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第九話  『キヲク』」(2007/10/28 (日) 22:59:26) の最新版変更点

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<p> <br>  <br> ――明けて、1933年。<br> 1月の冷えた空気は、音をよく響かせる。広い室内に、四つの音が余韻を引いた。<br> 悲痛な声は短く、物の砕ける音は長く――<br> 柱時計の振り子と、ミストラルと呼ばれる季節風に揺れる窓の音が、それらを包み込む。<br> 雪華綺晶が、己が主である少女の部屋を、掃除しているときのコトだった。<br> いつものように、サロンから聞こえるピアノの旋律に聴き入るあまり、つい――<br>  <br> 「あぁ……どうしましょう……」<br>  <br> コリンヌが大切にしている人形を清掃中、うっかり、床に落としてしまったのだ。<br> 18世紀ごろの著名な錬金術師の手によるモノらしく、その造形は精巧の極致。<br> 眩い銀色の髪に、寂しげな目元、なめらかな光沢を放つ肌の質感……そして、黒い翼。<br> 逆十字をあしらった黒いドレスと相俟って、なんともデカダンな美しさを醸している。<br> 無垢な幼女のようで、完熟した妖女にも見える面差しは、畏怖の念すら抱かせた。<br>  <br> だが、いま床に投げ出された人形の身体は、有り得ないカタチに折れ曲がっている。<br> 落下の衝撃で、ビスク製の胴体部分が、割れてしまったようだ。<br> 雪華綺晶が、震える手で人形の上半身を持ち上げると、がしゃり――<br> パーツを繋いでいたゴム紐が切れて、腰から下が、細かい破片と共に床へと抜け落ちた。<br>  <br> 本当に、どうしたらいいのか。とても素人の手に負える代物ではない。<br> 兎にも角にも、修理なんて証拠隠滅の手段を考えるより先に、コリンヌに謝らなければ。<br> 壊してしまった人形を胸に抱いて、雪華綺晶は重い脚を引きずり、サロンを訪れた。<br>  <br> 「まあ!」ひたすら平謝りする雪華綺晶の手から、人形を奪い取ったコリンヌは、<br> 目に涙を溜めて、唇を震わせた。「そんな……二葉さんに戴いた、お人形が――」<br>  <br>  <br>  <br>   第九話 『キヲク』<br>  <br>  <br>  <br> もし、大好きな人からプレゼントされた、大切な品を壊されてしまったら――<br> 雪華綺晶は唇をキュッと噛んで、無意識の内に、胸元のペンダントを握り締めた。<br>  <br> 悲しいに決まっている。代わりの物が用意できようと、できまいと。<br> たとえ修理しても、本人にとって、その価値は著しく失われてしまうのだから。<br> 見た目は元どおり。だけど、それは最早、からっぽの器……。<br> たくさんの思い出が詰まっていた宝箱では、もうないのだ。<br>  <br> 「ごめんなさい……ごめんなさい……」<br>  <br> 人形を抱いて啜り泣くコリンヌを前に、雪華綺晶はただただ俯いて、<br> 壊れた蓄音機のように、謝罪の言葉を繰り返すことしか出来なかった。<br> いっそ、思いっ切り強く、頬を引っ叩いてもらえたら――<br> 百万の罵詈雑言を、コリンヌが容赦なく浴びせてくれたのなら――<br> ある意味、まだ救われたかも知れない。完全悪として、裁かれるのであれば。<br>  <br> けれど、コリンヌはさめざめと泣き濡れるだけだった。<br> 一言たりとも、雪華綺晶を責めようとはしなかった。<br> なぜ? 過ちは人の常、許すは神の業……とでも?<br> 痛罵されないことで、雪華綺晶の忸怩たる想いは胸につっかえたまま、<br> フラストレーションを溜め込み、際限なく膨張してゆく。<br> 無言が続けば続くほど、内側から圧迫される胸の痛みも増して、雪華綺晶は苦悶に喘いだ。<br>  <br>  <br> かちゃり。ドアノブが回され、雛苺が不安そうな顔を覗かせたのは、<br> いたたまれなくなった雪華綺晶が、今まさに逃げだそうとした矢先だった。<br>  <br> 「コリンヌお嬢様……どうしたの? なにか、あったの?」<br> 察しの良い娘だ。ピアノの演奏が不自然に止んだので、心配になったのだろう。<br>  <br> 彼女の登場によって、浮いていた雪華綺晶の踵は、再び床を踏みしめた。<br> 逃げだす機会を逸したからではない。雛苺なら助けてくれると、思ったからだ。<br> 今の雪華綺晶は、コリンヌを宥め慰める言葉を、持っていなかった。<br> もし持っていたとしても、それを口にすることなど出来はしなかっただろう。<br> ――でも、長く住み込みで奉公してきた雛苺ならば、或いは……。<br>  <br> 雛苺は、ことこと靴を鳴らして、泣き崩れているコリンヌの元へと歩み寄った。<br> そして、彼女の腕に抱かれた人形に気づくと、口元に手を当てて息を呑んだ。<br>  <br> 「お人形さんが……壊れちゃったのね?」<br> 「ごっ、ごめんなさいっ! 私の過失で――」<br> 「……うぃ」<br>  <br> もはや条件反射的に謝る雪華綺晶に、雛苺は『任せて』と言わんばかりに頷くと、<br> コリンヌの隣りに屈み込んで、彼女の背中を撫でながら囁きかけた。<br>  <br> 「そんなに悲しまないで。お嬢様が泣いてたら、きらきーも、ヒナも、<br>  お人形さんだって、とっても哀しくなっちゃうのよ?」<br> 「雛…………苺」<br> 「それにね、このままじゃ、その子も可哀相なの。<br>  壊れたところから、大切な思い出が流れだしちゃうのよ」<br> 「……でも…………このお人形は――」<br> 「解ってるの。このビスクドールは、もう作られてないのよね?<br>  ちゃんと修理できる職人さんは、もう居ないかも知れない――って」<br>  <br> それは、コリンヌの誕生日にプレゼントを手渡すとき、二葉が語っていたことだ。<br> この人形を、懇意にしているアンティークドールショップで偶然にも見つけた彼は、<br> 店主に頼み込んで譲り受けた――とのコトだった。<br> どれだけ大枚をはたいたかは、一度として口にしなかったけれど。<br>  <br>  <br> まあ、とにかく。修復できるものなら、いくら払ってでも、元どおりにしたい。<br> 本音を滲ます眼差しのコリンヌに、雛苺は「へへー」と、自信ありげに笑いかけた。<br>  <br> 「実は、ヒナねぇ~……すっごい人形師さんを知ってるのよー。<br>  その人なら、きっと直してくれるのっ。さ、ヒナにその子を預けて」<br>  <br> いつもなら、この軽いノリと根拠に乏しい自信に、不安をもよおしていただろう。<br> しかし、現状では雛苺に従ってみるより他ない。<br> コリンヌはハンカチで目元を拭うと、愛娘を託すように、そっと人形を差し出した。<br>  <br>  <br>   ~  ~  ~<br>  <br>  <br> 鄙びた田園風景の中を、山に向かって風のように走り抜ける、一台の自転車。<br> 額に汗を滲ませながらペダルを漕ぐのは、髪をポニーテールに束ねた雪華綺晶。<br> その後ろには、人形を納めた鞄を抱えた雛苺が座って、時折、指示を出している。<br>  <br> 「ねえ、雛苺さん。貴女どうして、その職人さんを知っていましたの?」<br>  <br> 雪華綺晶の、至極もっともな疑問を受けて、雛苺は照れ笑いを浮かべた。<br> なんでも子供の時分に、やはり貴重な人形を壊してしまったことが、あったそうだ。<br> その際に修理を依頼したのが、これから会う人物なのだと言う。<br>  <br> 「ホントかウソか、ヒナには解らないんだけど……<br>  山奥に隠棲してるその人はね、とある秘密結社のメンバーだって噂されてるのよ」<br>  <br> 随分とオカルトめいた話だが、あのビスクドールを修理するには、<br> そういった分野の知識も必要かも知れない。何しろ、普通の人形ではないのだから。<br>  <br> 流れゆく景色を、なにげなく眺めていた雪華綺晶は、ふと――<br> 「あら?」郷愁めいた感情に、胸の奥が騒ぐのを感じた。<br> 私は、この風景をよく見ていた……そんな気がする、と。<br>  <br>  <br></p> <hr>  <br>  <br>   第九話 終<br>  <br>  <br>  【3行予告?!】<br>  <br> 人は悲しいぐらい忘れてゆく生き物。愛される喜びも、寂しい過去も――<br> コリンヌお嬢様のためにも、お人形さん、綺麗に直してもらいたいのよ。<br> ……うよ? どうかしたの……きらきー?<br>  <br> 次回、第十話 『fragile』<br>  <br>  

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