグカップと、ポッキーの箱を乗せて、二階に向かった。<br> 必要とあれば、鏡写しのボクをエッチングの刑に処することも覚悟で、ね。<br>  <br>    ◇   ◇<br>  <br> その頃、居間の炬燵に籠もってテレビを見つつ、<br> 蒼星石の煎れてくれたお茶を、美味しそうに飲んでいた柴崎夫妻は――<br>  <br> 「みんな一緒に年の瀬を迎えるのも、あと何年のことじゃろうなぁ」<br> 「あの子たちも、いい年頃ですからねえ。月日の経つのは、本当に早いわね」<br> 「曾孫に会う日も、案外と近いかも知れんのぉ」<br>  <br> 二階から響いてくる、賑やかな双子姉妹のやりとりを微笑ましく聞きながら、<br> しみじみと、お互いの言葉を重ね合わせていた。<br> 遠く、石焼き芋屋の間延びしたアナウンスが流れる、のどかで静かな冬の夜だった。<br>  <br>  <br>  <br>   おしまい<br>  <br>  </p> </div>

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